鮫肌

鮫肌

 突然浮かんだ話を書き起こした。ややグロテスクな描写も含まれているため、心臓の弱いかたは読まない方が良いかもしれません。

 あれは、確か10年前の夏だった。
 当時、私はまだ医師だった。小さい村の診療所に勤めていた。都市部の病院からそこに赴任して来たのだ。その村には他に病院が無く、村人は俺を神だといって崇拝していた。比喩ではない。周りから断絶された地区の村だ。きっと彼等は、私を本当に神だと思っていたのだろう。
 思えば馬鹿らしい話だ。私のような貪欲な人間が神になれるわけがない。それがわかっていたのに、つい良い気になってしまった。今の私がこんな状態になっているのは、神の天罰かもしれない。
 あるとき、病院に変わった患者がやって来た。ぼろぼろの布を頭から被っていて、どんな顔をしているのか、何歳なのかさっぱりわからない。最初に見たときは思わず小さな悲鳴をあげてしまった。
 相手は無反応。幸い、聞こえていなかったようだ。相手が苦しんでいるというのに、少しでも気味悪がったら私の地位はがた落ちだ。患者の心よりもそちらの方が価値が高かった。
「座って」
 私が椅子を出すと、その患者は会釈をして腰掛けた。こうして距離が縮まると、相手がますます奇妙な人物だということがわかる。ぼろ布の隙間から見える手は包帯を巻かれていた。何年も変えていないのか、包帯も布同様ぼろぼろで、所々すり切れている。
「今日は、どうされました?」
「……先生は、どんな病気でも治せると聞いた」
 男だったのか。喉がひどく枯れている。風邪ではなさそうだ。
「本当に、本当にどんな病気も治せるのか?」
 男は再度尋ねてきた。ああ、本当に鬱陶しい。
 この噂は村人が広げたもので、彼等の勝手な妄想である。そんな医者がいたら世の中からもっと病人は減っている。こういう噂を撒かれると失敗したときに大バッシングを受けてしまうから本当に迷惑だ。そしてこの思いを打ち明ける相手がこの地域にいないことも私の悩みの種だった。
「全てかどうかはわかりませんが、出来る限りのことはやります」
「そうですか」
 そう言うと、男はぼろ布を脱いで床に投げ捨てた。すると、手以外にも包帯が巻かれているのがわかった。服から出ている部分は、顔も含めて全て巻かれている。
「色々な病院に行った。殆どの医者は、みんな先生みたいなことを言うんだ」
 言いながら、男は私の目の前で包帯を解き始めた。
「それでこれを見ると、『わかりません』、『出来ません』よ。ひどいときは看護婦と一緒に大騒ぎして部屋から逃げちまう」
 露わになった肌はどう見ても異常だった。包帯で体を隠して、更にその上から汚らしい布を被っている理由がよくわかった。これを見れば、世間は彼を批難し、自分たちの世界から排除しようとするだろう。
「さぁて、先生はどうかな?」
 全身の皮が剥け、粉を吹いたようになっている。アレルギーの一種なのか?男はそれを取り除こうともせず放置していた。また、興味を引いたのは、炎症が皮膚以外の部位にも見られることだ。髪の毛はのこぎりのようにギザギザになっている。爪の表面も鱗状になっている。
「どうかな?」
 そして、私を見つめている目も同じように鱗状になっていた。唇も皮が剥けていて、所々血が出ている。いったい何をするとこうなってしまうのだろうか。
 私が戸惑っていると、男は近くのデスクに置いてあったファイルを手に取った。プラスチック製だ。それを自身の腕にくっつけて、タオルのようにさすった。数秒さすった後、男は私にファイルを見せつけた。驚いた。プラスチックの表面が擦れて穴が空いていたのだから。
「ふふふ、少なくとも、俺を見て逃げた奴らとは違うようだ」
「え?」
「所謂、鮫肌だ」
 鮫肌。確かに、この症状を最もよく表している言葉だろう。しかし普通の鮫肌はここまで酷くはない。こんな凶器にはならない。
「で、先生。私は治りそうかね?」
 暫くの間無言だった。このとき、私は神からより遠い存在に成り下がっていた。目の前にいる男の症状は絶望的だ。だが、これを肯定的に見ることも出来る。最近ではウイルス兵器なんてものも造られているとかいないとか。もしこれがウイルスによるものだとしたら、それを培養して軍に売り渡せば、まだどの国も持っていない最強の化学兵器になりうる。そして私は、莫大な富を与えられるだろう。
「治せますよ」
 そう言うと、男は大きく目を見開き、次の瞬間満面の笑みを浮かべた。
「本当か?」
「ええ。私は海外で医学を学んできました。そのときの知識をもってすれば、必ず治せるでしょう」
「ああ、ありがとう。ありがとう!」
 握手を求めてきたので、それをどうにかかわした。
 馬鹿な男だ。治すつもりなど無い。コイツの体を蝕む何かを培養してやるのだ。それが、我が資産に変わるのだ。
「では診察を始めるので、とりあえず中へ」
 そう言って、男を奥の部屋に連れて行った。そこには医療器具もあるし、男も診察だと信じるだろう。
 待たせている間に診察室に戻り、新品の注射器を取り出して中に麻酔薬を入れた。一応ゴム手袋をして、私は再び奥の部屋に戻った。
「とりあえず、まずはこの薬を投与してみましょう。すぐには無理でしょうが、徐々に症状も引くと思いますよ」
「そうか」
 男は腕を差し出した。その手を持ち、麻酔を注射した。
 大丈夫、すぐに眠くなる。すぐに。
「せ、先生」
「大丈夫ですよ」
 男は何か言おうとしていたが、眠気に負けて倒れてしまった。
「実験台め」
 部屋にあったキャスター付きの台男を乗せ、その上に新品の布をかけてやった。これでプラスマイナス0ということにしてもらおう。
 台車を押してオペ室へ。ここは職員が少ない。誰にも見つかることなく容易に部屋に入ることが出来た。簡素な造りの部屋。ここには普段オペをしなければならないほどの大病を煩った者は滅多に来ない。ここを使うことになるとは私も夢にも思わなかった。とはいえ必要なものは全て揃っている。原因究明は可能だろう。
「さあ、役に立ってくれよ」
 呟きながら、掛かっている布を外した。男はまだ目を瞑っていた。
 メスを手に、実験に取りかかる。だが、物を削るほどざらついた皮膚。このメスもぼろぼろになってしまうのではないか?なんてことを考えていると、突然何かが私の手を掴んだ。男が目を覚ましたのだ。しかし何故だ?麻酔の効果は3時間持つ筈。たった数分で切れるわけがない。
「俺を、だましたな」
 男は私が着ている服の袖をめくり、腕を直接握ってきた。
「ひっ、ひゃああ! 止めろ! おい、止めろ!」
 なかなか手は剥がれない。それでも力づくで引き離そうとすると、突然引っ張られる感覚が無くなり、その反動で転んでしまった。男が手を離したのだろうか。だが見てみると、手はまだ私の腕を掴んでいる。そう、千切れたのだ。彼の手が、手首から奇麗に千切れてしまったのだ。
 ますます恐ろしくなって、私はその手をはがして床に放り投げた。
「これはなぁ先生、罰なんだよ」
「ば、罰?」
「あんたと同じで、俺も人を騙して殺したんだ。……あそこは戦場でね。中東の辺りだった。同朋は皆、敵の攻撃と疫病で次々に死んでいった」
 男は自身の過去を話しているが、私はそれどころではなかった。腕が痒い。腕から始まって、二の腕、肩、そして左胸へと痒みは広がっている。何かが皮と肉の間を這っているような感覚が襲ってくる。
「あるとき、敵軍に見つかってなあ。友人と2人で動いていたのだが、彼は疫病に感染していて、げほっ、言ってみれば、足手まといだった」
 痒みはいよいよ下半身へ。しかも上半身は男と同じように爛れてきている。私もあんな風になってしまうのか?
「俺は、助けを呼んでくると言ってその場から退散した。でもそれは、げふっ、嘘だった。私は退役した後も、友人を助けにいくことはなかった。……その頃にはもう死んでいただろうがな」
「うっ、ううっ」
「はははは、感染すると大体そうなる。俺もそうだった。退役してから3日後、体中が痒くなった。痒さは日に日に増し、次は……いや、これはお楽しみにとっておきな」
 私で遊んでいるようだ。皮膚の次は、どこがどうなるのだ? 早く言え、早く! 苛ついて頭を搔き毟る。するとその瞬間、指先がチクチクと痛み始めた。恐る恐る指を見てみると、血で真っ赤に染まっている。
 先ほど見た男の髪の毛を思い出した。あの、ノコギリのような髪を。
「そのとき思ったさ、げほっ、あいつが、げほっ、あいつが怒ってるってなあ! がはあっ」
 男が台の上で何かを吐いた。口元には赤黒い血。きっと、血の混ざった痰でも吐いたのだろう。さぞかし苦しいだろうに、男は更に話を続けた。
「その後、俺は色んな病院に行った。俺から逃げるヤツもいたが、あんたみたいに実験台にしようとするヤツがいた。俺をペットにして観察しようとしていたヤツもいた、げほっ。だが奴らもたちまち俺と同じ体になって、その後は俺も知らんが、まあ酷かったらしい」
「ふざけるな、わ、私はお前を治そうと」
「もういいよ。もう手遅れだ。……ああ、俺もそろそろだ」
 そろそろだと?何をふざけたことを。このまま死なれたら、私はどう対処していいかわからないではないか。
 男はもう台の上で横になっている。私を1人残して死ぬつもりか。
 そうはさせない。立ち上がり、台に歩み寄ると、私は男の首を掴んで起こそうとした。男の首は芯が抜けたようにクタクタだった。
「勝手に死ぬんじゃねえよ……ほら、言え。どうすればいい? おい!」
「う、うう」
「言えよお!」
 首を掴む手に力を込めた瞬間、彼の頭がごろんと台の上に落ちた。
 私の体も男と同じになっているのだった。あんなぼろぼろの肉体をこの手で握ったがために、私は男の首を削り、千切ってしまったのだ。
「ああ、ああ嘘だ。うああああああああっ!」
 たった1人、私は暗い部屋の中で叫んだ。



 それから、どれぐらい経っただろうか。初めは皮膚だけだったが、この鮫肌は内部まで広がっていった。歯も、内蔵も、骨も、全てガサガサだ。見えなくても感覚でわかるのだ。体の中で、何かがすれるのを感じるのだ。この感覚は、そう、傷口に砂をすりつけたときのものに似ている。
 実験台を失い、おまけにこんな体になってしまった。今度は自分が、実験台として追われる側になってしまった。自分の体では、どんなメカニズムなのか自分の目で確認出来ない。それでは意味がないのだ。……だが、たったひとつ、わかることがある。
「……辛い」

鮫肌

鮫肌

医師の前に現れた患者。患者を蝕む、その病とは・・・。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-07-20

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted