悪意
悪意
1996年東野圭吾著
すごく複雑な展開。
もう何度も覆る事実に付いていくのがやっと(笑)。
特に一番最後の件はひどくて、これはいかにもフィクションだなと思わざるをえませんでしたね。
野々口という男の手記と加賀恭一郎の手記が交互に出てくるのですが、前者の書き方がうまく、おもしろかったです。
加賀の手記は冷静な思考の展開という感じで、感情がこもっていないので読みづらかった。
しかし、この野々口の手記がくわせものなんですよ。
ネタバレですけど。
読みやすくておもしろかっただけに、そうなる!?と突っ込み入れてました。
結局、犯罪者には良い奴はいねーよってこと何ですかねぇ(笑)。
加賀シリーズを今まで読んできて、段々おもしろくなってますけど、この作品が一番おもしろいですね。
前作で犯人当てをやりましたけど、あれよりもこちらの方がよく練られてるなと。
犯人当ては比較的簡単ですけど、動機を探るのはやはり大変だなと思いました。
犯人当ての前作では動機が全く書かれてなかったので、この作品を思い付いたのかもしれませんね。
この作品はテーマが作家の盗作にあるかと思いきや、実は違うテーマが隠されています。
それがいじめという犯罪です。
そしてそれこそが動機につながるわけです。
いじめに加担した方といじめられた側。
どちらが強いのかを暗にこの作品は証明しようとしてます。
つまり、いじめた側の方が弱い人間で、犯罪者(弱い人間)は犯罪を繰り返すということです。
いじめられた側は強い人間であることが多いのはよく知られた事実です。
その関係に犯罪者の心理を重ねるのはさすがだなぁと思います。
1996年に書かれた作品ですが、学校のいじめという犯罪に向き合う姿勢は清々しいです。
加賀自体も教員としていじめ問題に直面し、学校をやめています。
それだけ重いテーマということです。
いじめ問題は解決してませんが、最後はなるほどと納得できる終わり方でした。
少なくとも盗作疑惑よりは腑に落ちる終わり方だと思います。
そして最後の手記は加賀によるものです。
犯人の言葉は一切でてきません。
それもなんか良かったです。
犯罪者は黙れと言っているようで。
潔い感じがしました。
それにしても、犯人はあんなに昔のことをよくもまあ心に大事にしまっといたものです。
だから弱い人間なのでしょうね。
強い人はさっさと忘れて前に進みますよ。
その方がかっこいいし。
強い生き方をしたいものです。
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