公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(9) 

九 午後八時三分から午後八時三十七分四秒まで 酸素ボンベの女

 今日も一日が終わった。
 Bは眼を瞑った。だが、今日一日がどのようにして終わったのか覚えていない。便座に座ったまま、思いだそうとするが思いだせない。信号が赤から青に変わり、横断歩道を渡り、このトイレに入ったことは覚えている。だが、それ以前の、自分の行動は覚えていない。何もかも一度に思いだすことは無理だ。
 Bは愛用のバッグからスプレー缶を取りだすと口に向けて噴射した。スポーツ選手がハードな練習をした後に使用する酸素供給用のスプレー缶だ。Bは、このずた袋のような布制のバッグと同様に、酸素スプレー缶を愛用している。仕事中でも、頭がパニックになれば、急いでトイレに駆け込み、スプレー缶を咥える。
 子どもの頃から、もちろん記憶がある限りにおいてだが、何かに行き詰ると、頭の中がパニックになって、どうにも動けなくなった。先ほど、ほんの一時間、三十分前のことは忘れているのに、十年、二十年前のことは覚えているのは変な話だ。今でも、昔見たテレビマンガの主題歌がふとした瞬間に、口から出てくる。でも、さすがに全ては覚えていない。所々の歌詞が飛んでいる。その時は、適当にハミングして誤魔化している。
 ハミング。それこそ、なんて懐かしい言葉だ。小学校の音楽の授業だったろうか。先生から、「さあ、ハミングしますよ」と言われて、口の周りに両手を当て、口をくちゅくちゅさせていたら、友だちに、「それ、何?」と尋ねられて、「だって、先生がハムスターの物真似しなさいって言ったじゃない」と答えたら、大いに笑われたのを思いだした。本当に、記憶って、いいかげんであり、残酷だ。埋葬許可をもらって、地中深く記憶の墓地に葬り去った恥ずかしい思い出を、本人の許可もなく、突然、ワープして、今、ここに現れるなんて。
 ハミングの話はもういい。今は、酸素だ。酸素が足りないんだ。
 Bは、スプレー缶のボタンをもう一度押す。シュー。気体が吹きだす。口を大きく開け、この気体を、一分子、一原子、一原子核、一電子、一素粒子も残らず、吸いとった。
「ふー」落ち着いた。代わりに、二酸化炭素を丸ごと排出した。吸って、吐く。この一連の動作が呼吸なのだ。吐くだけではいけない。吸うだけでも駄目である。吐いて吸う。吸って吐く。
それじゃあ、吐き続けたらどうなるのだろうか。やってみる。
「ふー、ふー、ふー、ふー」
 次第に、ふーの音が小さくなる。そして、肺がちじみ、胃もちじみ、腸も、大腸も、食道もちじみ、体中の空気が排出され、最後は、喉がふさがり、両頬が引っ付き、唇が、舌ともども、突き出てしまうのかもしれない。まるで、顔が真っ赤なひょっとこ、だ。ひょっとこの自分の顔を想像してみる。思わず笑う。笑うと同時に、恥ずかしさのあまり想像することをやめた。
「すーすーすーすー」
 今度は息を吸う。ほっぺたが膨らみ、喉が拡張し、胃は風船のように膨らむ、小腸は大腸となり、大腸はホースとなる。体の中の細胞は倍増し、連続していたはずの皮膚が、個々の存在を主張し出す。もうだめだ。仲間のはずの、約束は交わしていないが一心同体だったはずの細胞が、新たな自分探しの旅に出そうだ。分裂の危機は回避できるのか。
 Bは、「す」を「ふ」に切り替えることにより、この重大な南極(誰が探検隊に加われと言った)、いや、重大な何曲(誰が、この切羽詰まった状況下において、カラオケをしているんだ)、いや、難局を切り抜けることができた。後、もう一回、別の「なんきょく」が口から出ていたら、芙由子は、今頃、霊安室で二度と目覚めることない冬眠状態に陥っていただろう。よかった、よかった。
 再度、確認した。呼吸は、吸い続けるものでも、吐き続けるものでもない。やはり、規則正しく、交代して行うものなのだ。
「ああ、酸素が欲しい」
 Bは、再び、スプレー缶を口に咥えた。ボタンを押すとひゅっと一吹き。頭の中の霞がかった景色が、酸素の風で追い散らさされたのか、遥か遠くまで澄み渡る。今日も快晴だ。いや、待って。今は、夜の八時過ぎだ。時間を確認しよう。ハンドバッグから携帯電話を取り出す。表面のデジタルのうち、一番左側が、八を表示している。確かに。八時過ぎだ。だけど、デジタルの表示が八を表示しているからと言って、本当に、時間が八時なのか、いつも疑問に思う。時計に支配されて、毎日、動かされているんじゃないのか。そんな疑念が沸く。
 左の手首を見る。手首にはアナログ時計を付けている。アナログ時計の秒針が一周を回る様子を眺めていると、追い立てられている気になる。もしも、自分が時計の中に入れば、秒針に背中を押されながら、酸素素スプレーを片手に、ずっと走り続けされているだろう。それも、ゴールがないまま、永遠の疾走、いや、スピードはないから、駄走かもしれない。
 そうだった。Bは、昔から、マラソンなど、走ることは苦手だった。足は遅かったし、息が上がると動けなくなった。冬場になると、体育の授業では。いつも学校の周囲を走らされた。その度ごとに、無理やり、咳き込んで、風邪の振りをして、ずる休みをしたものだ。どうしても走らなければならないときなんか、走り終わった後は、それこそ、口や鼻だけの呼吸では足りずに、両手両足を使い、「酸素が足りない。酸素が足りない」と喚きながら、自分の周りの空気を掴むこともできないのに、手や足で口の中に放り込んだものだ。
 その時のことを、今、思い出すと恥ずかしさで一杯だ。だから、恥ずかしい姿態を見せたくないがために、こうして、今は、酸素スプレー缶を常備している。でも、よく考えれば、酸素スプレー缶をハンドバッグに保管している女なんて、珍しいし、これが人に知られたら、変な奴のレッテルを張られてしまう。一度着いたレッテルは、他人が張り付けた物だけに、なかなか剥がせない。一生、ついて回るものなのだ。
 その点、時計のデジタル表示は、追い回されるような印象はない。だけど、次々と、数字が変わっていくのも可笑しい。通常の時計なら、時間は進んで行く、過ぎていくものと認識できるけれど、デジタルは、数字が変更していくので、過去と現在と未来が続いているような気がしない。譬えて言えば、今が、八時三十五分三十一秒。眼で確認している間に、八時三十五分三十二秒に変わった。そう、表示が変わった。つまり、八時三十五分三十一秒は、八時三十五分三十一秒の世界があって、八時三十五分三十二秒は、八時三十五分三十二秒の世界があり、それぞれが独立した世界を築き、互いに何の関係性、関連性はない。
 それじゃあ。八時三十五分三十一秒の世界で生きていたBと、八時三十五分三十二秒で生きていたBの関係はどうなのだろうか。同一人物でありながら、同一人物ではない。八時三十五分三十一秒の世界のBは、幸せに満ちていたけれど、八時三十五分三十二秒の世界のBは、不幸のどん底なのかもしれない。
 Bがあれこれと考えているうちに、八時三十七分三秒の世界にやってきた。時間で輪切りにされた人間は幸せなのか。それとも不幸なのか。
「ああ、息が苦しい」
 Bは、再び、酸素スプレーを口に咥えた。
「シュー。シュー」
「酸素が足りない。酸素が足りない。この世の酸素が」
 Bのひとり言クラブは、次の来訪者が来るまで続く。

公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(9) 

公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(9) 

九 午後八時三分から午後八時三十七分四秒まで 酸素ボンベの女

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-26

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