巴里の一夜

 冬の巴里(パリ)は陽の落ちるのが早い。うす暗く翳った路地には、どこの国の者とも知れぬ人々がぶらつき始める。明らかに仏蘭西(フランス)語ではない言葉が、こだまするように路地を行き交う。
 どのみち東洋人の私にとっては、誰も彼も異人であった。彼らの体躯はまるで巨人のようにも思え、歩くときは自然と肩身が狭くなる。すると何やら自分が居てはならない場所に足を踏み入れてしまったような気がしてきて、「ああ、憎らしい扁平な顔。この矮小な身体。」とばかりに、洒落た巴里の空気に馴染むことのできぬ我が身を責めるのである。
 ショーウィンドウに映る自分の姿に萎えながら、歩幅の小さな歩みを進めていると、それまでとは一風違った空気に包まれていた。通りに出張った女達がみな一斉に私のことを眺めているのだ。誤って娼婦街に入ったらしい。
 おそらく街娼からすると東洋人は金づるなのだろう。通りを歩いているとやたらに声を掛けられた。艶めかしげな様をする者もいれば、下品に股ぐらを開いて誘惑してくる者もいる。私はいけない通りに入ったなと思いながら、早足で通り過ぎて「すみません(パルドン)」と繰り返した。
 そのまま逃げるようにして場末のカフェに潜り込んだ。安っぽいネオンが点いたり消えたりしながら、Rの文字を照らしていた。古びた木製のドアを開けると、きいと軋む音がした。
 机につくと、給仕男(ギャルソン)がにたにたした顔つきで、「こんばんは(ボンソワール ムッシュー)」と献立表(メニュー)を持って来た。私はハムエッグスとコーヒーを注文した。さびれた店内を見回し、ようやく安心して一息吐いた。店は地元民が集うカフェのようで、親密な活気さに満ちていた。
 若い女(マドモワゼル)が私を見ていた。人の良さそうな老人と、やかましそうな老女が同席していた。家族で暖を取りに来ているようだった。目が合うと、女は恥ずかしげに頬を赤らめて目線を逸らした。私は彼女の目尻が赤く腫れていることに気付いた。顔の上に化粧を乗せて奇麗に隠してはいるが、わずかな悲しみの痕跡を私は見逃さなかった。
 近付いて理由(わけ)を聞くに、二日ほど払い遅れた家賃のせいで大家にアパートを追い出され、泣く泣く馴染みのカフェに身を寄せることにしたのだという。しかしカフェにも商売というものがあるのだから、いつまでも世話にはなれまいし、途方に暮れて思わずぽろりと涙を流した、などと話すもので同情せずにはいられなかった。
 リゼットと名乗るその若い女(マドモワゼル)があんまり可憐な姿だったことも私の心を動かした。そこに下賤な心がなかったとも言えない。私は貧しき家族を目の前に、かすかな罪の意識を感じながら、彼らに助けを施すことを決めた。
 家族は物怖じしながらも私の申し出を引きうけ、我が家に帰れることを喜んだ。リゼットがはじめて口元をゆるませて微笑んだ姿を、私は旅の記憶として大切に胸にしまい込んだ。
 老女がぜひ家にお招きしたいというので、私は今晩を巴里(パリ)の素朴な民家で過ごすことにした。カフェを出ると、後ろ手に「家族万歳(ヴィヴラ ファミーユ)」と景気の良い笑い声が聞こえてきた。
 巴里(パリ)は陽気だ。私は家族たちと共に、眠らない街を跡にした。

   *

 岡本かの子『売春婦リゼット』(http://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/4548_15439.html)が面白かったので、返歌のつもりで小篇を書きました。ちょうど今冬パリに旅行して来、モンマルトルにあるムーラン・ルージュでレビューショーを見るなど歓楽的雰囲気を味わってきたこともあり、旅を懐かしみながら旅人の浮ついた心を描ければと思った次第です。

巴里の一夜

「文章と表現」という大学の講義の課題で。短編を選んで読んでその感想をということだったので、感想じゃなくて掌編を書いた。1322文字。2013年1月4日筆。

巴里の一夜

冬の巴里は陽の落ちるのが早い。うす暗く翳った路地には、どこの国の者とも知れぬ人々がぶらつき始める……岡本かの子『売春婦リゼット』への返歌。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-12

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