朋友新聞
我が朋友新聞発行会は、1988年春に、各記者の独断と偏見により執筆した記事の寄せ集めと言うべき「朋友新聞」の隔週の発行を開始した。
現在の編集部員は全員が高校生であるが、当初「朋友新聞」は中学生による中学生のための新聞であった。その頃の記者の全員が去ってしまった昨春より、我々は過去の新聞の整理を試みたのだが、何故か第2号から第9号が一部も見当たらない。
そこで初代副編集長の生江知代氏に尋ねてみたところ、初代編集長善源寺寿恵氏が自宅に保管しているはずなので必要であれば送らせよう、との回答を得られた。
そしてその数日後、角型5号の封筒に入った第2号から第9号が各一部ずつ届いた。それらを我々は一度も目にしたことはなかったので、やや緊張した面持ちで開封すると、中からは初代副編集長による簡単な手紙も出て来た。
--------------------------------------------------------------------------------
初代編集長・善源寺は、自ら中学生の意識改革を唱道し私を含め4人の人間を勧誘したにもかかわらず、僅か3か月で編集部を去ってしまった。
善源寺が新聞発行に精力的に参加しようという意志を喪失した直接の原因は、友人から借りたという某ロックバンドの1枚のLPにあると言える。
第1号発行の数日後に、善源寺はそのLPの入った袋を大事そうに両手で抱えて編集部に現れた。私が記事の執筆をしている傍で、善源寺は袋からLPを取り出した。次に目を向けた瞬間に、私は驚愕してしまった。レコードの面が写真になっており、その被写体の5人の男性は化粧をし、鮮やかな色の長い頭髪を立てていたのだ。
それから、そのLPをダビングしたテープが編集部内で流される日々が続いた。私は曲順まで覚えてしまった。そこまでならまだ良かったのだが、6月10日の御堂会館におけるライブに足を運んでからというもの、善源寺は編集部に来てもライブの素晴らしさについて語るばかりで記事作成を怠るようになった。それほど素晴らしいのならば素晴らしさを文章にしてはどうかと提言してみると、善源寺はライブレポートなるものを書き始めたが、それも6号(6月20日発行)の締切に間に合わず、断念した様子であった。
そうして善源寺は、第9号の発行日であった1988年8月1日――同日奇しくも某バンドがメジャーレコード会社と契約したらしい――を最後に、編集部を去ったのである。その後の善源寺についてまで言及する必要はないと思われるので、この辺で終わりにする。洗練されていない措辞の数々を読んで笑い給え。それでは。
1994年1月19日 生江知代
--------------------------------------------------------------------------------
更には、88.4.8と日付の入った写真と、メモも出て来た。左から、初代編集長・善源寺寿恵、副編集長・生江知代、記者・今津由佳、同・中浜かおり、同・野崎秀典、とあった。我々の注目は、会ったことのない善源寺氏に集まった。赤いトレーナーに黒いズボン、赤い靴下に黒い靴、という服装に、善源寺氏の信念を垣間見た気がする。
さて、それでは幻の善源寺時代の記事の幾つかを紹介、批評してみることとしよう。
◇ ◇ ◇
【第2号 ’88.4.25】より
★意外! 瀬戸大橋!★
注目の瀬戸大橋、のはずが、意外なことに道路は渋滞どころか大変空いているそうです。原因は、料金の異常な高さにあると思われます。電車の方は満員とのことです。
瀬戸大橋博に行くなら、坂出です。児島の方は、橋が見えません(違ったらごめんなさい)。
★「でかんしょ」の秘密とは?★
でかんしょ でかんしょで半年くらす……の「でかんしょ節」は、丹波の杜氏が歌っていた江戸時代中期の「みつ節」がもとです。 「でかんしょ祭」は8月16日から18日、篠山城跡で行われます。ぜひ行ってみて下さい。
編集長・網島和子(以下・網):JRの回し者か。
記者・菅原稔(以下・菅):にしては、交通手段について全く触れられていない。これでは、行ってみて下さいと言われても行けない。
【第3号 ’88.5.9】より
★実現なるか? 国民の一週間休暇★
去る1日はメーデーでしたが、なんと、「メーデーを国民の休日に」という声が高まっているのです。1日が休みなら、2日も休みにしてしまう。29日も休みだから、ついでに30日も休みにしてしまう、となると、一週間以上休みになるのです。
★3日・急な雨!★
3日、午前中は晴天に恵まれていたので、川原で宴会(?)をする人がたくさんいましたが、午後になって急に雨が降り出し、みんなあわてて片付けていました。ので、インタビューしました。
Q.こんな雨についてどう思いますか。
A.いやです。
当たり前です。
記者・諏訪美恵子(以下・諏):一週間休暇など、制定されなくても大企業などで適宜採択しているではないか。
記者・安田清子(以下・安):企業が休みでも学校は休みにならない。
副編集長・大宮崇嗣(以下・大):これは記者の希望か。
記者・中島宏範(以下・中):“急な雨”の方、不覚にも笑ってしまった。
網:川原で宴会とは何だ。桜の季節でもあるまいし。
記者・野中悠次(以下・野):寒冷地ではこの時期に桜が咲いているのだろう。
網:それならそうと、取材場所を明記すべきだ。
【第4号 ’88.5.23】より
★朋友流買い物上手★
朋友流買いもの方法を紹介しましょう。
家庭科では、表示やマーク、ユニットプライシングなどややこしいことを習いましたが、店でいざ買う時にマークを見て、これは何だった? と考えても思い出せません。
しかしチョコスプレーは派手なのは着色料が使われているのは明らかですから避けるのは簡単です。
話は変わりますが、キャンプに持って行くごはんをご存じですか。農協のかやくごはんのレトルトパックは、簡単でおいしいです。梅田の石井スポーツで売っています。一度どうぞ。
アクセサリー入れのちょうど良いのがなくて困っている方がいると思います。釣り道具入れはとても使い易いし、きれいなのもたくさんあります。
果汁100%のジュースは体に良いと思われがちですが、あれは皮ごと搾ってあって汚いです。少し洗った程度なのです。それを飲むならコーラの方がましだというご意見も。
ちょっと工夫すれば買い物上手になれます。
★読んで得する本のいろいろ★
コバルトやスニーカー文庫を読んでいる皆さんには嫌味かも知れませんが、読んで得するというのは、入試によく出るということです。それではよく出る本の紹介をしましょう。
・吾輩は猫である(夏目漱石)
・一房のぶどう(有島武郎)
・次郎物語(下村湖人)
・路傍の石(山本有三)
・夕鶴(木下順二)
・ビルマの竪琴(竹山道雄)
・二十四の瞳(壷井栄)
・ゲンのいた谷(長崎源之助)
ぜひ読んでみて下さい。
網:それで結局、何が買い物上手なのか。
大:ユニットプライシングとは何だ。家庭科を習っていないので分からない。
記者・末広千景(以下・末):家庭科を習ったがそんな言葉は記憶に無い。
菅:コーラの方がまし、というのは暴論だ。
諏:それを言うなら入試によく出る本が即ち読んで得する本であるというのも暴論だ。確かに挙げられているのは名作であろうが……。
野:入試のことだけを考えて読書をするというのも空しいことだ。
中:読んだからと言って問題が解けるわけではない。そんなに入試が気になるのなら、読書などせずに現代文の問題集を解いておれば良い。
【第5号 ’88.6.6】より
★ホロンピア号発車!★
今、北摂丹波の祭典ホロンピア'88が開催されていますが、そのメイン会場となっている三田方面へ行く列車「ホロンピア号」が、29日に試運転を行いました。
この列車は、JR福知山線の線路を走るもので、まだ走るかどうかははっきり分かっていませんが、走ってほしいです。
ヘッドマークに「ホロンピア」と書いてあるものがそうです。大阪駅などで見られるので見たい人は行ってみてはどうでしょう。
★「瀬戸大橋へ行く会」に向けて★
4月に、児島と坂出を結ぶ瀬戸大橋が開通し、瀬戸大橋博覧会も開かれています。そこで、朋友新聞では、「瀬戸大橋へ行く会」を実施したいと思います。
まだ交通手段などは決まっていませんが、とにかく、7月の土・日をめどに計画を立てていきたいと思っております。
さて、コースですが、瀬戸大橋だけだとあまりにもさびしいので、後楽園辺りも回ってみることを検討中です。
瀬戸大橋を走る列車は、JRの「マリンライナー」で、一部の車両では座席が窓側に向いており、眺めを楽しむことができます。
船から瀬戸大橋を見るのも良いでしょう。一度、水島から丸亀へ行く船に乗ってみてはどうでしょうか。車では、大変費用がかかり、併設道路も走ると、料金は合計8000円近くになるらしいです。
募集人数は、6人です。参加したい方は、6月中にお申し込み下さい。7名以上の応募があった場合には、抽選とさせていただきます。
★和歌山で南十字星観測成功!!★
5月30日午後9時40分、素人の天文好きの人が、和歌山県にある山で、南十字星の一番上の星、ガンマ星の撮影に成功しました。本州からは見えないとされていたガンマ星が和歌山県で見えたのは、光の屈折のためだそうです。本州でのガンマ星の撮影の成功はこれが初めてです。
私達も、不可能だと思われることにチャレンジしてみることが大切なのです。
大:試運転しておきながら「まだ走るのかどうかははっきり分かっていない」とはどういうことだ。
菅:それ以前に、この列車は福知山線の線路を走るもので、と書いてあるから、文自体矛盾しているではないか。
網:最近イベントらしきものをしていないので何かせねば。
中:瀬戸大橋に何故かこだわっている。
野:この号は鉄道ネタ多し。
安:この、南十字星の記事は酷い。見えたのはガンマ星だけだというのに、南十字星観測成功と書いてある。
大:最後に説教の一文付きだ。
【第6号 ’88.6.20】より
★一泊移住(6月24・25日)迫る!★
私(善源寺)の学校では、一泊移住という行事があります。他の学校にも同じような行事はあるでしょう。今回は、ある人にインタビューしてみました。
Q.楽しみですか。
A.はい。でもキャンプファイヤーの時のスタンツがいやです。
Q.なぜですか。
A.めんどくさいから。
Q.行くこと自体は楽しみなんですね。
A.はい。
Q.青年の家に幽霊が出るらしいという噂ですが。
A.楽しみです。
Q.怖くはないんですか。
A.怖いけど見てみたい。
Q.私も見たいです。野外炊事について何か意見はありますか。
A.もっとカレーを辛くしてほしい。
Q.それは困ります。私は甘党なので。
★朋友新聞主催球技大会のお知らせ★
岡山市いずみ町の総合グラウンドで、夏休みに行います。ソフトボールです。出場希望の方は今すぐご応募下さい。身長・体重・年齢・趣味・氏名・住所・電話番号明記の上、6月中に。
網:一泊移住の記事は、善源寺氏がライブレポートを載せるはずであった場所を埋めるために書いたのであろう。
諏:ある人とは誰なのか。本当にインタビューなど行ったのかどうか分からない。
大:参加者募集は良いが、身長・体重を先に書かせるとは何事だ。
安:趣味を問う必要はあるのか。
網:性別を明記すべきではないのか。
末:第5号での「瀬戸大橋へ行く会」参加者募集の時には必要事項についての記載が全くないので、この号では進歩していると言えよう。
【第7号 ’88.7.4】より
★1日のスケジュール★
皆さんの中で一般的なのは次のようなスケジュールです。
23時半?6時半:睡眠
6時半?8時:朝食等
8時?16時:学校(1?6時間目)
16時?19時:部活
19時?22時:塾
22時?23時:夕食・入浴・他
★朋友トオク vol.2★
夏と言えば夜店。ということで夜店について。
・東京コロッケ大好き。 (和歌山・ラッP)
・行きまくります。 (大阪・アロットオブ)
・千円持って行く。 (岡山・倉敷のやつ)
・明日夜店です。 (兵庫・ラッキー人)
<編集部>私は塾の時間と重なるため地元の夜店には行けませんが、お盆に田舎で行こうと思っています。次回は夏休みをどう過ごすかについてです。お便りよろしく。 by 生江
菅:一般的なスケジュールとはどういうことだ。
野:部活・塾などで多忙な読者が多いはずなのに、夏と言えば夜店、とある。
安:スケジュールは生江氏のものではないのか。
中:それにしても読者は本当にこのような一言だけの投稿をしていたのか。
網:掲載者の中から抽選で1名に何かプレゼントしていたらしい。
大:何をだ。
【第8号 ’88.7.18】より
★朋友トオク vol.3★
いよいよ夏休みです。どう過ごすか、について。
・田舎へ2週間行く。 (香川・マルキン)
・規則正しい生活をする。 (大阪・らら子)
・海へ行って焼く。 (兵庫・かっこ漬)
・「瀬戸大橋へ行く会」に参加。 (京都・へっこ)
<編集部>「瀬戸大橋へ行く会」には私と中浜と野崎が行きます。もうすぐなので楽しみです。次回は、夏と言えば海。ということで海についてなんでもご意見をどうぞ。待ってます。 by 今津
★部分月食!★
少し気が早いですが、お知らせしておきます。
8月27日に、部分月食が起こります。時刻は分かりませんが、とにかく夜です。……観測してみませんか?
安:それにしてもこの投稿文は味気ない。
中:質問からして無味乾燥だからだ。
諏:この月食の記事は本当に気が早過ぎる。1か月以上も先のことを書いても、読者には忘れられてしまうのではないか。
菅:こういう記事を載せるのは良いことだと思う。これこそ情報だ。
【第9号 ’88.8.1】より
★涼しすぎるこの頃★
夏だというのに、最高気温が25?26℃止まりという日が続いています。一体どうなっているのでしょうか。
海水浴場の浜茶屋では、売り上げが例年の半分以下という所が多くなっています。
米などの農作物への影響が心配です。ものすごく高くなるかも知れません。
このまま今年は冷夏になるのでしょうか? 気象庁の言っている「梅雨の戻り」とは一体何なのでしょうか。
★朋友新聞主催球技大会について★
出場者の募集は締切らせていただきましたが、当日、お暇な方は応援(?)にお集まり下さい。出場者は22名で、11名ずつチーム分けし、去る26日に打ち合わせを行い、チーム名が決定しました。
ストライプズ 対 アップルズ
日時:8月21日午前9時開会
場所:岡山市いずみ町岡山県総合グラウンド
種目:ソフトボール
近いバス停は、岡山放送前、大学筋、新野、武道館前、機動隊前、野球場口です。野球場口が最も明確です。
場所がよく分からない人は編集部までお問い合わせを。
★ホロンピア'88情報★
ホロンピアの会場は、三田市の西から広野の方寄りに都市博会場があり、丹南町の駅近くに四季の森や食と緑博会場があります。たんば田園交響ホールでは、13日に映画「ケニー」の上映が予定されています。
入場料は、大人2000円、シルバー1500円、高校生1200円、小・中学生1000円、幼児400円です。8月31日まで午後4時以降は入場料が半額(イブニング料金)です。
パビリオンは、「3D・ウルトラマジカ」「世界の七不思議」「21世紀住宅展」「中世の都市」などがあります。
8月1日から30日までの間は、8時まで時間延長して、イブニングライブショーが行われます。なんと、16日のお昼のイベントは、のりPショーです。
★朋友トオク vol.4★
夏は海の季節です。プールの季節、とおっしゃる方もあるかも知れませんが……とにかく泳ぎの季節(?)ということで、ご意見を紹介します。
・昔、須磨の海でキャベツが浮いてたことを思い出す。 (兵庫・桃尻娘)
・家が海に近いので泳ぎどおし。 (香川・およとも)
・ヨットったらヨット。 (大阪・善子のあほ)
<編集部>ヨットがどうしたんですか? それでは次回は、夏休みの宿題についてです。文句でもなんでもいいのでご意見お寄せ下さい。 by 野崎
野:5年前も冷夏であったのか。
諏:農作物への影響が今夏も心配されている。
大:球技大会会場に近いバス停が6つもあるとはどういうことだ。
網:バス停を書かれてもピンとこない。
中:何故岡山なのか。本部は大阪なのだが。
末:読者が近畿・中国・四国に分散しているから、大阪にしてしまうと集まりが悪くなる。
安:それにしても岡山の人ばかり集まりそうだ。
菅:またホロンピアか。何故瀬戸大橋博とホロンピアに固執するのか。
野:丹南町の駅とは何駅のことなのか。丹南町内には5つ駅があるはずだ。
諏:朋友トオク3つめの投稿は何だ。
末:ペンネームにあほなどと入っているものを掲載すべきではない。
◇ ◇ ◇
ここまでまとめ終わった日の夜、各自の全体の感想文は翌日に回すということにして我々は解散したのだが、翌日の編集部内は、悠長に感想文を書いている場合ではない、といった具合に騒然としていた。郵便受の中に一通の封書が投じられており、その差出人は、なんと例の初代編集長・善源寺寿恵氏となっていたのだ!
以下がその手紙の文章である。
--------------------------------------------------------------------------------
朋友新聞の編集部の皆様、初めまして。善源寺寿恵です。
先日、初代副編集長・そして二代目編集長の生江が、私の家に押し掛けて来て、何やら物色して帰って行ったのですが、私は本を読んでいたので何を持って行ったのかよく分かりませんでした。私が生江から借りっ放しにしている本でも取り返しにやって来たものだと思っていました。
ところが、後から聞けば、朋友新聞の第2号から第9号だと言うではありませんか。別に私はあれを隠していたわけでも何でもないのです。ただ、記念に欲しいと生江に言ってみたところ、第1号は駄目だが第2号から第9号までは持っていても構わない、と言われて、持ち帰っただけなのです。
生江のことですから、新聞を送るついでに私の悪口のようなものも書いて同封していたのではないかと思われますが、私と生江が喧嘩して私が編集部を去ったのではないということを記しておきます。
私はあの頃(朋友新聞発行会結成当時)、何かをせねば、と焦っていたのです。
ある時私は新聞を読んでいて、これだ、と思ったのでした。軽い気持ちで私は生江に話を持ち掛けました。
すると生江は乗り気になって、すぐに3人の後輩を連れて来ました。そうして私達は会を結成し、第1号を発行したのです。
私は本当にいい加減な気持ちでしたが、生江はああいう性格ですから、その辺の人に読ませているだけでは勿体ない、と言い出して、どうやって勧誘したのか知りませんが、あらゆる府県から会員さんを集めてきたのです。
私は生江に編集長の座を譲ることを考えましたが、そんなことを口にすれば生江に罵倒されそうだったので、黙っていました。そうこうしている内に私は疲れてきたのです。会員さんが増えていく中で、私はその会員さん達を把握し切れなくなっていきました。
それで私は、もう編集部を去ろうと思いました。その口実に、あのバンドを使うことにしました。レコードを愛聴していることは生江もよく知っていましたし。
しかし、知人にそのバンドのライブに連れて行って貰ってからは、単なる口実ではなくなったのです。心の底からあのバンドに惹かれていったのです。私が情熱を注ぎ込むものは、朋友新聞からあのバンドへと変わってしまったので、私は気後れすることなく編集部を去ることが出来たのです。
皆さんも、どうか、新聞だけにこだわることなく、自分の好きなものを見付けたらそれを見失わないようにして下さい、などと説教する気はありません。そのようなことを言われなくても皆さんは強い信念の持ち主でしょうから、自分の進むべき道を進んで行かれることと思います。
それではこれからも頑張って下さい。さようなら。
1994年1月22日
朋友新聞編集部及び読者の皆様へ 善源寺寿恵
--------------------------------------------------------------------------------
敢えてこの手紙に関して我々は何も意見を述べない。ただ言えることは、他愛のない文章を書いていた中学生も、いつも何かを探していたということだけである。
こんなことを書いている我々も、いつかは大人になり、過去を振り返って、己の表現力のなさを笑い、懐かしむことになるのだろう。
というところで、第150号記念小冊子を締め括りたいと思う。
1994年1月24日 編集長 網島和子
副編集長 大宮崇嗣
記者 安田清子
〃 諏訪美恵子
〃 末広千里
〃 中島宏範
〃 野中悠次
〃 菅原 稔
朋友新聞