contrast~recollection~

contrast 第四話です。
基本一話完結を目指していますが、今回は一話『contrast』が直接関係しているので是非見てみてください。

【+1】
いつものファミレスでいつもの席についた。今日は休みなので、黒門流那(こくもんるな)―りゅう君と白戸空(しらとそら)―空ちゃんの二人と一緒に買い物に行ってきた。といってもほとんど私と空ちゃんのウィンドウショッピングにりゅう君が付き合ってくれたのだが。
「ごめんね、りゅう君。せっかくの休みに買い物に付き合わせてしまって。」
「まぁ私たちと一緒に出かけられるだけありがた―」
パコンと、隣の席の空ちゃんの頭を叩いた。本当にいいコンビだなぁ。
「家にいてもテレビ見てるだけなんで別に構わないっすよ。」
りゅう君は照れくさそうに私から目をそらして応える。可愛い。
「でも何かお礼しなくちゃだね。何がいい?」
更に困らせたくなって意地悪心で聞いてみる。しばらく目を伏せて考えていたが、不意にパッと顔を上げた。目があって今度は私が恥ずかしくなった。
「前から聞きたいことがあったんです。」
何か聞きづらいことなのか、ひと呼吸置いている。
「トラさんはなんで警官になったんですか?」
二人は私の大学時代に遭遇した事件を知っている。しかしそこからの話はしたことはない。隣の空ちゃんに目を移すとキラキラした目で見ている。
「・・・幼馴染みのさっちゃんのおかげだよ。」
窓の外を見て昔を思い出した。


【-6】
半年というのは長いようで短い。半年前のあの日、私の最愛の人が死んだ。付き合っていたわけでもなく、異性としても好きだったんじゃないと・・・思う。ただの幼馴染み。だけどいなくなった日から一週間、泣いて泣いて泣きまくった。二週間は部屋から出なかった。
「蘭ちゃん、あたしの話聞いてる?」
私、白都蘭(しらとらん)の目の前に座っているさっちゃんが大きな目で覗き込む。手元にはアイスレモンティーが入ったグラスが置いてる。さっちゃんは大昭大学も足元に及ばない支王大学に通っている。日本でも一、二を争う国立大学だ。
「え?なんだっけ?」
はぁ、と大きくため息をついた。
「また龍介くんのこと考えてたの?」
さっちゃんの凄いとこは歯に衣着せぬ性格だ。それが時に辛く、そしてありがたい。
りゅうちゃんがいなくなって三週間目の朝、私の部屋のドアを勢いよく開けたのはさっちゃんだった。そして数日間愛車のバイクで連れ回された。どこに行ったかも何をしたかも、今となってはほとんど覚えていない。でも最後に日にかけられた言葉だけははっきりと覚えている。
明日から学校に行きなよ、って。
言われるままに次の日から大学へ行った。周りはとっても心配してくれた。そして気も使ってくれた。その優しさが何よりりゅうちゃんの存在を・・・いや不在を心に刻みつけた。嬉しくて、そして悲しかった。まるでりゅうちゃんはいなかったみたいに・・・。
「う~ん・・・も一回お願い。」
呆れたような顔をするが、それでも優しい顔を見せてくれた。
「納得させて欲しいの、私の知り合いの事件を。」


【+2】
「さっちゃんと同じマンションの人が自殺したんだ。」
注文したホットミルクを一口飲んで二人の顔を見た。もう完璧に私の話を聞く体制になっている。
「ところでそんなに興味あるのか?私の昔話に。」
フンフンと二人揃って頭を振る。見ていて心にチクリときた。
「そうかそうか、そんなに聞きたいか。私の『昔話』が。」
トラさん先週から気にしすぎじゃないか、というりゅう君の小言をあえて無視する。な~に~も~聞こえな~い。
「さっちゃんと同じマンションに乾辰巳(いぬいたつみ)っていう初老の方が住んでいた。コンビニのバイトで知り合ったらしく、同じマンションだから色々と買い物のお手伝いをして仲良くなったらしい。でもね、その人が飛び降り自殺したの。」


【-5】
「どうぞどうぞ、ホットミルクでいいんだよね。」
さっちゃんは玄関で靴を脱いで私の靴のスペースを開ける。私もショートブーツを脱ぐ。一人暮らしの部屋にしてはなかなかの広さだ。相変わらず部屋は本棚で囲まれている。高校参考書・大学専門書からハードカバーと文庫本、漫画や絵本まである。しばらく本棚にかじりつく。
「はい、どうぞ。」
中央に置かれたこたつにホットミルクと紅茶の入ったマグカップを置いた。勧められてこたつに入る。
「ここいいでしょ、セキュリティもしっかりしてるしそこそこの広さだし。それに景色が最高なの。」
部屋の本棚が置いていない面にはベランダに出れる窓ガラスがある。さっちゃんが立ち上がりベランダの窓を開けるので私も後ろについていく。ベランダも十分な大きさだ。でも気持ちベランダの手すりがなかなか大きい。ちょうど私の顔が出るか出ないかのラインだ。しかし言うとおり、住宅街と代曲運動公園を望む風景はなかなかだ。
「あのねさっちゃん。私まだ―」
「まぁまぁ。話だけ聞いてよ。」
すぐさま返された。あまり乗り気じゃないな。そんな私の感情をよそに続ける。
「ほらあそこ、あそこがさっき行ってたコンビニ。」
ベランダから背伸びして身を乗り出したさっちゃんが指す方向には、ここに来る前に寄ったコンビニが見える。このマンションから徒歩5分のところにあるさっちゃんのバイト先だ。
「あそこの常連さんだったの、乾さんは。」
乾辰巳、55歳。無職というか・・・芸術家。画家さんでこの部屋から三つ隣に住んでいた男性らしい。さっちゃんとはコンビニで知り合って、同じマンションの同じ階に住んでいるということがきっかけで時々一緒にマンション内を散歩していたらしい。
つい一週間前の雨が少し続いた日。自分の部屋のベランダから飛び降り自殺した。即死だったらしい。
「でも、不思議なことなんてないよ?」
さっちゃんの説明を改めて聞いても不自然さが見つからない。何が納得いかないんだろ。
「・・・あそうか、まだ話してなかったよね。」
手すりに手をかけて振り返る。私より少しだけ小さくい背丈で、でもしっかり大きい目が可愛い。
「辰巳さんは車椅子で生活してたの。ここ、飛び越えられると思う?」


【+3】
「脊椎の神経が圧迫されて下半身の自由が効かなかった、いわゆる下半身不随。」
りゅう君の目の色が変わった。それは今まで見たことなかったけど、でも知っている。りゅうちゃんと同じだ。すぐさま質問が飛んでくる。
「本当に飛び降りるには難しかったんですか?」
一方空ちゃんはメモをとるためにノートを取り出した。二人は事件にも興味津々らしい。
「乾さんの身長はさっちゃんと同じ、私より少し小さいくらいかな。」
私の身長は160ぐらいなので、だいたい150後半ぐらい。ベランダは事故防止のため高めにつくられていた。
「私がギリギリ目線が出るくらいだから、乾さんが立ってやっと手が届くぐらいだと思う。それにそもそも車椅子は部屋の中に残っていた。」
しかし当時の警察の見解は部屋の鍵がしまっていたことや部屋で争った形跡がなかったことなどから、どうにか這ってベランダに出るなり、車椅子でギリギリまでベランダにでるかして飛び降り自殺をしたのではないかと考えていた。
「まぁ何より大きかったのが動機のなさが問題かな。なにせ乾さんは当時周りとの交流がほとんどなかった。だから事件と事故の両方の観点から操作したらしいけど、事件の容疑者が全く見つからないので事故、特に自殺というかたちで片付けられたらしい。」
りゅう君はしばらく俯いて考え事を始めた。色々と思考を巡らせている。一方空ちゃんはメモを取り終えて次の情報を待っているようだ。
「話を続けるよ。いい?りゅう君。」
はい、と生返事を返した。まぁりゅう君なら聞き逃すことはないだろう。
「乾さんの部屋にお邪魔したんだ。そこには人二人分ぐらいのおっきな絵があってね。豪華な額縁に入った、富士山を真正面から捉えた綺麗な絵だったよ。」


【-4】
「部屋の中の先生のものには一切手を触れていません。」
クールビューティーという言葉がしっくりくるその女性は、美卯と名乗った。
牛渡美卯(うしわたみう)。昔乾さんのアトリエでアシスタントをしていて、今は大学の時にとった介護士の資格でホームヘルパーをしていた。顔なじみということもあり、乾さん宅に家政婦のような仕事もしていたらしい。
「先生は素晴らしい方でした。絵のセンスはもちろん、様々なことに関心を持たれて、そして自ら体験したお方でした。今でもテレビが大好きで、消えた日などありませんでした。」
そう言って壁にかかった絵の方に振り向く。つられて私たちも見た。豪華な額縁に入って壁に飾られている。しかも壁の少し上に位置しているので、見やすいように額縁の上部が少し壁から離れている。
「あの絵も実際に富士山に登り、そこで見た景色を頭に焼き付けてすぐさま下山先で描いた絵です。だから見る視点と見られる視点の両方が描かれているのです。」
確かにあの絵には写真で見る富士山とは違う何かがあった。あいにく美術の心得はないのでそれを表現できないが。
「すいません、話をそらしてしまって。先生が亡くなったことに関してですよね。」
コクンと頷いて、さっちゃんが質問を始めた。
「乾さんが亡くなった日、牛渡さんはこちらに来る予定だったんですか?」
「はい。と言っても先生はその日外出の予定もなく、晩御飯を作るだけでしたが。先生も私に気を使ってくれたもので。」
「気を使う、ですか?」
確かに私も気になった言葉だ。
「えぇ。私はほぼ毎日先生のお世話をしているもので、あまり休みをいただいたことはありませんでした。」
もちろん好きでやっていることですが、と念を押した。
「そんな私を気づかってお休みをくれたんです。洋平さんも忙しくてあまり時間が取れなかったもので。」
「洋平さんというのは?彼氏さんですか?」
美卯さんはその質問には答えずに立ち上がり、絵がかけられた壁とは反対側にある棚まで歩いて行った。持ってきたのは棚の上においてあった写真立。美卯さんと一緒に二人の男性が何処かの紅葉をバックにして写っている。
「これが婚約者の羽鳥洋平(はとりようへい)さん。彼も先生のアトリエでアシスタントをしていました。」
片方の男、車椅子に乗っていない若い方の男を指差した。っていうことは―
「そしてこっちが乾さんよ。」
今度はさっちゃんの指がもう一人の車椅子の男を指差した。とても厳しそうなおじさんだった。
「今彼は外資系の企業についているので、滅多に休みがないんです。昔から私たちは先生に可愛がってもらっていて、付き合うと報告した時も本当に喜んでいただきました。」
懐かしんでいる顔には、喜びと悲しみが見えたような気がした。
「あぁそういえば、ちょっと込み入った話聞いてもいいですか?」
空気を壊したことをためらうように小さく右手をあげるさっちゃん。どうぞ、と促してくれる。
「以前乾さんにも聞いたんですけど、なぜアトリエを閉めちゃったんですか?」
一瞬、美卯さんの完成された顔が固まった。だがすぐに元に戻って話し始める。
「・・・先生の足が原因です。」
そう静かに話し始めてくれた。


【+4】
「乾辰巳は『富士山』を描いたあと事故で下半身不随になった。」
マグカップがからになりかけていたので一気に飲み干した。相変わらず向かい側の二人は真剣に私の話を聞いてくれていた。
「原因は転倒事故、しかも身内が原因のね。」
「身内・・・ですか?」
空ちゃんは不思議がって鸚鵡返すが、りゅう君は何かを感じ取ったらしい。
「事故を起こしたのは当時一緒に作品を作っていた羽鳥洋平、美卯さんのフィアンセだ。」
本当に偶然の一致、不幸が重なったという。
とある有名な滝の絵を描こうとした時の話だ。富士山同様、まずは滝を見下ろす為に二人で岩を登っていた時に事故は起こった。羽鳥が足を滑らせて落ちたのだ、そばにいた乾と一緒に。二人は幸運にも命は助かったものの、水への衝撃と岩との接触により乾は脊髄の神経に傷がついた。そして歩けなくなった。
「それからはもう落ちる一方だったらしい。何せ乾さんは『実際に体験したものしか描かない』という強い信念を持ち、そしてそれをウリとした絵かきさんだったらしい。だからそれ以降は作品を描くことができなかった。」
ぐぅ~、と私の話を締めくくった音が聞こえた。下を向いて顔を真っ赤にする空ちゃんと、呆れ顔をするりゅう君。腕時計を見るともう12時をとっくに過ぎている。
「何か注文しょっか。不謹慎だけど食べながらでもできる話だし。」
晴れやかな顔になる空ちゃんと、やっぱり呆れ顔のりゅう君に私はメニューを差し出した。


【-3】
「それでどう?わかりそう?」
用事があるとのことで美卯さんは部屋を出て行った。しかし「乾さんが亡くなった真相を確かめたい」というさっちゃんの言葉を受けて、美卯さんが帰ってくるまで留守番をしていて良いという話になった。
「・・・。」
静かにため息をつきながらテーブルに頭をつけた。
「・・・気分転換にテレビでもみよっか。」
リモコンリモコンと口ずさみながら部屋を歩き回るさっちゃん。
「あっ、ここか。」
先ほど美卯さんが写真立てを持ってきた棚の二番目の段だ。爪先立ちで手を伸ばす。
「・・・無理だよ。」
私は小さく漏らしたつもりだったが、さっちゃんはそれを聞き逃さなかった。しかもやばいスイッチを押したのに私は全く気づかなかった。
「私はりゅうちゃんみたいになれないよ―」
視線を感じて顔をあげると再びさっちゃんは椅子に座っていた。しかも・・・笑っている。
「あんたいつまで龍介くんのせいにしてるつもり?」
「・・・りゅうちゃんの・・・せい?」
私は目が離せなくなった。さっちゃんは小学校からの幼馴染み、何を考えているかなんて大体わかった。間違いなく怒っていた。
「龍介君の高校の時の成績、あんた知ってるでしょ?」
いきなり話が変わったがもう頷くしかない。
「私たち高校は違うけど、同じ塾だったもんね。龍介君は常にそこのトップ、私はテストでいつでも二番。」
私はクラスが二個ほど下のレベルで、テストの結果は聞かないとわからなかった。それでもりゅうちゃんの成績は塾中で話題になるほど凄かった。
「予備校の全国模試でもTOP50には入ってたよね。だから当然彼は支王大か、それと同じくらいの大学に入ると思っていた。」
その時になって始めて気がついた。なんて悲しそうな目をしているんだろう。
「でも大昭大学に入学した。理由は言わずもがな、蘭ちゃん、あなたがいたからよ。」
それは何となくわかっていた。でもりゅうちゃんは何を言っても意見を変えてくれなかった。教師も塾の先生もご両親の反対も押し切って私と同じ大学に入った。
「あなたは龍介くんの人生を奪ったの。でもそれは龍介くんの選んだ人生なんだよ。だから蘭ちゃんに償えなんて言わない。」
なんでなんでなんで?
なんでそんなに悲しそうな目をするの?なんでそんなに優しい目をしてるの?
「でも死んでもなお彼を縛り付けるの?彼のせいで立ち直らないの?」
もうさっちゃんの目は見てられなかった。でもそう思う前から私は視界が曇っていた。
「私は別にりゅうちゃんのせいになんかじゃ―」
「龍介くんが!」
さっちゃんが襟を引っ張った。泣きじゃくった顔と複雑な顔が近づく。
「龍介くんが死んだ。そのせいで蘭ちゃんが蘭ちゃんで無くなったらそれは龍介くんのせいだよ!」
りゅうちゃんのせい?
私らしさ?
わかんない、わかんないよ
りゅうちゃん・・・


【-7】
「ソラはさ、もっと我慢すべきだよ。」
中学二年の秋の帰り道、私は不機嫌にさっきコンビニで買ったアイスを食べていた。
「何よ。りゅうちゃんはさっちゃんの味方するんだ。」
その日はさっちゃんと喧嘩をしていた。ソフト部の指導方針についてだ。私は主将でさっちゃんは副キャプテンだった。
「違うよう。我慢して相手のことを優先してみなってこと。」
りゅうちゃんの話し方は不思議だった。どんな言葉もすんなりと入ってきた。黙って聞いてしまった。
「そりゃ猿田さんも今回の件は悪いと思うよ。でもなんでそういう言い方したかわかってるんじゃないの?」
さっちゃんに部活が終わった後に『みんな蘭ちゃんみたいに強くない。』と言われた。
「・・・わかってるよ。さっちゃんは後輩たちの空気を壊したくなかった。」
夏の大会が終わった直後、三年の先輩方の卒業で新体制になった。その矢先に方針で私を含めた二年達がもめていた。私は何よりも前回の大会で悔しい思いをしたので練習メニューを増やそうと考えていた。
「そうだね。せっかく新しいスタートを切るのに実力とかを優先して雰囲気が悪くなるとまずいもんね。」
コクンと私は頷いた。それもわかっていた。
「じゃあもっと我慢しなよ。ソラにはソラの、猿田さんには猿田さんの見えている世界がある。自分の意見を抑えて、たまには他人の目線で見える世界を代弁してみたら?」
今思うと、私が私になれたきっかけだった。


【-2】
すくっと立ち上がった私は部屋を見回した。玄関の近くに部屋用の車椅子を見つけた。よく見かけるステンレス性のごついものではなくもっと小さくて軽く、足のタイヤにはフローリングに傷がつかないように布が巻いてある。それをリビングに持っていく。
「蘭ちゃん?何やってるの?」
不安そうに私を見ているが、まずは車椅子を移動させてしまう。部屋の中央のテーブルの前に置いて私は腰を下ろした。
「ねぇ、蘭ちゃん?」
「・・・目線を変えたの。乾さんの見た世界を、乾さんの目線でみようと思って。」
見下ろしてくるさっちゃんを含め部屋中を見回す。先程までの世界とは違う、棚も人も見上げる世界。そんな中でも一番目が行くのは、真正面に見える絵とその右に位置するテレビだ。テレビはちょうどいい高さにあるが、絵は大きく壁の上部に位置しているのでどうしても見上げる形になる。
それがまるで本物の富士山を仰ぎ見るように私は錯覚した。大好きなテレビを見て、自分の最高傑作を見て、例え足が動かなくても絵を描き続けようとする乾さんの気持ち。それがほんの少しだけわかった気がする。
「・・・あれ?」
私は立ち上がるとテーブルを回って絵の下にしゃがみこんだ。
「さっちゃん、これ。」
なにか見つけたの、と聞きながら同じようにしゃがみこんで二人で額縁の下を見上げる。ちょうど絵の中央下、そこに茶色の紙の隅が飛び出していた。立っていると見えない死角。多分茶封筒かなにかだろう。しかし引っ張り出そうにも掴めるほど出てはいない。
「これ取れないかな?」
「額縁を動かしてみよっか。」
立ち上がり絵の両端を持つ。せーの、の掛け声で絵を少し持ち上げるが、なかなか動かない。何度目かの掛け声で持ち上げたとき、カタンという封筒が落ちる音が聞こえた。
予想通り落ちたのは茶封筒だった。持ち上げてみると表には達筆な文字で『遺書』と書いてあった。
「「・・・あった。」」
不謹慎だが、思わずやったと思ってしまった。これはほぼ間違いなく、乾さんが残したものだ。
ちょうどその時、玄関が開く音が聞こえた。二人でみるとそこには大きな荷物を持った美卯さんの姿が。
「お待たせしました。なにか見つかりました?」
牛渡さん!、そう言ってさっちゃんが玄関の美卯さんの手を引っ張って絵の前に連れてくる。
「遺書が、この絵の裏から出てきたんです。」
茶封筒を見せるとわずかに目が見開いた気がした。私はそれを美卯さんに差し出した。
「・・・多分、多分ですけど。これは美卯さんに宛てた遺書だと思います。どうぞ。」
無言で受け取り恐る恐る中を開けた。シンプルな便箋が2、3枚入っていた。それを読み始める。私たちは静かに見守っていた。
「・・・先生・・・。」
クールビューティーという言葉がぴったりだった女性は、それとはもっともかけ離れた姿で私たちの前でうずくまっていた。目からは大粒の涙、「先生、私はそんな、なんで、」という言葉を連呼していた。そんな姿を見守っていた。


【+5】
「これが私が一番初めに遭遇した事件だよ。」
気がつくと窓の外の日が暮れかかっている。そんなに長く話してしまったか。二人は静かに聞いてくれていた。
「どう?なんてことないでしょ。結局乾さんの自殺の方法もわからなかったし。」
そう、結局遺書は見つかったものの、自殺の方法はわからなかった。泣き止んだ美卯さんに遺書の内容を聞いても、そこには触れていなかった。
「でも多分おねぇ様の言ったとおり、自殺で間違いなさそうですね。ずっと乾さんをお世話してた牛渡さんが遺書を見てそういうんだったら。」
美卯さんいわく、言葉の言い回しや筆跡から見ても遺書は本物だという。それなのにどうやってベランダから飛び降りたのか。
「りゅうちゃん、なんかわかる?」
「ん?自殺の方法?多分ね。」
「「!!!」」
毎度毎度りゅう君には驚かされるが、今回は特に驚いた。なんてったって私の昔話だけで解けなかった謎を解いたのだから。
「ねぇりゅうちゃん、もったいぶらずに教えてよ!」
うん、と心もとない返事をしたりゅう君が真正面の私の顔をまじまじと見る。
「でも・・・トラさんはいいんですか?」
ん?何を言っているのか分からず首をかしげる。
「いや、トラさんは自分なりにこの事件を解決したんですよね。それの邪魔にならないかなって・・・。」
思わず見とれてしまった。空ちゃんの視線が怖いので慌てて顔を横に振る。
「大丈夫だよ。私は自分が出した答えを信じてるから。」
コクンと頷くと、いつも通り説明モードに入った。相変わらずこの時の顔は凛々しい。
「シンプルな回答ですよ。乾辰巳は自らの足でベランダに立ち上がり、飛び降りたんですよ。」
・・・いやいやいやいや、そりゃ普通に考えたらそうだけど・・・。
「でも乾さんは下半身不随で立てなかったんだよ?」
「そうだね、でもそれはあくまで事故直後の医師の診断だろ?前にテレビで見たけど、下半身不随にも色々と種類があって、脊髄の神経が傷ついていない限り正しい治療とリハビリで治る例もあるらしいです。」
確かに私も聞いたことがある。でも・・・
「でも私の話の中から乾さんが立てることが予想できたの?」
「はい、まぁこじつけですけどね。」
りゅう君は右手の二本指を立てて私たちに見せる。そのうちの一本を左手で握る。
「一つ目はリモコンの場所です。さっちゃんさんがリモコンを探したときどこにあった?」
隣の席の空ちゃんに問いかける。それにしてもさっちゃんさんってなんかすごいな。
「えっと・・・確か・・・」「棚の中?」私は自分の記憶を呼び覚ます。
りゅう君は頷きながら私たちを見比べる。
「そう、さっちゃんさんが手が届くのがやっとの棚の上から二番目です。でも乾辰巳はテレビが大好きだったんでしょ?だったら手元にあるのが自然です。」
確かに今思い出しても、部屋には低い棚や机の上にも他のリモコンなどが置いてあった。だったら手元に置いておくのが普通だろう。
続いてりゅう君は残りの指を握った。
「そしてもう一つ。遺書の場所です。」
空ちゃんのノートとペンを手元に引き寄せた。空いているページを開いて絵を描いた。壁にかかった額縁に入った絵が正面と右から見た横からの図で描かれている。横の図は私の説明通り上部が少し壁から離れて、右斜め下方向に向いている。
「空、遺書を絵の裏に入れようと思ったらどこから入れる?」
空ちゃんは絵を覗き込んでいる。
「普通に考えたら上からだよね?」絵の上部を指差す。
「でももし本当に乾辰巳が立ち上がれなかったとしたら?」
「それだったら・・・・ここ。」今度は絵の側面を指差す。確かに上部が少し離れているので、横から入れるスペースもできている。
「そう、普通ならそうする。でも今回は違うんだ。トラさん、遺書はどこにありました?」
「どこって、絵の裏に・・・。」
そうじゃなくて具体的な場所です、と訂正する。それなら確か、
「ちょうど絵の真ん中だ・・・そっか。」
コクンと頷くりゅう君。そうか、そういうことか。
「そうです、絵の中央に封筒が挟まっていた。でも絵の大きさは人二人分ぐらい。だったら横から封筒を入れても真ん中にはいかないんです。」
つまり封筒があそこにあるには上から入れるしかない。でも上から入れるには車椅子から立たなくちゃいけない。だから乾さんが立てたという可能性に行き着いたのだ。
「もちろん横から投げ入れたのかもしれないし、何か棒を使ったのかもしれない。でも遺書が本物であろうという仮説の元、これら二つのちょっとした矛盾が無視できないものになったんです。まぁ、こじつけですけどね。」
私たちは納得した。確かに「乾辰巳が立てた」という方がしっくりくる。しかし空ちゃんは更に疑問を口にした。
「でも、乾さんは何で立てることを牛渡さんに黙ってたんだろうね?」
「それは恐らく、トラさんの方が予想しやすいんじゃないんですか?」
りゅう君はその問題は我関せずという感じで応えた。え?私?
「トラさんならわかるはずです。牛渡美卯の意思が、乾辰巳の遺志が。」
美卯さんと乾さん。目をつむるとあの当時の光景が思い浮かぶ。それぐらい私にとっては大事な大事な記憶だった。そしてそんな大事な記憶をくれた、大事な人たちだった。
「・・・多分、多分だけど、乾さんは怖かったんじゃないかな?美卯さんが離れていくのが。」
ゆっくりと、私が今思ったことを形にしていく。言葉とともに。
「美卯さんがどんな感情にせよ、乾さんに負い目を感じていたんだろう。」
自分の恋人が恩師に怪我をさせてしまった、そして画家生命を絶ってしまったという負い目。
「いや、正確には乾さん自身が『負い目を感じていた』と感じていたのだろう。
だから自分の足が治れば美卯さんが離れていくと、そう考えていた。だから言わなかった。」
遺書を読んだ時の美卯さんの状態もこれでうなずける。遺書にはこの旨が書いていたのだろう。
「でもやっぱり絵を描けないことで悩んで、結局自殺してしまったんだろう。まぁ、それこそこじつけかもしれないけどね。」
二人の顔を見た。空ちゃんはキラキラした目で私を見ていた。一方りゅう君は優しい目で見ていた。
「手持ちの情報から無理やり理論付けるのがこじつけです。今のトラさんの考えは、その状況と人の思いに触れて感情を慮ったものです。俺のこじつけよりよっぽど正確だし―」
一呼吸おいて私を真っ直ぐ見る。まるでりゅうちゃんに諭された時のような優しい笑顔だ。
「何より優しい『配慮』です。」
そして同時にさっちゃんの顔を思い出した。


【-1】
「さっちゃん、ごめんなさい。」
泣き止んだ美卯さんをあとにして私たちは近くにファミレスに向かっていた。
「?何が?」
歩みを止めないままこちらを覗き込む。
「結局乾さんがどうやって自殺したか解けなかった。やっぱりダメだね、私はりゅうちゃんみたいになれないや。」
はぁ、と大きくため息をついた。顔を横に振る。
「あのね、蘭ちゃん。私はあなたに『納得させて』とお願いしたの。誰も『解いてくれ』なんて頼んでないよ。」
言われて思い返すと、最初に話したとき確かにそう言っていた。
「いいんじゃない。」
立ち止まって私を見据える。もう日が暮れかかっていて、逆光でさっちゃんの目が見えない。
「龍介くんは物事を解く力があったけど、蘭ちゃんは蘭ちゃんなりに事件を解決できたじゃない。事件の真相を解くんじゃなくて、事件の当事者を理解できたじゃん。」
乾さんの気持ちを理解できたからこそ、大事なものがわかったからこそ遺書のありかがわかった。さっちゃんはお辞儀した。
「ありがとう、あなたのおかげで辰巳さんも美卯さんも、そして私も救われた。そしてきっと、龍介くんも。」
顔を上げた時のさっちゃんの目が光った気がした。


【+6】
ピピピピピ
携帯を取り出すとディスプレイには『猿田乃恵子(さるたのえこ)』の文字。
「ちょっとごめん。」
二人に断って一旦店から出る。
「はい、白都です。」
「今大丈夫?」さっちゃんのいつもの声が聞こえる。
「うん、知り合いと食事をしてたんだけど。何?」
「もしかして知り合いって前言ってた子達?だったらごめん、悪いけど仕事よ。」
声のトーンが一瞬で変わる。被害者のところに向かわなくてはならないらしい。住所をポケットから出した手帳にメモする。
「それじゃあ、お願いね。」
「分かりました、猿田警視。」
さぁて、休日出勤頑張りますか。





【0】
私は線香に火をつけて墓前に手を合わせた。
「ごめんね、りゅうちゃん。直ぐに来れなくて。」
『黒城龍介(こくじょうりゅうすけ)』と刻まれた文字を見上げる。
「私ね、警官になろうと思う。」
一昨日の乾さんの事件を終えてなんとなく考えていた。
「さっちゃんに滅茶苦茶怒られた。でもね、私やっぱりりゅうちゃんのことを忘れたくないの。」
どんな気持ちでりゅうちゃんが人を殺めたのか。どんな感情で自ら命をたったのか。
一人でも多くの被害者の人と容疑者の人と話をしてみれば、なにか見えてくるかもしれない。そう考えた。
「まぁ、こんなこと言ったら今度はりゅうちゃんに怒―」
「蘭ちゃん?」
振り返るとそこには少年がいた。りゅうちゃんにどこか面影が似ている少年。
「りゅうちゃ・・・良馬くん。」
りゅうちゃんの弟の黒城良馬(こくじょうりょうま)くんが立っていた。手には封筒を持っている。
「ごめんね、お葬式にも行けなくて。おじさんとおばさんも来てる?」
必死に気持ちを沈める。りゅうちゃんの死を受け止めるために、彼の家族ともちゃんと接しなければ。しかし応えることなく、封筒を差し出した。『白都蘭様』と書いてある。
「なに、これ?」
「・・・お兄ちゃんから。」
私は夢中で封筒を開けた。そこには一枚の便箋、そしてたった一行の言葉。
『俺の人生は俺のもの、ソラの人生はソラのもの』
半年というのは長いようで短い。半年前のあの日、彼の人生が終わった。私の人生が止まった気がした。だけどいなくなった日から半年間流した涙はきっと、彼のために流したものじゃない。自分の人生の一部がなくなったことに対するもの。
この時流した涙はきっと、彼の人生の終わりに対するものだったと思う。

contrast~recollection~

長かったですが、なんとか完成できました。
まだまだcontrastは続く予定です。興味ある方は気長に待っていただけると幸いです。
よろしくお願いします。

contrast~recollection~

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted