その人、神に愛されています。
初投稿です。
神に魅入られた高校生と、誰にも言えない悩みを抱えた少女達の物語
枚方達喜(ひらかたたつき)は神の力をその身に宿す高校生だ。
幼少時に神と遭遇し、その力を得た。
――以来、彼は森羅万象を御する力を持ち、他人の運命を見る力をも得てしまった…。
そんな彼は「死の運命」を嫌う。
死の運命を辿る人間を見つけると、性格上放っておけず、その人が運命に抗えるように手助けをしていた。
彼(神)は人をこよなく愛す。慈愛の心があるからこそ、その手を差し伸べている。
これは、そんな彼と、とんでもない悩みを抱き死の運命を辿る少女たちとの物語…。
神に愛された少女達の、運命に抗う物語だ。
一人目「寂しがり屋でシャイなクラスメート」
枚方は高校生だ。
神の力をその身に宿すとはいえ、普通の人間の思考を持つ彼は、普通に登校し帰宅するどこにでもいる帰宅部の高校生である。
そんな彼のクラスには一つだけこの二か月間空席の机があった。
ちょうど隣の席。進級後、間もなく不登校になったため、枚方は隣の女子の顔を知らない。
しかし、今日は違った。
「…?」
クラスが一瞬だけざわついてまた平生を取り戻す。
なんだ?
枚方は野次馬ではない。それほど気にならなかったのだが、今回だけは特別気になった。クラスに入ってきた女子は、そのままこちらへと向かってきている。しかし、あの一瞬以来、すれ違っても他の連中は驚きもしない。
そして枚方は背筋を凍らせた。
彼女の顔を見た瞬間に、例の感覚が襲ってきたのだ。
まさか…。彼女が…。
この感覚は予知能力だ。死の運命を予知すると、途端に悪寒が襲ってきて、直貴にその全貌を見せようとしてくる。
そんな感覚に襲われている最中、彼女は何事もなく隣の席に腰を掛けた。
まさかと思われたが、彼女が不登校だった隣の席の女子なのだ。
「……もしかして、あなたが『多々良夕凪(たたらゆな)』さん?」
「……そ、そうです」
おとなしそうな雰囲気に、容姿は可愛い。黒のポニーテールが動くごとにふわふわと揺れていて、背丈は枚方よりも少しばかり低い。バランスのいい体系をしている。
そんな彼女は俯きながら、頬を染めて挨拶を返してきた。こちらの顔を見ようとはしない。しかし枚方は、彼女の顔よりも気になることがあった。
制服に隠れている腕だ。
「……腕の包帯、どうしたの?」
「…⁉ な、なんのことですか?」
見え隠れする袖を思い切り引っ張り、多々良は腕を隠すようにした。
間違いない…。
枚方は確信した。彼女が一度自殺を図ろうとしたことを。そこまで追い詰められているのだろう。集中して、彼女の運命を見てみることにする。
「――――!」
その瞬間に枚方は驚いてしまった。
彼女の死の運命はこれまで対処してきたものとは一癖も二癖も違った。前例がないほどに強大な死相が見えたのだ。
自殺ではない…。他殺だ…。
「……多々良さん」
「…はい!」
突然声をかけたせいか、多々良は肩をビクッと震わせ、驚き怯えながら、こちらをみる。
「悩み事があるんだろう…?」
「え…」
「どうして知っているのか疑問に思っている顔をしているね。実は俺、『神様』なんだ」
「…………はい?」
授業が終わり、昼休み。
「多々良さん、一緒に食べよう」
「あ、はい」
隣の席どうし机をくっつけた。向かい合って枚方が弁当を、多々良がコンビニで売っているようなパンを食べる。
しばし無言が続いたが、話を切り出したのは多々良だった。
「あの、どうして、私なんかと……」
「? 隣の席なんだから、仲良くしても不思議じゃないはずだ」
「そうですけど、私、今まで学校を休んでいて…」
「関係ない。俺達はクラスメートなんだから」
「……」
多々良はそんな枚方の言葉に頬を染め、また俯いた。
枚方は彼女の食べているパンを見た。
「弁当じゃないの?」
「私、料理は苦手で…」
「親に作ってもらわないの?」
「私、一年前から一人で暮らしているんです。マンションを借りて、高校生の頃から一人暮らしなんです」
「ふぅん。じゃあ、どうして死のうと思ったんだ?」
「……!」
その一言に、多々良は動きを止めて目を泳がせる。
枚方はじっと彼女の目を見た。
「俺は、助けになってやれる」
「…!」
「それでも、無理に信じろとは言わない。けど、本当に辛くなったら、俺に相談しろ。絶対に何とかしてあげるからさ。なにしろ俺は、神様の力を持っていて、これまで多々良さんみたいな人を救ってきたんだ…」
枚方はそう告げて、席を立とうとする。
すると――
「あ、あの!」
クラス中に響き渡る大声に、一気に視線が集まった。
多々良は震えて耳まで真っ赤にしながら、枚方の制服をつまんで離そうとしない。
「…あの、私」
「わかったよ」
ポム。
「え…?」
多々良の頭の上に、暖かくて大きな手が乗せられた。一気に気持ちが楽になる。
「放課後、話の続きをする。約束だ」
「は、はい」
枚方はそれだけを言い残して教室を後にした。
向かった先は図書室だ。昼休みに最も静寂を保っているのはここだけだ。枚方は集中するとき、常にここを利用している。椅子に腰を掛け、目を閉じた。
その瞼の裏に映る景色は、多々良夕凪の死の運命。つまり、死ぬ未来だ。
「…」
呼吸を整え、神の力を行使する。
神様の全知全能の力にかかれば、未来の透視など、ひらがなの練習より簡単だ。
だんだんと見えてきた。先程は一瞬だけだったが、今度は全貌全てだ。
殺される瞬間を…。枚方は知っておく必要があったのだ。
二週間後。
多々良は誰かと会っている。
手に持っているのは封筒で、その誰かに渡した。
誰かはそれを開封し、中身を確認。中からは紙幣が出てきた。
およそ二十万円だろうか…。
多々良は必死に頭を下げている。しかし誰かは、封筒を地面に叩きつけ、多々良に滲み寄っていく。
そして胸ポケットからナイフを取り出し、それを多々良の頬に擦りつける。
腕を掴み、抵抗する多々良の衣服を切り刻んでいくが、動きが激しく、ナイフはそのまま心臓を刺した。多々良はその場に血を流して倒れる。「誰か」は怯えて立ち去った。
「――――っ!」
枚方は汗をかいていた。誰かの死の未来を見るときはいつもこうなってしまう。
時計を見ると、もうすぐ昼休みが終わる。
「戻ろう…」
重い気分を払拭するように、枚方は小走りで教室へと向かった。
授業が終わり、多々良と共に下校する。
学校では話しにくいこともあるだろうと思い、枚方の家で話を聞くことにしたのだ。
「ほ、本当にいいんですか?」
「ああ。大丈夫だよ。一人っ子だから兄妹とかいないし、母さんはパートで夜遅くて十さんはいつも残業。夜までは俺一人だからね」
「………はい」
多々良はいままで以上に紅潮していた。何か変なことでも口走ったのかと、枚方は首を傾げる。
そんな風に談笑しながら、多々良との距離を縮め、ようやく家に辿り着いた。
玄関から右手の階段を上がり、枚方の部屋に着いた。多々良を適当なところに座らせ、枚方は下に飲み物を取りに行った。
「…これが、男の子の部屋。私の部屋と違って、サッパリしてる」
ミニテーブルの前の座布団に正座し、もの珍しい男子の部屋をきょろきょろと見ていると、本棚にある変わった本を見つけた。
「…なにかな?」
失礼とは思いながらも好奇心が勝り、それを手に取ってみる。
「……」
それは色んな人の手紙を挟んだアルバムだった。
「……すごい」
お年寄りからサラリーマンにOL。小さな子供から同じ年の高校生まで幅広い。
「もしかして……」
多々良が思い出していたのは、学校での枚方の言葉だ。
『これまで多々良さんみたいな人を救ってきたんだ』
手紙の全てが感謝状だった。
内容は一様に、命をくれてありがとう。や、幸せになることが出来ました。など。
彼への感謝の気持ちが、数えきれないほど綴られていた。
「……あ!」
「え? あ……」
そんなアルバムを開いている最中に、枚方が一階から戻ってきた。
「…す、すみません! 勝手に…」
怒られると思っていた多々良だったが、まったく違う反応が返ってきて驚く。
「いいよ。見せるつもりだったから」
「そ、そうなんですか?」
「うん。どう? これで信用してもらえるかな?」
「……!」
枚方の言葉に、多々良の目頭が熱くなった。
彼なら、本当にどうにかしてくれそうな気がして、多々良は小さく頷いてみせた。
「これ、すごい量ですね…」
「小さい頃から続けてきたからね」
「へぇ~~」
多々良は熱心にアルバムを見ている。枚方は飲み物を飲みながらゆっくりと待っていた。そして見終えると、多々良は枚方に対面した。
「あの、お名前は?」
「……? 名乗ってない?」
「はい」
「…失礼。俺は枚方達喜。よろしく」
「こ、こちらこそ。えと、枚方くんでいいかな?」
「ああ。オーケーだ」
自己紹介を終えたところで、本題に移った。
「じゃあ、とりあえず悩みを打ち明けてほしいんだ。神様の力を柄って人の記憶を読み取ることもできるんだけど、それはその人に失礼だと思っていてね。俺は常に本人の同意のもと、出来るだけ本人の口からすべてを語ってもらいたい」
「…あの、その前に」
「?」
「神の力って、本当にあるんですか?」
「…まあ、信じられないのが普通だからね。そうだなぁ~~。じゃあ、過去に行くなら、いつの時代に行ってみたい?」
「え、そんな急に言われても…」
「パッと思いついたのでいいから」
「じゃあ、江戸時代?」
「わかった。それじゃあ、はい」
「?」
枚方は多々良の前に手を差し伸べた。
「なんですか?」
「握手だよ」
「え…でもそんな…」
「…多々良さんって、もしかして恥ずかしがり屋なの?」
「ど、どうしてわかるんですか!」
「う~んと、雰囲気というか、いまも頬が赤いし…」
多々良は慌てて頬を触ってみるが、わかるはずもない。
「…私、枚方くんの言うとおり、恥ずかしがり屋なんです。それで、人見知りなんです」
「そっか。よく俺を信用してくれたね…」
「じ、実際にあっていますから」
「?」
多々良は恥ずかしそうに続ける。
「実はその、男の子が苦手とかではないんです。好きなんですけど、話とかしたことなくて…」
「だから、いまも緊張してるの?」
「はい…。それに、握手なんて異性とはしたことないですし…」
「フォークダンスとかは?」
「経験ないです」
「そっか…。うん。でもそれが多々良さんらしいと思うよ。そうやって顔を赤くしてても俺は不快にならないから、いやむしろ可愛いって思うかな」
「え…⁉」
「だから、嫌な時はいつでも言っていいからね。でも、握手はしてほしいんだけど…」
「わ、わかりました。初握手ですね!」
そう言って、深呼吸し、意を決した表情で目を瞑りながら手を差し伸べてくる。
「ど、どうぞ!」
「…だ、大丈夫?」
「はい! あの、他の人じゃ無理かもしれないですけど、枚方くんなら大丈夫です!」
「…」
よくわからなかったが、枚方もなぜか緊張してきた。
「いくよ!」
「はいぃ!」
きゅっと、優しく握った。
「目を開けてごらん?」
「え…?」
多々良は言われたとおり、そっと目を開ける。するとそこは、枚方の部屋の中ではなかった。
「これって…」
ビルなんて立ち並んでおらず、人々は足を使って移動している。
時代劇のセットよりも新鮮で、しかし古めかしさを醸し出す。
「あの…もしかして」
「ここは江戸時代だよ。俺が力を使えば、時空移動なんて簡単にできるんだ」
「ふぇ~~~」
驚きのあまり、多々良は何度も目を擦った。
「これで、信じてもらえるかな? 俺は本当に何でもありの力を持ってるんだ。だから、安心してほしい」
「…はい!」
「じゃあ、帰ろうか」
また手を繋ぎ、江戸時代を後にした。
気がつけば部屋に戻っていた。
「す、すごいです」
「周りの人に言わないでよ?」
「…大丈夫です。私こう見えて、友達少ないんです」
「…俺は今日から友達だよ」
「…そう、ですね。ふふ」
その笑顔に、枚方は少し頬を染めた。あまりに可愛らしい微笑みだった。
なればこそ、絶対に絶望の表情に染めさせてはいけない。
枚方はそう決心した。
「私、ネットで相談に乗ってくれる人がいたんです」
「ネット? インターネットで?」
「はい。チャットとかSNSで知り合って…」
「SNS?」
「あの、ソーシャル・ネットワークキング・サービスの略称なんですけど、私、その系列でブログをやっていまして…」
「自分の日記をネット上でつけるアレ?」
「はい……。中学校の友達から誘われて、高校生になってからやっていたんです」
「なるほど。でも、その知り合った人物っていうのは、友達じゃないんだよね?」
「はい」
多々良は伏し目がちにそう言った。自分が不注意だったことを自覚している様子だ。
「…それで、その人がどうしたの?」
「最初は優しく相談に乗ってくれる人だったんですけど、二か月前、変なことを訊かれたんです」
「変なこと?」
「はい。私の住んでいるマンションの住所と部屋番号です」
「明らかに怪しいな」
「私も答えませんでした。けど、数日後に、もうわかった。と言われたんです」
「……普通にわかるものなのか?」
「いえ…。でも当たっていました。それで怖くなって、目的を訊いてみたんです。そしたら――」
多々良は、暗い顔で言いにくそうだったが、何とか口を開く。
「お金をよこさないと襲うぞ。――って」
「―――!」
枚方の頭の中で、ようやく彼女を殺害する人物を特定できた。
多分、そのSNSで知り合った、素性をよく知らない何者かなのだろう…。
「いくら要求されたんだ?」
「……五十万円です」
「…! そんな額、一人暮らしの高校生に払えるはずないだろ。警察には言ったの?」
「言おうと思ったんですけど、なんだか怖かったんです。もしもそんな所を見られていたら、殺されるかもしれないって思って。それで、二年生になってからはずっとバイトをしていました」
「だから学校に来ていなかったのか…」
「…枚方くん、私どうしたらいいんでしょうか」
「…ちなみに、いつ渡すの?」
「二週間後となっています」
ビンゴだ。
枚方は気持ちを落ち着かせ、ゆっくりと言葉を繋げていった。
「多々良さん、落ち着いて聞いて。俺は、キミから死の運命を感じ取っている」
「死の、運命?」
「そう。俺は人の運命を見ることが出来て、多々良さんと初めて出会ってそれを感じ取った。死の運命を辿る人間は、必ず不条理に死んでしまう…」
「…! じゃあ、私も」
「うん。二週間後に死んでしまう。取引に向かわなくても…」
「…!」
多々良は口を抑えながら、涙を瞳に溜めた。
「だけど大丈夫だよ」
「え…?」
枚方の手が、肩に乗せられている。多々良は顔を上げて枚方の目を見た。
「俺はその運命に抗う選択肢を、与えることが出来る。ただの人間じゃないからね」
「抗う……?」
「ああ。絶対に死なせない。不幸の先には必ず幸せが待っていることを、教えてあげるよ」
「……!」
「でも、一つだけ確認しておきたいんだ。多々良さんはどうして、ネット上の友達を作ってしまったのか……」
「誰かに私の存在を確認してほしかったんです。一年生の時は、クラスに知っている人がいなくて友達ができませんでした。なので、自分が必要ないと思い始めたんです」
「…」
多々良は制服の腕をまくった。そこには包帯がぐるぐると巻かれている。
「枚方さんはこれを見て、私が自殺しようしたことがある。と思いましたか?」
「ああ。…違うの?」
「はい。これは自分で命を絶たないために巻いてあるものなんです。ここに巻いてある包帯を見て、命を実感する。そうすれば私は自ら命を絶とうとはしませんから。あの……私、枚方さんの先程の意見に賛同します。私も、不幸の先には幸せが待っていると信じたいので」
「多々良さん…」
「実際、いまは幸せです……」
多々良は頬を染めながら微笑んでそう言った。その笑顔に枚方も照れくさくなる。
「多々良さんは、もう一人じゃない。俺は素性も知れた本当の友達だよ」
「はい…。そうですね」
「ネット関係に軽く手を出さないって誓えるかい?」
「はい…。もう味わいたくない恐怖ですから」
多々良の瞳から決意を感じ取ると、枚方はまた握手を求めた。
「え…?」
「協力するよ。きみの決意は伝わった。絶対に死なせない」
「…枚方くん」
二人は確かに握手をした。そして互いに、互いの存在を確かめ合い、ようやく運命へと抗い始めるのだ。
二人はあの日から登下校を共にするほどの仲となっていた。
二日間は特に進展がなく、ただのお茶会で終わった。
三日目の今日、枚方はいつも通りの時間に制服姿で家を出る。そして、いつも通りに隣の家に住んでいる少女と出くわした。
「「あ…」」
ちょうど二人の間抜けた声が重なり、自然と笑いがこぼれる。
隣の家に住んでいる中学二年生の「芽吹彩愛(めぶきあやめ)」とは、家を通じても個人的にも仲が良く、幼い頃はよく一緒に遊んでいた。
「お兄ちゃん元気?」
「それ毎朝訊くことか? 元気だよ。彩愛は?」
「あたしは元気だけが取り柄だもん」
「…そんなことないぞ? 可愛いじゃないか」
「そ、そうかな?」
彩愛は照れながらツインテールを指で遊んでいる。
黒い髪を耳のようにしているのは昔からで、二つに括られた髪は彩愛のチャームポイントの一つであった。背は依然として低くて、本人曰く、高校生になればグラマーボディに成長するというのだが、枚方の予想はそのまま成長するだろうという厳しい意見だった。
二人は歩きながら少しだけ会話する。これは毎朝の日課のようなものだ。
「告白とかされないの?」
「…! そ、そんなもの全然ないから安心してよ!」
「そうか? 中学生なんだし青春を味わってもいいと思うんだけど…」
「そんなお兄ちゃんだって、彼女いない歴=年齢でしょ? あーあ、可哀相~~」
「う、うるさいな。俺は俺が好きになった人と付き合うって心に決めているんだ」
「ふ~ん。それでは見つかりませんな~~」
小ばかにしたように、彩愛はいたずらっ子のような笑みを浮かべている。
「…いや、見つかる。多分だけど」
「あっそ~~。もし見つからなかったら、あたしがお婿さんに貰ってあげるからね❤」
「……そうか。ありがとう」
「ちょっと! なんで『あ、お前ね』みたいなテンションなのよ~~!」
「だってさ、歳の離れた妹と結婚する気分だぞ?」
「血は繋がってないでしょ! 勝手に設定変えないでよ~~!」
頬を風船のように膨らませ、彩愛は顔を背けた。
「あたし、こっちだから」
「知ってるよ」
「~~~~! お兄ちゃん、憶えておきなさいよ~~!」
今日の夜眠って、明日の朝になれば忘れているのは、いつも彩愛のほうだった。
そんな彼女と別れたY字路を左に進んでいくと、三本目の電柱付近に、知った顔が、誰かを今か今かと待ち侘びているのがわかった。
そして枚方の姿を発見するや否や、嬉しそうに満面の笑みで駆け寄ってくる。
「達喜くん。おはよ~~」
「ああ。おはよ」
この二日間。進展があると言えば、実はあった。
枚方と多々良が三日前より見違えるほど仲良しになった事だ。
もう握手なんて平気だと、多々良が進言するほどに…。
「じゃあ、いこっか」
「ああ」
二人は肩を並べて登校した。
授業を終えるとすぐに枚方の家に向かう。
多々良はこれで三度目なので、もう慣れたものだ。
「お茶持ってきたよ」
「あ、ありがと~」
枚方は自分も座布団の上に腰かけると、さっそく話題を持ち出した。
「一つ考えたんだけど、多々良さんがSNSに手を出してしまったのが原因だと思うんだ」
「そ、そうだね。私には向いていなかったのかもしれません…」
「うん。それで、俺は市の運命を回避する方法を昨日の夜思いついたんだ」
「な、なんですか⁉」
食い入るように多々良は、枚方に近づいた。
枚方は焦らすこともなくすんなりと明かす。
「SNSを始めた頃、つまり一年前に戻ればいいと思うんだ」
「…! そこで、一年前の私を止めるんですね!」
「うん。だけどこれには一つ問題があって、タイムパラドックス、つまり時間操作による矛盾。因果関係の不一致が起こってしまうかもしれないんだ。」
「? それは駄目なんですか?」
「簡単に説明すると、この現在、そしてこれからの未来。それぞれにおける人間関係の相違や、誕生に影響があるかもしれないんだ。多世界解釈というものもあるが、必ずしもそれが正しいとは限らない。ここは慎重に選択すべきだと思う」
「…よくわからないけど、達喜くんがそういうなら間違いないよね」
「それに、この計画を進行するのは、多々良さんが率先して変わる必要があるんだ」
「変わる必要?」
枚方は静かに頷いた。
「平たく言えば、一年前の多々良さんに変わってもらう必要があるんだ。SNSに手を出すことがないように…。手を出してしまえば、また同じ運命を辿ることになるだろうからね」
「…つまり、説得するんですね」
「…うん。それもその頃の彼女を誰よりもよく知る人物、きみにしかできない」
「…!」
大好物のマシュマロに手を伸ばそうとしていた最中で、膠着させられた。
「…私ですか?」
「そうだよ。この三日間でわかった。きみは誰よりも寂しがり屋だ」
「…!」
「だから、そんな性格を克服することが、運命に抗う術になるんだ」
「運命に、抗う…」
多々良は胸に手を当て、目を閉じて少し考えた。そして何かに気がつく。
「そういえば、もしこの計画を実施して成功しても、その…タイムパラドックスで元の性格に戻ることはないんですか?」
「それは大丈夫。俺には世界中の因果関係を元に戻すことはできないけど、個人に起きたなら元に戻すことはできる。それに、俺と一緒に時間移動すれば、滅多にそういうことはないよ」
「…本当ですか?」
「ああ」
多々良は枚方の言葉に一息つき、向き直った。
「達喜くん。私、それがいいです」
「…わかった。じゃあ、日取りを決めておこう。なるべく早くがいいな」
二人はまるで、遠足に行くかのように計画を立て始めた。
表情には見せていないものの、多々良は少しばかり不安を募らせている。
タイムパラドックスにより、いまの関係が壊れてしまうことに対して…。
しかし、彼の言葉を信じる。そう決めたのはこの瞬間ではない。
そしてなにより、多々良には幸せな未来を歩きたいという願望があったのだ。
「ただいま~」
多々良は一人暮らしの家に戻った。
「え…?」
すると異変に気がつく。
着替え用の下着を探している時、タンス内の衣服の配置が少しばかり違っていたのだ。
なにやら、荒らされた痕跡があった。
「―――!」
すぐに多々良は誰の仕業なのかわかった。
そして恐怖のあまり膝をガクガクと震わせ、ぺたんと座り込んでしまった。
「達喜くん…!」
カバンから急いで携帯電話を取り出し、彼をコールする。
一回、二回…。
いつもは短いそれが、いまに限って一分のような長さに感じられた。
ガチャ。
「―――! 達喜くん!」
「ど、どうしたの多々良さん」
多々良はすぐにいまの状況を話した。すると一瞬のうちに景色が変わる。
「え…?」
先程まで楽しく計画を立てていた彼の部屋にいた。
そして、目の前には彼の姿がある。
「達喜くん!」
恐怖のあまり泣き出してしまい、そのまま枚方に抱きついた。
「おっと。もう大丈夫だよ」
「うぅ…。怖い。怖いよぉ…」
「もう一人じゃない。大丈夫だ」
「…うん」
何とか泣き止み、事情を話した。
「…そうか。瞬間移動を使ってよかった。そうだなぁ…。しばらくはうちの空き部屋で寝泊まりすると良いよ」
「え…」
「その方が安心でしょ? うちは部屋が余ってるから大丈夫だよ」
「でも、ご両親は?」
「ああ、それならもう許可が下りてるよ。家にはいれなくて困ってる女の子がいるって言ったらすぐに許可してくれたから」
「………本当?」
「ああ」
「…うぅ。ありがとうぅ…!」
さらに強く抱き寄せ、落ち着くまでそうしていた。
多々良が下の両親に自己紹介を含めて事情を話すと、いつまでも泊まっていいという寛大な許可をしてもらった。それから彼女はお風呂に入らせてもらい、その間に枚方がとってきてくれたパジャマに着替えている。
そしていまは、枚方の部屋に集まっている。
「それが寝間着なの?」
「そうなんですよ。このふわふわした感触がマシュマロを思わせませんか?」
多々良のパジャマはモコモコとしていて、とても白い。多々良の肌と同じくらい白かった。
「他のものはリクエスト通りに持ってきておいたから、安心してね」
「なにからなにまで、ありがとう…。私、迷惑かけちゃってますよね…」
「そんなことない。連絡してくれて嬉しかったよ。それより、危険な状況で抱え込んじゃうほうが、俺としては心配になるかもしれないし、こうやってすぐに呼んでくれることは嬉しいよ」
「……ありがとう」
「どうしてお礼を言うんだ?」
「…なんでもないですよ」
多々良はそう言って頬を染め、いつものように可愛い笑みを浮かべた。
「でも、まさかこんなことになるなんて…。予定を少し早めた方が良いかもしれないね」
「はい。私もそう思いました」
「うん。じゃあその辺も含めて、明日に話そうか。今日はもう遅いからね」
「そうですね。じゃあ、おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
多々良はその言葉を口にした時、一つ屋根の下で寝ることを敏感に気にしてしまう。
途端に胸の高鳴りが始まった。
「………おやすみ。か」
その言葉を反芻して、クスリと笑ってから用意された部屋へと向かう。
「どうしてですか?」
明朝、枚方の申し出に疑問の多々良。その申し出とは、別々に家を出て、いつもの場所で待ち合わせしようというものだった。
「俺は神の力を持っているけど、普通の高校生なんだ。一緒に家を出るところを見られるのはまずいと思う」
「…! そ、それもそうですね」
多々良もその重要性にようやく気付いたようだ。
枚方よりも先に一足早く家を出て行った。それから数分待ち、枚方も外へと出る。いつもの時間だ。
がちゃ。
玄関戸を開けると、隣の家からも彼女が出てくる。
「あ、昨夜は眠れた?」
「まあね」
彩愛は中学校の制服を身に纏い、いつものように髪の毛を束ねてツインテールを揺らしている。
枚方はこのこともあり、多々良に先に出てもらったのだ。
二人で歩き始めると、彩愛がいきなり話題を振ってくる。
「今朝は、あたしの大好物を飲んだから、絶好調なんだ~~」
「いつもそうだろ?」
「今朝は特別なのよ~~! ね! 何飲んだか当ててみて」
「…牛乳だろ?」
「ピンポーン! なんでわかったの?」
「お前の好みくらい把握してるよ。それにしても、好物が牛乳なのに…」
枚方はそう言って、彩愛の身体を舐めるように見た。
「ふぃ…」
「な、なによその中途半端な溜息は! いま絶対、胸も背も成長してないって思ったでしょ~~!」
「彩愛、人の心をあまり読むんじゃない。超能力者だってことがばれるぞ」
「だから~、普通の女子中学生にそんな設定加えないでよ~~!」
「すまん」
「全然謝罪の感じがないけど…。まあいいよ。あたしがグラマーで巨乳ロリな女子高生に成長して、それでもって、男子からモテモテになってからじゃ遅いんだから、覚悟しててよ~~」
「……うん。グラマーと巨乳は無理だろうな」
「残るのはロリだけ⁉」
「…それは元々だろ」
そんな話をしているうちに、Y字路までさしかかった。
「んじゃね。お兄ちゃん」
「ああ」
手を振って別れると、律儀にいつもの場所で待っている多々良の姿を発見する。
「あ、達喜くん」
「おう」
あたかも今朝出くわしたかのようなフリをして、肩を並べて歩み始めた。
昼休み、二人は同じ柄の弁当箱を広げていた。作った人物が同じなのだから当然のことだろう。
「本当によかったのかな?」
「母さんも張り切って作ってくれたんだ。残さず食べてよ」
「うん。じゃあ、いただきます」
「いただきます」
多々良は枚方の母特製の弁当を一口、そしてまた一口と食べ進めていく。
「美味しい…!」
「よかった」
「…」
「どうした?」
黙っているのも、多々良が少し複雑な心境だったからだ。
料理が苦手な自分が、彼の母と同レベルになるのは程遠い話になるだろうという絶望感に加え、彼と夫婦になった時、料理するなら比較されるのではないかという妄想の不安まで、多々良は頭を回転させ、謎の敗北感を味わっていたのだ。
昼を終え、すぐに放課後がやってきた。
二人は揃って家に帰る。
「ただいまですね」
「そうだね」
制服から着替えると、すぐに枚方の部屋へと集まった。
「じゃあ、今後の予定について、俺は明日に変更するべきだと思ってるんだ」
「今日じゃ駄目なんですか?」
「それだと、万全な体勢とは言い難いでしょ? それに明日は休日なんだ。心に余裕が持てるはずだよ」
「それもそうですね…」
二人、視線を交えて笑いあう。この二人の会話ではごく普通の光景だ。
「多々良さん、明日までにできるだけ説得する準備をしてほしいんだ」
「説得の準備ですか?」
「うん。例えば、一年前の自分に言い聞かせたいことを考えておくとか。一年前の自分が変わろうと思えるきっかけを作り出すことが出来れば成功だよ」
「それだけでいいんですか?」
「ああ。俺は多々良さんのことをこの数日で理解したつもりだからね。多々良さんなら、きっかけがあれば、おのずと運命に抗えるって思ったんだ。だってきみは――」
「…!」
「寂しがり屋でも、芯の強い女の子だからね」
枚方のそんな言葉が信じられなかった。
小学校の通信簿にもそんなことを書かれた試しは無く、自分でもそんな風に感じたことは一度もないのだ。しかし彼は曇りも見せずにそう言い切った。
「私が、ですか?」
「ああ。神の眼に狂いはないよ。自分をもっと信じるべきだ。誰よりも知っている自分自身を信じることが出来れば、多々良さんは、いい方向に変われるはずだよ」
「…!」
遠回しに説得のアドバイスをくれたようだった。しかし一方で、いまここにいる多々良に向けて送られてきたメッセージとも考えることはできた。
多々良はその両方を感じ取った。
「ありがとう…。絶対実現させてみせます」
「その意気だよ」
「でも…」
「?」
ここでこんなことを懇願されるとは、枚方も思っていなかっただろう。
顔を赤く染めながら、多々良はこう言った。
「あの、そろそろ名前で呼んでくれませんか?」
「え…?」
翌日。
「夕凪、準備はいいかな?」
「はい」
枚方はぎこちなく呼び捨てすると、多々良の手を握った。
枚方の部屋。午前十時八分。時空移動開始。
「…ここは?」
前のように一瞬で、目的の場所へと到着したらしい。
多々良はあたりを見渡した。ここは夜空の見える屋外で、少し風が冷たく感じられた。
「ここは一年前の世界だよ。そして、あれが…」
「…!」
枚方の指差す先にあったのは多々良のマンションだ。つまり、一年前の自分が住んでいる場所ということだろう。
ここで多々良に疑問が生じた。
「達喜くん、あの…」
「?」
「いきなり自分が現れたら、ビックリするんじゃないですか?」
「そうだね。だからこそ、俺の力できみをここに存在させるんだ。まるで鏡のようにね」
「…どういうことですか?」
「大丈夫。まずはマンションへと向かおう。でも気を付けてね。顔を知ってる人物に遭遇すると、タイムパラドックスの原因になりやすいから」
「わ、わかりました」
二人は夜の公園を抜け、見えているマンションを目指した。
ちょうど十分歩くと、到着した。それからエレベーターで多々良の部屋までやってきたのだ。
「じゃあひとまずここで、どうやって信じ込ませるのか説明しておくね」
「はい」
「まず、部屋の明かりを俺が暗くする」
「え…」
「そして、彼女を眠らせるから、夕凪には彼女の夢の中に出演してもらうんだ」
「夢ですか?」
「そ。俺が見せる夢は、その人に特別な印象を与えることもできるから、説得にはこれ以上ない空間なんだ」
「で、でも、痛くありませんよね?」
「もちろん。俺に任せてよ」
「はい」
打ち合わせ終了で、多々良は深呼吸した。
そして枚方がカギを開けると、部屋の中の照明を取り去った。
同時に中から怯えた声が聴こえてくる。
「な、なに⁉」
枚方は次に、パソコンの前に座る多々良(一年前)に眠りの暗示をかける。すると面白いようにかかり、多々良(一年前)はかくんとなった。
「もう大丈夫だよ」
そう合図すると、外に待機していた多々良(現在)が恐る恐る入ってきた。
「わ…」
そして一年前の自分と対面し、驚きを隠せなかった。
「じゃあ、いくよ」
枚方は多々良(現在)の額に左手で、多々良(一年前)の額に右手で触れた。
「…!」
その瞬間に多々良(現在)の脳内に微弱な電流が流れたような感覚がして、次に目を覚まして先は、うねうねと波打つ背景の、酔いそうな滅茶苦茶な場所だった。
しかし、どこか寂しげな雰囲気があった。
そして多々良は、この夢の中の空間は居心地が良いと錯覚してしまいそうだった。
だけど、この空間の創作者に話があるのだ。
「…うん」
変な感覚の中、足を動かしてみると、普通に動いた。
そのまま進んでいき、目的の人物を探していると、布団の山を発見した。
「あそこですね」
直感でそこだとわかったのは、ここを作り出しているのが一年前の自分で、そんな自分ならこのように現実逃避を試みただろうからだ。
布団の山の根元までやってきてそれを全て剥ぎ取ると、怯えた自分がいた。
「なに? ここはなんなんですか?」
体を丸めるようにして小さくなっている。多々良はまるで小動物でも相手にするかのように静かに歩み寄った。
「ここは、あなたの夢の中ですよ」
「え…? 私?」
「そう。夢の中で出会ってる私は、いまから一年後の私」
「一年後…」
「いま、パソコンでSNSを始めるべきか悩んでいるでしょ?」
「な、なんでそれを」
「一年後の私だからです」
多々良(現在)は、多々良(一年前)の目を見てゆっくりと話を進める。
「あなたには、そんなもの必要ないんですよ」
「え…?」
「私は、もうすぐ死んでしまうかもしれないんです」
「ど、どうして」
「SNSで知り合った、偽物の友達に殺されます」
「…!」
明らかに多々良(一年前)の顔色が変わった。青ざめているのだ。
「…信じられません」
「じゃあ、あなたは何を信じてくれるんですか?」
「え?」
「なによりも近しい自分の言葉を信じないで、誰の言葉を信じるんですか? SNSで出会う人の言葉ですか?」
「そ、そんな――」
多々良(一年前)は言葉に詰まる。そして次の言葉を口に出すことはしなかった。
「自分にもっと自信をもっていいんです。そんなものに頼らなくたって、認めてくれる人は必ずいるんです」
「…じゃあ、一年後の私には、そんな人がいるんですか?」
「…います。私は偽物の友達のせいで心が折れかけていました。そして助けを求めた所が学校で、誰も心配してくれないだろうと思いつつも、勇気を振り絞って登校しました」
「…」
多々良(現在)の話に、多々良(一年前)は興味津々だった。
誰でもない未来の自分の言葉に、思うところがあったのか、予感するところがあったのか、彼女は真剣に耳を傾けた。
「初めは怖かったんです。いつものように誰にも話しかけられないのではないかと思って、でも、私の唯一の希望がそこでした。もうSNSを頼る気にもならない。私は顔の見える人たちに出会って、安心感を得たかった。最後の手段が、人だったんです」
「…? SNSで出会う人も、人ですよ?」
「そうですね。けど、その時の私には、名前も顔も知らない人が怖かったんです。普段から人と接することがあまり得意ではない私にとって、初めはいいものだと思いました。けど、ネットの中での関係というものは、直接の関係よりも恐ろしいものだったんです」
「?」
「見えることに対する安心感。知っていることに対する安心感。なによりも、会話していることを実感できる安心感。私はそんな当たり前のものの価値に、自分自身が窮地に陥ってから気づいたんです。すぐに、私にはその方が安心できるとわかりました」
「………そうなんですか。それで、認めてくれる人というのは?」
「私が登校した日に、手を差し伸べてきてくれた男の子がいたんです」
「…!」
「だから大丈夫。そんなものに頼らなくても、寂しい思いをすることはないんです」
多々良(一年前)は俯き、それから少しして顔を上げた。
「本当に?」
「ええ」
「……寂しい思いをすることが、いつかはなくなるって、信じていいの?」
「もちろんですよ。未来の自分の言葉なんですから」
「自分の…」
「…あなたは、自分を信じることから始めてください。それができれば、もう寂しい思いをすることはなくなると思いますよ」
多々良(現在)がそう言うと、多々良(一年前)は大きく頷いた。
さっきまでの迷走した顔つきではなく、はっきりと前を捉える顔つきになっている。
「…本当に未来から来たみたいですね」
「え…?」
「夢なのに不思議…」
多々良(一年前)は胸に手を当てた。
「本当に私の心の奥底が見抜かれている気がする。私もわかっていなかった強さまで…」
「…」
「決めました。利用は止めて、まずは自分自身を信じてみることにします」
「…! 約束ですよ」
「はい」
同じ顔、しかし体系が成長しているかどうかに少し差異はある。
そんな二人が小指を結んできると、まるで双子のように見えた。
次の瞬間、多々良(一年前)は気がつくと、机に突っ伏して眠っていた。
「あ…」
辺りを見回しても、未来の自分の姿はない。あるのは、目の前にぼんやりと光るパソコンだけ。
「…」
多々良(一年前)は、躊躇うことなくその画面を消し、電源を落とした。
「…これで、いいんですか?」
二人は元の部屋に戻っていた。何も変わっていない。それは枚方の力によるものでもあったのだが、どうやら無事に戻ってこれたらしい。
「よかったよ、夕凪。これで死相は消えたはずだ…」
「ほ、本当ですか! よかった~~」
「え…?」
枚方が未来を見てみると、確かに彼女の死相は消えていた。
二週間後の死相は…。
「これは…」
「え?」
二週間後の死相は消え、より強い死相が現れているのだ。
「夕凪…。落ち着いて聞いてほしい。死相が、今日になってるんだ」
「え…」
「ど、どういうことですか?」
「日時は間違いなく元の時間だけど、どうやら、願ってもいないことが起きているようなんだ」
「願ってもいないこと。ですか?」
「うん。タイムパラドックスだよ」
「…!」
枚方の警戒していた時間操作の矛盾が起こってしまったのだ。
「な、なんとかならないんですか?」
「…何とかしてみせる。けど、どうもタイムパラドックスはそれだけじゃないらしいんだ」
「…それって」
「もう一つ、俺にもどうにもできない因果関係の不一致が生じているようでね」
「……ど、どどどうしましょう!」
多々良が慌てふためくと同時に、誰もいないはずの枚方家に、第三者の足音が聞こえてきた。
「「…!」」
ミシミシと音を立てながら、確実にこの部屋目掛けて近づいてくるのだ。
「な、なに?」
「思ったよりも早かったね。夕凪、俺の後ろに隠れて」
「え…?」
「どうにかしてみせるよ」
「な、なんなんですか?」
枚方は重い口を開いた。
「実は、死相は数分後に見えているんだ。遅かれ早かれ、異常事態として降りかかってくるはずだったんだ」
「それじゃあ、まさか」
「………相手の思考を読み取ってみたところ、どうやら殺人相手はただの強盗にすり替わっているらしい」
「…!」
恐怖で膝を震わせ、多々良は枚方にしがみつくように立っていた。
そして―――
ドン!
「…っ!」
大きな音は部屋の扉が開け放たれた音だった。あまりの騒音に、多々良は思わず目を瞑ってしまう。
「…死ね」
「どうやら、時間操作の影響を完全に受けている御様子だね。目的もなく、こちらを排除しようとしている」
「ど、どうしましょう…!」
強盗の持っている大きな包丁が、こちらに襲いかかろうと振り上げられた。
「きゃあっ!」
多々良が小さな悲鳴を上げると同時に、枚方は神の力を発動させた。
ブシュッ!
「…!」
「悪いけど、神には逆らわない方が身のためだ」
「え…?」
多々良が恐る恐る目を開いてみると、そこには肩に包丁が刺さった枚方の姿があった。
「あ、あああ…」
わなわなと震えあがり、多々良は尻餅をついた。
「た、達喜くん…。そんな、私のせいで…」
震えた声をあげ、多々良は両手で目を塞いだ。涙がとめどなく出てきている。
そんな彼女の肩に、いつものように暖かい手が乗せられていた。
「え…?」
見上げると、血にまみれた枚方の姿があったが、彼は微笑んでいる。
「大丈夫だよ。俺は死なない」
「で、でも傷が…」
「これは仕方がないんだ。でも、大丈夫。見てごらん」
「…?」
意味が分からず、彼の指差す方向を見た。すると、強盗の姿はもうない。
「も、もしかして、消しちゃったの?」
「それも違うかな。あるべき未来を変えたことによって、さっきみたいなタイムパラドックスが起こった。けど、その誤差はもうないんだよ」
「どういうことですか? 達喜くんにも、大きなタイムパラドックスはどうにもならないんじゃないんですか?」
「うん。だから、俺が刺されることにしたんだ」
「え?」
枚方は懇切丁寧に説明口調で話を続ける。
「つまり、実はさっきまで夕凪が刺されるっていう、新しい未来だったんだけど、俺が刺される未来に変えることで帳消しにしたんだ。簡単に言えば、力を使って未来を少しだけ変えたってこと」
「え…? そんなことできるんですか?」
「ああ」
「じゃ、じゃあ、なんで私の未来は――」
枚方は多々良の頭に手を置いた。
「俺は、人の未来はその人自身の手で変えるべきものだって思っているんだ。その手助けをするのが俺の役目だよ。それでも上手くいかないなら、いまみたいに力を使って強制的にでも変えてみせる」
「…で、でも、どうしてわざわざ自分が刺される未来にしたんですか?」
「起きうる事象そのものを変えることは難しいんだよ。けど、本人の意思が介入すれば、俺には絶対に出来ないことを可能にする。今回、夕凪の二週間後に殺されてしまう未来を変えることが成功したようにね。しかしそれが、いまのようなタイムパラドックスを引き起こしてしまった。つまり、起きるべくして起こるはずの事象が、タイムパラドックスの影響で今日にずれたんだ」
「…私の、説得不足ですか?」
「いやいや。十分な成果だよ。その結果、未来は変わった。運命もね」
そんな説明でも、多々良は理解に苦しんだ。それを見て枚方は追加で説明する。
「ちなみに、俺が刺される未来じゃなかったら、無関係の人が同じようなことになってしまっていたかもしれないんだよ」
「…!」
そう言って、枚方は自分の肩に触れた。
「でも俺なら、そんな運命に一人で抗える――」
「…すごい」
一瞬で傷が完治した。包丁が刺さった肌とは思えない程に。
「ね。だから安心して。もちろん、これは夕凪で初めてなんだけど」
「え?」
「いままでの人たちは、基本的に過去にワープしなくてもどうにかなるから、タイムパラドックスなんて起きないんだよ」
「…じゃあ、私は何で」
「………簡単だよ。俺、SNSってよくわからないから、こっちじゃ協力できそうもなかったんだ」
「………そう、だったんですか」
若干、微妙な空気になってしまった。
「か、神様の力を授かってるからといって、なんにでも協力できるわけじゃないんだ。それが知りもしないことなら、俺は尚更どうしていいかわからなかった。だから、夕凪が過去に行って、自分を説得する方法がベストだと思ったんだよ」
「…達喜くん。内容が滅茶苦茶ですよ」
「……動揺した。ごめん。まあ、簡単に言えば一件落着ってことだよ。もう安心して幸せな運命を歩んでいいんだ。俺も、タイムパラドックスを連発して、途中で意味が分からなくなってきた」
「…あの」
「え?」
まさかここで、またしてもこんなことを懇願されるとは思いもしなかった。
「これからも、友達ですよね?」
「…ああ、もちろんだよ」
「………! やった!」
こうして、また一人が救われた。
それから、二人は友達として、学校生活を楽しむことになった。多々良はもう自宅に戻っている。SNSは、最初から使っていないことになっていた。一年前の彼女は、自分を信じたようだ。
しかし、タイムパラドックスはもう一つあった。
それは、多々良が、二か月間不登校になってまでバイトで貯めていた貯金。それは全てなくなっていた。利用しないで友達を作らなかったことにより、事件に巻き込まれないで、バイトする必要もなかったのだ。
しかし、多々良は悔やんでいない。そんな日々があってここに自分がいると実感している。
いまは、わずかばかりの幸せを、歩み始めたばかりなのだ…。
その人、神に愛されています。