叩かれた、扉
たたかれた、扉
たたかれた、扉
ベートーベンの協奏曲第五番「運命」は、ベートーベンの「このように運命は扉をたたく」と語ったという説からこの名がつけられたという。正式な説とは言えないとはいえ、興味深い。
運命は、扉をたたく。それも、閉め切っているときに限って。
無論、たたいてほしい時にはたたいてくれない。たたけ、たたけと思っていてもたたいてはくれない。その存在を忘れ、他のことに没頭しようとしていた時、運命は扉をたたく。
大学時代、あらゆる男性に振られ、恋愛すること自体を放棄し、学業に専念しようと心に決めていた時、現在の夫となる男性と出会った。
就職活動中、就職活動に疲れ果ててもう一切の就職活動をあきらめ、大学院へ進学することを決定した後、「うちの契約社員になりませんか」と電話をもらった会社があった。しかし時すでに遅し。入学金を支払った後だったうえ、大学院進学の意志が固かったため、その場でお断りさせていただいた。
結婚して現在地に引っ越し、職もなく、何度面接を受けても不採用が続いた。一念発起し、就職をあきらめ、資格取得の勉強をして独立を目指すことにし、完全なひきこもり生活を続けている今。つい先日のことだ。
「いま、うちで事務補助の職員を探していまして……」
再び、扉はたたかれた。
無論、たたかれた扉が必ずしも希望通りの道につながっているとは限らない。扉を閉めて、これまでの決断を重視してきたこともあった。今回は扉を少し開いてみようかと思う。外の世界に打ち砕かれるか、外の世界に馴染んでくるかは分からないが。
「このように運命は扉をたたく」言いえて妙である。
叩かれた、扉