犬になめられている

人間による支配についての考察

 その独特のにおい、まるでトウモロコシを乾燥させた後、ビンに詰めて数日おいておいたようなのと、黒く澄んだ瞳は台所のほうへと向かっていった。いつものように食べ物を探しに行ったのだ。

 笑うということは、笑顔になることと同じことであって、泣くということは、涙が出るということである。人間には様々な感情が備わっていて、それらが「顔」に表出されるというのは、ただの見かけにすぎない。
 人間は、50歳を過ぎるとその人の人格が顔によって映し出されるといわれている。しかし、小さい頃は親の遺伝の影響もあってそんなに人格というものは表出されていない、といわれている。それが、人間以外が対象であったら、どう変わってくるのだろうか。

 チロは人間で言うと50歳を過ぎた、おばちゃん犬である。そして私は夏の風鈴の音が好きだ。「チンチロリン」と勝手に音にカタカナ語をつけたのは人間の勝手だが、そこから犬の名前を付けた私は勝手の最大級である。生涯のうちに一度も子どもを産むことはなかったのもあってか、いつまでたっても「子ども」のままである。が、見た目は毛が少し禿げ、目もなんとなく白がかっている。ちなみに、チロが言葉を発したのを一度も聞いたことがない。チロの小さい頃はというと、私の家にやってきた時は両手で収まるほどに小さく、どことなく愛嬌があるように感じた。今はどうだろうか。台所へ食料をあさりに行き、満足するとそこで用を足し、眠る。その習慣はその瞬間だけにとどまらず、あくる日も、そのあくる日も、きっと年末もそうなのである。果たしてこのサイクルで満足するのだろうか。

 人間には様々な「欲」があるとされている。食欲、性欲。睡眠欲、排せつ欲等。きっと「犬」も同じだろう。では、なぜ人間と犬は違うのだろうか。
 根本的な問題として、まず「見た目」が違うということだ。人間は皮膚を覆いかぶせるような毛は体中に生えていない。そして、よっぽどのことがない限り舌を一日中出すこともない。手の形が違い、肩の大きさが違う。
 疑問に思ったのは、「人面魚」と呼ばれるものは、果たして人間なのだろうか。それとも魚なのだろうか。およげたいやき君もそうだ。♪毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれていやになっちゃうよ♪なんて、誰が言っているのか。いや、どの魚が言っているのだろうか。もし前者だったとすると、人間に魚の気持ちなどわかったもんじゃない。後者だったとしても、人間なんかに魚の気持ちなんてわかってたまるか。といったところである。

 人間には「言語」というコミュニケーションツールがあって、言葉で話すことができる。そして、人間は非常に自己中心的な生き物であって、人間中心の考え方にとらわれすぎている。犬はどうだろうか。犬にとってのコミュニケーションツールは、言語以外のもので、例えば、「におい」。これは最大限の自己表示なのではないだろうか。においによって自分の偉大さであったり、存在意義を鮮明に、簡潔的に見知らぬ犬に伝えようとしているのではないだろうか。
 これは、人間で言うSNSを使ったコミュニケーションと非常によく似ていると考える。画面上に映し出された文字によって、作り出された自分を最大限に表現し、見知らぬ人へとつながっていく。そして、近代の人間はこえrに頼りすぎているのではないか。
 大切なものは、実は本当の意味で見えない、逆の意味で映し出される。それは「顔」という仮面に映し出されることもあれば、話し方であったり、言葉に映し出される。SNSとはソーシャルネットワークサービスのことをいう。そして、私はこのSNSがあることによって毎日穏やかに過ごしているということも事実である。

 チロを初めて見たのは、びっくりするほどの、人間一人分入らないであろう箱の中に存在した。驚きのあまりに「かわいそう」と発してしまった。それがチロとの初めての会話だった。かわいそうと言った時点でもう人間が優位であるというのは当然の事実であって、背くことのできない現実なのである。よだれまみれになり、黒く、千切れきったぬいぐるみと、もうこれ以上溢れることはないだろうと考えるおしっこシートがチロの仲間だった。私はその仲間とともにチロを引き取ってあげたいなと考えた。まだ幼かった。

 月日は流れ、チロとはすっかりお互いのことを分かりあえる仲になった。と、思っているだけかもしれない。チロとは「言葉」を通して会話したことがなかった。故に表情を読み取ることも困難なのであった。
 時々、怖いなと思うことがある。
 犬は、喜んだときに高らかな響きを全体に響かせたり、尾を扇風機のようにぐるぐる振り回したりもするが、これは人間から見て「喜んでいるな」と感じることであって、本当は、そうではないのではないか。ということである。つまり、表現として表しているものと真逆の考えを持っているのではないか。
 性格は表情や雰囲気を醸し出しているが、その性格を作るのは環境や親の影響が多い。犬はどうだろうか。恋愛依存症、自傷行為、情緒不安定な性格というよりも、先天的に障がいをもって生まれてきたり、「気性が荒い」「臆病」だと片付けられ、犬からみた人間像について人間は考えたりするだろうか。後者の殆どは人間が犬の中に開発してしまったものではないだろうか。

 ペットショップのショーケースからじっと見つめる、黒色の潤ったもの、滑らかな艶、トウモロコシを乾燥させたような匂いを発する物体は人間によって支配され、人間がいる限り自立を妨げている。実は、犬になめられているのかもしれない。

犬になめられている

犬になめられている

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-11

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted