公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(6)
六 午後三時三分から午後三時十一分まで タバコ吸いの男
「ポケ」
鼻から煙が出た。
「フウ」
風じゃない。口からも煙が出た。目の前の壁には「禁煙」の二文字の張り紙がある。
男の瞳にも、当然、壁紙は映っている。だが、男はタバコを吸い続けている。そう。人は、目に見える物、見える事全てを理解しているわけではない。いや、理解はしていても、実行に移さないだけだ。
目の前の張り紙は、一方的な押し付けだ。それが社会のルールだとしても、何の説明もないまま、「禁煙」と書かれてあるから、その通り実行しなければならない理由はない。
男がそこまで思っているのか、それとも、ただ単に、網膜に映った映像が、視神経の何らかの異常等により、脳まで到達していないのかもしれない。そうであれば、この男を責めるのは気の毒だ。まずは、眼科に行って、精密検査をしてもらうべきだ。もう少し、様子を見てみよう。トイレはそう思った。
「うっ」
男が力み始めた。大便の開始である。力みながら男は思った。これまで、タバコを吸い、体中の自分の穴から、煙を吐き出すことに喜びを感じていた。大げさだが、生きがいさえ感じていた。タバコを咥え、息を吸いこみ、そして、しばらくの滞留時間。体全身に煙が充満する。空っぽだった体が、満たされる快感。そして、その煙を一気に吐き出す。口から、耳から、鼻から、目から(出るわけがない。代わりに涙がでる。)、体全身の毛穴から、肛門からも出そうとする。
力を込める。ほとんどは、口や鼻から出てしまう。口や鼻を閉じれば、耳から出ることもある。それならば、耳を両手で押さえれば、肛門や体全身の毛穴からも煙がでるのか。
それができれば、忍者のように煙幕を張り、敵の目を欺くことができる。思いついたらすぐにやれ、だ。だが、男にとって敵とはだれだ。
男は以前、体中から煙を出そうと試したことがある。タバコをくゆらす、大きく息を吸いこんだ後、椅子に座り、肛門を締め、口を閉じ、鼻は洗濯バサミではさみ、耳は両手で押さえ、目はつぶった。そして、体全身に力を入れる。顔が充血しているのがわかる。更に、力を込める。
全身の筋肉がひとつにつながったような気がする。もうすぐだ。だが、その時、頭の中が白くなってきた。意識が白濁していく。男はそのまま気を失った。気が付いた時には、口が開き、鼻の洗濯バサミはソファーに飛び、両手はだらんと垂れ下がっていたので、全身の毛穴からタバコの煙が出たかどうかはわからない。ただし、頭が真っ白になったので、少なくとも脳には煙が届いたのではないかと、確信している。
そんな些細な思い付きを実行することで。男は生を実感できた。次こそは、絶対に成功させてやる。その前向きな気持ちが、男を明日に生かしているのであった。
そうだ。タバコの本当の楽しみ方は、吸う時の喜びよりも、出す時の方が快感なのである。男は再度確信した。
それは、全てのことに言える。例えば、食事だ。ラーメンや寿司、パスタにとんかつ、ステーキにサラダなどを食べると、舌で感じる喜びや胃が膨れる満足感がある。
だが、もっと本質的な喜びは、食べた物を骨の髄までしゃぶり取り、吸収できない残骸を、体外から排出する瞬間だ。特に、日に一回、朝食が終わった後、定期的に、ところてんのように押し出される通じは、健康にはいいかもしれないが、本当の意味での快感に到達しない。まあ、八十パーセントぐらいだろう。
老廃物が大腸の一歩手前で動かなくなり、次から次へと流れてく残骸がダムのように溜まるため、自分の意思に反してまるまると太っていき、外観から見れば、お腹がぽっこり状態で、お腹が空いたなどと言おうものならば、「何を言っているんだ。世界には飢えで苦しんでいる子どもたちがいるのに」と、白い眼で睨まれ、あげくの果てに唾を吐かれる始末となる。
それでも、排出を我慢していると、お腹がどんどんと膨らみ、ヒキガエルのように張り避けそうになり、あまりの苦しみに救急車を呼ぶと、男なのに、間違って、産科に運び込まれ、医者から「陣痛ですね。すぐに、帝王切開の処置をします。手術に当たっては、家族の同意が必要です」と、お腹が 今にも爆発しそうにも関わらず、事務的な用紙を突き出される。
一体、世の中は、こうも契約行為が必要なのか。あの世にいくのにも、契約しなければならないのか。確かに、死んだ後、死体を燃やすのにも、医者が診断した死亡届を役所に提出し、埋葬許可書がないと、葬祭場で火葬することもできない。このまま、肉体が朽ち果てて、やがて骨だけになり、骨が炭酸カルシウムの粉末になり、風が吹いて、桶屋がもうかるまで、待たなければならないなんて、なんて不条理だ。ああ、やるせない。
男の妄想は続く。
だが、今は、死体の処分が問題ではない。煙の処分が問題だ。いや、煙を出すのが問題ではない。食べ物のうち、栄養素を抜き取った残がいや老廃物を排出することが問題だ。
大便は、体全身の毛穴から排出する必要はないし、また、出てもらっては困る。排出口は、ただ一か所。肛門だけでいい。へたに力むと、毛穴から老廃物が出そうで困る。だいだい人生とはそういうものだ。必要な時(毛穴から煙を出すことが必要かどうかは、議論する必要があるが)には出ず、必要でない時に、誤って出てしまうものだ。
そうなれば、人生最悪の結果が待っている。今すぐ、服を脱ぎ、体全身をトイレットペーパーで撒き、ミイラ男にならなければならない。その白い紙が茶色に滲む瞬間は、汚さを通りぬけ、恐怖以外の何物でもない。ああ、想像するだけで、絶叫する。ヘタな三流のホラー映画よりも恐怖だ。
映画は架空だが、こちらは事実だ。体の毛穴からタバコの煙を出す男は、テレビの奇人変人に出演可能だろうが、体の毛穴か大便を出す男なんて、声を掛けてくれるどころか、街を歩いていたら、石や新聞紙やトイレットペーパーを投げつけられたり、除菌スプレーで霧吹き攻撃を受けてしまうだろう。
「でも、変だな」
男は疑問に思う。老廃物等は、自分の体の中から排出されるのに、体の中にある時は、忌み嫌われることがないにも関わらず、一旦、外界に出て、外の空気に触れた瞬間、人々は自分から遠ざけようとする。それは、自分自身を否定することではないのか。
お腹の中にいた赤ちゃんは、生まれる前も、生まれてからも愛されるのに、何故、糞便は嫌われ、阻害されてしまうのだ。男は、糞便に対する愛情と哀しみと同情と、それを理解しようとしない、自分の以外の人間に対して、怒りさえ抱いた。あきらかに差別だ。糞便よ、噴怒の河を渡って、人間たちに復讐してやるのだ。
男が頭の中で空想の世界に浸っている間にも、自然現象は滞りなく終わり、最後の塊が飛び出た。男は、いつものようにトイレットペーパーのロールを引っ張り、一定の紙を引きちぎると、鼻歌を歌いながら、残務処理を行い、排出物に目もくれずに、水洗ボタンを押した。
公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(6)