Daybreak 〜その先にあるもの〜

Daybreak 〜その先にあるもの〜

もし、とか、~だったらと振り返り後悔する人間は多いと思う。してしまったことはいくら後悔したって元に戻るはずなんてないのに。私は多分、一般的な人よりも後悔ばかりだ。どこで間違えたのか、いつからこうなったかなんて振り返りたくもない。
人間なら誰しも、「あの時に戻りたい、あの頃は楽しかったな」と思うことは、人生で最低でも一度はあると思う。でも、私にはそれがない。そもそも、私は生まれたくなかった。こんな汚くてくだらない世界に生まれて、生きていくことに何の意味があるのか。
昔は変えようと努力したこともあるしもがいてみたこともある。残念なことに、その私に手を差し伸べてくれる人はいなかった。いや、いなくなったと表現した方が正しいのかもしれないけど。
とにかく、いつの間にか、私は空っぽになっていた。すべてを諦めて認めようとしない、わがままで甘えだと諭されるかもしれない。まあ、今の私には言葉なんてひとつも響いてこないけど。偽善的でおだててお世辞をいうのに何でそこまで必死になるんだろう。そんな奴は嫌い、冷めた目でみてしまう。しかし、私もそれに必死になっている。本当にくだらない、と思っていた。ハルに出会うまでは。
ハルは結局何者だったのか、今でも分からない。分からないままいなくなった。私を置いて。
見捨てられることも見放されることも慣れっこだった。そんな私なのに、ハルだけはいつまで経っても私から消えない。

出来るなら、もっともっと早くハルに出会いたかった。
まずは、ハルに出会う前の私を思い起こしてみたい。まだ24歳で短い人生だけど、中身は深くて暗い。振り返れば考え方も前向きになれるのかな。人生最後の振り返り。全部書き終わったら、私もハルのところに行く。
随分長い前置きだね、じゃあ、ここからが物語の始まり。完成するかは分からない。でも、ハルのところへ行けるなら苦でも何でもないよ。

Episode1. 間違いとキッカケ。
桜が咲き乱れる登り坂を歩いていた。少しの緊張と新しく始まる生活に期待をして。県内では可愛いと評判なチェックのスカートに大きな赤いリボン。偏差値としては、下から数える方が絶対に早い頭の悪い学校で有名。自転車で10分以内、頑張れば指定高推薦で楽に大学へ進学出来る!そんな安易で簡単な理由からその高校を選んだ。今思えば、多分これが最初の人生の選択ミスだったのかもしれないけど。そこに触れるのはもう少し先の話。
指定校を狙うんだから、当然クラスは特進クラス。普通のありふれた子でいっぱい。ちなみに、普通科はギャルやらヤンキーの集まり。接点なんて高校生活の中できっとないと思っていた。
長い入学式を終えて、クラスへ戻る。元々人見知りする性格ではないし、中学からの友達も多いしグループはすぐに出来上がった。サバサバして男の子みたいな千夏、今時って感じの雰囲気だけど、一緒にいてすごく楽しいあやちゃん、あまり私は話したことはなかったけどあやちゃんの友達の瑞希。そして、初対面だけど私達とすごく気のあった美也子。あとは、中学の頃、千夏と私はバスケ部に所属してて、その時仲間だった実花。その六人でずっと最初は行動してた。

五月に入る前、部活の勧誘オリエンテーションがあった。たくさんの部活がある中で、一つの部活が私の中に残った。元々中学の頃から憧れていた、吹奏楽部。
オリエンテーションが終わり、ぞろぞろと各自教室へ戻って行く。
「ねー、何か入りたい部活あった?」とあやちゃんが聞いてきた。
「中学の続きであたしはバスケ部に入ろうかな~。幸はどうする?一緒にまたバスケ部入る?」千夏が私にそう声をかけた。でも、私の中で既に入る部活は決めていた。グループとか関係なく、ただただ私は音楽の世界に飛び込みたかった。
「私、吹奏楽部見学したい!」と伝えたら、あやちゃん、美也子、瑞希も行くって言ったから、その日の放課後四人で吹奏楽部の見学に行くことにした。

~「サチってさ、何でも深く考え過ぎなんだよ。世界はものすごーく広いんだから、いくら考えても答えが出ない事はあると俺は思うよ。サチの世界は暗くて深くて狭い。空見てたら考えるのどうでもよくなるって。ま、そんなサチの世界、俺は好きだけどね。」ハルはいつも楽観的だった。穏やかで時にやんちゃで自由。悩みがない事が悩みだとかボヤいてた。他人の前では。でも、私は知ってる。私だけが知っている。ハルの世界も私と同じで暗くて深くて狭いことを。~

授業も終わり、私達は少し緊張しながら吹奏楽部の入り口を開けた。先輩達は歓迎してくれて、いろんな楽器を見せてくれた。あやちゃんと瑞希は中学で吹奏楽部だったらしく、自分の吹いていた楽器を懐かしそうに頬を緩めながら吹いていた。私はというと。
「幸ちゃん、初心者?金管と木管があるんだけど、どうする?どっちも試してみる?」部長さんに促され、まずは金管のマウスピースを試してみた。汚い音色だけど音が鳴ったことに私は感動した。「幸ちゃんの口の形だと金管でも木管でも、どっちも向いてると思うよ。」そう言われた時、ある一つの楽器が私の目をひいた。「先輩、あれ何ですか?あの楽器吹いてみたいんですけど…」と尋ねたら、「あれは木管でクラリネットって言うんだよ。吹いてみる?」と聞かれ、はい!と私は元気よく返事をしてクラリネットに挑戦した。すんなりと音が鳴った。指が分からないから先輩が指を使って音階を鳴らしてくれて、私はひたすら音を出し続けた。この時、もう私の心は決まっていた。“吹奏楽部に入部して、このクラリネットを吹く!”一時間ほど四人でいろんな楽器を試して、お礼を言って音楽室をあとにした。「先輩、私吹奏楽部入ります。」それだけはちゃんと伝えておいた。
帰り道、「楽器鳴らすのってすごく楽しいんだねー。私吹奏楽部入るよ。」と三人に伝えたら、あやちゃんも美也子も瑞希も決めていたらしく、四人で吹奏楽部に入部することにした。千夏と実花はバスケを続けるようだった。

日は変わり、入部希望者が集まる日がやってきた。ワクワクしながら四人で音楽室の扉を開ける。「こんにちはー!」元気よく挨拶をして周りを見渡した。
既に数名希望者が集まっていて、中学が同じだった子、まだ喋ったことはないけど同じクラスの子、全く見たことない普通科の子様々だった。
すると、同じクラスの子、野山さんが声をかけてくれた。「みんなブラス希望だったの?じゃあ一緒に行けば良かったなー!経験者?」と聞くから、
「私はフルート吹いてたからフルートしたい。」と瑞希。
「私ユーフォやってたけどサックスしたいの!」とあやちゃん。
「全くの初心者!でもピアノしてたから譜読みは出来まーす!クラリネットしたいっ」と私がいうと、「私もクラリネットしたいー!」と美也子。
「初心者なんだー。クラリネット今いないみたいだし、ちょうどいいじゃん!あたし、愛菜。中学ではトロンボーンしてた。」
「ちなみに愛菜はかなりトロンボーン上手いよ!出身中学が吹奏楽では有名なとこだから。」と、野山さんが言った。そして、「あたしも経験者で中学ではチューバやってた!愛菜とは大会とか演奏会でよくあってたから面識あるんだー。あ、あたしのことはサナエって呼んでくれていいから。」
「分かったー!サナエ、よろしくね。愛菜ちゃんもよろしくー。」

今でもたまに考える。吹奏楽部に入っていなかったらきっと、今の私はなかった。将来進む道も違っただろうし、何よりこんな暗い世界じゃなくて明るい希望に満ちた今を送っているかもしれない。だって、今でも闘い続けてる病はこのときから始まったから。

吹奏楽部はそれなりに楽しかったな。今思い返しても青春って感じ。でも、吹奏楽部自体が青春だったわけで部員との思い出はあまり思い出したくない。初心者で音楽の世界に飛び込んで、顧問にも「なんでできないの?」とよく泣かされていた。初心者で初めての吹奏楽コンクールで選んだ曲は木星だった。クラリネット殺し。連譜も高音、メロディもクラリネットがかなり重要視される曲で、コンクール直前はほぼ毎日クラリネット組は居残りだったな。ただ、私は真面目にコツコツと努力したかいもあり、上達スピードは早かった。一方美也子は、上手いこと練習をサボり、練習しているように見せかけていたせいか、私に比べれば上達のスピードは遅かった。でも、美也子と私は一心同体って感じで、何をするにも一緒、どこへ行くにも一緒なほど仲が良かった。本当に気があっていた。何をしてても楽しくて、常に大爆笑で毎日が楽しかった。けどその美也子の態度がある日突然急変した。


~「なんでさー、人の態度って急にコロコロ変わったりするんだろうね。それがどんなに他人を傷つけるとか考えてないのかな?」一度、ハルにそう尋ねたことがある。その時、ハルは何と言っていたっけ?ああ、そうだ。「自分中心でしか物事を考えられない、周りのことを考えていない、きっと、他人の痛みとか気にならないんだと思うし、気付かないんだと思うよ。まあ、自分自身がそういうことをされてきたことがないのかもね。自分が痛みを知っていれば、他人に痛みを配ることはない。ホント、かわいそうなやつだよね。」ハルは吐きつけるように言っていた。ねえ、ハル。ハルはどんな痛みを背負って生きてきたの?~

部活にも慣れ始め、部員も少人数ではあるが30人くらいになり、それなりにまとまり始めてきた。気が付けば私達は2年生になり、後輩もできた。その頃からだろうか、喋るたび、声を掛けるたび、美也子の態度が少しずつ変わってきた。あるときは「おはよう」と声をかけても無愛想な態度で「おはよう」と返すだけであとは何にも喋らない。何を話しかけても反応が薄い。しかし、あるときは、「おはよーう、サチ!」とニコニコしながら声をかけてきて饒舌に話をしてくるのだ。私は戸惑った。一緒にいても急に態度が変わる。仏頂面になったり、怖い顔、睨んだような態度。その逆で笑顔で話しかけてきたり、ベタベタとくっついてきたり、頼ってきたり甘えてきたり。本当に、一言でいえば、「訳がわからない」。でも、私はひたすら我慢した。部活の雰囲気を悪くしたくないし、何より同じクラスでもあるから、衝突だけは絶対に避けたかった。それに、私達が上手く行かなければ、後輩にも迷惑をかける。耐えた。どんなにしんどくても、振りまわされ疲れきっても。たまにころっと見せる美也子の笑顔を希望にして。そして、誰にも相談をしなかった。相談をしたり、愚痴をこぼしてしまうと、美也子が悪者になる。何が原因なのかは分からないけれど、美也子を悪者に私はしたくなかった。
それから一年が過ぎた。私達は三年生。しっかり者で責任感が強いという勝手に周りが創り上げた虚像のせいで、私は部長になっていた。「よろしくお願いしまーす」私の挨拶から合奏が始まる。一日の予定を黒板に書き、顧問とどうすれば良くなるかを話し合ったりしていた。副部長は無責任。何一つ手伝ってくれない。同じ木管で、セクション練習なども一緒なのに、「私は別に関係ない、副部長なんて名前だけ」とやる気がなかった。
そして、最悪なことに一年たっても、美也子はそのままだった。特に、私にだけ。一つ、救いになったのは、部長になり、金管の愛菜とサナエと仲良くなったことだ。二人とも音楽についてはかなり厳しい。他人にも厳しいし、もちろん自分自身にも。私がかなり練習を重ねてきて上達したのを二人は認めてくれている。「幸って本当に音色良くなったよね!指もすごいまわるし幸がいたらクラリネット安定って感じ!」私は本当に嬉しかった。努力は報われる。努力すればするほど他人は認めてくれる。二人はコンマスとセクションリーダーをつとめていたから、自然と話す機会が増えどんどん仲が深まってきた。音楽のことで語り合ったり、お互いについて話し合ったり。楽しかった、心から。何もかも嫌なことを忘れて本気で笑うことが出来る。二人は私の太陽だった。でも、その二人にさえ、私は美也子のことについては何一つ相談することが出来なかった。愛菜もサナエも、美也子と仲が良かったし、美也子は特に愛菜のことを好いていたから。
高校生活3回目の暑い夏がやってきた。私達3年生にとっては最後のコンクール。みんな気合いの入り方が違った。絶対に大会に出場しよう!と意気込んでいた。練習量も増え、各パートや個人個人の負担が増えた。その分どれだけ努力したかによってそれぞれの完成度や技術も異なっていった。私は努力した。何度も何度も同じところを練習して満足するまでやめなかった。美也子はというと。居残って練習をするわけでもなく、練習中も時々サボりつつ練習を行っていた。後輩たちはかなり頑張って付き合ってくれた、ついてきてくれた。元々クラリネットパートには真面目で努力家な子が集まっていたし。だから、合奏で美也子が足を引っ張ることが増えつつあった。さすがの愛菜も、「美也子って普段どういう風に練習してるの?ちゃんとやってる?」と顔色を変えるほどであった。
私達の吹奏楽部には合宿がある。学校内に合宿専用の宿舎がある。体育会系はよく使っているけど、文化系の部活でここまで何度も合宿を繰り返す部活は少ないと思う。一日練習に費やして、食事当番を決め、みんなで順番にお風呂に入り同じ部屋で寝る。恒例行事だし、先輩たちがたくさんの差し入れを持ってきてくれるし、大変ではあるけれど、楽しみの一つだった。ただ、今回は私達が3年生ということもあり、夕食後に顧問と部長、コンマスとセクションリーダーで集まって会議を行ったりもした。真剣に話し合って。それが終われば真剣に楽しんで。基本、私達の吹奏楽部は常に元気で笑いのあふれる雰囲気だったな。

そして、合宿後、私の世界は一転した。明るくてキラキラした世界から、暗く深い闇の中へと。

~「俺さ、昔はすごい元気で明るいわんぱく坊主だったんだよ?」ハルは優しい表情を浮かべていた。「じゃあ、今は違うの?」私は尋ねた。「今は、というか、昔から違ってたんだよ。大人の表情を伺いながら、ご機嫌を取りながら。自分を演じてた。まるで馬鹿なピエロだよ。」表情を変えないまま、微笑みながら。「ハルはいつも笑顔だね。強いね。」「強くなんかないよ。弱いから笑ってないとダメだったんだ。ね、サチってさ、自分の名前気に入ってる?俺、ハルって漢字では晴って書くんだけどさ、そんな明るい名前似合わないから漢字では書いたことないんだ。」
それを聞いて私は驚いた。「私はサチって幸せの幸からつけたみたいなんだけどさ、高校の、あの出来事のあとからは幸って漢字使わなくなった。今はこの名前大嫌い。幸せって入ってるのに、私の人生は全然幸せなんかじゃない。」不満気に私は言った。すると、ハルは「俺たちホント気が合うね。もっともっと、もーっと早くにサチと出会いたかった!」あの時の無邪気でキラキラした表情はいつまでも忘れられない。ハルは自分のことを、馬鹿なピエロ、演じてたって言ってたけど、その表情は本物だと私は思った。ハル、私ももっともっと早くにあんたと出会っていたかったよ。~

合宿も無事に終わり、夏休みに突入した。コンクール前だから毎日部活。休みなんてものはない。毎日練習して合奏しての繰り返し。美也子も少し焦り出したようで練習する時間が増えていた。
その日、合奏を終え休憩モードでみんな個人個人好きなことをして過ごしていた。美也子は指揮者が立つ指揮台のすぐ横に座って暗い顔をしていた。「おい、美也子。そんな暗い顔してどうしたんや?」顧問の高崎が美也子に話しかけていた。それでも、美也子は黙ったままうつむいている。「美也子?」と高崎がもう一度声をかけた時、美也子がみんなの前で急に泣き出した。すると部員みんなが、「美也子、どうしたの?」「大丈夫?」「何かあったの?」「先輩大丈夫ですか~?」と声を揃えて美也子に心配の目を向けていた。その時の私の感情は文章では表現しづらい。ただ、何で泣くの?泣きたいのは私の方なのに。みんな美也子の心配?私と美也子の問題には気付かないの?泣いた者がち?様々な感情がせり上がってきて心配する部員をよそ目に私は部屋を抜け出した。もちろん、私が消えたことに気づく子なんて、いなかった。非常階段でクラリネットを吹きながらも心はざわついていた。嫉妬、怒り、妬み、卑怯者、泣かないとみんな痛みには気付かないの?ニコニコして我慢してたら問題がなくて優秀な子?泣きたいのはこっちなのに、もっともっと痛いのは私なのに!
気付いたら私は泣いていた。誰もいない非常階段で。今頃美也子はなぐさめられてるんだろうなと、ふと考えた時”私は絶対に他人の前では泣かない。同情なんていらない。我慢して我慢して、限界を超えても我慢して。明るくていつもニコニコしている優等生になりきろう”一瞬にして、私の心は冷えた。涙も止まっていた。「大丈夫、私はまだまだ大丈夫」そう自分に言い聞かせた。鏡を見て泣いたことに気づかれないかしっかりチェックして笑顔で部屋に帰った。そして、「美也子、さっきどうしたの?」と心にもないことを聞き、辛さを訴える美也子の話をうんうん、と聞いていた。ただの形だけ。話なんて何にも覚えていない。
自分自身を演じよう。優しくて温厚で、いろんな人の悩みを聞き、真面目で努力家な優等生。笑っていれば気付かれない。涙は枯れても笑顔は枯れない。自分という概念を心の端っこに追い込んで追い込んで。二度と開かないように頑丈な鍵をかけた。その日、私は私を殺した。


~偽善、同情、愛想笑い、お世辞全てが嫌い。心にもないようなことをみんな平気で言う。「可愛い!どこで買ったの?」「今日元気ないね」思ってもないくせに。そういうものを嫌いになったのは高校を卒業した頃からかな?何で嫌いなのかは分かっている。昔殺した自分自身が、その後創り上げた自分自身が、していたから。「殺された自分はどこに行っちゃったの?」ハルが聞いてきた。「ん~そのうち出てくるんじゃない?」興味なさげに私は呟いた。「じゃあ、サチは、自分を殺したのは2回目なんだね?」え?ハルは何を言ってるの?思わず顔をあげてハルの顔を見た。ハルの目は真剣だった。どういうこと?ねえ、分からないよ・・・~

美也子が泣いた日の夜。私は眠れなかった。いろんな感情が渦を巻いてモヤモヤして、眠気が一向にやって来ない。ぼーっとしていた時、ふと頭の中に赤いものがよぎった。その赤は、流れるように滴り落ちていく。それを眺めた瞬間、心の中が静寂に変わり、安心感を得た。何となく手のひらをみると、私の手には一本の剃刀が握られていた。そして、腕をながれるものは、紛れもなく、私の赤い血だった。驚いた。頭の中で想像していただけだと思っていたのに。しかし、よくよく見ると、傷は薄く浅い。”どうせ、誰も気付かないだろう”そう考えているうちに私は眠りに落ちた。

その日からだ。自分から自分を底へと突き落としてしまった。痛いことは嫌いだったのに。私は自分の感じたことやストレスを、毎日リストカットという形で解消することを覚えたのだ。
この物語にはあまり中心的ではないけれど、最後の吹奏楽コンクールは県大会を突破し、関西大会へと出場することができた。でも、その事実や中味は私にとって何もかも重要な出来事ではない。というか、大会を突破したことで、まだ続くのかとみんなが喜ぶ中で1人、後悔を感じたのを覚えている。関西大会では残念ながら銀賞で夏のコンクールは幕を閉じた。そして、私達3年生は一旦引退。進路が決まった子から部活へ戻りアンサンブルコンクールや定期演奏会などに出場していく。つまり、私達の吹奏楽部は、卒業するまで結局は引退することがないのだ。

振り返りなおすっていうのは意外と大変な作業なんだね。もっともっと吹奏楽部は濃かったし青春って感じの衝突とか、たくさんの演奏会、他の部員たちとの関係。いっぱいあるけど、書いてたらそれだけで一冊終わっちゃう。ちょっと飛び飛びだったけど、ま、いいか。ハルも目をつむってくれるよね?


Episode2. 優等生への道
美也子に振り回されてリストカットに手を出し始めた私。とどまることを知らず傷はどんどん深く深く、範囲も広がり手首だけじゃなく、腕、太もも、足といろんな部分を切った。そのリストカットのおかげというか、私はたくさんのものを得て、同時にたくさんのものを失った。

~「こうやって振り返ることに何の意味があるの?」隣ではハルも同じように振り返りをしている。与えられた宿題のように。「知らねえけど、振り返ることでたくさーんの気付きがもらえるんだってさ。しかも、気付きと同時にたくさーんの後悔もするんだって。あと、これを終えないと次の場所に行けないんだってさ。あーめんどくせ。俺振り返ることないよー。」ひねくれたようにハルは草むらに寝転がった。「そうなの?私、全然知らなかった。次の場所って何?そこ、ハルと一緒に行けるの?」「サチ、質問多いよ。」ハルは笑った。「サチはまだ知らなくていいよ。俺が先に振り返り終わったら教えてあげるよ。」「えー、何それ。ずるいー!ハルは何で知ってるの?」「神様がね、そうしなさいって。そんで、サチには理由とか告げずに振り返りをしてくれ、だってさ。」「神様って嘘くさい。冗談でしょ?」すると、ハルは草むらから起き上がって私の方に向き直り手を取った。そして、「俺もね、神様なんていないと思ってたよ。こんな差別とか不平等な世界作るようなやつは神じゃないって。でも、サチと出会ったことで神様とも出会えたみたいだ。最期の奇跡ってやつ?」最後におちゃらけてハルは笑ったけど、瞳は笑ってなかった。
「振り返らなくても、すでにたくさんの後悔を背負ってるのにね。そんな俺たちにこんな最低な課題を与えるなんて、いじわるなやつだよな。」
ハルの話は時々分からない。同じ場所にいて同じことをしてずっと側にいるのに、たまにお互いの世界が歪んでいるような気がしてくる。あれ?ハルに会ったのっていつだっけ?~

季節は秋。高校3年生。私達の高校は元々レベルの低い高校だから進路といっても就職か専門学校。大学を受けるとしてもみんな推薦。だから進路に関して楽観的な人が多かった。私は指定校推薦を狙って元々この高校にきたから面接だけで終わらせる予定だった。あ、ちなみに私の平均偏差値4.9。あり得ないよね。ほとんどの教科が5。というか、4がつく方が少ない。常に学年トップ。90点以上なんて当たり前で70点をとろうものなら、周りの友達やクラスメイト、先生までもが心配をするくらいのレベル。でもね、好きでこんな成績を取り続けてきたわけではない。「真面目で成績優秀の優等生」というレールに乗らされた。しかも行き先不明の特急列車。乗っかったら降りれなくなった。元々行き先も分からないから降りてもどこか分からない、降りる先は天国か地獄か。分からないから怖くて、乗り続けることに決めたのが高校1年生の夏。あーあ、早々に降りればよかった。

私の学校では、初めに学力テストが行われる。英数国の3教科。周りもそれなりに勉強をすると思ってある程度の試験勉強はしておいた。さすが学力の低い高校というか、学力テストの簡単さに驚いた。私は中学の頃成績は中か中の下だった。特に数学なんてものはさっぱり分からなかった。そんな私でも高校の学力テストの数学は程々にできた。
授業も始まり学力テストの返却があった。私は3教科とも90点以上だった。美也子が「幸、すごい!全教科とも90点以上じゃん!」と大きな声で言ったので、当然周りにも聞こえる。すると、クラスの全然喋ったことがないような男子や、千夏、あやちゃんたちが揃って「幸って頭良いんだね!」や「え?岡田何点だったの?95点?ありえねー!」などと言い出した。気合いを入れて勉強していたのは私だけで、クラスどころか、学年全体を通してもしっかり勉強をした生徒などいなかったのだ。周りの点数は言ったらわるいけど本当に低かった。3教科とも90点以上だった生徒は全クラスを通しても少なかったみたいで、私は全校生徒の中で学年トップの成績をとった。
その時から「岡田幸は優秀で頭が良い」とクラス全体のみならず教師達一同にも浸透してしまった。初めは嬉しかった。こんな良い点数をとったのも、学年トップになったのも初めてだったから。でも、嬉しかったのは最初だけ。教師達が私が賢いと思い込んでしまったのが間違いだった。そして、好成績でないとダメという地獄に私ははまった。それは、もがいてももがいても抜け出すことの出来ない、まさにアリ地獄だった。

~人の全てって成績で決められるわけないよね。一度くらい点数を落としてしまっても、こんなときもある、大丈夫。と言い聞かせ自分を励ましたり、始めから諦めて全く勉強をしなかったり。それでも、その人たちは楽しそうで、友達にもたくさん囲まれて。先生達も勉強しろ、点数が悪いと怒りながらも、生徒一人一人を可愛がっていた。
じゃあ、なんで、私はそれが叶わなかったんだろう。自分で自分を追い込んでしまっていた部分ももちろんある。良い点数を取れない私は認めてもらえない、そう思い込んでしまった。でも、点数とか成績とか関係なく、友達はたくさんいたしそれなりに楽しかった。テスト前とテスト返却時以外は、だけどね。
ハルは頭悪かったらしい。全く勉強してなかったって。あれ?この話いつ聞いたっけ?~

テストが近づくと毎回クラスの子達が私にノートを貸してくれと頼み込んでくる、テストに限らず宿題が出ていれば見せてとせがまれる。私はコツコツと宿題もしたし復習もしていた。だから、こんなありがたい存在他にはいなかったんだろうなと今では思う。
テスト前になると、本気で深夜まで勉強をした。0時を回るのは当たり前で3時とか4時まで机にかじりついていたこともある。たまにお母さんが夜食を持ってきてくれたりもしてたなー。少しでもうたた寝してしまったらショックで塞ぎ込む。「良い点数じゃないとダメだ」「90点以上をとらないと」自分で自分にプレッシャーをかけ続けた。英語の場合は一つのリーダーの話をまるまる暗記した。社会も理科も丸暗記。数学は分からないから必死で何回も何回も問題を解いたり。
テストが終わっても私は解放されない。次はテストの返却があるからだ。名前を呼ばれた瞬間と点数を見る瞬間の緊張は今でも思い出せる。そして、90点以上ならオッケーで80点以上ならちょっとダメで、80点以下ならやばいと思ってしまう。私が席に着くと周りがいつも聞いてくる。「幸、今回は何点?」「岡田お前何点だった?うわー、全く勝ち目ないわ!」「惜しい、あと少しで幸の点数を越えられたのに!」そして安堵する。今回は乗り越えられた。良かった、認めてもらえたと。
そんな生活を3年間続けていたら精神的に弱っていくことも分かってくれるだろうか。プレッシャーと周りの期待。親や祖父母からも期待され。苦手な教科など岡田幸にはないと周囲から見られ、私の点数を超えることでみんな達成感を覚える。私って何なんだろう。なんで好きでもない勉強を必死にしているんだろう。点数が下がった時の周囲の反応が怖かった。絶望されるんじゃないか、あきれられるんじゃないか、と。

結局、私は3年間成績トップだった。3年間努力に努力を重ねた。おかげで、指定校推薦も簡単にとれた。平均偏差値が4.9の私が不合格になることなんてそもそもあり得ないでしょ。高校で勉強をする中で私は英語が好きになった。だから、外国語大学への推薦を希望し無事に合格することが出来た。
でも、でも。私の努力を認めてくれた人なんていない。見えるのは成績と態度だけだから。努力しなくても頭が良い子なんてそうそういるものでもないのに。私の努力は結果的には報われたけど、周りに伝わることはなかった。だからかな、認められることにこだわりだしたのは。
美也子との関係の悪化も重なったりで、テスト期間中の深夜もなんども自傷をした。プレッシャーから少しでも逃げるために。追い込んで息詰まった自分を解放するために。

今でも、テスト勉強になると自分を追い込んでしまう。でも、自分に傷をつけることはしてないよ。表面的な傷を作らないだけ、だけどね。

Episode.3 私の太陽と曇り空

指定校推薦って比較的早く終わるし、専門学校志望の子達も早くに終わるから、私達は吹奏楽部に復帰した。3年生のほぼ全員が秋くらいから冬にかけて練習を再開。当然、美也子と一緒になる時間も増える。冬はアンサンブルコンクールがあって、一つの楽器だけで、もしくは何個かの楽器を組み合わせて少数のアンサンブルを作る。3年最後のアンサンブルは、部員の総数も増えたから、いくつか各自でグループを作り、オーディションで2組選ぶことになった。私は3つのグループに属した。3つとも美也子も一緒。気分屋って言葉では言い表せないほど本当にコロコロと態度が変わる。正直私は疲れ果てていた。それでも練習は頑張った。特に、クラリネットアンサンブルは本当に気合いをいれた。美也子も最後のコンクールだし気合いをいれていて練習をしっかりこなしていた。その美也子の気合いが時には雰囲気を悪くさせた。ピリピリとした雰囲気を平気で作り出す。後輩もいるから、私はうまく丸めようと必死だった。そして溜め込んだものを夜中に一人赤い血として外へ吐き出す。冬だし、制服も長袖で見えることはないし、と歯止めがきかなくなった。洗面器に水を溜めてそこに腕を浸らせてみたり、ポトポトと滴り落ちて行く血をずーっと眺めていたり。気付くと左腕が傷で埋め尽くされた。傷だらけで血が出なくなる。それが許せなくて更に深くなっていく。傷跡でいっぱいの真っ赤な腕を眺めていると心が和らいだ。

~「サチ、病みすぎでしょ。というか、本当に加減ってものを知らないよね。やりだすととことんって感じ。」ハルが私の振り返りを横から覗き込んで苦笑していた。「うるさいなー、ハルに言われたくないわっ。ハルは何してたんだっけ?」と知っているけど私は尋ねた。もちろん、嫌がらせ。「俺は、薬中。あと、注射器で自分で血を抜いてたな。」と苦笑したまま答えた。「サチってたまに意地悪いよねー。」「そうだよ、私本当は腹黒いの。」したり顔で答えてやった。ハルは満足そうに笑っていた。「でもさ、今こうやって笑って言えるのはすごいよね。この先には幸せが待ってるのかなー。ハル、一緒に幸せになろうね!ってハルどうしたの?」ハルは私が今まで見たことのないような表情を浮かべ「サチ、ごめん。本当にごめんな、俺はー…」と涙を流した。~

校内でのアンサンブルコンクール出場オーディションでは、見事に私達クラリネットアンサンブルと金管7重奏が選ばれた。金管グループには愛菜とサナエもいる。「幸!お互い頑張ろうね!」愛菜が笑顔で言ったから「当たり前じゃん!目指せ金賞よ!」と笑顔で答えた。私と愛菜は本当に仲が良くなっていた。部長として上手くいかないときは助けてくれたり、信頼していたし大好きな存在だった。美也子は不機嫌そうに私と愛菜とのやり取りを見ている。あー、今日は機嫌悪い日だな。練習の時だけはせめて態度良くなってて欲しいな~と考え込んでいたら、愛菜が言った。「ね、幸?幸大丈夫?」「え?何が?」唐突だったから何の事だか分からなかった。愛菜は、「んー、幸最近暗い顔浮かべること多いから。美也子の気分屋加減すごいじゃん?あたし、幸と美也子が一緒にいるの毎日見てて思うんだ。ずっとあんな調子の美也子と一緒にいて幸いつもニコニコしてるからすごいなーって。」と心配そうに言った。泣きそうになった。見ててくれている人がいるんだ、気付いてくれる人がいるんだと。「本当に心配なんだよ、幸のことが。だから、何かあったらいつでもいいなよ!」「うん、ありがとう。」その一言しか言えなかった。それ以上何か言葉を発すると私は泣いてしまうと思ったから。場所も音楽室だし部員もたくさんいる。感情がぐっとせり上がりそうになった時良いタイミングで美也子が「幸ー!ちょっとここ教えて欲しいんだけどー!」と私を呼んだ。「オッケー!行く行くー!じゃあ、私練習再開するね。また部活終わった後でね。」と愛菜に笑顔で言った。いや、笑顔で言えた。美也子に救われたなと思わず苦笑してしまった。

「愛菜、何考えてるの?」サナエが愛菜に聞いていた。愛菜の目は私を追っていた。「いや、幸って優しくて気を使いすぎだなと思って。」「あー、それあたしも思う。クラスでもさ、美也子とかに限らず誰にでもニコニコしてるし。嫌な顔したとこなんて見たことないよ。」「ふーん、そっか。」愛菜はまだ何か考え込んでいる。「ほらほら!クラに負けずにあたし達も練習するよ!金管組集合~!」とサナエが練習の呼びかけをしたため、愛菜は一旦考えるのをやめ練習に集中し出した。

私から見ると、愛菜とサナエは本当に明るくて騒がしい。そして、ムカついた時ははっきり口にするし、自分の意見をしっかり持っている。厳しいことも言うし口調もキツイこともあるけれど、それでも2人を嫌う人はいない。信頼されているから、一緒にいると楽しいから、はっきり言うからむしろ清々しい。私はというと、温厚で真面目。自分の意見は言わず周りに合わせる。自分の意見と違っていてもその場の雰囲気が悪くなりそうなら相手の意見を受け入れる。よく言えば柔軟性があって社交的。悪く言えば、自分を持っていない。そう、私には自分がないのだ。常に足元がぐらついている。私は愛菜とサナエをすごいなと感心することが多々あった。そして、私もあんな風になれたら、と考える。

Daybreak 〜その先にあるもの〜

Daybreak 〜その先にあるもの〜

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-15

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著作権法内での利用のみを許可します。

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