人類革命

20xx年、日本は今ままでの歴史とは違う傾向にあった。

まず、説明しておきたいのが人類には男と女、大きく分けるとこの2種類となる。こういう言い方をすると、私はどうなるのよと元男性で現女性というような方々に非難されるかもしれないが、自分が女と思えばそこは女と捉えること。そういうことにすればみんな幸せなんじゃないかなと私は思う。
その男と女という生物的な大前提があり、この二種は生物的に愛するようになる。これは本能的なもので、われわれ日本人も気がつけば男と女で愛を育むようになっていったのだ。そんな深いところを掘り下げるのはもうやめにして、やはり私たちはいつの世もモテたいという気持ちがある。
しかし、モテるのはいつだってイケてるやつだった!ここで言うイケてるやつっていうのは俗に言うイケメンに限っているわけではなく、女性に対していつも気遣いができ、時には面白く笑わせて、時にはクールにエスコートしてあげるような人のことを言う。これで顔がテレビなんかで活躍してて若い女の子にキャーキャーいわれているような芸能人のような顔立ちをしていたらもう、モテないわけがないと私も言い切るだろう。
だけど私が言いたいのはこいつらがいかにしてモテてきたかのようなことじゃない。モテるやつがいれば、モテないやつもいるということを声を大にして言いたいわけだ。いつも表でスポットライトを当てられ、黄色い声援を受けているアイドル達がいれば、そのスポットライトを誰からも注目を浴びずに暗がりから汗をたらし、必死で頑張っている黒子たちがいるということ。甲子園に出て輝いている9人達を普段の練習で試合にも出れないのに、三年間付き合い、体調をいつも気遣っていた補欠の選手達がいるということ。それは見えないところで頑張っている人がいることで、注目される人はより目立つことができるようになっているのだということを表している。そう、つまりモテない奴がいるからこそ、モテる奴がよりモテるようになっているというこの仕組み。世の中がいつの間にか作ってしまっていたこの仕組みに私は納得していなかったのだ。モテないのには理由があるとよく言われる。無愛想である。女性の気持ちをまったく理解していない。面白いことを一つも言わない糞まじめである。ださい。不細工。くさい。汚い。
確かにモテないのも明らかだ。そいつらには努力が足りてないのかもしれない。しかし、モテないレッテルを貼られた奴がモテる奴に昇格するのは相当
難しいことで、それをモテるやつは小馬鹿にしていたのだろう。私達のようなモテないやつがいるおかげで比較対象ができてお前達はモテているという
のに、感謝の気持ちを奴らが持つ事はないのだろう。まあ、感謝されるのもされるでこちら側としてはとても気分がいいものではないのだが。
もうお気づきの方もいると思われるが、さっきからさりげに私は自分のことをモテない奴のカテゴリーに自分を入れて話を進めてしまっていた。
確かに私はモテなかった。多くのイケメン達を恨み、多くのカップル達を呪い、クリスマスなどのイベントごとは死ぬほど嫌いだった。しかし、重要なのはモテなかった、という点にある。そう、私はモテなかった。今までは。これは私が急に女性からモテ始めたから自慢し始めたということではなく、私はこれだけの努力をしてモテるようになったんだ、世の中のモテない奴らは私のまねをすればいいじゃないか!という上から目線の物言いでもない。

時代は変わったのだ。

私もなぜだかは分からない。そして、もう気づいてる奴もいると思う。というより、今までモテなかった奴ら全員は今頃家で女性の
肩に腕を回して安い恋愛映画でも見ていることだろう。そう、今までモテていたやつは一向にモテなくなり、逆にモテなかったやつが急にモテるようにな
ったのだ。これは私自身の体験談でもあり、街に繰り出せばすぐに分かることである。あの、今までイケメンたちの陰に隠れて下を向き早歩きで街の隅を去っていた小太りで、ださい洋服を身に纏ったメガネの男子がとびきりかわいい子を連れて歩いているという現象が、今までだったらネタにされてもおかしくないようなそんな光景が、今や当たり前となっているのである。それどころか、今までモテていた奴らはその小太りの男性と美人のちぐはぐカップル共から逃げるようにしてその場を去り、「くそっ、なんであんな奴が・・・・」と小さく呟くようになったのである。なんと愉快な光景だろうか。こんな光景を見られる日が来るだなんて誰が想像したのだろうか。もちろん私達にも壁はあった。今までモテていなかった分、急に自分がモテ始めてしまうととてつもない不安感が押し寄せてくるのである。「これは、ドッキリじゃないのだろうか。」とか「この女絶対に裏がある。さては金目当てだな。」など。どうにも私達というのはそういう捻くれた思考が幼いころから染み付いていて、なかなか素直に自分のモテを享受できなかったのだ。しかし、時代の流れというものは凄まじいものであり、そのような感覚を持ち合わせていては相手にも失礼であるし、今自分はモテていてあのイケメン達が悔しそうに我々を見ている姿を見て、なんだか今まで味わったことのない優越感に浸れるので受け入れようじゃないかこのモテを、となっていったのだ。どんなにダサくても、不細工でも、臭くても、太くても、不器用で無愛想で性格が捻くれていても、絶えずモテ続けてしまうのだ。こうなってくると我々も上にでるしかなくなり、横柄な態度を取るようになってしまう。しかし、今までモテなかったわけだからなにをしても許される、くらいの態度であった。実際にそれでもモテた。
モテる為には努力をしなければいけない。などと昔はよく言われたものだが、今はそうではない。モテる為にはモテないようにしないといけないのだ。
このような時代が来て私はとても嬉しく思っている反面これでいいのか?と常々疑問には思っている。しかし関係ない。私はモテているのだから。
そういう難しくて陰気なことはモテないやつが考えてればいいことではないかと思っている。それでは、今から新宿でデートなので、ここらへんで私のスピーチを終えたいと思う。どうもありがとう。


これは、あるモテない学者がある大学の講義においてのスピーチである。このスピーチはあらゆるメディアにも取り上げられ話題騒然となった。
その後この学者はある精神病院に入院することになったと言われている。
もちろん、このスピーチは全てこの学者の作り話であり、事実などではない。これを冗談などではなく本気でスピーチしていたのだから相当頭に以上があったのだろう。
こんな上手い話があるわけでなく、いつの世もモテル奴はモテ、モテナイ奴はモテナイ。ましてや、何の努力もせずにモテようだなんて考えの人はもってのほかだ。

人類革命

人類革命

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-17

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