飛び列車

1

受験生だったときは輝いて見えたダイガクセイという存在は、いざなってみるとクソみたいなもので、今や嫌悪感すら抱くようになった。


俗にいう“中2病”は中1から大学3年生になった今も治る気配はなく、日々鬱々として過ごしている。


あああああ、毎日がとってもとってもからっぽだ



初対面の人に

「趣味は?」「特技は?」

と聞かれるより、

「何カップ?」「パンツの色は?」

と聞かれるほうが気が楽かもしれない。


…そんなわけないか。

さて、明日は早い。もう寝よう。

2

毎週月曜日は、1限に必修の授業がある。

通称『アーメン』、ミッション系の大学にはつきもののキリスト教学だ。


クリスチャンも非クリスチャンもそろって讃美歌を歌い、「アーメン」と唱える。
それがごく普通の日常の風景であるのだからおかしなものだ。



私はこの『アーメン』のために週に1回早起きをしなければならない。



午前4時、けたたましいブザー音に飛び起きる。



なんでこんな時間に…

…そうだ、どうせ早く起きるのだから、思いきり早い時間に家を出て始発電車に乗ってやろう。と私が昨夜目覚ましをセットしたのだった。



顔を洗って目を覚まし、納豆をぐちゃぐちゃかき混ぜる。
米はずいぶん前にきれたから、それだけを食べてコーヒーを飲む。

一人暮らしも3年目となると気が抜けてくるものだ。
はりきってカフェ飯☆を作っていたころがなつかしい。



10分ほどで化粧と着替えをすまし、家を出る。



日はもう昇っていたが、ひどく静かだった。

3


駅のホームはいつものようなざわついた雰囲気はなく、まばらにいる人たちもなんだかフワフワしている。



一日のはじまりだってのにそんなんでいいのか!
気合い入れろ!



心のなかで野次をとばしてみるが、そういう自分が一番ぼさっとしていることは自覚している。


リュックのなかの聖書の重さでしりもちをついてしまいそうだ。
電車がホームに入る風圧で飛んでいきそうだ。


そんなことを考えながら、私は一番前の車両に乗り込んだ。

4

ただでさえ人の少ない始発電車の先頭車両には、私と、おとなしそうな女子高生と、爆睡しているおじさんしかいなかった。
おじさんは、酔っているのか疲れているのか、頭を大きくガックンガックンやっている。
視界の端に写る女子高生も、手に携帯を持ったままうつらうつらしている。



私はガラガラの座席に腰かけ、ぼうっと窓の外を見た。
流れていく景色には終わりがないのに、知っている景色はほんの一部で、
私にとって世界の大部分は意味が無い。


そんなことを考えるのは世界にすっごく失礼だな。
世界にとっての私だって、なんの意味もなさないのだから。


少し寝よう。

私は目を閉じた。

5

目を閉じて数分もたたないうちに、頭の痛さで目が覚めた。


今までに体験したことのないような痛さだ。音が聞こえるわけではないが、脳がキーーーーーーーーンとなる感覚。思わず頭を抱えた。


眠りについてからあまり時間は経っていないような気がするが、今どこの駅だ?


眉をしかめながら外を確認しようとするが、視界が霞んでよく見えない。



これはヤバイ、


同じ車両にいるはずの乗客に助けを求めようとするも、姿が見えない。
私はどうなってしまったのだろう、急病?死ぬの?痛い、痛い、痛い


ぼやけた視界がぐにゃぐにゃと曲がる。紙をねじるように電車が潰れる錯覚に陥る。




叫んでいるのか、唸っているのか自分でもわからなくなり、私は頭を抱えたまま床に転がった。



そして遠くで電車がなにかとぶつかるような音を聞いたところで、私は意識を失った。

6

気がつくと、頭の痛みは全くなくなっていた。あまりにすっきりしているために、気を失う前の痛みが気のせいのように思えるほどだった。

実際、床に転がっているはずの身体はきちんと座席におちついており、なんなら足まで組んでいた。


ゆっくりと車内を見回すと、女子高生もおじさんもさっきと同じ場所にいる。



ただ完全におかしいことがあった。



全く同じ女子高生が二人いる。

そしてさっきまでいなかった若い男性が床に倒れているのだ。

7


私は状況が全くわからなかった。

驚きのあまり、声もでない。



窓の外の景色はいつもと全く変わらず、
いなかった人間がいる以外に車内にはなんの違和感もない。


私以外の人間はみな寝ている(若い男は倒れているが)ので、この異常事態に気づいているのは私だけのようだ。


とにかく関わらないほうがいい、


私はかたまった身体をなんとか立たせ、2,3歩歩いた。

隣の車両に移って、なにも知らないふりを決め込もう。


ゆっくり、ゆっくり、うつぶせに倒れている男を避けて通る。


すると突然、若い男の手がビク、と動いた。

8


「たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああん!!!!!」



人間、本当に驚いたときはどういう声がでるのかわからないものだ。私はなんともボサボサな悲鳴をあげていた。
その声でずっと爆睡していたおじさんが不機嫌そうに目を覚まし、なにかのおふざけと思ったのか私に舌打ちした後、隣の車両に移っていった。



倒れていた男は苦しそうにゆっくりと身体をおこし始めた。

私は恐怖と気の動転とで身体が動かず、その場に立ち尽くす。



男は身体がうまく動かないのか、猫のようにうずくまった。



あの、だ、大丈夫ですか、



私が条件反射で、得体のしれない男に声をかけた瞬間、



「え、え?いや、え?キャ、なに?え?え?」



振り向くと、私の悲鳴で起きたのか、二人の女子高生がお互いを見つめて全く同じリアクションをしている。


いったいなにが起こっているのか、全くわからない。
私は一度男に視線を戻し、また女子高生たちを振り返った、しかし



その一瞬の間に、女子高生の姿は消えていた。

9



私が電車に乗ったときは私、女子高生、おじさんの三人がいた。

一度電車は停車したものの、降りたり乗ってきたりする人はなく三人のままだった。

私が数分眠り、頭痛に目覚めたとき、車内には誰もいなかった。

意識を取り戻すと、私、女子高生、おじさん、そして女子高生がもう一人座って寝ており、知らない若い男性がひとり倒れていた。

私の悲鳴によって起きたおじさんが隣の車両に移動し、私、女子高生二人、若い男の四人になる。

しかし女子高生が起きて互いの存在を確認したとき、女子高生二人が消えた。


現在、私と若い男だけが電車に乗っている。

10


女子高生が消える、というさらにありえない展開に、私は考えることを辞めた。
とりあえず、目の前にいる苦しそうな男性とこの異常事態を、驚きを共有してもらいたくなった。


「大丈夫ですか?」


そう言って手を差し伸べる。顔を上げた男性は思っていたより童顔で、年下のように思えた。


彼も状況が飲み込めていないのか、なにも言わずに私の手をとってゆっくりと立ち上がった。


「とりあえず、こっちに座りましょう。」


座席に腰を下ろすよう促し、私も少し離れて隣に座った。


男はおびえたように私と辺りの様子をうかがっている。


「今の状況、わかりますか?」


相手が不安がっているのがわかると、逆に余裕がでてくるようだ。私は落ち着いてそう聞いた。


彼は横に首を振る。どうやら言っていることはわかるらしい。私は彼が落ち着くまで自分が話をすることにした。


「急に頭痛がして、空間が歪んだと思ったら、あなたが倒れてたんです。ちょっとわかりづらいと思うんですが、そうなんです。」



男もだいぶ落ち着いてきたようで、キョロキョロと辺りを見回すのをやめ、じっと考えるような顔つきになった。


「あの、」


彼が初めて声を発した。


「僕は、電車を待っていたら、誰かに突き飛ばされて、多分、撥ねられたと思うんです。電車に。通過電車だったので。」



どういうことだ。

私は意識がとぶ直前に、遠くで電車がなにかとぶつかる音を聞いたことを思いだした。


しかし今現在電車は通常運行しているし、彼は車内で倒れていたものの撥ねられたようではなさそうだ。



「僕もよくわかんないです。」



「そうですか…。あと、あなたと同じように突然現れた人がもう一人いて、それがもともとこの電車に乗ってた女の子と全く同じ顔の女の子だったんですけど。」


「その人たちは…?」


「ごめんなさい、よくわからないんですが、いなくなったんです。一瞬で。」



話を終えると、なんだか泣いてしまい、
降りる駅を過ぎて終点まで行ってしまった。



男は泣く私を気遣ったり、隣の車両を覗いたりしていたが、電車を降りようとはしなかった。

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重い足で電車を降りると、男がぽつりと言った。


「とにかく、なにが起こったのかわかりませんが、僕はいったん家に帰ります、ね。」



それが良い、私もうなづいた。
いくら考えてもわからないのなら、忘れるべきだ。こんなオカルトなこと。

今から戻って学校へ向かっても授業には間に合う。
私はぼうっとしている男を置いて反対車線に向かおうとした。そのとき、男がつぶやいた。





「え…、ちょっと待って、


なんで空、青いの。」

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「ね、ねえなんで空青いの…?なにが起こってんの?」



男は焦ったように私に問いかける。
空が青いって、なにが変なんだ。全くいつもどおりの風景じゃないか。



「なんだよこの空。なんで雲が白いの?」


「なにを言っているんですか?」


「空って普通白いじゃん。なんかおかしいよここ。色が変だよ。」




男は真剣に焦っているように見えた。私は確信した。
この人は、ここの世界の人ではないのだと。



この世界と酷似した別の世界からきたのだと。

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「ここ、どこ?僕のことを知っている人はいないの?」



「落ち着いて。とにかく一旦考えよう。」




考えるのを辞めることは無理なようだ。
自分は自分の世界にいるのだから、被害者はこの男である。
なんとかしてあげねば、

さっきまで泣いていたことも忘れ、私は彼を助けなければいけない責任のようなものを感じていた。



彼を駅構内のカフェに連れて行き、二人ぶんのコーヒーを買ってひとつを差し出す。


「すみません。あの、いくらですか」


彼の財布から出される小銭はこの世界のそれとは異なる色で光っている。
私はいいですよ、とそれを受け取るのを拒んだ。


「あの、多分、自分はここの世界の人間じゃないです。」


彼は話し出した。

彼の世界の空は白く、雲は青いという。
だが人や言葉、駅の名前や電車などは全く同じであり、空を見るまで異変に気づかなかった。


「でもひとつ不自然なことに気づくと、色々違う点が見えてきますね…。」



この世界は、全ての色が少し濃い。コーヒーもこんなに黒くないと思う。

そう言いながら、彼はホットコーヒーに口をつけようとはしなかった。




「あの、とりあえず。とりあえずお名前きいてもいいですか。私はアスカというので、ね。」


「え、そうなんですか。僕もアスカだ。」


緊張していた顔が一瞬ほころんで、
可愛いな、と思った。

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しかしほのぼのムードは一瞬で消え、この先どうするか、どうなるかという話に進む。



なぜ彼がこちらの世界にきたのか?
戻れるのか?
こちらの世界にもこちらの世界の彼がいるのか?



「向こうの世界で撥ねられた?電車とこちらの世界の電車は同じ?」


「小田線、始発急行だから多分、同じ。」


「撥ねられたかなにかの衝撃で、こっちの世界に来てしまった、ってことなのかな。」


適当な推論をたてるが本当のところはなにもわからない。


「じゃあこの世界と向こうの世界は大体同じで、この世界にもアスカの家があってこの世界のアスカが存在するってことなのかな。」


「わからないけど、多分。そういえば、消えた女子高生はどうしてこの世界にきて、そしていなくなったんだろう。」


「ドッペルゲンガーって言葉、そっちの世界にもある?」


「自分そっくりの人間を見ると死ぬ、ってやつ?」


アスカが顔をしかめた。


「もしかしたら、あのとき、女子高生が互いにドッペルゲンガーを見てしまったから…、」



私は口をつぐんだ。
消えてしまった彼女たちは死んだ、のだろうか。
この世的には行方不明扱いになるのだろうか、
こんなわけのわからないことに巻き込まれて彼女たちがいなくなってしまったのなら、
なんだかすごく可哀想で、すごく怖い。



「よくわからないけど、アスカは自分の家に近寄らないほうがいいのかも。」


「もし僕がこの世界の僕を見つけたら、消えてしまうってことか。」


アスカが下を向いた。


「僕はどうやったら戻れるんだろう。」


わからない。わかるわけがない。
沈黙が続いた。

15



気づけば9時になっていた。
私たちはまだカフェで沈黙をやぶれずにいる。

今頃、学校では教師がアーメン言っているんだろうな、
ふとそんなことを思った。


なににせよ、アスカはしばらくこの世界にとどまらなければいけなくなるだろう。
この世界に家も金もない青年を置いていくわけにはいかない。


「なにかわかるまで、うちにいていいです。でも、私に出来ることはそれだけだから…。ごめんね。」


「そんな。ありがとうございます。ほんとに迷惑ばっかかけて、すみません。」



このときから、私とアスカの奇妙な共同生活が始まったのだ。

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つれて私は学校をサボることにし、アスカをつれて一人暮らしのアパートに戻った。

女のくせにという言葉は嫌いだが、あまりに散らかっているのでドアの外に彼を待たせ、目につくゴミだけ片付ける。



変なことになったな…。


大学入学したてのときにノリで付き合った彼氏以外に男を連れ込むのは初めてだ。
その彼氏も2ヶ月ほどで別れてしまったから、本当に久しぶり。

たまっていた洗濯物をとりあえず洗濯機にほおりこみ、アスカを呼ぶ。

遠慮がちなアスカをソファーに座らせ、私は床に座った。


この先どのくらい一緒にいるんだろう。
私はもしかしてとんでもないことをしているんじゃないか。


異性だし、
いや、異世界だし。


アスカも私と同じことを考えているのか、じっとうつむいて黙っていた。

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「こうしててもあれだから、ちょっと友達呼んでいい?」


あまりに思考が働かないので、私は助けを求めることにした。
かける電話の相手は、トモコ。
辞めてしまったサークルで今でも交流がある唯一の友人だ。
彼女なら親身になってくれるはず…。解決には至らないだろうが。


「アスカ?久しぶりじゃん!めずらしいねそっちから連絡くれるとか。」

明るい声がする。トモコの明るさは嫌味がないから安心できる。

「久しぶり。いきなりなんだけどさ、学校終わってからうちこれない?相談のってほしいことあるんだけど。」

「今日?いいよー。3限までだけどすぐ行っていいの?」

「ありがとう。早いほど嬉しいわ。」


あと数時間でこの狭い部屋に二人きり状態は免れる。
私は電話を切ってため息をついた。


ふとアスカをみると、うつむいて少し泣いているように見えたので、
なにも話しかけないことにした。

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携帯が鳴った。トモコだ。
適当な返事をして鍵を開けると、

「やほー。おやつ買ってきたよん。」


と片手にコンビニの袋をさげたトモコがのんきに部屋にあがってきた。

「アスカんち久しぶりー…、て、え?」



いつのまにかソファーで寝てしまったアスカ(男)を見て、トモコの動きが止まった。


「相談ってまさか…彼氏かーーー!」


テンションの上がるトモコ。この状況は確かにそう思わざるを得ないが、全然違う。
私は今日起こったことを説明しようと試みた。


「ちがうの。実は今朝…」


「うそー!可愛い!年下?!いつから??」


「ちがくて、今朝ね…」


「なに?!事後??事後なの???」



しゃべらせろ。
私は興奮するトモコを黙らせ、今日の出来事を話した。
電車内での頭痛、いきなり現れたアスカと女子高生、消えた二人の女子高生、
アスカがこの世界の人間でないこと、

最初は笑っていたトモコも事情を察したようで、真剣な顔つきになった。


「とにかく、このアスカくんを元の世界に戻すことを一番に考えなきゃいけないよね。」

「うん。でもなにしていいか全くわかんなくて、トモコにどうしてほしいとかじゃないんだけど…。」


二人は沈黙した。
すうすう寝ているアスカの頬には涙の痕が光っていて、
私は無意識に彼の髪をなでていた。

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グウ、


アスカが目を覚ましたのは、トモコが来てから30分くらい経ったころだ。
自分のおなかの音で目を覚ましたアスカに二人して笑い、アスカも照れ笑いをした。


「異世界のものを食べると元の世界に戻れなくなる、とか聞いたことあるから…。」

うなだれそうて言うアスカをトモコがなだめる。

「千と千尋の神隠しだと、異世界のものを食べなきゃ顔ナシになっちゃうんだし、大丈夫だよ。多分…」



私の得意の即席焼きそばを前に数分悩んでから、アスカは覚悟を決めたように箸をとった。

「いただきます。」


私とトモコは変に緊張して彼の食べる様子を見る。
もぐもぐ、ごくん


「おいしい!」


よほどおなかがすいていたのか、ガツガツと焼きそばをすするアスカに、私はホッと安堵のため息をついた。

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「アスカくんはいくつなの?学生?」


焼きそばのおかわりも平らげて、満足そうにお茶を飲むアスカにトモコが問いかけた。
私も気になっていたので、洗い物をしながら耳をすます。


「僕は二十歳です。大学3年ですね。」

「うそー!タメじゃん!!アスカ!アスカ君同い年だって!!」

トモコが驚いたように私に報告する。
意外だ。まだ高校生です、と言われても信じるのに、同い年だなんて。

「童顔ですよね…、言われなれてます。」


少ししょんぼりとする姿も、男というより少年といった感じで、
私もトモコも少し笑った。


「で、これからアスカ君はアスカの家で暮らすんだよね?」

トモコがしきりなおすと、なごんでいた空気がピリッと引き締まった。

「とりあえずはそうするつもり…だけど。」

私がなさけない声をだす。

「じゃあ私、お兄ちゃんの服とか持ってくる。今家出て一人暮らしだから、気にしないで使って。」

「いいんですか?すみません。」

アスカは恐縮しきっている。

「あと、タメなんだし敬語やめよう!」

「じゃあ一旦私帰るから、なんかすることあったら言って!」

「じゃあね!!」


トモコは一気にまくしたてて外に飛び出した。
非日常の出来事で、変なテンションになっているようだ。


「親切なかたですね。トモコさん。」

アスカが圧倒されたように言う。

「うん。いい子だよ。あと私にも敬語使わなくていいよ。」

「ありがとう。アスカ。」


アスカの笑顔は可愛い。
私もつられて笑った。

21

トモコが戻ってきたのは2時間後くらいで、トランクいっぱいの洋服とお菓子やレトルトなどの食料を抱えてきた。


ありがたい。
私とアスカは何度もお礼を言い、トモコを駅まで見送った。



「ふたりきりにさせちゃうけど、アスカくんなら大丈夫そう、よね?」

トモコがそっと耳打ちする。

「襲われないようにね!」


そうだ。彼も大人の男なのだから、もっと用心しなければいけないはずなのだが、

なぜか彼は信用できた。
彼は私を傷つけるようなことをしない。

根拠はないが、そんな気がするのだ。

22


本当に何事もなく、共同生活最初の夜が明けた。


私はソファーで、アスカは床。
これが冬だったら、布団はひとつしかないので気まずかったろうな、毛布とブランケットでどうにかなる時期でよかった。

アスカはまだ寝ている。朝御飯をつくってやるべきか、自由に食えというべきか、


私は30秒ほど考えて、軽い朝食を作ることにした。

人にごはんを作るなんてひさしぶりだな。



午前7時、
授業は午後からだから、時間は余裕がある。


アスカはすうすう寝息をたてている。


ああ、かわいいな…



いやいや、なにを考えているんだ。
母性か。



私はフライパンにとき卵を流した。

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「んー。なんかいいにおいする。」



アスカが起きてきたときには、オムレツ、ウインナー、トースト、サラダが出来上がっていた。

トモコの兄のスエットとTシャツはアスカには大きいらしく、ダボッとしている。
そして寝起きのアスカは普段よりぼんやりしていて、なんだか、とっても



かわいい。



「ごはんつくったから。顔洗ってきなよ。」


「ああ、そっか。そうだった…。」


私が声をかけると、アスカは一瞬固まったように見えたが、すぐに洗面台のほうに向かった。


そうなのだ。私は浮かれたりしてはいけないのだ。
アスカは、いたくてここにいる訳ではないのだから。



私は自分に言い聞かせ、
急いで先に朝食をすませた。

24


「こんなに朝御飯っぽいごはん、ひさしぶり。」


アスカがつぶやく。


「一人暮らしなんだ?」

「うん。」


じゃあ、すぐにはアスカがいなくなったことがわからないんだ。

私は心のなかで言った。



アスカも私も、あまり自分からしゃべるタイプではない。
昨日、トモコが帰ったあとも話らしい話はしなかった。

他の人なら、なにか話さなければいけないと焦ったり気をつかうのだが、アスカにはそれを感じない。
なんというか、一緒にいて苦痛でないのだ。
アスカもそうであればいいのだが。



しかし、私たちはただの同居人ではない。
アスカを元の世界に帰す術をなんとか見つけなければならないのだ。


「とりあえず、色々調べてみよう。」

ネットで“異世界”というワードを検索すると、数々の不思議体験談がでてくる。
本当かどうかはわからないが、一通り試してみるしかないだろう。


「こっちの世界にきたときと同じ状況を作り出す、っていうのはよくあるけど、」

ホームに突き飛ばして電車にはねさせる、というのはリスクが高すぎる。


「あの女子高生はどうしてこっちにきたんだろう?」

私は疑問を口にした。

「わからないけど、あっちの世界で電車に乗ってたんじゃないかな。で、空間が?歪んだときにこっちの世界の自分がいたから、すいよせられた…とか。」


「ありそう、かも。」


こっちの世界と向こうの世界には同じ人間がいるが、同じ行動はとっていない。
同じ行動をとっているなら、こっちの世界のアスカもホームに突き落とされているはずだ。



「僕たちが現れる前に頭痛がしたって言ってたよね。」


「うん。痛すぎて床に転がってたはずなんだけど、」


「実際転がってたのは僕だった。」



あのとき、私とアスカがなんらかの形でリンクした?


あの場にいたおじさん、女子高生は痛みを感じていた?
いや、おじさんは普通に寝ていて、起きたときもなにか変な様子はなかった。はず。


「あと、僕のことを突き飛ばした人のこともよくわからない。恨みを買うようなことはしてないと思うんだけど…」


「もしかしたら、アスカを殺すとかでなく、異世界への空間の歪みをつくるため、とか?」


「わからないけど、なんで僕なんだろう。」


「あの時間の、あの駅の、あの電車が鍵?それとも、アスカになにか意味があるの?」



答えは見つからない。
とりあえずネットで見た“異世界へ行く方法”なるものをためしてみたが、 なにも起こらなかった。

飛び列車

飛び列車

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
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