地図と洋燈

 気がついたとき目の前は真っ暗で、手の中には一枚のお札。
 狼狽する僕に二人の老人が話し掛けてくる。一人は地図を、もう一人は洋燈を売ろうとして。聞けばどちらも千円で、値は下げられないという。
「でも地図を買ってもこの暗闇の中じゃ読めないし、洋燈を買っても行き先がわからない」僕が言うと、「人生はそういうものだ」と老人は声を揃えて言う。
 僕は迷った。迷って地図を買うことにした。この暗闇にもいつか光は差すだろうし、その時に地図さえあれば目的地に辿り着けると思ったからだ。お札を差し出し、代わりに受け取った地図はごわごわした、ぶ厚い紙の感触がした。
 洋燈を持った老人が去り際に言った。「迷ってくだした選択はきっと後悔するよ」と。そして地図を売った老人が言った。「ところであんたの目的地はどこだい?」二人の老人は去っていった。
 取り残された僕は暗闇の中で光を待った。しかしどれだけ待っても光は差さない。たった一人で闇の中に座り込んでいる。僕は思わず泣き出しそうになりながら、自分の人生を思い返しはじめた。自分の人生で、どれほどのものを待ち続けてきたかを思い返しはじめた。そうだ、待っていたものは何ひとつ訪れなかった。僕は僕の人生のなかで、何ひとつとして手に入れることができなかった。
 僕は人生を後悔した。そしてただ光を待つだけの、無為に過ぎ去ってゆくこの時間にもうんざりした。待つことを選んだのは僕だ。最後の最後までなんと愚かだったんだろう。地図なんかなくとも洋燈を買っていればよかった。そうすれば、どこへ向かってでもいいから歩き出せたのに。僕は洋燈売りの老人が言ったとおりに後悔した。後悔したからと言って、何が取り返せるわけでも何が手に入るわけでもなかった。
 僕は腰を上げた。ごわごわの地図を手に、当てもなく暗闇を歩き出した。何も見えなかった。何も確信はなかった。それでも自分の意思で腰を上げただけで、なぜか僕の心は浮き足だった。一歩足を踏み出しただけで驚くほど気分が高揚した。鼻歌でもうたいながら進んでゆきたい気分だった。
 そんな時ふと思ったのだが、この暗闇に入り込んだとき僕が手にしていたお札は本当に千円札だったのだろうか。あれは実は二千円札で、そのことに気付いていれば地図も洋燈も両方手に入ったのではないか。
 ああ、しかしそんなことは今となってはどうでもよかった。後悔は微塵もなくなってしまった。暗闇の中を、行き着く目的地もなしに進んでゆくことが楽しかった。闇雲に歩き続けるというのもそう悪いことではなかった。
 どこからか追い風が吹いてきて、僕の背中をやさしく押した。

地図と洋燈

友人の就活課題の手助けに書きました(やっつけ仕事)。「地図」をテーマにということで。1073文字。2013年2月19日筆。

地図と洋燈

気がついたとき目の前は真っ暗で、手の中には一枚のお札。狼狽する僕に二人の老人が話し掛けてくる。一人は地図を、もう一人は洋燈を売ろうとして。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-16

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