宗教上の理由・コノハナミステリーハントで子供に乾杯ちっちゃな旅!
まえがきに代えた登場人物紹介
木花村にある天狼神社には、人間の子どもを神使として崇める風習がある。普通神使といえば動物が務めるものなのだが…。その神使を現在務める嬬恋真耶と、それを取り巻く家族や友人、大人たちの繰り広げるドタバタかつほっこり(?)な物語。
嬬恋真耶…天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。一見清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子だが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。真面目な良い子だがたまに度が過ぎることも。そして天然。
御代田苗…真耶の親友。スポーツが得意でボーイッシュな言動が目立つ。でも部活は家庭科部。猫にちなんだあだ名を付けられることが多く、最近は「ミィちゃん」と呼ばれている。
霧積優香…ニックネームは「ゆゆちゃん」。ふんわりヘアーのメガネっ娘。真耶の親友で真奈美にも親切。農園の娘。部活は真耶と同じ家庭科部に所属。
プファイフェンベルガー・ハンナ…教会の娘でドイツ系イギリス人の子孫。真耶たちの昔からの友人だが布教のため世界を旅していた。大道芸が得意で道化師の格好で宣教していた。
嬬恋花耶…真耶の妹。頭脳明晰スポーツ万能の美少女というすべてのものを天から与えられた存在だが、唯一の弱点(?)については『宗教上の理由』第四話で。
渡辺史菜…木花中の教師。真耶たちの部活の顧問だが、実は真耶が幼い時天狼神社に滞在したことがある。担当科目は社会。サバサバした性格に見えて熱血な面もあり、自分の教え子が傷つけられることは絶対に許さない。無類の酒好きで何かというと飲みたがる。
後藤…イベント会社の社員で、着ぐるみキャラクターショーなどの運営が仕事。真耶たちが職場体験でお世話になった。
今回は真耶たちが二年生になってからの、初夏の物語。
(登場人物及び舞台はフィクションです)
ラウンドアバウトという言葉を知ったのは、大学の頃だったろうか。英語の授業か何かで教授が話していた。大通りの交差点に信号を設けず、その代わり日本で言うところの駅前ロータリーのようになっている円形の道路にいくつかの道路が合流し、車はそれを一方通行で回って目的地につながる道路を目指す。ヨーロッパでは普通にあるというが日本ではほとんど無い。辻という言葉が象徴する通り、我が国では道と道とは十字に交わるものなのだろう。一方ヨーロッパでは道が集まったところが広場となり、コミュニティの中心となる。おおかたそういった話だったと思う。
そのラウンドアバウトが私の目の前にある。日本流に言えば五叉路だが、ロータリーに入った車は華麗に石畳の中をぐるりと旋回し、目的の道に吸い込まれる。中心部は緑地帯とちょっとした広場になっており、日本とは思えない贅沢な作り。そう、ここは日本にある数少ないラウンドアバウトのうちの一つをもつ村、木花村。
木花村という名は初耳だった。私はテレビ番組制作の仕事をしているのだが、上司であるところのプロデューサーがこの村を見つけてきた。
「どこか穴場的な観光スポットは無いか、これまで一度もテレビに出たことのないようなところはないか、ただし国内で」
物珍しさを求めるこの業界にあって、無茶なオーダーがまかり通ることは珍しくない。きょうびこの狭い国土ではもう隅々までカメラが入ってしまっているのではないか? という疑いを我々スタッフの皆が持ちながらそれを探し始めたのだが、文字通りの灯台下暗しだった。群馬から長野に連なる高原地帯のなか、居並ぶ著名観光地に埋もれたようにひっそりと佇むひとつの村が発見されたのだった。
しかしプロデューサーの仕事はここまで、というか、それ以降のことは私達部下に丸投げされた。めぼしい情報が少ないのだ。ガイドブックにも時々は載っているが、他の観光地のオマケのようにささやかに、そして目立ったことも書いていないように思えた。どうしようと途方に暮れた所で、私は思い出した。大学とダブルスクールしていた専門学校の同期が確かこのあたりの出身で、今も近くに住んでいるはずだ。
後藤というその同期生と私は仲が良かった。最初はふたりともテレビ番組作りを目指していたが、いつしか後藤は舞台やイベントに興味を持ち始め専攻コースを変えた。それでも私との仲は変わらず、彼女が郷里に近い長野県内のイベント会社に就職してからも、便りのやり取りをしていた。その会社は遊園地やショッピングセンターなどでキャラクターのショーを運営しているということだった。彼女に問合せてみた。木花村ってどんなところ? と。
返事はすぐに来た。面白いところだ、と。百聞は一見にしかずだからまず来てみるといい、と。そして。
私もきっと気に入るはずだ、と。
この村が特徴的なのは、ラウンドアバウトだけではない。戦前に建てられた村役場や郵便局、看板建築と呼ばれるモダンな構えの商店、別荘は勿論普通の民家も西洋風で、それらが調和した風景を形作っている。
今回、事前取材は一切なし。テレビ番組を作る以上、一定の「仕込み」はされることが多いし、下準備はしておくのが通例。取材対象となる地域にどんなものがあるか、それは「絵」になるのか、「数字」が取れるのか。またスタッフや出演者のスケジュールもある。テレビ局だって制作費はどんどん削られており、低予算で高効率の番組作りをするにはその作業は不可欠。ぶっつけ本番でたまたまぶつかったものを撮るなんていうのは、少なくともスポンサーに縛られている民放ではまず出来ないと思って良い。
だが今回、事前準備はしなかった。というか、できなかった。何しろ情報が少ないというのはすでに言ったとおり。しかもたまたま予定が押しており、他の番組制作ともかち合ったりして、なかなか時間がとれなかったのだ。
けれども、私は疑問だった。こんなに美しくて素晴らしい村を、どうして我々マスコミはスルーしてきたのか。
わたしは、ずっと疑問だった。木花村に生まれ育った身だからこそ、この村の特異性はよく分かっていた。それなのに、なぜマスコミはここをスルーし続けるのか。専門学校時代の同期からコーディネーターのようなものをやってくれと頼まれ、一番仲の良かった子なので快諾はしたが、適切なガイド役を果たせる自信は無かった。その疑問が解けていないがためにテレビの求めるものを提供できるとは限らないからだ。
子供の頃、そういうたぐいの質問をしたわたしに大人は答えた。彼らは木花村が幹線の交通網から外れていることと、それら幹線から標高差があるので行きづらいこと、しかも周辺のもっと便利な近場に有名な観光地が沢山あるため、そちらに客を取られていることなどを挙げるが、私はそれだけではないと思っていたし、大人たちも本心では話していなかっただろうと思う。それらの条件をはねのけて有名になった観光地は、探せばいくらでもあるし、そういった理由を語る大人たちが、なぜか活き活きとしているからだ。だって、普通よそに客を取られたら悔しがるのが普通では?
けれど大人になって東京に出ると、ひとつのことが見えてきた。東京では多くの観光地が自分のところを宣伝するのにしのぎを削っている。そのなかで木花村の名前はついぞ聞かなかった。疑問だった。地理的に不便で客を呼び込むのに不利だというなら、むしろ積極的に宣伝すべきではないのか?
だがそれこそが「戦略」なのだと分かったのはずっと後のことだ。上京した頃から私は、高原のオシャレな観光地が多いあたりの出身であることから色々聞かれたり、羨ましがられたりもしたが、木花村の名は出て来なかった。しかし歳を取るごとにその名前が少しずつだが人の口にのぼるようになる。木花村も有名になったのだと思っていたが、実は違った。わたしのほうが、木花村を知る人達のいるところに飛び込んでいたのだ。それはある程度のステータスのある人、または旅に精通している人。それでもなおこの村を知る人は限られていた。そもそも外国人の別荘地として開けた木花村は、比較的長期滞在でゆっくり楽しむところ。今も別荘はもちろんのこと、会社の保養所や学校の研修所といった、商売っ気のない宿泊施設が多くを占めるこの村ならではだ。
撮影が始まった。
いま私たちの眼の前に広がっているのは圧倒的な美しい風景。なまじ観光地として名が売れていないことが、いい意味で時間が止まった感覚をもたらしている。作り物の「レトロ」ではない、本物の「古さ」。絵になるのは確かだ。そして豊かな自然と高原ならではの爽やかさ。夏を迎えるにあたってこの清涼感は他では得がたい。
本当の行き当たりばったりで番組を作るというのは実際の所私も初めてなので戸惑うし、失敗したらどうしようかという不安もある。しかし撮影は順調に進んだ。それはもちろん木花村というところが「素材」として最高級であるのは勿論だが、そこに最高級の被写体を配置することに私たちは成功した。そもそも、何を映すかも決まっていない状況の中にもかかわらず、すべてを丸投げしたはずの我らがプロデューサー。ところがどんな風の吹き回しか思わぬ所で敏腕を発揮して、とんでもないキャスティングをしてきてしまったのだった。
角力彩菜。かずかずのドラマ、映画に出演する超人気女優。男っぽいゴツゴツした苗字は本名だが、キュートなルックスとのミスマッチがかえってインパクトを与えて、またショートカットに象徴されるボーイッシュな魅力を持ち、男女ともに人気が高い。その彼女がレポーターとして、この木花村をはじめとする地域を紹介してくれるというのだ。
普通なら願ってもない話だ。しかし取材の方向性も決まらないうちにキャストを決めてしまっては迷走するに違いないし、それで今をときめく超人気タレントを振り回していいものか。いやそれでは本人は勿論、貴重な時間を割いてくれた所属事務所や各方面に申し訳が立たない。いやそれ以前に、それで何か不手際が有ったら角力さんに失礼だ。私達スタッフは皆、かつてない緊張感に見舞われていた。
ただ、それは取り越し苦労だった。いつの間にか私たちは、この村が他ではみられない特異な顔をいくつも持っていることに気付き、いい意味でそちらに気を取られたからだ。外国人の別荘地として開けた村には今もその子孫が住み、青い目や金色の髪をした人々が普通に歩くというその一点だけでも絵になる。素晴らしい素材に、素晴らしい出演者。私たちは恵まれている、持っている。そんな気分が私達の間に流れ始めた。
「行事も個性的なのよ。ハロウィンなんかずっと昔から普通にあったんだから」
コーディネーターがわりの後藤が言う。彼女の解説によれば、かずかずの風習があり、それらの中には相当奇っ怪なものもあるというのだ。特に今年になってから、子どもたちの中でもそういう行事をさかんにしていこうと積極的な子達が頑張っており、無くなっていた習わしもどんどん復活しているのだという。そしてそんな解説をしている間にも、角力さんが面白いものを見つけたようだ。
「あっ、あの子可愛い」
ラウンドアバウトを一周りするだけでもすでにかなりのフィルムを消費している。と言ってもフィルムというのはものの喩えで撮影はデジタル、最近ではテレビ撮影もコンパクトで、数名のスタッフでカタがつく。それはともかく、ラウンドアバウトは人が集う場所でも有り、広場の役割を果たす。その中で、原色のキラキラした衣装を来た二人組が何やらやっていて、まわりで何人かの人がそれをじっと眺め、ときに拍手をしたり、歓声を上げたりしている。
「大道芸ですね」
角力さんがカメラに向かって話しかける。見に行こうと、私達についてくるよう促す。二人の大道芸人は道化師の格好をしている。体つきが小さいので子どもみたいだが、衣装のみならず、顔もしっかりしたクラウンのメイク。角力さんが声をかける。近寄ってみると一人は青い目をしている。
なんと、二人は地元の中学生なのだとか。こうやって子どもが道化師の格好をすることも木花村では伝統的なことだという。話しかけているのが角力さんだと気づいているのかいないのか、堂々とした態度で受け答えする彼女たち。お願いして芸をしてもらう。上手い。子供とは思えない身のこなしと堂々っぷり。
感心していると、後藤が何やらじっとそのうちの一人を見ていると思ったら、はっとした感じで叫んだ。
「あら? 優香ちゃんじゃない。久しぶり!」
わたしの会社は、キャラクターショーなどを運営している。木花村の生徒たちが職場体験にやってきたのは去年のこと。最近ではキャラクターショーの看板コンテンツとなっているパエリアシリーズの着ぐるみを着て握手会をやるという内容だった。そのときやってきたうちの一人が、今わたし達の前で大道芸を披露してくれている霧積優香ちゃん。顔はメイクで一瞬わからないが、立ち居振る舞いが彼女のものだ。でもまだ修行中といったところか、もうひとりの子のサポート的な感じだ。
もうひとりの女の子は優香ちゃんの同級生で、プファイフェンベルガー・ハンナちゃんという子。彼女が大道芸を得意としていて優香ちゃんに色々教えているのだという。ちなみに生まれも育ちも木花村なので日本語は達者というかそっちがメイン。名乗る時は日本の慣習に合わせて苗字を先に言うし、学校でも名前をもじってお花ちゃんと呼ばれている。
わたしはこの風景に見覚えがある。わたしが小さい頃は、道化師の格好をした子どもが歩いているのが普通だった。子どもは子どものうちに、色々な格好をしよう。それが村の習わしだった。わたしだって、何度も顔を真っ白に塗られたことがある。ただわたしの場合、嫌がったので親がしなくなった。嫌がるものを強制的にやらせず、本人の意志を尊重するのもこの村のスタイル。まぁ結局ほとんどの子がやってもらうことになるので、また頼んでやってもらったのだが。だって楽しいし。だからわたし達木花で生まれ育った者にとって、このメイクと服装は懐かしいものだ。去年くらいから、子どもたち主体によって村のさまざまな行事を復活させようという動きが活発になってきている。去年はオオカミの着ぐるみを着てのお月見も復活したそうだ。優香ちゃんたちが小学生の頃からそういう機運は高まっていたが、今年になって本格化した。子どもの道化師が村の中を歩きまわるさまもそう。
最近、全国どこでも村おこし、町おこしが盛んだ。それは地域活性化とか、外からの客を呼び寄せるとか、そういうことが目的。その流れは悪く無いと思うし、本音を言えば会社的にそういうのが増えるのはありがたい、仕事の発注が増えるから。でも木花村の場合、もとより多くの観光客を呼び寄せようとは思っていない。ただ昔の文化を復活させたい、そう皆が思っているだけ。もちろん昔の村のすがたを再現すれば、それを好きだったのに村から離れていた観光客は戻ってくるし、そういうのが好きな人は寄ってくる。どのみち木花村が求めてきた、本当に木花村の良さを分かってくれる客層を狙ってアピールすることにはなる。
訪れる人の数が増えれば、その分マナーの悪い客も増える。サービスを提供する側もその質を変える必要が出てくるかもしれないし、だいいち人が多いと騒がしい。木花村で観光に携わる人々がそれを望まなかったのは間違いないし、その「選別」は結果的に差別化という産物をもたらした。気軽に行けて、気取らない、さらにはハメを外してもいい、それだけの観光地ならこの国にゴマンとあるからだ。それが悪いとは言わない。目指す方向が違うだけだ。言っておくが、決して木花村は高級リゾートではない。物価も庶民的だし、安く逗留できる宿も多い。
もっとも、イベント運営を生業としているわたしの会社的には、子どもたちが自発的に色々やるのでは出番がないというのもある。まぁわたしはこの村で商売しようという気はないからいいのだが。ただわたし以外のスタッフ全員は、興味津々のようだ。
面白い。
子どもが回している村。これは話題になる。つかみになる。数字が取れる。直接利害のない後藤は知らないが、私を含めたスタッフ全員がそう思っていた。
道化師の格好をした女の子二人に、案内を頼むことにした。通りがかりの人にその土地のイチ押しを訊くというのは旅番組ではよくある自然な展開だ。ただたまたま出会った村人の格好はあまりにも突飛で個性的だが。
「ここが村一番の商店街。小さいけどひと通りお店はあるからスーパー無いけど大丈夫。観光客の人が喜ぶからわざと建て替えしないんだって。ほら、あるでしょ、昭和の雰囲気ってやつ?」
「住宅地に緑が多くて広々としているのは、別荘があった時代の名残なんですよ。庭も広いし、道路もゆったり。古いお家もいっぱいあるし」
うん、確かにその価値は認める。実際歩いていて楽しいし、癒される。落ち着いて滞在するには最高だと思う。
でも、やはり何かが足りない。テレビにとってそのものの実際の価値は重要ではない。いかにして目を引くか。もっと言えば、いかにして数字をとるか。それが重要。極論すれば、数字さえ取れれば内容はどうでもいい。それがテレビの現実。木花村には素晴らしい風物がある。しかし視聴者にとってその価値が分かるかどうかが問題で、テレビで伝えにくい価値もあるし、視聴者の多くはそれに気づかない。
だからスタッフの一人がこういうオーダーを出してしまうのは致し方の無いことだとは思う。
「うーん、なんか、すっごい変わったやつ、無い?」
ああ。それを言ってしまっては。優香ちゃんたちが紹介してくれる村の風景は、わたしにも懐かしいものだし、この村をよく知ってくれている観光客は気に入ってくれる。地味だけど、良い。だがテレビの掟がそれでは済まないこともわたしは知っている。地味なものは地味。わたしが専門学校のコースを変えたのは、テレビ界を取り巻くそんな現実を垣間見せられて嫌気が差したのもある。でも。
わたしには、一つ心配ごとがあった。この村にある、決して報道されてはならない一番の不都合な秘密。カメラが入ることで、それが世間に拡散されては困ると思っていた。
天狼神社。狼を神に仰ぎ、人間の子供が神使を努める。神使は女子でなければいけないのだが、神社を守る嬬恋一族が神使を求めている時に男の赤ちゃんが産まれることがある。その場合、事実はこう塗り替えられる。
「神様が、その御使いとして、女の子を遣わされた」
結果、生物学的に男の子だとしても、彼は女の子として育てられる。いや、もう彼とは呼ばれるべきではない。十三年前嬬恋家に産まれた彼女こそ、男の子のからだを持つ神様の使いの「女の子」、嬬恋真耶ちゃんだ。
わたしはそのことを知っている。木花村の関係者なら常識。だから彼女が職場体験で来た時もわたしは動ぜず、男の子の身体でありながら女の子として生きる真耶ちゃんに、一番女の子らしい役柄を割り振った。だが、そのことを知らない人は、どう思うだろうか?
そもそも生身の人間を神の使いとして扱うこと自体が異例だ。それは他の神社ではキツネとかの動物が請け負っている役割で、それが男の子を女の子として育てる決まりと合わせてマスコミで報じられたら人権侵害だのと批判されるかもしれないし、間違いなく真耶ちゃんは好奇の目にさらされる。それは真耶ちゃん本人も周囲も望んでいないはずだが、テレビや紙媒体がバンバンこの村に入ってきたら隠し立ては出来ないだろう。神社やお寺のような宗教施設はどこに行っても重要な観光スポットだし、テレビが旅番組を作るときでも必ずといって良いほど取材対象になるはず。しかもその神社がとびきり変わっているときている。テレビの素材としては持って来い。
でも、賢明なる木花の子どもである優香ちゃんとお花ちゃんは、天狼神社から皆の目をそらすことが重要だと分かっていたし、何より自分達の親友を好奇の目に晒してはならないという強い意志をもって、こう言った。
「今年から新しい遊び場が出来たんです。そこ行きましょう」
でも、これほど個性的で、変わってて、奇妙奇天烈な村が、どうしてテレビとかで紹介されてこなかったのか。その理由の一つはそこにあるんじゃないかって思う。村の人たちが、自分達の持つ伝統を守るため、そして自分達にとって尊い存在である、神使様を好奇の目から守るため。優香ちゃんとお花ちゃんの持つ「守りたい」という感情は、村人共通のものだ。
私達は、道化師のふたりの後について歩いた。やってきたところは、今までとは打って変わったモノクロの風景。
「ああ、花芋だね」
その風景を見ただけで、何かを悟ったように後藤が言った。聞きなれない名前だが、彼女の説明によれば木花村特産の地場野菜なのだという。味は絶品なのだが収穫までに手間がかかるためになかなか栽培が広まらないのだとか。そして栽培を難しくしている最大の障壁が、今私たちの足元に拡がる花芋の畑。いや、これは泥の池と言ったほうがピッタリくる。
「いったん植えちゃえばあとはほとんど手がかからないんだけど、こういう泥田で育てるでしょ? この泥がミソで、良い泥を作るのは本当に手間がかかるの」
後藤の解説によれば、機械で掻き回しただけの均一な泥ではダメなのだという。キメの細かく、それでいて粒や密度が均一でない泥。これが花芋の生育にベストなのだが、機械でやるのがダメなら、人がやる他無い。しかも泥田はものすごく深いので、鍬を入れる位のことでは無理。奥までかき混ぜられない。だから花芋に最適な泥を作る唯一の方法、それは、人が田んぼに入って動きまわること。とんでもない重労働だ。しかも同じようにグルグル回るのでは意味が無い。かき混ぜ具合に適度なムラが出るように、ランダムな動きをしなければならない。毎年毎年この作業をするのでは、作る方もたまったものではない。
だが、この重労働を請け負ってくれる存在が木花村にはいる。子どもたちだ。といっても児童を労働させているわけではない。要は泥が良い具合にかき混ぜられればいいのだから、そのプロセスは関係ない。そこで大人たちは、この泥田の中で子どもたちを遊ばせることにした。いつしかその中から様々な遊びのバリエーションが生まれ、数々の「競技」として昇華したそれらは小中学校の運動会という形で年中行事のひとつとなった。
そして今年になって、これらを観光資源にしようという話が持ち上がった。田植え前の水田でこういうイベントをやっているところは少なくない。だがそれらを凌ぐ勢いで大々的にやっているのはここだけ。しかも、それを常設でやろうとしているのだ。「泥んこパーク」という立て看板が設けられ、海岸でライフガードが座っているような監視台や休憩用のテント、仮設トイレも作られている。でもこれも子どもたちの自主的な活動の一環で、決してあからさまな客寄せではないのだという。
ただ、まだ開業してはいないような? と思っていたら、みるみるうちに子どもたちが集まってきた。どうやらお友達を招集してくれたらしい。そのことをちゃんと言えばやらせにはならないし、人気女優角力彩菜のために集まってくれたというのなら良い話だ。テレビ的には申し分ない。
道化師のメイクを取った優香ちゃんとお花ちゃんが呼び寄せたのは、苗ちゃんと真耶ちゃんというもっとも仲が良い二人と、真耶ちゃんの妹の花耶ちゃん。これからエキシビジョンとして泥んこ遊びを披露してくれるというのだ。優香ちゃん・お花ちゃんを含めみんなそのための格好に着替えてきている。競泳用の水着に学校指定の体操着。どの子のそれもすでに黒ずんでいる。そう、学校指定の体操着は泥んこ運動会で真っ黒になってしまうので、それを機に体育ではみんな私服のTシャツで授業を受けるようになる。そのため体操着は近所で融通しあったりする。わたしの子供の頃と同じで、懐かしくなった。
一応、角力さんにもジャージ姿に着替えてもらっている。無骨な学校指定タイプでもカッコいいのだからさすが一流の女優さんは違うと思う。まぁ、角力さんは準備だけで、参加はしないと思う。だって、内容が内容だし…。
角力さんのジャージ姿が見とれるものなのは予想通りだが、木花村の子どもたちが格好いい着こなしをしているのには恐れいった。テレビ局に出入りしているティーンアイドルやティーン向けファッション雑誌出身の子とかでもこんなセンスの良い子たち滅多にいない。もともと自分を見せるスキルを教えこまれているかのようだ。そういえば、後藤も決して派手好みや高い服を着ているわけではないが、なんでもない既製服を綺麗に着こなしていたっけか。
それはさておき。一応この泥んこパークで遊ぶ時の正装ということで角力さんにも着てもらったが、実際体験してもらう訳にはいかない。だって、内容が内容だし…。幸い村の子どもたちは全員乗り気だ。長い金髪の子だけはテレビに出るのを恥ずかしがっていたが、その子の顔は映さない条件で合意した。実践部隊は彼女たちに任せよう。
先ほど道化師をしていた二人、優香ちゃんとお花ちゃんと呼ばれていた二人が、泥田の中に浮かべられた丸太の上にいる。二人の手には細長いウレタンの棒。これは昔取材したことがある、スポーツチャンバラに似ている。さっきまで仲良しだった二人が打って変わって真剣勝負、いや、友だちだからこそ手加減はしないのか。
「さすがお花ちゃん、フェンシングやってるだけあって身のこなしが鋭いね」
後藤の言うとおり、お花ちゃんと呼ばれている子の方が優勢で、優香ちゃんと呼ばれている子はだんだん追い詰められて行く。丸太は両端をロープで縛り、岸から渡してあるだけなので揺れ動くし、細いので横に逃げることは出来ない。ましてお花ちゃんが優香ちゃんをどんどん後退させて行っているので、このまま行くと…。
ぼっちゃーん!
「ここの泥は粘り気が強いの。でも強すぎると身体が潜らないでしょ? そのへん絶妙のバランスなのよね。水に飛び込んだ時みたく抵抗なく落ちていって、それでいて出て来ても全身に泥がベッタリついてるっていう。最高の環境だよね」
後藤の言う最高というのはどういう観点なのか突っ込みたくもなるが…ともかく薄めの石膏のような泥が服の中や髪の毛の間にまで潜り込み、しかも気温の低さもあり、なかなか乾かず泥んこ状態が長時間キープされるのだという。
「ぷはぁ!」
泥の中から、全身泥まみれの優香ちゃんが出て来た。肩から上だけ出した状態で息を荒くしている。泥の田んぼは相当深いのだろう。泣きだしてしまうのでは? と思って呆然と見ていたが、
「スキあり!」
その優香ちゃんがお花ちゃんの足をぐいっとつかむと、一気に泥の中に引き込んだ。そのまま泥の中で取っ組み合いになり、それを見た苗ちゃんというおかっぱ頭の女の子も泥に飛び込み参戦する。自ら泥で真っ黒になる道を選ぶとは、なんと勇敢な、そして無鉄砲な。
「もおー、苗ちゃんやめなよー」
ほら、金髪の女の子が諌めてる。
「他の遊びもやって見せないと、テレビの人たちに悪いよー?」
…そっち? まぁ私達を気遣ってくれるのは有り難いが…。
この丸太の上チャンバラ、わたしが中学生の頃はフェンシングの剣でやっていたが、危険でもあるのでスポーツチャンバラというものが現れてからは用具もそれに似たものになった。ただし先に泥の中に落とされたほうが負けというルールは昔も今も変わらない。負けた方が勝った方を泥の中に引きずり込んでいいというルールも健在で、そこから取っ組み合いにあるのも昔のまま。そもそも泥んこレスリングも種目のうちの一つだ。
その他に泥んこ障害物競走というのもある。泥の中をもがきながら進むのだが、前方から色々な障害物が飛んでくる。もちろんウレタンやハリボテだが、ぶつかるとその都度泥の中に転んで、また立ち上がってを繰り返す。泥まみれの子どもたちがもがきながら前に進む姿が感動的だとかそうでないとか。
泥んこバンジー。バンジーといっても足首を結んでいるロープが長いので、明らかに泥の中に真っ逆さま。自分が泥んこになることを分かっていながら逃げられないところが恐怖とエンタメ性を演出する。
すべり台。その上を滑る板に頭を下にしてうつ伏せになり搭乗する。迫り来る泥。でも逃げられない。自分では嫌だ、逃げたい、と思ったところでちょうどいい位置に紐がある。でも引っ張れば引っ張るほどスピードを速める構造になっている。結果、嫌だ嫌だといいながら泥に突っ込む形になる。
それらに興じる彼女たちで、泥の中は大いに盛り上がっている。だが、困ったことが出て来た。苗ちゃんのほか花耶ちゃんという、金髪の姉妹の妹のほうまで泥に飛び込んでしまったので、他の種目のやり手がいなくなってしまったのだ。取材クルーとしてもやはりキレイな体だった子が泥田に落ちてトホホという絵が良いらしく、スタッフの人達がどうしたものかと話し合っている。
もっとも、真耶ちゃんだけはまだ泥の中に入っていない。次に撮ろうとしているのは泥の上のアスレチック。失敗すると泥の中にドボンというもので、絵的には映える。これに果敢にもチャレンジしようとしていた真耶ちゃんだったが、お友達から待ったがかかったのだった。
「真耶はすぐ失敗するからこれには向かない」
テレビ的な見せ場を作れないうちに、運動音痴の真耶ちゃんは泥田の中に真っ逆さまになるだろうというのだ。ただそれは表向きの理由。実際には、天狼神社の神使の顔を全国ネットで晒すのはあまりよろしくないだろうとの判断だ。そもそも真耶ちゃんは見学のつもりで呼んでいるらしい。
かといってすでに真っ黒な子達を映しても面白くないし、これから誰かを呼ぶのも時間がもったいない。じゃあスタッフの誰かがやるか、いやそれは出来ない。一人旅という設定であるからスタッフを表に出さない演出だし、そもそも誰も進んで泥だらけになろうとは思わないだろう。
となると、残るはやはり、わたし…覚悟を決めて、角力さんのジャージを貸して欲しいと言おうとした。
「やります」
突然、声がした。そして決意した顔のショートカットが、私の目に飛び込んできた。
「子供たちが頑張ってるのに、出演者の自分が黙って見ているわけ行きません。子供たちだけこんな泥んこで大変な目に遭わせるのは、良くないです」
「ちょ、ちょっと待って角力さん。いくらなんでも、それは…」
私達スタッフは総出で止めるが、角力さんは聞かない。
「いえ、それはいけません。役者として自分だけ楽をしたくないのです」
私は前から聞いていた。角力さんはプロ意識が強く、真面目で研究熱心、練習も努力も人一倍。でもその分言い出したら主張を曲げない、頑固な性格。役者としてそういう資質は良い物だが、まわりはときにそれに振り回されもする。結局角力さんは皆の制止をすり抜けるようにして、アスレチックコースのスタート台に立ったと思うとヘルメットを颯爽とかぶり、飛び石の上を軽快に進み始めた。
「これは行ける」
一人がつぶやくと、それに皆静かに頷いた。よく考えたら、無事失敗せずにクリアすればいいだけのこと。そして女優というのは日頃から身体は鍛えており、角力さんからはそれがしっかり感じ取れる。だから手足の筋力も、バランス感覚も、リズム感も良い。次々と難関をクリアする。そしていよいよ最後、滑車にぶら下げられたロープにつかまって対岸に渡るターザンごっこ。でも、もはやここまで難なくクリアしてきた角力さんに失敗の要素は無い。一同、安心していた。
しかし…。
角力さんも、クルーの人たちも、わたしの友達も、皆安心していることだろう。でも、わたしは知っている。木花村の泥んこ関連競技はすべて、泥んこありきである、と。
角力さんが、対岸の足場に届こうとしている。足をぐっと伸ばす。足場となっている丸太に足が付く。ふっと腕の力が抜ける。と、その時。
「がくっ」
…ああ、やっぱりね…。
「きゃあああああ!」
対岸の足場が、角力さんの重みを感じた途端外れ落ちた。ゴールしたと安心して手の力を抜いた角力さん、早くゴールしようと体を横にして伸ばしたのが余計に良くなくて、頭から、落ちていった。
「い、いやぁぁー!」
しばらくして、泥の中から頭を出した角力さんの叫びが、あたりにこだました。全身が茶褐色の泥でコーティングされ、口をパクパクさせながら息をしている。
「助けなきゃ!」
私達は、素早く駆け寄った。しかしそれより速く子どもたちが到着しており、私達は安心した。ああ良かった、子ども達が角力さんを助け上げてくれるのだろうと。
しかし、予期せぬ事態に発展した。
「いっけー!」
角力さんに、子供たちが襲いかかった。頭から泥の中に押さえ付けたり、上がろうとする角力さんを突き落としたり。
「ああ、やっぱりそうなるか。落っこちた子をただで逃がさないってのがマナーだからね」
いや、そんなマナー聞いたこと無い…。というかこの子達、芸能人相手に遠慮が無いというか…まるで容赦が無い。
ただ、いつの間にか角力さんも一緒になって遊んでいる。子供の顔に泥をぬったくり返したり。唯一泥にまみれていなかった金髪の女の子も飛び込んで参戦している。
真耶ちゃんのお母さんは元有名女優の丸岡ソフィアさん。今は親元を離れている真耶ちゃん・花耶ちゃん姉妹だが、ご両親がよく会いに来るのでその機会にお友達も一緒にご飯を食べたり遊びに行ったりしている。そんなこともあって、みんな芸能人というものに免疫があるのだろう。相手が超人気女優の角力さんでも一切物怖じせず泥だらけにしまくっているのは。でもその事情を知る大人はここではわたしだけ。
でも結局、角力さんはその子どもたちによって救い出された。そして子どもたちは自分そっちのけで角力さんの泥をぬぐってあげている。こういうところが木花の子どもたちのいいところだ。決していじめにはならない。そういう自律の精神がある。おそらく、クルーの皆さんは安心したことだろう。
しかし。
「よくもやったな!」
いきなり花耶ちゃんを抱きしめると、角力さんは自分もろとも再び泥田の中にダイブした。逆襲が始まったのだ。当然対抗する子供たち。
「なんだよー! 助けてあげたのに!」
「それとこれとは話が別よ! みんな泥んこにしてやる!」
そして角力さん対子どもたちのマッチゲームが始まったわけだが、一人を集中的に攻撃することをしないのも木花の子どもたちのいいところで、誰かがやられると、必ずそちらに別の誰かが付き、決して一人だけやられるということは無い。泥の中に道連れにされたはずの花耶ちゃんがまっさきに角力さんに付くと、真耶ちゃんも加勢する。
「裏切り者!」
とばかりに残り三人は真耶ちゃんたちを攻撃。もはや神の子とその妹だからっていう容赦は一切無い。しかしそちらの不利を悟った苗ちゃんが寝返ったりと、攻守入り乱れての大騒ぎとなった。
結局半刻近くに及んだファイトは、全員がヘトヘトになったところで終わった。だが、
「またやりたいな」
と角力さんがつぶやいたのをわたしは聞き逃さなかった。彼女も木花っ子の資格十分だ。
はぁ。
なんだか充実した笑顔の角力さんだが、そのお顔は泥で真っ黒。そして私達スタッフ一同は対照的に肩をがっくり落としている。それはそうだろう。超人気女優がこともあろうに子供相手に泥んこプロレスだなんて、とてもじゃないが放送出来ない。これから仕切り直しで撮り直せばとも思った。しかし、
「あの…角力さんの衣装がもう無いんですが…」
スタイリストの一言に、全員の目が点になった。なんでも角力さんにジャージを着せるさい、どうせ泥の中には入らないのだからと、撮影用の衣装の上に着せたのだそうだ。
「歩くのをやめたら寒くなってきたともおっしゃっていたので…。それに着替えの場所が屋外では、脱いでもらうのも…」
そして彼女の衣装はタイアップなので、私服に着替えて出演することは出来ない。とどのつまりは。
撮影中止ということ。
木花村での撮影は中止となった。撮影クルーは宿を取って一泊、明日別の場所で仕切り直しの撮影をするのだとか。どのみち夕方から雨という予報なので、この村で撮り直しは時間的にきついのだろうが。
わたしは実家に帰るつもりでいたが、両親は今日出かけているのでしばらくブラブラすることにした。村内をめぐるコミュニティバスに揺られて木花村の一番奥の集落へ。そこの喫茶店へ入る。私がよく行っていた店だ。
「こんにち…あ、渡辺先生、お久しぶりです」
お店の中には苗ちゃんたちの先生、渡辺史菜さんがいた。狭い村だからこうやって一日何度も知り合いに出くわすことは珍しくない。手招きされたので遠慮なく同席させていただくことにする。
「後藤さんは里帰りかな? 木花中OGだものな」
「ええ。里帰りといっても今住んでいる所も近いですけどね。今日は昔の友だちが仕事でこっちに来たので、そのお手伝いを」
今日あったことの一部始終を、楽しく話させてもらった。苗ちゃんたちの活躍や、角力さんの芸能人らしからぬ馴染みっぷり。でも残念ながら撮影は中止になってしまい、今日のフィルムはお蔵入りになるだろうことも。オンエア前の番組の話をあまりするのも良くないことだが、渡辺先生なら言いふらすこともないだろうし、第一芸能人をよく知らないらしくそこには関心が無さそう。
「ははっ、そりゃ残念だ。ま、この村がマトモにテレビで取り上げられたことなんて無いけどな」
だからテレビ撮影が中止になったことについての寸評のみを、全然残念そうに聞こえない口調で先生は答えた。苦笑しながらわたしはそこを素直に突っ込んであげる。本当はほっとしてるんじゃないですか? と。先生はまったく否定すること無くそれに頷いた。
「ああ。変に有名になって人がたくさん押しかけても雰囲気ぶち壊しだし、真耶…嬬恋の秘密がバレても困るからあまり他所の人間に立ち入られるのは避けたいしな。その意味では御代田だってそうだろう?」
御代田さんこと苗ちゃんは家庭の事情で実の親と暮らせなくなり、この村のペンションに引き取られた。本人は堂々とそれを人に話しているが、それはこの村で積極的に里子を受け入れているから話しやすいという事情がある。
「テレビをおおっぴらに入れることによって、そういう子供たちを好奇の目にさらすわけにも行かないしな。そしてそれも村人の選択だ。だからこの村は、超有名観光地の間に埋もれた知る人ぞ知る楽園、てな具合でやっていけばいいんじゃないか?」
わたしが思っていたのと同じ答が返ってきた。みんなそう思っているんでしょうね、と尋ねればそうだと先生は答える。
ご覧の通りフレンドリーな村民性だ。これまでもテレビ取材が入ったことはあるだろうし、取材拒否なんてことはまずなかっただろう。もちろん自分達から仕掛けることもしない一種のブランド戦略はある。他の土地では、好奇心で取り上げられて変なレッテルが貼られイメージをズタズタにされた例なんていくらでもある。だいいち、真耶ちゃんの存在が取り上げられても困る。
だがそれを差し引いても、この村は来たものを拒みはしないだろう。現に一番その秘密を隠しておいてほしい真耶ちゃんがこうしてテレビカメラの前に出張ってきているのだ。だとすると、木花村側の事情だけではなく。
もしかしてマスコミ側にも何か事情があるのではないか? そう思うわたしの心を察したかのように、
「それだけでも無いがな」
と先生は付け加えた。
宿に引き上げた私達は風呂に入り、さほどかいてはいない汗を流す。角力さんは泥を流す。子どもたちの泥洗いときたら大雑把この上なく、ジャージの上からホースの水をストレートに吹きかけるといったものだ。しかもせっかく良いこね具合になった泥を外に流してはもったいないということで、泥田の上でそれを行うのだから石鹸などは使えない。結局茶褐色のジャージ姿の上に風よけのためのレインスーツを着込んで、角力さんも子どもたちも帰路についた。ただし角力さんだけはこの格好で東京まで帰すわけにはいかない。急遽一泊の部屋を確保し、休息と身体のクリーンアップをしてもらうことにした。
まあ、角力さんにはもう一日お付き合いいただかざるを得なくなったのだが。木花村で撮った映像はすべて使えないので、明日近隣の観光地で仕切り直しの上撮影を行う。他の局でもやっているような番組になってしまいそうだが仕方ない。
もっとも、明日も撮影が出来るのなら木花村でやってもいいじゃないか、ということは言える。でも私達は気づいてしまった。あのまま角力さんがジャージと自らの身体を泥と同化させることなく撮影を続けたとて、それをそのまま流せるとも思えないし、明日撮影しても同じ事。だって…。
この村は、私たちがいままでに見てきたどんな「個性的なところ」よりも、遥かに飛び抜けている。「ほかにはない」「ここ限定」といった売り文句をあちこちの撮影先で聞いてきたが、そのどれよりも何段も上にいる。
「一番大きいのは、マスメディアの求めるものに、この村の現状が合ってなかったんだろうな」
たまには教師らしいことも言わないとな、と前置きして渡辺先生は話した。わたしはその言葉に、何となく納得した。
「報道ってのは事実を伝えることであるべきだし、本来あるべきジャーナリズムの手順ってのは、ある事象について取材し、それによって得た結論を伝えるってものだ。ところが今は違う。最初に自分で結論を設定して、それにあった事象を探してきてくっつける。順序が逆なんだよ」
ハチミツ入りのアイスミルクは先生のキャラには合わない気がするが、アルコール以外を飲む時はいつもこれだ。ストローをくるくる回しながら続ける。
「そして、木花村の現状は、彼らが求めたものとは異なっていたってこと。多国籍の人間が仲良くし、家庭の不和に傷ついた子どもが癒されつつ成長し、自然環境も守られている。何もかもがうまく回っている村なんて、彼らの描く物語には必要なかったってことだ」
だんだん難しい話になってきたので必死について行った。先生はそれに気づいてくれ、もっとわかりやすく言えばさ、と前置きしてこう言った。
「想像を超えたものにぶつかったら、それを見なかったことにしないと落ち着かない人間がいるんだよ。まぁ、無理やりマスメディアを利用しようとしたがために、勝手なレッテル貼りされても困るしな」
ミルクを飲み干した先生と一緒に店を出ると、外は雨が降りだしていた。先生はレインスーツを着こむとバイクにまたがった。わたしは家が近いので歩いて帰る。もちろんレインコートは鞄に忍ばせてある。
外は雨。あれから撮影をし直したとて、このせいで中止になっただろう。
大方の人は、目にしているものが自分の想像力を超えてしまうと、頭が付いて行かないものだ。それでは数字が取れない。そして木花村にあるものはすべて、そのボーダーラインを大きく振り切っていた。絵的にインパクトが無いと口にしていた我々だが、本当は違うと思う。メインの理由はインパクトが我々の想像を超えていたので、認識が追いついていなかったために他ならない。人間が泥のプールに落ちて真っ黒になる、テレビの常識では罰ゲームだし若手のお笑いタレントが物笑いの種としてやることだ。しかしこの村では子どもたちが進んでそれをやってのけ、今をときめく美人女優をそんな目に遭わせる。でもそれはいじめとかではない。彼女たち流の歓迎の仕方だし、結局角力さんも楽しんでいた。何を楽しいものとするかという価値観が、私達の常識とはあまりにかけ離れている。
もし角力さんがあのまま泥まみれにならなかったとしても、私達がここでの映像を使うかどうかは微妙な気がした。そもそも子どもたちのありようが、私たちの想定を大きく裏切っていた。元気に野山を駆け回る良い子というのは大人が求める子どもの理想像だろう。一方で病める子ども、乱れる子どもみたいなのも日々報道される。良いとされるのは当然前者だし、悪いとされるのは後者。だが報道番組では皮肉にも後者のような子どもがいるとありがたいし、旅番組みたいのでは前者のような子どもと出会えるのは非常に好都合。だからこの村がいわゆる「報道」の現場からスルーされるだろうことはよく分かる。
だが私達が出会った「良い子」たちの「良い子」っぷりはテレビの想定を大きく超えていた。だって、子どもが自ら楽しいことを企画して運営してしかもそれが上手くいくなんて、私たちの常識ではあり得ないから。子どもが回している村。最初は面白そうと思ったが、やがて思い直した。これは受けないだろう、と。
なんだかんだで、テレビの現場も世間も、枠の外側にいる子どもを欲してはいないのだ、そんな思いが頭のなかを巡る。思わずため息が出た。気持ちを落ち着かせるため、窓のそばに寄る、と。
「にたー」
わわっ! いきなり雨に濡れた窓の向こうに目鼻口が浮かんだので驚いたが、それは苗ちゃんと呼ばれていた、昼間私たちと一緒に行動してくれた、そして角力さんを度の中に引きずり込んだ子だ。ここは一階なので、庭から侵入したらしい。私が驚いていると、隣の部屋の方角から声がした。
「角力さーん、一緒にバーベやりましょ、バーベキュー!」
たまたま取れた宿には夕食が付いていない素泊まりプランしか残っていなかった。これから食事を取りに出ねばと思っていたところだったので、これは渡りに船。しかし、
「…外で、やるの?」
窓を開けると雨はますます強まってきた。彼女たちの姿を見ると、全員雨合羽を着込んでいる。みんな手には食材を大量に持っているが、部屋の中には炊事が出来る場所など無い。だから苗ちゃんという子が自信を持って答えた。
「外だよ。だってここって中にはコンロとか無いじゃん。だいいちバーベキューは外でやるもんっしょ? 大丈夫、雨でも出来るように屋根があるから」
と言って苗ちゃんは外にあるバーベキューのスペースを指差す。一旦安心したが、屋根がかかっているのは、コンロの上だけ。
「あの…屋根が小さい…」
「ああ、大丈夫ですよ。食べ物が濡れないくらいの面積ありますから」
真耶ちゃんと呼ばれていた金髪の女の子が言う。雨が降ってもベーベキューが出来るようにしつらえられた設備だというのだが…。私は問わざるを得なかった。
「でも、人間が…」
「あ、安心して下さい。人も濡れないように準備して来ました」
といった真耶ちゃんたちが差し出したもの、それは。
私たち人数分の雨合羽と長靴。
「これなら雨でも大丈夫です」
にっこりと笑う真耶ちゃん。
「雨の日のバーベキューって、レインスーツのお陰で匂いとか油とかはねたりするのも服に付かないから良いんですよ」
本当にそれが良いんだ、という感じでにっこりする真耶ちゃん。そして、
「ウチ帰って今日の話したら、あそこは食事無いから大変だろうって。だから言ったんよ、バーベ一緒にするのはどうだろう、って。そしたらおとんとおかんが準備してくれたの。今日ウチらと遊んでくれたお礼にって」
続いて喋った苗ちゃんの家はペンションを経営しているので、他の宿の状況も把握しているのだそうだ。しかし、せっかくの好意はありがたいしそれを無にするのも忍びないのだが、そのやり方が…。私達は半ば渋々合羽を着た。しかし、ただ一人ノリ気な人がいた・
「よーし準備OK! みんな、じゃんじゃん食べようね!」
雨合羽を着こみ、長靴を履いた角力さんがまっさきに飛び出していった。子どもたちも後に続く。
実は、一番私たちの予想を振り切っていたのは、角力さんだった。
雨がかなり強くなってきた。わたしは家族と一緒に食卓を囲む。そういえば子どもたち、スタッフの人達とバーベキューとかしたいって言ってたから、今頃押しかけているかもしれない。でも雨の日にそれは迷惑だからってことで、忠告はしておいた。スタッフの人数分の雨具も用意していくんだよ、と。
まあ、よそから来た人には、この村は刺激が強すぎるのかもしれない。だから派手に宣伝してもそれで気に入ってくれる人ばかりとは限らないし、一度来て驚いたまま帰る人もいるだろう。かといって村の人達は自分達のやり方を外の人に合わせて曲げたりもしないし、迎合もしない。そこが分かる人には分かるし、リピーターになってくれる。最初は戸惑っていた人も、じっくりこの村と付き合えば大抵の人は好きになってくれる。スタッフの彼女たちも、そうなってくれるといい。
もっとも、最大の秘密は言わないままにしておいたほうがいいかもしれない。真耶ちゃんのこと。一番女の子らしい彼女が実は男の子だってことを告げたら、みんな卒倒するだろうから。
宗教上の理由・コノハナミステリーハントで子供に乾杯ちっちゃな旅!
今回こころみとして、二人の話者を交互に出してみました。「わたし」が後藤の「私」が後藤の友人の一人称です。
旅番組を撮影しているという体でやってみましたが、正直、軽井沢や箱根といった観光地がその質を下げてきているのは言えると思います。ひとつにはショッピングモールとかによる大衆化が有るんじゃないか、とおもいます。もっとデンと構えた観光地、いや観光地限らず街もですが、ちょっと背伸びしないと行けないなあ、的なトコってあっていいと思います(昔の六本木とか麻布とかも、とても貧乏な若造が近寄れないオーラがあったのですけどね。最近はすっかり…)。まぁ、不況で安価な娯楽しか勝てないってのもあるんでしょうけど…。
超人気女優が泥まみれになるってのはなかなか現実には無いことですよね。そういうのはどうもお笑いの人の役割みたくなってて…でもそういうのつまんないと思うんですよ。テレビとかって、予定調和を打ち破るみたいなことしたほうがおもしろくなるんじゃないかなあ、っていつも思いながら観ています。
それはそうと、続き物であるにもかかわらず、あづみを就職浪人予備軍にしたまま放置状態になっているので、それは彼女にとって可哀相だと思いつつ、書きたくなったものを先に書いてしまったという。ただ後々に関連する設定の疲労=伏線も兼ねているので勘弁、ということでどうかお願いします。
あづみの話である「教え子は女神の娘?」シリーズ、原稿はもうできていますので、もう少々お待ちを…。