世界は竜龍と共に 2

世界は竜龍と共に 2

大陸サンガイア――南部を人間、西部を白魔族、北部を黒魔族、そして東部をドラゴンが治める4つの国と、その中央に位置する聖域から成る広大な大陸。
物語は人間の国フェニール北部、森の中の小さな町ネストから始まる。
龍が奏でるその唄は、滅びる町への鎮魂歌だろうか。

2. 二人の魔族と龍の唄 Ⅰ

      2.1. 手料理

 田舎町ネストの呪が解かれて2週間が経とうとしていた。相変わらず悪魔の青年リップルは医師タフタの家に居候している。町の水源だった湖が魔力を帯びるようになり、水を飲めば呪が解けるようになった事は良かったのだが、湖の魔力は普通の人間には強すぎる。強い魔力に慣れていない人間が湖の水を飲み続ければ、魔力過多で体を毒してしまう。この事実の周知と新しい水源の確保を手伝っていた結果、当初の目的を果たしたはずのリップルはまだネストにとどまっていたのだ。
 水源の目処は立った。ここからは人間の持つ土木建築の技術の出番である。湖の水に関する知識も(理解したかどうかはさておき)ほとんどの町の人に伝えることができたので、ようやくリップルはお役御免となった。夕方、診療所の横の家へ戻ったリップルに、玄関先で近所のおばさんと談話していたサージの母が声をかける。
「お疲れ様!」
「どうも。・・・あれ、夕飯は?」
 普段、この時間はサージの母は夕飯を作っているはずだ。こんな場所で油を売っているのはおかしい。
「あぁ。うふふ!」
 サージの母と、話し込んでいた3人のおばさんたちがそろって意味深に笑い始める。そして手をパタパタさせながら口々にまくしたてる。
「今日はサージちゃんが作ってるんですって。」
「腕によりをかけてねぇ。」
「気合が入ってるみたいよ~。」
「私、助かっちゃったわ。」
「リップルさんのお仕事の労をねぎらうためですって!」
「胃袋を掴まなきゃいけないものねぇ!」
「良いお嫁さんになるわよ~!」
「まぁ、まだそうと決まったわけでは・・・!」
 有用な情報が4分の1しか含まれていないおばさんのお喋りにリップルは苦笑いするしかない。そんな彼を救うかのように玄関が開き、サージの父が顔をのぞかせる。
「晩御飯できたって・・・あぁ、リップル君、お帰り。」
 サージの父は一瞬でこの状況を理解したらしい。いさめるように妻と近所のおばさんたちに視線を移す。
「ポーラ、リップル君を寒い所に立たせっぱなしは良くないよ。疲れているだろうから。」
 軽い会釈をしつつ、逃げるようにして家の中へ滑り込んだ。

 かぼちゃのサラダ、クリームシチュー、ウサギのソテー、パウンドケーキ、紅茶と、とにかくその日のサージは気合が入っていた。料理だけでなく、身だしなみも完璧だ。髪を綺麗に1つ結びにし、黄色い花の髪飾りをつけている。そして今の時期には少し涼しいであろう淡い水色のフリルのワンピースなんて召して、はっきり言っていつも以上に可愛い。
「ふふ・・・頑張っちゃった。」
 リップルの隣の席に座りながらはにかむ彼女からはほのかな花の香りがする。リップルはぎこちなく視線をサージから手元の料理へ移す。
「じゃ、食べようか。いただきます。」
「いただきます。」
 サージの父の号令を合図に4人は同じ食卓を囲んでサージの料理を食べ始めた。まずはシチューを口に運んだリップルは一瞬顔を引き攣らせかけたが、ポーカーフェイスでどうにか飲み込んだ。味が濃い。というか、塩辛い。嫌な予感がしてサラダとウサギ肉も一口ずつ食べてみる。やはり全部ふんだんに塩が使われていた。
「ん・・・サージ・・・味見はしたの?」
 精一杯の作り笑顔でサージの母が問う。パクパクと自分の料理を食べるサージはきょとんとした。
「したよ。味付け完璧でしょ?」
 確かにこれがかぼちゃの塩漬け、塩シチュー、ウサギの塩焼きだと言うなら完璧だろう。3人は大いに項垂れた。
「亜鉛不足かな・・・」
 サージの父がぼそりと呟く。
「どう、リップル。おいしい?」
 今、一番聞かれたくない質問にリップルは向かい側に座るサージの両親の顔を見た。2人とも目が泳いでいて当てにならなそうだ。覚悟を決めて、リップルは答えた。
「えっと・・・。かなり、し・・・塩辛い・・・です・・・はい・・・すみません・・・。」
 段々しかめっ面になっていくサージを見て、思わず敬語で謝ってしまった。翡翠色の目が『そんな訳ない!』と訴えている。
 これ以上気圧されないよう咳払いして、リップルはサージの頬を両手で包んでブツブツと呪文を唱えた。急に頬に触れられてサージの肩が跳ね上がる。
「はい。食べてみて。」
「?」
 頬を赤くしながらも不服そうにシチューを食べた。その瞬間、先ほどよりも大きく肩を跳ね上げて、サージはむせ込んだ。
「しょっぱ!なにこれ!!」
「味覚を並に矯正した。地味に魔力を使わせるなよなぁ・・・全く・・・。」
 今度は恥ずかしさから耳まで赤くしてリップルを見上げる。リップルは頭を掻いて何か考えている。
「え~っと・・・料理がらみの魔法はあんま知らないぞ・・・えぐみ取りの魔法の流れからすると・・・」
 うろ覚えの魔法によって、食卓に並ぶ料理の味はさらに混沌としたものへと変わっていった。


      2.2. 求婚

 リップルが借りている屋根裏部屋に、梯子を途中まで登ってきたサージが顔を出した。どうにか料理が食べられる味にまとまり、夕食が終わったのは結局22:30頃だった。サージがめいっぱいおめかしした目的が果たせないまま、各々就寝する流れとなってしまった。ここまで気合を入れて、今更引き下がるわけにはいかない。
「リップル。」
 ベッドの上に胡坐をかいて短刀の手入れをしていたリップルはギョッとした。階下から頭だけのぞかせている状態だと、生首のように見える。脳裏に浮かぶ暗いイメージを頭を振って払い、手元に視線を戻した。
「何だ?」
 刃に窓から差し込む月明かりを反射して鋼に歪みが無いことを確認する。映り込む紅色の瞳がある男を思い出させる。
「話があるの。今いい?」
「ちょっと待て。」
 刃を柄に差し込み、固定して鞘に納める。そして鞘をベッドの柱にかけられている腰ベルトに装着する。
「よし。何?」
 しずしずとサージは梯子を登りきり、湖から持って来てあったリップル手製の木の椅子に腰かけてリップルと向き合う。月明かりが鼻から下を照らしていて、整った唇の動きがよく見える。
「まずは、今日の晩御飯、ごめん。あんなに張り切ってたくせに・・・なんか空回りしちゃって馬鹿みたい。」
「ま、味覚が狂ってたわけだから仕方ないさ。頑張ってるアンタの姿は見てて楽しかった。」
 桃色の唇が笑う。リップルに嫌われてしまったのではないかと心配していたが、杞憂だったようだ。気を取り直してここからが本題、と、姿勢を正す。
「リップル。本当は夕食の席で言おうと思っていたの。驚かないで、聞いてね。」
 一息ついて、ゆっくりと深呼吸し、ゆっくりと瞳を開ける。
「私、リップルが好き。」
 そんなことは分かっていた。リップルは表情一つ変えずにサージの言葉に耳を傾ける。
「貴方を心から愛しています。」
 より強い表現で言い直す。不安と緊張で高鳴る鼓動が耳の横で聞こえる。返事を聞く前から泣き出しそうな自分に鞭打って、サージは言い切った。
「私と・・・結婚してください。」

 少しだけ、紅い瞳がより大きく開かれた。だが、やはりリップルは表情を変えない。不安が最高潮に達して、思わず立ち上がった。真っ赤になっている頬を両手で包み、ぎゅっと目を閉じる。
「わっ・・・わっ!恥ずかしいから何か言ってよ!」
 それでもリップルは無言でサージを見つめ続ける。
「そ・・・そりゃ、まだ私たち出会って1月も経たないし、急すぎる話だとは思うけど、でも!お父さんやお母さんも了承してくれたし、その・・・リップルが・・・嫌じゃ・・・・・・・なければ・・・えっと・・・・・・。」
 風船の空気が抜けるようにサージの声と動きは小さくなり、最後には再び椅子に不時着した。怯えたような目でリップルの紅い瞳を見つめ返す。
「・・・知ってたし、気づいてた。アンタが俺に好意を寄せていることにも、求婚しようとしていたことにも。」
「なっ・・・!」
 自分の言葉にいちいち身体をビクビクさせるサージの反応が面白いと思いつつも、まったく笑顔にはなれなかった。彼女を失望させることが分かっていたから。
「でも、ごめん。俺はアンタとは結婚できない。」
 すぐには理解が出来なかったらしい。サージは時間が止まったかのように固まった。
「いや、言い方が悪いな。確かにアンタは綺麗だし、聡明だし、慈しみ深いし、良い妻になれると思う。でも、俺はそんなアンタの夫として相応しくない。俺は誰の夫としても相応しくないんだ。」
 そんなことない、と反論したいが、喉がつまって言葉が出ない。
「俺はアンタやアンタの両親や他のネストの人間が思っているような善良なヒトではない。アンタらの前でまだ悪行をなしてないだけなわけ。生きていくためなら何でもする、誘拐でも拷問でも殺しでも何でも・・・そういう男なんだよ、俺は。」
「でも!・・・でも・・・・・・」
 どうにか声は出たものの、繋ぐ言葉が見つからない。涙が零れ落ちるのを止めることなどできぬまま、サージはベッド横の床に膝をつき、リップルの手に自分の手を重ねた。震えるその手は上手く彼の手を掴むことができなかった。
「・・・この町に長く居すぎた。期待させて悪かったな、サージ。」
 せめてそのまま泣き始めたサージの頭を撫でてやろうかと考えたが、これ以上優しくするのは彼女のためにならない。そもそも、他人に優しく、などできる質ではないのだから。
「俺も夕食の席で言おうと思っていたわけだが、明日、この町を出る。イデア捜索の依頼主に会いに行って、そのまま旅に出る。ここにはもう、戻らない。」
 サージは泣き崩した赤い目を上げる。行かないで、と訴える翡翠の瞳を直視できない。
「せめて・・・せめて教えて。貴方の本心を・・・。・・・貴方は・・・私の事・・・好き?」
 ここで嘘をつくことは彼女への最大の裏切りだ。そう思い、リップルはサージの白い右頬に指を添わせる。親指に冷たい涙が触れる。
「初めて会った時から・・・好きだ、サージ。」
 答えに迷いは無かった。自分が一人の人間を愛してしまっていることがどれだけ危険な事か、リップルは分かっていた。だから、取り返しがつかない事態になる前に、彼女の元を去ると決めたのだ。
 夜はふけ、彼女の最後の平穏な日が終わろうとしていた。

2. 二人の魔族と龍の唄 Ⅱ

2. 二人の魔族と龍の唄 Ⅱ

      2.3. 巫女の責任

 湖の底から浮上したリップルは驚いた。湖の畔に町の人間が集まっていたのだ。
「ずいぶん長い事潜っていられるんだね。それも魔術なのかな?」
 相変わらず研究熱心なサージの父がリップルの手を引いて湖から上がらせる。
「起きたらいないんだもの。驚いちゃったわ。」
 サージの母が柔らかいタオルを手渡す。こんな早朝に町中の人を集めたのは顔が広く、行動力のある彼女だろう。戸惑うリップルはタオルで水をふき取りながら、2人の後ろにいるサージを見た。昨晩は泣き明かしたのだろう。瞼が全体的に腫れぼったい。そして、なぜか祭りの衣装をつけている。
「リップルさんがまた旅に出ると聞きまして、皆集まったのです。」
 水色の縦縞の寝巻を着たままの町長が言う。曰く、送別会を催したいとのこと。そんな事だろうと思っていたリップルは最初の宴の時よりも強く断った。
「今から発つところです。これ以上この町に長居はできません。」
 荷物を腰に下げ、リップルは深く頭を下げた。そして別れの挨拶を告げる。
「お騒がせしました。皆さんの温かいもてなしに感謝しています。ネストに幸のあらんことを!」
 頭を上げると、サージが目の前にいた。踵を返して、離れたくない気持ちが起こらぬうちに立ち去ろうとする。しかし、彼の右腕をサージが掴んだ。迷惑そうに振り返る。
「私も連れて行って。」
「はあ!?」
 リップルは苛立ちを隠さなかった。ろくに武器も扱えない人間の若い女を連れて一緒に旅などできるわけがない。
「いいか?世の中はアンタが思っているほど平和じゃない。いくら何でも・・・危険すぎる。」
「迷惑かもしれないけど、私は行きたいの。お願い、リップル。」
 荒々しいため息をついて、リップルは厳しい視線をサージに向ける。しっかり突き放しておく必要がありそうだ。
「もう少し物わかりが良いと思っていたのに・・・。はっきり言って、アンタは足手纏い以外の何ものでもない。お荷物を連れて旅するほど俺はお人好しじゃないわけ。」
 昨夜のように涙を浮かべながら、それでもサージは食い下がる。リップルの腕をつかむ力が強くなった。
「足手纏いなのは重々承知よ!でも、私はこの町の巫女として、イデアさんの捜索依頼をした人に会って謝らなきゃいけない。その人はイデアさんの大切な人なんでしょ?」
 リップルは目をぱちくりさせる。祭りの格好をしている訳が分かった。
「だから、その人に会いに行くというなら、私も連れて行って。町の代表として謝罪したいの。例え許してもらえなくて殺されてもかまわない!」
 町の人がざわめく中、サージの両親は顔をしかめものの、娘を止めようとはしない。彼女の覚悟と決意が固いことを理解しているようだ。冷静になって、リップルはサージの瞳を見つめる。
「・・・言っておくが、依頼主はイデアの妻だ。」
 もちろん、彼女も橙龍(とうりゅう)である。
「龍の怒りを買う恐ろしさは身に染みて承知しているな?それでも行くと言うのか?」
 溢れそうな涙の向こうから、強い意志を宿した瞳が見つめ返してくる。答えは聞かずとも分かっていた。
「神を守れなかった巫女の責務を果たさせて、リップル。」
 声は右腕に感じる彼女の手と同じように震えていたが、迷いは無かった。紅の瞳を閉じ、深く息を吐く。
「負けたよ。わかった。連れて行こう。」
 サージは笑った。こんなに見ていて辛い笑顔を、リップルは初めて見た。

 橙龍が森の木々の先端を縫うようにして飛ぶ。その後頭部には流星色の髪と白い衣をたなびかせるサージが乗っていた。滑らかな赤い(たてがみ)を両手で掴んで落とされないようにしている。
「湖に潜って・・・イデアさんの遺骨を集めてたの?」
『まぁ、そんなところだが・・・これを探していた。』
 右前足の2本の爪に、夕暮れの光を反射するものが挟まれている。小ぶりの盾のようなそれは、向こうが透けて見えるほど薄く、赤みがかった琥珀のようだ。
『もし、イデアが死んでいたら、逆鱗を持ってくるように、って依頼だったわけ。』
 ドラゴンの鱗の中に、1つだけ逆向きに生えるものがある。それを逆鱗と呼び、触れるとドラゴンが激高するという。だが、ばらばらになった鱗の中からどれが逆鱗なのかよく分かったものだ。
「逆鱗が龍にとっての形見なの?」
『ああ。個体によって微妙に異なる形をしているしな。・・・って、俺のを探すな。』
 にわかにキョロキョロし始めたサージに釘を刺す。さらにドラゴンの逆鱗を探す事は、人間で例えれば裸を覗こうとする事と同じくらい失礼なことだ、と教える。
『まぁ、アンタが俺の裸を見たいっていうなら止めないが。』
「なっ・・・!そんなわけ無いでしょっ!」
『そっか、1回見てるしな。別段新しさも無いか。』
「っ!!」
 懲らしめてやろうと、からかうリップルの鬣を強く引っ張る。対して痛くない上に、うろたえるサージが可笑しくてリップルは喉を震わせる。ヒトの声とは異なる『クルルル』という音がした。
『ようやく震えが治まったようだな。』
 ネストを出発する前からずっと、サージは震えていた。龍に殺されに行こうというのだ。震えない方がどうかしている。リップルがそんな自分の気を紛らわせようとしてくれていたことに気づき、感謝の気持ちから鬣に顔をうずめる。ふさふさした肌触りが気持ちよかった。
「・・・イデアさんの奥さん、怒る・・・よね。何の罪もない夫を殺されたんだもん。」
 威勢よく啖呵を切ったものの、やはり怖い。それでも彼女をここまで連れてきたのは、巫女である自身の不甲斐なさとイデアへの罪悪感、そして出来るだけ長くリップルと一緒にいたいと思う気持ちである。
『まぁとにかく、俺も説得してみるさ。だからそんな怖がるな。』
 依頼主が町の人間を許さなくとも、サージの命を奪うことは無いという確信がリップルにはあった。依頼主も気づくであろう。リップルがここまでこの人間の女に肩入れする理由に。
『・・・あの山だ。』
 前方に青い岩でできた山が見えて来た。大昔の噴火によって頂上付近が大きく抉られ、カルデラが形成されている。カルデラの中へ橙龍は降りていった。


      2.4. 白の魔族

 無事にサージが帰還したら、祝いの宴を開こう。そのためにネストの人間たちは中央広場に宴の準備をしていた。湖の水を汲みに来ていた女性グループのひとりが見慣れない人物を発見したのは秋の日差しが赤く傾くころだった。
「・・・?」
 その人物は頭から足もとまですっぽり隠す白いローブを着、銀のチェーンの先に黄色い宝石がついたネックレスをグルグル右手の人差し指で回しながら、ぶらぶらと湖の対岸を歩いている。足元をずっと見つめているため顔は分からない。見るからに怪しい。
「どうかされましたか?」
 一人が勇気を出して話しかける。不審者はすこし驚いてハッと頭を上げた。フードの内側から、褐色の肌が見えた。
「あーっと、この町の人間すかー?」
 やや訛りのある不審者は自分が怪しまれていることに気付き、フードを外す。短い金髪を撫でつけると、両耳につけたピアスが揺れた。その青年は褐色の肌からすぐに白魔族だとわかる。大陸西部の砂漠に住む白魔族は、強い日光から肌を守るために褐色の皮膚を持っている。
「怪しい者ではありません・・・ってーとめちゃくちゃ怪しいけど、見ての通り、オレは白魔族す。」
 湖を迂回して来るのかと思いきや、まるで地面の上を歩くように平然と水面を渡って来た。女性たちはさらに警戒して数歩下がる。
「ヒトを探してまして・・・。ここらに赤くて長~い髪の、血みたいな色の目ぇしてて、目つきの悪ーい男が来ませんしたか?」
 すぐにリップルのことだと分かった女性たちは互いに顔を見合わせる。白魔族を納める法王と人間の連邦議会との間には友好協定が結ばれているため、人間は白魔族に対して警戒心を抱くことはあまりない。だが、今のネストの人間にとっては、いきなり現れた白魔族の青年よりも、悪魔のリップルの方が信用に足る人物であった。白魔族が悪魔を探す理由などただ1つしか思い浮かばない。女性たちはローブの男がリップルの命を狙って探していると思い、さも知らぬ体でふるまう。
「赤い髪の・・・?そんな悪魔を見たなんて話聞いたことないわ。」
「奥さん知ってます?」
「さぁ・・・?田舎町なのでそんな目立つ風貌のよそ者がいたらみんな知ってますよ。」
「ここらに悪魔が出ることなんてあまりないから・・・ねぇ?」
「そうそう。すみませんねぇ、お役に立てなくて・・・。」
 青年はふ~ん、と唸って顔の横の髪を一束いじる。蒼い瞳が全員の表情をうかがっている。空気を切り替えるように手を打って、青年は一礼した。
「あーっと、まずは自己紹介からした方が良さそうすね。オレはウェストサンバースから来たコミティっす。」
 ウェストサンバースというのは大陸西部にある白魔族の国ホワイガーの首都である。ネストからは直線距離にして3000km以上ある。随分と遠い場所から来たものだと、女性たちは驚いた。
「でー、質問を変えますけど、この町に来ているはずのリップルって黒魔族は今どこにいますか?」
 黒魔族というのはいわゆる悪魔のことである。『悪魔』と呼ぶのは彼らを恐れる人間か彼らを卑しい一族と見下すドラゴンくらいで、ほとんどの種族は『黒魔族』と呼称する。そんな中、リップルが自らを『悪魔』と呼んでいたのには訳があるのだが、その理由は後ほど語られることになる。
「え・・・」
「いいっすか?この湖にはリップルの魔力を感じるし、オレがうろうろしていた所にはアイツが書いた魔法陣があった。それでもって俺は一度も探してる奴が悪魔だなんて言ってない。」
 『悪魔』と発言した数人が口を手でふさいだ。
「ともかく!オレとリップルは知り合い・・・友達・・・いや、兄弟みたいなもんで、伝言があるから探してるだけなんすよ。」
 白魔族と黒魔族は大昔から険悪な仲である。白魔族のコミティと黒魔族のリップルが兄弟だなんて考えられない。余計に不審がられたコミティは何と説明すれば信じてもらえるか頭をかかえた。
「ん~、まぁいいや。後で本人から説明してもらうわ。」
 湖の反対側にあったリップルの魔法陣は瞬間移動魔法の到着場所に描くものだった。どこへ行ったかは定かではないが、近いうちにあの魔法陣へ飛んでくることは間違いない。ならばここで待っているのが得策であろう。コミティは祭壇の横に腰かけた。

 コミティの事を気にしつつ、女性たちは宴の準備を再開した。怪しい白魔族がリップルを探しているという情報を聞きつけた他の人間たちもたまに様子を伺いに来る。その中にはもちろんサージの母も入っていた。
「貴方がリップル君のお友達・・・?」
 そしてもちろん話しかける。好奇心旺盛な所は流石サージの母親といったところだ。
「はい。・・・って言っても信じてもらえてないみたいっすが。」
 すっかりふて腐れたコミティは胡坐をかいて膝の上で頬杖をついている。サージの母の視線は彼の足に止まった。めくれ上がったローブの裾から覗く右足首には銀色のアンクレットがついている。アンクレットにはC.S.W.Cという文字と、渦巻く水のような紋章が刻まれていた。
「それ、リップル君がつけていたブレスレットと似ているわね。」
 自分の右手首を握ってみせるサージの母に、コミティはあぁ、と笑いかける。
「オレがあげたものす。」
「あら、そうなの?ふふふ・・・お揃いのアクセサリーって、何だか婚約指輪みたい。」
 コミティは変な妄想をされている予感がして、弁明しておいた方が良さそうだと思った。
「言っておきますが、男同士の恋愛とか、そういうのじゃないっすよ。兄弟の証みたいなもんす。白魔族と黒魔族が兄弟とか余計に信じてもらえなさそうっすが。」
 なんだ、そういう関係じゃないのか、と何故か見るからに残念そうなサージの母。女ってのは種族に関わらずどいつもこいつも、などと言えるわけもなく、コミティは話題を変えることにした。
「あーっと、リップルって随分と信頼されてるようっすが、何かあったんすか?」
「えぇ・・・。」
 黒魔族の襲撃、呪い、龍、神・・・。サージの母はいきさつをかい摘んでコミティに語った。
「世界には優しい悪魔もいるんですね。」
「・・・。」
 否定も肯定もしなかった。殺生を嫌う黒魔族も確かにいるが、リップルはその中に含まれないとコミティは考えていた。しかし、ここで無駄に反論して波風を立てるのもいかがなものかと思ったために沈黙を選択したのだ。
 ふと、コミティは湖の向こう、森の先の空を見上げた。つられてサージの母も視線の先を見やるが、夕空が広がるばかりで特に変わったものは見当たらない。それでも何か感じたらしく、青年は眉間にしわを寄せ、髪をひねった。
「貴女の娘さんを襲ったっていう黒魔族、死体を確認しましたか?」
 これまでにない低いトーンで質問をする彼にはやや焦りが見える。サージの母は不安を感じながら答えた。
「・・・悪魔の死体はリップル君が処理したと言っていたわ。確認は・・・していないけど・・・。」
 コミティは深く息を吐いてからゆっくりサージの母に向き直った。それから湖に来ている人間を見回し、町へ戻ろうとするグループを見つけて叫んだ。
「ここから離れるな!」
 急に呼び止められて驚く人間にゆっくり訳を説明している時間は無い。右手を横にかざすと手の中に光の筋が集まり、身の丈ほどの長さの白い杖が現れる。白い3本の蔓が互いに絡み合い、先端で青白く輝く獣の牙のような水晶を支えている。その杖の先を体の前で小さく回しながら、呪文を唱える。

   夢と(うつつ) 隔てる水面(みなも)
   幻の内に真実を隠せ
   水の調べ第2段14節
   『水 神 の 守 り』(ラグズアンサズシールド)!!

 最後に杖の先を湖へ向けると水が輝き、行く筋もの柱が伸びて湖周辺の広場を覆うように広がる。外からの攻撃を防ぎ、人間だけを通す水の結界である。
 白魔族は呪文を唱えることで自然界に存在する魔力と自らの内なる魔力を同調させ、自在に操る術を持つ。血を対価に用いる黒魔族の呪や黒魔術に対して、白魔術と呼ばれる秘術である。術が完成した直後、夕暮れの空は黒い使者の大群で埋め尽くされた。

2. 二人の魔族と龍の唄 Ⅲ

      2.5.龍の唄

 大陸西部はドラゴンが統べる獣の世界が広がっている。うっそうと生い茂る原生林、荒々しく進む川の急流、激しい大地の起伏に火山や地溝が待ち受ける未開の土地である。ブルゴン地方――ヒトはこの土地をそう呼ぶ。
 リップルとサージが降り立った山はブルゴン地方の南西部、大陸の中央よりやや東に位置する休火山、響釜(ひびきがま)である。活動を終えた山は最後に噴き出した魔力によって青い水晶で覆われ、硬すぎる山肌にはブルゴン地方の強い生命力を持つ植物でさえ生えることができずにいる。淡い光を放つ巨大な水晶の一つに後ろ足を着けたリップルは、周囲の気配を探って首をめぐらせる。
『・・・あっちだ。』
 低空を滑るように飛ぶと、尖った水晶帯を抜け、氷が張った水面のような平原でまた足を着ける。今度は前足も着け、四つん這いになった。カルデラの中央に1本の大樹が生えていた。否、これは木ではない。かつての火口から噴き出した魔力がそのまま結晶化し、木のように見えるだけだ。
 水晶の大樹の下に、銀色の鬣を持つ橙龍が寝そべっていた。水晶の光に照らされたその姿は幻想的で、何とも美しい。橙龍は来客に気づいて目を開けた。澄んだ紫水晶(アメジスト)のような瞳が赤い鬣の橙龍を見つめる。リップルは身体を低くし、顎を地に着けた。目上のドラゴンに対する丁寧な挨拶だ。軽い会釈で返した橙龍は立ち上がり、前足で客人を近くへ招いた。リップルはゆっくり樹の近くへ歩む。
「クルルル」
 身体一つ分の距離を残して立ち止まったリップルに橙龍が声をかけ、座るように促した。2頭の龍は腹を水晶に着けて座る。この間、リップルの鬣の中に隠れていたサージは緊張から息を止めていた。
「・・・クルリュ クゥ、クルルクリュ。」
 雄と雌の違いだろうか?依頼主の橙龍よりもリップルの発する鳴き声の方がやや低く響く。リップルはイデアの逆鱗を依頼主に見せた。依頼主は驚いた様子もなく、左前足を広げる。その前足に向けて逆鱗を浮遊させて飛ばし、依頼主に渡した。しばし逆鱗を愛おしげに眺めた依頼主は、ゆっくりと紫色の瞳をリップルに戻した。
『さて、それで、そなたは何を乗せているのかしら?』
 急に人間の言葉が聞こえてサージは驚いた。リップルに促されて龍の背から滑り降り、リップルの前に立って一礼した。
「あ・・・あの・・・わっ・・・私は・・・ね・・・ネストに住む・・・人間で、サージ・・・っと申します!」
 頭を下げたまま自己紹介をする。怖くて橙龍の姿を見ることができない。それでも言わなくてはと使命感に駆られ、目を見ずに一方的に話す失礼を承知の上で考えていた謝罪の言葉を一度に言い切った。
「私は町の守り神を祭る巫女です!神として私たちの町を守ってくださっていたイデアさんを、私たち人間の勝手な都合でし・・・しなっ・・・死なせてしまいましたっ!どんなにお詫び申し上げようと許されないことだと分かっています。でも、どうしても貴女と、イデアさんに謝りたくて、こうしてリップルに連れてきてもらいました。申し訳ありませんでした!」
 サージは膝をつき、頭を冷たい水晶に打ち付けるように土下座をして謝った。すこし間を開けて、龍が立ち上がり、近づいてくる気配を感じた。募る恐怖に全身が震え、目を開けることも息をすることもできない。
『お待ちください。この巫女は姿が見えなくなったイデアの事を誰よりも案じ、闇に堕ちた彼の呪いを受けながらも浄化してくれました。』
 依頼主から守るようにサージを前足の間に入れてリップルは説得を試みた。
『どうか彼女の勇気に免じて命だけはお助けください。お願い申し上げていた報酬はいりません。この巫女を助けていただければそれで十分です。』
 リップルの言葉に一瞬、依頼主の足が止まった。しかし、彼女の鋭い眼光でリップルは引き下がらざるを得なくなる。依頼主はサージの目の前まで進み、彼女を見下ろした。
『巫女よ、頭を上げなさい。』
 ぎこちなく、サージは顔を上げた。間近に見る龍の姿は差し込む月明かりに美しく光り輝いていて、すくむほど恐ろしかった。それでも龍はじっとサージを見つめてくる。勇気を振り絞って、サージは紫水晶の瞳を見つめ返し続ける。

 と、龍が目を閉じた。同時に龍の身体が輝きだしたのを見て、何か魔法が来ると思ったサージはギュッと目をつぶって固まった。死への恐怖が最高潮に達したとき、暖かいものが頬に触れた。細長く、柔らかいそれはヒトの手のようで、予想外の感覚にゆっくり瞼をこじ開ける。
「!?」
 すぐには何が起きたのか理解ができない。サージの頬を撫でながら覗き込んでいるのは、自分と同じ顔をしたヒトの女性だった。異なるのは細い銀色の長髪と、吸い込まれそうな紫色の瞳、それと、やや歳をとっていることくらいだ。
「リップルちゃんは狡いわ。あたしがこの顔を殺せるわけがないじゃない。あたしがこの顔をそなたから奪えるわけがないじゃない。本当に狡い。」
 鈴が鳴るような美しい声の女性は、自分と同じ顔を優しく見つめている。唖然として何も言えずにいるサージの後ろで、リップルもヒトの姿になる。
「俺はそういう男ですよ。」
 リップルの暖かい手が肩に乗せられてようやくサージは浅くではあるが息をできるようになった。頭が働くようになり、龍が何故自分の姿に化けたのか疑問に思うこともできた。それでも恐怖に固まった身体はまだ自由に動かすことができず、声も出せずにいた。サージの疑問を読み取ったのか、女性は薄橙色の唇で説明する。
「何故、あたしがそなたと同じ姿に化けたのか不思議に思っているわね。そうじゃないの。変身術というのは術者の魂が他の生物の肉体に宿った場合の姿に化けるものなの。だから、あたしは人間に化けようとすれば必ずこの姿になる。あたしとそなたは似た魂を持つという事よ。」
「似た・・・魂・・・?」
 ようやく声が出た。しかし緊張で乾いた喉からは掠れた声しか出なかった上に、若干の酸欠で思わずむせこむ。リップルに背をさすられるサージの姿を見て、女性はクルクルと笑った。
「世界に同じ顔が3人はいる・・・って話をあたしにしてくれたのはリップルちゃんだったかしら?今まであたしはその話を信じていなかったけれども、本当なのねぇ。驚いちゃった。」
 そう言うと女性はサージの手を引いて立ち上がらせる。背丈は女性よりもややサージの方が高い。見下ろす形になってしまい、サージは居心地の悪さを覚えた。
「あの・・・私・・・」
 女性はサージと両手を繋いだまま瞼を閉じた。そしてうっとりとした目で空を見上げる。満月がカルデラの淵から3人を見下ろしていた。
「月夜の巫女・・・いえ、満月の聖女・・・そうね。そうだわ。」
 唐突に独り言を口ずさむ。紫水晶の瞳はリップルへと向けられた。
「あらあら、あたしはこの巫女に呪いを授けなくてはならないみたい。」
「え・・・!」
「呪い?」
 他人事のような台詞に再びサージは凍りつく。
「命を奪うような呪いではないわ。むしろその逆・・・あぁ、なんて残酷なの・・・それでも・・・。」
 瞳を伏せて、ここにはいない誰かと会話するように呟く。サージは助けを求めてリップルを見た。リップルは眉間にしわを寄せてはいるものの、彼女を止めようとは思っていないようだ。無言で女性の独り言を聞いている。
「・・・これはそなたへの罰。そして満月の聖女となるための試練。」
 何か決心したらしい女性は、しかとサージの目を見つめて語りかける。イデアを浄化した時と同じ不思議な感覚が全身に広がる。このとき女性は龍の言葉で話していたのだが、意味をすべて理解することができた。
 軟かに輝きだした女性の周囲の水晶が幻想的な光を反射する。龍の姿に戻った女性は、鈴のような美しい声で唄い始めた。
「そなたにはこの言葉と呪を授ける。
   
      新月の巫女 魂を屠る剣
     満月の聖女 生命を得る杯
       七色の光 導かれて
   世界の理 虹の輪の下に降臨せよ

 世界に光が溢れ視界が眩む。全身に小さな痛みが走った直後、感覚が遠のいて行った。耳の中で龍の唄が木霊する。何も考えられなくなって、深い意識の底へ落ちていく。

 こうしてサージは龍の呪を受けた。

 足首に小刀で傷をつけ、流れ出る血で水晶の上に魔法陣を描く。そのリップルの動きをヒトに化けた依頼主はしゃがんだ膝の上で頬杖をついて眺めていた。彼女の傍らには未だ気を失っているサージが寝かされていた。
「瞬間移動魔法でネストへ戻るの?さっきは飛んで来たじゃない。」
 陣を描きおわり、止血をする。先ほどからリップルは依頼主の事を見ないようにしている。
「急きょサージを連れてくる事になったから、ここに描いておいた1人用の魔法陣では一緒に飛べなかったんです。」
 瞬間移動魔法を使うには事前に飛びたい場所に魔法陣を描く必要がある。陣にはそれぞれ飛べる人数制限があり、描いた陣の人数制限を超える人数は飛べない。今回リップルはネストの湖の近くに2人用の魔法陣を描いてきた。
「ふ~ん・・・。ところでリップルちゃん、血とか魔力とかは足りるのかしら?一日中飛んで来て、さらに移動魔法まで使うのよ。あたしが思うに、帰ったらそこそこヘトヘトじゃないかしら?」
 現在、2人(正確に言えば1人と1頭)は龍の言葉で話しているのだが、これが人間の言葉だったなら「そこそこヘトヘト」を「トコトコそとそと」と言いそうだなぁ、なんてわりとどうでもいいことを考えながらリップルは目をつぶった。そして自分の体に満ちる魔力の強さを計り、目を開ける。
「いえ、今日は黒魔術を使っていないので血は魔法陣を描く程度にしか消費していません。それに、俺は貴女の思うほど軟ではないですよ。」
 依頼主はリップルが黒魔族とのハーフなので、能力等々全てが龍よりも劣ると思っている。依頼主に限らず、ドラゴンというのは己たちが最も強く気高い生き物だと信じて疑わない。
「あらそう。なら良いのだけれども。」
 意味深にため息をついて、依頼主は自分の横で寝息を立てるサージを見つめた。
「リップルちゃん。そなたさっき巫女を助ければ報酬はいらないって言ったわよね?でも結局あたしはこの子を呪ってしまった。だから約束通りイデアを探し出してくれた報酬をあげます。」
 リップルは思わず依頼主を見た。見てしまった。
「彼女は生きている。今も独り、忌まわしい牢に囚われたまま。」
 呪われた巫女と同じ顔が、囚われた彼女と同じ瞳が、リップルの目を釘づけにして止まない。そして彼女と同じ声で報酬の情報を告げられてようやく目を伏せることができた。秋の風が涼しく吹くというのに、リップルは全身に汗をかいていた。記憶の中の彼女に見つめられているような気がして、あの日の真っ暗な地獄に連れ戻されそうな気がして。
「・・・ありがとう・・・ございます。」
 感謝の言葉が震えているのが喜びのためではないことを依頼主は知っていた。夫を弔い、形見の逆鱗を持ち帰った彼をこれ以上苦しめないよう、龍の姿になる。満月はカルデラを照らし、山全体を青白く輝かせている。その中でも一段と美しい水晶の大樹の下へ依頼主は戻った。リップルたちが到着した時と同じように寝そべり、右前足に持ったイデアの逆鱗を見つめる。
 報酬を得たリップルは黒い記憶の氾濫に追い立てられながら未だ意識の戻らないサージを抱き上げた。サージの額には赤い円が浮かび上がっている。命を奪う呪ではないとの事だが、見たことのないものだった。どのような呪なのか、聞いても依頼主はきっと教えてくれないだろう。となると、自分たちで呪の正体を見極め、解く方法を探さなくてはならない。これではサージを観察するためにしばらくネストに居座ることになりそうだ。あまり同じ土地に長居したくないリップルは顔をしかめた。
「それでは、失礼します。またいつか、お会いする日があれば。」
 魔方陣の中央に立ち、依頼主に頭を下げた。彼女は2人を見つめながら静かに頷いた。魔方陣が輝き始める。上昇気流に髪を逆立てて、2人は宙に浮く。魔方陣の輝きが臨界を超えた瞬間、2人の姿は光の筋となって空へ消えた。
 依頼主は南の方角へ頭を向ける。物寂しい空気を纏い、大きく息を吸った。
「哀れ、小さな人間たちよ。死神を招き入れた愚者共よ。安らかに眠れ。我、汝らに子守唄を送る・・・。」
 橙龍は唄う。見も知らぬ犠牲者たちのために。


      2.6.魔法陣の先

 強い光が収まる前に、リップルは目を開けた。サージを右肩に担ぎ、一瞬で短刀を抜き払う。投げナイフが刃に弾かれて軌道を変え、消え行く魔法陣の傍に突き刺さった。間髪入れず飛来するナイフを避けようと後方へ飛びのく。ナイフは避けられたものの、背中に衝撃が走る。真後ろでスパーク音が炸裂し、前方に弾き飛ばされた。どうにかサージをかばって地面に倒れ込む。振り返ると湖と祭壇周辺に結界が張られ、内側に見た顔の人間たちが固まって怯えていた。結界の外側では背に翼を生やしたヒト、黒魔族たちが結界を破ろうと攻撃を加えている。
「くそっ・・・!」
 事態を把握したリップルは拳で強く地を打った。こうなる前にネストを離れようと思っていたのに・・・!自責の念に駆られる間もなく、リップルは翼を広げて飛び上がる。今度はナイフではなく剣を持った黒魔族が2人切りかかってきたのだ。気を失ったサージを抱えたままでは戦おうにも限界がある。
「探しましたよ。リップル様。」
 剣士の内、女が話しかける。月明かりが照らす場所に立つ彼女の口の周りは血に濡れ、紅く輝く瞳は吸血直後である事を表していた。2人を交互に睨みつけながらリップルは地面に足を着け、サージを枯れ草の上に置いた。左手で逆手に短刀を構えた。
「誰も探してくれなんて頼んでねぇよ。」
 男の剣士がじりじりとにじり寄る。目の前の黒魔族たちに睨みを利かせながら、背後の警戒も怠らない。ナイフを投げて来ていたのはこの2人では無かったはずだ。
「大人しく投降してください。そうすればこの町の人間もこれ以上死なずに済みます。」
 嘘だ。リップルは鼻で笑った。どちらにせよ、これだけの数の黒魔族に攻め入られた小さな町の人間は全員嬲り殺されるに決まっている。
「俺が人間を人質にされて『はい、分かりました』なんて投降するわけないって事ぐらい分かってんだろ。連れて行きたかったら力ずくで連れて行くんだな。」
 短刀をカチャッと鳴らし、殺意を全身から放つ。気おされた事に気づかれまいと切りかかってきた剣士の攻撃を避け、わき腹を深く切り裂く。しばし静止していた男は、傷口から血を噴出しながら倒れた。返り血がリップルとサージを濡らす。一瞬の出来事に女剣士も剣を構えなおした。
「ところがアンタらじゃ俺を力ずくで引っ張れるわけがねぇ。自分たちも分かってるだろ?」
 次の投げナイフは避けも防ぎもしなかった。ナイフの方へ右手をかざすと空中で全てのナイフは止まり、反転して投げた本人の喉元へ突き刺さる。木から落下する音が止んだ頃には女剣士の足は震えていた。
「分かってるなら、さっさと失せろ。死にたくなかったらな!」
 リップルに攻撃しても返り討ちにされる。女剣士は標的をサージに切り替え、魔法を放った。これで隙が生まれれば。そんな淡い期待を胸に。


      断片 2

   わたし しか いない
   このこたちには もう わたし しか いないんだ
   おとうさんも おかあさんも もう いない
   わたしが まもらなきゃ
   たった さんにんの かぞく
   わたしが まもるんだ
   
   おおきいおとうとが ちいさいおとうとを ××した
   わたしは なにも できなかった
   ちいさいおとうとが わたしを よんだ
   おおきいおとうとは わたしにも けんを むけて
   いたい いたい いたい いたい いたい
   わたし がんばったのに
   ふたりの ために がんばったのに

     おおきいおとうとなんて、××じゃえばいいのに・・・



 結界の中にいたネストの人間たちは身を寄せ合って震えていた。謎の白魔族が張ってくれたこの結界が壊れたら、自分たちの命は無い。白魔族の青年コミティは結界を張ってすぐに町の方へ駆けて行ってしまった。彼が声をかけたのか、最初のうちは町の人間が結界の中へ避難して来ていた。しかしすぐに黒魔族に結界の存在が気づかれ、駆け込む前に殺されてしまってこの数十分は誰も入って来なくなってしまった。家族や友人を探しにも行けず、ただただ結界が壊れないよう祈るしかなかった。
「・・・あれ?」
 町の方からは未だ爆発音が聞こえてくるが、近くに黒魔族の姿が見えなくなった気がする。恐る恐る人間たちは辺りを見渡す。祭壇を取り囲む森が静かに広がっている。黒魔族も彼らが放つ魔法も見えない。町へと続く一本道には結界を目の前にして倒れた人間の亡骸が無残にいくつも転がっている。湖と結界が放つ淡い光ではそれ以上を見通すことはかなわず、暗い闇がただ広がっている。町の方向には赤い光と黒煙が立ち上っている。きっと家が燃えているのだろう。焼け出された町人を黒魔族が次々と襲う様が想像できた。
「おーい!」
 静寂の中に突如として大声が上がり、人間たちは震え上がった。町への小道に人影が見える。白魔族の青年が戻ってきたのか、はたまた黒魔族の罠か。その人物の顔が結界に照らされるまで、人間たちはその場を動けずにいた。
「リップル兄ちゃんだ!!」
 目のいい子どもが叫んだ。サージを担いだリップルの姿に誰もが安堵した。だが、駆け寄った者はギョッとして立ち止まった。2人とも服から滴るほど血まみれだったのだ。
「悪魔に襲われたのか!?」
「怪我は!?」
 リップルは答える前に死体の山を退けて小道の真ん中にサージを置いた。顔を上げたリップルの瞳は不気味に輝いている。
「俺たちは大丈夫だ。怪我もない。この結界は?」
 町の人間たちはコミティと名乗る胡散臭い白魔族がリップルを探していたこと、そして彼が結界を張ったことを手短に伝えた。コミティという名にリップルは一寸だけハッとしたが、後は無表情に聞いていた。暗い森の中から来たリップルには眩しいのだろう。結界を目を細めながら見上げている。
「この結界に俺は入れない。サージを頼む。近くにいた奴らは片付けたから、しばらくは襲ってこない。でも、俺かコミティが戻るまでここから出るな。」
 いつにない真剣な眼差しに、無言で頷く。男2人が結界から出てサージを運び入れた。女性たちがサージの顔や髪に付いた血を湖の水で濡らした布でふき取っていく。サージの安全を確認し、リップルは翼を1対だけ広げた。黒魔族の翼を1回だけ強く羽ばたかせ、飛ぶ予備動作をした。
「町の方を見てくる。ここから出るなよ、絶対に!」
 注意を重ねてから飛び立つ。煙の上がる町からは血の臭いが漂ってきていた。

 燃える家々や木々、散らばる家財道具と数多の死体――。半日ぶりに戻ったネストは戦場と化していた。逃げ惑う人間の悲鳴や銃声、爆発音がパチパチという家が燃える音と共に耳に響く。血肉の燃える臭いに袖で鼻を覆ったリップルは、通りの向こう、建物の影に猟銃を抱えて走る一団を見た。先頭を走るのはサージの父親である。そんな彼を上空から黒魔族2人が狙っている。
「上だ!」
 声に気づいて人間たちがこちらを見る前にリップルは動いていた。落ちていた店の看板を踏み台に飛びあがり、黒魔族の1人を切り倒す。突然死体が降ってきて驚いた人間たちへもう1人が急降下する。リップルが追いつく前に、彼は銃弾を全身に受けて絶命する。空中でひらりと転身し、射線から逃れたリップルに銃が向けられる。
「止めてください!彼です!」
 飛んでいる者を見かけると何でも引き金を引いてしまうほどに過敏になっている仲間を制止する。リップルはサージの父親の近くに着地した。素早く剣を振り、付着した血を落とす。先ほどの女剣士との戦いで短剣を折られてしまったため彼女の剣を拝借してきたが、リップルには軽すぎて少々扱いづらい。皆で商店のひさしの下に隠れ、口々に状況を報告する。
「夕方、急に北のほうから悪魔共が攻めてきたんだ。ものの数時間でこの有様だ!」
「奴らはあんたを探しているみたいだった・・・」
「白魔族が来たって噂だったのに、なんで俺たちを守ってくれないんだ!?」
「町長も殺されちまった!」「妹が見つからない!」
 武器を持って抵抗する者はその場で殺されるが、そうでない者は広場に集められているらしい。捕虜か人質にしようというのだろう。あるいは食料か―――
「リップル君、サージは?」
「無事です。湖の結界の中にいます。」
 サージの父親は安心して力が抜けたらしい。ふらついたところをリップルが腕を掴んで支える。
「気を抜くのはまだ早い。湖周辺の奴らは排除して来たから、生き残った人を連れてそこまで逃げて下さい。」
 他のメンバーは互いに頷き合って湖の方へ走り出した。サージの父親をしっかり立たせて彼にも湖へ向かうよう背中を押す。だが、彼は銃を抱えなおして広場へと視線を向けた。
「・・・ポーラが、連れて行かれたんです。」
「え・・・?」
 湖にいたサージの母親は夫を探しに結界を抜け出ていた。どうにか合流できたものの、猛禽類が獲物を狩るように、上空から飛んで来た黒魔族にサージの父親の目の前で一瞬でさらわれた。続いて自分をさらおうとした他の黒魔族は銃で撃ち殺したと震えながら説明する。彼にこれ以上の戦いは無理そうだ。初めての殺人に早くも心が押しつぶされそうになっている。
「とにかく、タフタさんは湖へ!サージと一緒にいてやってください。ポーラさんたちは俺が助けます。」
「お・・・お願いします!どうか、私の代わりにポーラを・・・!」
 両手で力いっぱいリップルの手を握り、頭を垂れて懇願する。必ず、と約束を交わし、サージの父親と分かれた。広場へ向かって全力で飛ぶ。何が『イデアの意思を引き継ぐ』だ。何が鎮守の神だ。最初から分かっていた。イデアの愛した町を蹂躙させ、血に染めた自分はどう考えても――そう、神などではなく――死神ではないか。

2. 二人の魔族と龍の唄 Ⅳ

  2.7.切り株の牢

 広場脇に生える木の枝の上にコミティは潜んでいた。広場の中央、巨大な切り株らしきものの上に捉えられた人間たちが両腕を頭上に組んで座らされている。切り株を囲って配置された黒魔族の兵士たちに隙は無い。湖同様、切り株に結界を張ろうと考えているのだが、結界は自分を内側に含むようにしか張ることが出来ない。今、張ってしまうと結界の内側に黒魔族を十数人入れることになる。それでは意味がない。人間の振りをして捉えられ、切り株の上へ移動すればこの問題は何とかなるが、今度はこっそり呪文を詠唱できない。詠唱には時間がかかるので唱え終わる前に攻撃されてしまうだろう。自分が白魔族であることが知れれば容赦なく殺される。
 攻撃は最大の防御、ということで、この場にいる黒魔族を殲滅するという選択肢も無くはない。が、殲滅しきる前に人間の半数は黒魔族の反撃の巻き添えを食って死傷するだろう。そう考えると結界を張る方が安全なのだが、ここで最初に戻って無限ループしてしまう。せめて黒魔族たちの気を引く何かがあればその隙に結界を張ることができるのだが・・・。
「隊長!現れました!」
 コミティの下にいた黒魔族が急に叫んだものだから、見つかったかと驚いてしまった。だが、どうやら違うらしい。黒魔族が3人、道のほうへ矢を向けながら後ずさって木の下を通過した。しばらくしてから木の下に現れたのは赤い長髪の男。コミティが探していたリップルであった。矢を向けられているというのにいたって冷静にのんびり歩を進める。
「剣を捨てろ!」
 素直に応じたリップルは血がべっとり付いた大剣を後方に放り投げる。地面に刺さった剣を見て、弓兵の一人が動揺する。
「その剣は・・・どこで拾った!?」
「オルガとかいう女剣士から拝借してきた。」
 もう、アイツに剣は振れないわけだし、もらってもいいだろ?と続けるリップルの挑発に乗って、弓兵は叫びながら引き絞った矢を放つ。リップルは魔法も何も使わず顔の目の前で矢を掴んだ。相変わらず嫌な奴だと心の中でつぶやき、コミティは髪をいじる。リップルが時間稼ぎをしてくれれば、結界を張れるかもしれない。こちらに気付いて援護してくれると助かるのだが。
「私の許可無しに攻撃を加えるな!」
 隊長と呼ばれた男が兵を引かせる。矢をくるくると回しながらリップルは隊長の方へ歩く。ただだらしなく歩いている訳ではない。コミティから見ると、切先の軌跡は数字の3を描いている。コミティは不敵に笑い、杖を取り出した。

 隊長が立つ位置まであと数メートルという所で取り巻く兵が武器を構えた。これ以上近づくな、という意味だ。リップルは立ち止まり、手の中で弄んでいた矢を足元に捨てた。隊長はリップルよりも背の高い大男で、歳は40過ぎ、濃い紫色の髪を短く後ろで束ねている。腰に下げている剣は金属でできているようには見えない。恐らく魔剣だろう。金色の瞳が無感情にリップルを見下ろしている。
「こうしていればいらして下さると信じておりました。」
 隊長の後に見た顔が2つ。地に座り、怯えた瞳でこちらを見ているのはサージの母、そして彼女の髪を掴み、押さえつけているのは新月の夜にリップルが切り伏せた黒魔族である。リップルの視線に気づいて隊長はその男を紹介する。
「そう、この者がリップル様の所在を教えてくれたのです。」
「お優しいリップル様が回復魔法を施してくれたおかげでこの通り、すっかり元気になりました。あ・り・が・と・う、ございます。」
 皮肉をたっぷり込めて男はリップルに軽く頭を下げる。囚われた町の人間たちにどよめきが広がる。サージの母親が代表して叫んだ。
「悪魔は死んだって言ったじゃない!」
 男が頭を押さえつけて強引にサージの母親を黙らせる。リップルは隊長を睨んだまま答える。
「『親切な誰かが回復魔法でも使わない限り』と言ったはずだ。生憎、俺も悪魔なんだ。同族を殺してまで人間を守ってやろうとは思わなかったわけ。」
 あの夜、湖から上がってから男に回復魔法をかけ、もう無益な殺生をしないことを約束させ、リップルの事を誰にも言えないように呪をかけてから放してやった。リップルの知る限り最強の口封じ魔法をかけたつもりだったが、たった2週間でより強力な術者によって解かれてしまったようだ。リップルは舌打ちをした。
「リップル様。大人しく我らと共に国へ帰って頂ければ、これ以上この町の人間に危害を加えないことを約束しましょう。ですから、神妙に、お願い申し上げます。」
 切り株の上の人間たちを見る。皆怯え、震えながらリップルを見ている。サージの母親も、涙が溢れる目で訴えかけている。全ての人間が隊長の言葉を信じている訳ではなさそうだ。もちろんリップルも全く隊長を信じてはいないが、ここは大人しく捕まっておいた方が良さそうだ。武器もなく、これだけの数の人質をとられた状態で戦うのは賢い選択ではない。
「約束、だからな。」
 隊長は薄い笑みを浮かべ、顎で部下に指図をする。2人の兵が小ぶりな盾のようなものを2つ運んできた。盾は鎖で繋がれている。拘束具の一種のようだ。
「念のため、飛行核(フライト・コア)を抑えさせて頂きます。」
「どうぞ。ご自由に。」
 リップルが答える間も2人はリップルの背後に近づき、肩甲骨のあたりに盾をそれぞれ当て、鎖でリップルの腕の自由を奪っていく。やや乱暴にリップルに膝をつかせ、上体をうつむかせる。透明な杭を盾と盾の間にあてがい、力いっぱい打ち込んだ。激痛にリップルはうめき声をあげた。杭が急速に魔力を奪っていく。吸血願望にも似た眩暈を感じ、全身から力が抜けて意識を保つのがやっとだ。 
 もう抵抗ができないかどうか確認のために隊長がリップルの顎を掴んで上を向かせる。辛そうな表情をしながらも生意気に睨み付けてくる。その顔に嫌な記憶を重ねて、隊長は思いっきりリップルの頭を蹴り飛ばした。普段なら魔導障壁で防げるが、成す術もなくリップルは頭の右側にまともに蹴りを喰らい、勢いで飛んだ体は切り株にぶつかって止まった。軽い脳震盪と全身を打ち付けた痛みでさらに意識が遠くなる。口に広がる鉄の味をむせるようにして吐き出した。
 悲鳴を上げた人間たちとは異なり、黒魔族たちは嘲笑する。今までの態度とは打って変わり、隊長はリップルを再び自分の前まで引きずって来させた。赤く腫れた右頬と、血を流す口角を見おろして楽しそうに笑う。
「随分と手間をかけさせてくれたな。汚らわしい裏切り者め!」
 長い髪を掴み、怒鳴りつける。リップル1人を捕えるためにどれだけの時間と犠牲を出したことか。兵たちの今までの鬱憤を晴らすにはこれだけではもちろん足りない。先ほど下がらせた弓兵を呼び寄せ、リップルを足元へ投げつける。弓兵はリップルが捨てた剣を持っていた。
「殺しさえしなければ何をしても良いという命だからな。好きなようにしろ。」
 婚約者を殺された男だけに止まらず、ほかの兵も鬱憤晴らしに走った。ほくそ笑む隊長にサージの母親を抑えていた男が声をかけた。
「なあ、約束通り僕を中央の官僚にしてくれよ?情報を提供したんだからさぁ!」
 隊長は冷ややかな目で男を振り返る。そんな約束知らぬ、と跳ね返された男は焦りを見せ、しつこく隊長に食い下がる。
「僕のおかげでアイツを捕えられたんだ!ふざけるな!」
「そもそも一中尉の私が中央の人事に口など挟める訳が無いだろうが。黙って失せろ。」
 男は激昂し、サージの母を放して隊長の胸倉を掴んだ。投げ出されたサージの母親は切り株の淵に倒れ込んだ。気にもせずに隊長を殴りかかった男だが、振りかぶった右拳が隊長の顔面を打つことは無かった。抜かれた魔剣が鞭のように男の右腕を打ち、そのまま切り落としたのだ。痛みに驚いた男はその場に尻餅をついた。そうしてようやく右腕が無い事に気付き、切断部分を押さえて喚き出す。隊長は鼻で笑って視線をリップルへ戻す。丁度、蹴り飛ばされて地面の上にうつ伏せに倒れる所だった。リップルはぐったりと動かない。

 突如切り株が輝き出し、人間たちを囲って結界が出現した。切り株の中央には白いローブを着た青年が白い杖を掲げている。
「白魔族だと!?」
 リップルが囮であった事にすぐ気付いた隊長が指示を出すよりも早く、青年はリップルに向かって黒いものを投げつけた。魔法で加速したそれは、倒れたリップルの背に打ち込まれた拘束具の杭を貫き、リップルに刺さった。瞬間、光が炸裂し、拘束具が粉々に飛び散る。背に刺さったはずの黒い大剣を左手に握りしめ、リップルが結界を背にして立ち上がる。
「何者だ!?」
 コミティは自身のローブに手をかけ、脱ぎ捨てる。胴から腰にかけて覆う白い布を腰のベルトで巻き付け、右太ももや両腕、両手首にジャラジャラと金銀の装飾品を付けた派手ないでたちの青年は杖を前に掲げる。右肩に渦巻く水の紋章が蒼く浮かび上がる。
「だーから言ってるじゃないっすか。リップルの兄貴だって。」
 しかし、黒魔族たちには言ってなかったか、と髪をいじりながら独りごつ。
「遅ぇよ。3分って言っただろうが!ヒトがボコられてるってのに何のんびりやってたわけ?」
 背中越しにコミティに文句を言う。切り株の中央からリップルの方へ歩きながら、こちらも文句を返す。
「フェニール地方は魔力が薄いんすー!どうにかやりくりして結界を2つも張れちゃったオレを褒め称えるべきだと思うんすが?」
「か弱い振りしてんじゃねーよ。アンタがチンタラしてるもんだからアバラ折れちまった。」
 血の混ざった唾を吐くのも痛いらしく、リップルは右わき腹を押さえている。
「よーく言うよ!あーんなちゃちな拘束具程度でお前が弱るわけがない!アバラが折れたのはオレのせいじゃないっすー。」
「飛行核を封じられるのは股間を掴まれるなみに痛くて苦しいんだよ!玉無しの白魔族には分からないだろうがな!」
「何だと!?」
「何だよ!?」
 と、あろうことか黒魔族に取り囲まれた状態で喧嘩を始めてしまった。その様は確かに兄弟のようである。このあまりにも嘗めた態度は黒魔族たちの怒りに油を注ぐ。
「我らを前に内輪もめなど、侮りよって・・・!」
 切りつけてきた兵士をリップルは一歩も動かず、左手だけで切り伏せた。血を浴びて怪しく紅い輝きを放つ大剣に重さが無いかのように軽々と。喧嘩していた二人は黒魔族たちに視線を戻した。コミティは杖をクルクルと回しながら不敵に笑う。
「あーっと、黒魔族の皆さん、ここは退く事をお勧めしますよ。朝になれば異変を察知した連邦軍の地方警備隊が駆けつけるでしょう。」
 空が明らむまではまだ3時間ほどあるが、コミティはそれくらい2人でも十分持ちこたえられると言ってのけた。
「そうすれば皆さん方に勝機は無い。早いとこ、これ以上の被害を出さないうちに、撤退した方が良いんじゃないっすかねぇ?」
 この化物をひっ捕まえるのはまた今度の機会にどうぞ、と付け足したコミティをリップルが睨む。コミティを同じく睨んでいた隊長は突然笑い始めた。呆れたわけでも感心したわけでも無さそうな不気味な笑いに二人は一寸警戒する。笑い収まった隊長は部下たちを見まわした。部下たちも隊長を無言で見つめ返す。
「我らに退路は無い。『作戦失敗』は許されないのだ――」
 足元から湧き上がる嫌な予感を察知し、リップルはコミティを掴んで地面に浮かび上がった魔法陣から飛び出した。


      2.8.キマイラ

 リップルたちの足を追うかのように魔法陣から無数の黒い触手が発生した。触手は大樹の根よろしく地を這って黒魔族の兵たちを飲み込んでいく。切り株の結界には入れないらしく、人間たちは触手の餌食にならずに済んだ。しかし、空中で触手と追いかけっこをするリップルは右半身を襲う痛みに抱えたコミティを落としそうになる。
「おーいおいおい!ちょっと待て、今落とさないでくれよ!」
 手短に呪文を唱えて真後ろの触手に魔法を放つ。着弾した魔法は爆発を起こし、触手を吹き飛ばした。二人は半ば落ちる形で地面に着地した。顔を歪めながらリップルは這い寄ってきた新たな触手を切り落とす。右腕を動かす度に血が混じる咳が込み上げてくる。さすがに心配になった。
「回復しましょーか?」
「その方が良さそうだな。見ろ。」
 リップルが顎で指したのは隊長が元居た場所、魔法陣の中心である。黒い触手に埋め尽くされて姿が見えなくなっていた隊長が触手の塊から頭だけ出した。その顔は蒼白で、目は狂気に満ちていた。触手は集まってさらに盛り上がり、最終的に魔法陣の上には全身が黒いおぞましい化け物が現れた。取り込まれた黒魔族たちの頭やら腕やらが体のいたるところから覗いている。化け物の尻には触手が数多尾として残った。頭と思しき位置が上下にガバッと開いた。口だ。大の大人を軽く一口で食らうことが出来そうな口の上に、一つ目のように隊長の頭が飛び出している。
「あーっと、何だあのキモイ化け物は・・・?」
「『キマイラ』の呪いだ。」
 リップルの捜索を命じた者に『作戦失敗』という合言葉で発動される呪いをかけられたのだろう。キマイラは悲鳴にも似た身の毛のよだつ雄たけびを上げた。
「気をつけろよ。取り込んだ人数分の魔力を持ってる。」
「黒魔族30人弱分?冗談キツイな。」
 呪文を唱え、白く輝く杖の先をリップルの右わき腹へ向けてくるくると回す。杖から放たれた光は傷へ吸い寄せられ、急速に痛みが引いていく。
「何だってこんな事を・・・!どうやったら戻せる?」
 怪我の治りを剣を振って確認したリップルは暗い表情で答える。
「不可逆の呪いだ。もう殺すしか手はない。」
 コミティは舌打ちした。敵対種族とはいえ、あまりに哀れである。そうこうしているうちに、キマイラは身震いして周囲の臭いを嗅ぎ、再び叫んだ。もはやヒトとしての理性は消え失せているようだ。
「俺が気を惹いている間に足に魔法を当てろ!動きを封じるぞ!」
 一瞬にしてキマイラとの距離を詰めたリップルは頭の上に着地した。キマイラはそれを嫌がり、頭を振り上げて噛みつこうとする。ギリギリでかわして頭の回りを挑発しながら飛び回る。背に回ったリップルを尾で叩き落とそうとしたキマイラの足元に魔方陣が輝いた。コミティが杖を頭上に掲げると同時に4本の足は鎌鼬に切り刻まれ、巨体を支えきれずに魔物は腹を地面に着けた。
「よし、一気にたたみかけるぞ!」
 キマイラは痛みから複数人の叫び声を合わせたような悲鳴をあげる。それでも二人の魔族は攻撃の手を緩めない。キマイラは次第に動かなくなり、戦いに終わりが見えてきた。
「とどめをさせ!リップル!」
 剣を大きく振りかぶり、キマイラの脳天目指して急降下する。剣を振り下ろす動作に入ったところで、全身に悪寒が走る。血の気のない隊長の顔がニタッと笑ったのだ。そして強い魔力がキマイラの内側から炸裂するイメージが脳裏をよぎる。とっさに空中で宙返りをする。キマイラの内側から棘が突き出し、ハリネズミのようになった。回避行動が間に合わず、右腿に燃えるような激痛が走る。
 コミティもキマイラの異変に気づいていた。これから来る攻撃を切り株の結界は防ぐことができない。そう予想したコミティは結界の前へ走り、棘が来る直前に杖を地面に突き立てた。
「呪文詠唱省略!大地の調べ第5段11節『守護障壁』(エオローウォール)っ!!」
 隆起した土壁にキマイラの棘が突き刺さる。しばしの拮抗の後、壁が砕けると同時に棘が折れた。衝撃に耐えかねたコミティは切り株の上へ投げ出される。年輪の上を滑った左腕には擦り傷ができ、うっすらと血が滲む。
「っ…イチチ…!」
 吹き飛ばされる寸前にリップルが空中で棘にぶつかったのを見た。痛みを振り払うように左腕を振りながら瓦礫と化した壁を乗り越える。とうやらリップルの剣は肉を断ち斬り、骨を砕いて化け物に致命傷を与えたようだ。キマイラはおぞましい断末魔を上げ、ビクビクと痙攣した後に動かなくなった。
「リップル!リップール!」
 沈黙する黒い屍の上で赤いものが動いた。リップルは剣を杖代わりに左足だけで立ち上がる。右の太股をえぐられ、血が流れ出ている。
「その変な言い方止めろって。ズッキーニじゃなくてアップルと同じイントネーションなわけ。」
 棘を避けながらパタパタと羽ばたいて足を地面に着けないようにキマイラから降りた。互いと結界の無事を確認して、キマイラの死体を眺める。魔力で無理やり保っていた巨体は死して早くも腐り始めていた。黒い肉が無くなった部分から不自然に組み合わせられた複数の黒魔族の体が覗いている。
「…酷いもんだな。」
 コミティがぼそりと呟いた。

2. 二人の魔族と龍の唄 Ⅴ

  2.9.巫女の暴走

 コミティは切り株の結界を解き、さらに湖へ結界を解きに向かった。助かった人間たちは家を見に行ったり、家族を探し始めた。死の臭いが充満するネストには重い空気が漂っている。心身に刻み付けられた恐怖から、口数が少なくなっている。この惨事の原因となったリップルはできるだけ住民と顔を合わせずに済むように、誰も近寄ろうとしないキマイラの死体の片付けに取り掛かった。溶けてドロドロになった肉の中に埋まった黒魔族たちの亡骸をできるだけ元のヒトの形に戻そうと試みる。右足は止血はしたが、まだ歩くことができないので低空を飛びながら黒魔族の体の一部を集めていると、急に左足首を掴まれた。その手の主は新月の夜にサージを襲った黒魔族だった。
「アンタ、生きてたのか。しぶとい奴だ。」
 仰向けに倒れていたその男はリップルの足首を放し、自分の体の上に乗っているものを指さした。誘導されるままに視線を移したリップルは目を疑った。流星色の髪を持つ女性が男の腹の上に覆いかぶさるようにうつ伏せに倒れている。確認しなくとも誰だか分かったが、信じたくない思いに駆られて着地し仰向けにひっくり返した。何度見ても、リップルの腕の中で冷たく横たわるのはサージの母であった。キマイラの最後の悪あがきが背から腹にかけて突き刺さって絶命したようだ。
「化け物が棘だらけになった時…僕をかばって……!」
 男は泣いていた。起き上がれはしないが、左腕でサージの母親の頬に触れる。
「なんで…僕は…この女の娘を……殺そうとしたのに…あいつらを手引きしたのも……なのに…なんで…!!」
「ポーラさん…」
 涙は出てこなかった。何故気付けなかったのか、そもそも自分がこの町に長居しなければ…と自責の念で胸が締め付けられる。

 「おーい、リップール!」
「リップルー!」「リップル君!」
 広場にコミティが湖にいた人たちを連れて戻ってきた。駆け寄ってくるコミティのすぐ後ろからサージとサージの父親が付いてくる。良かった、呪を受けた割には元気そうだ。そんなことを頭の片隅で思ったが、リップルは振り返れなかった。キマイラを避けて来た3人だが、無反応のリップルを不審に思って立ち止まった。
「リップル君…?」
「…した。」
 リップルはサージの母親を持ち上げて立った。右足の包帯に血が滲む。痛みなどお構いなしに立ち上がり、振り返った。サージの父親の目をまっすぐ見つめ、もう一度、今度ははっきり言う。
「…救えませんでした。」
 2人は青ざめた。腐ったキマイラの肉に足を取られながらゆっくりとリップルに近づく。力なく垂れ下がった腕を、血の気の無い顔を、腹に開いた穴を、2人は声も出せずに見つめた。サージの父親がリップルから亡骸を受け取る。ずしっと諸手に感じる重みと冷たさ。それらを感じてようやく、サージの父親は膝を折り、嗚咽を含んだ声を絞り出した。
「ぽ…ポーラ…!そんな…馬鹿な……ポーラあ!!」
 流星色の髪を撫で、力いっぱい抱きしめる。もうサージの母親の体に温もりは残っていなかった。そのままサージの父親は泣き崩れる。サージは父親の後ろでただ立ち尽くしていた。現実を受け入れられない。龍に呪われ、目を覚ますと町も母親も失っていた。呼吸が荒くなる。何も考えられなくなる。フラフラと後ずさると、黒魔族の死体に躓いて尻餅をついた。
「あー、おい!しっかりしろ!」
 コミティが引き起こそうと腕を掴んだが、足に力が入らず、微動だにしない。小さくため息をついて、リップルを睨み付ける。そして人間には分からない言葉でリップルに言う。
「あんまりこーゆー事言いたくないけど、お前、ふざけるなよ!幾つの町村を壊せば気が済むんだ?いい加減分かってるだろ?自分が疫病神だって事ぐらい!」
 リップルは目を伏せ、違う言語で返す。
「分かっているつもりであった。だが、私は逆らえなかった。自分自身の気持ちに…!」
 目を開き、サージの父親に視線を注ぐ。まだ彼は泣いていた。妻の亡骸を抱いて。
「タフタさん…申し訳ありませんでした…。俺が追われる身でありながらこの町に長居しすぎたばかりに…。」
 リップルの言葉など耳に入っていない。サージの父親は小さく震えながら嗚咽を漏らし続ける。
「悪いのは…僕だ……」
 死体だと思っていたのだろう。コミティは急に男が話したことに大いに驚いた。
「こいつ…!」
「貴方は…あの時私を襲った…!」
「無意味に人間を襲い…リップル様に戒められた後も自分の立場のためにこの町を売った……その女が死んだのも僕のせいだ…」
「やめろ。それ以上は言うな。」
 リップルに睨まれても男はうわ言のように続ける。
「その女は……僕を庇って……死んだ!」
 サージもサージの父親も思わず男に視線を注ぐ。男は左腕を目に押し当てて涙を流していた。まだサージの母親が何故自分を助けてくれたのか分からない。こんな自分が助かって良いはずがないのに、何故?男は感謝と懺悔の気持ちで泣かずにはいられなかった。

 右腕が切り取られた傷口を止血しなくては、この男の命は持たない。理由は定かではないが、サージの母親が命をかけて救った男をこのまま死なせる訳にはいかない。リップルとコミティは男の傍らにしゃがんだ。
「貴方さえ、ネストに来なければ…貴方さえいなければ……町は壊れずにすんだ。お母さんは死なずにすんだ!」
 自分の事を言っているのか、男の事を言っているのか判断がつかずにリップルはサージの顔を見た。顔面蒼白で、涙が止めどなく溢れている。
「貴方さえ……いなければ!私はリップルに出会わずにすんだのにっ!!」
 二人の魔族はギョッとした。突如サージから異常な魔力が放出されたのだ。
「…んじゃえ……死んじゃえ!死んじゃえ!!」
 白い光がサージを中心に渦巻き、殺意を持った魔力の刃として行く筋も男に襲いかかる。リップルとコミティが同時に張った2枚の魔導障壁を容易く破り、二人の術者の全身に斬りつける。防いだ両腕には無数の切り傷が刻まれた。
「おいおい、あの子人間じゃないんすか!?」
 サージが暴走させた魔力は無差別に周囲の物を切り刻み始める。近付くと危険なので、リップルはサージの両親を、コミティは黒魔族の男を少し離れた所まで退避させた。
「何故こんな…サージ!」
 リップルの呼び掛けにも答えず、次第に攻撃範囲を広げていく。広場の近くに残っていた人々も名前を呼ぶが、効果はないようだ。
「あの子、周囲の魔力をどんどん吸い込んでる…!そのうち身体が強い魔力に当てられて自滅するぞ!」
「そんな…サージ!サージ!!止めろ!僕は君まで失いたくない!サージ!」
 リップルの制止を聞かず、サージの父親は魔力の奔流に突き進んで行ってしまった。父親でも容赦なく魔力の帯は攻撃の手を緩めない。
「危険です!下がって下さい!タフタさんっ!」
 リップルとコミティも仕方なくサージの父親の後を追う。やはり魔導障壁は役に立たない。張ってもサージに吸収されてしまう。全身が傷だらけになっていくが、サージにはあまり近づけない。そうこうしている間に、サージの身体には変化が現れた。一部皮膚が昇華し、そこから肉体が空気に溶け始める。
「ヤバい!解離が始まった!」
「サー…ジ…!」
 ついにサージの父親が力尽き、地に伏した。助けようにも魔力の猛攻に思うように先へ進めない。
「ここいらの魔力を全部吸い尽くすつもりなのか!?生物が生きられなくなってしまう…!」
 コミティの言葉にリップルは立ち止まった。迷っている時間はない。思いついたことを試してみる価値はある。
「コミティ!」
 呼ばれて振り返ると、リップルは四つん這いになっていた。リップルがこのポーズをとるのは龍に変身する合図だ。
「タフタさんを頼む!」
「なんだか分からないが…承知した!」
 杖を構え、短い呪文を詠唱して地面を蹴った。強化された脚力で一気にサージの父親の倒れる傍まで加速する。受ける攻撃に身体が悲鳴を上げる。それでもコミティはサージの父親を抱え、今度は後方に飛び退いた。直後、コミティたちの前方に橙色の龍が現れる。龍はサージを取り巻き、徐々に小さく蜷局を巻いていく。内側となる胴の左の硬い鱗がビシビシと音を立てる。
 ゆっくり、しかし確実に魔力の濃度が下がってきた。実りが豊かになるよう魔力の調節をすることがイデアから受け継いだ守り神の役目。湖でイデアが消える前にもらったのはネスト周辺の魔力を自由に操る力だった。リップルはこの力を使い、サージが集める魔力を全身に受けて周囲に分散させていった。ついに龍の身体はサージにたどり着いた。彼女を優しく包み、頭を摺り寄せる。
「…リ……プル…」
 サージは改めて涙を流した。リップルに抱きしめられているような安心感を得たとたん、意識が途切れた。浴びすぎた魔力によってサージの身体はボロボロだった。龍は前足で倒れかかってきたサージを受け止め、そっと地面に横たえる。
 全てが終わったころには町の人間たちが騒ぎを聞きつけて広場に集まっていた。皆、赤い鬣の龍の姿を目を丸くして見つめている。視線に気づいた龍は一声高く鳴いた。
『ネストの民に幸あらんことを!』
 そう言われた気がした。明るみ始めた広場の中央で輝きを放つ龍の神々しさに魅入られる。龍はコミティに目くばせをして、瀕死の黒魔族の男を掴み、空高く舞い上がった。地獄の夜が明けようとしている。


  2.10.旅立ち

 「こっちか。」
 広場の切り株の上には仮設死体安置所が設けられていた。龍が飛び立ってから30分も経たないうちに、コミティの読み通り連邦軍の北部警備隊がやってきた。軍は生存者を保護し、医療チームを呼び寄せて体育館で負傷者の治療に当たっている。たまたま居合わせ、町の危機を救ったことになってしまったコミティは事情聴取を済ませ、サージを探していた。彼女は母親の亡骸の傍に座り込んでいた。魔力を暴走させて傷ついたはずの身体は何もなかったかのように元通りになっている。
「君の親父さん、命は助かりましたよ。ただ、強い魔力に当てられて、意識が戻るかどうか…。」
 聞いているのかいないのか、サージは黙って母親の硬くなった手を握っている。髪を弄りながら勝手に続けさせてもらう。
「オレが見るに、君が龍にかけられた呪は白魔法の禁術バーサクす。先の戦争の時によく使われたらしいっすけど、危なすぎるってんで禁止されたんす。」
 普通、自分の生まれつき持つ魔力以上の魔法を使うと体が耐えられずに負傷する。身の程に合わない強力な魔法を使えば最悪の場合、体が引き裂かれて命を落とす。戦時中はできるだけ強い魔法を連続で使うことが必要とされ、バーサクが編み出された。この術は一時的に体への負担を0にするものだ。効果中はどんな魔法を使っても死ぬことなく戦い続けることができる。
「でも、効果が切れると一巻の終わり。今まで蓄積されていたダメージが一気に術者を襲い、中々に惨い死に方をする。」
 それでも無反応のサージの肩に手を添えた。慰めるためでも、セクハラでもない。呪の強さを感じ取ろうとしたのだ。
「あーっと、流石は橙龍。効果期限が長いな…。ざっと13ヶ月ってところすね。」
 13ヶ月過ぎると、先ほど暴走させた際に受けるはずだったダメージを受け、命を落とす。淡々とコミティは死の宣告をした。聞こえてはいるようだ。母親の手を握る手が震え始める。
「…オレもその術の解き方を知らないんすよ。もしかしたらオレの故郷のウェストサンバースに行けば手がかりが見つかるかもしれない。古い魔法を知ってる爺さんがいましてね、あの方に見せれば何かわかる、カモ?」
 確信は持てない。キマイラの呪のように不可逆の呪ということもあり得る。だが、ただここで悲しみにくれながら1年死を待つだけよりはマシだろう。
「……オレたちは日付が変わるころ、この町を経ちます。決心がついたら湖へ。…アイツも待ってますよ。」
 ローブをなびかせながらコミティは広場を後にした。一陣の秋風が流星色の髪を揺らす。昨日と変わらない空が、昨日までから変わってしまった町を見下ろしている。

 湖の畔で白いローブを着たコミティは円板状の石を投げて一人時間を潰していた。魔法に頼らずにどこまで水の上を跳ねさせられるかいい大人が夢中になっている。鋭く投げた石が新記録を達成して湖の底へ沈んだ。ガッツポーズを決めた所で気配に気づいた。茶色の帽子を被ったサージがリュックサックを背負って町からの小道に立っている。
「おぅ!来たか。」
 コミティは小石選びを止めて手招く。足取り重く近寄る。
「おふくろさんと親父さんは?」
「母は…自宅跡に埋葬しました。町の人に手伝ってもらって…。父はトールの大病院に移されることになりました。脱魔力療法で経過を見るそうです。」
 ネストから少し離れた小都市トールには父方の祖父母が住んでいる。彼らに父親をまかせることになった。
「そう…。んじゃ、意識が戻るまでに呪を解いて元気な姿を見せなきゃすね!」
 励ましてくれるコミティの笑顔にサージの表情も少し和らぐ。
「ではでは、行きますか!オレはリップルを呼んで来るから、ちょっと待っててください。」
「え…リップルも一緒に!?」
 コミティは目をぱちくりさせる。
「そりゃぁ、そうでしょ。もともとオレはアイツを呼び戻しに来たんすから。」
 それに『乗り物』無しに3000kmの旅など出たくないと、本人が聞いたら怒りそうな事も付け足す。おもむろにローブを脱ぎ、準備運動っぽい動きをする。
「えっと…リップルはどこに…?」
「ん?湖の底。ここの魔力で怪我を治しているんすよ。」
 それで泳ぐ準備をしているわけだ。サージはリュックを下ろし、時計を外した。さらに躊躇なく上着を脱いでいく。
「私が行ってもいいですか?」
「あわわっ!いいけど急に脱ぐなっ!!」
 構わず下着姿になったサージは助走をつけて勢いよく水中に飛び込んだ。
「…すっげぇ女だな…まったく…」
 呆れてぽかんと口を開けたままサージの起こした波と水泡をただ眺める。

 不思議といつまで潜っても息が苦しくならない。水が帯びた魔力によって水中でも明るい。青い水底に橙色の胴体が見えてきた。頭から尾の先まで底に着け、寝ているようだ。龍の左顎のあたりまで泳ぎ着き、少し躊躇してからそっと触れた。鱗が欠けている。優しく撫でていると、龍の左目が開いた。やって来たのがコミティだと思っていた龍は下着姿のサージに驚いてたじろいだ。サージは龍の鱗に額を着けて瞼を閉じた。初めて龍の姿を晒してくれたたあの日のように、想いをこめて撫で続ける。
『…すまなかった。』
 口から泡を発生させながら龍が呟く。サージは額を着けたまま頭を横に振る。
「止めてくれてありがとう。私…お父さんを…」
 無意識のうちにサージは水中で息が続くように魔法を使っていた。このときはまだ湖の水のおかげだと思っているが。
「リップルに振られて、イデアさんの奥さんに呪われて、町が襲われて、お母さんが…死んで…私、自棄になってた。ううん、ホントはまだ、心の整理が出来てないの。まだ自棄になったままなの。」
すがりつくサージの背を左の前足でさする。落ち着きを取り戻したサージは翡翠の瞳を龍に向けた。
『結婚に関しては、俺の答えは変わらない。それに、ポーラさんの事も…。でも、呪を解く方法は必ず見つけてみせる。きっとサージをこの町へ無事に返すと約束する。』
龍は体を起こし、両目でサージを見つめ返す。
「行こう、リップル。また一年後、ここで貴方のお祭りをやるために。」
 ゆっくり瞬きして是を表す。サージは龍の左前足に掴まった。全身をくねらせて水面へ向かう。龍と共に飛び出した湖の水はキラキラと宙を舞って根付き始めたゼクウの苗に降り注いだ。

       コミティがネストへ来て1日。つまり新暦251年9月22日午後11時50分。
       大陸南部フェニール地方北部の町 ネストでの出来事である。


≪2章 完≫

世界は竜龍と共に 2

小さな町の滅亡から始まった争いは、やがて世界を巻き込む大いなる厄災となる。
災いの種たる神の正体を巫女が知るのはしばし後の話である。
今はただ、悲しみの巫女の旅立ちを見守ることとしよう。

世界は竜龍と共に 2

人間、白魔族、黒魔族、そしてドラゴンが統べる4つの国からなる大陸、サンガイア。 龍の唄が響く夜、ある魔法使いが訪れた町は滅びようとしていた。 ファンタジー小説。 過去に書いたものの再構成だったりして。 吸血鬼が出てきたりしても平気な方はどうぞ。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • アクション
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-06-26

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 2. 二人の魔族と龍の唄 Ⅰ
  2. 2. 二人の魔族と龍の唄 Ⅱ
  3. 2. 二人の魔族と龍の唄 Ⅲ
  4. 2. 二人の魔族と龍の唄 Ⅳ
  5. 2. 二人の魔族と龍の唄 Ⅴ