白桃


 午後の光の差し込む教室で、少年は一切れの白桃を前に煩悶していた。
 小学校に入学して初めての給食、……その日少年は何故かほとんど食欲がなかった。食べねばならないのだといくら自分自身をけしかけてみたところで、一向に進まず、気ばかり焦るのだった。
 やがて他の児童たちは下校して行き、少年一人そこへ残された。人の良さそうな担任が、教室の隅の自分用の机に向かいつつ見守っていた。
 少年は何度も担任に目で訴えたのだが、担任は取り合わず、ただ優しい目を向けるだけであった。
 目で訴えること八度目にして、遂に担任は立ち上がった。そして、ゆっくりと少年の机に歩み寄り、諭すように言った。
「君は幸せやねんで。食べたくても食べられん子が世界にはたくさん居るんやで。その子達のためにも、頑張って食べなさい」
 担任は教室を出た。
 発展途上国で飢えに苦しみ今にも死なんとしている子供達が溢れ返っていることは、少年も承知していた。しかし、少年が死ぬ思いをして白桃を飲み込んだところで、その子供達のうちの誰かが助かるわけでもなし、“その子達のため”になど、なるはずがあるまい! 嗚呼、まさに今死なんとしている君よ、君に今すぐこの白桃一切れが届けられたら良いのに! この白桃一切れで、君の尊い命は救えるかも知れぬというのに! 少年には、どうすることも出来ない。
 その時、雷鳴が轟いた。少年は力なく涙を流し始めた。
 教室に戻って来た担任は、少年の項垂れる姿を目にするや否や、一喝した。
「いつまでも甘えて泣いたら済むと思っとったらあかん! ここは幼稚園やないで!」
 少年は慟哭をやめなかった。

白桃

白桃

設定:1981年

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-08-04

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