天使がいなくなった日

あなただけ居さえすれば、私はなんにもいらなかったのに。


 かわいい子だった。いい子だった。優しい子だった。笑顔は花がさいたみたいに明るくて、いつも何かしらしている子だった。でも、そんな事、彼女にとっては何も大事じゃなかったんだ。
 
「お花のかんむりの作り方ってしってる?」
シロツメクサを編みながら彼女は言う。夏だろうか、日が当たって彼女の顔に影を落とす。風が吹いて、みつあみがさらさら揺れている。
「もう、忘れたよ」
そう私が煙草を吸いながら言えば、彼女は少し悲しそうな顔をする。
「思い出せるよ、きっと」
うつむいて花を編みつづけている。白い腕、桜色のやわらかそうな爪。
「ほら、できた」
そう言って私の頭にシロツメクサのかんむりを乗せてくれる。ああ、いつぶりだろう。お花のかんむりだなんて。ああ、幸せな、ひどくしあわせな。それでいて。もう。
『○○○』
彼女の影は真っ黒に塗りつぶされ目の前にあるのは暗闇だけになる。
 
 最近毎日同じ夢を見る。まだ妹が生きていたときの夢だ。彼女は夢の中でずっと、私が家を出た16歳のまま、歳をとっていない。唯一家にある家族の写真も妹のもので、かわいらしい額縁の中で彼女は花が咲いたみたいに溌剌と笑っている。仏壇を買うほど余裕がなかったので、位牌と少しのお供え物を食器棚の上に置いているだけだ。
 妹が亡くなってもう8年になる。あの子は生きていればもう28で、きっと私より早く結婚していただろうと思う。いい子だったから。姉という贔屓目を抜きにしても。いい子だった。本当に、いい子だった。
 
「おねえちゃん、わたし、こまっている人を助けるおしごとがしたい」
「そう、例えば、どんな?」
「うーん、かみさま!」
「そっか、妹がかみさまなんてお姉ちゃん自慢しちゃう」
「うふふ」

 ときどき、妹は本当に神様になったんじゃないかと思う。妹が亡くなった事で、皮肉にも父も母も心を入れ替えたように変わり、今ではただのいいお父さんとちょっと口やかましい普通の母の、ごくありふれた家庭だ。あんなに荒んでいたのが嘘に思えるくらい。私も地元を離れて就職したが、その後周りの人に恵まれ、ちょっと忙しい以外は何も文句ない、穏やかな日々を送っている。友達も増えたし、上司もいい人だ。忙しいときはさすがに少しぴりぴりしているけど。昔から比べたらびっくりするぐらい普通で、それでいて、幸せな日々。
 
「お姉ちゃん昇進したよ」
出かける前に必ず妹の写真に向かって、話しかける。
「本当のところ女でここまで昇進できると思ってなかったけど、お姉ちゃん、まだまだ現役だし、頑張るからさ」
初夏の風がレースカーテンを揺らす。
「見てて」

 会社に向かって歩きながら思い出す。妹のこと、昔おきたこと。とても穏やかとは言えなかった日々のことを。あの頃は毎日が息苦しくて、いつも怯えながら過ごしていた。今が天国なら、さしずめあの頃は地獄とでもいうべきか。
 天気が良くて、濃い青い空にまっすぐ飛行機雲がのびている。
 
「あんたとなら地獄でもよかったのに」
 妹は幸せだったのだろうか。本当に、彼女が命とひきかえに今の状況を作ったとしたら、それはなんて残酷なのだろう。

『おねえちゃん、大好き』
神様が居るとしたら、私のただひとりの、大切な妹を返してほしかった。
でも、もうそれはどうしようもなかった。私がこの世界で生きている以上、私にできることは妹がいなくなった世界で精一杯、生きることだ。
 
ああ、それでも、神様。もう一度だけあの笑顔を見せてほしいと思うのは罪なのでしょうか。

その日、妹が亡くなってから初めて私は泣いた。

天使がいなくなった日

天使がいなくなった日

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-26

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