それが、空虚な妄想だとしても。
「もうやめてくれ。」
男は言った。
「ダメよ。」
女は猫撫で声で笑った。顔には笑顔が浮かんでいるが、女の目は蔑んでいるように見えた。
「確かに俺は、裏切ったよ。でもなぁ!もう死んだ。俺は、もう死んだんだぞ!」
そう、男は既に死んでいる。ここは、死と生の中間なのだ。しかし、男はここから二度と出られないだろう。
「なぁ、出してくれよ。天国に行かせてくれよ。」
「あなたが。」
女は鼻で笑う。
「裏切り者が行けると思うの?まぁ、心から謝ったら行かせてあげようかしら。」
女は先ほどより優しく言った。
「本当か?」
「嘘よ。」
絶望した顔を見せた男をついに声をたてて笑った。
天国など、無いのだ。所詮天国や地獄は人間が作り出したもの。ではここは何なのか?
それは、女のみぞ知ることである。
「あなた、たくさんの人を殺したでしょう?」
「お、俺は、こ、こ、殺してなんか・・・。」
怯えた男をみて、また女は笑う。
「社会的にね。」
「で、でも、俺はたくさんの人を救っただろう?」
「いいえ、救っていません。」
女はわざとらしく笑った。
「歌で・・・歌で救っただろう?俺が死んだ時のあの日本中のファンの顔を見なかったのか!絶望していただろう?葬式だってたくさんの人が来たし、俺が死んだおかげでまたCDが売れたんだぜ?だから、いいだろう?悪いことした分、いいこともしたんだよ!」
彼は、トップアーティストだった。彼の歌は日本人の大半の心を揺るがし、彼の作る曲は必ず売れた。彼は愛されていたのだ。彼の言うとおり、彼が死んだ時、『あなたの歌に救われました』『あなたがいなくなって寂しい』そんな空気が日本全体を包んだ。彼を気が狂うほど、愛し、尊敬していた。そして、『このままではいけない』そう思うようになった。
彼が亡くなってから一か月後、彼の歌を聞こう。彼の肉体は消えても、歌は残る。そう考える人が多くなった。
言うまでもなく、CDはさらに売れた。
しかし、ある数人の者は言った。
「あれは、彼の歌ではない。」
と。
その人たちはたちまち民衆から攻撃を受けた。
レコード会社の人達だった。
「嘘な訳無いだろう!彼は歌で何千万人を救ってきたと思っているんだ!」
「そうよ!じゃあ誰が作ったって言うの!彼が歌を作っている映像だって残っているのよ!」
彼らは反論した。しかし日本で、世界で活躍してトップアーティストの威力は強かった。
彼らの仕事はどんどん減り、音楽を辞めざるを得なかった。
「あんた、死んでからも人を苦しめたのね。」
女は無邪気に笑う。
「だから!俺は苦しめた分救ったんだ!」
男は叫び悲痛な顔を浮かべた。
しかし、男は間違っている。彼は誰も救ってなどいない。
「まぁ、これで、私のもとに全部返ってくるからいいわ。あんたは永久にこの部屋にいるのよ。じゃあね。」
女は手を振った。
「おい!待てよ!待ってくれ!悪かった!俺が悪かったよ。」
「もう、遅いよ。私もあなたも、もう死んでるんだから。」
女はまるで自分の子供を抱きかかえるように奪われた歌を抱きしめ、男のもとから去って行った。
それが、空虚な妄想だとしても。
ありがとうございました。