魔法の十本指

魔法の十本指

ガッタンゴットン、ガッタンゴットン、ギー、ギー、チュイーン、チュイーン
工場内に工作機械の動作音がこだまする。

 ここは、小さな島国の小さな都市のそのまた小さな町工場、おっとこれを読んでいる君、この工場を侮ってはいけない、この小さな町工場はある部品で世界シェアの8割を生産している。
そう、その部品はジュラルミンを加工したものだ。

その小さな町工場に魔法の十本指を持つといわれる、凄腕の男がいた。

その男はミクロンオーダー(千分の一ミリ)単位以上の加工技術を長年の経験と勘で獲得した。
男はその小さな町工場だけではなく、同じ加工技術を持つ人間たちから尊敬の念を持って迎えられていた。

 ある年の四月、新入社員がその工場に入社した。その新入社員は魔法の十本指を持つ男にあこがれて、この業界に入りこんだ。
新入社員は、その男に追いつくことを目標に必死で働いた。

一年がたった。

入社員は自分に出来ないことの多さに落胆し、自分の不甲斐なさに嘆いた。
俺には才能が無いのではないかと、自問自答した。

二年がたった。

新入社員は自分の欠点を素直に認め、それを改善する努力を試みた。新入社員は気が付かなかったが、一歩、また一歩と進んでいた。

五年がたった。

もはや、新入社員ではなく、社員になった男に部下が出来た。その社員は悩んだ。
次の新入社員に何をどう教えるべきか、それにまして、まだ自分は十本の魔法の指を持つ男の足元にも立てていないことを。社員は悩みに悩んだ末、限界を感じ、魔法の十本指を持つ男に教えを請うとした。

私は、あなたの持つ技術の一割も獲得していない、それなのに部下にいったい何を教えればいいのでしょうか?と

自身を失いかけていた社員に男は静かに話した。

お前は、俺のあだ名を知っているかい?
社員は答えた。はい、魔法の十本指を持つ男と。

昼飯を一緒に食わないか?とその男は社員に向かって言った。
そして、昼飯の時間が来て、その男は弁当を広げた。

それを見た社員は、愛妻弁当ですか?いいですね。社員は言った。

男はこう答えた。ああ、見ろよこのウサギのリンゴやたこさんウィンナーを。
男はつづけた。俺は魔法の十本指を持つ男などと言われているが、俺が思うには、うちのカミさんの方がよっぽどその名にふさわしいと思っている。俺には出来ない芸当だからな。男は更に続けた、見ろよこのツヤの有る米を、丁寧に洗わなければ出ないツヤだ。俺は一人ではない、誰かに支えられて生きているんだ。だから、ここまでやってこれた。お前も教えてやる立場ではなく、教えられる立場として部下を指導してみろ。

そして、男は妻の作った弁当をゆっくりと堪能した。

社員は、かつて新入社員だった頃のメモ帳を引っ張り出してきた。そこには、もはやすっかり忘れていた、自分がいかに才能が無いかをつらつらと書き連ねたメモが出てきた。

あいつらも同じ事を考えているかもなぁ

社員の迷いや悩みが吹き飛んだ瞬間だった。

三十年が経った。

社員はその業界では魔法の十本指を持つ男として知れ渡っていた。
ある日のこと、新入社員が昼飯の時間になると、男に近寄り、尋ねた。
愛妻弁当ですか?いいですね。ところで相談があるのですが・・・
男は静かに語り、妻の作った弁当をゆっくりと堪能したのだった。

魔法の十本指

魔法の十本指

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted