太平洋
青年は海を見たことがなかった。
太平洋
青年は海を見たことがなかった。
正確にいえば、見たことはある。だがそれはテレビで流れる映像や写真などであって、地平線の彼方まで無限に広がり、黒く青くゆらゆらと太陽を反射し、波打っている海ではない。四角い、数十センチに納められた小さな水たまりである。
洋治は高校二年の冬、無性に海が見たくてたまらなくなった。「思い立ったが吉日」という言葉がある。明日、海へ行こうと決めた。
学校から帰ると、二階の自分の部屋へと駆け上がった。下で母が何か言ったような気もするが、さほど重要なことではあるまい。
リュックサックを乱暴にベッドの上へ投げると、引出しから茶色い長財布を取り出す。いつも所持している財布ではない。お金をためていた財布である。五千円以上はあった。これだけあれば、電車で行って帰ってこられる。
五千円を取り出し、引出しを閉じた。
海へ行くにはどの電車に乗ればいいのか詳しくはわからない。けれども調べなくても良い気がした。なんだかどうにか行けそうな気がするのだ。
翌日、朝八時に目をさまし、支度を始めた。
持ち物は特にない。こういう時、普通はカメラを持っていくのかもしれないが、今回ばかりはその必要はない。写真を撮っても、それはいままで見てきた海と同じであるからだ。
クローゼットを開ける。最近あまり服を買っていなかったせいで、夏物の薄い生地の服ばかりしかない。しょうがなく何枚かを重ねて着てみたものの着心地は悪い。
支度を済ませ玄関を出た。なぜだか、今から長い旅にでも出るような心地がして、洋治は家に向かって軽いお辞儀をした。すると同時に恥ずかしくなって、周りをきょろきょろと見渡すと、足早に駅へ向かった。
太平洋