幻想即興曲


 結婚して郊外の新居にやって来て、一月半が過ぎた。未だ荷物は片付いておらず、一部屋が丸々倉庫のようになってしまっている。ダンボール箱を目の前にして、私はまた溜め息をつく。
(専業主婦やったら、こんなもんすぐ片付けられると思ったのになあ)
 床に膝をついて、ダンボール箱の開封に取り掛かる。ガムテープを勢い良く剥がした後に訪れる静寂……この町は、静か過ぎる。

 私は、生まれも育ちも商店街だ。大学を出て会社勤めを始めてからも、ずっと実家に住んでいた。
 ちょうど私が結婚を決めた頃に、姉が二人目の子供を流産しかけて入院した。
 母が、上の子を預かって世話をしたり、頻繁に病院へ出掛けたりするようになったので、代わりに駄菓子屋の店番をしなければならないから、という理由で、私は八年半勤めた会社を辞めた。本当は、ただ疲れていただけだ。
 毎日のんびり過ごして花嫁修業をしよう、と呑気に考えていたのだが、そういうわけにもいかなかった。駄菓子を買いに来る子供達は想像以上に無茶苦茶だし、姉の上の子は私の作った料理を余り好んで食べないし、というような毎日を送っているうちに、姉は無事出産して一旦帰って来た。
 それからは、生まれたての子中心の生活になった。近付いてくる結婚式や新居への引越について色々と考えていても、泣き声によって中断させられる。
 それが何度も繰り返されると苛立ってきて、ひょっとして私は赤ちゃんが嫌いなのだろうか、母親になどなれないのではないか、と不安になってきた。
 そんな悶々とした日々の中での楽しみと言えば、駄菓子の卸の店から配達にやって来る幼馴染みの住江と顔を合わすことだった。
 住江は、私より二年も先に結婚したのだが、新居が実家から程近いということもあり、そのまま家業を手伝っている。
 いつも「毎度?」という間延びした声と共に現れ、荷物を下ろしてからも、店先や、時には家の中に入って、他愛のない話をする。結婚してからも以前と変わりなく私を笑わせてくれた。
 その住江が、私が新居に引越して間もなく、荷物の片付けを手伝いに一度来てくれた。マンションの周囲を歩き回って、
「スーパーすぐそこやし、病院も近いし、川も見えるし、静かやし、ええとこやん」
 と言っていた――確かに、世間一般からすると“良い所”なのかも知れないが――私にとっては、静か過ぎた。不思議なことに、すぐそこにあるスーパーからも、人の声はほとんど聞こえない。窓から見下ろす川はいつ見ても淀んでいて、流れているかどうか分からない。川の柵に留まった烏が時折発する大きな声に、びくりとしてしまう。

 夕方になると、どこからかピアノの悲しげな旋律が聴こえてくる。未だ練習中であるため、時々引っかかって曲が途切れる。その度にこちらまで調子が狂う。一月経てば引っかかりも少なくはなってきたが、同じ曲ばかり聴かされ続け、いい加減飽き飽きしてきた。
(こっちも音楽かけてたら、あんなん聴こえへんのやろうけど……)
 夫は何枚かCDを持っているが、あまり興味の湧かない洋楽のものばかりだ。
 実家に居た頃は、商店街を真っ直ぐ歩いて行けばレンタルの店があって、流行りものを適当に借りて来られたし、「何か面白い曲ないかな」と言えば、住江が配達ついでにCDを持って来て貸してくれることもあった。今は、レンタルの店も遠い。住江ともそんなに会わない。こんな調子では、いつになったら憂鬱なピアノ曲から逃れられるか分からない。
(なんかあんまり片付ける気になれへんなあ。休憩しよ)
 小物をいくつか分類しただけで、荷物部屋から出て、居間のソファーに座った。
 何気なくテレビを点けると、フィギュアスケートの演技が始まった。
(……あれ?)
 その時聴こえてきたのは、窓の外から聴こえているのと同じ曲だった。アナウンサーは、
「曲は、ショパンの『幻想即興曲』です」
 と言った。作曲者と曲名が分かると、幾分か気持ちがすっきりした。
 テレビのボリュームを上げ、演技を鑑賞する。

 昔、ショパンがどうのこうの、と歌詞に出てくる曲を、兄がよく聴いていたのを思い出す。日が暮れても明りも点けずに居間の隅のレコードプレーヤーの前で三角座りをしていた兄の姿は、悲しげな曲調と相まって、私に恐怖感を与えた。
 小学生の頃はそんな具合で暗かった兄だが、中学生になると、友達の影響でロックを聴くようになり、お年玉でギターを買って練習し始めた。しつこく同じフレーズを繰り返すのを聴かされた私は苛立ち、何度か喧嘩になったこともある。
 高校に入ると、兄はバンドを組んだ。前髪を長く伸ばし、蛇と髑髏の指輪をして、あちこち破れたジーパンを履いた兄は、夜中に酔っ払って帰って来たり、家に居ると思ったら大音量で喧しい曲をかけたり、とにかくいつも迷惑だった。
 バンド活動は順調だったようで、大阪城公園でのストリートライブにはかなり人が集まっていたらしい。というのも、伝え聞きだ。
 私が高校三年生の時には、隣のクラスに兄のファンだという人が居て、驚いたことがある。兄のどこが良いのか、全く理解できなかったので。
 その後、ライブハウスでもライブをするようになって忙しくなった兄は、ほとんど家に居なくなり、やがて一人暮らしを始め……五年前の姉の結婚式の時には、バンドは解散して楽器屋で働いている、と言っていた。いつの間にそんなことになったのか、詳しいことは聞いていないから知らない。

 「幻想即興曲」に乗せた完璧なフィギュアスケートの演技を見終えて満足した私は、荷物部屋の片付けを再開することにした。
 引越直前に慌てて荷作りをしたので、どの箱に何が入っているのか自分でも把握できていない。化粧品が出て来たかと思えば、タオルが出て来て、何故かダンベルが出て来て……思わず一人で苦笑してしまう。
 一番底には、ビデオテープが一本入っていた。
(何やろ?)
 手に取ってラベルを見ても、何のテープなのか瞬時には分からなかった。

――1994.4.14  十三ファンダンゴ ワンマン

(ファンダンゴって、ライブハウスや。兄ちゃんのライブか!)
 デモテープは、家のどこかに転がっていたのを姉が拾って無理矢理一緒に聴かされたことがあったが、ライブは、生では勿論、ビデオでも見たことがなかった。
 兄から色々と迷惑を被っている頃なら、そんな物はごみ箱に放り込んでいたかもしれないが、この時は、少し見てみようという気になり、また片付けを中断して居間へと戻った。
 ……特に編集された気配もない、ただ撮っただけ、という風のビデオだった。画面がしょっちゅうぶれる。全体的に暗く、白黒のような映像。ボーカル以外の顔はほとんど見えていない。音は割れてしまっている。
 そのライブの一年ほど前に聴かされたデモテープよりは、曲らしい曲を演奏していた。ボーカルもシャウトばかりではなくなっている。私にはっきりと分かる違いは、その程度だった。時々ギターソロの際に兄がアップになっていたが、上手くなったのかどうかは不明だった。しかも、どの曲も同じような調子で退屈になってきて、何か新たな動きが見付かるまで倍速再生することにした。
 暫く見ていると、客に向かって何か投げるような素振りを見せた後で、メンバーは一旦引っ込み、また出て来た。アンコールくらいはまともに見てやろう、と倍速をやめた。
 ボーカルが偉そうな口調で客を煽ってから始まった曲は、意外と聴けた。盛り上がりが最高潮に達している、と思った瞬間に、ボーカルが背を向けた。そして、ステージ中央に兄が出て来て、ギターソロが始まる。
「えっ!」
 声を上げてしまった。兄が弾いたその旋律は、「幻想即興曲」だったのだ。
(あかん、今、ちょっとかっこええと思ってもうた……)
 兄のギターソロが終わり、ボーカルが中央に戻って来て、また歌い始める。何を言っているのか分からない歌だと思い込んでいたが、注意するとと大体歌詞は聴き取れた。荒んでいるこの世界に立ち向かっていく、というような内容だった。ありがちな青春の詞。殺すとか死ねとか言っていたのではなかったので、一安心した――今頃になって。

 ライブビデオを見終えた頃には、外は暗くなっていた。もう夕食の準備に取り掛からねばならない。エプロンをして、さあ、と思ったところで、携帯電話が鳴った。住江からだった。「はいはーい」と出たら、
「えらい楽しげな声やな。何か面白いことでもあったん?」
 と言われた。
「そうやねん」
 私は即答していた。住江の方は特にこれといって用事もなさそうだったので、私は語り出す。
「あんな、今日荷物整理してたらな……」
 今度住江がうちへ遊びに来たら、兄のライブビデオを見せたい。あのアンコールの曲のギターソロを、是非聴いて欲しいと思うのだ。

幻想即興曲

幻想即興曲

設定:2007年

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-08-03

Copyrighted
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