鳴き虫と波を奏でる夕凪

鳴き虫と波を奏でる夕凪

「チンチリリン」草花が小春日和の暖かい風に揺れている。
もうすぐ夕暮れ時、鳴き虫達が自らの音色の美しさや、その大きさを
互いに競い合っていた。彼らはメスに自己を魅力的に魅せる為に
日々耽美な音色を出すことを生業としていた。

「リーンリーン」「チルチルチル」そう彼らは日々、その努力を聴かせる
場として、きらびやかな舞踏会やパーティーを繰り広げ、交わい、子孫を残していった。

そんな中一匹の風変わりな- それは他の鳴き虫達と比べてだが -がいた。
どこが風変りか?その鳴き虫は如何に自分を魅力的に見せるではなく、
音色とは己にとってはたして何のためにあるかを考えていた。

この鳴き虫は音色の本質を知りたいだけだった。そう、ただそれだけだった。

それは小春日和が続いた中で数日間木枯らしが吹いた日があった。
木枯らしはとても冷たい風を引き連れ、しかももともと寿命が1年程の鳴き虫にとって
天に召される日でもあった。

1匹1匹と舞踏会やパーティーの最中- きらびやかな情景とは別に -
この世を去って行った。しかし、どの鳴き虫も満足気だった。
最後に風変わりな鳴き虫は、1匹残った。そして思った。

「なぜ、あいつらは満足して逝ったんだろう」

風変わりな鳴き虫はその答えを探すために旅に出た。
「もしかしたら音色の本質が分かるかもしれない」と呟いて。

鳴き虫はたまたま停車していた自動車に飛び乗った。行く先はどこでもよかった。
ただ、新しい場所には、新しい物事があり、そこで- 音色の本質 -の何かを
つかめるかもしれないと賭けにでたのだ。

自動車は街を通り過ぎていった。街中は音であふれかえっていた。
赤信号で自動車が停車するたびに
(もちろん、鳴き虫にとって何故自動車が止まったりするかは分からなかったが)

街にあふれる音を聴いた。そして鳴き虫はその音にうんざりするとともに、音色
の別の顔を知った
音色にはこんなにも汚い一面があるのか!!と
それは驚くに値したが、同時にこのような一面を持っているならば、これとは
真反対の一面を持っているに違いない、そしてそれはもしかしたら、鳴き虫の
求めている音色の本質かもしれないと。

「ブッブー、キーキー、バタバタバタ、ガヤガヤガヤ」
自動車はその喧噪の中を徐々に街の音色は遠ざかり、やがて潮の香りがしてきた。

鳴き虫を乗せた自動車はまだそれほど汚されていない、しかしのちに「汚い海」と
呼ばれることになる場所へとたどり着いた
「ザザー、ザザー」
その場所はただ波の音が不規則に漂っているだけだった。

「なんてでかい水たまりなんだ」

その途方もない大きさに鳴き虫はビックリしたが、その興奮が収まってくると
次第にその風景と波の音色に心を奪われた。

夕刻をつげていた。

水平線の向こう側に炎の赤い太陽がゆらゆらと陽炎のように
揺れていた、その紅色に染められた水平線と空の風景を眼前にした鳴き虫にとって何か
を超越した物事に感じられた。

不意に夕凪が鳴き虫に話しかけた。「ザザー、良い風景だろ」「ああ」
鳴き虫は感嘆をこめてうなずき、続けて語った
「あんたの音がこの風景に良くあっている」

夕凪は答えた。
「あの沈みゆく太陽は、もう何千億回も同じことを繰り返している。
それは雲で遮られようが、何をしようが、ここから遥か彼方で同じことをな」
夕凪は続けた。
「あれは無音の世界の住人でな、無音の中であれを構成する物質がぶつかり合い
燦燦とした光を放っているんだ。そう決して音の響くことのない世界でな」

「俺もまた何千億回と海岸線に向かって打ち寄せている」
彼は独り言のように言った。

「なあ、1つ聞きたいことがあるんだが、いいか?」
鳴き虫は夕凪に尋ねた。
「景色が音を作り出すのか、それとも音が景色を作り出すのか?」

「そうだな」と言って彼は答えた
「その場所、その場面、その時刻、その1つたりとして同じ音は作り出せない
何故だかわかるか?」と夕凪は問うた。

「分からねえ」と鳴き虫は答えた。

「これは俺の持論だが音に魂を込めているからだ!」
「魂?」不思議がった鳴き虫がいた。
「そう、魂だ、魂はあの太陽のように無音の世界を漂っているが、目に見えない
だけで確実にそれはお前さんにも宿っている。もちろん俺にもな。」
「そして、その鼓動を少しでも感じるために音に魂を込めているんだ、無意識のうちにな」
夕凪は、話を続けた。
「お前は運がいい魂の存在に気づいたんだからな、そしてあと幾何もない限りある魂に
己の存在意義を込めてみろ」

「そういうことか」
鳴き虫は仲間たちが何故満足げに死んでいくのか謎が解けたようだった。」

そして風変わりな鳴き虫は、自身の存在理由が分かった瞬間でもあった。
しかし、鳴き虫は夕凪にこう告げた。

「なあ夕凪よ、お前はここでお前なりの答えを出した。俺は俺のやり方で
自分なりの答えの表現を探してみるよ。」

そういって、鳴き虫はその場から立ち去ったのであった。

その夜、-それは寒い夜だった-風変わりな鳴き虫は夢をみた、それは不思議な夢だった。

音符たちが、音符カフェに集い自分たちが体験した素晴らしい音楽の数々を自慢しあっていた。
ある音符は言った。
「あの楽団の指揮者は最高の腕を持っている。彼が作り出す音楽空間はまるで天国のようだ」と
またある音符は別の楽団のバイオリニストは神の指を持っていると讃えた。

音符たちは自らが体験した、とても素晴らしい音を奏でる人々を褒め合っていた。


鳴き虫は夢の中で感心した。世界は広い、この世にはまだ自分の知らない音があるのだと。

その音に会いたいと、足に力を入れてみる。しかし力が入らない。
その音に会いたいと、腕に力を入れてみる。しかし力が入らない。

もう、全身に力が入らなかった。

不意に、風変わりな鳴き虫に、ある老いぼれた音符が話しかけた。
お主は魂に触れてみたいようじゃの、わしの体験した話をしようか。
鳴き虫はかすかに頭を上下した。
「小さな島国の少年の話じゃ、少年には好きな少女がいてな。
だが、少年は恥かしがり屋でのう、デカい国で流行っていた音楽を口笛で奏でようと一人海辺で何度も何度も練習したんじゃ、その少年は、自分の思いを口笛に託したんじゃよ。」

「少年の生きた時代は戦争の末期でのう、敵性音楽として忌み嫌われた音楽じゃったが、少年にはそんなこと関係なかったんじゃ。
少年は敵国である、デカい国の爆弾で命を落とすのじゃが、その少し前にな、惚れた少女に、少年は口笛を聴かせたんじゃ。」

「そこには、確かに輝きある魂が込められていたんじゃよ。」

少女は助かり、少年は死んだ。

「だが、一つ言えることは少年の魂は確実に少女に伝わったという事じゃ。何故かって、そのメロディーを運んだのは他ならぬわしじゃったからのう。」

「さて、風変わりな鳴き虫よ、お主の羽で何を思い音を奏でる?お主の命は風前の灯火じゃそれでもまだ、音を奏でるか?」

風変わりな最後の力を込め鳴き虫は言った。

「俺が俺としてここに存在した証として、最後に鳴いてみるさ、それがどんなに薄汚れていても構わない、それが俺という証だからだ。」

そして、暗闇と無音の世界に風変わりな鳴き虫の音色がコダマした。
「リーン、リーン」と、

鳴き虫と波を奏でる夕凪

鳴き虫と波を奏でる夕凪

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-18

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted