口裂け女三世
口裂け女──。耳元まで裂けた口をマスクで隠し、通りすがりの男に「あたしきれい?」と声をかけ、男が「きれいだ」と答えると「これでも?」とマスクをとり、その裂けた口を見せた。そして、それを見た男が「きれいじゃない」と答えると、持ってる鎌で首を刈り、「きれいだ」と答えても「うそつき」と返し首を刈り、また、何も答えなくても首を刈るという、理不尽きわまりないこの妖怪は、都市伝説として語り継がれた。しかし、現在に至っては、この現実社会でその存在を語った者は、嘲笑われることになるだろう。
だが、口裂け女は実在する。なぜなら、うちのおばあちゃんが、その口裂け女なのだから──。
そう、あたしはおばあちゃんの血を受け継いだ、口裂け女三世。またの名というか、本名は北島よし子という。
おばあちゃんが口裂け女だったという事実を知ったのは、あたしが十歳の頃──、今から七年前の話である。
あたしは、おばあちゃんに会ったことがない。母の話によれば、おばあちゃんがいつものように“首刈り”を行っていた時、「これでも?」とマスクをとった際に「それなりに」と答えた一人の男性を見初め、近くの草むらで強引に授精させたらしいが、結局は、その男性の首を刈ったという。まるで蟷螂(カマキリ)の生殖行為のようだ。
そして、おばあちゃんは身ごもり、母を産んだ。しかし、おばあちゃんは母を産んだ数年後、交通事故に遭い、この世を去ったという。
そう、かつて世の男を震え上がらせた口裂け女は実在していたのだ。おばあちゃんの遺体は密葬され、うちの床の間の仏壇には、遺影の代わりにおばあちゃんの頭蓋骨が奉られている。噂どおりの大きな口なので、まず間違いないだろう。
母は、おばあちゃんの娘なので、口裂け女二世である。しかし、妖怪と人間の合いの子なので、元祖口裂け女のおばあちゃんほど口は裂けておらず、多少裂けている程度だ。その名残を受け、あたしも若干裂けているが、人より口が大きい程度で、あたしの顔を見ても驚く人はほとんどいない。
おばあちゃんの死後、身寄りのない母は施設に預けられた。だが、その多少裂けた口ゆえに、虐めが絶えなかったらしい。名前もなければ戸籍もない。しかし、施設ではひろ子と名付けられ、姓を授けてくれる里親を待った。
やがて母を引き取ってくれる里親が現れた。中年の男性で、名前を北島という。母があたしと同じ十七歳の時だ。しかし北島は、母を養子としてではなく、愛人としてマンションに囲った。
そして北島は、気まぐれにマンションに立ち寄り、母を抱いた。それを繰り返すうちに、母はお腹にあたしを宿すこととなる。
しかし、それを知った北島は、世間体を考えてか、母に会わなくなってしまった。住む場所を与え、生活費も工面し、母とあたしを遠くに追いやったのだ。
要するに厄介払いである。その話を聞いた時、あたしは、まだ顔すら知らない、父である北島を恨んだ。
子供ができたら、金を払ってさようなら。そこに、愛など存在しない。生活には困らなかったが、母は愛に飢え、あたしはそんな母を哀れにすら思っていた。
時々、あたしは思い出したように、母に父のことを聞く。母は、父のことをまだ愛しているらしく、「お父さんはね、すごく有名な人なの。だから、あたし達はお父さんの邪魔をしちゃいけないのよ」と、話をごまかす。
あたしは、父がどんな人かなんてどうでもよかった。ただ、父親らしいことのひとつでもして欲しかっただけ。
たしかにあたしは、口裂け女の血が混じった、限りなく人間に近い妖怪。でも、妖怪が父親からの愛情を求めてはいけないのか。あたしには、それが解せなかった。
そして月日は流れ、大晦日になり、あたしは母と、紅白歌合戦を観ながら年越しそばを食べていた。
お互いに今年の苦労をねぎらい、そばを多少裂けた口に運ぶ。その時、なぜかあたしは、父のことを聞いてみたくなった。
「ねえ、お母さん」
「なに?」
「やっぱりあたし、お父さんのこと知りたい」
母は黙って箸を置き、あたしにこう言った。
「わかったわ、よし子。でも、お父さんが誰だかわかっても、会いにいかないって約束して」
いつになく神妙な面持ちの母に、あたしはこくりと頷いた。すると、母はテレビの画面に目をやった。みるみるうちに、母の目に涙が溢れ、その涙は頬をつたい、食べかけの年越しそばのどんぶりの中に、ぽちゃんぽちゃんと音をたて落ちていた。
「あれが、お父さんよ!」
そう言った母の震える指先を目で追うと、大漁旗をかかげた船のセットの上で、金や銀の紙吹雪をあびながら、鼻裂け男が紅白のトリをつとめていた。
口裂け女三世