真夜中

人生の一時期にこんな瞬間は誰にでもあるはず。


はじめに言(ことば)があった、言は神とともにあった。言は神であった。この言は初めに神とともにあった。万物は言によってなった。なったもので、言によらずになったものは何一つなかった。言のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇で輝いている。暗闇は光を理解しなかった(ヨハネによる福音、一章一節から五節。)。

 生活が自分の思う通りに進まない時ほど、昔のことを思い出すものだ。心の奥には温かい記憶の一つか二つは眠っているからだ。過去の栄光にしがみつくのは現在劣等感にさいなまれていることの裏返しだ。なぜなら記憶というものは自分によって美化され一層甘美なものになり、それらは何物にも侵しがたいからだ。恋をしたとき、僕は後ろから相手にバケツで水を浴びせかけるような愛し方しかできない。そうした後で、たいてい古いアルバムをめくるみたいに思い出して後悔したり、自分を慰めたりするのだ。

藤沢駅前のロータリーから一歩裏道に入ったところにある喫茶店は、午後一時にもかかわらず薄暗く、コーヒーから立ち上る湯気は窓から差し込む淡い光にあぶりだされ、意味ありげな曲線を描いた。
「僕はひとを好きになるとき、後ろからバケツで水をあびせるようなやり方しか知らないんだ。」僕は昨日、新しくおろした白いシャツに心を躍らせて、普段よりいささか饒舌になっていた。
「あらそれはしょうがないことね、自分も相手もびしょびしょになって愛し合うのね。」
「そう、そんな僕に耐えきれない女の子はいなくなってしまう。それに身も心も浸せる女の子と僕は二人でどこまでも落ちて行って、様々な利益を棒に振ってしまうことがこれまでにたくさんあった。」
「たとえば?」
「定期試験とか、友情とか、生活習慣とか。僕は目の前にいるその子にしか目が向かなくなってしまうんだ。細やかな付き合いができなくなって、友達付き合いが疎かになってしまうし、好きな子のことを考えるとすべての物事が手につかなくなってしまう。」
「不器用なのね。」
「そう、僕は基本的に不器用な人間なのですよ。」
「このまえの英語の試験よかったらしいじゃない、優秀なのにね。」
「本当に、優秀なのに。」
大学に入学してある程度の時間がたった。実をいうとぼくはいささか行き詰っていた、僕は少しなにかを見失っていて、することを思いつかなくて生活習慣が乱れていた。高校の時同じクラスにいて絵画クラブにいた女の子と話をしていた。天井から下がった装飾的な照明の不十分な光は彼女の眼尻と口元に謎めいた影を作っている。天気は曇りで湿気は少なく、いましがた雨があがったところだ。窓の外を通り過ぎてゆく人々はみな一様にうれしげに傘をたたみ、小脇に抱えて水たまりの水をはねあげながら歩いていった。
彼女の印象を一語で言い表すと、ひとえに女性的だった。僕のまわりにあまりいない種類の人だ。お世辞にも痩せているとは言えないが、出るところは出てくびれるところはくびれている。高校にいたときにはメガネをかけて、まっすぐでまっくろな髪を長く伸ばしていたが、東京の大学に進学した後、髪を肩のあたりでバッサリ切って、メガネをはずし、真っ赤な口紅をつけるようになった(彼女の変化のうちでこれだけは頂けない。)。絵を描くのをばったりやめて、サークルにも入らず、アルバイトばかりをしているそうだ。
駅前で僕は彼女とばったり会った。土曜日の午前にしなければならないことはなかったから二人は喫茶店に入って今まで話していたのだ。驚くほど話さなければならないことが多かった。共通の友人のこと、お互いの大学や講義のこと、この前読んだ本、みた映画、梅雨どきの天気(今年の梅雨は特に長い。)。
「それで今、君にバケツで水をかけるべき女の子はいるのかな。」
「幸運なことにいないよ。それにしばらく落ち着いて自分のことに集中したいと思う。」
「優秀なのね。」彼女は僕をまっすぐ見据えて言った。その無表情は皮肉ともとれるものだったが、すぐににっこり笑った。僕はからかわれたのだろうか。
この後彼女はアルバイトに行かなければならないといった。僕は彼女にまた会えるかと尋ねた。「私はびしょびしょになるのはいやよ、でも君のことは嫌いじゃないから友達としてときどきあそぶのはいいかもね。」そしてテーブルの上に百円玉を三枚ポンと放り出すといたずらっぽく手をちぎれるぐらい振ってさっさとどこかへ行ってしまった。僕は喫茶店においてあった新聞をひと通り読んで家へ帰った。
 
彼女の名前はハナだ、どんな漢字で書くのかは知らない。友人に聞いた話によると、大学に少し通ったらしいが、おもしろくないから休学してしまって今は横浜の馬車道に面した新聞社のビルでアルバイトをしているらしい。朝九時ごろに起きて、三時ごろまで本を読んだりする。四時ごろ出勤して退社するのはいつも二時ごろになるそうだ。ほかにも仕事をしているらしいが、僕はそれらがどんなものなのかを知らない。

七月下旬にもう一度花と会う機会があった。とても暑い午後五時ごろにハナは大学の構内を一人で歩いていた。僕が声をかけると、なぜか彼女はすごくばつの悪そうな態度をした。
「ごめんね、みんなにうそをついていたの。」ハナはサングラスをかけて、赤いミュールをはいていた。
「どんなうそかな。」
「本当は大学にきちんと通っているの、新聞社のバイトがある水曜日には講義を入れないでかよっているだけ。私は高校にいたころからずいぶん印象が変わったから今まで誰にも気づかれなかった。ねえ、」
「なに。」
「嘘をつくのはいけないことだと思う。」
「嘘をついてまで、貫き通したいものが君にはあるのだろう。」
「ありがとう、あなたはよくわかっている。」
サークルには一つも入っていないとハナは言った。静かに暮らしたいというのがその理由らしい。あと、時々小説が書きたくなって短いものを書くといった。
「僕は小説を書いたことがない。どうして君は小説を書きたくなるのかな。」
「書くとすっきりする、イソップ物語であるでしょう、言いたいことが言えないから穴を掘ってその中に話しかけていた話が。誰が読むわけでないけれど、アウトプットするのはこころとからだの健康に良いことよ。」その言葉に僕は少し興味がわいた。
「小説を書くコツはないかな。」僕が尋ねると、ハナは少し嬉しそうな顔をしてはなしだした。
「そうねえ、ふるいともだちと休日に散歩をするときや、夕暮れ時に明るい満月を見上げたときとか、春の陽だまりのなか艦隊みたいに空を横切っていく雲を見たときとか、そういう時に胸に抱いた言葉で言い表せないけれど切実なことを忘れないことね。あまりひんぱんに書いてはだめよ、自分の言いたいことがたくさんたまってからでないと、言いたいことがうしろのほうに一つだけしかないつまらない短編になっちゃう。そういうものって読み始めたときから大体どんなお話かってわかっちゃうから。」
「星新一。」
「あれはあれでいいのよ、毎週アニメの放送を見るみたいにみんな楽しんでいるだけだから。私はもっといいものを書きたいの。」
「小説を書くのは時間がかかりそうだね。」
「時間がかかるんじゃない、時間をかけるのよ。そうすれば周りの人間と本人はなにをするにつけても主体的に問題に取り組むことができる。」

別れ際にハナはクリップで束ねた分厚い紙の束を手渡して、読んでね、と言ってにっこり笑うとひたすらまっすぐな並木道を歩いて行ってしまった。日が暮れてあたりは暗くなってきたため、ハナの小説をカバンに入れて家へ帰り、机に向かって開いたところから読んでみた。
それは一見したところ詩のようだった。

むかし、この国の人たちがきものを着ていたぐらいむかし。
ぼくのまえに道はなくて、
ぼくのうしろに道ができる、と言った人がいました。でも、
ハナはいっぽんみちを行くひとです。
その道がどこへつづいているかはわかりません。でも、
どこかにハナをつれて行ってくれると信じて、
きわまりの知られないいっぽんみちをただ、ひたすら歩く人です。
ハナはいっぽんみちを行くひとです。
まえをゆくひと、じゃまです。
ハナのあるくいっぽんみちが、どこかすてきな場所にハナをつれて行ってくれるとしんじて、
そのきわまりが灰色のつまらない場所であったとしても、今だけはどこかにいけるというあたたかいかたまりを心に抱いて、あるきます。
ハナはいっぽんみちを行くひとです。

次は散文のようだった。

今日は体調が悪かったからうちの居間で、テレビの前にあるソファーに寝転がって、毛布の中から首だけ出して、体温計をときどきくわえて、テレビを見ていたのだった。体があまりにも熱いのに奇妙にぞくぞくさむけがして、汗をかくから服をかえようとして下着も脱いでしまったけれど、めんどうくさくなってはだかのまま毛布をかぶってテレビを見ていた(やっぱり熱でもうろうとしていたのだと思う。)。
テレビでは東京マラソンの中継をしていた。ほんとうにたくさんの人が都庁前のスタート地点を出発していた。あとからあとから人が走ってくる。アナウンサーが今年の参加者は約三万人です、と言っている。その映像は三万人がどのくらい大勢であるかをわたしに知らしめた。
その時ふと思った、この国では毎年三万人の人が自殺しているのだ。毎年こんな大勢の人が彼岸に向けて走り抜けていくのだなあ。改めてテレビを見ると、三万人のランナーは三万人の死人に見えた。
時計を見るともう十二時近くだった。さようなら昨日、こんにちは今日。昨日は百人近くのひとが自殺したはずで、今日もこの国で百人近くのひとが自殺することになっているはず。さようなら、みなさん。

僕は疲れて読むのをやめた、いったい世の中の女の子はみんなこんなことを考えているのだろうか。もう少し実用的なことを考えたら楽しい過ごし方ができないかな。どうして彼女はこんな紙の束を僕に託したのかな。
ハナが僕に話したイソップ童話の続きは確かこんなことだった。穴に向かって話し続けて、その穴は埋め戻したけれど、ある日そこから芽が出て話した内容をしゃべりだしたのだった。ハナは僕に彼女の物語を埋めたのだろうか、僕がいつか彼女の物語を糧として、世界について語りだすのを期待したのだろうか。その時ハナは世界について語りだした僕を見上げてくれるだろうか。
言葉で世界をとらえるのは人間が神に似た存在であるからだと、キリスト教徒は言った。ハナにとって言葉の連なりで、つまり物語で、世界を再構築しようとする試みは、あたらしい天地創造なのかもしれない。物語を書くことは、この世界のすみっこでちいさな神様になれる体験なのかもしれない。論の飛躍だろうか。
水曜日の夜、外には冷たい雨が降っている。僕はパソコンの電源を入れて文章を書いてみた。

愛という言葉は元来仏教理論で執着の一形態であったけれども、キリスト教伝来時に宣教師たちによってアガペーに比定され現在の意味が定着した。中国語では配偶者のことを『愛人』と呼ぶが、日本ではこの呼称は定着しなかった。比較的新しい時代の漢語であるし、日本人自身の意識の根底には今も愛を執着や忌むべきものという意識があるのではないかとある評論で読んだ。中国語で日本語の愛人を情人という。この二つの漢字が指す概念を浮かび上がらせるために漢和辞典を引くと、愛は形象文字であり、いつくしむ心がおもむきおよぶ有様を示す。情は形声文字であり、つくりの青という字は心の混じりけのない意味を表す、隠されない真実の心のありようを表している。

書き終わった後改めて読み返してみると、そのあまりのくだらなさに自分でも驚いた。まだ僕はハナの期待に沿えない。

午前三時半のラジオ局、アルバイトのアナウンサーとお目付け役の社員が今日も二人きりでリスナーから寄せられた交通情報と簡単なニュースを読み上げる。外は冷たい雨が降っていて、大気はしっとりと濡れている。
「おい太郎ちゃん、今日のニュースにはあれがあるぞ。くれぐれもかまないでくれよ。」
「きょうはなんだい。」
「高速増殖炉もんじゅ。」
「ちぇ、ついてないな。」
「このまえ山田さんがこれを言うときかんだだろ、あの後それをちゃかす電話とメールが十五件あった。彼女、それを気にして手首を切っただろ。」もともと心が強くなかった僕の前任はまだ病院にいる。夜になるとなきわめくので看護師が二人がかりでベッドに縛り付ける。こうそくぞうしょくろがこうしょくじょうしょくりょでなにがわるいのよ、と彼女は正確な発音で毎晩なきわめく。
「知っているよ。放送開始まであと十五分あるだろ、それまでに口を慣らしておくよ。水をくれ。」社員がペットボトルをなげてよこした。
「練習しろよ、ほら。」
「こうそくぞうしょくろもんじゅ。」
「リピートアフターミー。コウソクゾウショクロモンジュ。カモン!」
「こうしょくじょうしょくりょもんじゅ。」
「おいおいよしてくれよ、本番中にとちらないでくれよ。」
「分かっているよ。お、今日もこの子からメールが来ているよ。第二環状線が比較的すいています、だってさ。この子、いつもこの夜に第二環状を使っている、大学生ぐらいの年齢の女の子がなんで毎週こんな時間に第二環状を使うのかな。」アルバイトは若い女の子が、赤い小さな車に乗ってほかに車のいない片側二車線の高速道路を横浜から湘南にあるどこかの海沿いの町へ一路走っているのを想像した。ひたすら前を見つめる彼女のぬれた瞳にはどこまでも等間隔で続く街燈が星のように映っている。カーステレオからは緩やかで雄渾なクラシック音楽が流れている。雨は激しくフロントガラスをたたき、ワイパーは規則正しい間隔で水滴を拭う。
「さあ、仕事だ。」社員がアルバイトにマイクの前に座るように促した。広いラジオ局のビルには警備員を除いて二人しかいない。今夜も午前三時半の放送が始まる。
                                                                             〔了〕

真夜中

真夜中

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-24

Copyrighted
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