Run Away!
-プロローグ-
少年は走っていた。
降りしきる雨の中、ただその一点だけを見つめて。
周囲の歓声が前から後ろへと次々流れ、小さくなっていく。
俺は何故走ってるんだ?
どうしてただ前に進む?
この熱い体は何だ?
この、躍動する血潮達はどうした?
こんなにも辛いのに、尚速度を上昇させる脚は、どうしたって止まらない。
助けて。辛い。
それでも脚は止まらない。
俺は、どこかで渇望しているのだろうか……”勝利”の二文字を…
少年
小さな雨粒が幾筋もの細い線を作っている。空気が冷たい。
少年、富山 翔(とやま・かける)は、商店街の通りを全速力で走っていた。
「道を開けて! すみません!」
通りを埋める人々の間をすり抜けつつ、さらに速度を上げる。
翔のあまりの勢いに圧倒され、人は皆思わず道を開ける。
陸上部で鍛えた脚は強靭なバネとなって、翔の体を前方へ強く押し出す。
そのスピードは馬鹿に出来ない。100m10秒台。全国クラスの実力だ。……もう辞めてしまったが。
「待たんかいゴラァ!」
翔が疾走したその20秒後に、厳つい刺青を頭全体に施したスキンヘッドの男と、短髪のグラサン男が走り抜ける。
だが時すでに遅し…翔の姿は何所にも見えない。
「畜生! アニキ…」
短髪の男が、翔の行ってしまった方向を睨みながら吐き捨てるように呟いた。
「あんのクソガキが……まーたバイトサボリやがってからに…」
男二人は、黄色い艶やかな地に黒字で”青山精肉店”と書かれたエプロンを着ていた。
「いっつも、あいつどこで何やってんすかねぇ、身寄りも、学校も行ってねーのに」
「こら、それは言わねぇ約束だろうが」
スキンヘッドは、短髪の頭を小突いた。
「すいません…」
短髪は後頭部を擦りながら苦笑いした。
「あらぁ、青山精肉店の”カンジ”と”ジロー”坊やじゃないかぇ?」
突然、二人に声を掛ける老婆の姿があった。
「はは、その呼び方はやめて下さいよ、トキさん」
スキンヘッドの、カンジが照れくさそうに笑った。
「また翔が逃げ出したのかい?」
老婆は愉快そうにクスクス笑う。
「あの野郎、今日で通算20っ回目ですぜ。まったく、どこで何やってんだか……」
「子どもには難しい時期があるのよ、誰にでも。何か、やりたいことを見付けたのかもねぇ?」
トキさんが静かに頷きながら言う。
一瞬の沈黙の後、カンジが口を開く。
「やりたいこと……ねぇ」
翔には、ちゃんとした親がいなかった。
父親は物心付いた時には既におらず、母親は安いバーのウェイトレスであった。虐待なんて日常茶飯事。
時には、顔面に煙草を押し付けられ、大火傷を負った。
病院は虐待を疑ったが、母親は料理中の事故と語った。その時初めて、母親への憎しみが生まれたのだ。
その時まで翔は”安いバーで毎日遅くまで働いてストレスが溜まっているのだ”と我慢していた。
「あいつは、15歳になってから、やりたいことも出来ず働かされていた。しかも、虐待に耐えながら…」
Run Away!