左乃助の鬼腕 序章1
左乃助の鬼腕 序章1
序章
激しい風が止むと上空の雲が流れ、薄水色の雲間から日がさし、西側の丘を照らした。
ドッドッドッ・・・
その日差しは西から地鳴りを伴い向かってくる集団を映し出した。
東側の丘からそれを見ていた一人の少年が、苔むした岩に跳ね乗った。
少年はまだ元服前の幼さが残る顔を日のさす方へ向け、振り返った。
そこには数千の鎧をまとった武者や雑兵がいる。それに向かって少年は口元に笑みをみせた。
「あの音が聞こえるか、あれが敵の足音だ」
「やはり若のおっしゃる通り一万はおるぞ」
髭面の武将が震えるように俯いた。
「一万だろうと構うもんかい、俺が行くからその後に続いてきてくろ」
少年は農村訛で言うと口角を上げ、岩から跳躍し一気になだらかな丘を走り下りていってしまう。
少年が向かう先には一万以上の兵士がいるだろう、それが土埃をあげ向かって来ている。が、少年は怯まずに走って行く。
「命のいらねぇモンは俺にかかってこぉ!俺の名は甲天寺孫兵衛が家来、鬼腕の左乃助じゃぁ」
左乃助と名乗る少年が振りかざした右手は黒光りし、二の腕は異様に太く青黒い血管が脈打ち、上腕部は昆虫の羽のような物で覆われている。
それは甲冑などではない。少年の持つ本来の「腕」である。
「俺の鬼腕が始末してくれる」
左乃助が振りかざした腕は真夏の暑い風を切り裂いて進んで行く。
左乃助の鬼腕
序章 1 「始まりの場所」
少年の話をするには、彼がまだ左吉と呼ばれていた農民時代に話を遡らなければなるまい。
左吉は山深い農家の四男に生まれ、ただただ家畜のように育てられた。
子供はしっかりと歩ければ働き手とする。それは貧しい農家では常識だった。
一家は僅かばかりの農地を庄屋から借り受け米と野菜を栽培しているが、もちろんそれだけで食いつなげる物ではなく。
山に分け入って山菜や茸を取り、街へ出てそれを売り歩き、余った物を雑穀の中に入れ煮、それが家族の生命を繋いでいた。
その山菜取りが去年から左吉の仕事になっている。
最初は次男の平二に付いて山菜や茸の在処を覚えたが、この春から左吉一人の仕事になっている。
左吉は人一倍身軽な子供で、誰も近寄らない斜面にある舞茸や猿の腰掛けも難なく取ってしまう。
その日も左吉は籠一杯の山菜や茸を担ぎ、得意顔で山を降りていた。
空は蒼く、竹ぼうきでスッと履きちらしたような雲が左吉の視界を斜めに横切っている。
「妙に風がねぇなぁ」
左吉は誰に言うでも無く、つぶやき周りに視線を落とした。
サワサワサワ・・・
近くの雑木が揺れた。
左吉は何の気無しに揺れた雑木の方をみた。その時には、黒い影が左吉の目の前に現れていた。
大人二人分はあろうかという猪だ。左乃助は身を反転させ、猪から逃げた。
「なして俺はあのまま転がって真横に避けなかっただか・・・」
そんな後悔を瞬時の中でしたが、もう遅い、猪は猛烈な鼻息をさせ、左吉の背後を猛烈な勢いで追ってくる。
山道を逃げても逃げても猪は追ってくる。
左吉は猪の目当てが籠の中の山菜だと思い、後悔もあったがそれを猪に投げつけた。
しかし猪は何事もなかったように左吉を追ってくる。
猪突猛進とはある意味本当で、ある意味嘘だ。
左吉は猪を権勢するため急に方向を変えたりジグザグに走ってみたが、この猪はその動きに合わせ左吉の後を追って来る。
もうだめか・・・いや、一度猪にはね飛ばされれば、猪も満足するのではないか・・・まて、こんな勢いのある大猪にはね飛ばされてみろ。俺の骨は砕け、激痛の中アッと言う間に死んでしまうだろう。
色々な思いが脳内を駆け巡った。
その時。一瞬で視界が遮られ、左乃助は暗闇の中へ落ちた。
左吉は生ぬるい暗闇の中目を覚ました。
自分が何処にいるのか。どんな体制でいるのか。全く分からない。
ただただ黒い闇の中、浮遊感に近い感覚が左吉を襲う。
「武者落としか」
左吉は兄の平二に何度か聞かされた事がある。大昔獣を追いつめ穴に落とす猟が盛んに行われ。
その名残の穴は戦乱の世になると戦から逃れた落ち武者を村人が山に追いつめ穴に叩き落とし、その甲冑や刀を取った。それに由来し、村人はこの穴を「武者落とし」と呼ぶ。
うっすらと月明かりが穴の中に差し込み、少し状況がわかり落ち着いた。が、それと同時に右腕に激痛がはしった。
右肩から肘まで痺れるように痛く、肘から先に至ってはグニャリと曲がり、感覚すらない。
「折れてしもうたか」
自分の腕の状態を認識した途端、左吉は身体を貫くような鈍く激しい痛みを味わった。
それでいて脳の一部は不気味なぐらい冷静に働いていた。
腕が折れ、自分の身の丈の何倍もあるこの「武者落とし」からはい上がるのは無理だ。
大声を上げたところで村人が滅多に訪れる場所ではない。
「死ぬのか・・・こんな所で・・・」
イヤだ。怖い。と脳裏に恐怖が浮かぶと、妙なおかしさを感じた。
今まで死ぬの生きるのなど知ったことかと思っていたはずなのに。自分などいつ死んでもいいような存在だと思っていたのに。
いざ死が目の前に転がり落ちてくると怖い。
痛みの中、自分に芽生えた生への執着心がおかしくてたまらなかった。
「権助・・・」
意識の中に突然数ヶ月前に死んだ村の子供の顔が浮かんだ。
権助は左吉より一つ年下で、畑仕事の合間に遊んだ子供だ。
その幼なじみが突然死んだ。
朝、寝ぼけたまま縁側から落ちそのまま息耐えたのだという。
あっけない死に方だった。
「死にたかねぇ」
切り裂かれるような痛みの中体を起こすと、左吉は獣のように叫んだ。
「がぁぁぁ!」
その叫びは穴の中に反響し、空しく天を仰ぐ。
ほぼ円形の月が真上に見えた。
月光の青白い光が「武者落とし」射し込む。
以外と広い穴の底には獣か人か判別が付かない白骨が月光照らされ、自ら発光しているように見える。
サワサワサワ
「はっ!」
左吉は射し込む月光の中に不気味な何かの気配を感じた。
その「何か」は穴蔵の縁で蠢き、こちらを見ている。
「鬼虫・・・」
左吉の声に答えるように月光がその姿を照らした。
黒光りした左吉の背丈と同等の「虫」がこちらを見つめ、後ろ足で立って揺らめき、不気味な羽音をたてている。
サワサワサワ・・・・
サワサワサワ・・・・
左乃助の鬼腕 序章1