エスカレーション

「先生、あたし、若林くんが好きです」

 社会の授業中、先生に指された花沢さんが、突然いった一言。
 何の質問に答えたのかはわからない。なぜなら僕は、居眠りの最中に、この一言で起こされたのだから。

 何を隠そう、若林とは僕のこと。まだ女を知らない、高校三年生だ。春の暖かい陽気に誘われ、眠りこけていたので、一瞬、夢かと思ったが、どうやら現実のようだ。
 いきなり告白したことにより、顔を赤らめる花沢さん。教室の中は、「ヒューヒュー」と僕らをひやかす声が発せられ、先生に至っては、注意するどころか、温かい目で見守る姿勢を固めていた。
 すると、また、女子が立ち上がった。

「あたしも若林くんが好き」
「あたしもよ」
「あたしだって」

 次々と立ち上がり、僕に愛の告白をする女子は、だんだんとその数を増し、遂には、教室の女子全員が立ち上がっていた。
 そして、その勢いは留まるところを知らず、他の組の女子からや、後輩の女子からはもちろん、知らない女子まで名乗りをあげ、気が付けば僕は、その日のうちに、学校全員の女子から愛の告白をされてしまっていた。
 このような事態に、当然のように僕は戸惑った。だって、一日に二百人以上の女子から告白をされるなんて、ありえない現象だ。というか、僕は今までに、告白なんかされたこともないし、彼女ができた試しすらない。
 もはや、こうなってしまえば、僕の関知しないところで、事が運んでしまう。放課後に、緊急の全校集会が開かれ、僕は一人、体育館のステージに立たされた。
 そして目の前には、ずらりと女子が群がり、僕に熱い視線を送った。そして、その女子の後ろでは、男子らや教師陣が、

「こーくーはく!」
「こーくーはく!」

 と、手を打ち鳴らし、僕を煽っていた。
 僕の額からは脂汗が流れ、まともに顔もあげてられない状態だ。しかも、やじ馬という名の観衆に見守られながら、この大勢の女子の中から、絶対に誰かを選ばなければならないのは必至。だが、僕にそんなことが、できるのだろうか。
 と思ったその時、ひとりの女子に目が止まった。花沢さんだ。そうか。よくよく考えてみれば、最初の第一声をあげたのは、花沢さんだった。
 僕は「よし」と決め、顔をあげた。僕の見解だが、花沢さんは、まあまあ可愛い。目鼻立ちはととのっていて、長い髪をおさげにしていた。地味に見えるかもしれないが、最初に告白してくれた花沢さんの勇気に、僕は感銘を受けていた。

「ぼ、僕は……」

 おどろおどろと、僕が声を発っすると、今まで騒がしかった、体育館が一斉に静まり返った。生唾をゴクリと飲む。まさに、緊張の一瞬。僕の言葉を、今か今かと待ちわびる視線が、体の至る所へと突き刺さっていた。

「花沢さんが……好きです」

 時間がストンと止まったような感覚。その間、わずか約二秒ほど。しかしその直後、やじ馬から、割れんばかりの歓喜の声が沸き上がり、両脇にあった巨大なバズーカ砲から、紙吹雪がズドンと舞い上がった。花沢さんは両手をあげて喜び、その他の“フラれた”女子達は、大粒の涙を流し、奇声をあげて泣き崩れていた。
 そして、僕と同じ体育館のステージへ担ぎあげられた花沢さん。僕は照れ臭くって、花沢さんと目を合わせることができない。
 すると、体育館の正面の扉が開き、真っ黒な衣装に十字架のネックレスを付けた、外国人の爺さんが現れた。そして、その爺さんが歩き出すと、やじ馬をはじめ女子達が、一斉に道を譲った。ステージの上からは、まるでモーゼの十戒のように、人の波がぱっくりと二つに割れていた。
 僕ら二人の前にくると、その爺さんはこう言い出した。

「アナタハ、花沢サンヲ妻トシ、病メル時モ貧シイ時モ……」

 まるで結婚式の時に、牧師さんが言うような台詞。そう、その爺さんは、牧師さんそのもので、僕の意思とは関係なく、今まさに、僕と花沢さんの結婚式がとり行われているのだ。参列者は、先生と生徒、総勢五百人弱。こんな急展開を、いったい誰が予想できただろうか。と言いたいところだが、僕以外の人間はみんな、予想できていたように見受けられる。

「……誓イマスカ?」

 牧師さんは、口上を述べ終わった。

「ち、誓います……」

 僕は、それに答えた。
 すると、体育館にいた人々は、慌ただしく動き回りはじめた。
 テーブルをいくつも並べ、その上には真っ白なクロスに、赤、黄、桃といった色の花が飾られ、フランス料理が運ばれてきた。
 僕と花沢さんは、真正面のテーブルに二人で座らされ、いきなりの結婚披露宴がはじまった。
 どこから持ってきたのか、僕の小さい頃から今までのスライド写真がスクリーンで流され、なんだかむず痒かった。そして、カラオケ大会がはじまり、全校生徒で「てんとう虫のサンバ」を大熱唱。その歌の途中で、キスを要求するフレーズが流れ、僕はまごまごしていた。

「おーまーかせ!」
「おーまーかせ!」

 いらついた一人の男子生徒の声を皮切りに、全校生徒による、おまかせコール。窓ガラスにはヒビが入り、床は抜け、天井が飛んでいきそうな勢い。これは、僕が花沢さんにキスをしなければ、おさまりがつかない状況だ。
 僕は花沢さんを見つめた。目を閉じ、口をとがらせ、僕の唇を受け入れる体勢になった花沢さん。僕のファーストキスは、大衆に晒されながらの結果に終わりそうだ。
 そして僕は、花沢さんにキスをした。しばしの沈黙。するとその時、地震のような地鳴りが、ガガガガ、ウィーンとしたかと思えば、窓の外から信じられない光景が、僕の目に飛び込んできた。
 なんと、運動場の地面が、両端にスライドするように開き、そこからゆっくりと、スペースシャトルが登場したのだ。

「さあ、新婚旅行へ、いざ出発」

 白髪で小太りの校長先生が、外を指差し、そう叫ぶ。いやはや、新婚旅行にいくのに、スペースシャトルとは。行き先はやはり、宇宙なのだろうか。そう冷静に考える僕。もう、何が起きても驚かない。
 シャトルの中からは、NASAから来たかと思われる、宇宙服を着た人が数名、手招きをしている。これは、僕と花沢さんに「乗れ」というサインに間違いないだろう。
 外に出ようと、正面扉を見る。すると、僕らのいるステージから正面扉までの道のりを、みんなが、繋いだ手を上にかかげ、人間トンネルを作っていてくれた。
 祝福の声を受けながら、トンネルをくぐる僕ら。花沢さんの手をしっかりと握り、一歩ずつ前に進む。いつしか、僕の口はゆるみ、笑顔に変わり、嬉し涙が溢れていた。
 出口に差し掛かると、僕の両親と花沢さんの両親が待ち構えていた。

「おめでとう」
「しっかりね」
「娘をたのむ」
「幸せになれ」

 それらの言葉を、しっかりと胸に刻み込み、僕らはスペースシャトルに乗り込んだ。
 カウントダウンがはじまり、機内が揺れはじめた。ありがとう、お父さんお母さん。ありがとう、先生。そして、ありがとう、みんな。その思いを胸に、僕らを乗せたスペースシャトルは、宇宙へと飛び立った。
 すごい加速で、身体にものすごい重力がのしかかる。シャトルのクルーの話によれば、宇宙ステーションで一息入れて、それから月の周りを一周して帰る計画らしい。こんな贅沢な新婚旅行、僕らみたいな一般庶民が味わって良いのだろうかと思ったが、シャトルのクルーが「問題ナイヨー」と親指を立て、笑顔でニカッとしたから、幾分か気は楽になった。
 そして、大気圏を抜けオゾン層を突き破ったその時、僕の視界に、広大な闇といくつもの光が飛び込んできた。そう、僕らはとうとう宇宙へ来てしまったのだ。
 果てしなく続く空間に、きらびやかな星がちりばめられたその景色は、地球から見上げた夜空なんかくらべものにならないほど圧巻。僕は、しばらくその景色に魅了されていた。
 するとその時、警告を示すブザーが作動し、シャトルのクルー達がざわめいた。

「爆発スルカモヨー」

 その言葉を聞いた僕は、慌てて下にあったレバーをにぎりしめた。そして、脱出用ハッチが開き、シャトルの外に放り出される僕。しかし、シャトルは爆発などせず、そのままなだらかに、飛行を続けていた。
 どうやら、取り越し苦労だったらしい。だが、宇宙空間に放り出された僕は、シャトルとは反対の方向へと流された。シャトルが助けにきてくれる様子もない。

 それから僕は、どのくらい流されたのだろう。宇宙服の酸素も底をつきかけている。
 僕は、死ぬのか。まあいい。こんなに濃厚な体験、誰でもできるものではない。僕はこのまま、宇宙の塵となって、永遠にさ迷い続けるのだろう。
 と思ったその時、遠くの方から、何やら光る物体が近付いてくるのが見えた。
 もしかしたら、シャトルが助けにきてくれたのかもしれないと思い、僕は手を振った。そして、その物体が近付くにつれ、正体があきらかになっていった。
 銀色の体に赤いラインが入ったその風貌は、Mなんとか星雲からやってきた光の使者。どうやら、怪獣退治に地球に降り立つところ、僕を発見してくれたようだ。地球に怪獣なんかいないのにね。
 光の使者は想像してたよりも大きく、僕の身体は、その手の中に優しく包まれた。そして、いざ地球に向けて「ショワッチ」と飛んでくれた。
 遠くに感じた地球が、どんどん近付いてくる。もう二度と、帰れないと思っていた地球。ただいま地球。僕は帰ってきたよ。
 しかし、大気圏への突入時、その摩擦熱に耐えられない僕の身体は、ものの見事に炎に包まれ、ついには灰になってしまった。
 まあいい。僕はきっと、一生分の幸せと運を、使い果たしてしまったのだろう。悔いなんかないさ。

エスカレーション

エスカレーション

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-26

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