M氏の日常

 万年床のせんべい布団。M氏はいつも、そこで目を覚ます。
 おもむろにケータイを開き、メールのチェック。だが、受信はなし。

「なんだよ。無視かよ……」

 そう言いながら、けだるそうに重い身体を起こし、寝癖のついた天然パーマをポリポリと掻いた。

 M氏は四十八歳。未婚で彼女もいない。昨夜は、かなり年下の後輩に、合コンをお膳立てしてもらったM氏。若い女が好みで、集まった二十代の女性全員に、自分のメールアドレスを「よろしくねよろしくね」と配りまくったにもかかわらず、梨のつぶてという結果。
 そう、M氏は若い女とアバンチュールしたいのだ。同い年の友達や職場の同僚は、当然のように結婚をし、中には孫が出来たという人も現れた。
 当然のように、M氏は焦った。もうおじいちゃんと呼ばれてもおかしくない年齢なのに、未婚、未婚、未婚。未婚というニ文字が肩に重くのしかかる。M氏の年齢で結婚ということになれば、女性の年齢も低くて三十代後半から。離婚して子供がいる可能性がすこぶる高く、M氏の選択肢はそこしかない。
 しかしM氏は、二十代の若い女が大好きだった。金持ち、イケメン、渋い、といったものを兼ね備えていればいけなくもないが、M氏は、ケチ、ブサイク、ファッションセンスゼロの持ち主。
 昨夜の合コンも、くたびれたスーツ姿に、なぜかロゴの消えかかったアディダスのウエストポーチを装着するという、前人未踏のファッションで現れていた。そんなM氏になびく女性がいるはずもなく、合コンを主催した後輩も呆れ果てる始末だった。
 M氏は二日酔いの頭を引きずりながらも、仕事に行こうと、くたびれたスーツにウエストポーチを装着。M氏はいつもこのファッションだ。理由は、どこに行くにもスーツが妥当、両手が使えるからウエストポーチが便利というものだ。
 ちなみに、このポーチの中には通信販売で買ったピンク色の石が入っており、恋愛運を上昇させる効果があるらしい。ポーチのポッケには、いつもコンドームを忍ばせており、長期間入っていたせいか、ポッケの上からでもわかるような円い輪が、くっきりとかたどられていた。

「いってらっしゃい」

 母に見送られ実家を出る。そう、M氏は家賃がもったいない、家事をしたくないという理由で、実家にパラサイトしているのだ。ちなみに貯金もなく、あるのは、母がなけなしの年金から払ってくれている、貯蓄型生命保険のみ。

「保険を解約したら金はある」

 M氏の唯一のセールスポイントであった。
 実家の車庫へと向かい、車に乗り込む。M氏の愛車、BMWだ。車だけは見栄を張りたいと買ったわけだが、もちろん中古である。男の六十回払いと名を打ち、月々一万円のローンを組んだ。
「最初に助手席に座るのは彼女だ」と豪語し、友達はおろか母親さえも座らせなかったこの助手席。未だに誰も座った形跡がないのは、言うまでもないだろう。
 ガソリンがもったいないので、アクセルを絞りながらBMWを走らすM氏。いつメールの受信があってもいいように、ケータイは視界内のドリンクホルダーに入れていた。

 会社に到着するとM氏は真っ先に、昨夜のお膳立てをした後輩のデスクへと向かった。

「なんだよ! 昨日の女、ぜんぜん響かねえじゃん!」

 そう吐き捨てて去るM氏を、後輩はただただボー然と見送った。どうやら出勤中も、メールの受信はなかったようだ。
 M氏は、自分のデスクに座ると、パソコンを開いた。仕事をするフリをして、エロサイトを観覧するためにである。ニヤニヤしながら下半身を膨らまし、そのあとは、結婚相談のサイトを閲覧。
【彼が結婚できない理由】というページをクリックし、『無理目の女性にばかり声を掛ける』『女性経験が浅い男性ほど、女性に要求する水準が高い』という書き込みを見て、まるで他人事のように「フムフム」と納得する。M氏は自分というのをわかっていない。

 昼食の時間になると、いち早く社食へと向かい、一杯二百五十円のきつねうどんを注文。若い女性社員がいるテーブルの隣を陣取り、その女性を横目でチラチラ見ながら、鼻息荒くうどんをすする。
 この時間を、M氏は「アピールタイム」と呼んだ。こんなにいい男が近くにいますよと、うどんを豪快にすすりながらアピールしているのだ。しかし、これになびいた女性は、今のところ皆無である。おそらく、この先も現れることはないだろう。
 昼食が終わると、M氏はとりあえず仕事に戻る。いくらなんでも、一日中ネットサーフィンやってたのでは、給料泥棒になってしまうと、会社に対する多少の配慮ての行動である。
 M氏は、警備関連の事務所スタッフ。といっても、重要なポストは他の社員に丸投げしているので、自分は仕事が回らない社員のサポートをしていた。もちろん、マイペースでである。

 午後七時──。ようやく仕事から解放されたM氏は、そそくさと帰宅の準備をして、BMWに乗り込む。相変わらず鳴らないケータイを、ドリンクホルダーに差し込み、愛車を走らせた。
 今日は何も予定がない。真っすぐ家に帰り、『エマニエル夫人』のDVDでも観ようと思ったその時、M氏のケータイが、メールの受信音を轟かせた。
 予想だにしない出来事に驚いて、愛車を路肩に停車させ、慌ててケータイを開くM氏。そして、そのメールにはこう書かれてあった。

「はるなです。昨夜は楽しかったですね。せっかくメアド教えてもらったんで、メールしちゃいました」

 M氏は「よっしゃあー!」と歓喜の声を挙げ、ガッツポーズ。しかしこのあと、M氏は少し考え込んでしまった。

「はるなって誰だっけ?」

 そう、複数の女性にアドレスを配りまくったので、顔と名前が一致しなかったのだ。そしてM氏は、何かを思い付いたように、ケータイのキーを打ち、そのメールにこう返信した。

「とりあえず写メ送って」

 満足げにケータイを閉じ、愛車のアクセルを踏み込むM氏。しかし、きっと翌朝も、今朝と同じ台詞を吐いての起床になることは間違いないだろう。

「なんだよ。無視かよ……」

 ちなみに、ウエストポーチのピンク色の石が真っ二つに割れているのを、M氏はまだ知らない。

M氏の日常

M氏の日常

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-19

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