公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(8)

八 午後五時四十三分から午後五時五十二分まで 市民ランナーのおっさん

 Aは、午後五時十五分の終業時間とともに、ランニングシャツ、ランニングパンツに着替えて、会社から飛び出し、会社の目の前にある中央公園でトレーニングを積んでいる。一周約三百メートル。体を慣らすため、ジョギングで軽く五周した後、所定の位置に付く。
 スタート地点は、公園のシンボルである松が植えられている場所だ。この松は、Aが住んでいる市の市木だそうだ。市木だろうが、市花だろうが、、直接、自分の生活に関係ないが、自分のスピード練習のためのスタート、ゴール地点の目印としては重宝している。
 松が植えられている石垣から、右靴の先端で線を横に引く。ここが、スタートであり、ゴールである。左手に付けた腕時計をラップが測れるモードに変更する。いつでもスタートOKだ。
Aは大きく息を吸いこんだ。練習であっても緊張する。ランナーとしては、同じ練習を繰り返しながらも、やはり、昨日よりは今日の方が、タイムが短縮することが嬉しいのだ。昨日よりも今日のタイムが落ちていたら、昨日までの練習が無駄だったのではないか。
 Aの脳裏にいやな思いが横切った。だが、そんな思いを強い意思が払拭させる。
いや、そんなことはない。たまたま調子が悪かっただけだ。好タイムとあまりよくないタイムが交互に出ながら、最終的には、実力がアップする、つまり、タイムが短縮するものなんだ、と無理やり納得する。
 Aは五十歳を過ぎた。この年齢で、タイムが短縮すること難しい、いや、現状維持でも難しい。いや、タイムがなだらかに落ちていくことも難しい。
 Aの足の筋力や膝は、ここ数年前から、膝まづいて泣き叫んでいるのだが、頭の中は、昔、計測したタイムの幻影が充満しており、自分が思うことは何でもなるのだと、おもちゃを欲しがる子どもが地面で転がって泣き叫んでいるように、自己主張している。
 現実を直視していない妄想の脳と、現実の厳しさに打ちひしがれている筋力たちとの葛藤。何の温情もなく、正確でかつ非情なタイムを打ちだす腕時計。この微妙な三者関係の中で、老いたランナーは走っているのである。
「よし、行くぞ」
 Aは自分を鼓舞し、走り出した。と同時にストップウォッチを押す。目の前の風景は、毎日、見慣れたものだ。その風景が眼の中に拡大して飛びこんで来る。スピードが乗って来た証拠だ。快調だ。希望のタイムがでるか。わずかな登り。普段、歩いている時は気にはならないが、タイムを狙う時には、わずかの上り坂でも、筋力に負担がかかる。だが、これを乗り切れば、下り坂だ。この下りを利用すれば、スピードが加速できる。
 足をできるだけ前に前に出す。ひじをほぼ直角にして、腕を前後に振る。いや、腕を振ると言うよりも、腕を引く感じだ。肩C骨が動く。股関節が大きく動く。結果、歩幅が伸びる。体をやや前傾させる。もう、後半だ。あの植栽を左に曲がれば、最後の直線コースだ。ゴールの松が待っている。一秒で約五メートル進む。
ここが頑張りどころ、踏ん張りどころ、だ。普段の生活では、一秒なんて気が付かないうちに過ぎ去る。一秒どころか、一時間だって、一日だってあっと言う間に過ぎ去る。
それなのに、走っている時の一秒は、時間が止まっているかのようだ。脳、口、喉、肺、腕、足など、体中の全ての器官が、一秒を感じている。その時間の総和は、一時間、いや一日以上なのかもしれない。
 ゴール。足で描いたゴールの線を通り過ぎる時に、腕のストップウォッチのボタンを押す。そのまま駆け抜け、体中を空気に投げだし、コースからはずれて、芝生の上を歩く。酸素が足りない。頭が白い。息が荒い。この息を芝生に吐き出す。芝生よ。この二酸化炭素が濃い息を原材料にして、光合成をして、俺に酸素をくれ。物々交換だ。文句ないだろう。Aのまっ白な頭の中は酸素のことで一杯だ。
 Aは、その場に崩れ落ちることなく、二十メートル近く歩いた。ようやく息は落ち着きつつある。折り返して、ゴールに向かう。もう一本走るぞ。ようやく、腕時計を見る。タイムは一分二十七秒。まあまあのタイムだ。次は、二十五秒は切るぞ。そして、最後の三本目は二十一秒を狙うぞ。
 息が上がっているにも関わらず、不思議なことに、二本目の方がタイムがよくなる。そして、三本目は、疲れがピークに達するが、最後と言うことで、踏ん張りが効き、思うようなタイムが出るのだ。

「はああああ」
 Aは芝生に膝まづいた。日課のスピード練習が終わった。残念ながら、今日は、自己最高記録の一分二十一秒のタイムを切ることはできなかった。二秒差の一分二十三秒だった。まあ、満足だ。
ささやかなことに満足を得ることができれば、人は前に向いて歩いたり、走ったりすることができるのだ。Aは、そう呟きながら、タオルで額の汗を拭い、公園の水道の蛇口で顔を洗う。汗として放出された水分をわずかでも顔から補給をするためだ。
 次に、軽くうがいをする。「ゴロゴロ、ペッ。ゴロゴロ、ペッ。ゴロゴロ、ペッ」
 うがいを三回した。走っている際は、呼吸のため大きく口を開けているので、病原菌等を吸いこんでいるおそれがある。以前、うがいをしないで放置していたら、翌日の朝、喉が痛くなり、熱が出て、病院にお世話になったことがある。風邪だから言ってなめてはいけない。
 うがいのおかげで、口の中の粘膜の乾きに、潤いが戻った。だが、喉までは水は届かない。水を口に含む。ゆっくりと水を喉に流し込む。スピード練習のため、うっすらとしか汗は出ていないのだが、体は過剰に反応し、水分を要求する。だだこねの体をなだめるかのように、ゆっくりと水を飲む。あまり飲み過ぎると、自宅に帰ってからのビールのうまさが半減するので、このくらいでやめる。
 Aは、スピード練習後、クールダウンを兼ね、自宅までゆっくりと走る。
 その時だ。「ぐるるるる」
 お腹が洗濯機状態になった。お腹を押さえる。がまんしろ、がまんしろ。家まで後、三十分だ。家に帰ったら、温かい便座と温かいウオッシュレットが待っている。Aは自分を励ます。
 だが、五分も走らないうちに、顔から脂汗が出てきた。体中の毛穴からもだ。これ以上、我慢すれば、肛門以外の、体中の穴から排せつ物がでてきそうだ。足が前に出ない。頭が折れ、背中が曲がり、前傾姿勢のまま走る。いや、走るんじゃない。よた、よた、よた、よた、よたる。
 Aは、二十代の頃、百キロマラソンに挑戦したことがある。走っているコース上で、右足が吊り、それでも、我慢して走り続けていると左足も吊り、その場で、つま先立ちのまま倒れ込んだことがあった。その時以上の苦しみだ。
 人は、苦しみをその場限りで、忘れがちであると言うが、苦しみが、喉元を通り過ぎ、三十年近くの歳月を経て、肛門にまで至るとは、誰が思うおうか。誰も思うまい。
 肛門は、体の一部だが、もはや、脳の命令を聞こうとしない。扉の全開に向けて、止めがねをはずそうとした。まだ、脳の命令に従う右手が、お尻の二つのお山をサンドイッチして、放出を防いでいる。それでも、滲みでそうならば、指を突っ込んで、蓋をするしかない。だが、公衆の面前でそこまではできない。だが、公衆の面前で、噴水もできない。一体、どっちなんだ。
 それは、さておき(さては、おかないのは肛門である)、Aは、ようやく、駅に到着した。私鉄の駅である。また、この駅はデパートにも併設している。いつもの帰りのコースではない。駅に行けば、トイレがあり、この苦しみから何とか逃れられるからだ。そうだ、トイレには神がいる。いや、紙があるのだ。
 本当は、デパートの中の清潔なトイレに行こうとしたが、そこまで辿り着く気力もなく、肛門の破裂までには一刻の猶予もなかった。駅と商店街の間をつなぐ、バスターミナルの一角にあるトイレに駆け込んだ。手を伸ばす。ドアのノブを掴んだ。
 Aはラン二ングの練習のほかに、たまにプールで水泳も行っている。気分転換を兼ねるのと膝の痛みを和らげながら体力増強を図るためだ。水泳ならば、タッチすればゴールになるが、トイレはここからが勝負だ。
 だが、ドアは開かない。中に誰かがいるのだ。確かに、鍵がかかっている証拠に赤い印が表示されている。
「何だ。この非常時に」
 Aの頭がパ二クル。
「いや、中の人間も、俺と同様、非常時かもしれない。なんて、俺はこの危機的状況にありながら、相手の気持ちを思いやるなど、冷静にいられるんだ。それよりも、このまま待つのか、それとも、駅の中のトイレに駆け込むのか、どちらを選択するかだ」。
 Aは危機的状況に置かれながらも考え込んだ。駅に向かって走り出した瞬間、目の前のトイレのドアが開くことがよくある。かといって、このまま待っても、ドアが直ぐには開かないこともよくある。一体、どっちだ。いやいや、もっと冷静にならないと。
ドアをもう一度叩いた、ノック返しに合った。
「うう」
 Aの口から原始の叫びが漏れた。我慢できない。じっとしていられない。ジョギングを続けろ。何かで気を紛らわすのだ。冷静になれ。いや、冷静になりすぎて、顔が青ざめてきたような気がする。末期的だ。おお、神様。私を助けてくれ。困った時にしか、神様を呼ばないから、神様は俺を助けてくれないかもしれない。いいや、困った時だからこそ、神様にお願いするのだ。平常時から、神様にお願いしていたら、神様だって、うっとおしがり、少しは自助努力しろ、と怒りだすに違いない。だから、神様、お願い。いや、待て。神様は、トイレの中にいるのだ。紙様だなんて。お後がよろしいようで。馬鹿やろう。こんな時に、いくら冷静でも、冗談を言っている場合か。
 Aは七転八倒しながら、トイレの前で待っていた。ついに、人生の崩壊の瞬間が来た。その時、お助けの瞬間も現れた。オープン・ザ・ドア。トイレのドアが開いたのだ。開け、ドアの呪文もないのに。ひょっとしたら、神様がAの代わりに、呪文を呟いてくれたのかも知れない。
 Aの目は、開いたドアの隙間から便器に注がれた。だから、トイレの中に誰が入っていたなんて気にもならなかった。ドアの狭いすき間に二人の人物が交錯した。出る方は笑顔、入る方は顔面蒼白。まさに天国と地獄が同時に降臨した瞬間だった。
 Aは、中に滑り込むとドアを閉め、鍵をかける。いくら急いでいても、鍵をかけることくらいはできた。万が一、自分と同じようなランナーが、トイレを我慢できずに、このトイレに飛び込んできた時に、ドアを開けられたら、それこそ最悪だからだ。
「だが、待てよ。確かに排泄行為を他人に見られることに抵抗はあるものの、公衆浴場に入った時に、お尻を見られるのは、決して恥ずかしいことではない。ひきしまった尻もあれば、垂れさがった尻もある。小さな尻もあれば、大きな尻もある。千差万別だ。すると、状況によって、人は尻を見られることに恥ずかしさを感じたり、感じなかったりするわけだ。それは当り前だ。喫茶店や商店街、劇場などで、パンツを脱ぎ、お尻を見せたら、公序良俗に反したことで、警察に通報され、補導されてしまう。それならば、トイレに入っていて、お尻を見られたら、どうなるのだ。見た方が悪いのか、それとも、鍵をかけていなかったことで、見せた方が悪いのか。うーん。悩む」
ということは、逼迫した状況の男が思い付くことではない、これは、あくまでも、ト書きの私の感想である。ナレーターの私は、再び、事実関係を述べる。
 Aは、すぐさま、ランニングパンツを下ろすと同時に、便器に座る。鍵はかけた。これまで、外部からの圧力で、ビッグバンを押し留めていた肛門だが、主人公の脳が、ほっとため息をつき、全身の緊張が緩んだ瞬間、一点に凝縮された力が放出された。ドバドバドバなのか、ビュービューなのか、読書しながら、食事中の方もいらっしゃるので、擬音語は、控えさせてもらう。とにかく、Aの額の脂汗が、例えば、強盗がガソリンを持って銀行に押し入り、床にガソリンを撒き、ライターはどこに入れていたのかなあ、と体中のポケットを探し回っている間に、ガソリンは跡かたもなく揮発してしまい、駆けつけた警察官に逮捕される時のように、あっという間に、額から消え去った。
 トイレの天井には、目には見えないが、これまでの数々の人々の悪戦苦闘の修羅場によって生み出された脂汗の蒸気が溜まっていることだろう。そう言えば、微かだが白い霧のようなものが見える。後、何人かがトイレに入って来て、同様な取り組みが行われれば、「はい、おめでとうございます。あなたが、一万人目の入場者です」と美術館館長から記念の盾がもらえるように、他人の脂汗からなる、突然の雨の襲来を受けることになるだろう。それが、お目出度いことなのか、運が悪いことなのか、作者の私にはわからない。
 とにかく、Aはほっとした。体中の力を、肛門一点に集中していたことから解放されたのである。ある安堵感となすべきことをなしとげた後の達成感の裏側にあるけだるさを感じた。
「ほっ」Aはため息をついた。これまで、溜めに溜めていた物が放出されたのである。もちろん、緊張のあまり、息も溜めていた。自分の体から放出されたものにも関わらず、臭いをかぎたくないと言う勝手な思いがあったのかもしれない。ついでに、ため口もつく。
「誰だ。俺の前に、トイレに入っていた奴は。トレットペーパーが散りじりになって、そこいらじゅうに落ちているじゃないか」
 だがその声は、トイレの外までは聞えない。トイレの中で、わめき騒いでいたら、それこそ、公衆道徳に反する。人を批判する者が、人から非難されれば、かっこうがつかない。
 Aは、用を足していたので、それぐらいの平静さはあった。ただし、あまりのマナーの悪さに憤りは感じたのだ。その怒りは、自分の小さな胸には収まりきれず、トイレの中で、こだまが聞えるくらいの音がした。
「誰だ」「誰だ」「誰だ」「誰だ」
 この声は、こだまの音であり、天井や壁から反射された自分の声でもある。
 Aは、まだお尻を拭いていないものの、座ったままの姿勢で、粉々になったペーパーを拾えるだけ掴んで、尻をわずかに浮かし、便器の中に放り込む。Aは、ただ批判するだけの人間ではない。批判した事がらに対して、自分から動いてよりよい方向に導く人物である。読者の皆様には、この行動から、Aの性格がわかっていただけると思う。
 Aは、とりあえず、目の前に散らかったペーパーを拾い終え便器の中に放り込むと、必要最小限のペーパーをたぐり寄せ、肌に押し当て、紙を手から離すと同時に、水洗のレバーを押し下げて立ち上がった。
 ジャージの腰回りの部分は、膝の辺りにとどまっている。それを所定の位置にまで戻すと、まず、自分の排出物がきちんと流れていることを確認する。時々、排出物の一部が流れたくないと言う意思を持っているのか、白い便器の一部にこびりついていることがある。特に、粘着系の食べ物を食べた後に多い。
 そんな時は、必ず、同じく、必要最小限のペーパーを取り、手が水に濡れるのも厭わず、便器の中に手を突っ込み、汚れをふき取る。
 ほら、あなただって、公衆トイレに入った時、他の人の排出物がたまり水の中で浮揚していたり、一部がこびりついていたら、目をそむけるだろう。一度入った個室から出て、他の個室に移動する場合もあるだろう。だが、この公衆トイレは一つしかない。代わろうにも代われない。
 だから、後から入って来た人のためにも、自分が汚したのならば、自分で清潔にするだけだ。用を足したランナーは、後を汚さず、だ。この行動からも、この男のきまじめさが、読者の皆さんに伝わることだろう。
 Aはトイレの中を隅々まで見渡す。他にゴミが落ちていないかを確かめているのだ。天井、よし。壁、よし。床、よし。指差ししながら、確認する。
 先ほどは、自分の前の使用者に対し、ペーパーの片付けができていないことに対し怒りを感じていたが、よっぽど焦っていたのではないかと同情した。だが、その最中は慌てていても、後仕舞は必ずするべきじゃないのか。やはり怒りを感じる。
 Aはトイレのドアを引く。外には誰も待っていない。時間帯はラッシュアワー。帰りを急ぐ人々で混雑している。彼は、靴ひもの緩みがないのを確かめ、サブザックを背負うと、群集の中に走り去った。その中で、公衆トイレだけが、帰り道を忘れているかのように、ぽつねんと佇んでいた。

公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(8)

公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(8)

八 午後五時四十三分から午後五時五十二分まで 市民ランナーのおっさん

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-22

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