仏陀は暇でした。
なぜなら暇な空気を取り除くことすら面倒くさくなり、結果的にその空気に飲まれて暇になったのです。
「暇」について仏陀は考えてみました。暇だから。
「そういえばキリスト教のサレジオ会を作った聖ドン・ボスコっていう人が前、「暇な時間を過ごすことは罪である。」
と青少年の対して言ってたが、んなことは知らん。
外人の言うことなんか聞く訳ないだろう。第一あいつら西洋はあまりにも形、表面に残るもの、行動によって示される物、結果として見えるものを大事にしすぎる。考えていることが分かりやすすぎるのだ。小学生みたい。
木みたいに大人、いや大大人になりなさい。
だから暇を味わいながら寝てようっと。
休みは良くて、暇はよくないと言われるが、休みは働くというするべきことがあってその働く行為を継続するために休むという事であって、結局働きのための働きにおける休みというのが尊重される。働き万歳の概念だ。
働くのは本人の快楽としてはいい。でもそれがどれだけマイナスの影響を周りに与える事か。何かの働きは物理的にも精神的にも周りに影響を与える事になる。
それが本人がわかる形で認識されようがそうではないだろうが、その影響は必ず存在する。
ひょっとしたらその働きは他の存在にとって苦痛を与えるかもしれないよ?いや、それ以上の死をもたらす事もある。
よく子供がプー太郎でいると親が「働きなさい」「勉強しない」といろいろ言ってくるけど、それって子供の為に言っているようで実は全部自分自信の事が心配で言っている事だ。子供が世間的に見てぷーぷーしている様子だと親が恥ずかしくなるんだろ、あと、子供が稼いでもらわないと自分らの老後が不安なんだろ。結局は自分らの心配しているんだ。
子供は馬鹿じゃない。ちゃんと考えて暇をしているんだ。「うあ~、自分は世間から逃げてばっかで家でずっと寝たり、暇ばっかしていたり、弱い存在だ。死にたい」って考える事もあるけどそれは「逃げ」の戦法で彼らなりに頑張っている事だと思う。」
そうやって仏陀は思いながら鼻くそをほじりました。
鼻くそを食べようかどうか悩んだのですがもう彼もいい歳だし、丸めて地面にそっと置きました。
そして召使いを呼んでその鼻くそを人間界にお土産として送れと言いました。
人間たちはそれを鼻くそとは知らずに仏陀からもらったものすごい新鮮なものだと思って大喜びし、大切に保管しました。しかし、結局それの奪い合いになって、戦争が起こって、みんなぱーっとなりました。
仏陀はそれを見ながら思いました。
「、、、。暇だ。」

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-17

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