恩師
随分と気温の低い、涼しい朝の訪れに、僕は久々に目覚めることの素晴らしさを見出したというのに、テレビのアナウンサーが「これでも平年よりは高い値です」と言うものだから、興醒めしてしまった。
のろのろと遅鈍な動きで支度をし、漸く食卓に着いてミロを作り始めると、既にコーヒーを淹れてそれを飲みながら寛いでいた兄が、食卓の上に置かれた朝刊を指差して言った。
「お前、この人の本持ってるやろ?」
大江健三郎氏の、ノーベル賞受賞のニュースが報じられていたのである。
僕は、一面の見出しから目を離せずに、暫時硬直してしまった。
大江健三郎氏といえば、忘れもしない、あの出来事。
高校時代の僕は、勉学に勤しまず、ひたすら読書に励んでいた。二年生の終わり頃には、大江健三郎氏の本を愛読していた。
ある時、僕が教室で本を読んでいると、宮谷が僕の机の所へ歩いて来て、
「どんな本読んでんねん?」
と尋ねた。僕は、『性的人間』の表紙を見せた。それを見た宮谷は、
「あやしいなあ」
と一言呟き、立ち去った。
その後も何人かに同様の質問をされて答えたが、皆似たようなことを言った。
そして、大江健三郎という名前は初めて見た、などと言うのだ。
その名前が再度皆の目に入ったのが、二年次最後の世界史の授業中であった。
先生は、フランスの何やらという題の書物を紹介された。その本の訳者が、大江健三郎氏だったのである。
先生が、黒板に、「大江健三郎」と書いておられる……僕は舞い上がってしまった。皆が知らないと言ったその名前が、今、黒板に!
思わず、手が鉛筆を握り、ノートの裏表紙に乱雑な文字を書いていた。
書き終わるや否や、それを隣席の宮谷に見せた。
――大江健三郎って、こないだの本の人!
それを見ても宮谷は「は?」としか言わなかったので、僕はつい、
「あかんな」
と声を発してしまい、また続けて書き殴った。
――『性的人間』の人や!
何も言わなければ良いのに、僕は今度もうっかり、
「これ、これ」
と言いながらノートを指し示したために、遂に先生に、
「こら! 笹口と宮谷!」
と、名指しで注意されてしまった。
それだけではなかった。僕だけは更にこっ酷く叱責された。否、断言されたのだ。
「笹口。授業に関係ない話だからって、聞かずに他のこと考えたりしてるから、お前は駄目なんだよ!」
僕は、少なからず衝撃を受けた。
確かに、僕の成績は非常に悪かった。しかし、先生が授業の度にされる様々な興味深い話には、誰よりも熱心に耳を傾け、その内容を理解している、という自信はあったのだ。
その日などは、それまで以上に先生の話が僕に強い衝撃をもたらした筈であった。
僕は、話を聞いていたからこそ、喜びの感情の発露を抑え切れなかったのだというのに、先生!
……と述べたかったが、そんなことを一々説明しても時間が掛かるだけだし、皆の失笑が止んだことで一件落着の雰囲気が教室を包んでしまったし、で、もうどうしようもなく、僕は首を竦めて沈黙するだけであった。
それから暫くは、余り読書をしなくなった。
いつしか大江健三郎氏の著書からも遠ざかっていった。
翌年度、僕はその先生が担任であるクラスの一員となった。
学級日誌の当番が自分に回って来たら、所見欄に必ずあの日のことを書こう、と始業式の日に心に決めたのに、当日はすっかりそんなことは忘れて、全く関係のない事柄で埋め尽くしてしまった。
己の失敗に気付いたのは、宮谷に日誌の当番が回って来た日だった。
都合の良いことに、宮谷は、書くことがないと困っていたので、それならば僕に書かせて欲しいと申し出て、溢れ出る言葉を整理する余裕もなく、一気に書いた。
――僕は、昨年度の世界史の最後の授業中に、先生が、大江健三郎氏が訳している本の紹介をされていた時に、喋っていたために、「授業に関係ない話だからって聞いてないからだめなんだよ!」と怒られましたが、あの時僕は、愛読している作家の一人である大江氏の名前が授業中に出て来たので、喜んで思わず喋ってしまったのです。先生のお話を聞いていなかったのではないです。分かって下さい。(突然書いて済みません。)
by S
僕は、校舎内を白以外の運動靴で歩いて何度も注意を受けていたし、世界史の追試にはことごとく引っ掛かっていたので、先生の意識の中には、常に僕が「落ちこぼれの笹口」として存在していることを前提とした上で、ただ最後に“by S”と記しておけば、すぐに先生は僕のことを思い浮かべると同時に、世界史の授業での一場面を鮮明に思い出して下さるものと、信じ切っていった。
宮谷が僕の書いた文章を読みもせずに日誌を提出した日の次の朝、僕は意気揚々と登校した。先生のコメントを読んで楽しむべく。
当番でもないのに、殆ど人の居ない森閑とした教員室へと朝一番に赴き、部屋の隅にある棚から三年八組の日誌を引っ張り出すと、慌ててページを捲った。
先生のコメントは、たった一言、“by S”の横に記されていた。
――誰?
これを見て愕然とせずに居れようか。
酷い、先生、それはないでしょう! と心で訴えつつ、静かに日誌を閉じることしか出来なかった。
「何ぼさっとしてんねん?」
という兄の声で、懐旧から我に返った。
ミロ作りを再開したが、脳裡を過ぎるあらゆる時の先生の姿が、僕を再び考察の渦の中へと陥れた。
最後の最後まで、何教科もの追試を受けながら何とか卒業し、何校も滑りに滑ったが、偶然新聞で見付けた私立大学の二次募集の試験に合格し、一浪することなく案外すんなりと大学生になった僕を、先生は、悪気もなく忘却の彼方へと追いやってしまわれたことであろう。
これから生きていく間、僕と先生はどこかですれ違うかも知れないが、先生は多分僕を見落とされる。
だが、いつの日か同窓会で先生にお会いする機会があれば、先生に、生新な気分で以って「お久し振りです」と挨拶するのだ。先生は僕のことを覚えておられないのだから、当然、成績不振であったことも記憶にないのであって、故に、僕は同窓会のその席で、「ごく普通の生徒であった人間」に変身してしまえるのだ。
先生は、僕の姿を見ても、何も思い出されない。追試の採点の苦労も、進路指導の苦労も、そして、大江健三郎氏の著書を愛読していた頃の僕に向かって、「お前は駄目」だと断言されたことも。
しかして僕は、「ごく普通に先生を慕う人間」に成り済ますのだ。
密かに決意する僕を、兄は呆れた目で見守っていた。
僕は、瞬時にして何もかも忘れ、温かいミロを飲む。
恩師