芋虫の戯言

 五月三十一日。今日からリハビリのメニューが平行棒を使用しての歩行へと入った。二つの棒に掴まりながら、その間に立ち上がり、一歩ずつ足を前に出す。足が思うようには前に進まない。簡単に足を運んでいた時の感覚を思い出そうとしながら行うのだが、実際には足取りは重い。リハビリ専門の医師に見守られながら、三往復。今日はこの位にしましょうか、と医師は言う。良く言えば冷静、悪く言えば覇気のないその語気に引きずられないよう、ありがとうございました、と出来るだけ声を大きくして言った。
 六月一日。今日は土曜日なのでリハビリは無い。昨日のリハビリのイメージをしながら、それでも心は別の事に囚われ始めていた。
 かつて、怪我をする前にいつも感じていた憂鬱を覚えはじめている事に気が付いたのである。その感覚は、怪我をして、命に関わる手術を経て、体調が落ち着いた今日までは思い出すこともなかったものだった。ちょうど、憑代を無くした幽鬼となって彷徨っていた私の憂鬱がタイミングを伺っていて、今ある程度回復したこの体に戻ってきたようだ。
 妻の死後、私はやたらに仕事をしていた気がする。どう現実を受け止め、どう思って生きていけば良いか、という事に真剣に向き合うことを止めていたのだ。それに向き合えばきっと良からぬ事がある、その予感だけはしていたのだった。その感覚が、私の隠している心のある部分を掻き毟り、こじ開ける。
 冷たいアスファルトの感覚。雪の結晶。冷たく降りしきる、それらが綺麗だったことを覚えている。そうだ。事故じゃなかった。「どうした!落ちたのか?」と声を掛けてくれたおじさん。落ちてから五分は放っておかれたと思う。流石は東京、と言うべきか。車が私を避けて走っていくのを見た記憶だってある。
落下したのは事故じゃない。わざとだった。少なくともその時の私にはそう思えた。誰かに伝えたい。だが、一番伝えたい人はもう居ない。彼女ならどう言っただろうか。
 私は母に電話をした。母は、何言ってるの、そんなのどっちかなんて誰にも分からないし、どっちでもいいことだよ、と取り合ってくれない。医療費の問題もある。わざとだと認定されれば医療費の負担は百パーセントになる。そう考えると、母の反応は仕方がないことかも知れない。それでも、自分が自分の意志でこの怪我を負ったかもしれないことを誰かに伝えたかった。
 六月三日。今日もリハビリは平行棒だ。思うように動かない足を、それでも一歩一歩、床を踏みしめながら歩いている。

芋虫の戯言

芋虫の戯言

回復期の怪我人、自我と現実の葛藤を描いてみました。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-18

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