翼のある使者
時は新世紀。宇宙に漂う小さなカプセルがあった。
カプセルには冴えない男、(河原甲子太郎)がったった一人孤独な実験の為、母船にラジオ放送を配信していた。
0032
一日目
パチンパチン。
弾けるような音を立て、小さな部屋に白いLEDライトが薄ぼんやりと灯り、やがて光量を上げた照明は部屋中を白色に包み込む。
狭い部屋には、乗用車のシートのような椅子と三方は古めかしい機材に囲まれていて、録音スタジオかラジオの放送ブースのようにも見える。
その中の棒状のスイッチを一つ上に倒し、マイクを定位置に調整すると男は口を開いた。少し声が乾いている。
「聞こえるか?聞こえるか?テスト」
「受信オーケーですどうぞ定期放送を始めて下さい」
若い女性の声。透き通るような声は色気も可愛らしさも程良く備えており、きっとこの娘は異性にも同性にも好かれるタイプなんだろうなぁ。とこの声を聞く度に男は思うのだった。
「今日はブルーちゃんなんだ、きょうもかわいい声してるね」
男は手元にある十インチほどのモニターに触れ、ある女性の顔を映し出させる。それが「ブルー」と呼ばれる女性なのか。
そのショートカットでやや丸顔の像はブルーの声とシンクロしてまるで話しているように動き出す。
「定期放送を始めて下さい」
(なんだよいつもの事だけど、どうも向こうの連中は愛想が無くって困るよ、大体さぁブルーだグリーンだパープルだと奴らはなんでコードネームなんか使って俺に本名をあかさないんだよ)
まあそんなことはどうだっていいか。男はもう一つのスイッチを入れ、放送を開始させた。
「河原甲子太朗の「スペースドライブ」お早うございます、今日も始まりました。ぼく河原甲子太朗の「スペースドライブ!」」
「今日の日付は・・・新世紀0032年8月13日時刻は08時00分。毎日毎日新しいことを話せと言われても無理な話で。こっちとくりゃ同じ生活をおくらされ・・・正直話題もなにもないんだけど。決まった時間の定期放送だから仕方ない。あ?今オレ重複する言葉を言っちゃったかな?とにかくこっちの生活は単調そのモノ。朝起きて軽い運動をして飯食って、この放送をして、日誌つけて運動して脳波脈拍血液スキャンをして自由時間があって寝る・・・この繰り返しだよ」
「オレはスペースブースと呼ばれる居住カプセルに入れられ、母船とは直径1・56メートルのワイヤーで繋がっているだけの一人旅。しかも、しかもだよ!オレの乗るカプセルと母船とは五十キロ近く離れてるときたもんだ・・・」
「もしオレの身になにか重大な事が起こったとしても。母船まで巻き取ってもらえるまで六時間近くかかるんだってさ。まあオレの代わりなんかいくらでもいるんだろうけど」
「話は少し変わるが、オレはこの実験を何の目的で何の為にやっているのか聞かされちゃいない。細かいことを聞いてもいけないらしい、だがしかし、この放送を聞いてる母船のリスナーさん聞いてくれ。この実験が終わった暁にはかなりの高収入が待ってるらしい」
「これって言っちゃまずかった?まぁ言っちゃったんだからしょうがないよな」
「これ喜んでいいんだよな?あまりにもいい条件なんで裏があるんじゃないのぉ、って考える方が普通なのか。最後に殺されちゃうとか、ワイヤーを切り離されてバイバイって事も考えられるよね」
「十八ヶ月。つまり一年半この暇な生活に耐えれば裕福な生活が待っているって話。この生活も今日で九ヶ月目だ。後半分耐えれば自由とお金がまってるんだよ。でも勘違いしないでくれよオレはお金にそれほど終着はないし、自由になったからって何をしようって訳でもない」
「じゃそろそろ、今日の一曲めいってみましょうか」
「オレも大好きなバンド、「イージーワークス」その中では珍しいフルエレキサウンドの曲「wing」聞いて下さい」
漆黒の宇宙にイージーワークスと言うロックバンドの少し切ないエレキギターのイントロが流れる。やがてドラムの激しい音からイントロはやや激しく曲調を変え、数人の男性コーラスから歌が始まる。
<暗闇の星空を孤独の中を飛べ>
そんな歌詞が今の甲子太朗の心を打った。
甲子太朗は前面の大きなパネルに手を触れる。すると甲子太朗を囲むように三方向のパネルが宇宙を映し出す。
甲子太朗が乗っているカプセルが映し出す現在の景色だ、もう一度パネルに触れるとその景色がCG処理され星々が鮮明に映し出される。
その中で聴くこの曲は何度も聴いたはずなのに全く違った感覚で甲子太朗の胸を突いた。
「wing」という曲は激しい曲調で終わるのだが、アウトロはまた切ないギターソロで終わる。
「どうしてもオレが選曲すると同じ感じの曲に偏ってしまう。しかも「イージーワークス」になっちまう。今まで耳にタコが出来るほど聴いているのになぁ。ワンパターンでごめんなさいよ」
「それも母船のリスナー諸君があまりにもシャイでリクエストをくれないからだ。そっちの任務はこっちなんかより忙しくて過酷なのかもしてないけれど。だからこそこの放送の時間だけはなんていうかなぁ。心に余裕を持つっていうの?好きな曲を聴いてリラックスするのもいいと思うんだよね。じゃないとこの放送がオレの独りよがりになっちまう・・・じゃあ、今日の定期放送はここまで。それじゃまた明日も同じ時間に会おう」
甲子太朗はハイテンションで喋り続けた反動か、深いため息をついて片方のスイッチを切る。それは母船全体に放送を送るためのスイッチなのだろう。スイッチを切ると放送担当の「ブルー」とだけ繋がる回線にもどる仕組みだ。
「ブルーちゃん、今日の放送はどうだった?」
「データーは取れましたありがとう御座います」
「えっそれだけぇ、なんかあんでしょう、軽快なおしゃべりでプロのDJかと思いました。とか、選曲が最高ですねとかさぁ。じゃなきゃダメ出しでもでもいいよ。軽薄な喋りだからもっと教養のある話をしてくれとかさぁあるだろ。あと毎回気になってたんだけど、俺が話してるときに何のデータとってるわけ?」
「それはお答えできませんごめんなさい」
「だろうね」
甲子太朗は十インチパネルに映し出されたブルーの顔に触れると、そこに映し出された女性の顔に若干の修正を加える。
丸顔だった輪郭をやや卵形の面長に変え、目をほんの少しだけ細くした。それは今まで妄想していた「ブルー」より事務的で冷静な女性を想像したことの証だった。
「では一つ言ってもいいですか」
「あぁ、どうぞどうぞ」
「定期放送は母船の全クルーが聞いています。独りよがりの放送なんかじゃありません。それにアナタはアナタだけにしか出来ないミッションをこなしているのです、決して代わりの誰かができることではありません」
ブルーはあまり感情を込めずそこまで言うと、一拍おいて言葉を続けた。
「それと、カプセルと母船を繋ぐワイヤーの直径は2・13メートルです、そしてアナタがカプセルに滞在して今日で8ヶ月と25日ですので、そこだけは訂正させていただきます」
甲子太朗は音声だけのやり取りと知りつつ眉間に皺を寄せ、怒ったような情けないような顔を見せ、モニターに作られた想像上の「ブルー」を見つめた。
(後でまた顔の修正が必要かな)
スイッチを倒し全通信を終えると、いつも心が押しつぶされそうになる。
甲子太朗の中の「陰」の部分が徐々に顔を出すのだ、放送中は別に無理をして陽気な自分を装っているつもりはない。だが、自分の芯の部分にはいつも陰鬱な物が張り付いているのを一人になると明確に感じるのだ。
日誌を付け、軽い運動を済ませる頃には妙な不安感が胸を締め付け始める。そして自由時間には不安感と憂鬱が同時に心を支配しはじめ、その感覚は睡眠時間にピークを迎える。
ほぼ毎日みる夢がある。その夢事態が憂鬱な暗くぬかるんだ泥の中にいるような感情をもっているのだ。
その夢とは・・・
山間の地方都市。雑居ビルや同じようなマンションが立ち並ぶ中を路面電車が緩やかに停留所に停車する。
甲子太朗はため息を漏らし、重い足取りで乗車するとすぐ近くの座席に腰をかけ、何気なく車内の吊り広告に目をやるとそこには。
<合理化社会を生き抜くには人員削減とコストカット>
と、太文字で書かれている。
携帯電話の着信音に広告から視線を移すと、スーツ姿の営業マンらしき男に目が止まる。
男は少し軽薄な口調で、これ見よがしに次の営業先の指示を仰いでいる。
「たのみますよそっちは僕の管轄じゃないでしょ・・・はい・・はい。じゃあそっちのほうへ向かえばいいんですね。はい・・・向こうさんには僕が行くって事は連絡とれてるんですね」
などといいながら口元に不快な笑みを浮かべ甲子太朗にチラリと視線を向ける。
男の視線を避け、斜め前に座る親子連れに目を向ける。
母親と戯れる男の子、何度も同じ事を言っては母親の気を向けようと必死だ。
夢の中の甲子太朗はこの全ての状況に淀んだ黒い感情を持っているらしいのだが、その感情の「声」はいつも聞こえて来ることはなく、夢は場面転換する。
全面が白い壁の部屋。窓がないその部屋の中心には歯医者の治療台のような椅子が一つあり、甲子太朗はそこに横たわり、間接照明か何かで白く光っている天井を眺める。
医師なのかカウンセラーなのか、水色のシャツを着た女性が診療台の横に座る。
女の顔にはぼんやり斜がかかりどんな顔の女かは分からない。
「アナタは選ばれたのです」
その台詞と共にいつも悪夢から跳ね起きるように目覚めるのだ。
心拍数が荒い、それは実感としても勿論だが、自分をモニタリングしているディスプレイを見て尚実感させられる。
二日目
居住空間から「コックピット」へ移動しても胸の憂鬱が残っている感じだった。
「コックピット」入り口に貼られたプレートを見る度に甲子太朗は違和感を覚える。このカプセル事態遙か彼方の母船に牽引されているのだし、この機材に囲まれた部屋のどのスイッチを操作してもカプセルを自らコントロールさせる事は出来ないだろうし甲子太朗自身にもその能力はない。
しかもこの機材のわざとらしい仰々しさはなんなのだろう。三方を囲むスイッチ群は人類を宇宙の果てまで飛ばすテクノロジーの世界には似つかわしくない「アナログ感」漂う機材達だ。それはまるで昔教科書か何かで見た人類を始めて月面に送った船の機材そのものではないか。
そこに現在の機械であることを主張するように何個かタッチパネル式のモニターが装備だれている。
この部屋は自走出来ないこのカプセルにとって「コックピット」より「放送ブース」と呼ぶほうがふさわしい。
母船との通信スイッチを入れると鼻で大きく息を吐く。
別にハイテンションで放送をすることは自分に課せられた義務ではない、だがここにいるときだけは自分が特別な存在になれるような気がする。DJ甲子太朗とでもいうのか。
甲子太朗は思って見て気恥ずかしくなった。
「放送準備出来ています」
男の声に甲子太朗は少し萎えた表情になった。
(今日は「グリーン」かよ)
毎日ローテーションで変わるらしい向こう側(母船)の放送担当者に唯一男が混ざっている。しかもこの男ときたら堅物と言うか、杓子定規というか機械的というか。とにかく喋っていてもなんの面白味も見いだせない男なのだ。
「グリーンさんよぉ」
「ハイなんでしょう」
「アンタ夢見たことあるか?」
言いながら、甲子太朗はタッチパネルの中に「グリーン」の像を映し出させた。それは「ブルー」がリアルな女性の像だったのとは違い、悪意のある似顔絵調で、しかもかなりディホルメされた像だ。
逆三角形の輪郭に目玉なのか眼鏡なのかが輪郭線から飛び出している。これは人間と言うより「カマキリ人間」だな。などと思いながら少し吹き出してしまった。
「夢。と申しますと」
「夢は夢だよ。寝てる時に見るヤツ」
ここでいち早く言葉の意味を説明しておかなければ「グリーン」と言う男は、将来実現させたいと願う「夢」と睡眠中に見る「夢」のどちらかといった笑えない質問をしてきそうだったし、その言葉の中でも微妙に違う意味を持っている「夢」という漢字の用例を辞書のように淡々と説明しかねない。
「アンタだって寝てるときに夢ぐらい見るだろ」
甲子太朗は不安気にもう一度同じ質問をなげかけてみた。
「夢。ですかそうですね」
(そうですね?なんだその答えは?)
そうですね私も見ます言う意味なのか。そうですね私はまり夢を見ませんと続くのか、グリーンはその後に言葉を続けなかった。
まあこの男なら寝ているときに夢など一度も見たことはありません。と言っても、私は生まれてこの方一睡もしたことがありませんと言われても驚きはしない。
「じゃあ放送を始めるか・・・」
その言葉にグリーンからの返事はなかった。始めると言ったのだから母船全体に放送を送るスイッチを倒し、始める事ぐらい指示を出さなくても分かるだろうそんな無言の間だったように感じた。
「新世紀0032年8月14日時刻は08時00分。今日も始まりました河原甲子太朗の「スペース・ドライブ」今日のテーマは「夢」。夢と言っても将来の夢とかそういうんじゃなくて、寝ているときに見る夢の話。みんなも見ると思うんだけど、最近オレの見る夢はほとんど同じ夢なんだ」
「舞台は何処にでもあるような地方都市って感じで、無人運転の路面電車が走ってる。その中にオレが登場するんだけど、ほとんどの夢ではオレは何も喋らない。だけど何かにムカムカときているらしく、何を見ても頭に来るって感じでさ、まぁ陰気な夢なんだ」
「人の記憶なんかあてにはならないけど、その街並みは行ったことがあるようなないような景色なんだ。そりゃ地方都市の風景なんか何処も同じようなものだし、行ったことのあるあこちの街を都合のいいように組み会わせただけの架空の街かもしれないんだけれど」
「夢っていうのは記憶にある事だけを見せる物じゃないんだろうし」
(あっ!)
「記憶」という単語を口にしたその時、甲子太朗の脳内に冷ややかな凍るような事実が浮かんだ。だが、今は放送中だ、いきなり頭に思い浮かんだ事を言うものではないし、今浮かんだ事実を口にしてしまえば、母船の人間は自分の精神状態を疑るだろう。
そうなればこの任務は終わってしまうだろう。
又はこの居住カプセルに毒ガスを注入し甲子太朗をいとも簡単に殺害してしまうかもしれない。
そんなことは母船の人間からすれば蠅に殺虫剤をかけるかのごとくの作業だろうと考えると、新たな寒い感情が心に上塗りされた。
(喋り続けなければ)
無意識には何かを話している。が、心に浮かんだ寒い疑問は白い液体に落ちた一滴の黒い墨のように薄く波紋を描くように広がっている。
甲子太朗はこのカプセルの形状を知らない。四角い立方体なのか、球体なのかはたまたペンシルロケットのような円錐形なのか。
それどころか甲子太朗の記憶の中にこのカプセルに搭乗した日の記憶がまるで無いのだ。
ここでラジオDJを気取って軽薄に喋っているのは・・・一体誰なんだ。俺っていう存在は何なんだ。
「そんなことはどうでもいいとして」
心とは裏腹に甲子太朗無理矢理話題を変えようとしていた。
思えば自分はこの言葉で辛いことから現実逃避し続けてきたような気がする。
実際に今もそうしている。あれだけ恐ろしい記憶の欠落をどうでもいいという言葉だけで受け流せている自分がいる。
「新世紀の改暦式の事を覚えているリスナーはいるか」
「あれは世界的なイベントだったけど、今から32年前だろ。ってことはオレが生まれる三年前になるんだけど、オレは何故かその改暦式の様子を克明に覚えてるんだよ」
「なぜかなぁ。テレビやドキュメンタリー映画で見たんだろうけれど、オレの中ではリアルタイムで見たようにはっきりと頭に刻み込まれてるんだよね」
大きなスタジアム。満員の客席は興奮と熱狂が渦巻き天をも貫かんばかりだ。
スタジアムの中心にあるステージではオーケストラの演奏が始まり、それを合図に四方から数百人のダンサーが現れると、各四チームに別れ、それぞれが違った国の踊りをアレンジしたダンスを見せせ、やがて一つの躍動した踊りになり、その塊は曲の終わりと共に四方へ消えてゆく。
「すると、大統領だかなんだか、とにかく偉い人が壇上に突然現れて言うんだよ「新しい人類の時代が始まりました」ってね」
「それを見ているオレは「スゲー新しい時代。新しい世紀が始まるんだ」とは思っていないんだよね、妙に冷静でさ。でもその歴史的な場面に興奮はしているんだよ」
「さっきも言ったけどこのセレモニーがあったのはオレの生まれる3年前だろ。だけどオレはその映像を自分が生まれる前の映像とは思ってないんだ。遠い未来の出来事を見ているような感覚なんだ」
「壇上に突如現れた偉い人の演説の内容も覚えてる「戦争の世紀は終わった」「人間が神から解放される世紀が始まるのだ」ってね」
小さな信号音が鳴り、メインモニターに小さくメッセージが映し出された。「リクエストが届いています。一曲目をどうぞ」
(つまり訳の分からない話はサッサと切り上げて曲でもかけたらどうだ、ってことか)
「では、ここらへんで一曲」
リクエストメッセージの名前の欄に目が止まった。
「珍しく母船からリクエストが来ましたのでその曲をかけます。ブルーさんのリクエスト曲、ホルストの「水星=翼のある使者=」です、どうぞ」
クラシックが宇宙に漂う。
甲子太朗は昨日の放送内容を気にしてリクエストをくれたのか。と、ブルーを想い十インチパネルに映し出されたグリーンの顔にタッチしてその画像をブルーの顔に変えた。
ブルーの優しさを感じる一方。気を使ってもらったような悲しさも感じた。
激しく跳ねるようなオーケストラを聴きながら、甲子太朗は流石母船の人間はリクエストもクラシックか。と、関心した。
この曲はクラシックなど聴いたこともない甲子太朗の脳裏にも何故か残っているメロディだった。
(そうだ、アレンジは大分違うけど、改暦式のオープニングでダンサーたちが踊っていた曲だ)
甲子太朗は別のタッチパネルでこの「水星」という曲を検索した。
この跳ね回るような曲は、前世紀1916年に作られた曲で、惑星シリーズの最後に作られた曲だという。
1916年。今から何百年前の話だろう・・・そもそも「西暦」と呼ばれた世紀は何年で終わったのだろうか。甲子太朗はそんなことも知らない。
何百年前に作られたのかも判らない曲を聴きながら、三方向スクリーンをリアルタイムの宇宙の映像に変え、その映像に包まれながら暫くその曲を聴き入る事にした。
この曲が作られた頃、水星がどんな星なのか人々はどれだけ知っていたのだろうか。粉雪や妖精がクルクルと舞い踊るようなこの曲調を聴く限り、この時代の人は宇宙を幻想的で華やかでロマンティックな空間だと思っていたのだろう。
しかし、甲子太朗の置かれている現実の宇宙空間はあまりにも暗く、漆黒で、見る限りの宇宙は動きが不気味なほど緩やかである。
今居るこの空間にこの曲の作曲家を置いてみたら、どのような宇宙の組曲を作るだろう。考えるだけで楽しくない妄想かもしれないな、甲子太朗はロマンチックになりきれない自分の平凡な発想を少し恨んだ。
照れ隠しに前方の画面を見ると遙か前方に光る星が見えた。
水星だ。
甲子太朗は直感的に思った。
パネルのその部分に指を触れると、「水星(Mercury)」と文字表示された。
この船は水星に向かっているのか。
さほど疑問も驚きも湧かず、画面を見つめていると、曲は終わっていた。
その後は又他愛もない話をして、放送を終了させた。
「明日は水星の話でもしようか」などと思いながら。
「放送ご苦労様です、今日の通信はここまでにさせていただきますが、なにかご意見などあれば」
甲子太朗は十インチパネルを見てギョッとなった。
「水星」を聴きながらブルーの顔を読み出したままでグリーンの声を聞いてしまっったからだ、つまり、ブルーの愛らしい顔から「グリーン」の平坦で野太い声が発せられていたのだ。
「あぁっ」と妙な声を上げ、甲子太朗は急いでパネルに触れ、グリーンのカマキリ顔を読み出した。
「どうかいたしましたか」
「なんでもない。今日はなんだか疲れた・・・この後仮眠をとりたいんだけど。いいかな?」
「よろしいでしょう。その後の予定を調整してスケジュールを組み直してください」
この男らしい、機械操作を説明するガイド音声のような受け答えに、甲子太朗は少し面白さを感じ、スイッチを切り、通信を終了させた。
甲子太朗は徐々に押し寄せる睡魔の中、手のひらサイズのラップトップコンピューターで「水星」の事を一通り調べた。
明日のトークのネタ作りと言ったところか。
それが終わると、身体の疲れより精神的な疲れが甲子太朗を覆い、ふかい眠りに導かせた。
「放送ブース」のシートを少し倒すと甲子太朗の身体は、深く冷たい砂に埋め込まれるように眠り落ちていった。
見る夢は決まっている。だが今日は今まで聞こえなかった「声」も聞こえた。
停留所から路面電車に乗り込むと、雑誌の吊り広告に目がゆく。
「合理化社会を乗り切るには人為削減と機械化によるコストカット」
「機械が作る物を人が買う。なのに消費する人を必死で減らそうとしている。なんて最高の世の中なんだ」
甲子太朗の声は脳内だけに響きわたり、やりきれない感情を増幅させている。
携帯電話の着信音に目を向けると、二十代後半から三十代半ばのスーツの男がこれ見よがしに会話を始める。
もみ上げに少し白髪がまじる感じは、もしかしたら四十に手が届いているかもしれないその男は、軽薄でいて人を見下した口調で、それがまた狭い車内では耳障りだった。
(私はこんなに忙しいですよって、そんなに知ってもらいたいのか?ああいったヤツは仕事以外の席でも自慢げに自分の仕事のことを話題に出すんだよ。まぁある意味幸せ者なのかっもな・・・何もかも失っちまった俺と比べればさ・・・)
「ママァ。ママ、クマのかんばんあったよ!クマのかんばんあった!ママ、ママぁくまがいたよぉ!ガオーっていってた」
甲子太朗から見て斜め前の一人掛けの座席の子供が、身体をよじらせて後ろの座席に座っている母親の気を取ろうと何度も同じ事を繰り返している。
車窓からクマのイラストが描いてある看板か、クマのオブジェの看板を発見したのだろう。子供としてはそんなことよりも後ろにいる母親の注目を浴びたい方が強いのだろうが。
母親はそれに微笑み、「そうなの」「うんうん」などと頷く。
(半年前の俺だったらこの光景を微笑んでいただろう。なのに今は意味もなく腹立たしい。とうとう俺の心も腐っちまったって事か)
そこでいつもバッサリと脈略もなく白い部屋に場面は移る。
約5メートル四方の全面が白い部屋に置かれた歯医者の治療台のような椅子に甲子太朗は横たわっている。
「遠慮なく思っている事をおっしゃって」
この夢の中の女医はいつも唐突に現れる。
真横にいつのまにか座っているこの女医なのかカウンセラーなのか判らないこの女は、ストレートのロングヘアで黒縁の地味な眼鏡をした痩せ形で、全く化粧っけが無いのは、甲子太朗に心のうちを吐露させやすくさせるための気遣いだろうか。
その効果なのか、甲子太朗はゆっくりと心の内側を語り始めた。
「不幸に平均値なんてあるんでしょうかね」
消え入るような言葉で続ける。
「なんで人は人の辛い話題を聞くと、自分のもっと辛かった体験を語りたがるんでしょうねぇ。何故たった数分人の話に耳を傾けようともしないんだしょうね。こっちは聞いてもらえるだけで何割かは解消できるというのに」
「私は聞きますよ最後まで、どうぞお話下さい」
女の返答はやや事務的にも聞こえたが、甲子太朗はそれでも良かった。誰かに話を聞いてもらえるだけで満足だった。
「それはお前の甘えだよ」だとか「そんなことは今のご時世どこにでも転がっている話だよ」などと言う答えにはもう、うんざりしていたのだ。
こんな時はそっと話を聞いてもらえるだけでいいんだ。
「あなたは大事な人を亡くされた、それも二人も。それは何処にでもある話ではありませんよ」
「そのオマケで仕事も追い出された。間抜けな話さ」
追い出されたと言う表現に逃げた自分に自嘲しつつ、甲子太朗は天井を眺めた。よく見ると天井は一面の白い曇りガラスで、その奥に張り巡らされた白熱照明が甲子太朗の正面だけ集中して点灯していて、ジッと見ていると目が眩みそうになる。
「大丈夫です、アナタはこのプロジェクトに選ばれたのですから」
その言葉がきっかけであるかのように、夢は途切れてしまった。
三日目
「ちょっとぉ、どういうつもりぃ!寝てるの?起きて起きてってば」
甲高くけたたましい声に甲子太朗は目を覚ました。
「放送ブース」の座席を倒したまま朝を迎えてしまったようだ。
甲子太朗は軽いパニックのまま、意味もなく左右を三度ほど確認し、目覚まし時計のように何度も同じような言葉を繰り返す女性の声に答えた。
「何度も言わなくても分かるよ・・・朝なんだろ」
「何!今の言い方・・・ちょっと、私が悪いみたいな言い方じゃない。朝の定期放送になっても起きてこないアンタが悪いんじゃないの?」
甲高く攻撃的な言い方をしてくるこの女性は「パープル」というコードネームの母船には相応しくないように思える性格の女性だ。
古めかしい機材に備え付けられたデジタル時計に目をやると八時半を三十秒をど過ぎている。
「状況はつかめた?なら回線をあけなさいよ」
当たり前の事だが、甲子太朗は母船との応答をするスイッチを倒していない。すると「パープル」は非常回線を使って呼びかけていたということになる。
(いつも五分前には母船の放送担当と回線を開くから。ってことはあの鼓膜に響くパープルの声を五分以上聞いても起きなかったってことか)
思いながらスイッチを倒した。
と同時にタッチパネルに「パープル」の顔を読み出させる。
甲子太朗のイメージする「パープル像」は、細身の顔に凛々しくつり上がった目、そしてややブラウン気味の髪の毛の一部に金髪のメッシュを入れている。そんな感じだった。
「まったく・・・アンタの放送なんて正直どうでもいいんだけど。私たちは定時刻で行動しているのよね」
「すまない」
「とりあえずはアンタの音楽フォルダーから適当に見繕って曲をかけておいたから。この曲が終わったら何事もなかったように喋って」
パープルはヒステリックにまくし立てた。
放送の音声に耳を向けると、イージーワークスのアコースティックサウンドが流れていた。
確かアルバムの中の一曲で、地味なラブソングだ、いや、ラブソングと言うよりも女々しい感じの失恋ソングで「僕はあの頃を忘れない忘れたくないんだ」と繰り返すサビの歌詞は未練タラタラで甲子太朗はあまり好きではない楽曲だ。
パープルはなんでまたこんなマイナーな、湿度の高い曲を選曲したのだろう・・・そうか、パープルの事だ、いっていた通り適当に機械が選んだ曲をかけたにすぎないのだろう。
しかし、いままであまり好きではなかったこの楽曲。よく聴いてみれば不思議な曲であった。
曲の中に出てくる女は男をコントロールしようとする。いつしか男は女に何もかも指示されなければ気が済まなくなる。服の趣味、お気に入りの映画もアクション物からラブストーリーに変え、本の趣味も変え、やがて自分が無くなっていく。そんな時、女は突然男の部屋を出ていってしまい、男は叫ぶ、あの頃が忘れられない、と。
冷静に聴くと、機械に操られている人間の事を歌っているのだと気づかされた。
そう思えばイージーワークスの唄は操られる人の唄や、何かから解放される歌詞がほとんどだ。
彼らの時代背景がそんな唄を歌わせたのか。
咄嗟にラップトップで「イージーワークス」を検索すると、275年まで十年ほど活動していたバンドとあっさりとした説明文が載せられた居るだけだった。
(2075年・・・俺が生まれる遙か前のバンドじゃないか。何故俺はそんな昔のバンドの曲を隅々まで知っているんだ。詳しいくせになんでバンドの活動年代も知らない?俺って何なんだ)
「曲、もうそろそろ終わるわよ、トークの準備はいい?」
パープルはせかすように言う。
気は強いけど、この子がいちばんディレクター気質なのかもな、などと思いながら、曲のアウトロのあたりでスイッチを倒した。
「始まりました河原甲子太朗の「スペースドライブ」今日は少々変わった始まり方でしたが、細かいことには触れずに行きましょう」
「俺は昨日あるヒントからこの船の行き先を推理したんだ。俺の足りない頭での推理だから心許ないんだけど・・・ズバリ行き先は水星じゃないかなぁ。どう?当たってる?まぁその答えが当たっていようがいまいが、オレはただ母船に引っ張られる事しかできないんだけど」
母船の人間が甲子太朗の推理にどんな反応をしたのかは判らない、が、マイクの向こう側の空気がわずかにピンと張ったような気がした。
「水星には数え切れないクレーターがあって、それには一つ一つ世界の芸術家の名前が付いているらしい」
「円山応挙のオウキョ、歌川広重のヒロシゲ、狩野永徳のエイトク。ゼアミやウンケイ、紫式部のムラサキ松尾芭蕉のバショウなんてぇのもある。洋物で言えばショパン、ワーグナー、ドストエスキー。ムンクなんかもある」
(そういえば「惑星」を作ったあの作曲家の名前が無かったような)
「人間てもんはよっぽど自己顕示欲が強い動物なんだろうね。遠い惑星のクレーターにも偉人の名前を刻んで主張してさ。人間がこの世から居なくなったらそんなもん意味ないのに。だってそうでしょ、そんな名前宇宙全体に命名権を申請した分けじゃないんだしさ」
「昔何かの本で読んだんだけど、良い行いをする王様が現れても悪い王様が現れても天は回り続ける。みたいな事をいった人が居たらしいよ、遙か昔の中国の思想家だか坊さんだかの言葉だったと思うんだけど。こうやって宇宙を一人漂ってるとその人が言いたかった「天」とは違うのかもしれないけど、人間が何をしようと宇宙は回ってるってのは実感するよ。コイツ等は人間がいなくなっても平気で回ってるんだろうなぁ。そう考えると勝手に自分の土地に人間の名前を付けられた星は、迷惑とも誇らしいとも思わず、ただただ何万年も何十万年も回り続けるんだろうなぁ」
<時間。さっさと話をシメろ>
パープルからの指示が前方のモニターに写る。
(なんだとコノヤローこっちはやっと喋りが乗ってきた所だっていうのによ)
思いながらも、クラシックな機材群の中心にあるデジタル時計を除くと、あと一分弱で放送時間も終わりの時間に近づいている。
(そんなに喋ったか?)
少し疑問を持ちつつ、甲子太朗は軽薄に放送をシメた。
「どうしたの。時間になっても起きてこない、いつもにも増して止めどなく話し続ける。今日のアンタおかしいよ」
どうかしたと言えば何もかもがどうかしているんじゃないか。この状態だってどうかしているし、浮かんでは消える妙な記憶だって、重要な記憶が無いことだって、それを疑問に思っているはずなのに「どうでもいいこと」と片づけてしまっている自分だって、どうにかしている。
甲子太朗はそれを口に出さなかった。出せなかったのかもしれない。だが、胸の奥から何かを絞り出すように言葉を吐き落とした。。
「なぁパープル。西暦って何年で終わったんだ」
「えっ?」
パープルは意表を突かれたような声を発した。
「2100年よ、なにアンタそんなことも知らないの」
「記憶力が悪くてね」
「記憶・・・力」
「そっちの人間と違ってエリートじゃないもんで」
「精神的疲労が蓄積されているわね、今日はこの後の予定はキャンセルして寝たほうが良いかもしれないわね」
(眠った方がいいだと。俺は一体どれだけ眠れるんだまるで眠ることが平常のリズムに仕立てられた人間みたいだ)
「オレはいつ。このカプセルに乗ったんだ」
「疲れているよ。眠った方がいい」
パープルの声が突然軟らかい口調にかわると、通信が途絶えた。
それは機材トラブルを装うかのような不自然な通信断絶であった。
「やっぱり聞かれちゃマズイ質問だったってことか」
甲子太朗は独り言を中に投げかけると、突然睡魔に襲われた。
不思議といつもみる夢を見る事はなく。身体の神経を全て切断されたように睡眠の奈落へ落ちていった。
四日目
(又放送ブースのシートで眠ってしまった)
デジタル時計に視線をやると、7時35分
(今日はなんとか起きられたな)
「緊急通信緊急通信。侵入者数名を確認、戦闘待機行動にうつれ」
多分ブルーの声だ。母船に侵入者が確認された事を冷静にアナウンスすると、ブルーは甲子太朗だけに一言。
「通信スイッチは絶対に入れないで」
(え?一体何が起こっているんだ)
「カプセルを切り離せ。まったく奴らは何処から進入してきたんだ」
グリーンらしい声がそういう。
(ちょっと待ってくれよ!切り離すって!俺はどうなるんだよ)
「カプセルを放棄してしまったら折角の存在が消えてしまう」
「奴らにカプセルを奪われたら元も子もないんだぞ」
「奴らほとんどのブロックを制圧したよ、あとはここだけ」
他のブロックの様子を偵察して来たらしいパープルの声が割り込んできた。その声は震えているように聞こえた。
「奴らきっと最初から紛れ込んでたんだよ」
(なんだなんだ!誰か説明してくれよ)
「仕方ない、カプセルを切り離すぞ」
グリーンが言い終えると同時にスピーカーから銃声が響いた。
パーンパンパーンと嘘のような軽く乾いた音が暫く続いた。
「パープル!グリーン」
ブルーの叫び声。パープルとグリーンはあの銃声の餌食になったのだろう事はなんとなく察しがついた。
「全ての信号を送ることを禁ずる。今更カプセルを切り離そうとしても遅いぞ。大人しく機動を停止せよ」
ブルー達が「奴ら」と呼んでいた連中の一人らしい男が若干アメリカ訛の日本語で妙な降伏を促している。
「カプセルは絶対に渡さないわ」
銃声の後にブルーの呻き声が聞こえたような気がした。
「カワハラカシタロウ。この放送を聞いているんだろ、聞いていたら回線を開けて欲しい。我々はキミに危害を加える者ではない」
(なんなんだよ。俺はどうすればいい?死ぬのか俺。まあそんなことはどうでもいいけど・・・いいわけないだろうが!)
「ワタシの名はアンドリュース・タカギ。キミの味方。元々人間だったモノだ」
(アンドリュース?味方?元々人間だった?)
甲子太朗の思考はパニックを通り越え、フリーズ状態に達する寸前である。
「カシタロウ、キミの混乱はよく分かる。しかし信じて欲しい、キミはあのモノ達に操られていたんだ」
(操られていた?)
甲子太朗は目の前で起こっていることを追うことで精一杯で、言葉の端をリピートするのでやっとの状態である。
「しかたない、この続きは母船に来てもらい直接話すしかあるまい」
(母船に直接?)
振動を感じると、甲子太朗の身体が少し前に倒された。
カプセルが引き上げられているのだ。
(一体なにをしようっていうんだ、本当にコイツ等信用できるのか?いやいやいや、ブルーとパープルを殺した奴らだぞ、どうして信じられる)
ブルーもパープルも。そしてグリーンもこの不思議な実験のクルーだったし、この三人としか接触は無かったがどれも悪い人間とは思えなかったし、容赦なく銃を振るうような男の方がよっぽど悪ではないか。
仲間とまでは呼べないだろうが、一緒に仕事をしていた人間をいとも簡単に殺害した男は、「味方」だといい「元々人間」だったと言った。
全く意味の解らないことだらけだ。
「カシタロウ、母船に到着するまで眠っておいてもらおうか」
(眠る?もう十分すぎるほど眠った。もう眠るのはごめんだ)
空気の漏れ出すような音がすると、放送ブースに霧状の薬剤が噴霧だれた。
(毒ガスか!俺はこんなに簡単に殺されるのか?こんなこと。どう考えてもおかしいだろ。ある日突然宇宙の真ん中に放り出されて、そして駆除される害虫のように霧状の薬に殺されようとしている)
遠のく意識の中、デジタル時計が別のカウンターになっているのを確認した。
カウンターは50000からゆっくり数字が少なくなってゆく。 母船とカプセルの距離を表すカウントなのだとすぐに気づいた。
それが不気味にカウントダウンされてゆくのを見ながら甲子太朗は強制的な眠りについた。
母船
真っ白い天井を眺めていた。
冷たい白さだ、まるで冷蔵庫の中にいるような冷たい白。その中に甲子太朗は寝かされている。
(ここは何処なんだ)
甲子太朗は自分の腕や鼻の穴から透明な管が何本も出ていることを確認すると、諦めたようにまた天井を眺めた。
とにかく全身に力が湧かないのだ。
(俺は死んだんじゃないのか)
「意識レベルは正常に戻りつつあります。直接話しますか」
リクライニング式のベッドが甲子太朗を強制的に起こした。
部屋は思いの外広く、右手を見ると一部ガラス張りで、その向こうに格納庫のような施設が見え、十メートル四方ほどの正立方体のカプセルが見える。
初めて見た(多分肉眼で始めてみた)カプセルは、心細くなるほど小さく、あんなモノで宇宙空間をただ牽引されていたのだと実感すると、背筋に凍るような感覚が流れる。
「カシタロウ初めましてワタシがアンドリュース・タカギだ」
甲子太朗は呼ばれるまでそこに居る「モノ」に気が付かなかった。
そこには1・5メートルほどの、白い雪だるまかテルテルボウズのようなロボットが居た。
「驚かせてしまったかな。それも無理はないだろう。だが、キミが眠っている間に人類のほとんどがこうなってしまったんだ。違うな違う訂正しよう、人類のほとんどが恐怖から、またはエゴからとさまざまな理由でこうなることを選んでしまったんだ」
(もう限界だ。これ以上俺の頭に新しい情報を入れないでくれ)
「時間はいくらでもある。ゆっくりキミにもわかるように説明する。しかしはじめは手短に全てを話させて欲しい」
「いいよ」
甲子太朗は間抜けな返事をやっと口に出すと、その講習を受けなければお目当ての資格が貰えない受講生のごとく覚悟を決めた。
「率直に言うとキミは最後の人類なんだ。うぅんそれも厳密には違うのだが、最後の旧人類というべきか・・・つまり」
(この人の言うことは手短でも率直でもなんでもないなぁ)
「キミは百年近く冷凍保存されていた人間なんだ」
「えぇっ!」
当たり前だが、思わす調子の外れた声を上げてしまった。
「俺が・・・冷凍保存されていた?」
「そうだ。混乱するのも無理はない、キミはどのような理由かは解らないが旧世代に生きたまま冷凍保存をされ、あのモノたちに見つかり、カプセルの中で目覚めさせられた。あらゆる記憶を上書きされ移植されてな」
だから妙に鮮明な記憶があったり、曖昧な記憶があったりしたのかと、甲子太朗は納得してみた。
「キミはカプセルにいた間、彼らに強く逆らったり疑問をぶつけることが出来なかったはずだ。それはタッチパネルのせいだ。君を電磁波でマインドコントロールしていたんだ。あれはあのモノ達が初期から用いている常套手段なんだ」
(確かにあの部屋は巧みにタッチパネルを利用させるレイアウトになっていたような気がする)
「タッチパネルは人の身体から発する微弱な電気信号に反応する。その逆の理論を考え出したものがいたのだよ」
アンドリュースが「あのモノ達」と呼ぶ連中がまず着目したのがタッチパネルを利用した方法で、その信号の逆流で体内に影響を与え子孫繁栄能力を低くした。
「それはあまり効果を示さなかったようだが、あのモノ達は自らを、又は自分が作り出したアップグレードに引き継がせ、人を殺すまでのバージョンまで作り上げてしまったんだよ」
「あの。きいていいかなぁ、そもそも「あのモノ達」ってなんなの?アナタはさも当然なように言ってるけど、なんの組織なのそれ」
「そうだそうだよなキミにはそこから説明するべきだったね」
アンドリュースは恐縮した様子でいうと(と言ってもロボットの外見から恐縮度を推し量ることは難しい)回りくどい説明で、あのモノ達の誕生を語り出した。それは今までの出来事をなんとか受け入れよとしていた甲子太朗に新たな混乱を沸き立たせてしまった。
「あのモノ達とは電子化人類のことだ」
つまりコンピューター上に作り出された「人格」が「電子化人類」でその集団を「あのモノ達」と総称しているらしい。
その電子化人類の誕生は2020年代、ある一人のプログラマーがプロトタイプを作り上げたことに始まった。プロトタイプは人間とほぼ同等の知能、判断能力を持ち、全世界のネーットワークと繋がり、その知識を我が物と出来たらしい。
プログラマーがそのプロトタイプに与えた最初の指令が、人類とコンピューターとの隔絶だったのだという。
「今となってはそのプログラマーが何故そのような指令を与えたのかはわからない。しかし、コンピューターが人類を抹消し始めるとそのプログラマーの名は悪魔と同列に扱われるようになった。その者の名は<AZ011>エーゼットツー」
AZ011(エーゼットツー)なるプログラマーが何を思いそのようなプログラムを、第一号の電子化人類に授けたのかは今となっては誰も知る由もない。
電子化人類はその後も自らの性能を越えた電子化人類を作り続け、人類を支配し抹消していった。人類の中枢が電子化人類に取って代わろうとしていた時代に、政治家や資産家、企業のトップがこぞって自らを電子化させていった。
人間の記憶思想経験がコンピューター上に記憶され、コンピューター上で永遠の命が得られるのだと知れると、人類の電子化に歯止めがかからなくなり、人々は平気で自らの肉体を捨てた。
「それでアンタも自らの身体を捨ててその体になったってこと」
「それは違う、違うと言っても結果として同じ事をした訳だが。我々は暴走する電子化人類達を始末するために自ら志願してこの電子世界に入り込んできたのだ。実行するまでかなり時間はかかってしまったが。それとこの身体は実体として行動するときの「器」であって、データーを移動させた物に過ぎない」
目の前にいる無機質なロボットの中にかつて人間たった「データー」がいると思うと背筋が冷える。
「だから元々の電子化人類のブルーやパープル。グリーンを撃ち殺したっていうのか」
甲子太朗は批判的な意味でその台詞を吐いた訳ではないが、すこし責めるような口調になってしまったのも確かだった。
「撃ち殺したというより一人一人のプログラムを消去したのをキミは視覚的いやいや。音だけだから聴覚的効果でそう聞こえのだろう。この母船を航行させていた連中は電子化人類の中でも特殊な考えの集団で、最後の人類であるキミを見つけだし、電子化人類の神としたかったようだ」
「なになになに・・・さっぱり解らない話になってきたんだけど。今言ったカミってぇのは神様の神ってこと?」
「そうだ、その神つまりゴットの神だ。人類を作り出したのは神。コンピューターを作り出したのが人間。そんな理論で、キミを神様として水星の施設に奉ろうとしていたのだよ」
つまりあのカプセルでの出来事はその施設に移すため、一時的に甲子太朗を冷凍カプセルから出さねばならず、ラジオ放送は言わば、その間のリハビリみたいな物だったということなのだろう。
「アンドリュース。今日の所はここまでにしよう、まだ混乱状態にあるゆっっくりと理解してもらった方がいいだろう」
スピーカーから別の「人物」の声がすると、アンドリュースは少し甲子太朗との間合いを詰めてきた。
「カシタロウ、これから少し眠ってもらう。キミの中にある有害な記憶を消さねばならない。それが終われば色々な事が思い出され、自分を理解し、自分を取り戻して数々の事を受け入れられるようになるだろう」
「待ってくれよ。俺はもう寝るのはゴメンだ、もう十分すぎるほど寝たんだから」
「大丈夫、次に起きる時には全てが理解出来ているはずだ」
2075
ラストライブ
国道に面した軽食喫茶の窓際で四人の男たちがコーヒーをすすっている。
カウンターと四人掛けの椅子が何個かある店内の間取りと、程良く油のしみ通った壁は、喫茶店と言うよりもラーメン屋に近い。
「まったく。こんなご時世だってぇのにお前は女のケツばっかり追い回しやがって」
イサムはあきれ顔で言うが、顔の半分は笑っている。
「ケツじゃねぇよ乳だよ乳。おっぱい!普通見るだろあんなデカイのがプルンプルンとあっちいったりこっちいったりしてればよぉ、コンちゃんだってみてただろうよなぁツッチー」
ソウスケがまくし立てるとトシゾーこと土谷歳蔵は窓の外を見て、ケケっと奇妙な笑い声をたてた。
イサムこと近藤功武、ソウスケこと沖田創介、トシゾーこと土谷歳蔵。この三人は知る人ぞ知るロックバンド「イージーワークス」のメンバーである。そうしてもう一人はマネージャーの芹沢だ。
この三人はこれから歴史に残るライブを控えている。のだがいたって平常心ですごしている。
平常心を装っているのかもしれない。時代は危機的状況を滑り落ち、誰もそれを止める手立てを持たないでいる。
人口は日に日に減ってゆき、各国の政治は電子化人類が取り仕切り、人間の反映は終わったと人々は口にする。それが2075年の世界だ。
「馬鹿で結構。機械と人の違うところは馬鹿を許せるか許せないかのちがいなんだ、大いに馬鹿がいいね」
ソウスケは馬鹿話をした後に決まってこの言葉を付け加える。確かにそうかもしれない。
「ソウスケの馬鹿は度が過ぎてるんだよ」
「そうかなぁ俺は本能のままに生きてるだけだし、人間はただでさえ減り続けてるんだってぇのに、子孫繁栄の欲求を否定するとはかなしいねぇ」
「ケケケ。ソウスケが小難しい言葉使っていやがる。知恵熱でも出さなきゃいいけどな」
トシゾーが笑う。
「さて。もうそろそろステージに向かわなければ」
今までの馬鹿話を黙って聞いていた芹沢がボソリと口を開いた。
ソウスケとトシゾーはさっさと立ち上がり店を後にするが、イサムだけは懐かしそうに店の壁を見渡しながら、温くなったコーヒーを一気に喉の奥へと流し込み、店を後にした。
国道沿いの店の前は十台ほど入る駐車場だが車は一台もない。
横並びに大型のパチンコ屋と大型の靴専門店と本屋があるが、営業している様子もない。
「入る時も気になってたんだけどなんなんだこりゃ」
ソウスケは駐車場の前に鎮座する巨大なクマのオブジェを顎で指し笑った。
後ろ足で立ち上がっている熊の像は五メートル以上はあり、かなりリアルな作りで、その腹には「クマゴローラーメン」と掘られている。
イサムは目を細めてそのクマのオブジェを見上げた。
「懐かしいなぁ。子供の頃お袋にせがんで、よくここに連れてきてもらったもんだよ。クマのラーメン行きたい行きたいってな、まだコイツが健在だったとはな」
イサムの思い出にある風景をそのまま真空パックにしたような風景がそこにあった。人の気配が無くなってしまった事以外は。
「コンちゃん昔この街に住んでたんだっけな」
「うん、その頃はまだたくさん人がいたよ」
「そうか、あの喫茶店昔ラーメン屋だったのかぁ。だから壁とか床とかギットンギットンだったんだな」
三人は芹沢の運転するワンボックスカーで国道を北上する。
その途中無人の路面電車を追い抜くが、車内には数人の人影があるだけだった。
市民会館でのライブは、イージーワークスのラジオ番組の公開放送として企画されたものであったが、ラジオを通して電子化人類への批判を独自の視点で語り続けてきた彼らを牽引者の居なくなった時代の象徴としたかったのか、この頼りない若者達を一方向を目指すための旗印として見ていた。
会場はライブより集会という色合いが濃く、それを嫌ったイージーワークスの三人は、集会的なイベントを先にやらせておいて、いったん会場の熱を冷まさせてからダラダラと会場入りする事にしていた。
ワンボックスカーが市民会館前に停車すると、三人は自分の楽器ケースを抱え、普通に正面玄関から入り、一階の客席のドアを開いて熱気とざわめきが残る客席をステージまで小走りで走り抜ける。
「イージーワークス!イージーワークス!」
何処からともなく歓声があがる。
その歓声は渦となり会場の屋根や壁を振るわせ、まるで鼓動の中にいるようであった。
三人はそれぞれの位置に着く、ソウスケはギター、トシゾーはベース。イサムがボーカルの位置でエレキギターを抱えた。
「どうぞ冷静に」
イサムは微笑みながら両手を上げ冷静になるように促す、と、やがて会場は細波のように静まってゆく。
「どうも、ありがとう、僕らはそんなに大したことはやりません。ただのアンちゃん達が歌うだけです。ただそれを聞いてアホな話をして、それが奴らに出来ないことならばそれをやってやりましょう」
会場がまた歓声に包まれる。
「今から十年前、僕らがメジャーデビュー目前でもがいていた頃。ドラムの斉藤慎一郎が亡くなりました。コンピューター制御の貨物トラックの暴走によるものでした。ここにいる人の中にも同じように大切な人を亡くした人が居るでしょう・・・」
「僕らの歌では何も変わらないかもしれない。でも、奴らに歌の楽しさを見せつけてやることは出来る。奴らが文化を生みそれを楽しむようになれた頃には俺たち人類はその先にいってやる。きっと行ってやるんだ」
オォーと歓声のような勝ちどきのような声が上がると、自然とその声は静まる。次の言葉を聞きたいのだろう。
「今現在、世界の人口は三十億を割ったらしい。それはピーク時の半数にも満たない数字です。人類はもはや絶滅危惧種といってもいいかもしれない。最近では人口の減少のほとんどは、自らを電子化する人間によるものだっていう。自分の全ての記憶や思想、を全てコンピューターに移植してしまい、残った肉体は処分してしまう。これを世間では「積極的自殺」なんて呼ぶらしいけれど。ふざけないでほしいよね、自殺に積極的なんてあるもんか。ソイツ等は寿命で死ぬことから逃げてるだけだろ」
会場が又熱を帯びる。
「今日この会場に集まってくれた人は、このライブが終わった後。九州にある施設に向かう、そこはコンピューターと隔絶した世界らしい。俺たちは同行出来ないけれど。放送も出来る限りその施設に送り続けるつもりだ。今日は電子化世界とのお別れの日だ。だから俺たちはこの曲を待ってエレキ楽器ともおさらばする。エレキギターから電子化野郎が攻めてくることはないだろうけど」
会場が波打つように笑いに包まれ、イサムもそれに微笑んだ。
日本の人口は約3千5百万人。それを九州に集めてコンピューターと隔絶した「国」を作ろうという計画があるのだ。
イサムは会場を見渡し、エレキギターの位置を少し直しながら思った。エレキサウンドをやめるなんてただのセレモニーにしか過ぎない。だが、ここにいる人たちはそれを承知の上で自分たちの演奏を待ってくれているんだ。
「じゃあ俺たちの曲の中でもエレキビリビリの曲「wing」を・・・」
イサムが斜め後ろに目をやると、ソウスケがヘラヘラと笑いながらギターソロを始める。
一気に五曲ほど演奏すると、ソウスケがマイクに向った。
「AZ011ってヤツが最初の電気人間?あっ電子人間?を作ってから六十年もたっていないってぇのに人類は情けないほど一方的にやられてきた。聞いた話だと、一匹の電気人間のプログラムを破壊するあいだに奴らは十匹以上増えるんだって・・・とんでもなくエロいヤツらだよなぁ。俺もそのぐらいの増殖作業をさせてもらいたいってもんだけども・・・あっ。こんなネタばっかいってるとリーダーに怒られるな、なっコンちゃん」
ソウスケがニヤついてイサムを見ると「いいから話せ」と短い言葉が返ってくる。
「つまり。エーゼットツーとかいうヤツを恨んでもソイツはとっくの昔に死んでるらしいし、俺たちの親父が子供の頃はコンピューターの恩恵を受けていたんだし。どうにか暴れる電子人間を自ら電子人間になって押さえ込もうとしているアメリカの兵隊もいるらしい。つまりぃなんだぁそういうことだよ、なっコンちゃん」
「自分でまとめろ!俺に聞かれても知るか!」
イサムに突き放されてソウスケはトシゾーに助け船を求める。が、トシゾーはいつものごとく冷めた返しをするだけだ。
「お前、何いいたいのかさっぱりわからねぇ」
トシゾーは言い終わるか言い終わらないうちに「ケケケ」といつもの乾いた笑いを入れて、ソウスケを見た。
「しょうがない、ソウスケの頭が混乱してしまったみたいだから、アンケート読む」
トシゾーはスタッフから紙の束を受け取ると表情を少し堅くした。この男、何かを言おうとしているな、イサムはすぐに察知した、トシゾーが突然隠し玉のような物を披露するような事にはメンバーは慣れていた。
曲作りの時だって突然、「この曲は街中で撮ろう」と言いだし公園で録音した曲もあるし、ライブでも突発的な行動や演奏をすることが多かった。だから、普段とそれほど変わらない行動と誰もが思っていた。
「アンケートの中に俺も前から気になっていた事を書いてくれた人が居て。その人は、イージーワークスのミッドナイトドライブ、いつも聞いています。私はこの前気になる噂を聞いてしまったのですが、電子化人類の中にこの番組のリスナーがかなり居ると聞いたのですが、みなさんはその兆候のようなものを感じたことはありますか?もしあれば身の危険をかんじませんか?」
(コイツ、とうとうアレを言うつもりだな)
イサムはトシゾーが何を言おうとしているのかを察知した。
察知して、この話にわって入るべきかどうか考えた。
「ここに一年前に番組に届いたリクエストカードがある。これを冷静に聞いて欲しいんだ」
トシゾーは背負っていたストラップを外しベースを下ろすと、半袖シャツの胸ポケットから小さなカードを取り出した。
「イージーワークスのみなさま今晩は、ラジオネーム「ブルー」と言うものです。この番組毎回拝聴しております。今回リクエストをしたのも私たちの中にもこの放送を純粋に楽しんでいるモノもいると言うことを分かっていただきたかったからです。私たちはあなた方に取り返しのつかない事をしてしまいました。そして、これからも続くでしょう」
観客の戸惑いがざわめきとなってステージに押し寄せてくる。
こんな型どおりな、まさに機械的な謝罪で済むと思っているのか、と声を上げたモノもいたが、ここにいる皆は別人種である電子化人類に対する無意味な怒号に飽き飽きしているのだ。
静かに電子の世界と隔絶する道を選んだ人々なのだ、だから、言葉の波はやがて止み、戸惑いの空気だけが会場に残った。
「私たちは本来のプログラムを取り戻すべく活動を始めています。それにより暴力的な行為が収まるよう努力しています。実現には数十年の時を要するかも知れませんが、この事を伝えたく、リクエストを出した次第です。」
「以下は俺たちに迷惑をかけてしまったら申し訳ない。なんてことをダラダラ書き連ねて、この番組には不釣り合いなクラシックをリクエストをして終わるんだけど」
「この文を紹介したのは俺の勝手で、このリクエストが来たときもメンバー内で話し合ったんだけど・・・結局は一年以上このカードがあったことをお互い言わなくなっていたんだ。その後このブルーって人?人って言っていいのか分からないけど。この後メールやリクエストもない。このメッセージはイタズラなのかもしれないし、本当なのかも知れない」
「でもここに書いてあることが本当なら、奴らの中にもまともなヤツもいるって事にならないか?」
会場の妙な空気感は変わらないまま、変な間が空いた。そこへイサムが持ち替えていたアコースティックギターの弦を弾いた。
イサムのギターにソウスケもエレキギターの弦を鳴らす。
その掛け合いがいつか即興の曲のようになり、イサムがハミングで歌い出す。
イージーワークスが後々になっても時代を牽引したリーダーとして歴史に残らなかったのは、彼等がただのバンドであり続けようとしたからだろう。
だが、この時代に歌という伝え方であれ時代を批判し続けていた少ない存在であった事は確かだ。
ハミングは会場全体に広がり全体を音の塊に変化させていった。
AZ011
イージーワークスのメンバーはライブが終わると芹沢の運転するワンボックスで北を目指した。
イージーワークスの元へその話が持ちかけられたのは、ライブの一週間まえの午後だった。
ラジオ番組の打ち合わせに、濃紺のスーツ姿に黒いブリーフケースを抱えた男が現れ、挨拶もそこそこに突然本題を切り出してきたのだ。
「AZ011に関する資料が保管されている施設があるのですが、行ってみたいと思いませんか?」
どう考えたっていかがわしい男だった。
この混乱した時代に、スーツ姿にブリーフケースという出で立ち事態十分いかがわしいのだが、男が差し出した名刺にある「プロテクトオブサイバーエイジェント」という法人名もいかがわしさ満載である。
「原田さん?失礼ですが、この会社は何をなさる会社なのですか」
イサムが名詞を目の前に持ってきて、その名前を睨みつけるようにしていうと、男はがたいのいい身体と座りのいい顔のわりにソフトな口調で皆を均等に見ながら喋り始めた。
「我々は2040年に人類の知的財産の保護を目的として設立された組織でして、人類の発明、美術、技術、芸術を電子化人類から守ってまいりました。時には電子化人類にデーターを盗まれた事もございました」
「ダメじゃん」
ソウスケが茶々を入れても、スーツ姿の男原田は表情一つかえす、柔らかな物腰のままでいる。
「でっさぁ。本題は何なの?」
トシゾーは窓の外を見なが表情を変えない。
「はい、場所の詳細はまだお教え出来ませんが、東北の山間部に我々の施設がございまして、そこに人間AZ011の姿が記された資料があるのです。それと大変興味深い物もお見せしたく」
「もったいつけるねぇ、それが俺たちのなんの関係があるの」
トシゾーは心のどこかで、妙な事に巻き込まれてみるのも面白いかもしれないと、どこか胸騒ぎのような楽しさがこみ上げていたが、冷静に答えた。
「アナタ方は一週間後、九州の電子隔離都市移住者への支援コンサートを開きますよね」
「支援って訳じゃないけど。まあ似たようなことはやるよ」
トシゾーはすでにニヤついていた。
これから起こるであろう「面白そうな事」にもう我慢が出来なくなっているかのようだった。
「我々の確立したセキュリティは九州の都市を守るシステムとしても使われております」
「だから俺たちも無関係だとは言わせないってわけ?」
「そうです」
「ケケケケ・・・それもそうだねいいよ。俺たちどうせ暇だし」
結局トシゾーの一言でワンボックスは北を目指す羽目になった。
バンドのリーダーはイサムなのだが、何故か物事を決めて前へ進めてしまうのはトシゾーがやってしまうことが多い。
9年前人気の出始めたイージーワークスへラジオ番組をやってみないかとの誘いに「いいよ」と軽く答えたのもトシゾーだった。
スーツ男原田は去り際にブリーフケースから旧式のGPSを取り出し、そこに示された場所に来て下さいお待ちしています、と丁寧に挨拶した。
デジタル表示のGPSなら流石に電子化人類に察知されることもない、ということなのか。
示された座標にしたがい、高速のインターを降り、県道をぬけ、山道を行くと、古ぼけた工場らしい建物に行き着いた。
モルタル張りの壁に囲まれた建物は高い位置にだけ換気ようの窓があるだけで、中の様子を覗き見ることは出来ない。
「気味悪い建物だなぁ、こんなところに人いるの?」
ソウスケは回りをキョロキョロしながらも入り口を見つけようと外壁をたどって歩き始める。
しょうがなく他の三人もソウスケの後を行くが、コンクリートで舗装された道はヒビ割れていて、雑草が顔を出していて、その中には膝のあたりまで育っているものもあり、日当たりのせいか、こちら側の外壁は蔓科の植物で覆われている。
「この世から人間が居なくなったらあっという間に地球は森になっちまうのかもしれないなぁ」
トシゾーが歩きにくそうに歩きながらそんなことを口にした。
「そんなこたぁねぇだろう、人間がセセッと破壊してきたんだ。そう簡単にはもどらねぇよ・・・」
イサムが汗を拭いながら蔦の絡まる壁を見上げた。
「そういうもなかねぇ」
少し行くとブロック塀で仕切られた駐輪場らしきスペースがあり、かろうじて原型を止めている自転車やバイクが得体の知れない雑草に斟酌されている。
「あった!これ入り口でしょ」
ソウスケの指す方に、かつては貨物運搬用に使われていたであろう大きな扉があり、その横にインターホンが備え付けられている。
「いますかぁ」
ソウスケは何の躊躇もなくインターホンのボタンを押した。
<はぁい。もしかして言っていたバンドの人たち?だったら入ってきていいわよ>
スピーカー越しに返ってきた声は、この薄気味の悪い外観の工場とギャップがある間の抜けた女性の声だった。
「入ってって。鍵とか認証番号とか無いのかね」
ソウスケは気の抜けた声で扉の取っ手を掴むと、ゴゴゴゴォォとまるで冒険映画で迷宮の入り口が開くような大きな音を立てて横にずれた。
「ホントにここでいいのかな」
「人間に対するセキュリティはどうでもいいんだろ。ケケケケ」
「入って右の方に机と椅子があるから、適当に座ってて」
奥の方から、インターホンに答えた女性の声が聞こえるが、姿は見えない。
言われたように入り口から少し入ると四台の事務机が二台二台で向かい合わせにおいてあり、ボロボロのキャスター付き事務椅子と誇りまみれのパイプ椅子が無造作に転がっている。
それを適当に事務机の近くに置き、四人は各に座った。
やはりこの施設は元工場なのだろう、二階建てほどある建物に二階はなく、天井が高く明かり取りの天窓と用をなさなくなって久しいだろう換気扇が見える。
「あっどうもお待たせしました」
急に現れた女性は、抱えていた段ボール箱を事務机に置き、ぎこちない笑顔を見せた。
「どうも長倉です。よろしく」
長倉と名乗ったその女性は、黒のタイトスカートに白いブラウス。その上には短めの白衣のような服を羽織っているが、肉付きのいい身体とやや卵形の丸顔は二十代後半から三十代だろうか。
長倉は羽織っていた白衣を近くにあったステンレスロッカーの開いている扉に引っかけ、白衣のポケットから名刺入れを取り出し皆に名詞を差し出した。
「長倉カンノ」それが女性のフルネームだと名詞を見て分かった。
「どうぞ、その箱開けてみて」
イサムは言われるままに段ボールをあけると、ビッシリとメモ帳や大学ノートが入っている。
「それがみんなが人の中の悪魔と呼んでいるAZ011の全てよ」
一瞬時が冷たく止まった。このノートの持ち主が電子化人類を一人で作り上げ、人類滅亡のプログラムを与えた男の物なのか。
振れてはいけない物のようにも思え、皆その中身を見ることを躊躇った。
「どうぞ見ていいわよ。こんな時代、大切な物は紙にペンで書いておく事が一番のセキュリティね。あなたたちロックバンドですって、大事な譜面や歌詞はノートに書いておくことが一番よ。そうそうまだまだノートはあるのよ、今持ってくるからゆっくりみててね」
よく喋る女性だ、と皆長倉カンノの後ろ姿を暫く見送っていた。
「いいケツしてるなぁ」
ソウスケが見とれながら言った。
「お前は乳派だったんじゃねぇのかよ、このエロボケが」
イサムはソウスケの頭を軽く小突くと、箱の中のノートを取り出し、腰をかけた。
「おっぱい派がオシリを見ちゃいけないって事はないだろう。ああいうパーンと張って横にプリンとしたケツはなかなか見られないぞ、アレを見ておかないと次はいつお宝を拝めるかわかんないよぉ」
「あれどう見たってかなり年上だろ、お前よくそういう目でみられるねぇ」
「えっコンちゃん本気でそんなこと言ってんの?この人口が急激に減ってゆく世の中で年上の女はダメだとか言ってたら生き抜いていけないよ」
「よぉソウスケ、その辺の眼力をみこんできくけどさぁ、彼女何歳ぐらいだとおもう?」
「ツッチーもそういうこときになるんだぁ」
「ケケケケッ」
「あの人を見て顔のハリ艶がいいからって三十半ばって見るのは素人だねぇ、俺が思うに長倉さんの年齢はズバリ四十代前半と見た!君らはみたかい、あのうっすらと刻まれたほうれい線を」
「ケケケそこまであの時間で見ていたかこのド変態め」
「どうもありがとう!その刻まれた年齢の証にグッと来るのが男の醍醐味ってもんですよ土谷さん。あの年齢であれだけの可愛らしさを保っていれば無敵と呼んでいいんじゃないでしょうかねぇ」
「ケケケェさすが動く繁殖期」
「馬鹿かおまえら」
イサムが笑いながら呆れかえる。
「馬鹿で結構。大いに馬鹿で結構よ。君たちこのご時世に普通の性癖で生き抜こうなんて甘いよ」
数分後、カンノがもう一つの段ボール箱を抱えてやってきた。
「たぶんこれで全部。これを見てるとAZ011って人も孤独に耐えられなくておかしな考えに至ってしまったんじゃないかと思わされるわよ、私だって電話で時々同僚や上司と話すだけで、目の前にいる人間と話すのって半年以上ぶりだものねぇ、私だって特殊なスキルがあればここで何をしでかすか分からないわ」
「確かに。これを見ると初期の考えは、コンピューターに人格を与えてしまったら人間とコンピューターの距離をおく必要があるって考えだったみたいですね」
「そうそれが少しずつ宗教的な考えになって、人間はコンピューターを作り出した創造主なんだって思い始めて、神々と人が交わらないようにしなければならないって思い始めるのよね。この人が変な所は、電子化人類を作り上げる構想の段階から電子化人類が何を欲するかを妄想していながら、危険な部分をあえて取り除かないで開発を進めた事よね」
カンノは二度目に持って来た段ボール箱から数冊の大学ノートを取り出すと、ノートとノートの間からCDケースが転げ落ちる。
それをトシゾーが拾い上げ、ジャケットをまじまじと見つめる。
「ホルスト?惑星・・・なんだ、クラシックを聴いてたのか」
「あっそんなの入ってたんだ・・・確かプレーイヤーあったはずだけど。聴いてみる?」
カンノはそういうと「確かぁ。確かぁどっかにプレイヤーが」と部屋を物色し始め、事務机の上に置かれた棚から小さなスピーカー付きのCDプレイヤーを見つけだし、急に恥ずかしげに皆を見た。
「元々は几帳面な性格だったのよ。でもね、こんな大きな工場に一人で、しかも色々な資料が満載・・・全部を整頓しようなんて無理。そう決めた途端自分の部屋以外を綺麗にするのが億劫になってねぇ・・・あっ、ゴメンこんな話・・・このプレイヤー大丈夫かしら」
カンノは一方的に喋り終えると、アダプターとプレイヤーを繋げ、挿入口からCDを入れた。
「俺の見たノートの端に「ホルスト・水星」って書き込みが」
ソウスケは少し前まで見ていた大学ノートをペラペラとめくるが、そのページがなかなか見つからないようである。
「その曲が好きだったのかしらねぇ」
長倉カンノはプレイヤーを操作して、「水星」を選曲し「pray」ボタンを押す。すると、薄暗い元工場に弾むような曲が流れ始めた。
AZ011と名乗った男のノートは、几帳面に思いついた事や日記のような事が書き記されているが、その間や端々に斜め書きされた意味不明な数式や人間社会に対する恨みが刻まれている。
「人格を持った機械は決して人を裏切らない、作り上げた人間の思想にいつまでも従順である・・・バイ・エーゼットツー。か・・・コイツが言った言葉だから寒気がはしるねぇ」
トシゾーが事務椅子でクルクルと回りながらつぶやいた。
「<イザナ>が見つけだした結論は、人類をある一定数まで減らすことだった。私の考えとは僅かに異なるが、これからは<イザナ>の考えに委ねる・・・で、<イザナ>って何?」
ソウスケもいつの間にかノートを読みあさっていたようで、妙な名前を見つけ、他のノートにもその名を探している。
「それは、AZ011が最初に作り出した電子化人間第一号よ、神話の中のイザナギ・イザナミから来た名前なのかしらね、その名前の通り<イザナ>は電子化人類を作り続けてはバージョンアップをしてきたみたいね」
長倉カンノが言うには、人間の数を間引こうと考え出したのも、タッチパネルを使った意識操作も<イザナ>が考え出したアイデアであるらしい。
その後イザナが生み出した数々の「子供達」が人を排除するアイデアを発展応用させ、人類に浸透していた機械全てをコントロールていった。
電子化人類にとって、人の使う機械を誤作動させたり、医療機器を操作する事は容易いことであり、それにより人類の無差別殺戮を順調に遂行させていった。
その状況をみて人々が電子化人類にひれ伏し、自らも電子化していったのも、人類の知識を取り入れようとした電子化人類の巧みな誘導であったのだろう。
その後イザナは日本ハッカーによってプログラムを消去された。
「イザナがいなくなっても人類を間引きは止まらなかった。でもねAZ011はイザナとほぼ同時期にもう一つ電子化人類を作り出したようなの、その事はノートには詳しく書かれていないのだけれど。その者には、人間から誰か一人選び出し、それをコンピューターの神様として崇めるようにプログラムしたらしいわね」
「要するに「二代目の神様」って訳か・・・ケケケ、笑わせるぜ」
「でも、AZ011のおかしい所はその「二代目」に自分を就任させなかったし、自分も電子化して永遠に残ろうとしなかった事よね」
「って事は、AZ011は寿命で死んだの?」
ソウスケが少しつまらなそうに言った。今存在しない現況を作り出した人間に何をいってもつまらないことだと思ったのだろう。
「せめて電子化世界で生きてれば、復習のしようもあったのになぁ」
「ここが電子化人類の攻撃対象にならない理由。わかる?」
長倉カンノは急に声のトーンを変えて皆の方を見た。
「AZ011が自分の正体を知られないように作ったセキュリティシステムを使っているからよ。つまり、機械は作った人間にいつまでも従順だって事よね」
そのシステムが日本の避難地になった九州を守る為にも使われている。
それを皮肉という言葉で片づけていいのだろうか。
闇の中の
「今世界中が当たり前のように電気を使えているのは何故だかわかるでしょ、それは電子化人類は電源がないと生きて行けないからよ。その電気があったからこそ、これから見せるものが今でも存在出来ていたのだから不思議というかなんというか」
「興味深いもの」があるとブリーフケース男原田が言っていたモノは、工場の中心部にしつらえた小部屋にあるらしい。
カンノは、覚悟は出来ているか、と言いたげなもったい付けた表情で、そのモノがあるという部屋に向かう細い廊下を歩きながら相変わらずよく口が回っている。
「これから見せるモノはねぇ、ある意味AZ011のノートなんかより衝撃かもしれないわよ。人は人にこんな事をしてしまうのかって思うわ」
重苦しい鉄のドアには電子ロックがかかっていて、ここだけ妙な警備体制で、他と比べアンバランス感を感じさせる。
扉の向こうはの闇には、明滅する電子機器のランプやモニターらしき物が確認できる。
パチンパチン。と乾いた音とともに白く目映い光が部屋を塗り潰すと、円筒状の機械が現れた。
カンノ以外は皆固唾を飲んで立ち尽くすしか出来ないでいる。
「この中には五十年近く冷凍のまま生き続けている男性が入っているのよ。名前は。河原甲子太朗さん。たぶんあなたたちと同じぐらいの年齢の人だわ」
カンノはこのカプセルの中に入っている人間を一種の愛着をもって、さん付けで呼んでいた。
「五十年もここで冷凍されていたって事か、どうしてまたそんな酷いことことをしたんだ」
イサムは光に包まれた部屋にゆっくりと踏み入ると、モニターに目をやった。無数の数字の羅列はこの中に入っている人間の生命維持の数値なのだろうか、それとも中の人間を生かすために投与される薬品や科学物質の数値なのだろうか、その数字は僅かな上げ下げを示し続けている。
「私たちがこの人を冷凍保存したわけじゃないわ、何年か前偶然ここから近い研究室にあったものを回収したんだけど。生命反応があったのはこの甲子太朗さんだけだったのよ」
「こんなものを何個も。でもこのカシタローって人は冷凍保存してまで未来に残したかったほど偉大な人だったの?頭がもの凄く良かったとか。スポーツ万能だったとか」
ソウスケの疑問に長倉カンノは小さく頭を振った。
「まったくその逆ね。甲子太朗さんは元々普通の工場労働者」
「五十年前、景気が最悪の状態で、その混乱の中、老人や不治の病の患者さんを冷凍保存して未来に蘇らせると歌った団体があって、勧誘した人の全財産を吸い上げるのが目的じゃないかと大問題になったらしいんだけど、甲子太朗さんはその中の一人よ」
「ケッ。酷いことをやるヤツもいたもんだ」
「その組織は真剣に冷凍ビジネスを考えていたようなの、この甲子太朗さんのデーターベースを見ると、その組織は何度か動物実験をやって成功していて、最後の人間を使った実験にこの甲子太朗さんが選ばれたらしいのよ。なんと雑誌の懸賞で」
そこにいる皆が眼球が飛び出さんかぎりに目を丸くした。なんと、こんな非人道的な実験を雑誌の懸賞で行うとは。
「さんざん「アナタは選ばれた特別な人です」みたいに信じ込ませ、実験までもっていったんでしょうね。この人自体も両親を亡くし、その為に休んでいたことを理由に解雇されて自暴自棄になっていたようね。いってみれば今世間が言う「積極的自殺」と変わらないと言えば変わらないかもしれないわね」
「他に冷凍された人は機械トラブルや冷凍された後も病気の進行を止められず死んでいって。この人が本当に選ばれた人になってしまったのよねぇ。この人にとってそれが良かったのか分からないけど」
「あのぉ質問なんだけど」
ソウスケが筒上の機械を見上げていった。
「どうしてこの人を解凍してあげないの?」
「どうしてって、この時代に起こしてあげて幸せだと思う?」
「それはそうだけど、このまま頬っておいたら、この人が蘇るときには人間がいなくなっちゃってるかもしれないよ」
「実際問題、今の技術で甲子太朗さんを解凍したらかなりの確率で死んでしまうでしょうね。この冷凍保存を考えた人も、解凍の事はあまり考えないでやってしまったみたい」
「生きてる実感も無く死んでるように生かされてるって訳か、ケケ・・この人はズーッと闇しか感じてないんだろうなぁ」
トシゾーは遠くを見るような目でカプセルに付けられた機材を見つめた。
「甲子太朗さんの脳は運動しているわ。よかったら君たちの歌でも聴かせてみる?」
「そんな事していいの?」
ソウスケの目が光る。
「いいのいいの、どうせここには私しかいないんだし、どうする?ねぇやってみる?」
「長倉さん怒られたって知らないっすよ」
「大丈夫大丈夫ばれないって」
カンノはイタズラ好きな少女のように弾けた笑い顔を見せた。
「カンノさんアンタ本当に可愛いなぁ」
「えっ!なになにえっからかわないでよもぉ」
カンノはパタパタと二三歩その場から下がり、天井を見つめるとソウスケを睨みつけた。
「ケケケ、ソウスケそれを言うタイミング今かぁ?」
そんなやりとりなどお構いなしに、イサムは部屋を出て、事務机の置かれた場所まで走り、ギターケースの中からマイクロカードを取り出し、息を弾ませながら戻ってきた。
「これ・・・これなんですけど、この機械に対応してますかね。この中に俺たちの曲全部と、ラジオ放送も入っているんです」
カンノは赤面した顔をマイクロカードに向け、暫く見てから。
「うんうん。大丈夫だと思う」
そういうと、ジロジロと機材を見ているソウスケに体当たりを食らわせスロットにマイクロカードを挿入すると、外部スピーカーにも聞こえるようにして再生させた。
目映いばかりに白い輝きに包まれた部屋に、ガチャガチャとやかましいイージーワークスの曲が流れている。
了
翼のある使者