sei≒shi
悶々。
死は生の反対でしかない。
ふと思う。
死後の世界は、存在するのではないか。
それも、「生」を優とした付属的なものでなく、単に「生ではない状態」としての「死」。
こちらでは死を疎んでいるように、あちらでは生を有らざるべき状態と捉えていて、それ以外のなにものでもないのである。
あちらでも、服を着て、モノを食べ、家に住み、そして人を愛すのだ。
だけれども、「生」きてはいない。
その事実は、どれだけの価値を持つ(あるいは持たない)のであろうか。
死ぬということが、今とは違う世界への鍵として定義された瞬間、今のこの現世に留まる理由は、
果たしてあるのだろうか。
転勤、転校と同じ熱量で行われる、「転界」が、すぐそこまで迫っていてもおかしくはない。
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