あの娘は死んだ
もう二度と戻ってこない
中学の頃の親友をSNSで見つけた。あんなに仲がよかったのに、私は県外の大学に行き、あの子は高校を出た後すぐに就職してしまったから、会うのは高校ぶりだった。高校もそれぞれ違ったから、一年生の頃に一度遊んだきり。それをさみしいと思ったのも事実だし、しょうがないと思ったのも事実だった。時間は環境をかえてしまう。だからしょうがないのだと言い聞かせてもやはりどこかで彼女に会いたいと思う自分がいた。
だから、久しぶりに「会おう」とだけメッセージが来たときは本当に嬉しかった。柄にもなくお洒落に気を使った。「まるでデートみたいね」と母に揶揄された。それぐらい気が高ぶっていたのだ。なにせ記憶の中の彼女は美人で気が利いてお洒落で、自慢の友達だったから。
彼女は一人暮らしをしていた。待ち合わせの時間ちょうどに着きそうな旨を連絡すると、「もうちょっと待って」という返信が続き、結局彼女の家に私が向かったのは一時間ほどたってからだった。
呼び鈴を鳴らすと暫く沈黙が続いたあと、無言でガチャリ、と鍵が開いた音がした。一応ことわりを入れて扉を開けると、埃と煙草とそれをかき消すような強烈なお香の匂いがした。
「久しぶり」
そういった彼女は、煙草をくゆらせながらぼんやりとした目でこちらを見た。ぼんやりとしているんだけどおびえているような、捨てられた猫みたいな目。
「これ、お土産」
そういって新しくできたケーキ屋さんのケーキを渡すと、彼女はありがとう、うれしいと早口でまくし立ててすぐにケーキを箱ごと冷蔵庫にしまった。アリガトウウレシイ。ひどく無機質だった。ちらっと見えた冷蔵庫の中にはお酒と飲み物しか入っていなかった。
「最近どうしてる」
平静を装って何気なくそう尋ねてみる。
「どうもなにも、なにも変わらないよ」
変わったところなんて一つもないよ。そう彼女は煙草を吸いながら答える。ワンルームの部屋。流しは綺麗だけど、使っていないようにも見えた。
「そうか」
そうか、としか言えなかった。いくら彼女の自慢の長い髪が、ベリーショートのぼさぼさの金髪になっていても、ピアスが至る所にたくさんあいていても、化粧が濃くなってつけまつげがはがれおちそうになっていても、彼女がそう言うなら、それ以上、私には聞けなかった。
「サチはなんだか綺麗になったね」
そういって彼女は笑う。笑ったけど、うまくいかないのか頬のあたりが痙攣している。小刻みに、ぴくぴくと。私はそれに気づかないふりをした。部屋のすみに煙草のカートンがみっつ、転がっている。
「わたしね、なんだか最近調子がわるくて」
そういう彼女は昔に比べてひどく痩せた。もともと太いほうではなかったのに、筋と骨ばかりが目立つ。
「でもね、仕事はつづけているの。えらいでしょう」
彼女の後ろの棚には処方薬が山のように積まれている。
「ほんとうはやめようとおもったんだけど」
やめて
「でもそうしたらいきていけないし」
やめて
「パパとママも離婚しちゃったし」
やめて
「もうね」
もう、やめて。
ずっと彼女は自分の話をえんえんとし続けた。ときどき話が飛躍したり、口調が変わったりした。私はずっと彼女の話を聞いていた。夕方になると彼女はしきりに私の帰りを心配しだした。夜道は危ないとかこの辺は不審者が出るとか。私はそれに乗ってそのまま帰宅した。別れを告げ扉を閉めると、その後ろで嗚咽をもらすようなすごい泣き声と、皿を割るような音がなんどもした。今頃彼女はきちんと自分が私の前で振る舞えなかったことを後悔しているのだろう。きっと物をたくさん壊して、ケーキは食べても吐いちゃうんだろうな。泣きながら、食べたくないのに「サチが買ってきてくれたから」そう言って食べて、全部吐いちゃうんだろうな。彼女の手は怪我だらけだったし、吐きダコができていた。処方薬の種類を見るに、彼女はいろいろなところが壊れていた。ずっと無理をしていたのだろう。ゴミ箱に捨てられた家族の写真、昔のアルバム。
たったひとりの親友も救えなくてなんで私は精神科医なんてやっているのだろう。なんでもっと早く気づいてあげなかったんだろう、なんで「遊びにいこう」って誘ってくれた彼女を「最近いそがしいから」なんて断ってしまったんだろう。勉強なんて後でもいくらでもできた。彼女の心はその間にもどんどん壊れて取り返しのつかないことになってしまっていた。
ひどく陰鬱な気持ちで帰りの電車に乗っていると、メッセージがきた。彼女からだった。アイコンは彼女の高校時代の写真で、明るく、綺麗な顔で笑っていた。
「あそんでくれて、あってくれてありがとう。ケーキおいしかった」
その瞬間私は一気に感情がこみあげてきて、電車のなかで人目もはばからず泣き崩れてしまった。
あの娘は死んだ
ちょっと暗くしすぎたと今では反省している。後悔は全くしていない。