ぬるい風が巻き付いて

私にとってはここが現実で、死ぬことも逃げ出すことも許されなくて


 暗い。だるい。吐き気が止まらないし、頭痛も止まない。これはひどい。歩き続けた私の学校の上履きは名前が滲んでいるしひどくぼろぼろでつま先が出てしまっている。というか何で上履きなんだろう。避難訓練以外に上履きで外に出ちゃだめって学校で習ったはずなのに。右手には野球部の金属バットが握られているけど血まみれだし歪んでる。手がジンジンして赤く腫れているのだけれどバットを握る手を放すことすら許されない。誰が巻いたのか、テーピングでギチギチにバットごと固定されている。本当に嫌になる。バットを持ちあげてあるく気力もなくて、カラカラ引きずりながらひたすら歩く、歩く。
 どうしてこうなったんだっけ。思い出せやしない。曇天のせいか頭痛がひどくて考えるのもだるい。前を向けば白い蛆虫が集ってくる幻覚をみるけど、これは頭痛の前症状なんだっけか。ああ、嫌だなこれ以上ひどい頭痛が来るなんて。口は乾いて息をするのもやっとで、血の味がしてすごく不愉快。口を閉じれば砂のジャリ、とした感覚が広がってどちらにしろ不愉快だった。足が折れて内臓が飛び出た犬がしっぽをだらりと下げたままこちらを一瞥して去る。夕焼けが真っ赤で血みたいなのが分厚い雲の隙間からわかる。
 ああ、そうだ、学校で。みんな変なガスを吸っておかしくなっちゃったんだった。それで私バットをテーピングで固定して…
 ひどく寒い気がする。まだ夏の終わりにも近づいてやしないのに。何人殺したっけ、何人半殺しにしたっけ。友達のミエちゃん、優しい養田先生に、美人の横田さん、クラスメイトの四嶋くん、田尾くん、頭がいい橘内さん、優しかった保健室の先生に、ほんとはちょっと憧れてた人気者の長治くん。みんなみんな、襲いかかってきたから、バットでめちゃめちゃに殴った。何か悲鳴のようなものが殴ったときに聞こえた気がしたけど、耳鳴りがひどくてよく聞こえやしなかった。
 家に帰りたい気がする。けど、家に帰ってもきっとさっきみたいになるんだろうな。私また、バットでめちゃめちゃに殴るしかないんだろうな。うちのケン、さっきの犬みたいにグロくなってたらどうしよう。シーズーなんだけど、おじいちゃん犬だから多分私にも勝てるだろう。お母さんが厄介だな。あの人怒るとめっちゃ怖いし、ママさんバレーやってるから年の割に機敏だし。
 なんの為に歩いてるんだろう。そう思うんだけど、進む足が止まってくれない。なんか、止まったらダメになる気がして。ずっと心の中は大きな試験に遅刻したみたいにざわついて、とまってくれない。考えたくない。なにも。考えたくない。
 そう思っていると目の前に人だかりができている。ダンプカーにひかれたおじさんの脳みそやら内臓をみんな食べていた。トムソンガゼルを食べるライオンみたいだった。こちらに気付いた瞬間、みんな奇声をあげながら走ってきたから、私もなんだかテンションが上がってきて飛び掛かって滅茶苦茶にバットを振るう。楽しくはない。バットが骨を砕くのが私の腫れた右手にも伝わって、背骨まで響く。ちっとも、楽しくはない。
 気づくと人だかりはもう無くなっていて、私のお気に入りのセーラー服は真っ赤になっていた。つらい。さみしい。このセーラー服、よく似合うって、受験頑張ったねって、お母さんが褒めてくれたっけ。
 人だかりがなくなって、次に殴る人を見つけるために走る。走りたくもないのに走る。足はちぎれそうだし、もう息継ぎなんてできやしない。ずっと血の味がする。どこもかしこも痛くてしょうがないのに、それでも殴らなきゃならない。
 そもそも、なんでこんなことになったんだっけ。何か変なガスがいきなり教室中にバラまかれて、それでみんなおかしくなっちゃって、それで。ああ、そうだ私、ガスを撒いた人を見たきがする。だからこうして町中を回って探しているんだった。そうだ。黒い服の…
 みんな死んだ、みんなおかしくなって死んだ。みんな叫びながら頭を押さえて、泣いてた。泣いてた。だから私はそんなの見たくなくて片っ端から殴っていったんだ。もう感情もクソもないし、体はボロボロだけれど、あの黒い服の奴を殺さなきゃこれはいつまでも続く気がするから、だから、だから。


 走り続けて、風景が急に変わった。夕焼け空は血のような赤じゃなくて、綺麗な橙色のグラデーションだけど、そんなの関係ない。体はとっくに限界を超えていて、走り込みながら咳が止まらない。口から血をまき散らしながら走る、走る。まったく知らない土地なのに、なぜか足は止まらない。マンションの階段を上がって、502号室に着く。ドアは鍵もチェーンもかかっているけど、何回もバットを振り下ろしていたらついに歪んで壊れた。
 黒い服の男はベットで寝ていた。物音に気付いて起きたばかりのようで、ベット脇の眼鏡をかけてこちらをみると目を丸くして驚いていた。
「ユミ…なのか…どうして」
「お前がやった」
からからの口から合成音が飛び出す。指の先のドットが抜け落ちている。首を下にやるけどモデリングが甘すぎて若干顔が変になる。さっきまで血まみれだったのにバグで足元だけ血が落ちている。
「そんな…そんなことが…お前は…俺はお前を作ったんだぞ、それに、ゲームだぞ、こんなことが」
「お前がゲームを作らなきゃ、皆死ななかった。私も、みんなをコロさなくてよかった」
目の前の男は心底頼りなくてひょろひょろの体をしている。無理もない。この男が作ったゲームで売れたのはこれだけで、しかもずいぶん昔の事だ。これと対になるようにもう一つゲームを作るはずだったのに、アクションホラーのゲーム性が受けてそこそこ儲けて味をしめたのだろう。最近は会社にも顔をださずにのんきに遊んでばかりなのも知っている。
「オマエガ、続編モ、何もかも放り出したから、ワタシタチはなにもワカラナイママ、真実も、ナニモ。皆死んだまま。終わらない。」
そういって男に向かってバットを振り下ろす。狂った皆より動きが早いため、避けられる。
「ゆるしてくれ、本当に悪かった、本当に、ゆるして、ねえ」
そういって男は泣きわめいている。ひどく、残酷な気分になった。ああ、こんな野郎の為に、皆。
「…コロス価値も無イ」
そういって、バットを降ろす。
「…オマエガシンダラ、続編が、きちんとした続編が、デナクなる。」
許されたと思ったのか、男が一瞬安堵の表情を見せる。その瞬間に、左足を狙ってバットを思い切り振り下ろす。骨が折れる感触が手に響く。皆よりずいぶんともろい。
「アアアアアア!!!!!」
「遊びに行く足はいらんだろう。これで集中デキルナ」
そのまま左手で男の髪をつかんで、床に投げ飛ばす。男はよくわからない液を口から飛ばしていた。
「いいか、お前は、この世界の奴らは、ワタシタチの事を何とも思っていないだろう。だがワタシにとっては、オワリガナイ 悪夢ダ エンディングヲ むかえるまddddd ひたすら、知り合いを殴って、殴って、ずっとオワラナイ モウ ユルシテ」
体が限界を向かえたようだった、ドットもスキンも透けて、感覚がなくなっていく。ああ。なんだか、さみしい。ひどく、さみしい。
「ソレダケ ワスレルナ」
そううずくまっている男に声をかけて、私は、私の思考は、存在は、跡形もなく消えてしまった。


「なあ、新しくでるゲーム、買った?」
「ああ、小学生の時はやったよな、あれ。俺トラウマ」
「リメイクして主人公がラスボスになるらしいぜ」
「え、あれEDのネタバレってデマじゃないの?いくらなんでも設定無理ありすぎるだろ」
「それがさ、前作で主人公やられて死ぬたびにセリフ、ランダムで変わってたじゃん。あれが伏線で、実は最初の学校の時点で主人公もガス吸っちゃって少し敵側になっちゃってるんだって。それをアイテムとか気力でなんとかしてるらしいよ」
「うわ、エグいな…まあ前作もエグかったっけど」
「でも操作性も脚本もキャラもCGもめっちゃよくなってる」
「まあ、あの作者あれ以外ゲーム作ってなかったもんな。サボった分出来はいいだろう」
「それなんだけど雑誌のインタビューでさ、作者夢の中に主人公出てきてボッコボコにされたらしいよ」
「え、なんで?」
「『続編が無いからずっとクラスメイト殺さなきゃいけないだろうがふざけんな』って感じのことを言われたらしい」
「…まあわかる」
「…そっか、俺らにしたらただのゲームだけど、主人公にしたらアレきっついよなー…」
「ホラーゲーって自分に置き換えてみると逃げ出したくなるような設定ばっかだもんな」
「いや、ほんとにさ」
「やべえ、俺あのゲーム買っておいてる」
「まじかよ、夢に出てくるぞ」
「そういわれるとやりてくねえ」
「いや、俺もう一周クリアしたけど普通に面白いからやろうぜ?」
「あーそうだな、やるか」

私は今日も悪夢のような毎日でバットを振るい続ける。ひたすら最後を目指して。救われると信じて。

ぬるい風が巻き付いて

ぬるい風が巻き付いて

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • サスペンス
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-25

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