白眉の線

 私は、何の感情も持たずに、ただイタズラに虫を殺してしまうことがあります。 つぶした時の手の感触も、あのどくどくな匂いも記憶には残りません。当たり前のように虫をつぶし、その内つぶしたこと事も忘れてしまうのです。

 私は、蒸し暑い 丑三つ時のある晩に、蚊を殺しました。その時使ったのは、勉強に使っていた教科書でした。教科書には蚊が少しの体液とともにくっ付いていて そこにいる蚊は僕に恨みの目を向けていました。私はそんな蚊を


   汚い。


 
 と思い、その死体をティッシュで拭いそれをゴミ箱へと放り投げたのでした。

 だけど、気づいたのです。その蚊は確かに飛んでいましたが、私の命の源を吸うために飛んでいたのではなく、もしかしたら私と同じように勉強をしていたのかもしれないと。蚊の雌は血を吸いますが、オスは血を吸わないのです。私は胸が苦しくてたまらなくなりました。私が無意識に殺した命は実は
私に害を及ぼさないものだったのでは?単に机の上を飛んで机を見たかっただけでは?という考えが頭の中を駆け巡り、非常に申し訳ない気持ちになって その内ひどい罪悪感が私を包み始めました。

 私はその日から、一匹も虫を殺さず、一つの命も殺めないと心に決めたのでした。

 私は、奪った命の価値も考えずにただイタズラに、命を殺めてしまった。だから、もうやめようと思ったのでした。責任のとれないことをするのはやめよう、そう固く決心したのでした。


 晴れた日は、道路を歩く蜘蛛を踏まないように、

 雨の日は、カエルに傘の滴が当たらないように、 

 毎日を、命とかかわらずに生きていきました。食べ物は小麦などで作ったパンと少々の野菜を食べていました。口に入れた時に命を奪った感覚がしないものは食べました。最初のうちは肉を口に入れた瞬間に、もだえ苦しむ動物が頭に浮かんでしまい、口の中が酸っぱい感じがしてたまらなくなり、どうしようもなくなって戻してしまうのでした。

 食べたものを毎日皿に戻していた私を母は大変、気味悪がってとうとう私を病院に連れて行ったのです。
 医者と母は私がなんかの病気にかかったと思い心配していました。


 「なんでパンと野菜以外食べないのかい? おなかがすいてしまうよ?」

 と、医者は聞いたから、私は

 「肉を口いっぱいに詰め込んだら 普通 心は幸せで満ち溢れると思うんだ。でも私は知っているんだよ。その肉は食べ物じゃないって事。」

 と私は当たり前のように言いました。ですが、医者はため息をつき、こう言うのです。

 「何を言っているんだい?肉は食べ物だよ。人を幸せにする物だよ。 君は肉が嫌いなのかい?」

 「好きだよ。やっぱり口に入れた瞬間には ものすごい幸福が私を満たすんだ。」


 そういうと医者は小さな笑みを浮かべ、またしかめっ面を作り、私に聞くのでした。

 「じゃあ何で食べないんだい? 好きなんだろう?」



 「私は肉を食べたら幸せな気持ちになる。でもね、そのあとにね、たまらなく嫌になるんだよ。 
    
     私は肉の元の持ち主を考えるんだ、きっとそいつはがっしりとした体なんだよ。そして毎日いろんなことを考えて 
       
         明日を夢見てる。だけど、その姿は今はもうない、口の中に腹の一部があるからね。  

            死んだんだよ、明日を夢見ていた一つの命は、無意味に死んで、私の口に入ってる。

     私は絶望するんだ。輝きを放つ命が私のために消えている現実に、
        
                        私の心に。

        そんなことを考えていたら、大変に気分が悪くなって、気づいたら私の口から、夢見た命の亡骸たちはいなくなっていくんだ。」



 私は、そのあと、生きていくには食べるしかないとか、お母さんを悲しませてはいけないとか、日が暮れるまで話されてへとへとになりました。

 でも、そんなこと言われても 私の考えていることはまったくもって変わることはありませんでした。



 私は、やっぱり次の日からも、命を一つも奪うことなく、生きていました。

 でもやっぱりそんな人と違う考えを持つ私であっても、恋はするのでした。


 彼女はいつも、教室の花に水をやっていました、彼女は自然を愛し、また同じように動物を愛していたのです。彼女もまた私と同じように命を一つも奪うことなく、毎日を過ごして生きてました。


 そんな、彼女と私が惹かれあうのはごくごく自然なことで、毎日を二人で過ごしていました。
 とても幸せでした。彼女は私のゆういつの理解者であり、また私も彼女にとっても同じでした。

 ある日の朝 私と彼女は二人並んで学校へと向かっていました。そうすると、全身血だらけにした白眉心が倒れていました。 

 彼女はすかさず、白眉心に近寄ると、私に手伝うように言ったのです。



 私は困惑しました。 今まで命を大事にするために命から離れていたわけでなく 命を大事にできないから離れていた私にとって、血だらけの白眉心を助ける心は備わっていなかったのでした。そこが、彼女と私の決定的な違いでした。彼女は命を守るために命から離れていたのでしたが、私は、自分を心の底から巻き上がる恐怖からから守るために離れていたのでした。私は、泣いて彼女に詫びました。私が思っていることをつたえました。今、命とかかわるのがあまりにも怖くて何もできないこと、彼女を騙し続けてきて来たこと。私は絶望しました、あぁ、私のこの世の中のゆういつの理解者の彼女は、私を見捨てて、この白眉の線の入った恐怖を感じさせる動物ともにはなれていくのだなぁ、と

でも違いました。彼女は優しく微笑み、

 「知っていました。あなたがそういう人間だということを。
    そしてあなたがそんな自分を恥じていることを、絶望していることを。

   でも、ワタクシはそうは思わないのです。貴方は、貴方や周りの人が思ってるような人ではないと思うのです。

      あなたは、人が肉を食べるときに、深い絶望を抱えるのでしょう?
      
         もし貴方が、貴方が思うような人なら絶望はこれっぽちも抱えず、肉をたらふく食べることでしょう。  

            貴方の心にあるそれは、確かに優しさなのです。 誰の優しさとも違う形の。」

 
 彼女はそういうと、震えた私の手を取ると、静かに白眉の美しい線へと近づけました。
 指先が血糊につくと、やはり身震いをしましたが、彼女の温もりがあったのでどうにかなりました。 
 
 「暖かいでしょう。これは、貴方が必死に遠ざけてきた ぬくもり です。」

 白眉の線は、命の鼓動ともに揺れ動きました、実にそれはくすぐったく おかしかったです。
 彼女は命を素晴らしさを、体感させてくれました。私が彼女に静かにほほ笑むと、彼女は緊迫した表情になり、病院に連れて行こうといいました。

 私はうなずき、彼女の手と 白眉の線の手を置き 病院へと向かいました。

         
      


 

白眉の線

白眉の線

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-01

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