ヅラ is OK?
私の名は、桂政宗。カツラ歴、およそ三十年になる六十歳だ。
今日も元気にカツラを装着し、カツラとともに三十年連れ添ってくれた妻に見送られ、最後の出勤に出向く。
思えばこれまで長かった。一度カツラを着けたあの日から、カツラ中心となった私の生活。
常にカツラがズレていないか手鏡でチェックし、カツラじゃないかと疑いの眼差しを向ける者には、大福餅を振る舞い食べ物に注意を逸らしてきた。だが、そんな生活も今日で終わる。
今日でめでたく定年退職を迎える私は、これを期にカツラからの卒業を考えていた。
これまでハゲを隠しカツラで世間を欺いてきたが、もう疲れた。限界だ。これからはカツラを外し、髪型を気にしない老後を楽しむのだ。
そして私は、最後のお勤めをしようと、長年お世話になった会社の前に立つ。さあ、あと一日だ。それさえ乗り越えれば、会社の人間にハゲだとバレることもなく、晴れてカツラという呪縛から離れ、自由を手に入れることができる。
と思い、足を踏み出そうとした、その時である。
「ちょっと待て」
そう呼び止める声に、私は振り向く。見ると、警官が厳しい顔をして私を凝視していた。
「お前、ヅラだろう」
警官はそう言いながら、腰の拳銃に手を掛ける。
そう、たしかに私はカツラだが、それを理由に警官から呼び止められる覚えはない。というか、この様子はまるで犯罪者扱いではないか。
事情はわからなかったが、会社の前でヅラ呼ばわりされては、今までの苦労は水の泡。私は警官に背を向け走り出した。
「待てーい」
警官が叫びながら追い掛けてきた。しかし、ここで捕まるわけにはいかない。
私は人混みに紛れ、右往左往としつつビルの間の路地裏へと逃げ込んだ。ここでしばらく、ほとぼりが冷めるのを待とうと思っていたが、けたたましく鳴るパトカーのサイレンはその数を増し、上空を見上げれば私を捜索しているであろうヘリが飛び交い、文字どうり私は、袋の鼠となってしまっていた。
とここで、私はふと思う。
「これは夢だ」と。
それはそうだ。カツラを装着しているだけで、警官から追われるなんて現実ではありえない。これはきっと悪い夢だ。そうとわかれば話は早い。私は堂々と警官の前に姿を現し、
「ヘイヘイカモーン」
と挑発をし、鬼ごっこを楽しんだ揚句、捕まってやった。
取り調べ室でも、うすら笑いで聴取に応じた。どうやら私の容疑は『アーデランス製カツラ装着罪』というものらしい。
裁判が行われ、無期懲役を言い渡されたが、ぜんぜん平気。だってこれ夢なんだから。
刑務所に送られ、冷たい床で就寝した。カツラを外した頭が微妙に寒い。
ところでこの夢、いつになったら覚めるんだ?
そう思い続けて、もう五年が過ぎていた。
翌朝こそ現実に戻っていることを願い、私は今日も床に着く。
気になることがあるとすれば、裁判長から「なぜアットネイチャン製にしなかったのか?」と聞かれたことだけだろうか。
ヅラ is OK?