いいわけ
朝のジョギングより前に書いた作品です。
短編です。
後半は説明の文の羅列がありますので、読みにくいかと思います。
作者の人生においてイタイ「いいわけ」を綴っております。
晩秋のある夜の事だった。
その日は私と先輩と、もう一人、田中山という先輩の友人との三人で、こぢんまりした居酒屋で飲み会を開く事になっていた。
居酒屋は駅前にあり、内装はかなり古ぼけていた。カウンターに座ったが、椅子の坐り心地は悪く、最近痛めた腰に多少の不安があったが、私は先輩達との晩酌を楽しもうと、会話に精を出した。
「お前、最近調子どうなん?」と、静岡県出身の先輩が、関西弁で田中山さんに質問をしたところから一同の会話は始まった。
先輩の友人、田中山さんは、結婚をして子供が二人いるという。おまけに最近、三千二百万の一軒家を買ったという話をしていた。
結婚して、子供がいて、おまけに一戸建てを買うとは、私とは天地雲泥の差で幸せ街道まっしぐらな田中山さんである。私もこのくらいの近況を話せる男になりたいものだ。
「こちらの方が、さっきお前が言ってた大学の?」
田中山さんが先輩に尋ねながら、私の方に視線を向ける。先輩が返事をした。
「そうそう、同じサークルの後輩」
先輩は田中山さんに手を添えながら、私の方を見て、
「この人が俺と同期息切れの田中山。実は――」
私は心の中で復唱した。
――同期息切れの田中山――
私は動悸、息切れに効く何らかの薬のCMから引用したさりげないギャグかと思いつつ、その言葉を無視して話を聞いていた。
「小学校からの付き合いだったんだ。だったん人、だっふんだ、何でも言えやいいってもんでもないもんもん」
「よろしく。後輩さん」
「あ、はい。よろしくお願いします」
田中山さんの挨拶を私は返し、直前の先輩による何らかの企図を感じる粗雑な日本語を躱した。田中山さんも私に合わせてくれてるようで、うっとうしい先輩を気にしないでいる。
先輩の携帯が鳴った。着信音はスパイ映画のテーマ曲のようだ。トム・クルーズにでもなりきったつもりか?
「もしもし。キムチ拓哉、三十四歳、独身です」
キムチ拓哉とは恐らく、芸能人の木村拓哉から名を拝借し、先輩が独自の解釈で、キムチにした名前だと考えられる。直後、先輩は狼狽した。
「あ、部長! これはこれは、大変失礼を。ハイ、ハイ、ああハイ、申し訳ありません!」
どうやら職場の上司のようだが、先輩は着信が誰だか解ってて自らをキムチと名乗ったのだろうか? 終始低頭していた先輩だったが、これは間違いなく先輩に非がありますよ。
携帯を切り際、電話の相手に先輩はこう言った。
「はっ。全ては中居部長の仰せのままに。ご安心くだされ。きゃつの首、必ずこのキムチが取ってみせます!」
上司との電話だと言うのに、最初に先輩が見せた、あからさまに恐縮な雰囲気は跡形もなくなっていた。果して相手は本当に上司だったのか、それさえ解らなくなってしまった。
田中山さんが、焼酎を口にしながら先輩を見やった。
「キムチとか、中居とか、どっかのアイドルグループかよ?」
「あ、ああ、い、いい、う、うう、え、ええ、お、おお。なんか、ええだと女っぽいな。五十音全てで、日替わりで返事していったら面白いかもしれんな」
「わわ、をを、んん……。すでに返事じゃねぇだろ」
田中山さんが鋭く突っ込む。そうですよ。ささとか、かかとかもう返事どころか、頭おかしくなってます。
「お前なんか、木村拓哉に全然似てねぇじゃねぇか」
「会社で部長が中居って名前で、他に稲垣とか香取とか探したんだけど、辛うじて赤西がいるぐらいでね……」
「要は、グループにもなってないってわけね。上司とは仲いいの?」
「中居だけに仲いいとは、なかなか面白いじゃないか。あのお方の名をここでお呼びしたいな」
山田くん、座布団持って行きなさいと言うつもりだろうか。先輩、髪の毛の薄さなら司会の方に弟子入りできそうな感じです。私は黙したままで、先輩と田中山さんの話を聞いていた。
「お前こそ、最近どうなんよ? 一連のやり取りを見てる感じ、昔と全然変わってないじゃん」
「ああ、まあ、変わってないかもな」
「将来どうするとか、なんか目標でもあんの?」
「いや、どうなるんだろうな。好きな人も特別いるわけじゃねえし。こうなったら生涯独身でいてやろうかと思ってるけどな」
「まあ、結婚を強要してもしょうがないけど。好きな人がいないって、気になる同じ会社の女とかいないのか?」
「綺麗な女はいることはいるが、なんか、皆すでに彼氏とかいそうでなあ」
「好きな芸能人とか、好みのタイプとかもいないのか?」
「ないなあ。四十八人のアイドルグループとか色々出てきてるけど、確かに可愛いとは思う。だが、可愛いからなんなんだ?」
「なんなんだって、なんだよ?」
「そっから先が何だ、と言うんだ。可愛い、カッコイイ、だからテレビ見るのが楽しいとか、俺には理解できん。可愛い、カッコイイ、面白い、そんなのテレビとして当然なきゃならない要素だろ? 色がついて適当に喋ってるような、四角い形の機械をぼーっと見てても、虚しく時間が過ぎて行くだけだ。テレビを見る事が日課な奴もいるし、それをどうこう言うつもりはないが、テレビ見るだけって楽しいのか? と、どうしても考えちまう。捻くれてるかもしれんが、どうも最近、テレビとの付き合いが疎遠になっちまったんだよ」
「そういや、前に連絡した時、テレビ見てないとか言ってたよな? ネットにはまってるとか?」
「そういう訳でもないんだよ。なんか恋愛とか、異性への意識というものが億劫になってるんだよ。エロDVDとかは見るよ? でもねえ、なんかこう、熱意が出ないね。年取ったからかな……」
先輩の言葉を聞きながら、私は頷いていた。
少子高齢化が進む、我が国日本。私はアニメ鑑賞に専ら時間を費やす、アニメオタクという人種だが、冗談か本気か、現実への叫びか、二次元の女の子を俺の嫁だという奴がいる昨今、ちょっと前には草食系男子などという言葉が流行り、話題になったりもした。
方やそんな世界が、この世の中の一角に存在している。
私は今年で三十一になるが、二次元の女の子は可愛いと思っている人種だ。だが年齢が年齢なだけに結婚に焦りもする傍ら、どこか諦めに近い感情を抱いているのだった。
二次元の女の子に取り付かれる人間と、少子高齢化とを繋ぎ合わせるのも、安易な話ではないかと思う。問題はもっと切実なのではないだろうか? 現実の女性に声をかけられない。見方を変えれば、一個人の相手の心に、不信感のような物があるのではないだろうか? 最近の女性は確かに気が強いし、口を開けば、キモいだのウザいだのを言う。もちろんこれは、女性に対して、そういう態度を取らないで、という希望をしている訳ではないが(キモいとかウザいは男も言うし)、男のみならず、互いに見えない相手の心というものを、信じられなくなっているのではないかと私は思う。
気の弱い男性が多くなってきた、というのもあるかもしれない。私もその一人だ。
最近”男の娘”という名称をたびたび目にする時がある。オカマとかホモとかその辺の類とは違うらしく、あくまで女装することを趣味としている男性のようだ。女性として生活をしている人もいるようで、そんな漫画も幾つか本屋で見かけたことがある。
女の恰好をした男が、特定の女性に対して「俺と付き合え」と言えるシチュエーションは果してあるのだろうか。あったとしても、その恋愛はなかなかにイメージしにくい。女装する男を見て喜ぶ女性もいるというが、田中山さんのように現実社会でまともに幸せな人生を送られている方を見ていると、この”男の娘”と”結婚への意識の薄れ”というお題を頭の中だけで解決させようとしている私自身が、およそまともで幸せではないように思えてくる。そんな私は、せいぜい田中山さんに羨望の眼差しを送ることだけが関の山だ。
祖父や父の時代にありそうな、黙って俺について来い! という気迫の男性も、少なくとも私の周りには先輩も含め見受けられない。最終的には男がリードしなきゃならないのは、どの時代でも同じなのかもしれないが、男が女々しくなってきてしまっているのは、一概に否定はできなさそうだ。
私を含めた若い世代は、相手を信じる気持ち、または性欲なども昔に比べて減退してしまったのだろうか?
男女間の隔たりは今に始まったことではないにしろ、本当に現実の異性への意識が軽薄になっているのなら、私はそこに「何故」と問いたい。そのとき、一人一人の胸の内側を確かめたくなるのだ。それは私自信にも問いただされる事だが。
あなたは現実の異性が嫌いですか? と問えば、きっと多くの人が首を横に振るだろう。その中に二次元しか愛せない人もいるのであれば、この頭の中で展開される孤独な会議は一生続くのだ。
二次元しか愛せない人が、現実を直視したとき悩まないはずはない。私も含め、実情、二次元のキャラクターに強い愛憎の念がある人は、切実な問題を抱えているのは確かだ。
だが私は、終わりそうもないこの脳内会議に、すでに答えとなるものを導き出していた。
我々若い世代は、昔に比べて他人の気持ちを察し過ぎて距離を置いてしまう、良く言えば「優しい」、悪く言えば「気の小さい」人間になってしまったのだろうか。ネットの世界ではずけずけと物を言う人は増えたが、実際外の世界でそれと似たようなことを言われることは滅多にない。個人の特徴として、はっきり言う人とか空気が読めない人などはいるのだろうが。
このまま子供が減って行き、一体日本はどうなるのだろう? と、行く末をどうこう論じても、明日は明日だ。明日にならないと解らない。
先輩の高いテンションを、ひたすら黙殺する私と、先輩の将来を気にかける田中山さんとのこの空間は、私や先輩が結婚をしていない今だからこそ、味わえる楽しさなのかもしれない。
結婚したら様々環境が変わるだろうし、これからの事をもっと事細かに考える機会を増やさなきゃならない気がする。アニメを見ている暇もなくなるだろうし、もっともアニメ好きを許してくれる奥さんを貰えれば話は早いが、現実はそう甘くない。
”現実はそう甘くない”
この言葉、やけにテンプレートな言いように思える。私が学生時分から聞いてきた言葉だし、私が生まれる前からそう言われ続けてきた言葉に違いない。
現実はそう甘くない。それは百も承知だ。けれど夢を持つことは、悪いことじゃない。厳かに人を見つめる現実というものを、決してぞんざいに扱うという話ではない。もう少し踏み込めば、「甘くない」という言葉の先には、「だから諦めろ」という言葉が潜んでいやしないだろうか?
私はどうなのだろう。すでに諦めているのかもしれない。子供の頃は、様々夢を思い描いたものだが、その儚い夢の絵画が、三十路を孤独に歩く私の胸中に微塵も残されていないのは、現実には敵わないと既に匙を投げているからだろうか?
だが、この先どんな女性に出会えるか、楽しく想像してみるのも、今しか味わえない夢なのかもしれない。
夢は現実に打ち勝つ。だが、夢は現実に負けもする。
解りきってる事じゃないか。稚拙な持論だな。
私は、大人になってからの十一年間、現実社会の荒波に揉まれ、嫌というほど現実を思い知らされてきた。だが、ひと時の夢の味も、舌が麻痺するくらい舐めてきたのだと思う。現実の女性が嫌いなのではない。尊重はしたいさ。
ただ、私は夢という飴の味も覚えてしまった。
その夢の中の一つが、アニメを堪能する時間というわけだ。
そう、結婚よりも将来よりも、自分の時間にもう少し傾注していたいのだ。やっぱり一人でいる時間も楽しいのだし、色恋沙汰や、女性への意欲的なアプローチが欠けているのも、そんな時間が私を手放しちゃくれないからなのだ。
「趣味をしている『時間』が私の恋人」というのもイタい話ではあるが、アニメが趣味ではない未婚の人々の中にも、もしかしたら私のような”恋人”を持つ方はいるのかもしれない。
などと言い訳と考察を頭の中で繰り広げながら、先輩の厳冬のような冗談を肴に、私は金色に輝くナマチューを一気飲みするのだった。
完
いいわけ