永遠なんてどこにもないんだ。だけど、この一瞬が永遠に続けばいいと思うことはある。


 ずっと、ここにいた。一人だった。僕のほかに人は居なくて、動物たちと一緒に長い間暮らしていた。ずっと夢と現実の狭間のようなふわふわしたこころもちで、長い間生きてきた。そんな生活をしているうちにいくつも季節が巡って、動物が死んだり新しく生まれたりしていた。
 ある冬の日、僕のところに一人の少年がやってきた。ひどく荒んだ目をしていて、こころなしか怯えているようだった。手には刃物が握りしめられていて、返り血がちょっと服に付いていた。僕をみると戸惑って、刃物を突き立てて何事かわめいていた。けどそれよりその少年が怪我をしていることが気になって、持っていた布で彼の頬を拭いた。彼はされるがままになって、そのまま少し泣いていた。
 本当はここに人間は入れないし、居ちゃだめなのだけれど、彼は心底疲れていたようだったし体もぼろぼろだったのでしばらくここで匿うことにした。「おうちは?」と聞くと「帰りたくない」「いやだ」としか言わない。温かいスープを出してやると、すこしだけ表情が緩んでいた。そのまま彼は疲れて眠りこんでしまった。
 彼に名前を聞いてみる。彼は「Σ」と名乗った。僕も彼に名前を教えたかったのだけれど、僕に名前というものはなかった。そうそのまま告げると彼は困ったような、悲しいような表情をしていた。だから思い切って「君に名前を付けてほしい」と頼んだ。そういうことなら、と彼は遠慮がちに「δ」と僕を呼んだ。デルタ、いい名前だ。僕は今日からデルタだ。
 彼を匿ってからしばらくたつ。冬ももうそろそろ終わるだろうと羊たちが噂していた。Σの体の傷も癒えたので、ここから出て元居たところに帰るのはどうかと提案すると、彼はちょっと困って「僕はここに居たいし、あそこには戻りたくない」そう言った。動物たちも彼を気に入っているし、それもいいかもしれないと思ったので僕は彼をしばらくここに置くことにした。
 彼はいろいろなことを僕に尋ねた。僕の髪の色や瞳の色が見たことがないので、どこから来たのかだとか、ここでどうやって生きていたのかとか。最初、どうやって答えていいか迷った。僕は僕であって人間じゃないし、性別すらない。ここの土地が枯れないように、栄えるように永遠とこの土地を管理し、見張る役目をしている。君たちがいう所の神様だなんて言ったら彼は驚いて逃げ出してしまうかもしれない。でも、彼と春の広い牧草地であたたかい飲み物を飲みながら見る星空が、なんだかいつもよりきれいだったのでついつい話してしまった。彼は特別驚きもせず、そうか、と言ったきりだった。
 彼は僕がうすうす人間ではないことに気付いていたらしい。その証拠に僕の見た目は彼が来てから少しも変わらない。だから最初僕はちょっと苦労した。髪がこんなにはやく伸びるものだなんて知らなかったし、爪や皮膚の手入れが大切だなんて知らなかったから、僕の家にはちょっと物が足りなかったのだ。僕は書庫から人間用の辞典をひっぱりだして爪切りなんかを作ったりしなくてはならなかった。動物の毛刈り用のはさみで彼の爪を切ろうとした僕を、彼は眉根を下げて笑っていた。
 彼が来てから、なんだか夢のようだった。自分とおなじような姿をしたものが、自分と同じものを見て、同じものを触って、同じ生活をして、全く違う事を考えている。それが面白かった。ある朝いつものように羊を牧草地に放したあと二人で散歩していると、花弁におおきな朝露が溜まっていた。僕はそれをめずらしい、としか思わなかったのだけれど、Σはそれをみて「宝石みたいだ」と思った。Σがそういうのなら確かにそうなのかも知れないけど、なんど見ても、宝石の図鑑と比べてみても、僕にはそれがただの朝露にしか見えなかった。
 季節が5,6回巡ったころ。Σは少年から、大人になろうとしていた。顔立ちの幼さこそ少し残るもの、大人独特の成熟さと精悍さが出てきて、背も随分伸びた。もう僕とそんなに変わらない。ご飯もたくさん食べるようになったし、書物庫の本を読んでいるので知識も増えていった。昔みたいな純粋さはあるものの、思慮深く、落ち着きが出てきた。僕はなんだか、すこし彼が遠く感じた。
 Σは本当に元いた場所に戻らなくていいのだろうか。彼はもう年頃で、早ければ恋をして、子供が産まれている頃だろう。そう夕飯のときに伝えると彼は静かに顔を横に振った。でもそういう問題じゃない。このままだと彼は僕以外にかかわる人が居ないまま人生を終えてしまうだろう。僕なんかいいから君は元のところに戻って人と関わるべきだ、そうして人としての営みを全うするべきだ、というと彼はひどく悲しそうな顔をして「気分が悪い」と言って寝室に戻ってしまった。今日は彼の好物のレンズ豆のスープだったのに、それはすっかり冷めて、ランタンに照らされるだけだった。
 その日以来、Σはすこしよそよそしい。なぜかはわからない。必死に考えを巡らすけど、答えが出ない。いつものように話しかけても、いつものように反応が返ってこないから悲しくなってしまう。なんだかさみしくなってしまう。僕はいつからこんな感情を抱くようになったのだろう。僕はよくわからなくなって最近母親になった黒羊に相談してみた。そうすると彼女は僕よりずっと若いのに僕の知らない事をずいぶんと知っていた。
「δ、Σは貴方を大切に思っているのよ。だからここを離れたくないの」
「そんな。僕は人間ですらないのに?」
「あれだけ一緒に居て気づかなかったの?」
「わからない。けどΣと一緒にいると楽しかったから、Σも僕と一緒に居て楽しいって言ってくれてうれしいとは思っていた」
「Σ、私にこっそり相談しにきていたのよ、ここに小さい頃から何度も。最初は自分の居たところのことが多かったけど、ずっとここ何年かは貴方のことばかりだわ」
「まさか!こんな僕を?」
「そうよ。貴方は彼を地獄の底から引き揚げたの。そうして何も言わずにずっと傍にいたじゃない。それだけで、誰かが誰かを大切に思うには、十分すぎる理由なのよ」
「うーん。それでも、僕はΣが人間の世界に戻ってお嫁さんとか、友達とか、子供とかと一緒に幸せになるのがいいと思うんだ。それが一番人間らしい生き方だから」
「貴方の考えていることは痛いほどわかるわ、δ。でもそうしたら、Σと貴方は二度と会えなくなる」
「最初はそれでもよかったんだ。僕は元の生活に戻るだけだし、Σもそれなりに幸せにやっていけるだろうし。でも」
「でも?」
「今は、ちょっとやだなあ」
「ふふふ、貴方も随分人間らしくなったのねδ。いいと思うわ。他の神様なんてもっと人間っぽくって俗っぽいのよ。そう思うのなら、Σと話合ってみなさい。きっと悪い方向にはいかないわ」
「ありがとう羊さん」
明日、きちんとΣと話合ってみよう。そう思った。
その日、夕食にレンズ豆のスープを出したら、Σは何も言わなかったけどきちんと残さず食べてくれた。よかった。
 次の日、Σとシーツを洗ってしまって干したあと、お茶を飲みながら少し話した。真っ白いシーツがはたはたと風に揺れている。
「Σ、この間はごめんね」
「いや、すまなかった。俺もどうにかしてたんだ。δの好意でここにいるのだから、俺は戻れと言われたらそうするしかなかったのに」
「僕はね、本当は君にここに居てほしいんだ。Σ。でもね、僕は神で、君は人だ。歩む人生の長さが違うし寿命も考えかたも違う。君はもう立派な青年だ。君は精悍な顔立ちをしているし頭もいいからきっとかわいいお嫁さんと子供もできるだろう。それを、僕が『ここにいてほしい』って理由で縛りつけるのがいい事なのか悪いことなのか分からないんだ」
そうするとΣはこちらをすこし向いたあと、お茶を飲んで再びシーツに目をやっていた。いつの間にか彼の声は僕よりもずいぶん低くなっていて、一人称も「俺」に変わっていたことに気付いた。
「縛り付けてくれ」
そう囁くようにこぼした。
「俺は、こことお前だけでいい」
「…きっと死ぬまで出れないよ、それでもいいの?」
「それでもいいんだ」
いいんだ、ともう一回そう言って昔みたいに眉根を下げてΣは笑った。なんだか僕もつられて笑ってしまった。
 毎日が色のついた、みずみずしい、夢のような日々だった。同じこと、同じ毎日の繰り返しがこんなにも変わるものだなんて僕は思ってもみなかった。僕はΣに色々な事を教えた。Σも僕に色んなことを教えてくれた。ずっと、こんな毎日が続けばいいと思った。ずっと、ずっと一緒に居たかった。

「δ」
Σがそう僕を呼ぶ。少し前から彼の目は老いて物が見づらくなっていた。僕は眼鏡を作ってあげた。良く似合っている、というとΣは笑っていた。いつのまにか、Σの手は皺が目立つようになっていた。
「なあにΣ」
「俺が死んだら、俺の骨は家の傍の庭のところに埋めてくれ」
揺り椅子に凭れかけて、窓から外を眺めながらそうΣは言った。僕の作った老眼鏡に暖炉の火が反射してゆらめいている。Σはもう、老人と呼ばれる歳になっていた。
 どうして、そんな事言うのだろう。人間の寿命は80くらいまでだという。だとしたらあと20年くらいはずっと一緒に居られるじゃないか。この毎日を続けられるじゃないか。そう言おうとしたのに、Σがあまりにも優しい目で笑うものだから、僕はなにも言えなかった。
「明日俺が死んだとして」
 手元の本に目を落としながらΣは静かな声で呟く。
「お前は生きるんだろう。俺が居なくなってもずっと。長い間。俺の体が朽ちて、骨になって、塵になってなにも残らなくなっても、お前は生き続けるんだろう」
それは、ちょっとさみしいことだな。
そう言ってΣは笑った。笑ったけど同時に困ったような顔をしていた。なんだかそれを見て僕はどうしようもなくなってしまって、彼の手を握った。
「こわい?死ぬのは、こわい?」
「怖くはないさ、ただ、ちょっとだけさみしいな」
「ずっと一緒に居たもんね」
「ああ、ずっと一緒だ」
「いなくならないで」
「それは出来ない願い事だ」
「どうして、いつも一緒にいてくれたのに」
そう言った僕の目からなんとはなしにぼろぼろ、ぼろぼろ涙がこぼれる。握った手を頬に寄せると、ずいぶんとかさついていた。
「お前が泣くのを見たのははじめてだ」
そう言って笑って、僕の頬を空いているほうの手で拭ってくれた。温かかった。生きていた。
「ここにずっと居ると言ったときから覚悟はしていた。人はいつか死ぬんだ、Σ。だがな、動物と違って、人が死ぬ時に残すことができるものがある」
「なあに、それは」
「想いだ」
そう言うと、彼は懐から白い手紙を取り出した。
「俺が死んだら読んでくれ。これは俺の部屋の鍵付のひきだしにいれておく」
Σはもう一度懐に手紙を戻した。
 僕はなんだかよくわからなくなってしまって、ひたすら悲しくなってしまった。ぼろぼろと泣く僕の背中をΣは優しく撫でていてくれた。
 
 Σがよく咳をするようになったことに気付いたのはその次の日からだった。いままで風邪をひいたことは何回かあったけど、違う、なにか嫌な感じのする咳だった。軽い感じじゃなくって、ごほ、ごほ、という重い咳だった。咳がひどくなると犬が吠えているようなそんな感じになっていた。そのたびに冷たい水を持っていくとΣはいつもみたいに眉根を下げて笑いながら「いやあ、すまんすまん」と僕にあやまっていた。
「謝る必要なんかないじゃないか」
「いやあ、それは嬉しいなあ」
そう言ってΣは笑ってはいたけど、何か嫌な予感が頭から離れなかった。
 Σはあれからどんどん臥せっている時間が長くなっていった。睡眠以外に、二時間、半日、そして、一日中。僕は心配で、彼の看病をする、という名目で寝室を彼と一緒のものにした。若い頃二人で本を読んだり話をしながらそのまま寝てしまったことを思い出す、とΣは笑っていた。
 本当は、わかっていたんだ。Σがもう長くはここに居られない事。命のともしびが消えてしまいそうなこと。だけど、僕はその一瞬でも、きえそうな彼の傍から離れたくはなかった。少しでも、長くそばに居たかった。だから彼が寝静まったころ、毎日書庫から本を取り出して読んでいた。Σが読めない本ばかりを。探していた。彼が少しでも長く居られる方法を。
「Σ、これを飲んで」
 僕は、生まれてはじめて、人に魔法をかけた。けど、それはΣの病気を治すことも、寿命を延ばすこともできない魔法だった。僕には知識も、力も、材料も、時間も、もうなかった。Σは寝たきりでもうあまり話すこともできなくなっていたけど、何かを察したのかゆっくりと、そのコップの中の物を飲んでくれた。
「…これは」
「Σ、ごめんね、神様なのに、なにもできなくてごめんね。これしかできなかったんだ。これだけしか」
Σの体が水分を得て皺が伸びていく。彼は、僕と同じくらいの見た目になっていた。
「どういうことだ、δ」
「きみに魔法をかけたんだ。一日だけ、一日だけその人がもっとも活発だった年齢に体を若返らせる魔法」
「げほ、げほっ」
「でも…病気や怪我や、一度なってしまったものはもう、戻せないんだ」
僕のエゴだった。少しでも、昔みたいにδと過ごしたかった。ほんの一日でもいいから。それをδが拒むかどうかはわからなかった。僕の、多分一生で最大のわがままだった。
「そういうことか」
そうΣは呟いて軽く伸びをすると、手を握ったりして、感覚を確かめているみたいだった。
「あの、ごめんΣ、気に入らないならすぐ戻すから…」
「何を言う」
Σは立ち上がって長らく着ていなかったコートに腕を通す。
「最高の魔法じゃないか」
行くぞ、といってΣは僕の手を取ってそのまま外へと走り出した。
ああ、よかった。彼が、また昔のように笑って僕の隣にいる。それだけで十分すぎるくらい幸せだった。
そのまま二人で野原を駆け回った。Σに体は大丈夫かと尋ねると、太陽のような笑顔でこちらをむくだけだった。そのまま二人で転げるように走り続けた。なんだか楽しくって僕は笑った。Σも笑いながら走った。
「ついた」
 Σはそういうと急に止まった。そこは花がたくさん咲いていて、美しい場所だった。
「…こんな場所、僕知らなかった」
「そうだろう。ずっと、見せたかったんだ」
そういってΣは前を向く。
「きれいな場所だね」
「まだだ、もう少し待っていろ。もうすぐ、夜が明ける」
二人ともなんとはなしに黙って、日が昇るのを静かに待つ。
 
「…わあ!」
 花に溜まった朝露が、日の光をうけて一斉にかがやきだす。どこまでも、どこまでも限りなく。
「きれいだろう」
「…宝石みたいだ」
またぼろぼろと目から涙がこぼれ落ちてしまった。Σはそれをやわらかい布でぬぐってくれた。
「…本当、宝石みたいだよな」
「うん、うん。」
僕は、涙を必死でこらえた。今、この光景をしっかり目に焼き付けておこう。彼と見た美しいこの情景を、いつまでも覚えていたかったから。
Σは僕の手をぎゅっと強く握った。僕も絶対放さないように、つよくその手を握り返した。
 
 Σが死んだのはその日だった。二人で並んでぐっすり寝て、朝目が覚めるとΣの体は老人のそれに戻っていて、しずかに、しずかに息を引き取っていた。ずいぶん安らかな顔をしていたので、顔をふいたりしている最中にもしかすると起きるかもしれないと思ったのだけれど、軽くゆすってみても彼の「やめろよ」というふざけた返答はいつまでも返ってこなくて、体だけがどんどん固く、冷たくなっていた。胸に耳をくっつけると、何の音もしなかった。いってしまったのだ。もうもどってこないのだ。僕はそのまま子供のように彼にすがりついてみた。冷たくて、固い。もう僕の知っているΣは二度と帰ってこないのが唐突に理解できた。その証拠に。なんの、なんの反応もなかったから。
 すがりついて髪をなでてやる。柔らかくて細くて、それもこころなしか冷たかった。そのまますこし手を握ったり首をなでたりして、彼が死んだことを少しずつ受け入れていった。
 しばらくしてポケットに何か入っていることに気付いた。それは僕が最初に彼の頬についた血をぬぐってやったときの布だった。少し湿っている。多分あれからずっと持っていてくれて、昨日僕の涙をぬぐったのもそれだろう。
 そしてそれにくるまれるように、鍵が一つ入っていた。僕は彼の言ったことを思い出して、いそいで引き出しを開けて手紙を取り出した。中にすこし日に焼けた白い手紙が入っていた。Σがいるベットに座って、それを読む。
 
「δへ
 手紙なんて書くのは初めてだ。拙いところがあるかもしれないが、勘弁してくれ。お前がこれを読むころには俺はベットで冷たくなっているんだろうな。約束、覚えてくれていて嬉しいよ。俺の亡骸だが、燃やすか埋めるかして、お前の家の近くに置いていてほしい。化けてでたりはしないさ。きっと。それと、俺のポケットに入っている、お前が最初にくれた布と眼鏡もできるなら一緒に埋めるか燃やすかしてほしい。あれ、気に入っているんだ。
 お前が俺にくれたものはそれくらいだし、俺がお前にやったものなんてもっと少ないだろう。せいぜいこの手紙と鍵と、それと小さい頃にやった花のかんむりくらいだ。だから、それだけは持っていきたい。けどな、前にも話しただろう。人が残すのは物だけじゃない。想いも残せるんだ。これからお前はきっと俺にしたら気が遠くなるほど長い年月を生きる。その中で、すこしでもいいから俺のことを思い出してほしい。すこしでも、二人でいた時のことを思い出してほしい。いままでありがとう。楽しかったよ。
                                 Σ」
 手紙の内容はおもったよりあっさりしていた。Σのことだから書いている途中で恥ずかしくなったのかもしれない。非常に彼らしい。少し笑みがこぼれる。そうして読み終わったあと、もう一枚、真新しい紙があることに気付いた。最近書いたものだろうか。そこには、これだけ書いてあった。

「おれはあなたがこのよでいちばんたいせつでした ふたりですごしたひびをわすれたりしません あいしています」

「…ばかだなあ」
そう言ってΣを見る。あいかわらず穏やかな顔をしている。
「気付いていたよそんなこと」
手紙の文字は震えていた。多分昨夜僕が寝静まったあたり、震える手で書いたのだろう。本当に、ばかだ。

 Σは二人で見たあの風景が見える場所に埋めた。ここなら家からあまり遠くもないし、文句は言われないだろう。墓石も墓標もなかなか立派なものが作れた。きっとこれなら寂しくないだろう。
 一つだけ、彼の言いつけを破った。彼を燃やして灰にしたとき、少しだけ、灰を埋めずにとっておいたのだ。それは鍵と一緒に僕の首から下げてある袋に入っている。しっかり袋は何重にも閉じてあるけど、きっとこれも長い年月のうちに知らない間にこぼれてなくなってしまうのだろう。僕の記憶と同じように。
「それでも、僕もいちばんきみが大切だったんだ」
 そう呟いて灰を一つまみつまんでみると、音もなく煙のように風に流され消えていった。

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更新日
登録日
2013-07-03

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