神経症、洋館で戦う

神経症、洋館で戦う

黄昏時 バスは山奥の洋館へ、ツアー参加者老若男女20名ほどを運ぶ。

一人参加鉄則のバスの中は、1泊2日という短時間に、見ず知らずの人の助けが必要になるとは思えず、誰も仲間になる必要性を感じていないようで、それぞれに何か深く思う所に潜り込んでいた。

《文明から離れた生活をしよう》

これがツアーのコンセプト。申込書には、携帯を持って来てはいけないことと注意書きがあった程度で、あとは緊急時連絡先(いない方は空欄)、なんちゃらかんちゃら責任は問いませんという長文に判子を押すだけ。とにかく最近流行の自己責任なので、内容にいちいち質問する人もいない。

僕は狭い空間が苦手だった。『何かあったらどうしよう』と、心のどこかでいつも心配しているのが〈何か〉だ。だから、トンネルも、エレベーターも、ましてやサウナなんか、これこそ何かあったらどうしようだ。その割には、刹那的で、こうして自虐的なツアーに参加し、自分を粗末にする。

誰よりも自分がかわいく、誰よりも自分が嫌い。結局どうしたいんだろう。

「参加者が多くて選考になりました。」

という当選の電話が来た時は気付かなかったけど、バスの中を見る限り、なんとなく選考基準がわかった気がする。

多分、緊急時連絡先を〈空欄〉にした人、だろうと思う。

黄昏時の薄暗い光の中でも、リビングやキッチンの電気を付けない種類の人々だと思う。

部屋に明かりが灯る家と、灯らない家を二分する黄昏時に、薄明かりが窓から漏れる山奥の洋館に到着するのが、かなりお見事な設定だ。これは物悲しい。

とうとうお喋りというものが発生しないまま、バスは到着し、参加者が洋館に入って行く。

赤い絨毯が階段まで綺麗に貼られていて、光沢のある深い茶色の木の手すり、広過ぎる一戸建て。ビルと言ってもいいくらい高く、何階まであるのか…1人1部屋は充分に取れると思われる。

あとは自由行動なのか、家主に任せてあるのか、ツアーガイドとバスは町へ帰って行った。

個室に待たされている20名ほどの参加者。

家主と思われる小太りの中年女性が、作り笑いをたたえて部屋に入って来た。背はとても低く、髪は黒いおかっぱで毛質はゴワゴワしている。サイドの髪は両側とも左の方向に流れていた。身なりには気を使わない人だという事が一目で分かる。

体が不自由なのだろうか、どことなく動きがぎこちない。患部をかばって歩いているというより、全体的にCGのような動きをする。

窓から入る今日最後のわずかな光と、間接照明の薄暗い廊下。家主の誘導で、参加者はぞろぞろと付いて行く。階段を何階分も上って、長い廊下を歩き、先ほどより少し大きめの部屋に通された。

そこで、家主は、初見の時の笑顔をたたえたまま、参加者の中から1人、20代くらいの女性の両肩をつかみ、首にかぶりつきだした。開けた口はスイカが頬張れるほど大きかった。

僕は少し後ろの方だったので何が起こってるのかいまいちわからない。

前の方の人でも、いまいちわかっていない様で、犠牲になった女性も一瞬暴れたようだけど、一口が大きく、ほぼ即死だったのだろう、後はぐったりとした体を、顔の比率より大きな口を開いて、凄い早さで食べて行く。

ゾワッとするような、不可解な危機を鱗で共有したような空気になった。

最初に走って部屋を出たのは若いスポーツマン風の男性だった。

小魚の群れはそのスポーツマン風の男性に合わせて一個体となって部屋から走り出て行く。

季節は秋。

さっきまでうっすら青ぐらい光があったのに、窓の外は真っ暗になっていた。


夜だ。


山の中に光は無い。

洋館の中にあるかろうじて光る程度の間接照明を頼りに、スポーツマンは逃げる。階段はほぼジャンプで跳び降りて行く。

「こっちだ!」

スポーツマンは逃げながらも声を上げる。

僕も30代ではあるけど、いざとなればそれくらいの運動能力は出せる。

照明が消えている階があり、そこが意外と長い。真っ暗の中、さすがにジャンプで階段を跳び降りる事はできず、手すりに捕まって暗中模索で降りて行く。運動能力、男女差、年齢差で間延びした一個体は、ここでまた一塊になる。

気味が悪い。

さっきあんな事があった後の真っ暗闇は、きっと〈何か〉が起こる。

皆、足を踏み外さない事に集中する暗闇、僕だけが、足下以外の暗闇を、張りつめた神経でギョロギョロと見回す。

目が慣れて来ると、手すりにしがみつきながら歩く一個体とは別の動きをする目が見えた。わずかな月明かりの当たるシルエットから、12、3歳ほどの少年であることがわかる。

このツアーの参加者に少年なんかいなかった。どんなに人に興味が無くとも、子どもがいたかどうかくらいは覚えていられる。

「踊り場の角に人がいる!参加者じゃない!」

僕はリーダーに報告する。

スポーツマンは、リーダーなのだと、小魚はみんな鱗で知っていた。

リーダーも、それを聞いた小魚達もそれを知った所で何もできない。ただただ、無差別に手を伸ばして来る家の者から、自分が選ばれないよう祈りながら逃げるだけだ。

道が続く限りひたすらリーダーに付いて逃げて行く。

1人か2人、さっきの少年に食べられて消えたようだ。

どこに逃げるのか。

出口しかない。

とにかく進まなきゃ。

薄暗い間接照明しかない廊下と階段を逃げる中、とりわけ明るい光を漏らす扉を廊下の右手に見た。

僕はどうしても中が見たくなってしまった。

扉が少し開いていて、明るいならば、きっとそこは安心できる空間がある。と、思ったのかもしれない。

出口は知ってる。この廊下をまっすぐ行けばいい。追いかけられている訳ではなく、ランダムなのだから、最後尾になったからと言ってターゲットになるわけじゃない。

流れからそれて、ドアを開け、部屋の中を見渡してみた。

作業場?農機具のような物がいろいろ置いてある。

誰もいなかった。

皮のカバーが付いた、包丁よりちょっと大きめのナタが立てかけてあった。ホームセンターのDIYコーナーに売っているような普通のナタで、別にとりわけ鬼婆が持つような奇妙さは無い。

それを取って、背中側のズボンのベルトに挟み込み(動く時に一番邪魔にならない)、上からTシャツを被せて見えないようにした。
ローライズを履いていなくて良かった。ピチピチのTシャツを着ていなくて良かった。

悲観的な僕は、このまま真っすぐ逃げられる気がしなかった。逃げられなくて当たり前だと思っていた。ただ、波から外れたくなかった。

マラソンコースのように間延びした参加者がまだチラホラ走っている列に戻り、エントランスに出る。

みんな意外と静かにそこにたむろしているのは、どうやら一通り脱出する為に足掻いた後だったからのようだ。成人男性という最強の者が集って、何をしても出入り口の扉は開かなかったらしい。

でも、とにかく今、そこにこの家の者はいない。

ゾンビの様にちょっとかじっては次、と言う風に非効率的な食事の仕方はしないようだ。

だけど、あれはゾンビだ。

動きも変だったし、人を食べる。でも、僕の知ってるゾンビと違うのは、彼らは脳が機能する。そして、残さず食べるから、増殖する訳じゃない。

新手のウイルスか、宇宙人かわからないけど、新種のゾンビだととりあえず認知した方が安心する。
多分参加者も、そこら辺の何かだと決めつけただろう。
ここで「あれは何だ?!」と言い合っても、我々の知識の中に答えは無いのだから仕方が無い事くらいわかってる。

運命を受け入れて、その中で生き延びれたら生き延びる。

このツアーの参加者の背景には、絶望に慣れた様子が伺える。

ただ…
怖いものは怖い。

家主の1人であろう50代くらいのおじさんが、やはり穏やかな表情でやって来た。

「寝室にご案内しましょう」

食べる気は無いのか?
惨事はもうこれで終わりなのか?

眠って、朝が来たら解放されるのか?

わからない。

わからないけど、他に取るべき方向性が見つからない。

自分たちの行動がおかしい事はわかっていながら、参加者はゾロゾロと家主のおじさんの後を付いて行く。

何故戦わないのか?という疑問なら、そうだね…。相手が機関銃を一つ持ってるのと同じ状況だと思ってもらったらわかるかな。

実際手には何も持っていないから、奇妙な行動に思えるだけだ。

ここがゲームの中なら、僕らはみんな銃を持っているはずなんだけど、ここは日本だから誰も銃は持っていない。素手でゾンビと戦える格闘家も、20人に1人の割合でいるわけじゃない。ここが香港だったら、1人ぐらい強いのがいたかもしれない。

案内された部屋は、カプセルホテルのようなものがずらりと並ぶ個室だった。
これだけ沢山の部屋があるのに、何故こんな1人1畳ほどの個室に入れられなければならない?

心臓がバクバクした。一度閉めて、扉が開かなくなったらどうする?

〈何か〉あったらどうする?!

人々が、ゾロゾロとカプセルホテルのような物の中に入って行く。

《入る》

という小魚の波が発生すると、止めども無く入って行く。

狭い所が苦手な僕が、だれともなく捕まえて呼びかける。

「こんな所で寝るんですか?!」

「そもそも眠れるんですか?!」

「寝て大丈夫なんですか!!」

肩をつかみ、体を揺らし、何人に当たっても、波は止まらない。

その波が起こって当たり前だという計算でもあるのか、家主のおじさんはまるで『あとは羊が勝手に檻に帰るだろう』というように、余裕でその場からいなくなった。

人々はとにかく安心したい。僕はそれを邪魔するだけの厄介者だ。

僕はこんな狭い所になんか入れない…

1人だけ眠れずに、人に迷惑をかけている僕が頭のおかしい者になっている。

これがただのお泊まり会であれば、たしかに迷惑な奴だ。眠れないからと言って、人を巻き込んではいけない。僕だって、ただの不眠ならいつも通り静かにやり過ごす。誰にも迷惑をかけずに。

カプセルに入ると、人々は素直に眠りについた。

何事も無かったかの様に過ごしたいのか、それともそれ以外に何も思いつかず逃避をしたいのか、それとも何か特別な装置で強制的に眠りにつくようになっているのか、それともどんな状況でも人は休息をとれるのか…

僕は眠りから取り残されて、孤独になった。もちろんカプセルには入っていない。すぐには気付かれないような、家具の死角に小さくうずくまっていた。

しばらくすると家のおじさんが戻って来た。カプセルから1人出して食べた。

どんな人が食べられたのかはわからないけど、咬まれる直前に、眠りから覚めて暴れたおかげで、カプセルの中の人達が目を覚ました。

予想通り、中からは扉は開かないようだ…

もし家主が自己判断に任せず、無理矢理僕をカプセルに押し込んでいたらと思うと、出られなくなるという事に、個人的には一番恐怖を感じた。

カプセルの中の参加者が何か叫びながらドンドンとカプセルを叩く。音はほとんど聞こえない。
あれが自分だったらと思うと、手に汗をかいて、鼓動が強くなった。肩の筋肉が萎縮して、呼吸が乱れた。

家主のおじさんは食事を終えて、去って行った。

僕は持っていたナタの、刃とは逆の方でカプセルを割って行った。
参加者達は出たがっている。
今度は迷惑な奴ではないはずだ。
今の所、寝たいから放っといてくれというリアクションの人はいない。

脱出した者からまた、空きもしない屋敷の出口に向かって逃げ出す。多分、その方角に進めば安心するからだろう。


エントランスに集合した参加者達は、暗闇の中、2度目の絶望を味わってたむろっている。

家主のおじさんが来て、僕たちを見ながら呆れている。

もがけばもがくほど、ただ檻にぶつかって怪我をするだけだ、ということを、いつまでも学習しない動物を見るような目つきでため息をつく。

見ようによっては慈悲深い表情にも見える。

家主のおじさんは、理知的に話をはじめる。

「あなた方に選択肢を与えよう。」

そう言って、私たちをまた別の部屋に誘導した。

その部屋は今までとは違って、少し明るい照明があり、家具も暖かみを感じるものだった。

椅子が人数分適当な配置で置かれ、そこに各々腰を下ろして行った。

全員が席に付くと、家主のおじさんが部屋の中央に立ち、部屋に散り散りに座っていた参加者の目が、中央に集る。

「あなた方に、選択肢を与えます。私たちに食されるか、私たちと同じ生き物になって、家族となり、家族の繁栄の為に働き、更なる餌を運んで来るかです。」

そういうと、家主のおばさんがキャスター付きの台を押して入って来た。上には、白いパンのような物が山盛りになっている。

暗闇にいたであろう少年が、その形の揃わない不格好なパンを、配り始める。全員に行き渡ったのを確認し、家主のおじさんは話を続ける。

「それを食べれば私たち側の人間になれます。」

参加者はしばらくパンを手に、じっとしていた。

選択の時間は長くはない。恐怖の時間を終わらせたい。


最初にパンを食べたのは、リーダーのスポーツマンだった。

小魚達は遅れを取るまいと、でもゆっくりと、そのパンを口に運んだ。1人、また1人。
後になればなるほど焦燥感は増す。どのみち絶望しか待っていない。

僕は疲れていた。…いろいろ。

もう、こんな恐怖には絶えられない。

残念な僕に与えられた数少ない選択肢から、とにかく1人で恐怖を味合うのだけは嫌だと、白いパンにかぶりついた。最初の一口までは覚えている。まだ蒸しきれて無く、粉が残ったマントウのような味だった。

目が覚めると、参加者が部屋からゾロゾロと部屋から出て行く所だった。全員、動きがCGのようになっている。ゾンビ撃退ゲームのゾンビ側ではなくて、ゾンビを退治する人間側の動きだ。人の様で人で非ず、と言った感じの、微妙に奇妙な動きになってどこかへ向かっている。

『さて、僕も行くとしましょうか。』

仰向けに倒れていた僕は、体を起こした。

おかしい。

動きが、人間のままだ。

側にさっきの白いパンが転がっていた。一口かじった跡がある。あまりの恐怖に意識が飛んでしまったのだろう。情けない。他の参加者は着々と現実を受け入れて前に進んでいると言うのに!

みんなどこに行くのだろう。遅れたくない。

僕は偽物のゾンビとなって、慌てて列に加わる。動きを真似するのが難しい。いっそゲームのゾンビ側ならやりやすいのに。人間側だから、人とCGの微妙な違いを見抜く事はできても、それと同じ動きをするのは実に難しい。

ゾンビの中でも、相変わらず僕1人だけ生き辛さや違和感を感じるなんて…。

ばれませんように。僕1人だけが違う事がばれませんように。

とうとう周りは全部あちら側の人になってしまった。

かなりの至近距離に、かなりの数のゾンビがいる。

ばれませんように。

僕もゾンビになりたかった。今頃安心して列に加わっていたかった。

ずっと階段を下りている。窓の外は薄暗い青さを取り戻していた。

夜明けだ。

昨日、この洋館に到着した時と同じような空の色。でも、昨日と違うのは、空はこれからもっと明るくなるということ。

一体どこに向かっているんだろう?

2階の踊り場から、窓の外の様子が見えた。屋敷の扉が開いている?そこからゾロゾロとゾンビになった参加者達が出て行く。

『開いてる!』

いつまで?今にも閉まってしまったらどうしよう?

僕は更なる選択肢があることで冷静さを失って行く。

今走ったらゾンビになっていない事がばれてしまう。でも、あの扉は、僕がちんたら歩いてたどり着くまで開いていてくれるのだろうか?もし、閉まったら?

そう思うと怖かった。

走ってしまった。

一塊であったはずの小魚は、自分たちとは違うものを許さない。ただでさえ近くにいるゾンビ達の横を、ほぼ飛び降りるようにすり抜けて行った。

こんな恐怖はもう嫌だ。夢なら覚めて欲しい。
これも希望の一つだったけど、覚めない。

1人だけ人間の僕は、走るのが速かった。確かに家主達が走っている姿は見ていない。走れば逃げ切れる!

すぐ側をゾンビに囲まれた中、扉の外へ出た。

冷たくて、湿度を含んだ、今日のはじまりの空気。希望のような気がした。昨日までは、絶望の時間帯だった。走ったおかげで洋館からかなり離れた入口の門まで、だんとつ1位でたどり着いた。

道が二手に別れている。

左が少し大きな通り。二車線あり、歩道も付いている。
右は、軽トラックが一台通れるほどの、ヒビだらけの道。

左の道の歩道に、遠くではあるが人が歩いているのが見える!しかも、お巡りさん?!
大嫌いだった警官の姿が神様の様に見える。

まっすぐお巡りさんの方に走りだして、少し進んでから急停止した。

動きが…変だ…。

遠くからでもわかる。僕の目は騙せない。小さな違いだけど、人間の動きじゃない。

引き返して、右の小道に逃げる。その間にもゾンビになった参加者達が着々と近付いているというのに、ロスをした!

でも、走っている限り、追いつきはされない。

空はさっきよりもっと明るくなっている。生物の鳴き声も聞こえる。

『どこか人間がいる所に繋がっていてくれ!小さな街でもいい、集落でもいい。だれか他に人間が生活している場所に繋がっていますように!』

僕は走った。トレーニングにもならない、ただただ体にムリをかけながら走った。

道は、まだ人気を感じさせない。

『もしかしたら、これはいわゆる角栄道路で、ここから何十キロ走っても集落なんか無いかもしれない、商店街になんか繋がってないかもしれない』

でも、走っていれば、とりあえず追いつかれない。

何か、店、家、看板、信号…そういった物を強く求めた。

人間。

だれか、早く、誰でもいい、僕と同じ人間に会いたい!!

誰もいない自然豊かな道だった。
苦しそうな僕の呼吸と足音、小鳥達のさえずり。

神経症、洋館で戦う

神経症、洋館で戦う

《文明から離れた生活をしよう》というコンセプトで集った厭世的傾向のあるツアー参加者達。 つれて来られたのは山奥の大きな洋館。ちょっと変わった動きをする洋館の住人達。 主人公は神経症で、誰よりも敏感で、悲観的な〈僕〉。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-04

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted