公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(12)
十二 仕訳された公衆トイレ
「もういらないんじゃないですか」
委員からの厳しい言葉が叩きつけられた。
「私どもといたしましても、必要性や費用対効果などを、再度、調査いたしまして、施設の廃止等について、検討してまいりたいと思います」
慎重かつ遠回しな言い方で役所側が答える。
「何も、全ての公衆便所を廃止・撤去しろと言っているわけでないですよ。あの駅前の、バスターミナルにあるトイレについて言っているんですよ。駅の中には、トイレはあるし、デパートが開いていたら、デパートにだってトイレはあるし、商店街にも、公衆トイレはあるじゃないですか」
「デパートのトイレは、民間の管理所有でして、私どもが、利用を促すと言う訳にはいきません」
「だって、中途半端じゃないですか。あのトイレは、男女共有だし、今頃、男女の共有の施設なんて、セクハラそのものじゃないですか」
「場所等の関係もありまして、増設は困難かと存じております」
「誰も増設なんて言っていません。無駄です。さっさと廃止にしなさい」
委員長が取りなす。
「まあ、まあ。そう感情的にならなくても。役所の人も汗をかいているじゃないですか」
説明していた公衆トイレ担当の課長が、ポケットからハンカチを取り出している。
「無駄を排除するのが事業仕訳の真骨頂です。このトイレの維持管理費は、私たちの税金で賄われているわけです。必要がないものは削除する。そして、必要な所にお金を回す。回すところがなければ、税金を下げる。それが私たちの使命です。役所に限らず、どんな組織でも、一度、始めてしまうと、それが当然と思ってしまって、自分たちで見直すことはできないんです。だから、私が、私たち委員が代わりに見直しをしてあげているんです」
憤然とする委員。俯く役所側。列席者の顔を見回す委員長。
「まあ、あなたの意見も十分わかりました。他に意見はありませんか。特に、この地元で住んでいる市民の代表の方からも意見をいただきたいですね。乙さんは生まれてからこれまで、この街に住んでいるそうですね。何か御意見はないですか」
「はい。確かに、市内各地に、公衆トイレがあることは知っていましたが、駅前のバスターミナルに、トイレがあることは知りませんでした」
「丙さんはどうですか?」
「私は、バスターミナルのトイレについては知っていましたが、使用したことはありません。でも、信号待ちで、急にトイレに行きたくなった人が入るのを見掛けたことはありますね。あれば、ありがたいんでしょう」
「あればあるのは、何でもありがたいです。例えば、道路の十メートルおきに、公衆トイレがあれば、ありがたいですよ」
先ほどの廃止強硬論者が委員長の許可も得ずに、しゃべりだす。
「そんな極端な」
丙委員が呟く。
「極端な例をあげないと、役所の人たちは、わからないんです。市民の方も同じですけれどね」
強硬委員の声が激高しだす。
「ありがとうございました。皆さんの意見はわかりました」
委員長がその場をおさめた。
「時間もまいっているようですので、採決したいと思います。この公衆トイレ事業については、継続か、廃止か、見直しかの三点です。挙手でお願いします。それでは、継続の意見に賛成の方。誰もいませんね。次に、廃止の方?」
先程の強硬廃止論者の委員だけ手を挙げる。右手だけでなく、左手も挙げる。だが、二票は獲得できない。
「一人ですね。最後に、見直しの方は?。七人ですか。はい。わかりました。それでは、公衆トイレ事業については、見直しということでお願いします」
「委員長」
廃止に賛成した委員が降ろした手を挙げた。
「はい。どうそ」
「多数決には従い、見直しには同意しますが、あの公衆トイレについてだけは、廃止だと条件をつけてください」
委員長が各委員の顔を見回す。各委員も、これ以上論議しても時間の無駄だと、仕方がなさそうに、頷く。
「それじゃあ、公衆トイレ事業は見直しで、かつ、駅前のトイレについては廃止ということで、決定したいと思います。以上をもちまして、公衆トイレ事業の事業仕訳を終わります。皆さん、長時間にわたり、活発な議論を尽くしていただき、ありがとうございました」
全員が席を立つ。強硬廃止の委員は、自分の意見が通ったことで笑みを浮かべている。他の委員はようやく終わったことでほっとした顔だ。行政側は無表情のまま、何かひそひそと打ち合わせしていた。
しばらくして、あの駅前のトイレの前には、「この公衆トイレは、三月三十一日をもって、閉鎖、撤去します」という張り紙が貼られた。
公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(12)