「かいごさぶらい」<上>ただひたすら母にさぶらう
プロフィール
「にいちゃん、わてどうなったん?あんた?にいちゃんやろ??なんとかいいんかいなっー!」。この時の母の表情は、途方に暮れて、いまにも泣き出しそうだ。私は今でも、その時の母の何とも言えない表情が忘れられない。
私は母の両肩を抱きとめ、
「心配せんでもえ?、心配せんでもえ?、兄ちゃんが付いてるからな?」と、返事するのが精一杯のことだった。(私は、これが”徘徊”という認知症の、症状のひとつであることを、この時、知らなかった)。
阪神淡路大震災で我が家は被災した。家は半壊(後に全壊と認められた)。母と私は、震災で全壊した、我が家の直ぐ近くに出来上がったマンションへ、転居することになった。
当時、母は80うん歳。私は50歳目前。母と私の二人暮らし。大震災のショック(私の推測だが)で、母に異変が起こった。
母は痴呆症(当時はそう呼ばれていた、現在は認知症)になってしまったのだ。
マンションに移り住んだ直後から、母の症状は一気に進んだ。母は夜な夜な徘徊するようになり、突然怒りだしたり、泣いたり。そんな母を私は呆然と見ているだけであった。
認知症の症状は、私が思った以上に早かった。毎日進んで行くのだ。
私は、そんな母を見て直感的に母の言動や行動をメモることで、何とか対処しようとした。
そして、その結果、私は、母が、
何を言っても「逆らわない」ことに、
何をやっても「怒らない」ことに、
何があっても「大声を出さない(怒鳴らない)」
ことに、したのだ。母の全てを、そのまま受け止める。「認知症」は「不安」の「病」だと、直感した私は、母と「どんどん会話」することで、少しでも母の「不安からくる気うつ」症状が、緩和出来るのではないかと、思ったのだ。「会話」することで、母が「笑顔」を見せてくれれば、それで良い。母が「笑って」くれれば、それで良い。場当たり的、その場しのぎ、手探りの介護を始めた。
このブログは、そう思った私(かいごさぶらい)と母との「介護会話日記」である。(注)
(注)このブログの一部は既に、平成17年12月に「かいごさぶらい」のタイトルで書籍にした。(ブログをそのままダウンロードし、編集、校正を一切していない製本だけした、誤字脱字だらけの本である)。
本書は、それをリライトし、校正、加筆.訂正を行い、ほぼ1年分のブログ日記を掲載収録したものである。
第一章 場当たり的、その場しのぎ、手探りの介護
「おか?あさん、さむいねん!」
2005/2/23(水) 午後 0:19
某月某日、母は9時頃床についた。毎日平均して、5?6回は夜中に徘徊する。おトイレへ3回くらい。無意識の行動か?、で2?3回くらい、私を起こしに来る。この日は、底冷えがして、大変寒かった。何時ものように、おトイレへ2回ほど私を起こしに来た。12時を少し回った頃と、明け方の3時頃である。
「おかあさん、おかあさん」と声を出しながら、母が私の寝床へ四つん這い(母は2度腰を圧迫骨折していますので自力で立って歩くことが出来ません)でやってきて、そのまま私の寝床へ入ってきた。
「どうしたん?」
「にいちゃん、さむいねん」
「ほんだら、ここで寝るか?」
「おか?さん、さむいねん、ねかして?」
「よっしゃ、ここに入り」かくして、母と私は、一緒に同じ寝床で6時過ぎまで、すやすやと、寝入ったわけである。母90うん歳、私し50うん歳である。母の寝顔は観音様だ。
「だれがこんなことしたっ!」
2005/2/25(金) 午前 11:20
某月某日 午後11時半頃。母が四つん這いで(母は腰の圧迫骨折を二回しており自力歩行が出来ない)わたしの寝床へやってきた。
「にい?ちゃん、にいちゃん!」
「お便所か?」
「はよはよー」
「はいはい、行こか?」母の両手を取り、立ち上がらせる。おトイレまでは3メートルくらいだ。
「はよしんかいな!、もう」
「もうちょっとやで、我慢しぃ?や」
「なにしてんのー!」母にすれば、私がもたついているように見えるのだ。
「腰痛いやろ、慌てんでええから、大丈夫やでぇ!」ようやくトイレにたどりつき、母を便座に座らせた。母が用を足している間に、私は、キッチンへ急ぎ、給湯器のスイッチを入れに行った。
「にいちゃん、にいちゃん、なにしてんのー!」トイレから母の声。声のトーンが何時もと違うので、あわてて、トイレへ。便座の前にウンチが!。
「お袋ちゃん!ちょっと待って!そのまま、動いたらあかんで?!」
「なんでやのん!」怪訝そうに私を見上げる。
「ああ!触ったらあかんで?」
「ほらここ汚れてるやろ?拭かなあかんから?」
「ああ、触ったらあかん!」
「はよしいな、もうーっ!!」
「分かった、わかった、早よするから、ちょっとそのまま動いたらあかんで?!」私は急いで、雑巾や便座拭きで、母の両足に汚物が付かない様に、必死で拭いた。
「にいちゃん、さむいっー!はよしてーな!」
「もう直ぐやで?」
「あんたっ!わたしが、さむいのん、わかってんのんかっー!」怒鳴る母。ついにキレました。
「さむいやんかー、アホー!はよしいなっー!」と、私の頭をこづきながら、本気で怒っているのだ。
「そんなんこと言うたって、なぁ見てみ、ここ汚れてるやろ、綺麗にしとかなあかんやんか?」トーンダワンする私の声。
「だれがこんなことしたっー!」
「うん!」と、私は絶句し、母の顔を見上げた。
「なにをみてんのんっ!」(あほかーっ!、と言わんばかりに)そんな私を母が一喝した。(僕や御免なー!)と、私は心の中で呟やきました。この家には、母と私の二人きりなのだが。
「うん、わたしら、きょうだいやねん!」
2005/2/27(日) 午後 0:43
某月某日 デイケアで月曜日から土曜日迄、お世話になつている老人介護施設にて。わが母は現在、要介護度5である。来年度の介護認定の「取調べ」と母は言っておりますが、要するに、来年度の介護度のランクを決めるための、調査作業である。区の社会福祉の調査員(女性職員)と、本日主役の母(ご本人はもちろんお気づきではありません)と私の三人が、会議室に案内され、くだんの調査員の取調べが始まった。
「こんにちは、今日はよろしくお願いします。私は00と申します」と調査の職員さんが挨拶する。
「はい、こんにちは」と、母もペコリとお辞儀する。
「にいちゃん、どこのひとや??」と、母が私を見る。
「うん、区役所の人や、お袋ちゃんに、聞きたいことがあるねんて」
「ふ?ん、はよしてちょだいね!」この表情は警戒している顔である。
「お名前は、なんと仰るんですか?」
「00ですけど」と、素っ気ない母。
「00さん、お年はおいくつですか?」
「う?ん、60ぐらいかな??なっ、にいちゃん?」と、私には笑顔で答える。
「はい、分かりました」事前に母の事は調査済みだ。あっさりしたものである。
「00さん、ここは何処か分かりますか?」
「がっこうやーっ!」母は、日頃からデイケアに来ることを「学校に行く、と言っております」。
「はい、分かりました」
「00さん、お隣の方はどなたですか?」
「うん、にいちゃんやっ!」と、母は、ニコニコ顔で答える。
「00さんのお兄さんですか?」母に念を押す。
「うん、わたしら、きょうだいやねん」と、得意げな顔をする母。私は、50うん歳ですから、母が60歳くらいであれば、確かに兄弟姉妹と申しても、何ら不思議ではない。
うん、確かに、母の言っていることは、辻褄が合っている。私と母は兄弟だ。こうした、やりとりが延々小一時間ほど続き、今年も「取調べ」が無事終わった。
《2005年3月》
「お供え」
2005/3/1(火) 午後 1:06
某月某日 夕食後の私と母の会話だ。母はいつものように、ティシュの箱にせっせと手を伸ばし「お仕事」をしている。そのお顔は真剣そのものである。声をかけるのも、はばかれる程の迫力だ。(ティシュを一枚一枚丁寧に折り畳んで重ねていくのだ)。
「お袋ちゃん、そんなにようけ出してどうすんのん?」ティシュ箱が空になるのを恐れる私。そんな、母に声をかける私の何時もの質問である。
「せな、あかんねん、だれもできひんやろう?」と、当然と言わんばかり。
「うん、そ?やけど、多すぎるのんちゃうか?」さりげなく言い、止めさせなければならないのだ。
「なにゆ?うてんの、まだ、すくないで、よ?うけいたはるから」私の思惑を見透かすように。母はティシュを一枚一枚丁寧に折り重ね、どんどん積み上げていくのだ。
「何処にいたはるん?」話題を変えてみる私。
「あっちこっち、おくらなあかんやんかー!、あんた、そんなこともしらんのん!」
「いや?、分かってるけどな、何時、送るん?」逆らわずに、慎重に言葉を選ばなければならないのだ。
「きょう、おくらなあかんやんかっ!」(そんなこともわからんのかー)と、言いたげな母。
「できたら、すぐに、にいちゃんおくってや?」と、悠然と言う。
「もう、晩やで、今日は送られへんで、遅いからな?」迫力のない私の声。
「なにゆーうてんの!、おくらなあかんやんか、まってはるのに、そやろー!それもわからんの、あんたわっ!」やっぱりだ。
母はこうした、会話中も手を休めることはしない。ティシュペーパーの1箱が全て無くなる時もある。箱の中身が半分くらいになった折を見計らい、声をかけるのが、被害を最小限に食い止めるタイミングである。
「明日な?学校(デイケアでお世話になっている介護施設のことを母は学校と呼んでいる)やから、半分残しときや、学校に持っていかなあかんから、なっ!」兎に角、矛先を変えねばならない。
「あした?、がっこうか?っ?」
「そうやで?、明日、学校行く日やで、疲れたらあかんから、もう仕事やめとき?や」
「もうちょっとなっ」母が少しその気になった。よーし、もう一押しだ。
「ほんだら、もうこれだけにしとき?」丁度ティシュ箱の半分くらいの作業が終わった頃、私は手を伸ばし箱をそ?っと、母の手の届かないところへ、移動させた。ここで諦めてくれると、この日の母のお仕事と、日課が全て終わる。折り畳んで、積みあがったティシュを指差し。
「これ、どうするん?」と、母に尋ねる。
「おそなえするねんやんかー!」はい、そうである。これは、亡き親父の仏壇へお供えする、母手作りの「お饅頭」なのである。断じて、ティシュの固まりでは、ないのだ。
「わかれへん! 」
2005/3/7(月) 午後 8:50
某月某日 真夜中、この日、母は3回ほどおトイレへ。
「おねさ?ん、おね?さん」母の声。四つん這いで母が私の寝床へやって来た。時間を見ると午前3時過ぎだ。私の顔を見るなり母が。
「はよー、にいちゃん、べんじょ、べんじょー」
「分かった、わかった、お袋ちゃん」母の両手を取り、ゆっくり立ち上がらせる。二度腰を圧迫骨折している母を立ち上がらせるには、少しばかりコツがいる。両手を私の肩につかまらせ、私は両手で母の腰を支え持ち、母の腰に負担が掛からないように持ち上げるのである。母は切迫している。(抱き合うような格好になる)。
「なにしてんのー、にいちゃん、はよう、してーなー」
「お袋ちゃん、慌てんでもええから、大丈夫やで?!」ほぼ毎日経験していることだから、それを踏まえて対処すれば良い。私の頭の経験回路がそう言っている。先日来より、母のトイレでの粗相が増えていることも織り込み済みだ。おしっこと、うんち、では便座に座らせるときの位置が微妙に異なるからである。
「はい、行くよ、ええか?、間に合うよ、心配せんでもえ?からなあ」
「もう、でそうやねん!」
「もうすぐやから、おしっこか、うんちか」私の経験則が、思わずそう言わしめた。すると、母が怒鳴った。
「わかれへんっ!」
「うんーっ!?」私は思わず、ツバを飲み込んだ。母の言う通りだ。何が出てくるかは、分からないのだ。私は、また一つ経験を積んだ。母は、かくして、私を教育してくれるのである。まだまだ、勉強が足りない。
「このひと、おかしいんとちがうか?なーっ、にいちゃん!」
2005/3/9(水) 午後 0:55
某月某日 今日は、月に一度の母の診察日である。自宅から徒歩で3分(母にすれば、2回は休まなければならない距離)の20年近く通っている診療所へ行く日。
「にいちゃん、ここどこ?なにすんの?、これから?」と何時も聞く母。
「悪いとこないか、診てもらいに来たんやでぇ」
「00さ?ん、こんにちは、お兄ちゃんと一緒、ええね?」と顔見知りの看護師さんの、何時もの明るい声。
「うん、にいちゃんといっしょにきてん!」母も笑顔で答える。待つことおよそ30分。
「もうかえろ?」と、何度も言う母をなだめすかして、順番待ち。
「母と私のデコチンとデコチンを合わせて、ベーっ、ベーっ」それに飽きると。母の足の裏のマッサージ。いつしか、母は大欠伸。やがて、、、。
「00さ?ん、6番の診察室へどうぞ」のご案内。
「ねむたいやんかー、どこいくのん?にいちゃん!」
「先生に、お袋ちゃんの身体、診てもらうんやでぇ、早よ行こか?」
「わたし、わるいとこないで?、はよかえろ?な」病院は、私とて、早く帰りたいのだ。
「うん、すぐ済むから、ちょと診てもろてから帰ろ?なっ」
「ほんまに、すぐ、おわんの?」診察室へ、母を。
「はい、00さん。ゆっくりでよろしいよ。腰掛けて下さい」実は、今日は特別の診察日。先生は認知症(痴呆症)の専門医である。
「00さん、これから、この机の上に置いてあるものを、ちょっと覚えてくれるかな?」と、先生は机の上に置かれた四つのもの指差し、母をうながす。
「はい、このハサミをおぼえたらいいんですか?」と母。
「はははっ?、おもしろいこといいはるわ?このひと。なぁ、にいちゃん!」何の屈託もない。
「これ、ハサミやんか、な?にいちゃん?」
「うん、そうやな?」すると、先生は机の抽出しを引き、いままで置いてあった机上の四つの物を抽出しの中へしまいこんだ。
「00さん、いま、何と何があったか分かりますか?。分かったら、ちょっと教えてくれますか?」机上には当然のことながら何もない。
「なにもないやんな?、にいちゃん?」
「いま、あったでしょう、何があったか、思い出せませんか?」と、母の顔をみながら先生が。
「このひと、おかしいんとちがうんか??なーっ、にいちゃん?」(あほらし?、と言わんばかりの母の表情)。机上には、何もないのだから、母の言うことは正しいのだ。
「はい、結構です」と、先生も一言。待ち時間約40分。診察約3分。まぁ?何時もこんなものである。これで、半日が終わるのである。
「母、家に帰る」
2005/3/11(金) 午後 1:13
某月某日 時計が午後10時を回った。そろそろ、座椅子でうたた寝をしている母を、おトイレへ連れて行き、洗顔し、歯磨きをさせて、寝床へいざなう時間だ。
「お袋ちゃん、お袋ちゃん、もう、寝よか?」
「うん、ここでとまるのん、イエかえりたいっ!」と、母。マンション生活は、母には馴染めないのだ。
「もう、イエかえろう?にいちゃん」
「ここが、お袋ちゃんの家やで」ゆっくり、納得させなければならない。
「ここどこやのんっ!」
「そやからな?、此処が、お袋ちゃんの家やんか?」と、やんわり。
「いやや、こんなとこ、しらん、わたしな?、さびしいねん、はよかえろうな?」
「忘れてしもうたんか、分かった、ほな、家帰ろうか?」これ以上、母を不安にしてはならないと判断。母の表情がそう言っているからだ。私は、母を座椅子から抱き起こし。
「外は寒いからこの服着よな」母にオーバーを着せ、玄関へ、ドアを開け、母の両手を手押し車に捕まらせ、リハビリシューズを履かせる。マンションの廊下に出る。エレベーターに乗せ1階のボタンを押し、階下へ降りる。1階のエントランスをぐるりと一回りして、再びエレベーターの前に戻る。
「さあ?、お袋ちゃん、これに乗って、家帰ろう?か!」
「これにのったら、イエにかえれるのん?」母の表情が明るくなる。
「うん、そうやで、早よ帰って、早よ寝よな、明日、学校やからな」
「あした、がっこうか?」
「そうやで、お袋ちゃん、学校好きやろ」
「がっこうで、なにすんの?」
「明日はなっ、カラオケ大会やで、お袋ちゃん、歌好きやろう」
「うん、ウタ、すきや!」
「さあ?着きましたよ、早よ家に入って、寝ましょうかっ!」
「どんな、ウタ、うたうのん?」
「そ?ら、ちゃんと先生がな、お袋ちゃんの唄いたい歌を、唄わしてくれんねんでぇ」
「それやったら、ウタうわ?」母が、ニッコリ笑って、嬉しそうに私の顔を見上げた。
「母のデコチンに私のデコチンを合わせて、ベーベー!」
「なにすんの?、このコは?」と母。その顔は笑ってる。
PS:10年前の阪神淡路大震災で我が家は半壊しました。それでいまは、このマンションに引越してきたわけです。以来、母は痴呆症(当時はそう呼んでいました、今は認知症)となりました。私は母を通して、同じような状況になられた沢山のご家族を見て来ました。最悪な事例は心中でした。いまでも、多くのご家族の方々が介護を巡って、悲惨な状況に追い込まれています。どんな状態になっても母は母であります。
「だれが、ふくん!」
2005/3/14(月) 午後 0:39
某月某日 今日も恙なく。
「お袋ちゃん、そろそろ寝ましょうか?もう、10時になったよ!」と、私は掛け時計を指さした。
「う?ん、もう、そんなじかんか?」母をトイレへ連れて行き、寝る前の家族二人きりの儀式が始まった。
「ここで、するんっ?」洋式のトイレを指さし。
「そうやでぇ」
「シィー、チョロチョロ、にいちゃん、でたわ、ふふふ?ん」と母がニッコリする。いい笑顔である。
「良かったな、ちゃんと出たな?」私が、トイレットペーパーを、グルグル巻くのを、母は悠然と眺めている。
「そんなよ?けいらんで」と、母は何時も言う。
「このくらい、無かったら、拭かれへんよ」
「どこ、ふくん」
「お袋ちゃん、のお尻やんか?」
「だれが、ふくん!」私もこのくらい、泰然としたいものだ。はい、もちろん私である。この家には、母と私の二人きりだ。
「わー、うれしいー!」
2005/3/16(水) 午後 1:17
某月某日 寒の戻りで、この数日は、粉雪が舞うほどの寒波。母は連日。「にいちゃん、さぶいねん、もっとかぶせて」と言う。毛布を二枚重ね、さらに羽毛布団、敷き布団も毛布に取り替えた。それでも、母は、夜中に幾度も目を覚まし。
「にいちゃん、さぶいぃー、さぶいやんか、かぶせてぇ?」と四つん這いで、私の寝床へやって来る。連日のこの母の波状攻撃には、さすがの私もダウン寸前である。
「お袋ちゃん、これだけ、かぶっとったら大丈夫やから、ゆっくり寝?や」と、連日母に言い聞かせる。
「カゼがな?くるねん、とぉ、しめてへんのんちがうかな?」
「戸はちゃんと閉めてあるよ、カーテンもほら締まってるやろ?」
「そうかな?」と母。
「そうやでぇ」と私。これ、真夜中の何度目かの会話である。私の起床時間の、午前6時半頃まで繰り返し続く。そして、夜明け。
「お袋ちゃん、お早うさん!」
「にいちゃんおはよう?」
「もうちょっと寝るか??8時になったら起こしたるからな?」
「うん、ねむたいねん、もうちょっとねるわ?」飛鳥大仏のような、母の寝顔である。お湯を沸かし、お茶の用意、身支度を整え、5分で朝食を済ませ、母のデイケアへ出かける準備をする。今日は、入浴のある日だから、大きい方のカバンに、バスタオル、タオル、肌着上下、履くオムツ、お便り帳、腰痛ベルト等の一式。そして、これを忘れると母が本気で怒る、ティシュペーパー1箱。以前これを入れるのを忘れて母に、「わたしをバカにしてんのんかっー!」と叱られたことがありました。朝食の用意が出来たので、母を起こす。
「さあ?、ご飯食べて学校(介護施設を母は学校と呼んでおります)行こなっ!」
「うん、きょうは、がっこうでなにすんのん?」
「お袋ちゃんの好きなカラオケ大会やで?」
「どんなウタ、うたうの??」
「お袋ちゃん、の好きな歌やったら何でも、唄わしてくれるよ!」
「わ?、うれしいぃ?」と、母は満面の笑顔で。
「にいちゃんもいこう!」と言ってくれる。このところ、毎朝の、母と私の会話である。
「にいちゃんばっかりつこ?てごめんね!」
2005/3/21(月) 午後 0:30
某月某日 この日は母と一日中、二人きりの親子水入らず。朝、私は何時もの時間、6時半に起床する。隣の和室で寝ている母が、気配に気付き。
「にいちゃん、もうおきたん?」
「うん、起きたよ」
「なんじですか?」と、母。
「まだ6時半やから、お茶の用意できるまで、寝といてえ?よ」
「そうですか、ありがとうございます、もうちょっと、ねかしてもらいます」と母。
やがて。
「にいちゃん、にいちゃん、もうおきても、よろしいか??」
「ええよ?、起きといでぇ」
「ありがとう、ありがとうね?」と言う母を、おトイレへ連れて行く。漬け洗いしてあった入れ歯を、お湯ですすぎ、母を洗面所へ。
「わーっ、ぬくいは、きもちええは、にいちゃんありがとう!」朝食を勧めると。
「にいちゃんがよ?いしてくれたん、ありがとうございます」と、ペコリとお辞儀する母。朝食が終わって、私が、食器を片付ける間中。
「にいちゃん、わたしがするからええよ?」と、母が何度も言う。私が、キッチンで後片付けをしていると。頭を何度も下げながら。
「にいちゃんばっかり、つこう?て、ごめんね!」と、繰り返し母が言う。母は認知症では無い。母は心の底から、男の私が、台所仕事をすることに、感謝してくれているのだ。
「にいちゃん、スキきや!」
2005/3/24(木) 午後 0:33
某月某日 深夜の午前1時頃。
「にいちゃん、にいちゃん」と母が、四つん這いで、私の寝床へやって来た。
「どうしたん?」
「あのな?、わたしを、おいかけてくるひとがおんねん!こわいねん!」
「そうか?、悪いやつか?」
「そうや、にいちゃんどうしょう、こわいねん!」
「心配せんでもええよ、僕がついてるからなっ!」
「ふたりもきてるねんでっ!どうしょう?」
「ほな、ここに入りぃ」母を私の寝床へ入れ。
「な?んにも心配せんでええからなっ!」母が私の寝床へ、こうしてやって来るのは、日常茶飯である。最近は、誰だか不明だが、母をストーカーする奴が、いるらしいのだ。ほんの2、3分横になった母が。
「にいちゃん、おしっこしたい」
「うん、おしっこか、分かった、行こ?か」
「にいちゃんは、な?んでもよ?しってるな?」と、母。
「そらそ?や、お袋ちゃんのことやったら、何でも分かるでぇ」
「にいちゃん、かしこいな?」と、母。なんの屈託も無い。2?3回こうした徘徊を繰り返すのが常である。で明け方近く。
「おか?さ?ん、おか?さ?ん」と言う、母の声。私も少々、夢心地で聞いていたので、俄かには目が覚めなかった。起きてこない私に、母は突然、私の顔や頭を叩き始めた。思わず、目覚めた私に。
「にいちゃん、スキや!」と母が、ニッコリする。今日も元気だ。文字通り叩き起こされた私だが、痛さを感じたことはない。
「いったても、ええよ?!」
2005/3/28(月) 午後 0:44
某月某日 先日、区役所の介護保険係りから、母の平成00年度介護認定の結果による、新しい保険証が届いた。結果は昨年と同様「要介護度5」であった。
「にいちゃん、それ、なんや?!」母は、私の一挙手一投足を見ている。母と私は一心同体なのか?。
「うん、これか?お袋ちゃんの通信簿やで?」
「なんてかいてあんのん?」
「お袋ちゃん、毎日な?休まんと学校行ってるやろ?」
「その、成績が書いてあんねんで?、良かったな、お袋ちゃん、去年、一日も休まんと学校行ったからな、先生やヘルパーさんが、誉めてくれてな?、今年も学校に来てもええよっ、て書いてあるんやで?」
「ふ?ん、そんなことかいたあんの、ほんだら、ことしもがっこういかなあかんのか?」
「そらそ?やろ、せっかく、来て下さい、て言うたはんねんから」
「がっこうで、なにすんのん?」
「お袋ちゃんの、したいこと、したらええんやで?」
「なにもしたないっ!」
「毎日行ってるやんか?」
「う?ん、いったことない、しらん!」
「お袋ちゃん、この唄、知ってるやろっ」
「どんなウタや?」
「♪カーラース、なぜ泣くの、カラスは、や?ま?にぃ?」
「あーっ、それしってるぅ?」
「そうやろう、学校行ったら、お袋ちゃんの知ってる好きな歌、唄わしてくれるねんでぇ」
「そうかいな、それやったら、いったても、ええわ!」と、母は嬉しそうにニッコリ笑った。いい笑顔だ。その後母は「にいちゃんも、いっしょかー?」と何度も聞くのだ。「当たり前や、僕も一緒に行くで?」と私も何度も同じ返事をするのだ。
「オムツやてぇ!、わたしをバカにしてんのんかっ!」
2005/3/29(火) 午後 2:48
某月某日 今朝、母が、ちょっと、おトイレで粗相をした。
「あっーお袋ちゃん、ちょっと待って、汚れたからオムツ替えよ、なっ!」
「オムツゥ!」母が、キィッ、と私を睨んだ。
「そうや、ほら、ここ汚れたやろう?!」私は、失言に気づかず。
「だれがオムツなんかすんの!、わたしは、あかちゃん、ちゃうでー!!」母は本気で怒っておりました。ここでようやく、私は、母が私を睨んだ訳が。
「オムツやてぇー!、わたしをバカにしてんのんかっー!」
「ご免、ごめん、パンツや?」私は頭をさげて謝った。
「あたりまえやっ!、わたしはオムツなんかしてへんでっー!」(はい、お袋ちゃん、分かった、ご免)言葉一つ、難しいのだ。配慮に欠けた。
《2005年4月》
「あんたのみっ!」
2005/4/1(金) 午前 10:00
某月某日 10年以上前、母は心臓の疾患で何度か入院した。このため、朝と夜の二回、薬を飲まなければならない。最近は、どう言うわけか判然としないが、素直に薬を飲んでくれない。今日も今日とて、、、朝食がおわり。
「さあ?お袋ちゃん、薬飲もうか?」
「う?ん、クスリ?」と、まるで、気のないお返事だ。
「飲んどかんと、心臓や咳が治れへんで、風邪の予防もあるしな」と、私はゆっくり説得にかかる。
「カゼひーてないっ!」と母。
「そやけど、咳するやろ??」と私。母は喉に持病がある。このため、毎日、カラ咳をしているのだ。
「セキィ、とめんのんか??」
「そうやっ、昨日の晩も、お袋ちゃん、咳しとったやろ?」
「してへんわー!」
「したらあかんから、飲むねんでぇ」お湯をコップに淹れ、錠剤が五つ入った薬を母の目の前に出し。
「ほ?ら、0000さん、て書いてあるやろ?」と、母の名前が書かれた薬袋を見せる。
「病院の00先生が、お袋ちゃんの為に、ちゃ?んと、こうして、作ってくれてはんねんで?」五つの錠剤が入った薬袋を見た母は。
「こんなよ?けのむのん?」と、うんざりした表情。そして一言。
「こんな、よーけいらんっ!」と、キッパリ。
「これ飲んだらな?、風邪も治るし、咳もとまるんやで?」猫なで声で。
「な?、これなんか、小さいやろ?、よ?効くねんで」と私は必死で、錠剤をつまんで、母の口元へ持っていく。母は、口を閉じて、いやいや、をする。そして、キレるのだ。
「あんたのみぃーっ!」思わず「はい!」と返事をさせられるような迫力だが。私も、この侭で引き下がる訳にはいかないのだ。時間を掛けて、五つの錠剤を飲ませたころに、デイケアの送迎車が来る。私は、これで朝の一仕事を終えるのだ。
「あれ、だれ?、ここどこや??」
2005/4/4(月) 午後 1:23
某月某日 週に2回くらい、夕食後の母と私は、このような会話をしている。
母は、夕食のおかずを少し残したとき、必ず、ティシュを広げ、残ったおかずをその上に載せていくのだ。もくもくと小一時間ほどかけて、移し、それを綺麗に折り畳んで、幾重にもティシュでくるみ、必ず私に、こう言う。
「にいちゃん、できたけどな?、なんかむすぶヒモないかな?」
「うん、それ、どうするん?」と、私は何時も聞く。
「おくるねんやんか?、そんなこともしらんのかいな?」
「誰に、送るんや?」
「みんなに、おくらなあかんやんか?」
「そうかあ?」やっぱり、と私。私は、あえて「皆んな!」が誰なのかは、問わない。
「輪ゴムやったらあるから、それで括ったらどうやっ!」
「ワゴムでくくれるかな??」
「ほ?ら、こうして、二重にして括ったらええやんかあ?」と、一つつまんでやって見せる。
「ふ?ん、ちゃんと、おくってや?」母はそれを見て、納得する。この辺りから、話は少し横道にそれる。母がテレビの画面に反応するのだ。
「このひと、どこのひとや?」と、母がテレビの画面を指さす。
「東京の人ちゃうか?」
「ここどこや?」
「東京やろ?」
「わたしみて、わろてるわ?」
「そうや、えらい年いったお婆ちゃんが見てるな?!思う?て笑ろたはんねんで?」
「ほんまや、はっはははーっ!」何の屈託もなく笑う母。
「あれ、だれや?」テレビの画面は、母の言葉に追いつかずに、ドンドン変わっていく。
「コマーシャルやから、分かれへんわ」
「どこやのんここ?」母が、眠くなるまで、母がテレビの画面を見続けている限り、この会話は終わらないのだ。そんな日は(今日は機嫌良?寝てくれるやろ?)と私は思うのだ。
「だれが、おったんっ!」
2005/4/7(木) 午前 10:20
某月某日 ようやく春らしくなり、母の夜中の徘徊も少し鈍ってきたような気がする。この日はおトイレに2?3回。誰かが、追いかけてきたと言うことで、2回ほど。私は連日剣術の猛稽古で少々疲れていた。最後に起こされたのが、午前4時過ぎ。その直後に、母が四つん這いでゴソゴソと私の寝床へやって来る気配。私は爆睡状態で記憶がない。
6時半、目覚ましが鳴った。私は「パブロフの犬」状態であるから、瞬時に反応、目覚める。ふと、横をみると、いつの間にか、母が私の寝床へ入っており、スヤスヤと気持ちよさそうに、眠っている。その寝顔は本当に、安心しきった、安らかなものである。90うん歳と50うん歳の親子で「添い寝」だ。
起き上がった、私の気配に、母が気づき。
「おか?さん、もう、おきるのん?」と母。(私は、母の母になったようだ)。
「うん、ご飯や、お茶の用意せんとあかんからなあ」
「ありがとうございます」ペコリと頭を下げる母。
「お袋ちゃん、まだ、早いから、ゆっくり寝ときや?」
「はい、もうちょっとねさしてもらいます」
「にいちゃん、おしっこー」と母が。
「はいはい、行こかあ」私は急いで、両手を差し出す。
「にいちゃん、かしこいな?」が、母の口癖だ。
「そうでもないよ?」(本当にそうでもない)と私。
「べんじょ、どこですか?」
「直ぐ、そこやでぇ」母を手摺りに掴まらせ。
「コシがな?、イタいねん、なんでやろう」
「お袋ちゃんの腰な、折れてるからやでぇ」
「だれが、おったんやっー!」(何時ものことだが、これには返事の仕様がない)。母は過去に二回、腰を圧迫骨折しているのだ(骨粗鬆症だそうだ)。
「わたしを、し(死)なせるつもりやろー!」
2005/4/11(月) 午後 0:35
某月某日 桜満開。いい日和だ。親子二人だけの日曜日。夕食も終わり、母は何よりも大切なティシュペーパーを一枚一枚取り出し、丁寧に折り畳んで積み上げる、お仕事に没頭。この間に私は自室でパソコンのメールをチェック。それが、終わって母のもとへ。
「ひとがよんでんのに、へんじもせんでぇ!」と、母は何時もこう言う。
「ご免、ごめん、聞こえへんかったんやっ!」
「もう、イエかえろう?」と母。
「ここが、お袋ちゃんの家やんか?」
「まえのイエに、かえりたいんやんか?、ここしらんとこやっ、はよかえりたいねん」私は、何時ものように、このマンションに来た経緯を何度も繰り返し、母に聞かせる。
「ほんだらなぁ?、あんた、ここにいときっ、わたしひとりでかえるからっ!」と、母は何時もそう答えるのだ。
「お袋ちゃんと僕は親子やろ?、明日学校(デイケアの施設のこと)やしぃ、もう、遅いしぃ、ここで一緒に泊まろ?な」
「おやこっー!、あんたとわたしぃ、おやこちゃうでぇー」と、眉間にシワを寄せ、怪訝そうに私を見上げる母。
「何ゆうてんの?、お袋ちゃんと僕は親子やんか、お袋ちゃん、僕産んだん忘れたんか?」
「わたしがあんたうんだっ!、うんでないわー!」母が、姉、私、妹、弟、の四人の子供を産でいることを、訥々と説明する。
「あんたはなー、わたしをイエにかえらせんために、そんなことゆ?うてんねんやろ!」
「わたしを、し(死)なせるつもりやろーっ!」お袋ちゃん、百まで生きてや、と私は心の中で思うのである。
「あんたが、ほったんちゃうか?」入れ歯、その(1)
2005/4/13(水) 午後 0:41
某月某日 母は、総入れ歯である。もう寝る時間だ。私は、何時ものように、母の入れ歯を漬けておこうと、顔を洗っている母に。
「お袋ちゃん、入れ歯だしてや、洗っとくからなっ」
「ふ?ん、イレバあらうんか?」
「そうや、綺麗にしとかな、なっ」母は、上の入れ歯を出したが、下の入れ歯が無い。
「お袋ちゃん、下はどうしたん?」
「しらんで?」私は、母が何時も座っている、座椅子付近を捜し回ったが、結局、見つからなかった。
「おかしいなあ、お袋ちゃん、入れ歯何処にやったん?」
「ないか?」と母。
「あれへんで?、晩御飯の時あったよなあ」と、私が尋ねる。
「あったかな?」と母。
「ご飯食べてるとき、あったでぇ」と私。
「わかれへんわ?」と母。
「もう?ねむたいねん」と母。
「そやけど、歯、なかったら困るやんかあ」と私が言うと。
「あんたが、ほったんちゃうか、はよ、ねさしてーっ!」はい、分かりました。(私がほったのでしょう)油断した、私の落ち度だ。下の入れ歯は結局見つからず、その後二週間ほどかけて、新しく造りなおすことになった。この時点で私は「人間(失礼、私)がいかにアホか」を思い知らされることを、母に教わることになる。人間(またまた失礼、私)は同じ失敗を何度も繰り返す、阿呆なのだ。
「わたしは、しらんゆうてるやろー!」入れ歯、その(2)
2005/4/14(木) 午後 1:07
某月某日 母の下の入れ歯が出来上がって1ヶ月余り。用心はしていたのだが。朝食が終わった、その時。
「あれっ!、お袋ちゃん、下の入れ歯は?ちょっと口、あ?んしてみぃ」(しまったー)と、心の中で叫ぶ私。
「あ?ん」母は悠然としている。
「無いやんか!、入れ歯どうしたん?」
「はじめから、ないで?」と、母。泰然自若。私もこうありたい。
「そんなこと、ないやろ?」(トーンダウンした私の声だ)勝負はもう着いたのだ。
「うち、しらんっ!」と、母はきっぱり言う。そう言えば、昨晩は入れ歯をしたまま、母は就寝したのだ。私は、内心、しまった、と思ったが、時すでに遅し。
「お袋ちゃん、入れ歯ハズして、どこかへ置いたんちゃうかな?」(諦めの悪い私の呟き)。
「そんなこと、せ?へん」座椅子に、ゆったりもたれ掛かり母が仰る。私は、慌てて、母の寝床や、母が手の届きそうな、衣装ケースや箪笥の抽出し、ゴミ入れなどを捜し回った。
「えらいこっちゃ?、どこにも無いわ?」
「わたしは、しらんいうてるやろーっ!」ウロウロする私を母が一喝した。
過去に、衣装ケースや箪笥の抽出し、寝床の敷布団の下、ゴミ入れの中、等から見つかったケースが幾度もあった。いずれも、ティシュペーパーに幾重にもくるまれて見つかっているのだ。一度は、マンションのゴミ集積所でゴミ袋をヒックリ返して見つけたこともあった。それらの経験は何の役にも立たなかった。結局、下の入れ歯は見つからず、また、造り直しである。新しく入れ歯を造るためには、前回造ってから、6ヶ月以上経っていないと、保険が適用されない。私のちょっとした油断が招いたものだ。
「だれかが、もっていったんちゃうか?」入れ歯,その(3)
2005/4/15(金) 午後 3:01
某月某日 過去二度も油断したため、母の入れ歯には十二分に注意していた。しかし、それにも限界があると言うことと「人間(またまた失礼、私だけです)て阿呆やな?」と、何度も教わることになった。母がデイから帰って来るのを待っていた。デイケアの送迎車から。
「あーっにいちゃんやっ!」と、笑顔でご機嫌よく帰ってきた母。その笑顔が何時もと少し違うような気がした。私は、もしや、と思い、送迎車のドアを開けているヘルパーさんに。
「すいません、母が入れ歯をしてないようなんですけど?」
「え?えっ、今日は00さん、デイに来られたときから、下の入れ歯をハズしておられたんで、おかしいな?と思ってたんですよ!」とヘルパーさん。
「お袋ちゃん、い?んしてみぃ」
「なんやの!、にいちゃん」感の鋭い母が、警戒の表情を見せる。
「下の入れ歯、どうしたん?無いでぇ」
「い?ん、ないかーっ」と、気にも留めない。言わずもがな、1年も経たないうちに、母の下の入れ歯は、私の度重なる油断で、三個紛失したのである。私は、ダメモトで。
「お袋ちゃん、入れ歯、どこに置いたか分かれへんかな??」
「しらんで?」
「何処な?、探してもないねん」(俺はほんまに阿呆やな?)私の心境だ。
「だれかが、もっていったんちゃうか?」(うん、そうやろな?、お袋ちゃんの言う通りや誰かが持って行ったんやろ?、私は心の中でそう思った)。
かくして、母の入れ歯は現在、上が三個、下が0個となりました。決して母のせいではないのだ。
「わあ?ウレしい、おそなえしてくれんのん!」
2005/4/18(月) 午後 1:15
某月某日 夕食後、母は、残したおかずを一生懸命、テーブルに広げたティシュの上に載せる作業を黙々と続けている。その真摯な作業態度を見ながら、母に声を掛けた。
「お袋ちゃん、もう食べへんのん?」
「もう?たべましたっ!」と、平然と言い放つ母。
「そやかて、まだ、残ってんで?」
「これは、おそなえするんやんか?」
「誰に、するん?」
「みんなにせなあかんのっ!」と、真顔で。
「お袋ちゃんの食べ残しを、お供えなんか、出来ひんのちゃうん?」(駄目もとで言ってます)。
「たべのこしーっ!、ちゃうでー、おそなえするために、こうてきたんやでー」口を尖らせ言う母。やっぱりだ。
「そやけど、それ、今、お袋ちゃんが、食べてたやつやで?」
「わたしは、これたべてへんっ!」
「今、食べとったやんか?」(消えるような私の声)。
「なにゆ?てんの、たべてへん!、これは、おそなえのやつやんかっ!」これ以上、母にあれこれ言うと必ず母に叱られる。ここからは、母の世界へ入り込む。
「もう?、その位でえ?のんちゃうか?」
「そうかな?」と、母が。
「仏さんも、そんなによ?け、食べられへんで」
「にいちゃん、そう、おもう?」
「うん、思うな?」
「そやけど、まだ、のこってるから、もうちょっとなっ!」母は上機嫌だ。
「あとは、僕が食べるから、その位いで、え?んちゃうかな」
「にいちゃんもたべたいの??」
「うん、美味しいそうやから!」
「ほんだら、たべてえ?よ」
「食べるわ?、有難う!」
「ど?うぞ」と、母が、両手に持って、大切そうに差し出してくれた。
「さあ?、そしたら、お袋ちゃんが折角、一生懸命、お供え作ったから、親父の仏壇にお供えしとこな?」
「わあ?うれしい、おそなえしてくれんのん、やっぱり、にいちゃんはかしこいなー」と、母は満面の笑みを私に向けてくれる。私は、こうして母の世界に入って行くコツを少しずつ母から教わるのだ。
「わ?キレイな?」
2005/4/19(火) 午後 1:03
某月某日 朝食後、春風も暖かく、リビングのカーテンを一杯に開けた。ベランダに置いてある満開の花を、母が指差し。
「わ?キレイわー、にいちゃんみてみぃ、あこ?うてキレイでぇー」
「ほんまやな、綺麗に咲いたな?」
「だれがうえたん?」
「うん、お隣の00さんがくれはったんやでぇ」
「そうか?、もろたん、おれいゆ?たか?」
「言うたよ?」
「わたしもゆ?とかなあかんなっ!」
「うん、会?たらお礼ゆ?ときな!」
「うん、ゆ?とくわー!」
「さあ?お茶飲んで、学校(デイサービス)行く用意しようか?」
「おしっこ、いきたいねん」母をおトイレへ。トイレを済ませてリビングに戻ると。
「にいちゃんみてみぃ?、あかいハナさいてるわ?」と、母が。
「ほんまや、綺麗なあ」
「だれが、うえたん?」
「うん、あれはな、お隣の00さんが、くれはったんやで」
「あっ、そうかいな、しらんかった、いつもろたん?」
「去年やで?」
「おれいゆ?とかなあかんな?」
「00さんに会うたら、お袋ちゃんからもお礼言うてなっ!」
「わかった、ゆ?とくわ!」
「お袋ちゃん、見てみぃ、今日は、青天やで?」
「ほんまやな?、え?てんきや!」
「こないだ、桜も満開で綺麗やったで?」
「そ?かー、わたしもみたかったのにぃ」先日、母はデイサービスで、近くの公園の桜を見にお出かけしたばかりだ。
「お袋ちゃん、今度な?僕の休みのときに花見に行こか?」
「いくわ?、ハナみなんか、したことないから」
「もう直ぐ、学校に行く時間やで?」
「にいちゃん、みてみぃ?、あかいハナ、キレイにさいてるわ?」
「わ?ほんまやなっ!」デイの送迎バスがくるまで、この会話は終わらないのだ。母と私の共通の世界だ。
「そんなこと、せーへんわっ!」お金、その(1)
2005/4/21(木) 午後 1:07
某月某日 会社に着いてしばらくしてから、母が通う老健施設(デイサービス施設)から電話があった。母に何かが(私、小心者ですが覚悟だけはしております)。
「00さんですか!?。お母さんのトートバッグからお給料袋が出てきましたので、お預かりしています」
「えっ!、給料袋ですか?」
「はい、0000さんと書いてあります。間違いございませんか?」
「はい、間違いありません。私の先月の給料です」
「00さん、こう?言うの困ります。万が一と言うことがありますので、施設には必要なモノ以外、まして、現金等は絶対に持ってこないようにお願いしますね!」
「はあ?、申し訳ありません。今度から注意します」(良かったー、金かー、小心者はこれやからあかん、と心中の私が言っている)。
我が家では、給料日にお給料を袋ごと、親父の仏壇に、お供えする慣習がある。先日、その慣習で仏壇に供えたばかりだった。
仕事を終え、急いで帰宅し、仏壇を見た。やっぱり、お供えしていた、給料袋がない。お供えした給料袋を2?3日そのままにしておくことは、まま、よくあることなので、気にもしなかった。仏壇は、母の居室にある。その晩、母に。
「お袋ちゃん、あんな?、給料は学校へ持って行ったらあかんで?、給料もそやけど、お金もあかんねんで?、分かった?」
「きゅうりょうなんか、もっていってへんで、なにを、ゆ?てんねんな」(アホかーと言わんばかり)の母の顔。
「今日な?、学校から僕に電話があってな?、お袋ちゃんの鞄に、給料袋が入ってたんやてぇ」
「あんたが、いれたんか?」
「いや、僕は入れてへんけどな?」
「ほんだら、だれやろなっ」と、小首を傾げ、母が言う。このぐらい人間余裕が欲しいものだ。(お袋ちゃんのほうが、腹座っとるわ)。
「お袋ちゃん、ティシュに包んで、何でも入れるやろ?、入れて忘れたん違うかな?」
「そんなこと、せーへんわっ!」(済んだことを、何をグタグタ言うてんねん!)と、言わんばかりの顔をしている。毎日、気をつけているつもりだが、マンネリの落とし穴、母はお金の区別をするような、そんな俗世とは無縁の人であることを、うかりとした、私の失態だ。
「わーっ!叔父さんこんなとこにもあったわー!」お金、その(2)
2005/4/22(金) 午後 1:00
某月某日 昨日給料日とボーナスの支給日であった。母にそれらを見せ。
「お袋ちゃん、今日はな?、ボーナスも出たんやでぇ、これや、見てみっ!」
「わー!、ほんとう、にいちゃん、がんばったからなっ!」母も笑顔を見せる。
「お供えしとくわな!」
「うん、ちゃんと、しときや?」翌日、何気なく仏壇を見ると、ボーナス袋がない。
「お袋ちゃん、仏壇に、お供えしたボーナスしらんか?」
「しらんよ?、どうしたん?ないんか?」
「うん、昨日、お供えしたんやけど、あれへんねん」
「ふ?ん、どないしたんやろな?」午後、姪が、夕食の用意とお掃除に来てくれた。私は、母の居室に入り、箪笥、衣装ケースや仏壇の小抽出し、などを捜し始めた。
「叔父さん何してんっ!」と、母の居室をうろつく私を見とがめて、姪が。
「うん、ボーナスがな、失くなってん」
「わー、えらいこっちゃんかー」と、姪が大声を挙げる。
「00(姪)も、ちょっと探すの手伝うて?や」と、姪に声をかけ。
「分かった、え?とお婆ちゃんの手の届く範囲やから?」と、姪も心得ている。こうして、姪と二人で、母の居室を探すことおよそ半時間。
「ど?や、00見つかったかー!」と、姪に声を掛けた。
「見てみぃー叔父さんこれだけあったでぇ?」と、姪がティシュの束を4?5個私に差し出した。
「一つ一つちょっと開けてみぃ」
「分かった、ひやーっ、叔父さん、00万円もあったわっ!」
「僕も、これだけあったわ」
「叔父さん、まだあるでー!」と、姪はなんだか面白そうに。
「そうやな、もうちょっとあるはずやから?」私と姪のやり取りや、不審?、な行動に母は面白くないのか、ちょっとヘソを曲げたらしい様子で。
「なにしてんのっ!、ふたりでー、ゴソゴソとー!」案の定だ。
「うん、お袋ちゃんは心配せんでもえ?よ、ちょっと探しものしてんねん」
「なに、さがしてんの??」
「大事なもんや?」
「わたしもさがそうか?」と、母が。
「え?よ、もうだいたい見つかったから、00(姪)に手伝うてもろたから大丈夫やっ!」
「そうか、それやったら、え?えけどなっ!」と悠然としている母。その母に、夕飯を出さなければならない時間だ。また、あとで探そうか、と思ったその時。
「わーっ!叔父さんこんなとこにもあったわー!」と姪が感心したような甲高い声をあげた。その場所は、母の敷き布団の下であった。
「だまってあがってきて、モノもいえへんし、はらたつねん!」誰でしょうか?その(1)
2005/4/26(火) 午後 1:29
某月某日 母は頑として、、、。母が言うには「廊下に、どこかの白髪のお婆さんと白い服を着た子供が、勝手に上がりこんで、遊んでいる」と主張するのだ。
私が、廊下とリビングの間仕切りになっているドアを開けて。
「お袋ちゃん、見てみぃ?な?、誰もいてへんで、ほ?ら、」と、言うと。
「さっき、そこに、おったわー!、にいちゃんがあけたから、にげたんやわー!」と、こうなのである。
「僕、玄関から入ってきたけど、お婆さんも、子供も、おれへんかったで?」
「わたしは、いつもみてんねん、ふたりであそんでんのん!」と、腹立たしそうに言う母。
「そやかて、おれへんで?」
「そやから、ゆうてるやろーっ、あんたが、きたから、どこかにかくれたんや!、それもわからんのーっ!」
「そんなこと、ないと思うけどな?」と、母には聞こえないように呟いたつもりだが。母は、憤然として怒りだした。(やっぱり、地獄耳の母だ、聞こえていたのだ)。
「あんたわっ!、みてないから、そういうことゆーうねん、わたしは、いつもみてるから、わかってっんねん!」
「そやけど、その二人、なんで、お袋ちゃんが居てるときだけ、来るんかな?」真っ向勝負を避ける私。
「わたしをな?、としよりやおもうてバカにしてんのやっ!」成る程、母の言う事は筋が通っている。
「そんなこと、ないと思うけどな?、それより、お袋ちゃんな?、そんな、変な、二人が入って来てやで?、遊びだけで、お袋ちゃんには、何か、悪さ、せ?へんのかあ」
「わるいことは、せ?へんねん、そこで(母は廊下を指差し)、わたしが、とおられへんようにしてんねん!」
「そんなこと、するん!」思わず、私も母に同調した(えーっ俺どうしたんかなー)。
「そ?やねん、にいちゃん、なんとか、おいだして?なー」
「何も、悪いことせ?へんかったら、遊ばしといたったら、どう?や」
「だまってあがってきて、モノもいえへんしぃ、はらたつねんっ!」この話、母が止めるまで、終わらないのだ。
「こわいっ?、なんでこわいのん?」誰でしょうか?、その(2)
2005/4/27(水) 午後 0:56
某月某日 夕食後、私は竹で目釘抜き(刀剣に使用する道具)を作り始めた。母はテレビのCMが面白いのか。
「にいちゃんみてみ、はっははは?っ!」と、満面の笑み。ほんとに可愛らしい笑顔である。その直後、母の声のトーンが変わった。
「またきてるぅー、ほんまにぃーっ!」と母が、リビングと廊下のドアを睨みつけながら、私に訴える。
「どうしたんな?、お袋ちゃん?」私は、竹細工用の小刀を置いて、母に声をかけた。
「また、きてんねんでぇー、おばあさんとあのコがっ!」
「廊下の向こうにいてるんか?、何してるのん?」
「ふたりでな?こっちみて、こそこそ、なにかしらんけど、はなしてるわー!」
「お袋ちゃん、聞こえてんのんか??」
「うん、ハッキリせ?へんけど、きこえてるぅ!」
「そうか?、あんな狭い廊下で、何話してるんかな?」
「わからん?、そやけど、ずぅ?と、わたしをみてんねんでぇ!」
「お袋ちゃん、気のせいちゃうか?」取りあえず、言ってみた。
「なにゆーてのん、みてみぃーな、あそこに、おるやんかー!、あんた、みえへんの?、なさけないっ!」(可哀想なやつやなー)と言わんばかりに母が私を見る。
「うっう?ん、、、、、、」(私には見えない、修行が足りないのか)。
「ほんだら、ちょっと見て来たろうか?」
「うん、にいちゃん、はよいって、みてきてぇ、もうきたら、あかんでぇ、ゆ?て、ゆ?ときやっ!」
「分かった、言う?たるわ」私は、ドアを開け、廊下の中ほどまで行き。
「もう遅いから帰ってちょ?だい、うちの、お袋ちゃんなあ、怒ったら怖いよ?、早よ、帰りぃー!」と、誰もいない?、廊下の向こうに向かって叫んだ。
「でていったかー、にいちゃん!」と母の声。
「うん、帰ったわ!」
「もう、きたら、あかんゆ?てくれたかぁー」
「うん、ちゃんと、言う?たよっ!」
「やっぱり、にいちゃんにゆ?て、よかったわ?」
「お袋ちゃん、あんなあ?、知らん人が勝手に入ってきて、何?んも怖ないんか?」
「こわいっー!、なんでこわいのん?、ここは、うちのイエやでぇー」まあ?、そういう意味で聞いたのではないのだが。(お袋ちゃん、腹座っとるなー)。
「いけへん、ねむたいゆーてるやろっ!」
2005/4/28(木) 午後 0:36
某月某日 そろそろ、母を起こして、デイに送り出す準備の時間だ。さっき母が、何時ものように。「おかあさ?ん、もう、おきてもよろしいか?」と言っていたから、天気も良いし、さぞやご機嫌で。
「お袋ちゃん、さあー、起きよか??」と布団をめくると。
「きょうはしんどいねん、いややー」
「そやけど、さっき、起きても、え?かー、言うて、言うとったやんかあ」
「そんなこと、ゆーてへんわ!」そりゃそうだ。(さっきは、もう過去やもんなー)。
「温いお湯で顔洗うたら気持ちえ?よ、起きて、はよ、顔洗お?な、おしっこもいかなあかんしぃ」
「おしっこ、でーへん!、かおあらいたないっ!」(わーっ、何時もハッキリしてるわー)心中感心する私だ。
「そんなこと、言う?たらあかん。お袋ちゃんの好きな学校行く時間に遅れるでぇ!」
「びょうきやゆーてるやろっ!がっこうなんか、いったことないわっ!」こんな会話をしながら、なおも、私が、母の毛布を取ろうとすると、母は激しく抵抗。私の頭や腕を。
「なにすんの、いやや、ゆーてるやろーっ!」と言いながら、か細い手で叩き始める。
「なにすんのん、痛いやんか?!」と私。
「はよ、かぶしてっ!、そんなことしたら、タタくでー、もうー!」と母。
「分かった、わかった、ほな、もうちょっと寝ときぃ?、え?天気で、青天やのになー!」
「なにが、あおてんや、はよ、かぶしんかいな!」少し、時間を置くしかない。慌てると、事態は益々悪くなる。私の経験則がそう言っているのだ。デイに送り出す、ギリギリの時間を見計らって。
「さあ?、お袋ちゃん、起きるよう?、おしっこ行こうか?」
「いけへん、ねむたいゆーてるやろっ!」と、一喝された。今日は、手強い。(まあ?流れるままに、、、)。
《2005年5月》
「どっちかわからへんねん?」
2005/5/1(日) 午後 0:13
某月某日 母は良く喋る。某国立大学の偉い精神科の先生でも、母の深い「言の葉」の意味は、解からないであろうと思う。今日、何回目かのおトイレで。
「さあ?、ここが便所やでぇ」
「ここかいな、しらんかったー、ちかいな?」
「はい、ゆっくり座りや」
「すわったら、え?のん?」
「そうや?」母は圧迫骨折で、2回腰の骨を折っている、為に、座らせるときは、お尻を抱くようにして持って、支えてやらないと、痛がる。
「にいちゃん、ありがとう、こんな、ことまでしてくれるん、ありがとうございます」
「何?んにも、礼なんて言うことないよ、さっきも、したやんか?」
「さっきっ!、わたし、したぁー、しらんかったー」母を、便座に座らせ、向き合う形で、私も母の前でしゃがみ込む。
「今度は、おしっこか?、うんちか?」
「う?ん」と、母はニコニコしながら。
「にいちゃんは、どっちやとおもう?」
「う?ん、僕は分からんわー、どっちでも、お袋ちゃんの好きなように、したらえ?やん」
「そうしょうかな?」と、悠然としたものだ。しばらくすると、便器で水音がした。
「お袋ちゃん、チョロチョロやー、良かったな?、おしっこ出たやん!」
「ふっフ?ン、でたわー」
「元気な証拠やでぇ、もう出?へんか」母は笑顔で。
「そう?、わたし、げんきなんかー!」
「そらそ?や、おしっこ、ちゃんと出来るやんか?」
「ふっフ?ン、にいちゃんもそうおもうか?」
「そうやで?、うんちもおしっこもちゃんと、出さな、あかんねんでぇ」
「にいちゃん、かしこいな?、よ?しってるなっ!」
「お袋ちゃんのことやったら、だいたい分かるねんでぇ、偉いやろう?」
「ほんまや、えらいなぁ!」
「さあ?、もう拭こか?」
「ま?だ、でそうや、う?ん、う?ん」と母は背中をそらして、、、。
「今度は、うんちか??」
「どっちかわからへんねん?」と、小首を傾げる母。それは、そうだと、思う。それが自然だ。
「もう、おきても、よろしいか?」
2005/5/3(火) 午後 1:05
某月某日 暖かくなり、母の夜中の徘徊も少なくなってきたようだ。春眠暁を覚えず、か。日本人にとって季節はDNAに織り込まれているのであろうか。
「おか?さん、おか?さ?ん」と、母の声。
「は?い、どうした??、お袋ちゃん」
「にいちゃん、もう、おきてたん?」
「うん、いま、お茶淹れよう、思うて、お湯沸かしてんねんでぇ」
「そうですか?、ありがとうございます」
「もう、ちょっと、寝といてなっ!」
「はい、もう、ちょっと、ねさしてもらいますぅ」と、1分も経たないうちに。
「もう、おきても、よろしいか?」
「まだやで?、朝ご飯の用意してるからな、もう、ちょっと、ゆっくり、寝といてぇ」
「はい、おねがいします、ねときますから、おこしてなっ!」
「はい、はい」
「にいちゃん、えらい、あかる?なってるでぇ」
「そうやな?、もう、7時半ごろやからな?」季節は正直だ。有り難い。
「にいちゃん、さぶいねん、ちょっとかぶして?な」母の寝床へ行き、毛布とお布団を整えてやる。すると母は。
「もう、おきても、よろしいか?」と、子供のような笑顔で、私に聞くのだ。2?3度、これを繰り返す。今日も恙無し。
「ばいば?い、あとでおいでや?!」
2005/5/4(水) 午前 11:21
某月某日 デイサービスの送迎車が来る時間が迫って来た。
「お袋ちゃん、もう直ぐ、学校(デイサービス施設)から、電話がかかってくるよ?、頭の髪といて、用意しとこうな?」母に声をかける。
「ふ?ん、きょうはがっこう、いくひぃ?か?」
「そうや、毎日、行ってるやろう」
「しらんでぇ、まいにち、いってるか??」
「お袋ちゃんの好きな、歌なっ、唄うねんでぇ!」
「どんな、ウタや?、うとうてみぃ」ここで、私は、何時も、母の好きな童謡のワンコーラスを唄う。すると、連れて、母が。
「あっー、そのウタ、しってるわーっ!」と嬉そうに、笑顔で。
「カラスはやぁ?ま?にぃ?」と、親子で、コーラスだ。何曲か、唄い終わる頃にデイのヘルパーさんから、電話がかかってくるのだ。
「ほ?ら、学校から、電話がかかってきたでぇ、行く用意しょうか?、おしっこないか?」
「おしっこ、いくわー」さあー、ここからは、手早くしないと、デイの送迎バスを待たせることになるので、私の動きは無駄を一切省いたものになる。電光石火とはいかないが。自宅はマンションの2階だから、エレベーターを使って母を1階へ。エレベーターの中には正面に大きな一枚鏡がある。当然、母と私はその鏡に映る。すると、母は。
「あっー!、おはようございます、にいちゃんこのひとらだれやぁ??」と母は、鏡に向かって丁寧に挨拶するのだ。ちゃんと、複数形を使っている。
「お袋ちゃん、と、僕やんか??これ、鏡やで?、ほらなっ!」
「なんや?カガミかいな?、はははぁ?、それもわからんと、アホみたいやっ!」
「00さ?ん、お早うございます」とヘルパーさんの声。
「おはよう、ございます」と、母もペコリとお辞儀をする。
「なにしてんのん?にいちゃんも、はよ、のりんかいなぁ」と、送迎バスに乗り込んだ母が私を促す。
「うん、僕はあとから行くからなあ、お袋ちゃん、先に行っといてな?」満面の笑みをうかべ、母は、ヘルパーさんの介助で座席に座る。
「ばいば?い、あとでおいでや?」と、車内から、ニコニコ顔を、私に向けて手を振る。(お袋ちゃん今日も元気でなー、皆さんと仲良?してやー)と見送るのだ。
「わかれへんねん、あほになってしもたんかな?」
2005/5/5(木) 午前 11:25
某月某日 母が夜中に徘徊を始めたのは、何時の頃からだったのか、私の記憶も定かではない。ただ、最近は就寝して、2時間くらいしてからと、明け方の3時過ぎくらいの時間帯が多いようだ。今日も今日とて。
「おね?さん、おねさ?ん」と母の声。目覚まし時計を見ると、午前3時過ぎだ。
「どうしたん?」四つん這いになって、うろうろしている母に声をかけた。
「おしっこやねん?」
「よっしゃー、行こか?」四つん這いで、母が私の寝床の足元までやって来た。
「はい、ゆっくりやでぇ」と母の両手を掴み、3メートルほど離れたおトイレまで。
「ありがとう、にいちゃん、おったからよかったわ?!」
「な?んにも、心配せんで、え?ねんで」
「ふふ?ん、にいちゃん、でたわー!」
「よかったなあ、綺麗に拭いて、はよ寝よな?」
「うん、ねむたいねん」と、こうした、似たような行動は私が起床する、6時半頃まで、2?3回、だいたい続くのだ。目覚ましが鳴る半時間ほど前。
「おにいちゃん、おにいちゃん、おしっこー」
「さっき、行ったばっかりやでぇ、まだ、出るんか?」
「さっき、いったか??」
「うん、今、さっき、行ったばっかりやでぇ」
「そやけど、おしっこ、したいねん」
「そうか、ほな、行こうか、もう、出?へんのん、ちゃうか」
「わかれへんねん、アホになってしもたんかな?」
「そんなことあるかいなあ、阿呆になったら、おしっこも分かれへんように、なるやんか、お袋ちゃんは、ちゃ?んと、おしっこ、て分かってるやんか?、なーっ、そうやろう!」
「そうかな?、ほんまに、そうおもう?、にいちゃん」この時の母は、本当に不安げな表情をするのだ。私は、こうした母を見る都度(お袋ちゃん、変な病気になってしもうたなー)と心底思うのだ。
「そう、思うよ、阿呆、ちゃうでぇ、心配せんでもえ?んやから!」
「そうかも、わからんな?、あーっ、にいちゃん、もぅあかる?うなってきたわ?」
「ほんまやな?、もうちょっと寝よな?」母の表情が少し和らいできた。
「うん、かぶしてな?」母の不安は、私の不安でもあるのだ。
「もう、イエかえりたいねん、はよ、かえろう?」
2005/5/6(金) 午前 11:17
某月某日 母は夕食後に、お仕事(ティシュペーパーを一枚一枚取り出しては、丁寧に折り畳んで重ね、テーブルの上に積み重ねる作業)を終えると。
「にいちゃん、もう、かえろうか?」作業が一段落したらしい。
「う?ん、何んでぇ、何処に、帰るん?」
「もう、かえらなあかんやろ?」
「帰る言うたって、ここが、お袋ちゃんの家やで?、忘れたんかいな?」
「ここっ!、ここわたしのイエちゃうでぇー!」さあー、この辺りから、延々と親子の食後のちょっと、奇妙な、しかし、大切な絆を深める、真剣かつ楽しい会話が続くのだ。この会話は、10年前の「阪神淡路大震災」にまで、遡る。何故、いま、このマンションに親子二人で住むようになったかを、母の感性に私は訥々と訴えなければならない義務があるのだ。
「なあ?お袋ちゃん、分かったか??それでな?、今ここに、二人で住んでんねんでぇ?」
「あんたはなー、しらんから、そういうこと、ゆうねん、イエかえらな、みんないてるねんでー」
「誰が、いてるん?」
「あほかいなー、わたしのおかあさんや、おとうさんやんかー!」と、母。
「そやけど、明日、学校(デイサービス施設)やんかあ、もう、遅いし、今日はここに泊まろ?な」
「あんた、とまりぃー、わたしかえるわーっ!」母はプイと横を向く。(これはまずい展開だ)と私の経験則がそう言っている。
「分かった、わかった、ほな、おしっこ、してから、帰ろ?か!?」
「もう、イエかえりたいねん、はよ?、はよかえろうー」
「おしっこ、しとかな、あかんやんか?、なあ、そうやろう?」と、粘る私。母は、差し出す私の両手を、渋々握り、不満そうに、おトイレへ。母の感性に何かしら響いたであろう。トイレから帰ると、そのまま洗面所で顔を洗い、母の居室へ。
「さあー、寝よな?!」
「コシが、イタいねん(母の腰は過去に二回圧迫骨折をしている)」
「さっき、痛み止め、飲んだから、大丈夫やでぇ、ゆっくり寝?や」
「うん、にいちゃん、かぶして?やー(掛け布団のこと)」
「はい、お休みなさい」掛け布団を掛けてやると、母はスーッと寝入った。私は、母の寝顔が大好きだ。今日は出かけずに済んだ。
「よんでんのにぃ、へんじもせんでー!」
2005/5/7(土) 午後 1:55
某月某日 私は下戸、楽しみは、日に13本ほど(以前は1箱半くらい)吸う煙草。半分以上は会社で吸うが、家で4?5本。ベランダで、紫煙の先の青天を見上げるとエンジンがかかる、今日も食後の一服を、と思いベランダ゙へ、、、。
「お袋ちゃん、ちょっと、煙草吸うてくるわな?」と、私は母から離れる時には必ず声をかける。ちょっとしたことだが、これが、痴呆症(認知症)になってしまった母と共に暮らす為にかけがえのない事だと、思っている。
「あいよ」と、ご機嫌良さそうなご返事。
「まだ、ちょっと、寒いから、戸閉めとくわなあ」
「うん、いっといで?」母は、何時ものお仕事に夢中だ。(ティシュを一枚一枚取り出し、丁寧に折り畳んで、テーブル上に積み重ねていく作業。母のこの作業には、絶対に口出ししてはならない)。
ベランダの戸越に母のこの作業を眺めながらの一服である。時々、母がこちらを見て、畳んだティシュを。
「にいちゃんできたで?」と言わんばかりに、私に見せる。
「わ?っ!ほんまや、綺麗に畳んでるやんか?」と私が、声を返すと。
「はよ、こっち、おいで?な」と母が呼ぶ。身振り手振りで。
「この、煙草吸うたら、いくからな?」と私。
「まだかいな?、はよ、すいや?」と母が言っているようだ。双方、ぶ厚い、ガラス越しのゼスチャーだから、実際の声は殆ど聞こえない。
ベランダには、木の椅子と灰皿が置いてある。ほんの十数秒ほど、腰を掛ける。この瞬間、リビングに居る母からは、死角になって、私が見えなくなる。
「は?い、煙草、吸うたよ」と言いながら、ガラス戸を開け、リビングに入ると。
「よんでんのに、へんじもせんでー!」と、母がふくれる。この間、約1分ほどか。私は、また一つ教えられた。時間の長短は、母には全く関係ないのだ、と。
「どついたろかー、ふふふ?ん」こみゅにけ?しょん、その(1)
2005/5/9(月) 午後 1:54
某月某日 私は、母との会話を何よりも大切にしている。母が痴呆症(現在は認知症と言われている)になってから、経験則で母から教わったことである。毎日デイサービスに通っている母との会話は、自然と朝晩の食事時が多くなる。
「ゆっくり食べや?」
「おいしないっ!」と、素っ気ない母。
「そんなことないよ?、お袋ちゃんの好きな、ヨーグルトと甘い、チーズパンやでぇ」
「たべさせて?」と、母。
「自分で食べな、あかんやんか?、お袋ちゃんは、赤ちゃん、ちゃうねんから」
「うんっ、あかちゃんとちゃうわー」
「ほな、自分で食べな」
「にいちゃん、たべ?」
「僕は、もう、さっき食べたよ?」
「そんなはよぉ?、いつ、たべた?」
「うん、ちょっと前やで」チーズパンを小割にして、母の口元へ運ぶ。
「ほ?ら、あ?んして、食べてみぃ?や、美味しいで」
「そんな、おおきいのいらん!」
「とにかく、甘いねんから、食べてみぃ!」母が口を開けたので、放り込んだ。
「うん、おいしいわ?」と、母が笑顔で言う。
「そうやろ?、はい、自分でこうして、割って、食べてみ」
「あんまり、ほし、ないねん」
「なに言うてんのん、食べな元気で?へんで」
「げんき、でんでも、えー!」
「食べな、学校(デイサービス施設)行かれへんやんか」
「いけへん!」
「ヘルパーさんや、先生がな?、00さ?ん、学校行きましょうかー?、言うて、もう直ぐ、きはんねんで」
「がっこう?、しらん、いったことないっ!」
「お袋ちゃん、歌、好きやろ?、今日はな?、学校で、カラオケ大会やで」
「どんな、うた、ウタうん?」
「お袋ちゃんらの知ってる歌やで」
「どんなんや?うと?うてみぃー」母の好きな、童謡唱歌を2?3曲、私がワンコーラスを口ずさむ。
「あーっ、それやったら、しってるう」母は手を叩いて嬉そうに言う。
「そうやろ?、早よ、食べて、学校いかな、唄われへんで!」
「いらん、にいちゃんたべ?!」
「食べな、元気で?へんで!」
「でんでもえー」
「服も着替えな、あかんしな?」
「さぶいねん、フクきせて?なー」この間、母は、ニコニコしながら、私との会話を嬉しそうに、表情豊かに良く喋るのだ。
「さあー、靴下も履き替えとこなっ」
「なんでやのん?」
「何日も同じ靴下はいとったら、汚れるやろう?」
「よごれてないわーっ!」
「あかん、あかん、ほれ、靴下、脱ぐで?」
「なにすんの、イタいやんかー、どついたろかー、ふっふ?ん」
「わーっ、そんな言葉、どこで、覚えてきたんや!」母はこうした、お喋りが大好きだ。終始、にこやかに、母と私の会話は、デイの送迎バスがやって来るまで、続く。これで、母は機嫌を損なうことなく、デイへ出かけるのだ。
「これ、さきに、しとかな、あかんやんか、それもわからんの!」こみゅにけ?しょん、その(2)
2005/5/10(火) 午後 1:13
某月某日 今日は、デイ施設でお風呂に入った日。週三回だ。ちょっと、お疲れ気味だが、機嫌は悪かろうハズがない。さあー、夕食である。
「出来たよ?、食べよか?」
「あいよ!」
「お袋ちゃんの好きな00買?てきたからな、美味しいで」
「にいちゃんがしたん、わーっうれしいぃ!」
「温いうちに、食べよな?」
「あいよ」と、返事は良かった、母だったが。
「ははあーっ、わたしみて、わろ?てるわー」と母は、テレビを見始めた。
「ほんまや、えらい、お婆ちゃんが見てるな?、思うて、笑ろ?てんねんで!」
「ははあーっ、そうかな?、あれ、だれや!」
「東京の00さんちゅう、タレントさんや!」食べながら私が説明する。
「どこやのん?」
「東京ちゃうかな?、お袋ちゃんも、早よ、食べや?」
「どこから、きたん?」
「僕も、知らんわ?」
「あんたも、しらんのんか??」
「うん、知らんねん、お袋ちゃん、冷めるで?早よ、食べよう」ようやく、母が箸を手に取り、一口、二口食べ始めた。
「どうやっ、美味しいやろう」
「そうでもないっ!、あまないわ?」
「お菓子とちゃうねんから、あんまり、甘いことはないけどな?、ご飯食べてみ、熱いから、美味しいで!」
「にいちゃんが、つくったん?」
「うん、そ?やで」私の声は、後ろめたい気持ちでトーンダウンする。料理は全く出来ないからだ。(スーパーの総菜で誤魔化しているのである)。
「こっちみてな?、わろ?とんねん」と、母がテレビのお笑いタレントの画面がアップになる都度、そう言う。
「食べてから、ゆっくり見よな?、今日は、お袋ちゃんの好きな、0000もあるよう」
「ほんま!、ウレしい?ィ」と、言いつつ、また、一口、二口と箸を口に運び始める。
「にいちゃん、おしっこやねんけど、どこでするん?」
「はいはい、行こ?うか」トイレから帰ると、しまった、母の手がティシュに伸びた。
「お袋ちゃん、仕事(ティシュを一枚一枚取り出し丁寧に折り畳んで積み上げていく作業)は、ご飯食べてからしたら?」
「これ、さきに、しとかな、あかんやんかー、それもわからんのっ!」と、キッパリ。はい、そうでした。私の油断が招いたことだから仕方なし。だんだん食が細くなる母。食事に興味を示さなくなってきているのが、私の心配の種だ。
PS:昨日の新聞の朝刊:4面、介護保険、改正案、衆院通過の二段見出し。自民、公明、なんと!、野党の民主までが賛成しいる。先日、母がお世話になっている、デイ施設の懇談会で知らされたばかりの法案だ。介護給付費を抑えるのが狙いである。この国の憲法25条にはなんと書かれてあるのか承知の上か。大新聞も落ちたものだ。私も物書きの端くれ、4面に掲載の記事ではありえないくらいの判断は当然つく。一面トップで報じて当たり前の事件!だ。わが母もこの国から、見捨てられた、と実感させられた。
「ふ?ん、わたし、えらいのんかー、え?ことゆ?なー」こみゅにけ?しょん、その(3)
2005/5/13(金) 午後 0:45
某月某日 母がデイから帰ると、夕食まで、男子禁制?、のDKで私は買ってきた惣菜で調理(パックを開けてお皿に盛るだけだが)。TVはつけてあるが、滅多に母は関心を示さない。カウンター越しに、もっぱら。
「にいちゃん、なにしてんのん?はよ、おいで!」
「うん、もうちょっと、待ってなあ、晩御飯の用意してるからなっ」
「へぇ?、にいちゃんが、そんなことしてるん、ごめんな?、ありがとう」ペコリとお辞儀をする母。
「直ぐ、出来るもんやから、僕でも出来るわ?、お茶でも飲んで、待っといてなっ」
「ありがとうございます。のましてもらいます、はよおいでな?」
「側に、いてるんやから、何?んも、心配せんでえ?よ、お袋ちゃんの方が、これまで、苦労してきたんやからな?」
「くろうしたん!」
「そうやで?、苦労したんやで?」
「しらんかったわー」
「忘れたんか?、姉ちゃん、に僕、00に00も、四人も子供育ててきたやんか?」
「わたしがかー?そうやったかー?わからんねん、どうしょうー?」
「戦争中な?、お袋ちゃんな?、姉ちゃんを背負って、空襲から、逃げ回ったんやで?」
「ねぇ?ちゃん、どないしたん?」
「00に嫁いで、孫もできて、もう、お婆ちゃんやがな?」
「へぇ?、それ、ほんまかー、しらんかったー、なんで、ゆうてくれへんのん?」
「うん、ま?な、それから、お袋ちゃんと親父となっ、二人で苦労して、僕らを育ててくれたんやんか?」
「そんな、よ?け?か??」
「そうやで?、親父とお袋ちゃんのお陰で、み?んな、孫もできて、ひ孫もできて、いま、幸せに暮らしてるねんで?」
「そんなことやったんかいなー、な?んにもわからんねん、どうしょうー?」
「そやからな、お袋ちゃんは、偉いねん、み?んな、感謝してんねんでー!」
「ふ?ん、わたし、えらいのんかー!、え?ことゆ?なー!」
「さあ?、お待ちどうさん、お袋ちゃん、出来たで?、一緒に食べよか?」
「まぁー、にいちゃんが、つくってくれたん、ありがとうございます」と、母は何の屈託もない。デイ施設からの連絡帳に。
「00さんはいつも、素敵な笑顔で今日もご機嫌でしたよ」と記されてあった。
「わたしをっ!、にんげんと、おもってないんやろーっ!」考えさせられる言葉、その(1)
2005/5/16(月) 午後 1:38
某月某日 先日の日曜日、親子二人きりで、のんびりだったが、夕食後に異変が。
「お袋ちゃん、シャワー浴びてくるわな?」
「あいよ、あびといでー」
「有り難うさん、直ぐ、浴びるからな?」
「ゆっくりで、え?よー」
「此処やで、ここで、シャワー浴びるさかいな?」と、私は浴室へ入るドアを開け放して、リビングで珍しく一人きりで、TVを見て笑っている母に声をかけた。
「うん、そんなとこかいなー」と、母がこちらを見て、手を振った。
「そうや、近いやろう、直ぐ、終わるからな!」と私は返事をした。母が私を探し出す時間の限界は5分くらいだ。手早く浴びて、頭の洗髪の時に顔を見せなければ。
「もう直ぐやで!」と、リビングの母に声をかけながら、シャワーを浴びる。
「あいよー」と母。頭の洗髪にとりかかり、終わりかけたとき、浴室のドア付近で。
「にいちゃん!、にいちゃん!」と母の声。あわてて、私は、真っ裸のまま、浴室から飛び出した。母がいつの間にか廊下へ出て、玄関の方に向かっている。
「お袋ちゃん、何してんのん、危ないやんか?、こけたら、どうすんのん!」私は裸で母を追う。
「こけへんわー!、あんた!、こんなとこで、なにしてんのん、はよ、こんかいなー!」
「シャワー浴びるで?て、言う?たやろ?な」
「しらん!、きいてへん!」
「お袋ちゃんな?、直ぐ、忘れるから?」(しまった、この言葉は禁句である)。
「きいてへんわーっ!、わたしを、にんげんとおもってないんやろーっ!」眉間にしわを寄せて怒る母。
「う?ん、、、、、、、、、、」(後の祭りだ)。母は、私の口調の、少しの変化も見逃さない。まだまだ精進が足りない。
「わたしはなー!、にんげんやでっー!」考えさせられる言葉、その(2)
2005/5/17(火) 午後 0:32
某月某日 母はデイ施設から、タオル、バスタオル、お箸、コップ、パンツ、シャツなど、様々な物を取り違えて自分のバッグに仕舞い込んで帰ってくる。デイに持っていく物は殆ど、母の名前を書いてある。デイに通ってくる他の人達も、もちろん、名前が入っている。だから、取り違えると直ぐに分かる。今日も、デイの送迎バスから、満面の笑みを浮かべて。
「にいちゃんやーっ!!」と、手を振ってご機嫌よく帰ってきた。
「お帰りなさい」
「むかえに、きてくれたん、うれしいぃー!」
「しんどなかったか?」と、母の両手を握る。
「うう?ん、ぜーんぜん、しんどない」
「良かったな?」と、何時もの会話、そして直ぐに持ち物を改める。
「お袋ちゃん、これ、うちのと違うで?」
「そうか?、だれのんや?」
「00さん、て書いてあるで?」
「しらんわ?、そんなひと!」
「明日ヘルパーさんに言うて、返しとかなあかんな!」
「わたしのん、ちゃうのん?」
「ほ?ら、見てみぃ、ここに、00さん、て書いてあるやろう」
「ほんまやな、わたしのんと、ちゃうわ?」
「この、タオル、洗う?といてやらなあかんな!」
「そうしいぃ?」
「お袋ちゃんの名前はこれやからな!、もう、間違わんよ?に、せんとあかんで?」
「だれが、いれたん?、わたしは、しらんで?」
「お袋ちゃん、すぐ、忘れるからな?(しまったーっ、禁句を)、間違うて、入れてしもたんちゃうかな?」私は気づいて、トーンダウン。
「そんなこと、せーへん!、わたしはなー、にんげんやでー、わすれへんわーっ!」案の定母が怒りました。
「う?ん、、、、、、、、」(同じ間違いを何度繰り返して来たことか、お袋ちゃんご免な?)。母は一人の人間だ。
「わたしのためにぃ?、な?、ありがとうございます」考えさせられる言葉、その(3)
2005/5/19(木) 午後 0:47
某月某日 この日は、宅配便が立て続けに2回届いた。マンション独特の無機質な「ピーンポーン」と鳴るチャイムに、母は未だに馴染めない。(私もだが)。
「ピーンポーン」1回め、この音を聞くと、、、。
「だれやっー!」と、声を荒げ不機嫌になる母。
「宅配便や」
「なんで、いまごろ、くるのん!」
「昼間は、僕らは、おらんときが、多いからな?」
「こんな、おそーからー、あほちゃうかーっ!」と、母はこのチャイムが鳴ると一変に、不機嫌になる。ときには。
「ほっときぃー!」と言うこともある。
「お袋ちゃん、00先生からや」
「00先生て、だれやのん?」
「うん、僕がお世話になってる剣術団体の先生や」
「なんの?せんせい、やてー?」
「そやからな?、武道の先生やんか、先生の奥さんから、手作りの食品を送ってきてくれはったんや」
「なんで?、そんなことするのん?」私が、所属している武道団体の会長だ。その方は、私が90うん歳の母と二人暮しを良くご存知なので、奥さんが、時折こうして、手作りのいろいろな料理を送って下さるのだ。私は全く料理が出来ない。ために、母には、お惣菜や時には恥ずかしながら、コンビニの弁当で夕飯を供することになる。そのコンビニ弁当を母が。
「おいしいわ、にいちゃん、つくったん、わたしが、やらなあかんのに、ごめんな?」と、私に言ってくれる、胸中複雑である。
「美味しいか?、良かった?」と、答えざるを得ない、我が心中は忸怩たる思いで一杯である。こうした生活は「阪神淡路大震災」で被災し、このマンションに移って来て以来、続いている。チャイムの音に対する母の反応もしかりだ。
「にいちゃん、ぶじゅつて、なんやの??」
「ほら、僕が昔からやってる剣術やんか?」
「あ?、そうか?」と、その時、また、チャイムが鳴った。
「またやーっ!、だれやー、ならさんよーに、ゆーといてーなっ!」
「お袋ちゃん、妹の00からやで」
「00?、しらんでぇ?」
「お袋ちゃんの、子?やんか、母の日やからな?、カーネーションのお花、贈ってきてくれたんやで!」
「おハナか?みたいわー!」
「良かったな?、お袋ちゃんがな?何時までも、元気ですごせますように、ゆ?て、贈って来てくれたんやで?、後で、00に電話しとこなー!」
「わたしのために、なぁ?、ありがとうございます」ペコリとお辞儀する母。そして母は、テーブルに置いた妹からの贈り物に手を合わせる。母の感性は全てを分かっている、と私は確信している。
「わたしがっ、そんなことするわけないやろーっ!」徘徊、その(1)
2005/5/20(金) 午後 0:31
某月某日 母が夜中に徘徊を始めたのは、何時の頃からか、私の記憶は曖昧である。最初に母が徘徊した時、多分そんなに驚かなかったのだろう。
「もう、おきてもよろしいか?」朝の7時過ぎだ、私が6時半に起き、ゴソゴソするので、「音」に敏感な母は、直ぐに気づくのだ。
「もうちょっと待ってや?、いま、お茶沸かしてるからな?」
「あいよ、ありがとうございます」数分も経たないうちに、四つん這い(母は圧迫骨折で腰骨を2回折っている)になって、母がリビングにやって来た。
「おはようさん、よ?眠れたか?!」
「おはようございます、うん、ねたよ?」
「そうか、はい、この座椅子に座り?」
「にいちゃん、はよ、おきたんか?」
「うん、さっき起きてな、今お茶飲んでんねん、お袋ちゃんも顔洗って飲みな!」
「あいよ、カオあらうわ?」
「わーっぬくいわ?、ゆ?がでてるやんかー!」
「目え、覚めるやろう」
「ほんまやな?、にいちゃんがしたんか?」
「うう?ん、出るようになってるんや!」
「へぇ?、ほんまかいな、しらんかったー!」
「お茶、おいしいわ、にいちゃん」
「そうか、良かったなー!」
「だれが、いれたん?」
「僕やんか?」
「そんなことまでしてくれたん、ありがとうございます」母が、私にお辞儀する。
「眠たないか?」
「ねむたないよ?、なんでやのんなー」
「夕べ、お袋ちゃん、何回も起きてきたからな?、眠たぁないかなー、と思うたんや!」
「なんかいもっ!おきたっー!わたしがっ!そんなことするわけないやろー!」そうでした。母が夜中に6、7回起きて来てきたことなどは、既に過去のことなのである。
「おか?さん、ねかしてーっ!」徘徊、その(2)
2005/5/23(月) 午後 1:12
某月某日 母の夜中の徘徊は、就寝直後の2時間以内か、明け方近くのやはり2時間直後に多いことが、何となく、分かって来ていた。この日も明け方近くの午前3時過ぎ頃か。
「おか?さん、おか?さん」と、母の声。私が起きるまで、声は続く。
「どうしたんや、寝られへんのんか?」
「ねむたいけどな?」と、母。四つん這いで部屋の中をウロウロする。
「風邪ひいたら、あかんから、寝よな?」母を寝間へ。
「うん」と、返事はしたものの。半時間後。
「おか?さん、おか?さん」母が寝間から這い出て来た。
「なんか、夢でも見たんか?」
「ゆめ、ちゃう、ねむたいねん、どうしよう、わかれへんねん、、、」と、途方に暮れた様子の母。そう言いながら、母は私の寝床で座り込んだ。
「ここで、寝るか?」私の問いかけに。
「うん、ねるわ」このまま、静かに寝てくれたら、と思いつつ。
「にいちゃん、おしっこ」おトイレの帰りに、そのまま、母の寝床へ連れて行く。
「ここで、ねたらええのん?」
「そうやで?ゆっくり休みや?」
「おか?さん、おか?さん、ねかしてー」と、この日、何度目かの母の声。この声を聞くたびに、私は「お袋ちゃん、可愛そうになー、変な病気やなー、心配せんでもえ?よ、僕がついてるからな?」と、心の中で呟くのである。
「さびしいねん」徘徊、その(3)
2005/5/24(火) 午後 0:51
某月某日 母の連日の徘徊で、私は、ダウン寸前。会社でとうとう「寝とけや」と言われる始末だ。
「おか?さん、おか?さん」と母が四つん這いで例によって、私の寝床へやって来た。寝入り鼻と連日の寝不足で、私がなかなか目覚めない。と、母は私を起こしにかかる。布団を引っ張り、揺らし、顔を叩き始めるのだ。
「ちょっと、待って、お袋ちゃん、分かった、もう、起きたよ!」寝込みを襲われた私。
「わたしが、よんでんのに、なにしてんのん?」
「どうしたん?」と、母の顔を見る。
「おしっこやねん、どこにいったらえ?のん?」不安げそうな、母の顔。
「はいはい、行こか?」おトイレが終わり、母を寝床えへ、1時間と経たないうちに。
「おね?さん、おね?さん」と母の声。もう、2,3度起こされているので、眠りの浅い私は、母の声が直ぐ分かる。
「どうしたん?、寝られへんのんか?」母の居室へ。
「どうしょう、にいちゃん、わかれへんねん、わたし、おかしなったんかな?」と、言いながら起きようとする母を、、、。
「そんなことないよ?、はい、こっちで、寝よな!」と、しばらく、母の寝床の傍らで横になる私。
「な?んにも、心配することないで?」と、母の寝床で私が添い寝をする形。母が寝息を立てたのを聞き、なんの屈託もない母の寝顔を確かめて、私は自分の寝床へ。すると、半時間も経たないうちに。
「にいちゃん、にいちゃん、さびしいいねん」と、母の声が。私は、母を自分の寝床へ連れてきた。すでに、リビングのカーテンの隙間から、夜明けの陽差しが差し込んでいた。母と私は同じ寝床で、、、。
「し(死)んでしまうかもわからんな?」徘徊、その(4)
2005/5/25(水) 午後 0:33
某月某日 日が昇ると、母はご機嫌で、日が沈むと、不安感を増すようだ。特に、就寝前は落ち着きが無くなり、不安になるようだ。
「おトイレ行って、もう、寝ましょうか?」と、母を促す。
「うん、そうやな?」
「明日また、学校(デイ施設)やから、はよ寝よな?」
「あした、がっこうか?、なにするんや?」
「明日はな?、お袋ちゃんの好きな、カラオケ大会やでー、歌好きやろ?」母は、ニッコリして。
「うん、スキやー!」
「良かったな、遅れんようにせななっ!」
「そうやな、にいちゃん、かしこいな?、え?ことゆ?わ!」
「僕が、ちゃんと、起こしたるから、ゆっくり寝ぇ?や!」
「はい、おやすみなさい」私も就寝。この後、2,3度おトイレへ。
「おね?さん、おね?さん」と、母が呼ぶ。
「また、おトイレか?、ちょっと今日は多いのんと違うか?、どうしたんや?」
「わかれへんねん、し(死)んでしまうかもわからんな?,,,」と、不安げな顔をする母。
「なに言うてんねんな?、心配ない!」(こう言う時はキッパリと言うのが最良だ)。この母の、全てを私は自然に受け止めるだけである。
「ふっふ?ん、かわいいやろ?」徘徊、その(5)
2005/5/26(木) 午前 11:23
某月某日 認知症の介護の要諦は「会話」にあると、私は母から、教わった。そこから、笑顔を引き出すことが出来れば、どんな会話であろうと、かまわない。それで母と一緒に暮らすことができるのであればそれで良い。夜明け間近い、この日何度目かの徘徊。
「はいはい、行こな!」母をおトイレへ。
「にいちゃんのてぇ、つめたいなぁ?」
「そうか、お袋ちゃんのは暖かいで」
「ねむたいねん、どこいったらえ?のん?」
「もう直ぐや、すぐそこやからな!」
「はよしてぇ」
「はい、此処やで?」母を便座に座らせる。
「コシがな?、イタいねん、なんでやろう?」
「うん、お袋ちゃんの腰な、折れてしもうたんや、そやけど、寝る前に痛み止め飲んだから大丈夫やで?」
「そうかなー、ふっふ?ん」
「なにか、嬉しいのんか?」
「にいちゃん、え?フクきてるな、なんぼしたん?」
「これか?、00で、買うたんや、000円や、安いやろっ!」
「へ?え、そんなんで、うっとたんかいなー、わてのわ?」
「お袋ちゃんのはな、姉?ちゃんが、え?の買うてきたから、高いんとちがうかな?」
「ふふぅん、え?フクか?」
「うん、よ?似合うてるで!」
「ふっふ?ん、かわいいやろーっ!」
「うん、可愛いで?」便座に、ちん、とお座りの母を見上げながら真夜中の親子の会話である。
「ごめんな?、にいちゃんばっかりさして?」徘徊、その(6)
2005/5/27(金) 午前 10:48
某月某日 「逆らわない」、「怒らない」、「大声を出さない(怒鳴らない)」、私は、この「三ない」を母の介護の基本としている。さらに、大切なのは、私が、何かをする時には「00してくるわな」、「00するわな」、「00しような」と、必ず声をかけるようにしていることだ。今宵も何度目かの母の声。
「おか?さん、おか?さん」
「どうした、寝られへんのんか?」
「ちがうねん、おかしぃ?、なってんねん」
「そんなことないよ、誰でも、歳いったら、なるんやから、何?んにも心配せんでえ?よっ!」
「そうか、にいちゃんも、はよ、ね?やっ!」
「うん、お袋ちゃんも寝よなっ!」
「どこでねるの??」不安げな母の顔。
「こっちやで」
「ありがとう、よ?わかってんな」不安が一瞬にして消えた母の表情。
「お袋ちゃんのことやったら、何でもわかるよ!」
「かしこいな?、かぶしてっ!」
「かぶしたるから、風邪引いたらあかんで」掛け布団を、そ?っと。
「ごめんな?、にいちゃんばっかりにさして」(うん、え?顔してる、と安堵する私)。
「親子やんか、お袋ちゃん、当たり前やろう?!」
「そう、おもうてくれんのん、ありがとう」(育ててくれておー気にな?、お袋ちゃん!と私は何時も心の中で呟く)。私は、「三ない」を実践してから、母との絆が一層深まったと思っている。
「こんなとこで、ねさしてもろ?て、ありがとうございます」
2005/5/30(月) 午後 0:39
某月某日 デイのない日曜日。親子二人きりだ。洗濯、掃除、炊事。寸暇の買い物、など、私が動くと母は決まって「なに、ばたばた、してんのんっ!」と聞く。私が動くと、少し、機嫌が悪くなる。日が暮れて就寝。
「もう、ねてよろしいか?」と、眠そうな母。
「うん、ゆっくり寝?や」と、母の居室へ連れていく。
「はい、お休みなさい」と、数分も経たないうちに、ゴソゴソ母の寝間から音がしたと思ったら、四つん這いで、隣のリビングで寝てる私の寝間へやって来た。
「にいちゃん、こんなとこで、ねてんの??」
「そうや、お袋ちゃんの隣やで、心配せんと、寝?や」
「はい、わかりました、すぐ、ねます」と、四つん這いになって自分の寝間へ引き返す。
「ちゃんと、かぶりや、風邪引いたら大変やからなっ!」母が、和室(母の居室)とリビングの段差に躓かないよう確かめながら。
「うん、かぶってます、にいちゃん、ありがとう」
「はい、お休みやで?」その後、2、3度、母はこの、似たような行動を繰り返す。そして、似たような会話を私とやりとりする。
「ねましたか?」と、母が聞く。
「うん、もう寝るよ」と、私が応じる。
「わたしも、ねます」と母。数回はこんなやりとりを、母と私は繰り返すのだ。母は、自分の不安感と戦っているのである。
「お休みなさい」母に声をかける。
「こんなとこで、ねさしてもろて、ありがとうございます」
「良かったな?、ゆっくり、寝れるよ!」
「あいよ?、おやすみなさい」私も、返事を返すと、しばらくして、母の寝息が聞こえてきた。(お袋ちゃん、今日も勝って良かったな?)と、私は思うのだ。今日も恙無くだ。
「どっちがええかな?!」
2005/5/31(火) 午後 0:32
某月某日 母との生活は、毎日が真剣勝負である。それだけに、生活には、一定のリズムを持たせ、常に母の言動に注意を怠ってはならない、と私は思っている。
「もう、これでえ?かな?」と、母が洗濯物をたたんでくれた。
「ああ?、え?よ、有り難うさん!、よ?け、畳んでくれたな!」取り込んだ洗濯物の山。
「にいちゃんのもあるで?」と、母が。
「うん、分かった、僕のは持っていくわ!」
「これ、だれのんや?」
「それは、お袋ちゃんのやっ!」
「わたしのん?、こんなんあったか?」
「うん、え?服やろっ」
「こんなんしらんで?」
「一昨日、学校へ、着て行ったやつや!」
「しらんわー、きたことな?い」
「そうか、ほんだら、明日着て行こうか?、格好え?やんか!」
「にいちゃん、そないおもう?」と、母の表情が和らぐ。
「え?色やー、お袋ちゃん似合うで」
「そうか、ほんだら、きていこうかなっ」母が笑顔を見せる。
「そうしぃ」私もニッコリする。
「おしっこやけどなぁ」
「うん、はいはい、行きましょうか」便座に座った母が。
「コシがな?、イタいねん」
「そうか、後で痛み止めのお薬飲もな!」
「あるのん?ウレしいぃ!」
「おしっこ、もう、え?か?」少し水音が聞こえたような気がした。
「まだやねん、で?へんかったら、どうしたらえ?のんかな?」
「さっき、したかったから、もう直ぐ出るんと、違うか?、ひょっとして、うんちかな?」
「わかれへん、どっちがえ?かな」と言いながら、母は急に背をそらして。
「う?ん」と、いきみはじめた。一生懸命、生きている証拠だ。
PS 今朝のTVニュースで「社会保障制度」見直し、「介護保険の抑制」が流された。要支援、要介護1、の方々は老健施設にも入れなくなる、可能性が出てきた。それ、以外の介護度の方々は月額の保険料が大幅にアップする。認知症や寝たきり老人からも容赦なく「金」を取る。自分の家族は自分で守るしかない。
《2005年6月》
「そうやねん、これもせなあかんから、いそがしいねん」
2005/6/1(水) 午後 0:33
某月某日 嬉しそうに、デイ施設から母が帰ってきた。一服したら、夕食だ。この、夕食を出すタイミングが、最近は、非常に微妙で、難しくなってきた。食べさせるまでが、その呼吸が未だ読めない。まだまだ、未熟。
「お袋ちゃん、夕飯出来たよ、食べよか??」
「うん、、、、、、、」余り、乗り気でない、ご返事だ。
「僕も食べるから、冷めんうちに、はよ、食べよ?な」
「まだ、ちょっとな?」ポケットから、折り畳んだティシュを取り出し、一枚一枚、丁寧にテーブルに広げている。
「お腹すいたやろう、早よ、食べよ?」と、ゆっくり母を促す。
「あのひとだれ?」とテレビを指差す母。
「00さんや!」(まずい、母がテレビを見ると食事を嫌がるのだ)。
「そうか?しらんかったーっ、どこにすんでんのん?」(ま?あ、ゆっくり待つしかないか、と私)。
「00と違うかな?」(こう言う時に、適当な生返事をしてはならない)。
「ここどこやのん?」移り変わる、テレビ画面を見だした。
「00やろ?、この風景、見たことあるからな」(母と一緒にテレビを見てやる事の方が大切なのだ)。
「そうか、にいちゃんいったことあるのん?」
「うん、昔、行ったわ」
「はは?ん、こけてるわー、おもしろいひとやな?、だれや?」
「最近よ?出てる、漫才の人ちゃうかな?」話題を変えるタイミングは、母が笑顔を見せた時である。
「ご飯食べてから、ゆっくり見たらえ?やん」
「うん、、、、、、、、、」母がテレビから眼を離した。さきほど、広げたティシュを今度は、一枚一枚、折り畳み始めた。(しまった。ティシュの箱を隠すのを、、、)。
「お袋ちゃん、今日学校行ったから、もう、疲れたやろ?根詰めたら、しんどいで?」
「そうやねん、これもせなあかんから、いそがしいねん、どうしたら、え?とおもう?」
「うん、ご飯食べてから、したらえ?んちがうかな?」納得したのか、母は、ようやく、箸を手に取った。無理強いは、この病に一番悪いのだ。母と根気良く会話することで対処する。後は流れるままに任せれば良い。
「あーびっくりした、し(死)ぬかとおも?た、あんたがわるいねんっ!」油断、その(1)
2005/6/2(木) 午後 0:39
某月某日 朝と夕食後には、母にお薬を飲ませなければならない。少し前までは、飲むのを嫌がっていたが、最近は、私もコツをつかんで、飲ませ上手になった。だが、これが油断であった。
「もうすぐ、学校(デイ施設)やから、薬飲んどこか?」
「はい、のまして」と、機嫌良く返事をしてくれた。
「はい、この小さいやつ、これは、00の薬やで」一粒ずつ、薬の効能を説明しながらだ。
「そ?うか、ちぃさいなっ」
「うん、簡単に飲めるよ」
「ほんまや!」と、母は私に口を大きく開けて見せる。
「はい、これも小さいやろぅ」
「なんのクスリや?」
「00の薬やで」
「のまなあかんかな??」
「そら、飲んどいたら、楽やんか」
「そうかな??」
「そうやで?、僕もさっき飲んだんやで」母は仕方なさそうに、口をあける。
「んん、、、」と頭をふりふりしながら、飲み込もうと一生懸命になる。その時。
「ごっふおー、ごっふおーっ」と母が顔赤らめ苦しそうに咳き込んだ。気管支にお湯が入ったのだ。咳き込んで母は苦しみの余り、嘔吐した。私は内心「しまった」と思いながら、慌てて、母の背中をさすったり、叩いたりして。
「お袋ちゃん、ご免な?、心配せんでも、もう、大丈夫やからな?」言いながら、ティシュで母の口を拭ってやる。
「ヒーぃヒーぃ、こっふーおん、ごっふおん!!」と母は何回か嘔吐した。しばらくして、ようやく、治まり。
「にいちゃん、クチがなぁ?ニガいねん?」涙目になる母。
「苦しかったか?御免な?、もう、飲まんで、え?からな」
「あーびっくりした、し(死)ぬかとおもう?たっ!、あんたがわるいねん!」涙をこぼしながら母が言う。
「そ?や、そ?や、僕が悪かった、もう、飲まんでえ?からな」言い訳は通用しない。一つ間違うと「死」につながる。「失敗学」と言う学問があるそうだ。1の事故には、29の要素が内在し、300の不注意がさらに内在しているそうだ(私の記憶違いであればお許しを)。母のケアに「油断」は許されないのだ。
「あんたが、したん?」油断、その(2)
2005/6/3(金) 午後 0:33
某月某日 夕食後、母の顔が何時もと違う。はっと、した私。
「お袋ちゃん、下の入れ歯は?」
「あ?ん、あるやろー!」と、母が口を大きく開けて私に見せる。
「無いで?、何処やったん?」(しまった)と思い乍、聞く私。
「あったで?」と主張する母。
「して無いやんか?」(私の声はト?ンダウンする)。
「そのへんに、あるんとちゃうか?」と母。そう言えば、最近、下の入れ歯を、また、よくハズすようになっていた。デイでも、ヘルパーさんが、そのことを指摘していた。デイ用のカバンに「00さんの下の入れ歯」と書かれた紙包みが、別にして入れてあった。急いでカバンを探したが、見つからない。
「お袋ちゃん、今日な?、学校(デイ施設)から帰ってきたとき、入れ歯してたか?」
「ないのんか?わかれへん」かすかな望みは、デイで保管していてくれている、と思うことだ。
「そうか?、明日学校の人に聞いてみるわ」
「そうしたらえ?ねん」翌日、デイの迎えのヘルパーさんに、藁をも掴む思いで。
「すいません、母の下の入れ歯、施設で預かってませんか?」(駄目もとで聞いてみた)。
「えっ!、ありませんか、カバンに入ってませんでしたか?」と、ヘルパーさん。
「ありませんねん、何時もは、連絡帳のケースの中に一緒に入れて頂いていたんですが」
「そうです、00さん、最近、しょっちゅう、はずされますので。デイにはなかったです」
「お袋ちゃん、無いんやて」
「あんたが、したん?」と、悠然と母が言う。この1,2年、安心していたが、私の油断である。また、訪問歯医者に連絡しなければならない。下の入れ歯、4個目である。私は同じ失敗を何度も繰り返す、凡人であることを母から教わった。
「どうするん?」おトイレ、その(1)
2005/6/6(月) 午前 11:15
某月某日 介護の基本は、排泄をいかに気持ちよく、そして「人」として、扱うかである。認知症の場合は、会話と楽しく排泄させてやることが特に大切だと、私は思う。(ヘルパーさんから教わったのだ。私は自分で出来ることと出来ない事がある事を母から教わった。ケアマネさんやヘルパーさんは、私の教師である。教材は母が毎日提供してくれる)。
「お袋ちゃん、おしっこ、無いか?」粗相をさせて、母に恥じを欠かせない為に、この声掛けは大事なことだと私は思っている。
「ん?、ないよ」
「しといたほうが、え?んちゃうか?」母を傷つけないように、、、。この辺が難しい。
「ない、ゆうーてるやろーっ!」と、母が私を睨む。
「そうか?」母が目覚めてから、そろそろ3時間ほどになる。いつもなら、おトイレの時間だ。と、そのとき。
「おしっこ、したいな?」と、母がぽつりと言う。
「やっぱり、おしっこやろう、はい、行こ?うか」
「いま、したなったんやでー、やっぱりてなんやっ!」(しまったー、余計な、ひと言、返す言葉を間違えた)。
「うん、いま、僕がな?、行こか?てっ、言うたんやがな」(言い訳は禁物、正直に)。
「きいてない!はよ、しんかいな!」(ちゃんと見抜かれているのだ)。おトイレへ、母を便座に座らせ、私は対面して、その場でしゃがみこむ。
「ちょろちょろちょろ?、ゆ?てる、でたわー、にいちゃん!」と、ニッコリ。
「良かったな?、元気な証拠やで!」
「そうか、ふふ?ん、げんきなんかな!」と、嬉しそうに。
「そらそうや、うんち、も、おしっこ、も出てるんやから、元気やねん!」
「にいちゃん、かしこいなーよ?しってるなー」
「お袋ちゃんのことやったら何でも、知ってるで?」トイレットペーパーを取りながら、母にさまざま語りかける。
「そんな、よ?けいらん」
「お尻、洗うたら、このぐらい、いるで」
「おゆがな?、きもちえーわ!」
「綺麗にしてくれてるんやで」
「へぇー、そんなことできるんかいな?、もう、え?ねんけどな?、これから、どうするん?」はい、もちろん、私が、お尻を拭かしてもらうのだ。
「はよしんかいな、ばかにしてっ!」おトイレ、その(2)
2005/6/7(火) 午後 0:26
某月某日 寝る少し前は、母の機嫌を細心の注意を払って、損なわないようにしなければならない。おトイレ、洗顔、歯磨き、そして、気持ちよく「お休みなさい」を迎えさせてあげるのだ。気分良くおトイレを済ませてだ。
「お尻洗うたら、気持ちえ?やろ、綺麗になるしな?」私が笑顔で言う。
「うん、ぬくいわ、キレイになるなっ!」母も笑顔で答えてくれる。
「拭いたら、もっと綺麗になるで」
「そうや、キレイにしとかなあかんねん!」用を足し、母のパンツを上げる時、パンツが汚れているのに気付いた私。
「お袋ちゃん、ちょっと待ってやー」
「なんやのん?はよして?な」
「パンツ履き替えとこか、ちょっとな?、汚れてんねんやんか」小声で言う。
「なんでやのんっ!」少しの異変も見逃さない母。
「うん、ちょっと、待っててや、そのまま、座っといてや?」私は、急いで、履くパンツを取りに行く。
「にいちゃん、にいちゃん、もうでるでぇー!」
「直ぐ行くから、ちょっと、そのまま、待っててや?!」
「さあー、これに履き替えよか、気持ちえ?で、綺麗なパンツやからな」母は、履くパンツ(いわゆる、オムツ、だが、この言葉は絶対に言ってはならない、母のプライドを深く傷つけることになる)と下着、そしてスラックス、の三枚重ね着している。
「みな、ぬぐのん?」
「すぐ終わるから、あーあ、触ったらあかん、汚れるやろ?」小声で。母が足をバタバタさせる。
「はよしんかいな、こんなんで、ばかにしてーっ!」(御免なー、僕が、もっと早よ気付いてたら)と、思うのである。
PS 今朝の新聞、TVニュースで70代から80代の兄妹が、8年前から寝たきりのお姉さんを「介護に疲れた」として殺害した「老老介護」の果て、と言う。
「しめたら、あかんやんかー」おトイレ、その(3)
2005/6/8(水) 午後 0:42
某月某日 デイ施設での母の状況を、ヘルパーさんが「今日は、笑顔でご機嫌でしたよ」、「今日はちょっと、入浴を嫌がられましてね」など、出来事を知らせて頂く。私には、これが、非常に有難い。排泄の状況も私の方から「今日はどうでした?」と極力聞くようにしている。
「つれていってくれるのん、ありがとう、とおいのん?」おトイレの時間だ。
「うん、直ぐそこやで、もうちょっと、我慢してな?」
「あいよー、よ?しってるな、かしこいな」と、母の口癖。
「はい、此処やでぇ、ほ?ら、近いやろう」
「こんなとこにあったん、せまいな?」
「ここの手摺もって、ゆっくり座るんやで」便座に座る母。
「どうや、お尻ぬくいやろう?」
「うん、なんでやろ?な、ぬくいわ!」
「ちゃ?んと、座るとこな、温くまるようになってんねんで」
「へぇ?、にいちゃんがしたんか?」
「ちゃうよ、そういう風に、出来てんねんやんか」(いい加減な返事をしてはならない)。
「ふ?うん、あっー、でてきたわ!」
「ちゃ?んと出たな!」
「うんちも、したいけどな?、どうおもう?」
「してもえ?よ、我慢したら、あかんで」
「そうかな?」
「そらそうや、我慢したら、体に、悪いねんで」
「う?ん、う?ん、まだ、で?へんねん」しばらく、かかるかと、思った私は、手洗い用にお湯が出るようにスイッチを入れに行こうとして。
「しめたら、あかんやんかー、なにしてんのんっ!」私は、うっかり、トイレのドアを閉めようとしたのだ。母は、誰かがいないと、不安になるのだ。
PS 昨日に続き、心に澱が溜るニュース。石川県の「グループホーム(認知症の介護施設)で起こった事件の地裁公判で84歳の入居者を虐待死させた介護士」の弁が報じられた。現在、こうした「グループホーム」は全国に6000以上あるという。弱者が、さらに、弱者を、、、。その裏側に「国の福祉切り捨て」や福祉を食い物にする「金の亡者」の影がチラチラ映る。
「ぽいっ!、、、」おトイレ、その(4)
2005/6/9(木) 午後 1:45
某月某日 認知症には、自然体で対応するのが一番である。何をしようと、何を言われようと、ありのままを受け入れることが、大切だと、私は思っている。便座に、ち?ん、と座った母。
「どうや、もう出ましたか?」出たか、出ないかは、関係ない。声を掛けることに意味があるのだ。
「うん、まだ、でるような、きがするねん」
「慌てんで、え?よ、ゆっくりしたらえ?ねんからな!」
「そうかな?、でーへんかったらどうしょう?」
「出る時は、出るんやから、何?も心配せんで、え?やん」
「わかれへんねん?どうしょう、アホになってんねん!」
「阿呆になんか、なるかいな、ちゃんと、トイレに来てるやんか、そうやろう!」
「そうかな?アホみたいやねん、あーっ、でそうやわ!」
「ほら?見てみぃ、阿呆と、ちゃうやんか、ちゃんと、出るよ!」
「でたわー、にいちゃん!」と、笑顔で声をあげる母。
「良かったな?、はい、ほな、拭こか!」と、私。
「だれがー?」と、母が。
「うん、拭いたるやんか?」と、私。
「きもちわるいっ!、じぶんで、ふくわいなっ!」と母。(母はプライドもちゃ?んと持っているのだ)。
「そうか?、ほな、この紙で拭きや!」母は、九の字の九の字になって、顔が床にくっつきそうになるくらい腰を折り、ティシュを自分のお尻あたりに、当てて一生懸命拭き始めた。
「えらいな?、拭けるやん、そのまま、ぽいっと、捨ててや!」
「ぽいっ、としたらえ?のん?」
「そうや」
「ぽいっ!」と、母は拭ったティシュを、私に投げた。
「あーっ!」私の顔面にティシュが当たった。(お袋ちゃん)便器の中へ、、、。
「ぽっい、、、やんか」とは、後の祭りである。母の前では隙だらけだ。(これが手裏剣やったら死んでるなー)。
「こうして、おくらなあかんやんかっ!」おトイレ、その(5)
2005/6/10(金) 午後 0:54
某月某日 どのような、行動を取ろうとも、それを、決して否定してはならない。認知症と言う病にかかってしまったら余計に、そこには、人間としての、自立した世界があるのだ。その時、どのように、接するか、だ。
「にいちゃん、おしっこ!」早朝、母の声がした。私は急いで。
「はいはい、行こか!」と答え、母をおトイレへ。
「ゆっくりな?、慌てんでもえ?から」母を抱き上げ立ち上がらせる。
「はよー、どこやのん?」
「もう直ぐやからな!」
「はよしてー!」
「怒ったら、あかんやん、直ぐそこやからな?」トイレは一晩中開け放してある。母が夜中に徘徊して、自分で行くかも知れないからだ。常夜灯も一晩中燈してある。眠そうな顔をしながら、母は便座に一息ついて座った。
「ゆっくりしぃや」眠そうな母に声をかける。
「、、、、、、、、」眼を閉じてしまった。
「どうしたん?出?へんの?」と声をかける。
「でるぅ!」と、母。
「そんな、怒らんと、な?」
「わかれへん、ゆーてんねん!」眠気で、ご機嫌は余り宜しくない。
「自然に、出るから、心配せんでもえ?よ」
「あー、でたわ!」
「良かったな?、気持ちえ?やろ!」
「まだ、でそうやねん」
「うんちかな?」と、言ってみた。
「かもわからん?」と、母。
「ちょっと、電気つけてくるから、出るまで、ゆっくりしぃや」廊下の電気を点けに私は急いだ。トイレに戻ると。
「うん、お袋ちゃん、何してんのん?」
「、、、、、、、、、」母が、腰を折るような姿勢で。
「あーっ、それっ、あかん!、汚いやんかー」と、思わず私は声を挙げた。母は、ティシュで拭き取った便を両手で一生懸命包んでいたのだ。
「それ、うんち、やでぇー!」母を抱き起こしながら。
「なんやのん?こうして、おくらなあかんやんかっ!」便だらけで、くるまったティシュを持って、母が言う。
「分かった、わかった、手ぇー汚れるから、僕がするから、借してみぃ」慌てず、ゆっくりしてやるのが肝心だ。母の手にも、私の手にも同じものがつきました。
「ウレしい?、してくれんのん?」母の笑顔、その(1)
2005/6/13(月) 午後 0:37
某月某日 認知症の進行を少しでも遅らせたい、と願うのは、直接介護をされている方たち共通の願いだろう。私が選んだのは、生活にリズムを持たせることと、会話だ。そして何度も何度も、四季の話題を会話の題材にすることだった。(医学的に効果があるかどうかは分かりませんので、念のため)。
「お袋ちゃん、見てみぃ、この、トラの尾(サンスベリア)、こんな大きなったで!」
「ほんまやな?、こないなったら、どうするん?」
「うん、分けてな、増やしたらえ?のんと違うか?」数年前に、姉が持ち込んできた、サンスベリア、当初は4?5本くらいで、高さも30センチほどであった。姉いわく「部屋の空気キレイにしてくれるんやて?」。それが、いまや、30本くらいに増え、高さも大きいものは、有に1メートルを超えるほどに成長した。
「そ?や、そうせんと、じゃまになるわ」と、母が言うほど成長したのだ。1年ほど前に、鉢の植え替えをした。最初の鉢が割れそうになったからだ。大きな鉢に植え替えた途端、この「トラの尾」はニョキニョキ、四方八方、伸びたい放題、伸びはじめた。
「だれがくれたん?」
「お姉ちゃんが持ってきてくれたんやで?」
「いつーぅ」
「う?ん、もう、だいぶ前や、大きなったやろー、春やな?、みんな元気になるわ!」
「もうハルか?、おおきいな?、どうするん?」
「そやからな?、二つに分けてな、お袋ちゃんの部屋に飾ったるわ!」
「ウレしい?、してくれるのん?」母は満面の笑みを浮かべて。
「やっぱり、にいちゃんかしこいな?、はよ、してな!」トラの尾を見上げながら、親子の会話がはずむのだ。
「ふふ?ん、ばあー、もうおきてもよろしいか?」母の笑顔、その(2)
2005/6/14(火) 午後 0:50
某月某日 早朝6時半、目覚ましが鳴る寸前に起床する。体内時計が働いているのである。数分後に目覚ましがなる。何時ものことだ。音に敏感な母は、私の物音に直ぐに気付く。
「おか?さん、おか?さん」母が声をあげた。
「まだ、早いよ、お袋ちゃん、寝とってえ?よ」
「そうですか?」
「ご飯の用意できたら、起こしたるからな?」母の顔を覗き込んで。
「あいよーっ」母は何時も、徘徊の疲れが残るのか、8時前ごろまで、朝寝をする。私は、朝は猛烈に忙しい。洗顔、湯沸し、身支度、朝食、時には、洗濯と、母を起こす前にこれらを手早くこなさなければならない。一段落したら、母の寝床を覗きに行く。
「ぷ?っ、ぷ?っ、、、、、、」と、入れ歯の無い口を、すぼめてふくらまして、本当に幸せそうないい寝顔だ。腰が痛いのか(母は2度圧迫骨折している)横向きに九の字になって寝ている。
「あぁ、にいちゃんやーっ!」と、母は私の気配に直ぐに気付く。
「うん、え?よ、青天やでー、え?天気やわ!」と母に言う。
「ふふ?ん、ばあー、もうおきてもよろしいか?」母が笑顔で答える。私が差し出した両手に、母も応じる。
「今日も一日、一生懸命生きよ?な!」と、語りかけながら母を抱き起すのだ。
「わー、きてくれてたー、うれしいっー!」母の笑顔、その(3)
2005/6/15(水) 午後 0:42
某月某日 月曜日から土曜日まで、母は毎日デイへ行く。90うん歳だから、体調の波があるのは、いたしかたない。幸い、この何年か母は休んだことは一度もない。唄うのが大好きな母に、デイに行かせるきめ台詞がある。
「今日はな?カラオケ大会やから、歌、唄?て帰ってきたらえ?ねん!」と言うのだ。
「どんなウタや?、うとう?てみぃ」母の好きな童謡唱歌を2、3曲、私が口ずさむと。
「あーっ、それしってるわ!」と、連れて母も唄いだす。だいたい、これで、機嫌を良くして。
「ふん、それやったら、いかなあかんな?」となるのだ。
「学校(デイ施設のことを、母は学校と呼んでいる)のバスきたよ、行こーか!」
「あいよー」と、ご機嫌な様子だ。
「お早うよう御座います、よろしくお願いします」バスから、降りてくるヘルパーさんにご挨拶。
「00さん、行きましょか、今日は、元気そうやねー!」と、ヘルパーさん。
「おはようございます、コシがな?、イタいねん」と、母。
「ゆっくり、乗りましょうね!」すでに、数人の方が乗車している。
「はい、00さん、ここに乗りましょうか?」
「みなさん、おはようございます」と母がペコリと頭を下げて挨拶する。バスの扉が閉まりかけると、母が振り向き。
「にいちゃんもこんかいなー!、なにしてんのん!」と声を挙げる。
「うん、00さん、お兄ちゃんは後から、きはるからね?、先に行きましょうね!」と、ヘルパーさんが。最近は毎日こうだ。これで、母は納得し。
「ばいば?い!」と車窓から私に向かって手を振るのだ。
午後四時過ぎ、同じバスで母が帰ってくる。車窓から、私を見つけた母が手をふりながら。
「にいちゃんや、にいちゃんや、わーきてくれたーうれしいーっ!」満面の笑みをこぼす。
「お袋ちゃん、お帰りぃ!」と、私も自然に両手を広げる。バスの扉が開くと、母は手を叩いて、周りもはばからず、大はしゃぎ、私も思わず笑みをこぼす。
「ふふ?ん、うたえたー、わたしよ?しってるやろー」母の笑顔、その(4)
2005/6/16(木) 午後 0:34
某月某日 母は歌が大好きだ。もっぱら、聞くほうではなく、自ら「唄う」ことが好きなのである。もちろん、知ってる歌でなければならない。食事は気の向くままだから、なかなかはかどらない。
「お袋ちゃん、ご飯もうちょっと食べな?」
「たべてるーっ!」
「ぜんぜん、減ってへんやんかー?」
「いま、これ、これたべたやんかー?」と、言いながらティシュを一枚ずつ取り出し初めている。
「ティシュの仕事な?、ご飯食べてからしたらえ?やん」母はティシュペーパーに夢中になる。箱から、一枚一枚取り出しては、丁寧に折り畳んで積み重ねていくのだ。
「ここに、いれなあかんから、さき、せなあかんやんか、それもわからんのんっ!」
「後でゆっくりしたほうが、え?と思うけどな?」
「せな!、あかんのっ!」と、私を睨む。この時ばかりは、母にとって、私は敵になるのである。
「そうか?ほんだら、それ済んだら、食べや?」敵では無いことを母にやんわり。
「あいよーっ」これで私は敵では無くなったのだ。私が食事を終えても、母は依然としてお仕事に夢中。いや、佳境に入った感がする。こうなると、ティシュの箱が空になるまで止まらない。
「もう僕、ご馳走さん、したで?」
「ふ?ん」私は母の眼中にない。
「あーっ、お袋ちゃん、この歌な?、知ってるかー?」と、私は母の琴線に呼びかける。
「どんなんや?」私は、母の好きな童謡を、一節口ずさむ。
「しってるわいな!」母が振り向く。
「ほな、最初から唄お?か?」母と二人で、合唱する。母のお仕事の手が止まった。数曲、続けて合唱だ。
「はい、また後で唄お?な、さーご飯にしょう」
「ふふ?ん、うたえたー、わたしよ?しってるやろー」笑顔の母。
「ほんまや、よ?覚えてるな!」お箸を持たせると、歌の余韻にひたりながら、ニコニコしながら、母は食事をはじめた。
「ヘルパーさんやっ!、にいちゃんきはったっー!」母の笑顔、その(5)
2005/6/17(金) 午後 1:08
某月某日 私が、母の介護で倒れず、元気でいられるのは、デイ施設の多くの方々に支えられているお陰である。この方たちのご協力や支えがなければ、私は間違いなく、病院行きである。今日も。
「お袋ちゃん、服着替えよか?」
「うん、きせて!」
「どれが、え?かな」母の服を選ぶのは、少々迷う。
「なんでもえ?やんか!」母のほうが、頓着ない。
「もう、暖かなったし、こないだ、お姉ちゃんから送ってきてくれたグリーンの服がえ?のんちゃうか?」
「へぇー、そんなん、あった?」
「着てみるかー?」
「うん、きたいわ?」
「ほれ、これやで?、え?色やろ、格好えーわ!」拡げて見せる。
「そうか?わたし、このいろスキやねん!」
「学校で自慢できるで?、00さんしゃれた服着てるなーっ、て言われるでー!」
「そうかな、そうおもうかー?」
「うん、お袋ちゃん、よ?似合?てるわ!」母も当たり前だが、れっきとした女性である。
ピンポーン、チャイムが鳴る。
「あっー、ヘルパーさんが、来はったでー」
「お早う御座います、00さん、00です」と顔馴染みのヘルパーさんだ。
「は?い、どうぞ」と招じる。私が最も信頼している、ヘルパーの00さんである。母の状況を事細かに話してくれる。私は00さんから介護の「イロハ」を教わった。母も。
「ヘルパーさんやっ、にいちゃんきはったっー、ウレしいぃーっ」子供のようにはしゃぐ母。母の満面の笑みが、00さんを信頼しきっている証左である。
「ほんまかいな?、いつそうなったっ?」茶の間、その(1)
2005/6/20(月) 午後 1:20
某月某日 家庭、家族、茶の間、団欒、これがないと、国は傾く。と、私が尊敬する大学のゼミの先生(哲学者)が言われたことを思い出した。母が悠然とTVを眺めながら。
「このひとだれや?」
「知らん人やな!」
「へぇー、にいちゃんもしらんのんっ!」
「うん、見たことない人やわ!」
「なにしてるんや?」
「何か、説明してはるん違うかな?」
「ここどこやー?」
「何処やろな、どっかの海辺やな」浜辺の風景が映っている。
「どこかもわからへんのん?」
「あーっ、お袋ちゃん、ここ北海道ちゃうかな」見た覚えのある風景が目の端に入った。
「いったことあるのんかー?」
「思い出したわ、昔、旅行で行ったわ!」
「えらい、としいったはるな?、あたま、しろ?なってるで、このひと」と、母がTV画面を指さして。
「う?ん、だいぶん、歳いったはるな、もう、え?お婆さんやな、そやけど、元気やんか」
「そうか?、あたま、しろいでぇ」その時、画面に字幕スーパーが流れた。
「00町の0000さん、79歳やて?」字幕を読んで母に言う。
「そうか?、なにしてはるひとや?」
「00つくったはる人や、言うたはるでぇ」
「00て、なんやのん、としいったはるなぁ」
「うん、そやけど、お袋ちゃんより、ずっ?と若いから、元気やんか」
「わて、なんぼや?」と母が聞く。
「忘れたら、あかんやん、お袋ちゃんは、90うん歳やんか??」
「あーっはははーっ、ほんまかいな?いつそうなったん?」と母が可笑しそうに笑う。
「うん、、、、、、、」俗世にいる凡人の私には到底及ばぬ母の笑いである。母は3日後に誕生日を迎える。また一つ齢を重ねるのだ。
「お袋ちゃん、今日も元気で良かったな?」と母に言うのが精一杯だ。
「もう、ねましたか?、へんじぐらいしんかいなっー!」茶の間、その(2)
2005/6/21(火) 午後 0:35
某月某日 デイ施設からの連絡帳に「今日は入浴を強く拒否されました」と、記されてあった。案の定、ヘルパーさんから「00さん、ご機嫌斜めで、ちょっとあばれましてん」と言われ。「そうですか、ご迷惑かけました、すんません」と、ヘルパーさんに謝った。
「優しくしてあげて下さいね」と、ヘルパーさんが気遣って。
「はい、分かってます、お?気にぃ」デイでの、母の様子を知る貴重な情報だ。
「そろそろ寝よか、うつらうつらしてるで?、お袋ちゃん」
「う?ん、そんなじかんかー?」眠そうな母。夕食後、母はデイでの疲れからか、座椅子にもたれかかり気持ちよさそうに、まどろんでいた。
「風邪引いたら、あかんから、なっ、寝よ?」と、声をかける。
「おしっこっ!」
「よっしゃ、おしっこしたら、寝よな?」トイレを済ませ、母を寝床へ。
「はい、此処やで、お休みやで?」
「こんなとこで、ねんのんか?」
「そうや、何時も、此処やで!」
「はい、お休みなさい」しばらくして、私も寝床へ。
「おね?さ?ん、おね?さ?ん、ねたん?」と母の声がする。
「もう、寝るよ?、どうしたん?寝られへんのんか?」
「ねむたいねんけどな?、どうしてるんかな?と、おもうて」と、母が四つん這いになって、私の寝床の足元までやって来た。
「ふっふ?ん、にいちゃんやっ!、ねてるんかー!」見?つけたーと、言わんばかりの母の笑顔があった。
「うん、もう、寝るよ?、お袋ちゃんも寝?や!」
「あいよ?」ご返事よろしく、母は自分の寝床へ戻って行った。こういうときにこそ、油断は禁物。私は母を追いかけた。
「うん、、、、、、、ちゃんと、かぶりや、風邪ひかんようにな?」母が、掛け布団もしないで横になっていたのだ。
「わかってますぅ?」しばらくして。母の声が。
「もう、ねましたか?」
「うん、、、、、、、、」と、私が小さな声で返事したのだが、聞こえ無かったのだろう。母が。
「へんじぐらいしんかいなー!」と、大声を挙げた。このやり取りが、数回は続くのだ。生返事は見透かされるのだ。
「あほちゃうかー!、そんなことせーへんわっ!」茶の間、その(3)
2005/6/22(水) 午後 0:33
某月某日 母は、幼い頃から、気管支に持病があり、顔を真っ赤にして、年中「咳」をしている。本人は「風邪」だと思っているようだ。母のティシュペーパーに対する執念は、その辺にあるのではないか、と私は推測している。
「あぁ?あ、お袋ちゃん、そんなとこで、ぺーッ、したらあかんやんか?」
「ぺーっ、ぺー、ぺーっ!」聞く耳持たぬ母。
「あ?あ、ティシュでせなあかんで?、絨毯に染み込んだら汚れがとれへんやんか??」と、取りあえず小声で呟く私。
「カミかしてぇー」
「ちょっと、待ってや、直ぐ、拭くからな」絨毯を、濡れティシュで拭き取る私など、母の眼中にはない。
「はよ、かしぃーな、カミかしぃー!」これ以上待たせるとまずい。私の経験則がそう言っている。
「はい、これ、ほれな?、此処、汚いやろ?、紙あるから、咳が出そうになったら、紙にしぃーや」
「わかってるがな!」ティシュを引ったくりながら、母が仰る。
「あっち、こっち、ぺっぺ、ぺっぺ、したらあかんねんで?」と、呟く私。
「そんなん、してないーっ、ばかにして!」この呟きを、聞き逃すはずがない。母の声のトーンが上がった。
「うん、、、、、」(これ以上、言うのはまずいかなー)。先日も、デイの連絡帳に。
「今日も床にツバを吐かれました」と記されてあった。
喘息ではないが。母の場合は気管支が生まれつき細いのだそうだ。下の入れ歯を無くして製作中のため、唾液が溜りツバが余計に出るようである。
「入れ歯もう直ぐ、出来るから、ぺーぺー、吐くの止めよな?」とやんわり。
「してないっ、ゆーてるやろーっ!」
「うん、、、、、」(まずかったか!、私の経験則が、、、、)。
「分かった、出るんやもん、しょ?ないな、紙にするよ?にしたらえ?んやから」
「ちゃんと、してるわいなー!」
「ご免、病気やからな?、しょうないわ!、ツバ出るんやもん、吐いたらえ?わ」
「アホちゃうか、きたないのに、そんなことせーへんわー!」と母。
「うん、、、、、、」(母の方が鋭い、私は手もなく切り返えされたのだ)。朝、母の寝床の回りには、あちら、こちらに、ティシュの固まりが散らばっている。(掃除をすれば済むことで、まあどう?と言うことでも無い。病気の方が心配だ)。
PS 今日は、お袋ちゃん、のお誕生日です。90うん歳になりました。お袋ちゃん「おめでとうなー」。好物の「カステラ,買ーて帰るからねー」。
「へー、そんなんなったん!、いつからやー」茶の間、その(4)
2005/6/23(木) 午後 0:42
某月某日 夕べは蒸し暑かったのか母はいつもより、徘徊の回数が増え親子ともども、よたよたの朝を迎えた。
「まだ、ねむたいのに、さわりなっ!」当然のことだが母の機嫌は悪い。
「そんなこと言う?ても、もう8時やで?、早よ起きな、学校いかれへんやんか?」と、呟く私の声が。
「しらん!いけへん!あっちいきんかいな!」三連発ではじき返された。母は地獄耳なのだ。
「ほんだら、もう、ちょっと寝るか??」
「かぶせてー、さぶいねん!」母に、もう一枚毛布を掛けた。
「はいはい、ちょっと、煙草吸うてくるからな?」と言ってベランダへ逃げることに。
「あいよ」と、母。リビングから、ベランダへ、灰皿と腰掛が置いてある。裏道の三叉路の道路。高校生、中学生、小学生らが行き交う、この裏道は通学路になっているのだ。
「皆さん今日も元気そうやなー」と、眺めていた。網戸越しにかすかに母の声が聞こえた。
「ね?さん、ね?さ?ん」と、母の声が聞こえた。
「起きたんか??いま、煙草吸うとってん」
「なんや?そこにおったんかいな?」おトイレ、洗顔、身支度、食事の用意、今日は入浴のある日だから、バスタオルや着替えの下着等、それにゴミの日だ。よたってはいられない。息つく間もなく私は動く。
「なにばたばたしてんのん!」そんな私を、母はしっかり見ているのだ。
「うん、もう、終わりやで、お袋ちゃん、食べたか?」朝食が残っている。
「ま?だ」(この余裕には勝てんなー、と何時も私は思う)。
「もう直ぐ、迎え(デイ施設の送迎者の方)に来はるから、食べたら薬飲もな!」
「いらん!」
「大事な薬やで、お袋ちゃん、これの、お陰で、90うん歳まで、元気なんやでぇ」
「そんなん、なってへんわーっ!」と母。
「ふ?ん、ほんだら、お袋ちゃん、歳、なんぼやのん?」
「う?ん、、、30、、、なんぼぐらいちゃうかな?」
「はっはははーっ、お袋ちゃん!、それやったら僕より、歳下やんか?」
「あんた、なんぼやの??」
「もう50うん歳やで!」
「へぇー、そんなんなったん?いつからや!」ニコニコしながら、母が聞く。今日はご機嫌良くデイに行ってくれそうである。何の変哲もない、言葉を交わすことだけで良いのだ。
「ひとが、きいてんのに、あんたもしらんのんかいな!」茶の間、その(5)
2005/6/24(金) 午後 0:42
某月某日 普段から、テレビは滅多に見ないし、集中しない母だが、時たま1?2時間、私に聞きながら、見る時がある。
「はっはははー、にいちゃんこのひと、おもしろいでー、みてみぃ」
「どうしたん?」と私もつき合う。
「わたしみてなー、わろ?てんねん!」
「えらい、お婆さんが、見てるわ!、思うて、笑ろ?てんのんちゃうかー?」と、母を茶化した。
「そやろなー、ははははっー、まだみとるねん!だれやのー?」悠然と受け流す母。(子供は親には勝てません)。
「漫才師?、ちゃうかな??、最近よ?け、いたはるからな!」
「どこのひとや?」
「う?ん、どこの人かな、知らんけど、東京に住んでるんちゃうか?」
「ふ?ん、いつきたん?」
「最近ちゃうか?」
「ここどこやー?」
「そら、東京やろう?」
「なんで、わかるん?」
「これな!、東京の番組やからな!」
「あのひと、だれや?わたし、みよったわ!」
「これ、お袋ちゃん、コマーシャルやんか!」
「なんの、こまーしゃるや?」
「うん、、、、もう変わってしもたから、分かれへんわ」
「なんで、こんなこと、してるん?」
「まあ、コマーシャルやから、何でもやらされるんやっ」母がTVを眺めている間は、このような会話が延々と続く。私が新聞を見ながら、生返事をしようものなら。
「にいちゃん、これだれやー?」
「うん、、、、、、、、、、ちょっと分かれへん」
「ひとが、きいてんのに、あんたもしらんのんかいなー、あほ、ちゃうかー!」鋭い。生返事は直ぐにばれるのだ。
「うん、、、ご免ご免、ちょっと、見てへんかっただけやんか?」言い訳をする、小心者なのだ。
「みときんかいなー!」母の声は、凛としている。(お袋ちゃん、えー度胸してる。丹田が座っとるわ)。
「わたしを、ころすつもりやろー!」茶の間、(番外)
2005/6/26(日) 午後 0:00
某月某日 介護しなければならない時と、看護しなければならない時があることを、私は母から教わった。この辺を見極めるまで、私も随分と時間がかかった。まだ見極めてないことを、後で知ることになるのだが。そろそろ寝る時間だ。
「もう、かえろうー?」と母。
「うん、どこへ、帰るん?」
「00やんかー?、わたしのイエやっ!」
「お袋ちゃんの家、此処やで?」
「こんなとこ、ちがうわー!」
「なに言うてんのん、ず?っと、此処で、僕と一緒に暮らしてるやんか?」
「へぇー、わたし、こんなとこでねるんかー?、ねたことないで」ここで、私は、10年前に阪神淡路大震災で、我が家が被災し、ここに移って来た経緯をゆっくり母に聞かせる。何度も何度もだ。だが、母は。
「あんたっ、わたしにはなー、00にイエがあるんやでー、もうかえりたいねん、それも、わからんのんかー!」
「そやからな?、お袋ちゃん、よ?聞きや?」と、私は、同じ話を繰り返すのだ。
「へー、しらんでー、わたしは、こんなとこで、ねられへん、ねたことないっ!」
「お袋ちゃん、今日学校(デイ施設)行ったやろ?、何時もな、此処から、通ってるねんで?」
「がっこう!、そんなとこ、しらん、いってへんわー、!」こんな、やり取りがしばらく続く。
「なあ、そやから、お袋ちゃんと息子の僕と、此処で、こうして、一緒に暮らしてるねんで?」
「あんたぁー、むすこっ!、しらん、あんた、よそのひとやろー!」母の顔が険しくなる。こうなると、もう、介護ではなく、看護しなければならない。
「分かった、お袋ちゃん、ご免な?、明日、一緒に、家に帰るから、今日はもう、遅いし布団も敷いてあるし、ここで泊まろう」
「なにが、かえろーや、わたしを、ころすつもりやろー、てぇーはなしんかいなー」行こうとする母を両手で止める私。
「ご免な?、明日、絶対に00の家に帰るから今日は遅いから、此処で、辛抱して?な」
「うそついたら、あかんねんでー!」と母が私を睨む。介護と看護。どう、違うのかは、かなり難しい。表情を見るのが一番だと、私は思っているのだが。
「きやはったわー、きやはったわー、わ?うれしい?」ヘルパーさん、その(1)
2005年/6/27(月) 午後 0:25
某月某日 ケアプランを立てる作業は大変な仕事である。介護度に応じて、それぞれ異なる家庭の事情を抱えた介護者や、その家族の「意」を汲まなければならないのだから。
「今日は稽古に00まで行ってくるわな!」
「ふ?ん、きょう、いかなあかんのんか!」
「うん、その代わりな?、ヘルパーさんが来てくれはるからな!、お袋ちゃんは、何?んも心配せんでえ?で」
「ヘルパーさんて、だれやのん?」
「何時も、お袋ちゃんのこと、見てくれてる人や、顔見たら分かるわ!」
「しらん、お?たことない、あんた、わたし、ほっとくんかー!」母の機嫌が悪くなる予兆の表情だ。
「ほっとけへんで?、直ぐ、近くやからな?、直ぐに、帰ってくるやん」
「ほんまか?、すぐ、かえってくるのん?」
「うん、直ぐやでぇ」ピンポーン。
「あーっ、来はったよ?」
「00さん、00です、お早うございます」
「ほら?、お袋ちゃんのこと良?知ってる00のヘルパーさんや?」
「お早う、ございます、よろしくお願いします」私は信頼しているヘルパーさんに挨拶する。ヘルパーさんは、直ぐに母の両手を包み込み。
「00さん、00です、今日は?!」
「わーっ、ヘルパーさんや!、にいちゃん、きはったわー、きはったわーうれしぃー!」と、母の機嫌が一変する。
「それじゃー、行ってきます、よろしくお願いします。お袋ちゃん、行ってくるわな!、バイバ?イ」
「00さん、兄ちゃん行きはるよ?、バイバ?イ」
「うん!バイバ?イ」笑顔で手を振る母。さすが、プロである。(お袋ちゃんを、頼んますぅー)。
「これぇ、わたしかぁ?はっははー、だいぶとしやなー!」ヘルパーさん、その(2)
2005/6/28(火) 午後 1:21
某月某日 先日、デイ施設で今月がお誕生日の方達の、パーティが開かれた。母も90うん歳の誕生日を迎えた。その時の写真が出来上がってきた。00施設のヘルパーさん職員の皆様、このブログを借りて御礼申し上げます。その時に撮った写真を見た母は。
「これぇ、わたしかぁ、はっははーっ、だいぶとしやなー、よ?うつってるやん、な?にいちゃん!」
本当に嬉そうだ。何度も同じ事を繰り返し「写真」を何度も私に見せる。(良かったなー、お袋ちゃん)。
「そんなこと、せーへんわ!」ヘルパーさん、その(3)
2005/6/29(水) 午後 0:52
某月某日 毎月、ケアマネージャーさんと、母の翌月のケアプランの打ち合わせを行う。ケアマネさんは、兎に角お忙しい。何時も、ハードスケジュールの合間を縫って、私との時間調整をしていただいている。母は、一体何人の人達に支えられているのだろうか、ただただ感謝。
「00さん、来月から、こういうケアプランを提案させて頂きたいのです」と、ケアマネさん。
「はい、そうですか」差し出された、母の1か月分のケアプランの用紙に目を落とす。
「00さんは、金、土曜日ぐらいになると、だいぶ、お疲れモードになるようですから」と、母の様子もしっかりと把握。
「木曜日は、デイ施設ではなく、家にヘルパーさんを派遣して頂いてケアするようになるんですね」と私。(母が施設で結構暴れるのだ)。
「はい、そうです。ず?と、毎日デイだと、週末は少しイライラされて、お疲れのようですから、そういうプランを立ててみました」
「そうですね、土曜日の入浴を、お袋ちゃんは、良く拒否するみたいですから」
「はい、まあ?、こんなこと、あれですけど、足を蹴ったり、とかですね、アザができた介護士さんもいましてね」
「は?、それは、私も、聞いてまして、私も、やられますんで。一日間を空けてやる、このケアプランで、そういうことがなくなれば、ご迷惑かけずにすみますし、来月から、このケアプランで、よろしくお願いします」
その日の夕方。
「お袋ちゃん、来月からな、木曜日は学校休みになるんや?」
「ふ?ん、なんで?」
「毎日行ったら、疲れるやろ?」
「つかれへんわー!」何時もながら、少しの異変も見逃さない、感の鋭い母である。
「うん、、、そやけど、お袋ちゃん、時々、お風呂いやがるやろぅ」
「おフローッ!、はいったことないわー?!」
「そうか?、まあ?な、それはえ?ねんけどな、毎日、行かんでも、一日学校休んでその日は家でゆっくりしたほ?が、え?んちゃうんかな?」
「わたしを、ほったらかしかー!」
「そんなこと、せ?へんよ。その日はな、ヘルパーさんが、ちゃんと来てくれはるから」
「ふ?ん、それやったらえ?やん!」
「ほんだら、そうしてもらおな?、ヘルパーさん、蹴ったりしたら、あかんで?」(しまった、余計なことを)。
「あほちゃうかーっ、あんたわーっ!わたしぃ!、そんなこと、せーへんわ!」決して聞き逃さないのだ。
「そらそう?や、お袋ちゃん、ヘルパーさん、好きやもんな?」と、前言を消そうとする私に。
「あたりまえやわー!」と母が一喝する。来月から、母の新しい、ケアプラン生活が始まるのだ。異変を微塵も見逃さない。凡人の私では、ハナから勝負にならないのだ。
「だれが!、そんなきたないこと、せーへんわ!」ヘルパーさん、その(4)
2005/6/30(木) 午後 1:27
某月某日 2ヶ月に一度、デイ施設で「家族の集い」とする、催しが開かれる。ここで、介護者のご家族が、様々な悩みや施設からの諸事業等の意見を交換する。この仕組みは非常に有難い。集いが終わり、母の様子を見に行った。
「お袋ちゃん、お昼ご飯食べたんか?」広々した施設内で母を見つけ声を掛けた。
「あぁー、あんたかいな、たべたかな?」悠然としている母。と、通りがかったヘルパーさんが。
「00さん、良かったね!、兄ちゃんきてくれて?」声をかけながら母に笑顔を向けてくれる。
「ああ、いつも、お世話になります。お昼どうでしたか?」と、尋ねてみた。
「はい、今日は完食でしたよ!、ねー00さん!」
「ははーっ、ほんま?、たべたぁ?」と、笑顔を返す母。
「うん、美味しい、美味しい、言う?て、ね?00さん!」
「なんや、お袋ちゃん、美味しかったんやんかー!」
「わからんねん?どうしょう、にいちゃん!」
「うん、食べた、言う?たはんねんから、何?も心配せんでえ?やんか?」
「そうですよ、00さん、今日は、大好きな歌も上手に唄えたしね!」
「そうやったかな!、わて、ウタ、うとう?たんか?」
「フレーフレーフレーフレー、ゆ?てね(阪神タイガースの応援歌六甲颪だ)」
「はは?ん、それ、僕がいつも唄ってますねん」
「よ?覚えてはりますよ?」
「あたりまえや、わすれへんわー!」と、母はニコニコしながら、負けずに言い返す。
「00さん、ちょっと」と、ヘルパーさんが私を。
「お家では、ツバを吐いたり、しやはりますか?」小声で、ヘルパーさんが。
「えっ!、ここで、お袋、吐きましたか?」
「はい、最近、ちょっと、多いんで、お家では、どうかな?思いまして」
「は?、家でもやりますねん。気管支に疾患がありまして」
「そうですか、お薬は、いただいてはるんですか?」
「はい、朝晩、治療薬を飲んでるんですが?」
「まあ?、気にしないで下さい、私らが見て対処しますから」
「すいません、よろしくお願いします」
「お袋ちゃん、ツバ出そうになったら、ティシュに出しや?、床に吐いたらあかんで?、汚いやろ?」と、やんわり。
「だれが!、そんなきたないこと、せーへんわ!、なにゆーてんの!」はい、そうです。
(お袋ちゃんやないわなー、病気のせいや!)と、呟く私。
《2005年7月》
「このひとなー、え?ひとやねん、ねぇー!」ヘルパーさん、その(5)
2005/7/1(金) 午後 0:37
某月某日 母は、要介護度5である。四六時中見守りが必要だ。寝ている時も、何時、徘徊するか解らない。ケアマネージャーさんの配慮で、月に2回、日曜日にヘルパーさんを派遣して頂き、私は、武道の稽古に当てることになった。
「ただ今!、お袋ちゃん、帰りましたよー!」玄関から大声をかける。
「あー、おかえり、にいちゃんや!、どこいっとったんなー!」
「うん、剣術の稽古に00までいっとったんや!」
「いつーぅ」
「うん、朝からや!」
「そうかいな!、しらんかったー、なんで、ゆえへんのん?」
「うん、ちゃ?んと、言うたよ、ね?ヘルパーさん」と傍らで出迎えて頂いたヘルパーさんに。
「00さん、お兄ちゃん、行ってきま?す、言うて、行きはったよ!」と、ヘルパーさんが。
「しらん、きいてへん!」
「まあー、嬉しそうに、00さん、早よ、帰ってきて良かったね?」と、母の表情を見ながらヘルパーさん。
「ふふ?ん、にいちゃんなー、このひと、え?ひとやねん、ねぇ!」と、母が笑顔でヘルパーさんの顔を見る。
「わあー、00さん、有り難うございます。褒めてもらいました!」ヘルパーさんも笑顔をこぼす。
「何時も、お袋ちゃん、見てくれはるヘルパーさんやんか?」
「なに、ゆ?てんのん、いま、きはったんやでぇ!」
「今日は、終始、笑顔で落ち着いたはりましたよ?」と、ヘルパーさんが、それとなく母の様子を聞かせてくれる。これが有り難い。
「そうですか、お袋ちゃん、ヘルパーさん、好きやもんな!」
「00さん、じゃ帰りますね!、またね?」
「いくの?、にいちゃん、いきはるんやて?」ちょっと、不安げそうな顔をする母。
「うん、また、明日きはるからな!」
「ほんま!、また、きはる?」
「00さん、また、来ますよ?!」と、それとなく、母の表情を察し、母の両手をなでながら、笑顔で。
「バイバ?イ」と、玄関先で振り向き、ヘルパーさんが。大きく手を振るヘルパーさんに、母は名残り惜しそうに同じように大きく手を振る。(お袋ちゃん良かったなー)。
「してくれるん、うれしい、やっぱり、かしこいな?」お食事、その(1)
2005/7/4(月) 午後 0:34
某月某日 食事は出来るだけ楽しく。子供の頃は「食べながら、話すなっー!」と、よく親父に怒鳴られました。が今は。
「お袋ちゃん、今日の000は美味しいやろー!」
「うん、あまいし、おいしいわ、だれがつくったん?」
「うん、僕や!」(嘘です、惣菜屋さんで買いました)。
「へぇー、にいちゃんが、つくったんかいな?、なんでや、わたしが、すんのにぃ」
「お袋ちゃんは、学校いっとって、疲れてるやろ?、そやから、ご飯炊いて、おかず、つくとってん」
「あっーはーはっー、あのひと、みとるわ!、だれやあれ?」母がテレビを見て。
「僕らが、食べてるから、見てるんちゃうか、00のひとやで」よく見かけるタレントさんだ。
「こっち、ばっかり、みてるでぇ」
「うわー、えらい、歳いったお婆ちゃんやなー!、思うて見てるんちゃうか、はははっー!」と、茶化す私。
「ふっふ?ん、そやろか?おもしろいひとやなー!」と、母が悠然と頷く(お袋ちゃんは大物やなー)。
「これ、にいちゃん、たべー、わたし、おおいねん」
「これくらい、食べなー、これ、栄養あるねんで!」
「えいよう、いらんねん、たべー!」(この何んでもないような母のひと言だが、飽食時代に慣れきった私は、考えさせられる、言葉だと思った)。
「そう言わんと、食べてみぃな、美味しいで、見てみっ、僕食べたでぇ」
「はやいな?、もう、たべたんか?」
「美味しいからな、先に食べたんや!、お袋ちゃんも、食べてみぃ」
「あー、また、みとるわー、だれやー、このひと、ここどこやのん?」
「うん、00ちゃうかな?、あの人は00の人やろ!」
「どうしたら、え?かな、これー?」母はティシュを広げ、おかずをその上に載せ始めた。少しまずい展開になって来た。
「残したもんは、後で、僕が、ちゃんと、括っといたるから、好きなやつ食べや?」
「してくれるん、うれしい、やっぱり、かしこいなー、にいちゃんわ!」と母が。
「もういらん!」と、母が言うまで、こうした、会話が続くのである。
「これさきにせなあかんやんか、それも、わからんのんかいな!」お食事、その(2)
2005/7/6(水) 午後 6:37
某月某日 私が、一番有難いのは、母が食事に関して一切文句を言わないことだ。私とて、ご飯くらいは炊けるが、料理は全く出来ないからだ。
「よ?けは、いらんで?」と、最近はいつもこう言う母。
「分かったよ、そやけど、このくらいは、食べてな!」
「それでえ?わ」
「さあ、熱いうちに食べよ?」
「あ?ん、みて、わてなー、ハ(下の入れ歯を最近紛失)ないねん!」
「そうや、お袋ちゃん、何処かえ、置き忘れて、失くしてしもたんや?」
「わてがかー?、しらん、だれかが、とったんやろー!」と、憮然とする母。
「何で、人の入れ歯なんか、だれもとれへんで?」と、消えるような声で言う私。
「あんたが、ほったんちゃうか?」そんな私の言葉を、母は決して聞き逃さないのだ。
「うん、、、。味噌汁さめんうちに、食べよ」入れ歯の話題は、これ以上はまずい。
「これ、なんや?」
「お袋ちゃんの好きな、玉子焼きやで?、熱いから気ぃ?つけて食べや」
「あいよ?、これはなんや?」
「お野菜の煮物やで?、柔らかいから、食べやすいよ?」
「あんた、たべー、ハー、なっー、ないねん、あ?ん、みてぇ」まずい展開だが、しばらく、入れ歯の話題が繰り返される。
「どうしたん、食べ?な、冷めるで?」しまった。母がティシュを既に広げて折りたたみ始めている。
「それ、後からしたら、先に、ご飯食べ?な」
「うん、、、、、、、、、」返事はするものの、母の関心はティシュの方へ。
「な?、お袋ちゃん、ご飯、冷めたら美味しないで、それ、後で、ゆっくりしたらどう?や」
「あんた、さき、たべー!」
「もう、ほら、僕は食べたで?、お袋ちゃんも、早よ、食べや?」
「これさきにせなあかんやんか!、あんた、それも、わからんのんかいな!」と、母は怪訝そうな顔をして、私を睨む。この気迫を母はどこから発するのか。
「なにゆ?てんのん、わたしのや、なまえかいてへん!」お食事、その(3)
2005/7/12(火) 午後 1:03
某月某日 食事中。
「これなんや?」
「お袋ちゃんの好きな、玉子焼きやんか?」
「おいしいか?」
「美味しいで?」
「ううん、、、、、」と私。母が私のお皿に、お箸を伸ばしてきたのだ。
「お袋ちゃん、何してるん?それ、僕のやで?」
「なにゆ?てんのん、わたしのんやっ!、なまえかいてへん!」
確かに、おかずに、名前は書いてないのだ。(人間このくらい度量がなかったらあかん)。
「なにが、きたないのん、おそなえのんやでー!」お食事、その(4)
2005/7/12(火) 午後 1:15
某月某日 食後の母。
「お袋ちゃん、ちょっと待って、何、食べてるんや!」母の様子がおかしい。
「うん、ごはんやんか?」食事は終わったはずだが。
「もうご飯、食べたやんか?、それ何やのん、何処にあったん?」
「おそなえのんやんかー」
「お供えって、それ、ゴミちゃうか?」異変に気付いた私。認知症の方が異物を食べてしまう話は良く聞いていた。
「なにゆう?てんのん、ゴミちゃうでー、あほかいなー」
「そやけど、それ、ティシュに包んであったやつやろ?、あかん、あかん、そんなん、食べたら、お腹壊す、やめとき?な」と、少々慌て気味の私。
「これわなー、ちゃ?んと、おそなえしたやつやー!」ティシュを離そうとしない母。
「あかんて、出し?な、食べたらあかん、そんな、汚いもん、あかんやんか?」と、私は母の傍らへ急いだ。
「なにが、きたないのん、おそなえのんやでー!」
その後のやり取りは、ご想像頂きたい。結果は、私の右手が少々痛むことに。(母に噛みつかれました。しかも歯茎でガッチリと)。
「もうかえろう?かっ、なーっ、にいちゃん?」かえりたいねん、その(1)
2005/7/13(水) 午後 2:43
某月某日 母は自分が、いま、何処にいるのか、何故ここにいるのかの、認識が全くない。(母にとっては、それが普通で、どこにいようが関係ないのだ)。
「どうしたん?」母がゴソゴソしている。
「うん、かえるよ?い、せなあかんやんか?」と、当然のように仰るのだ。
「何処へ、帰るん?」一応確かめる私。
「わたしの、イエにかえるねんやんか、あほちゃうか!」と、嘆かわしそうに言う母。
「お袋ちゃんの家、此処やで」2,3日に一度は母とこのような会話になるのだ。
「なにゆ?てんのん、イエ、はここちゃうわー!」
「あのな?、お袋ちゃん、よ?聞きや」
私は、母がここに来た経緯を「阪神大震災」から、話さなければならない。何時ものようにゆっくりと一言一言、噛んで含めるように説明するのだが。
「ほんだら、あんたおり?や、わたしは、かえるからっ!」が母の何時もの台詞だ。
「そやからな?、、、、、、、」と、私。前述の繰り返しを、、、、、、。
「あんたーっ、わたしが、あほやおもて、ばかにしてんのんやろー!」と、母も決まって怒りだす。
「そんなことせ?へんよ」これも、何時も私が言う台詞だ。
「してるわー!」
「見てみぃ、もう、お袋ちゃんが、寝るように、お布団も敷いたあるやろ?」と、私は母の居室を指さす。
「あんたねたらえ?ねん、わたし、かえるから!」
「う?ん、、、、、、、、、、」何時もこうなる。
「うそついてるねん、あんたわー!」母の表情が一変する。
「何で、息子の僕が、自分のお母さんに、嘘つかなあかんのん、そんなことせ?へんよ」
「いやっ、あんたわなー、わたしが、あほやおもて、うそゆーてんねん!」
「ほんだら、用意するか??」これ以上、母を刺激してはならない。私は母の身支度を手伝うことに。
「うん!」と、母が笑顔になる。
「はい、おトイレいってからな!」母をトイレへ、便座に座った母が、私を見据えて。
「で?へん、もうかえろうか?にいちゃん、はよ、かえりたいねん!」不安げな表情だ。
こうなったら、兎に角、一度、家を出るしかない。(マンションを一回りするか、エントランスで、、、と私はあれこれ考えるのだ)。この日はエントランスを一回りして事なきを得た。
「おか?さんやら、みんないてるねん!」かえりたいねん、その(2)
2005/7/14(木) 午前 10:57
某月某日 今日はデイ施設で、入浴のあった日だ。それと、散髪。母はスッキリして帰ってきた。その夜、もう寝る時間に、眠たそうに欠伸をしながら、母が。
「にいちゃん、かえろうか??」と、ぽつりと言う。
「うん」私は軽く返事する。
「もう、かえろうか!、ゆーてんねん!」
「帰る、って、何処へ?」
「わたしの、いなかやんか!、」(今日は田舎だ)。
「田舎に、誰か居てるん?」
「なにゆ?てんのん、このコはー、いなかに、み?んな、おるやんかー!」(阿呆か!)と言わんばかりの母だ。
「お袋ちゃん、明日な?、学校(デイ施設のこと)やから、今日はここで泊まらなあかんねんで?」と、言ってみた。
「がっこう?いきたない!、かえるっ!」と、キッパリ。
「そやけど、もう、遅いで、お袋ちゃんの田舎は、飛行機やないと行かれへんで」
「ひこうきのったらえ?やんか?」母の言う通りだが、、、。
「お袋ちゃんは、いま、飛行機乗られへんねんで、腰の骨折れてるからな?。腰が治ったら行けるから?」と、詭弁を弄する私。
「おれてへんわー、あんたー!、なんで、そんな、うそいうのっ!」と、見抜かれる。
「嘘、ちゃうで?、ほんまやんか?」諦めの悪い私。
「かえりたいねん、にいちゃん、いときー、わてかえるからっ!」と、母の方が毅然としているのだ。
「誰も、居てへんのに、帰るんか?」私の最後の抵抗(勝った試しはないのだが)。
「いてるわっー、おか?さんやら!みぃ?んないてるねん!」
「分かった、わかった、そんな、怒らんでも、え?やんか?、ほな、服着替えようか」
この後の、結末はご想像あれ。(結果、この日は、また階下のエントランスを一周して来ました)。
「あんた、おっときー、わてかえるからー!」かえりたいねん、その(3)
2005/7/15(金) 午後 0:18
某月某日 姉から久しぶりに電話があった。母は一生懸命お仕事中(ティシュペーパーを箱から一枚一枚丁寧に取り出して、折り畳み積み上げていく作業)だ。
「お袋ちゃん、姉?ちゃんから、電話やけど、出るか??」と、母に声をかけた。
「いまいそがしいねん、え?わ」と、素っ気ない。
「ちょっと声聞いたらど?や?」久しぶりなので私は母を促してみた。
「あかんねん、これ、せなあかんから、あんたきいときぃ」
「今度な、土曜日に泊まりで来てくれるんやて?」
「ふ?ん、くるのんかー?」全く興味なし。
「お袋ちゃんの、服な?、買うてきてくれるんやて、良かったな?」
「どんなんやー?」作業の手を止めて、母が顔を上げた。
「うん、見てみな分からんけどな、姉?ちゃん、センスえ?から、え?服や思うでぇ」
「そうかな!」
「いま、お袋ちゃんが着てる服も、前に姉?ちゃんが買?て来てくれたやつやで」
「そやったか?」
「あんまり、根詰たらあかんで?、明日、学校(デイ施設)やから、もう止めたらわ?」
「あした、がっこう!、これして、かえらなあかんねんでー!」
「ん、、、、、、、、、」しまった。母の誘導尋問に私は引っかかった。
「今日はな?、仕事して疲れてるやろ、ここで泊まって、明日、帰ろ?や、なっ!」姉の電話どころではなくなってきた。
「なにゆ?てんのん、かえるから、これしてるんやんかー」母のほうが、辻褄が合ってきたのだ。
「そやけど、もう遅いしな、そうしたほうが、え?んちゃうん?」
「あんた、おっときっー、わてかえるからー!」
「う?ん、、、、、、」後は流れのままに、と思う私。母が作業を終えてからの対処になりそうだ。(結果、この日はマンションを出て植え込みで一休みして帰ってきました)。
「もう、おわったんかー?」テレビを見る、その(1)
2005/7/19(火) 午後 0:52
某月某日 認知症の母と暮らすためには、日常生活を規則正しくし、母のそのリズムを崩さないようにすることが、肝要なのだ。
「だれ?、このひと、ここどこや?」
「甲子園やで?、あれはな?ピッチャーやっ」親子でTVの野球観戦だ。
「あーっ、はしってるでー、どないしたん?」
「うん、打ちよった、けど、アウトやねん!」
「なんでや?」
「うん、ボール取られたからな?」
「だれが、とったん?」
「うん、守ってる人や」
「なに、まもるんや?」
「点、取られんようになー、守ってるんや!」
「ふ?ん、にいちゃん、こんなんスキなんか?」
「お袋ちゃんも、知ってるやろ?、ほらー、フレー、フレーフレーフレー、の歌」
「あっ、しってる、そこやったんか?はよ、ゆわんかいな、ほんで、にいちゃんみてたんかいな?」
「そうやんか、一緒に応援しよな?」
「わてもか?」
「タイガース勝ったら、嬉しいやろ?」
「そうかな?、そうでもないけどな?」母は、自分に正直である。
「勝ったら、六甲颪、唄えるで?」
「だれがー?」
「うん、お袋ちゃんも、僕も、皆で唄えるやんかー!」
「うとうてみぃ」チェンジでTVの画面がCMに変わった。
「あら、どこか、いきよった、もう、おわったんかー?」
画面が変わる都度、母は、私にこう尋ねる。今日の試合は長引きそうだから「六甲颪」は母と一緒に唄えないかも。
「きいてへんのかいなっ、きいとかんかいなー!」テレビを見る、その(2)
2005/7/20(水) 午後 0:39
某月某日 認知症は病気である。病気であるから、看護してやらなければならない。もちろん、介護もである。母と共に暮らすということは、母の世界に私が進んで入って行かなければならないのだ。
「0000あるでー、8時になったら、見よか??」新聞のテレビ欄を見て私が母に。
「ほんまー、みるわー!」
「そやから、お袋ちゃん、早よ、ご飯食べや?」
「わかってるがな、たべてるわー、あー、またこっちみとるわー、なんでやのん?」
「お袋ちゃんが、ご飯食べへんからな、何ぐずぐずしてるんや、思うて見てるんちゃうかな?」と、水を向けてみた。
「そんなことない、さっきから、みとるねん、わて、わかってるわー」
「え?やんか、見てるだけやから」ちょっとからかい気味に言う。
「はらたつねん!、わーわー、しゃべって、みとるからっ!」テレビ画面を睨みつける母。
「うん、喋べりはんのが、商売やから、仕方ないんちゃうかな?」
「あれ、だれや?」
「コマーシャルやから、分かれへんわ」
「ここどこやのん?」
「そやからな?、コマーシャルやからなあー、、、何処かな??」
「あんたも、わからんのんかいな?、あかんなー!」と、バッサリだ。ある、クイズ番組だ。どこで、CMが入るか解らない。どうやら、母は食事に飽きてしまったらしい。テレビに釘付けになった。
「はっははー、にいちゃん、このひと、おもしろいな?、わてみて、あたまばっかりさげてるわ?」
「そうやな、腰の低い人やな?」
「うん?なにがひくいてぇ」
「うん、腰がな?低い、言う?てんねん」
「わからん?なにゆ?てんのんか?」解らないことは、キッチリ聞く母。
「なー、にいちゃん、いま、なにゆ?たん?」再度CM。
「う?ん、、、、、、、、、、」(母にどう説明しようかと考えていた)。その矢先に。
「なんやっ!、きいてへんのんかいな、きいとかんかいなー!」なかなか母の世界に入り込めない。(修行が足りん)。母の好きなドラマ(水戸黄門)が始まる8時まで、あと5?6分だ。
「あれいれとかなっ、アメふってるで?」テレビを見る、その(3)
2005/7/21(木) 午後 1:33
某月某日 母の世界と現実の世界。夕食後のテレビの前で。
「わー、あんなことして、あほちゃうかー」
「う?ん、危ないことするな?」と私。
「にいちゃん、したらあかんでー」(お袋ちゃんは、やっぱり僕のお母さんや)。
「僕はそんなこと、せ?へんがな」
「また、やってる、もう、だれやっ!」テレビに向かって怒鳴る母。
「何でも、せな、あかんのんちゃうか!」確かに、やりすぎだと、私も思うが。
「きたないなー、もう、やめときんかいな!」と母。(どんな画面かは、ご想像にお任せします)。
「ちょっと、やりすぎやな?」と、私も感想を口にした。
「あたりまえやわ!、だれがこんなことすんねん!」
「ほかのとこ、見よか?」チャンネル権は、母にあり。
「そうしぃ!、こんなんみたないっ!」最近この手の番組ばかりだ。チャンネルを変える。
「ふふ?ん、このひと、だれやったっ?」
「00の人やで」
「にいちゃん、しってんのん?」
「うん、いや、最近よ?テレビに出てはるからな!」
「ふふ?ん、なにしてるん?」
「何処かの、案内ちゃうか?」
「なんか、たべてるで?」
「ほんまやな?」食べ歩きの番組、これも多い。
「にいちゃん、あれいれとかなっ、アメふってるで??」
「えっ!」と私はベランダを見た。雨は降っていない。と、TV画面が雨になっている。母はベランダの洗濯物を指差した。(う?ん、母の世界はどのような世界なのか)毎日考えさせられることばかりだ。
「ねかして?」寂しいねん、その(1)
2005/7/25(月) 午後 0:27
某月某日 このところの蒸し暑さは尋常ではない。暑さ寒さは、高齢者には堪える。連日の熱帯夜で母も寝苦しいのだろう。
「どうしたん、おしっこか?」母が、四つん這いになって私の寝床へやって来た。
「うん、おしっこやねん」母もウンザリしたような顔付きをしている。
「よし、行こ?うか」
「あついねん、どうしたらえ?かな」(クーラーは出来るだけ入れないようにしているのだが)。
「風邪引いたらあかんから、ちょっとだけ、クーラー入れとこか?」
「そうしてくれるぅ」
「寒かったら言?やっ!」クーラーのスイッチを入れて間もなく。
「ねられへんねん、どうしょう?」と母がやって来た。
「大丈夫や、すぐ、涼しなるからな?」しばらくして。
「おね?さん、おね?さん、さむいねん」
「クーラー止めよか?」
「そうして?、なんか、かぶして?」
「かぶしたら、暑いんちゃうか?」
「あつないっ!、さぶいねん、かぶして?や」こうした、会話が何度か繰り返され、さすがの私も睡魔に襲われ寝込んでしまった。
「うんっ、、、、、、、、、」いつの間にか、母が私の眼前に。
「お袋ちゃん、何時きたんなー!」と。母が、私の寝床にもぐりこんでいたのだ。無論、返事はない。母はすやすや眠っている。(あれだけ何回も起きてきたら、さすがの孟母も疲れるだろう)。朝日がカーテン越しに差し込んだ。
「お袋ちゃん、僕もう、起きるよ?」と、声を掛けて。
「さびしいねん、にいちゃん、もうちょっと、おってぇな?」と、母が私を止める。まだ6時半、今日は7時に起きよう。
「ゆうてるやんかー、わからんのかいなー!」寂しいねん、その(2)
2005/7/26(火) 午後 0:28
某月某日 不安になる。認知症の症状の一つである。母と私は30年以上、供に暮らしている。数分私が見えなくなると、母は、私を探し始め呼ぶのである。
「どこいっとったん?よんでるのにっー!」と、母がむくれている。この時の母の眼孔は鋭いのだ。
「うん、おトイレやんか、どうしたん?」母と、目を合わせないようにする、小心者の私。
「これな?!、しょうと、おもうてんねんけど、どうしたらえ?かな?」悠然と構えて、言もなげに。
「貸してみぃ、僕がしたるから?」母に乾いた洗濯物を畳んでもらっていた。私の普段着だ。
「ややこしいねん、たたまれへん、にいちゃんできるやろ?!」
「こうやってな、こうしたら、え?ねんで!」と、私も上手くはないが。折り畳んで母に見せた。
「うわー、やっぱり、にいちゃんや、かしこいなー、どうしょうかおも?うてん」
「こっち、やってぇ?、これ出来るやろ?」と、別の洗濯物を母に手渡す。
「あたりまえやっ!できるわー!」
「ちょっと、仕事片付けてくるからな、やっといてな?」
「あいよ?」タオル、靴下、母の普段着、下着類等。自室でパソコンの前に座るやいなや。
「にいちゃん、にいちゃん、はよきてー」
「直ぐ行く、ちょっと待ってな?」
「なにしてんのん、はよこんかいなー、でけへんやんかーっ!」洗濯物と格闘する母。
「僕の部屋に行くって言うたやろ?、直ぐそこにおったやんか、どないしたん?」
「きいてへん、なんにもいわんと、ほったらかしにしてー」
「う?ん、、、、、、、、」これが、母の世界だ。
「さびしい、ゆうてるんやんかー、わからんのかいなー、」(アホーと、言われなかっただけましか)。
一時も目が離せないのだ。声をかけながら、やれば良い事なのだが(凡人の悲しさを痛感する)。
「どこいくのん、こっちこんかいなっ!」寂しいねん、その(3)
2005/7/27(水) 午後 0:49
某月某日 月から土曜日まで、デイに行くのは、やはり母には堪える。それで、ケアマネさんのアドバイスを受け木曜日は、ヘルパーさんを我が家へ派遣してもらうことになった。その当日。
「なにごそごそ、してんのん!」母の感覚は鋭い。私が少しでも何時もと違う行動をとると察知するのだ。
「うん、今日はな?、学校休みやねん」ティシュで散らかった母の寝床を片付けながら。
「へぇ、やすみか?、ほんだら、イエかえろうか?」予想していた、母の返事。
「ちゃうねん、此処へな、ヘルパーさんが来てくれはんねん」
「なんで、そんなことなったん?」疑わしそうに、私を見る。母の身構えは完璧だ。
「僕は、仕事いかなあかんやろ?、お袋ちゃん一人になられへんやろ?、それで、代わりにヘルパーさんが来はんねんや?」何とも、間延びした返事だ(我ながら情けないわ)。
「そんなこと??、しらんかった?、だれがしたん?」追求も的確で急所をはずさない。
「00さん(母のケアマネージャーさん)がな?、毎日学校やったら、お袋ちゃんが疲れるから、休みくれはったんやで?」と、交わそうとするが。
「やすめへんわー、がっこういくわーっ!」完全に、見透かされている。
「そやからな?、今日はいっぺん休んでみぃな、家でゆっくりしたらえ?ねん」
「にいちゃんどこいくん?」的を射た、鋭い母の一言。
「うん、会社いかなあかんやん」
「わてもいくわ?」納得するまで追求の手をゆるめない。母が武道家なら、私は「まいったー」と、土下座しなければならないだろう。返す言葉に詰まったその時。
「う?ん、、、、、、、、、」ピンーポーン、とチャイムが鳴った。
「ああー、来はったー、ヘルパーさんやでぇ!」援軍だ(正直ホッとする私)。
「00さん、おはよう御座います。ヘルパーの00です」
「おはようございます、ヘルパーさんかいな?」
「じゃ?よろしくお願いします」
「00さん、お兄ちゃん行きはるよ、いってらっしゃ?い」
「わてもいく、どこいくん、こっちこんかいな、さびしいやんかーっ!」と、母が最後の一撃を食らわせる。逃してなるものかとばかりに母が座椅子から立ちあがろうとする。
と、ヘルパーさんが。
「お兄ちゃん直ぐ帰ってきはるから」となだめる。
私は「お袋ちゃん、直ぐ帰るからな?」と手を振り足早にドアに向かう。母の怒声を背に浴びて。
「きいてへんわ!、どこいっとったん!」寂しいねん、その(4)
2005/7/28(木) 午後 1:36
某月某日 母のような方を介護用語で「見守り介護」と言うそうだ。デイのヘルパーさんらの大変さが心底良く分かるのだ。
「お袋ちゃん、ちょっと、部屋片付けてくるからな?」と、声をかけて母から離れた。
「あいよー」この愛想の良い返事がくせ者だ。
「ね?さん、ね?さん、どこやー!」ほんの2?3分でこうなるからだ。今は私は姉になった。
「此処やで?、直ぐいくから、もう、ちょっと待っててや?」
「はよ、こんかいなー、なにしてんのん、もうーっ!」
「此処やんか?」自室から顔を出し、リビングで呼んでいる母に廊下越しに顔を見せる。
「そんなとこで、なにしてんのん?」
「うん、部屋かたづけてんねんやんか?」
「きいてへん!、ほったらかしてーっ!」
「もう、終わるからな?、もうちょっと待っててな?」
「なにが、おわるねんなー、はよ、こんかいなー!」そりゃそうだ。何が終わるのかは、母には何の関係もない。
「此処やんか?、何処へも行けへんよ?、直ぐすむからな?」
「もう、イエかえりたいねん!」
「分かった、わかった、直ぐ、いくから?」こんなやり取りをしばらく続けると。
「わて、かえるわーっ!」母のしびれが切れた。座椅子から立ち上がろうとする母を見て慌てて、リビングへ。
「もう、片付け終わったから、一緒にテレビでも見よか?」と、ご機嫌取りに急いで母の元へ駆けよる。
「しらん、さびしいゆーてるやろー、きいてへんわ!、あんた、どこいっとったん!!」と母が、私を睨む。デイ施設の方々のご苦労が、想像出来る。
「でたのに、なにしてんのん、はよ、こんかいな!」寂しいねん、その(5)
2005/7/29(金) 午後 0:59
某月某日 「忘れてしまう」ことからくる、いいしれぬ不安感(本人にも分からない、深い不安)が認知症の悲しい症状の一つだ。介護する人は、それがどのような形で現れても自然に、受け止め、受け入れること(それを理解しなければならないこと)だと、私は思う。
「おトイレか?」母がごそごそしている。
「うん、いきたいねん」
「はい、行きましょか?」
「つれていってくれるん、うれしいぃ」
「ゆっくりやで?、慌てんでえ?からな、直ぐ、そこやから」
「にいちゃん、しってるん?かしこいな?」
「はい、此処やで?」
「こんなとこやったん、どうするん、はいったらえ?のんか?」トイレの入り口で立ち止まる母。
「ここに手摺あるやろ?、ここ持って、ゆっくり座ったらえ?ねんで」
「はじめてやからな?、わかれへんねん?」母を便座に座らせる。
「あぁー、でたー!」
「良かったな?、間に合うたわ?」
「まだな?、うんち、でそうやねん?」
「そうか?、お袋ちゃん、元気やから、うんち、も自然にでるよ?、心配ない!」
「そうかな?、う?ん、う?ん、で?へん、どうしょう?」
「そんな、きばらんでも、大丈夫や、ちゃんと、出るからな?、綺麗なパンツ用意してくるから、ちょっとそのままいときや?」
「いったらあかん、ここにおりんかいなー!」
「直ぐ行くから?」と、私は急いで履くパンツを取りに。
「さびしいやんか!、でたのにぃー、なにしてんのん、はよ、こんかいなっ!」
「綺麗なパンツに履き替えよな?、気持ち悪いやろ?」オムツは禁句だ。母のプライドを傷つけてはならない。これも母に教わった。何年か前に、ヘルパーさんが「00さん、排泄介助くらいやってあげられへんかったらあかんよー」と、そして「こうしてね?、こうするのよ!」と、懇切丁寧にお教え頂いた。以来、私は、自分で出来る事の範囲を一つ一つ拡げていった。数多くのヘルパーさんから助言や実体験を交えて、学ばせて頂いた。母と共に暮らせるのなら何のことはないのだ。
「おぼえてへんわ!、あほちゃうかー!」知らんねん、その(1)
2005/8/1(月) 午後 0:33
某月某日 忘れることの不安は、本人にしか、分からない。忘れるから、不安が増幅するのだろう。その不安(病)と母は毎日闘っているのだ。母が何かに一生懸命になっている時が、闘っている時だと、私は思うようになった。夕食時。
「もう、え?かな?」母にそ?っと聞く。
「まだや?」ちゃんと、聞いてくれてはいるのだ。
「そやけど、もうご飯食べる時間やから?」
「もうちょっとっ」
「早よせな、冷めるよ?」
「わかってるがな、これしとかな?、、、、、」
「僕さきに食べるよ?」
「たべー!」
「冷めてしまうけどな?」母はお仕事(ティシュを箱から取り出し、一枚一枚丁寧に折り畳んで積み上げていく作業)に夢中である。
「後からしたらどう?、今日学校(デイサービス施設のこと)行ったし、疲れるで?」
「つかれてへん、これさきにせな、あかんねん、あんた、わかれへんのん、がっこういってへんわ!」
「何で?な、今日、学校でカラオケ大会やったやんか?」
「カラオケ!、しらん、がっこうもいってへんのにぃ!」
「ヘルパーさんが、00さん、00の歌、上手に唄ってはったよ?って、言う?たはったで?」
「ヘルパーさんてだれや!?おぼえてへんわ、あほちゃうかー!」お箸に手をつけるまでに未だ、半時間はかかりそうだ。母がその気になるまで待つほかないのだ。(何でもえーわ、お袋ちゃん楽しそうやし、今日も勝ちやー、と私は思うのだ)。
「あんた、かしこいな?」知らんねん、その(2)
2005/8/2(火) 午後 0:25
某月某日 夜な夜な徘徊する。睡眠不足にならないのかと、寝不足のこちらが心配するのだが、母はいたって元気だ。今朝目覚めたら、母は私の隣ですやすやと添い寝していた。
「ああ、目ぇ?覚めたんか?、ご免な?」
「ねむたいのにぃ、なにやってんのん?」
「うん、もう、起きなあかん時間やねん」
「あんた、おきぃ、わて、まだねむたいから?」
「ほな、お袋ちゃんの部屋で寝よか?」
「ここが、わたしのとこや!、おしっこしたいっ!」
「ほな、行こ?うか!」母をおトイレへ連れて行き、手洗いを済ませ、そのまま、母の部屋へ。
「ほんだら、ゆっくり寝ときな?」
「ねても、よろしいか?」
「え?よ、お茶沸かしとくから、ゆっくり寝ときなっ」
「よ?わかってるなー、あんた、かしこいな?、ねさしてもらいます」リビングの私の寝具を片付け、朝食の用意だ。
「もう、おきても、よろしいか?」と母が。
「まだ、寝とってえ?よ、ご飯できたら、起こしたるからな?」
「あいよ」
「お袋ちゃんな、今日も僕の隣で寝ててんで?」と、ちょっと聞いてみた。
「んん、そんなことしたか?、しらんねん、どうしょう?」
「別にかめへんやん、親子やねんやから」
「あんた、かしこいな?、そう、ゆ?てくれるのん!」母が、四つん這い(母は、圧迫骨折で腰を2回折っている)で、リビングにやってきた。夜中あれだけ徘徊し、寝不足にならないのか。90うん歳、タフである。
「なんで、ここにおらなあかんのんやっ!」知らんねん、その(3)
2005/8/3(水) 午後 0:28
某月某日 理屈、常識は、時代によって変化する。今後もそれは、日々変化し続ける。認知症の母の世界でもだ。
「あした、がっこうかいなー、しんどい、いきたないわー!」寝る前に母がけだるそうに仰る。
「どうしたん?、疲れたんか??」
「イエ、かえりたいねん、にいちゃん、つれてってー」
「おしっこ、ないか?」もう、そろそろ、おトイレの時間だ。
「うん、ある?」
「行こうか?、あ?、ティシュはな?、お袋ちゃんいらんで?、ちゃんと、おトイレにあるからな!」母がティシュの箱を持って行こうとした。
「どこにぃ、ほんまかー?」
「ほら?、見てみぃ、此処にちゃんと、あるやろ??」
「こんなとこやった、そんな、よ?け、いらん?」
「このくらい、紙いるで、ほ?ら、さわってみぃ、薄いでぇ」
「あぁ、ほんまや、うすいな?、これ、にいちゃん、ふいてくれるぅ?」
「お尻、洗うてからな?」
「つめたいんやろ??」
「う?うん、温いで、ほら、温いやろ?」
「ほんまや、ちょろちょろ、おしりあろうてるぅ」
「あーっ、お袋ちゃん、ちょっと待ってやー!」
「なんやのん?もう、おしっこ、でたわー」母のオムツ(いや、パンツ)が汚れていたのだ。
「綺麗なパンツに履き替えよか?、直ぐ、持ってくるから、ちょっと待っててや?」
「どこいくのー、なんで、ここにおらなあかんのんやっ!」
「ほ?ら、これ見てみぃ、綺麗なパンツやでぇ、履き替えたら、気持ちえ?よ」
「それ、わてのんか?、しらんねん?」10分足らずで、母の機嫌は持ち直し、そのまま、寝床へ。
「お袋ちゃん、お休みなさい」
私は直ぐに寝息を立てた母の寝顔を見て(お袋ちゃん今日も元気で良かったなー明日も元気に学校いけるよ?)と思うのだ。
「からこ?て?、どついたろかっ!」知らんねん、その(4)
2005/8/4(木) 午後 0:26
某月某日 認知症、人によりその症状は千差万別。症状に応じた対応を迫られる。それも瞬時に判断しなければならない。
「お袋ちゃん、服、着替えようか?」
「ふん、そやな?」
「これにしょうか、今日は?」
「あいよ」
「わー、よ?似会うは、格好え?な、え?色やしぃ」
「わて、このいろスキきやねん、にいちゃんよ?しってたなっ!」
「ひらひら、付いてるで?、あっ、そこは、ボタンないねん、それはなあ、飾りやからなっ!」
「でけへんねん?して?、ここ!」と、母が顎を上げる。
「そやからな、そこは、ボタンついてないねん、飾りやねん、そやから、シャレてんねんやん」
「なんか、おかしいんちゃうん、こないなってんでぇ?」母は服をひっくり返そうと。
「二重になってんねんやん、この上のヒラヒラのやつは飾りやから、ボタンないねん」
「そうか、おかしいな?、ちゃうで?、みてみぃ、こんなんやでぇ、だれがこうたん?」
「うん、姉ちゃんが、買?うてきてくれてんやで?」
「ねぇ?ちゃん!、なんでやー!」
「いつも、買?うてくれるやん、これも、そうやで?」
「しらんねん、そうゆ?ことか???」
「そうやで?、よ?似合?うてるで」
「なんぼ、したん?」
「聞いてへんけど、格好え?から、高かったんちゃうか?、分からんけど、お袋ちゃん、色白いからな?、よぅ?似合うわ!」
「からこ?てー、どついたろか、ふふ?ん」
「わっー、どこで、覚えたん、そんな言葉!!」
「しらんわー」
ヒラヒラを気にしていたが、どうやら、ご満足の様子だ。表情が和やかである。
「へぇ?そうか、わかれへんかった、ありがとう!」知らんねん、その(5)
2005/8/5(金) 午後 0:31
某月某日 認知症の方を介護する。あるいは、看護する。その大変さは「言葉」では表現出来ないだろう。また、体験者にしか解らないだろう。肉親なればこそなのだが、、、。
「ほ?ら、靴下履き替えなあかんやん、はい、こっち向いて、バタバタしたら、でけへんやろ?」母を座椅子に座らせて、靴下を履かせようと。
「ふふ?ん、え?ネクタイしてるな!、いつこ?うたん?」母にすれば、私は時には、格好の遊び相手なのだ。
「これか?だいぶ前やで、バタバタし?なっ、てっ!」と、母の足を捕まえようとするのだが。
「こそばいねん、さわらんといて?、けったろか?」完全に遊ばれているのだ。
「自分の子供やで、蹴ったらあかんやろ?」と、私も相手になる。その時。
「わてのコーっ!」と母が私を睨む。
「そうやんか?お袋ちゃんは、僕を産んだお母さんやんか?」しまった。遊んでおれば良かったのに。
「しらん、うんだおぼえないわー!」と母が気色ばむ。
「ほんだら、僕は、誰が産んだん?」消え入りそうな私の声。どんな流れになっても、ちゃんと受け止めなければならないのだ。
「あんたっ!、かってに、きたひとやろーっ!」
「へえー、僕、何処から来たんやろ?」と、やんわり。
「しらんわっ!そんなこと、だれか、よそから、きたんやろーっ!」
「えらい、今日は、機嫌悪いねんな?」と、切り返してみた。
「わるないっ!、あんたが、もんく、ゆーからやーっ!」(そうやったなー、僕のミスです)。母の様子を窺いながら。
「はよ、履き替えよ、もう直ぐ、学校(デイ施設)行く時間やから?」
「きょう、がっこうかー?」私がしおれたので、母が気遣ったようだ。
「そうやで?、お袋ちゃんの好きな学校、行く日やで!」
「へぇ?そうか、わかれへんかった、にいちゃん、おしえてくれて、ありがとう」気脈が通ずる。母も私をちゃ?んと見ているのだ。
母の一日はこうして、始まる。(お袋ちゃん、今日も元気で、生きような、、、)。
「きぃーてんねんやんか!」テレビと母、その(1)
2005/8/8(月) 午後 0:30
某月某日 母は滅多にテレビを見ない。だが、不思議と私の好きな野球中継だけは、一緒に見てくれるのだ。私は「トラきち」である。
「よっしゃー、抜けたーっ!」と、大声を挙げる私。
「なにが、ぬけたん?」
「うん、今な?、ヒット、打ったんや?」
「だれがー?」
「うん、僕の好きな00選手やで?」
「どこのひとや?」
「00の人や」
「いつきたん?」
「00に入ってからか?、もうだいぶなるな?、この選手は」と、母に説明する。
「あー、あかん、取られたわー」画面を指さし母に教える。
「なに、とったんや?」
「うん、ボールがな、フライになって、取られてしもたんや、取られたらアウトやねん」
「ふ?ん、アウトてどうしたん?」
「もう、あかんねん」
「もう、おわったんか?」
「試合は、まだやけどな?、この回はもうあかんねん」
「いつまでやるん、あー、はは?ん、こっちみてな、わろ?とるわ」
「あれは、敵の、ピッチャーやで!」
「どこのひと?」母にとっては、敵や味方等と言う事自体がおかしいのだ。
「敵の、00の人や」
「なんでわかるんや?」
「う?ん、、、、、、、、、」頭の悪い私には、この辺りの説明が難しい。それを知ってか。
「どこからきたん?」母が追求する。
「んん、、、、、、、、」頭をフル回転させるのだが。
「きこえへんのんかいなー、もうーっ、きぃーてんねんやんかーっ!、(このアホ、頼りない奴やーと言わんばかりだ)」目を三角にして、母が私を睨むのだ。
母に詳しく説明すると、野球が終わってしまうが。此処は仕方なし。母にゆっくり説明するのである。
「わるいやつやなーっ!」テレビと母、その(2)
2005/8/9(火) 午後 0:23
某月某日 見たまま、聞いたまま、感じたまま、誠に素直に母は、反応する。したがって、私は、母が発した言葉は、全てそのまま、受け止めることにしているのだ。
「おちゃな?ほしいねんけど?」
「はいはい」母が、湯飲み茶碗をもて遊んでいるので、準備していた。
「あまくないな、これ?、どうしたん?」
「お茶やからな、何か甘いもん欲しいんか??」
「う?うん、おちゃでえ?は、にいちゃんばっかり、つこうて、ごめんな?」
「お茶ぐらい、誰でも、できるやんか?」
「あのひとみてるわー、だれやのん?」母が急に、テレビのCMを見て。
「ああ、あの子か?最近よ?出てるな、名前は知らんわ?」
「わー、あんなことして、あかんやんかな?、あぶないやんかー!」
「コマーシャルや、本当には出来へんわー!」
「なにゆ?た、いま?」
「うん、人殺したんやてー、アホなことしよるなー!」
「なんでや?だれやー?そんなことしてー!」
「高校生やな、何考えてるんかな?」
「へぇー、こうこうせいかいなー、にいちゃんしってんのん?」
「い?や、知らん子や」
「わるいやつやなーっ、こんなんわなー、おやが、わるいねんっ!」とキッパリ。母の言葉は、核心を突いている。
「なんでこないなったんやっ!」テレビと母、その(3)
2005/8/10(水) 午後 1:14
某月某日 忘れると言うことは、限りなく、不安なものなのである。
「あめふってきたんちゃうかー?」と母が突然。
「降ってないよ、ああ?っ、テレビやんかー!」
「そうか?、くら(暗)いで?、ふってないか??」
「ほ?ら、見てみぃ、なっ、此処は、降ってないで」ベランダを指さし、母を促す。
「なんで、こっちはふってるん?」母がテレビ画面を顎で指し。
「それはな?、テレビのドラマで、雨の場面やねん、こっちは降ってないから」
「ややこしいな?、こっちふってんのにな?、なんのドラマや?」
「2時間ドラマや、見てんのんかいな?」
「だれかな?、しらんひとが、あたまから、ちぃーだしてんねん、どうしたん?」
「なんか、事件でも起きたんちゃうか?」
「どこでやー?」
「東京やろ?、此処は」
「はは?ん、にいちゃんな、さっきから、ず?と、わたし、みとんねん」
「あの人がかー?、何で、お袋ちゃん、見るんや??」
「しらんねん、おおきな、め?して、みとんねん、あほちゃうかーっ!」
「そう言うな?、ドラマの役をやったはんねん!」
「やく?、ってなんや?」
「お芝居してはんねんやん!」
「しばいか?これわ?」
「そうやんか、テレビの芝居やで?」
「なんでこないなったんやっ!」ドラマの展開が、母には腹立たしいのだ。私も同感だ。
「芝居やから、そんな、怒鳴らんでもえ?やん」と、一応言ってみたが。直ぐに。
しまった。母には、見たものは、全て現実なのだ。この後、口角泡を飛ばす勢いの母の口撃にたじたじとなった私(ほんまに修行が足りん)。
「こんなんみてんのんかーっ!、しょうもないっ」テレビと母、その(4)
2005/8/11(木) 午後 0:27
某月某日 母は、自分の「いま」の気分や気持ちに正直である。自由奔放とも言える。凡人の私がこの母のような域に達することは、、、不可能か、、、。
「これどうしょうかな?、どうしたらえ?かな?」母が思案投首。ティシュの山を眺めて言うのだ。
「僕が後でちゃんと、送っといたるから、こっちに置いといて」1時間以上かけて母が一生懸命制作したものだ。
「わー、うれしい、にいちゃん、してくれるのん、わて、どうしょうか、おもうててん」夕食後、母はティシュを一枚一枚丁寧に折り畳んで、積み重ね、その束を、ためつすがめつ、どうするか、悩んでいたのだ。
「わたしな?、おくらなあかんけど、どうしておくろうかな?、おもうててん、ちゃんと、してくれるの?」
「輪ゴムでな?、こ?して、括って、ほら?、これで、明日送れるやろう」
「そうや!、そうしよう、おもててん、かしこいな?、あのひともな?、みとんねん!」
「あれは、テレビの人や、はっは?ん、お袋ちゃん、あれはな、お袋ちゃんを見てるのとちゃうがな?」
「そんなことないわ、みてたわ、わたし、しってんねん、さっきからな」
「そうかな?、お袋ちゃんの好きなテレビちゃうからな?」
「そうやねん?なにしてるん、わからんねん?」
「漫才師や、最近多いねん、僕も名前あんまり知らんしな」
「にいちゃんもわからんのん?ふ?ん」
「あー、お袋ちゃん、もう止めときや、その、ティシュ箱は明日学校(デイ施設)へ、持っていくやつやからな」今日、新しく、出したばかりのティシュ箱だ。半分ほどに減ってしまっている。
「なんでやのん?これしとかな、あかんやんかー?」
「ほら、此処に、もう、送るやつさっき作ったやんか、な?」
「あんた、なんで、それもってんのんっ?」
「さっき、お袋ちゃんに頼まれてな」
「そうか?、もうそれでえ?のんかいな?」
「うん、もう、今日のぶんは終わりやで?」
「なんで、あんなことしてるん?」と、母の視線がまたテレビの画面に。
「面白いかな?、おもうてちょっと見てんねん」
「こんなんみてんのんかーっ!しょうもない、どこか、かえてー!」
何処に変えても、母が楽しめる番組はないのだが(俗世にドップリ浸かっている私と母とでは違うか?)。「此処はどうや?、」と私はチャンネルを一つずつ変えながら母に尋ねる。母が「もう、えーわ!」と言うまでこの作業は続くのだ。
「ここどこや?あれだれや?なにしてるん?」テレビと母、その(5)
2005/8/12(金) 午後 0:51
某月某日 会話が出来ると言うことは素晴らしいことだ。認知症であっても、関係はないのだ。私は「言霊」を信じている。
「あーっ、何してるん、また、入れ歯はずして、はずしたらあかんやんかー?」母は入れ歯を嫌がる。合わないようだ。
「ふん、、、ふん、、、」母は平然と、聞く耳もたぬ表情で。
「ほれー、そんなとこ、置いて、また失くしたら、どうするねんや、歯医者さんが、言うてたやろ?、入れ歯はずしたら、歯茎が痩せて、もの食べられんようになるから」と、母に私の口を見せて説得するのだが。
「しらん、はずしてない、いぃーやっ!」と負けずに母は、大口開けて私のほうに顔を向ける。
「ほ?ら、下の入れ歯ないやんか」案の定、下の入れ歯が無い。
「いぃーやっ!そんなおこらんでもよいでしょっ」と、悠々たるものだ。
「怒ってないで?、ご飯食べられへん、言うてんねんで?」
「たべてるわー!」
「噛まれへんやろ?、下の入れ歯無いんやから」
「かめへんのっー!」余裕綽々だ。
「あかん、あかん、ちゃ?んと、入れ歯しとかな」こちらの方が焦る。
「ここどこや?」と、素早く話をそらし、母はテレビを指差す。
「うん、何処かな?、ちょっと、分からんわ」
「あれだれや?」
「アナウンサーや」
「なにしてるん?」矢継ぎ早に話題を逸らす母。
「大阪な、昨日、37度もあって今年一番暑かったんやて?、そう言うたはんねん」
テレビの画面が変わる都度、似たような会話が続き、半時間後、母はようやく下の入れ歯を装着した。省略したが、この間に、入れ歯のことで「アホー、バカタレー」と母は面白そうに何度、私に言ったことか。ようするに、母は私を相手に会話で遊んでいたのだ。
「かいごさぶらい」<上>ただひたすら母にさぶらう
重度の認知症の母と介護者である私(息子)との「介護会話日記(ブログ)です。「逆らわない」、「怒らない」、「大声を出さない(怒鳴らない)」を介護の基本として実践してきました。昨今、認知症の介護を巡って、有名人(芸能界)等が、その苦しい実状を世に知らし、マスコミを賑わしました。このためか、認知症の介護は、苦悩の連続で、家庭の崩壊を招き、とかく「介護地獄」等々、暗い印象をもたれています。果たしてそうでしょうか?。私は、介護保険制度がスタートする以前から、重度の認知症になってしまった母を介護していますが、このような先入観に疑義を抱き続けておりました。介護保険制度ができて、今年で10年になります。未だに、介護の現場は一向に改善されず、多くの方々が、悩み、苦しんでおられます。この不況で、生活苦が増し、むしろ辛い、苦しい、とする介護者の悲鳴ばかりが、喧伝されています。特に男性が介護者なった場合、仕事との両立に悩み心理的にも孤立して「介護は地獄」とする、傾向が強まっています。私が、書き綴ってきた「認知症の母との介護会話日記(ブログ)」は、認知症の「病」の実態やその対処法(介護)を「会話」を通して現したものです。解決策や答えを出した訳ではありませんが、「このような介護もある」ことを知って頂くことで、関係者の方々や、何時我が身に起こるかもしれない方々の参考になれば、と思い取りまとめてみました。
追伸:本書は2010年1月:「かいごさぶらい」<上>ただひたすら母にさぶらう:のタイトルで自費出版、?データクロスにて直販してます。
ISBN:978?4?9904780?0?1。
ハードカバー、本文326頁。
著者:介護さぶらい。