風の強い日に
この世に生れてから去るまでの間に、人は何を残すのだろう。
この世を去る時には、満足が有るのだろうか?
それとも後悔が残るのだろうか?
風の強い日に 死んでしまおう
魂は天国への途中で 風に吹かれて彷徨うだろう
(天国の門番さん 地上に未練が残って道草する私を許してください
そして そちらに辿り着いたら 優しく迎えてください)
雨の降る日に お葬式をしよう
参列者の頬は 涙か雨か判らず濡れるだろう
(涙を隠したい人には誤魔化す言い訳になるだろう
泣くほど悲しくない人も 悲しいふりが出来るだろう)
良く晴れた日に お墓に入れてもらおう
乾いた地面の下の 湿った土が受け入れてくれるだろう
(出来れば樹の苗でも植えてもらいたいが 何十年後かに大樹になり
墓地の邪魔者になっても迷惑だろうから 諦めよう)
虹の架かる時に 思いだしてもらおう
あの橋を渡って行った者が居た事を
(いずれその人も あれを渡るのだ
そしてその想いを さらに引き継ぐ人が居て 命は続いていくのだ)
風の強い日に
半世紀以上も生きて、そろそろ人生の終わり方も気になるようになってきた。
自分という個体が居なくなっても、残されるものは有るのだろうか?
残された人達の記憶だったり、愛憎の感情だったり、
さまざまな記録や業績だったり、命だったりするのだろう。
そして・・・いずれ、その人たちも、自分の思いを残った人に伝えて、去って行く。
命を伝える事の永続性を思いながら、この世を去る事を綴ってみました。