蝗 (いなご)

身近に題をとりました。8割くらいは自分の中ではノンフィクションのつもりで書きました。

トシ、カズ、ミサ、ツネは姉妹だ。
一番下のミサが先日50になった。一番年かさのツネは二年前に還暦を迎えた。
各々に家庭があり、四人とも孫が居る。 姉妹は、車を使えば互いが容易に
行き来出来る距離に住んでいる。
ただし、運転免許を持っているのはトシとミサだけだった。

トシ達は十人兄弟だ。上から九人までは女だった。
水田ばかり続く片田舎の村で 小寺家の九人姉妹と言えば
ちょっとした有名人だった。
父親はトシが中学生の時、病で死んだ。
ツネには 父親が長く寝付いていた
記憶があるが、トシには 父が死んだその後、常に母親が姉妹の枕元に
幾本もの農具やら包丁やらを置いて眠っていた事の方が ずっと鮮烈な
記憶として残っていた。

末の弟のエイジは 生きていれば今年で45歳になる筈だ。
二年前に自ら命を絶っている。

何か身の回りで起きると、常に集団で事に当たって来た小寺姉妹だが
弟の事が起こった時は 少しばかり勝手が違っていた。
エイジは、彼の母親であり、姉妹達の母親の面倒を長く看ていた。
正確に言えば、面倒を看ていたのはエイジの妻である。
気が弱く、何事も内に篭りがちなエイジにも 妻と二人の子があった。
彼女らの母親は老い、認知症の症状が現れ始める。
進行は早く 、入院加療が必要となった。ところが母親は、頑固にそれを拒絶した。
ヘルパーが家に入る事にも 激しい嫌悪感を示した。
認知症は、その辺りから進みが更に速くなって行った。

姉妹達は口を揃え、自分達が余計な事を言ったわけではないと言う。
仮に言ったとしても 精々一度か二度であると。

「お母さんは息子を一番大事にしたんだから、息子が母親を看るのは当然」
と言ったのはサチだが、言ったのは一度だけだと頑張る。
「辛くても嫁として しなければならない事がある。私達もみんな
そうして来ているしね」 と言ったのはヨシだと言う。
だがこれも、二度以上は絶対に言ってはいないと本人は言う。
「私達が手を貸すのは構わないけれど・・・誰が助けたとか誰が何もしないとか
とかく姉妹は これだけ居るとね」と やんわりと協力を断ったのはツネだが
未だに、この発言は正しかったと思っている。
「お母さんを病院へ入れるのは可哀相よ。あれほど嫌がっているのに。
何とかする方法は、そちらが考えればいいでしょう?」とミサは言ったが
悪気は無かったし、本当に母親が哀れでならなかったからだと言う。
いずれにしても各々の発言は一度か二度、それだけだ。

エイジの妻は子供を連れ、家を出た。エイジは母親を病院に入れた。
「あんたの責任よ」 これは姉妹が揃って エイジを責めた。
それぞれが 今度は数度に渡って、出向くなり 電話するなりで責め立てた。

エイジは仕事を辞めた。
母親のではなく、自分自身の病院通いにばかり熱心になったらしいと
姉妹が噂をしていた頃、一人 残された自宅で首を括った。
沢山の 力無い躊躇い傷が両の腕にあり、100錠飲んでも死ねるとは
言い切れない、弱い心に優しい薬を20錠ほど飲み下した跡があった。
薬を飲み下すのに使ったと思われるプリンの空容器が プラスチックの
スプーンと一緒に 埃を被ったテーブルの上にぽつんと置いてあった。

遺書は無かったが 顔に筋が付いており、あれは涙の流れた跡に違いないと
エイジの遺体を発見した気丈な隣家の主人は 義務感から、集まった姉妹にそう伝えていた。

検死を始め、姉妹達の日常から およそ掛け離れた一通りの手続きに関しては
長女である サトの夫が中心となり、他の姉妹の夫達も協力して臨んだ。

葬儀は ひっそりと身内だけで営まれた。
エイジの妻と子は全く姿を見せなかった。
エイジの身体がまだ炎を上げて燃えている頃、姉妹はそれぞれ 家族に
この事は 絶対、他人に口外してはいけないと、夫にも子供達にも誓わせた。

息子の死も理解出来ない母親は、姉妹が交代で看る事となった。
半年もしないうちに「家へ帰せ」と大声を上げながら 母親は病院で死んだ。
カズは母親の臨終の場に居合わせなかった。
「ムシノシラセ」がしたにも拘らず、夫が彼女を頼んでも病院まで
送らなかったためだと彼女は言う。
「明日になっても大して変わらんよ」と夫はカズに言ったのだった。
「所詮は他人。他人は駄目」とカズは言う。
母親の月命日になると、カズは今でも必ず、誰彼かまわず その話をする。


トシ、カズ、ミサ、ツネは仲が良い。
だが他の五人、取り分け そのうち三人とは酷く仲が悪い。
三人のうち誰かが、四人のうちの誰かの 子供の事について、何か言った
というのが 元々の理由ではあったが、七人ともそれを忘れている。

今では互いのグループの 困り事や失敗談を聞き付けては集まり
面白おかしく話しては 時間を潰すのが楽しみの一つでもある。
姉妹九人は 生まれた土地は離れたが、少し離れた町に全員が住んでいた。
だが、姓は全員が変わっていたので、昔ほど 姉妹と言う事で人目に立つ
事はなくなっていた。

トシ、カズ、ミサ、ツネには目下、姉妹同士の争いの他にも 共通の
関心事がある。それは庭造りだ。
四人とも、既に古くなった家に小さな庭を持っていた。


行き付けの園芸店に、トシの運転する車に乗って、今日も四人は出掛けて行く。
たまたま通り掛って 店を覗いている若い夫婦を除けば、客も店員も店主も
全てがこの4人姉妹の顔を良く知っており、揃って毛嫌いしていた。
一見すると鉢花の中の四人姉妹は、美しいと言われる盛りを遥かに
過ぎているとは言え、とても華やかだった。
誰かが 常に笑い声を上げており、狭い通路を一塊になって賑やかに歩いて来る。

「これ!この花はね。葉挿しで増えるよ。葉っぱを一枚千切って
水に挿して置くだけでいいのさ。あっと言う間に増えるから」 ミサが言う。
「この葉っぱ一枚で増えるの?」言いながらカズが まだ若い葉を千切った。
それを見てツネが派手な笑い声を上げた。 「あんた、それ売り物なのに」
ミサが笑いながら更に一枚の葉を千切る。 「買ったら千円近くするんだよ?
葉っぱで増えるのに 何でわざわざあんた。葉っぱの2枚や3枚、ねえ?」
同意を求められた 隣りの鉢を見ていた初老の女性が、あやふやな笑顔を浮かべ
そのまま離れた。 「ほら、取っちゃいな。あと2枚。良さそうな所から」

四枚の若い葉を持った姉妹は、一通り店内に目を通す。
あちらこちらと指をさし、少女の様に無知で 年齢相応の無遠慮な口調で
あれやこれやと並ぶ花鉢に注文を付けて行く。
「500円!」 頓狂な声はトシの物だ。「馬っ鹿みたい」
それでも姉妹は、この店に週に一度は揃って姿を見せる。
四人のうち、誰かが欠けていると言う事はこれまで殆ど無かったな と
終日 花に水を撒く仕事が長い、中年の店員は 苦々しく考える。
姉妹はいつも競う様に、派手な柄物の服を身に付けていた。

彼女達に指差された鉢花は、その瞬間から たちまち輝きを失い 乾き切って
でもしまう様に 店員の目には映っている。


トシの運転する車は、もっぱら姉妹達の移動用に使われていたので
車の形は全員が既に見慣れた筈であったのだが、その日 ツネが車に
乗り込もうとして言った 。 「この車の前の、あれは何。デザイン?」
トシが答える。「カンガルー除けなんだってさ」
「カンガルー除け?」 ミサが頓狂な声を上げた。「何よ、それは」
「知らないよ、旦那と息子とで勝手に決めたんだもん」
ドアを開け、 よいこらせとトシが 運転席に ゴロンとした小柄な身体を押し込んだ。
姉妹の半分は痩せており 半分は固太りをしている。病がちな者は一人もいない。

「馬鹿馬鹿しいねえ、日本にカンガルーなんて居ないんでしょ?ここらじゃ
猫だって、そうそう道路には飛び出さないでしょうに」
ツネは呆れた声で言い、それでも いつもと何の変わりも無く 車に乗り込んだ。
中は広く、快適であり 姉妹達は満足している。 トシが笑って言う。
「頑丈に越した事は無いじゃない。正面からぶつかった時に 随分違うんだって
旦那が言ってたんだよ。だってカンガルーって 相当大きいんでしょ? あれを
跳ね飛ばすんだよ。一応車両保険には入ってるんだけどさ。こう見えて、
これ高かったのよ」
「だろうねえ」 カズは溜息を吐く。「うちは姉妹で一番、貧乏だからさ」
「別に あんたのせいじゃないでしょ」 トシがキーを回しながら言う。
「車一台くらいじゃ、大して有難くも何ともないさ」
付けっ放しのラジオから、若い女性アナウンサーの 甲高い声が流れ始めた。

物々しい金属のパイプを前面に、装甲車の様な緑色のバンが
タイヤの軋む音を立てて、交差点を 勢い良く左折して行く。


≪了≫

蝗 (いなご)

蝗 (いなご)

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-03

Copyrighted
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