Clover 上
ここではない、ある異世界。
魔法が紡がれるその世界で、
4人の少年少女が 運命に巻き込まれる。
Ⅰ 全ての始まり
聖ヒナタ学園。
5月の爽やかな風が吹き渡る。
青々とした葉が揺れるのをみる暇もなく、
私達は廊下を全力疾走していた。
「カエ、早く行くよ!」
「分かってるって、ナナ!」
私の2歩先を走る黒いポニーテールのナナは、
腕時計を気にしつつ階段を駆け上がっている。
私も足をもつれさせながらも、赤い絨毯の敷かれた床を踏みつけて走る。
早く行かなきゃいけないのに、まだ目的地のシミュレーション室7には辿り着かない。
走り続けて、後数秒もすればチャイムが鳴る…というところで、
ようやくシミュレーション室のドアが見えた。
ナナがドアを殴りつけて開ける。
「遅れました!」
「遅い。」
そう言って、冷たく私達を見下ろしているのは
美人のノスル先生。ノスル先生は、セミロングの茶髪をなびかせながら、教室内に幾つも並ぶ個室を指差した。
「…今日はシミュレーション授業があるから、
早く来なさい、と朝から連絡があったと思うのだけど。
もう少し早く来なさい。
みんなを待たさせていたのよ?…早く支度なさい。」
「う…はぁい」
ナナと一緒にうなだれる。そのままの姿勢で個室に入ろうとしたら、すかさずノスル先生から注意が来た。慌てて姿勢を正し、薄暗い個室の中へと入った。ヴンッと機械の駆動音が重く響く。
八畳の個室内に戦場の映像が映されたと同時に、
ノスル先生からの放送指示が入った。
「それじゃあ、皆お待たせ。楽しい楽しい
シミュレーション授業の時間よ。
今日は、少なくとも50人を倒してもらうわ。
急所を攻撃されるか、50人を倒しきったら授業終わり。各自終わった奴から帰っていいわよ。」
「うぁ…50人ってキツいなぁ…」
独り、そうごちりつつ、訓練用の双剣を取り出す。剣先にセンサーが付いていて、映像上にいる敵をリアルに倒せるものだ。その代わり、己が攻撃されたら、多少の衝撃が来る。
ノスル先生の声が、嬉々として指示を下した。
「それじゃ、シミュレーション…開始!」
一気に個室内に戦場の音が流れ込んだ。実際の戦場の音を録音して、この授業に使われている、と言う手の込んだものだけど、
「…!早速来たか!」
映像の至る所から、戦闘服に身を固めた敵が走ってきた。1人の兵士が私に剣を振り下ろしてくる。
それを右に跳びよけて、攻撃してきた敵を斬りつけた。倒れた相手の上に”1人目“と表示される。
「…!」
休む間もなく襲ってくるシミュレーション上の敵に対して、
途切れることなく剣を振るう。
…聖ヒナタ学園では、通常平常の光景。
聖ヒナタ学園は、王国の王立魔法・戦闘学校だ。
軍の精鋭部隊を早期育成させるために創られたこの学校は、
主要三教科の国語、数学、外国語と理科や社会の他に、
魔法学、戦闘実技などの実戦的な事も生徒に学ばせる。
このシミュレーション授業も、実際に戦闘状況下に
巻き込まれた時に適切に対応出来るように、という目的で
行われている。授業が役に立つように、と。
でも、この経験が役に立つ時なんて。
「来てほしくないよね…!」
26人目を倒し、ようやく半分を超した、と軽く息を吐く。
今回のタイムは35分42秒だった。
*
「あー、疲れたあー!!」
「それだけ喚けるなら元気でしょ~?
カエだけあと30分、シミュレーションやって来れば?」
「無理、絶対無理っ!」
あちこちで訓練やら勉強やらで悲鳴が上がる学園の食堂で、
ナナと一緒にランチセットBを受け取り、テーブルに向かい合わせで
座る。今日はエビフライだ。
「いつも思うんだけどさ、ナナって魔法学めちゃくちゃ
成績良いよね~。何で?」
「それを言うなら、カエ、この間の実技でクロアを負かしてたじゃん。
クロア、男子で一番実技スゴいんだよ?」
「アイツとは喧嘩し慣れてるから。幼なじみと言うか、腐れ縁と言うか…」
「誰が腐れ縁だって?」
不意に背後から聞き慣れた声が聞こえ、軽く後ろを振り返る。
案の定、幼なじみ兼喧嘩相手のクロアが偉そうに立っていた。
群青の髪をわしゃわしゃと荒っぽく掻いているコイツは、
妙に女子からの人気が高い。私にとってはどーでもいー事だけど、
「クロア、星組は今日訓練ないの?」
「あるよ、午後からな。というか、お前ら月組もあるだろ?」
「え、ナナ、あったっけ?」
把握しとけよ、と呆れたように呟いてから、クロアが何の
躊躇もなく私の隣に座った。紺色の瞳との距離が近くなる。
「何よ、せっかくのエビフライが不味くなるでしょ」
「いいから聞けって。…午後から寮別に実技訓練があるんだよ。
ナナはサファイア寮だし、オレらはルビー寮。つまり、
午後からは別行動、だ。」
また訓練か。と気持ちが滅入りそうになると、
前にいるナナが柔らかく頭を撫でてくれた。
それだけで、何となく元気がわいてくる。
「ありがと、ナナ」
「気にしないで。それより、寮別ってことは、
また2人はペア組まされるの?」
「いや、訓練担当のムツキ先生に頼み込んでソレだけは避けてもらった。
もうオレがコイツと戦りたくない」
「あ、それ褒めてる?ありがとね」
クロアが眉をひそめてきたが、気にせずサラダをほおばる。
午後からも、また頑張ろう。
*
午後の寮別訓練を終えて、クタクタになりつつも、シャワーを浴びて、
ナナと共に夕飯を食べにまた食堂へと向かった。昼間と
違って、ざわめきが大人しくなっている。
今日の夕飯はハンバーグセットにイチゴのムース。
「訓練どうだった?カエ」
「どうって…別に面白くも何ともないよ、男子連中を
一掃してやっただけだし。サファイア寮は?」
「魔法使ってOKだったから、比較的良い順位になれたよ。
同じ学年でなら、大体25位かな」
「お、良かったじゃん」
ルビー寮とサファイア寮は同じ位の人数だ。
大雑把にルビーが戦闘系、サファイアが魔法系と分かれている。
私達の学年では、それぞれの寮で245人いるはずだから、
ナナの順位はかなり良い方だ。まぁ、最も、
「私は魔法じゃ、ナナに勝てないけど。魔法なしの戦闘なら負けないよ?」
はいはい、と軽くあしらわれたのでむくれると、ナナが微笑みながら
頭を撫でてきた。業腹な事に、それだけで自分の気持ちが落ち着く。
「さ、早く食べちゃお」
「…うんっ」
早食いにならない程度に早めに食べきる。
男女共通ロビーを通り抜けて、女子のルビーとサファイアの
分かれ道へと歩み進める。
「それじゃ、また明日ね、ナナ」
「うん、おやすみ。カエ」
いつものように別れ、荷物を入れたバッグを抱え直してから
ルビー寮の廊下へ。何人か友達とすれ違い、すれ違う度に手を振り合う。
そうしている内に、736号室の前に着いた。ドアノブに指先を引っ掛けて、
ゆっくりと押す。
予想通り、先に帰っていたルームメイトがいた。
「おう、おかえり。カエ」
「ハル、ただいま。…相変わらず早いね、行動が」
バッグを机に置きながらそう言うと、彼女は長い金の髪をいじりつつ、
「とっとと宿題終わらせねぇと、ノスル先生がうるさいからな。
ま、そりゃカエも同じか。この間も説教喰らってなかったか?」
「うわ、何で知ってんの?!」
何故かハルは情報が早い。どうやって知るのか教えて欲しいけど、
何となく恐ろしくて聞いていない。
彼女は不敵な笑みを浮かべ、そのまま続きの宿題に取りかかり始めた。
私も課題の社会プリントを取り出して、自分用の机に着く。
ちょうどハルとは背中合わせになる家具配置だ。
10分位、無言でそれぞれの宿題をやっていたが、
「そういや、カエ。知ってっか?」
「ん?何を?」
「…今日の夕方に、反乱軍が立ち上がったぞ。この国で」
「へぇー…。…、‥、,、はぁ!?」
思わずイスを蹴倒してたってしまい、破壊的な音が響く。
ハルの方を勢いよく振り返ると、彼女もイスを回して私と相対した。
いつになく、真剣な表情をしている。
「まだ、あまり皆には知られてねぇ情報だ。うちも先生方の会議を
盗み聞いてなきゃ知らなかった。…明日、詳しいことを全学園生徒に
説明するんだと」
「そんな…!何で、反乱軍が…」
「因みに、反乱軍のリーダーはこの学園の卒業生らしい」
「!?」
説明をすると、聖ヒナタ学園を卒業した者はエスカレーター式に
軍隊に所属する事になる。つまり、学園の卒業生と言うことは、
「…軍から反乱者を出したってことだよね!?」
「そういう事、だ。ちょっとボリュームダウンな?周りの部屋に
響いたらマズい」
「あ。」
かなりの声量で会話していたのにようやく気付き、
蹴倒したイスを直して座った。時計の針の音がやけに耳に粘り着く。
「…ねぇ、ハル」
「何だ?」
「…どうなるのかな。この後の国も、私達も」
「…さぁ、な」
何となく重い空気になり、その後は互いの課題の続きを
ダラダラとやり始めた。課題が写せないように、ルームメイト同士
同じクラスになることはない。
その日も日付が変わる寸前まで机に向かい、
どちらともなく、ベッドに眠りについた。
反乱軍の情報を聞いた割には、安らかな夢を見ることが出来た眠りだった。
ー…このあと、大きな運命に
巻き込まれることを、知らずに。
Ⅱ 想いと静かな夜
反乱軍の情報をハルに聞いた次の日。
金曜日恒例の朝礼で、学園長が詳細な事を全学園生徒に発表した。
反乱軍の声明は、現国王の王位剥奪が目的とのこと。
リーダー以下9000人程の人が反乱軍に属していること。
私達は、軍からの招聘がない限り、いつも通りに過ごせばいいこと。
家族はすでに戦闘区域内からは避難していること。
これらの情報を聞いている間、皆ざめいていたけれど、
誰一人パニック状態には陥らなかった。普段から戦闘状況下に放り込まれた場合を
想定して訓練されている賜物だろう。
隣では、元々知っていたハルが眠そうに目をこすっていて、
更に私の後ろでは、
「…クロア、緊張感なくゲームやってんじゃないわよっ。先生にバレたら
どうするの!?」
「うるせぇ、今ラスボス戦なんだっ。集中させてくれよ!」
呑気過ぎにも程がある。しばらく彼を観察していたが、一向に
小型ゲーム機の画面から離れないので、学園の権威に任せることにした。
「ノスル先生ー。クロアがラスボス戦で忙しいから
こんな話聞いてらんないそうでーす」
「って、おいっ!カエ!!」
血相変えてクロアが掴みかかってきたが、もう遅い。
ソッコーで絶対零度の気をまとってきたノスル先生がクロアを
引っ張っていった。彼の悲鳴が聞こえる。
「くっそ、カエ、覚えてろよー!?」
「…うん、今忘れた。」
ざわついていた皆の雰囲気が若干明るくなる。ハルがやれやれ、と
言った具合にため息をついた。そして、私に対してウィンクしてくる。
なかなか上手くキメられるんだなぁ、と思い、その行動の意味が分からず
首を傾げる。彼女も上手く伝わっていないと気付き、小声で話しかけてきた。
「気付かなかったのか?」
「何が?」
「クロア、あのゲームやってたのわざとだぞ?」
「…え?どゆこと?」
「アイツも一緒に会議を盗み聞いててな、こーゆー集会が
あったら、否が応でも雰囲気暗くなるだろって。
自分が道化になってイケニエになれば多少は笑いとれるかな、て
至極真面目に聞いてきた。知るか、て答えたけど、
まさか本気だったなんてな…」
「な、何それ…」
唖然として、思わず口を開ける。やったことの馬鹿さ加減もだけど、
そんな事を考えていたりしたなんて…。
ずっと一緒にいたはずなのに、気がつかなかった。
そう思っていると、ハルが私の顔を覗き込みながら、軽く手を挙げた。
ジェスチャー的に“ゴメンな”の意だ。
「何がゴメンなの?」
「いや、ウチとクロア、2人で盗み聞いてたこと。
ヤキモチやいてんじゃねぇかと思ってな」
「何を勘違いしてるのか理解が及ばないけど、とりあえず
気にしなくていいよ、て言っとくね?」
「なんだ、まだ付き合ってないのか」
「そもそもそーゆー感情は生まれてないから。ハイ、話終了!」
半ば無理やり会話を終わらせたが、ハルはそれ以上聞いてこなかった。
代わりに、独り言のようにこうつぶやいた。
「さて、…今日も訓練頑張るか。」
初夏の風が吹く、晴れやかな日だった。
*
実技訓練があらば、それと同じくらいの座学もある。
特に、訓練後の座学は絶好の睡眠時間だ。
「…カエ、いくら前の時間の訓練で絶頂ハシャいでたからってね?
ほぼ一時間、座学中に寝るのは控えようよ?ね?
」
「んー?ノートはナナの写させてくれるでしょ?」
「せめて最後の先生からの連絡をきちんと聞いたら見してあげる」
伸びをしながら机と顔をはがし、教卓にいるノスル先生に焦点を合わせる。
教科は“防衛術・防衛魔術”。
「とりあえず、中間テストの範囲はここまで。次回からは
屋内訓練場2に来てください。成績優良者と、座学でよく寝てる奴から
優先的に私と戦りますから、該当者は覚悟しておきなさい」
「…ノスル先生、完璧カエのこと指してたよね?カエ、大丈夫?
死なないよね?」
「あ、あったり前でしょ!?いくら何でも、教師が生徒を殺すなんて…」
言ってて、あの先生なら有り得るかも、と思ってしまい、知らずの内に
言葉尻がかすれる。
とにかく、続きの連絡を聞こう、と意識をまた先生に向けた。
「…いい?あなた達。この教科の座学はしばらくないけど、しっかり
復習しておくのよ?座学がないからって、調子こいて
教科書を開かない事がないように。もしかしたら…。
もしかしたら、あなた達の身を、守ることになるかもしれないわ」
「…?」
何となく、ノスル先生の言葉に違和感を感じた。いや、
違和感というか、どことなく寂しげな…。
「…カエ?」
「へ?あ、何?ナナ」
「もー、座学終わったから、次の授業に行こうってさっきから
呼んでたのに」
ゴメンゴメン、と慌てて荷物をまとめて、2人で並んで廊下にでる。
ふと気になったので、ポニーテールを軽やかに揺らすナナに問うてみた。
「ナナ、さっきのノスル先生、何か変じゃなかった?」
「え、どこが?普通じゃないかな?どうかした?」
ううん、と首を横に振り否定する。訝しげに彼女は見てくるが、それ以上
追求はしてこなかった。ー…あの時、感じた違和感。
あれは、ただの気のせいだったのだろうか。
腕に重みを感じさせる“防衛術・防衛魔術”の教科書。
寮に帰ったら、少し見てみようかな。
*
…反乱軍が出現してから二週間後。
「さすがに落ち着いてきたね、皆」
「そりゃそうだろ。あの集会以来、新しい情報は入らないし、
そろそろ話題としてはネタが尽きる頃じゃねぇか?」
朝食をハルと一緒に食べ[今日はフレンチトースト]、周囲の皆を見る。
学園長から反乱軍の知らせを聞いた直後は、その話題で持ちきりだったけど、
今は他愛ない会話がほとんどだ。
つまり、いつも通り。
「…て、わ?!もうこんな時間!ごめんハル、先行くね!」
「おーおー、気にすんな~」
手早く食器類をカウンターに返し、約束した共通ロビーへと走る。
すでに、ナナが壁に背を預けて待っていた。足音で気付いたのか、
顔をほころばせてこちらを振り向く。
「待たせてゴメンね、誕生日おめでとう!ナナ!」
「ありがとう、カエ」
走った勢いのまま彼女に抱きつき、祝福の意を伝える。そして、
一度体を離すと、カバンからナナへの贈り物を取り出した。
手のひらに収まるサイズの、白い箱。
「はい、誕生日プレゼント」
「わぁ、ありがと!…開けてみても、いい?」
うんうん!と頷くと、彼女は丁寧な動きで箱のラッピングをほどいた。
フタを開けて、彼女は更に笑顔の密度を濃くした。
「…ブレスレット!え、四つ葉のクローバーのチャームついてる。かわいい!
ありがとうね、カエ!!」
「えへへ、どういたしまして!そして実は…」
ジャーン!と私の左手首を見せる。そこには、
「あ、お揃い!?」
「うん、そうなの!前から、何かおんなじのつけたくてさ…。
良かった、かな?」
「良いに決まってるじゃん!!ますます嬉しいよ。
ホントにありがとう、カエ」
柔らかく頭を撫でられ、気持ちが暖かくなる。
「…カエ、私達ずっと親友だよね?」
「当たり前じゃん!大丈夫、どんな天変地異が起きようとも、
私達の友情は変わらないよ!」
そう言うと、ナナはクスクスと楽しげに笑った。
そのまま2人で荷物を持ち、授業へと向かう。
それぞれの手首に、四つ葉を携えて。
*
その日の夜。
寮でベッドに寝転がりながら“防衛術・防衛魔術”の教科書を読み直していると、
ドアが軽いノックを鳴らし、ハルが帰ってきた。
「ハル、おかえり。私よりも遅いだなんて、珍しいね」
「おう、ただいま。ちょっと用事頼まれてな?ノスル先生から、カエへ伝言だ」
「へ…?私に?何かやらかしたっけ?」
「知るか。とにかくほら、おまえ宛にメモ預かってきたから」
「うん…」
彼女が突き出してきた三つ折りのメモ用紙を受け、恐る恐る開いた。
内容はほぼ端的。
【以前、申請のあった特別資料の開示を許可する。
暇なら直ぐに資料室aまで。 ノスル】
「何だって?ノスル先生は」
「うん、ちょっと前に頼んでたものがあってさ、それ取りに来いって」
「そか、気をつけてな」
うん、と頷き、スリッパを履く。既に部屋着に着替えていたが、
ちょっとくらいの用事ならいいかな、と思い、そのまま
若干人気の薄くなった廊下を歩き出した。
*
「よっと…」
資料室aは、特別棟の三階にある。階段の三段飛ばし上りに挑戦してみたけど、
なかなか疲れる。スリッパだし、ちょっと歩きづらかったかな…。ま、いっか。
非常灯のみ点いている廊下を右に曲がり、資料室aが数メートル先に
見えた。が、
「…ん?」
資料室前の部屋、《学園長室》のドアが薄く開いていた。隙間から漏れ出る光が、
薄暗い廊下に差し込む。
…おかしいな。学園長が帰った時に電気も消さず、ドアもろくに閉めないなんて
有り得ない。息を潜めていると、数人の大人の話し声が聞こえてきた。
足音を立てない動きで、するりとドアの隙間に近付く。今度は
はっきり聞き取れる距離だ。
「…どういうことですか、それは!!」
「落ち着いて下さい。ムツキ先生。見苦しいですよ」
いきなり聞こえてきたのは、温和が服着て歩いていると言われているムツキ先生の
怒声だった。男性特有の低い声音と腹式呼吸とで、先生の声が花火みたいに体に響く。
何があったのか気になり、息を殺したまま意識を集中させる。
今度は副学長の高い声が耳についた。
「いいですか、ムツキ先生。ここは王立聖ヒナタ学園です。
国が、ひいては、王が決めたことに逆らえる訳がないでしょう。
…仕方がないのです」
「…!…生徒が、生徒がただ単純に戦場に駆り出されるなら、
僕だってここまで抗議しません。しかし!いくら何でも、
生徒たちを二分して戦わせるなどと、どうして
“仕方がない”の一言で済ませられるのですか!」
ー…頭が真っ白になった。
「…え?」
自分の喉がかすれた声を発したが、先生方には聞こえなかったらしい。
混乱している間にも、ムツキ先生の抗議は続いていく。
「反乱軍が王に対抗しようとして、その様な申し出をしたのは分かります、ですが、
彼らをこんな事に巻き込んで良いわけがないでしょう!?
…寮で別れて、反乱軍と国王軍として戦えだなんて!!」
…反乱軍。…国王軍。…寮で別れて…戦う?
今度は、学園長の奥行きがある声が鼓膜を鳴らす。何だか息苦しくなってきた…。
「大丈夫ですよ、ムツキ先生。
なんせ、彼らには強力な洗脳薬を射ちこみますからねぇ。そうそう、効果は切れない筈です」
「そういう問題ではなくて…」
そこまで聞いた直後、力が抜け落ちて、私は膝を床についた。何から何まで混乱していて、思考がまとまらない。
「…そこにいるのは、誰です!?」
「あ…」
勢いよく学園長室のドアが開き、目をキツネみたいにつり上げている副学長が出てきた。逃げる間もなく見つかる。
「今の話、聞いていたのね?…来なさいっ」
腕を掴まれ、為されるがままに室内へと連れ込まれる。ムツキ先生が目を見開いて驚いたように
私を見る。学園長の前まで引っ張られた。
副学長がキンキンした甲高い声で追及してくる。
「あなた、一体どこから聞いていたの!?まさか…」
「全て聞きました。反乱軍のことも、洗脳薬のことも。」
自分でも驚く位、冷静に答えられた。冷気を混じらせた一瞥を副学長に向けたあと、表情を全く変えない初老の学園長に向き直る。
彼は、何も言わず、ただ私をじっと静かに見つめていた。私も冷気だけを向けて見つめ返す。
ややあってから、私はゆっくりと口を開いた。
「…寮別で、反乱軍と国王軍に分かれるって、一体どういうことですか。
王からの命令らしいですが、そんなおかしな命令ってありますか?ふつー。」
「国の決定です。逆らえませんよ」
「だから何だって言うんですか。」
学園長の言葉にかぶせるように声を張り上げた。手を、ナナとのお揃いのブレスレットに当てる。
そこから勇気をもらいながら、話を続けた。
「寮で分かれて戦うのは、…サファイアとルビーで戦うってことは、
友達や恋人、兄弟ですら戦い合わなきゃいけない。…そういうことですよね?
何でそんな馬鹿げたことを…」
「国王直々の命令ですから、逆らえる訳がない。 断る理由もないでしょう。どうせ洗脳薬で記憶を曲げますしね」
「ー…!」
話が通じていない。どころかかみ合っていない。
私は、
「私は、皆と戦いたくないだけなのに…」
この言葉は、誰にも届かなかった。誰の心にも。
深い深い溜め息を学園長がつく。彼は、すっかり黙りこくったムツキ先生に対してこう言った。
「ムツキ先生。彼女の記憶を操作します。おさえて下さい」
「…はい」
その応答の後、一瞬風の切る音がしたかと思うと、私は床に抑えつけられた。力ずくの行動で、
行ったのはムツキ先生だった。悲痛そうな表情。
「…ムツキ先生、どうして…!」
「ゴメンね、カエさん。…君がどんなに真実を知って、それを皆に伝えても…。
国という単位の決定を覆すことは出来ない。せめて、君がこれ以上傷つくのを防ぐために、記憶を操作しなきゃならないんだ…」
「…!」
腕をひねり掴まれてうつ伏せに抑えられているから、これ以上抵抗しようがない。
学園長が静かに歩み寄ってきて、私の傍らに片膝をついた。大きくて、年季の入った手が私の頭に触れる。
何とかしてこの出来事を覚えていたいのに…!
…あ。
「それでは、あなたの今夜の記憶を消去します。
…『メモリー・カット』」
学園長が呪文を唱える寸前。わたしは小さく一つの呪文を唱えきっていた。
ノスル先生が担当してくれている“防衛術・防衛魔術”の教科書。その端っこに存在した魔法。
それは、“自己防御魔法”と言って…。
『セーブ・ゼルベス』
記憶や自分の想いを守る為の術だった。
そして、学園長の術が私に対して放たれた瞬間。私の意識はシャットダウンされ、深い眠りについた。
*
「では、ムツキ先生。彼女を部屋まで送ってあげてください」
学園長からの指示には答えず、ただ無言でカエを抱きかかえた。薄暗い廊下に出ると、壁際に不敵な笑みを浮かべているノスルがいた。
ようやくつじつまが合う。
「…彼女がここにきたのは、お前の仕業か、ノスル」
「…さあね?あたしはカエにこれを渡したかっただけよ。じゃぁね、これよろしく」
彼女は分厚い資料を僕に押し付けると、規則正しい足音で去っていった。
ふと、窓から空を見上げる。
月のない、静かな夜のみがあるだけだった。
Ⅲ 約束のクローバー
翌日。
「…カエ?カエー?」
「へ?あ、何、ナナ?」
呼びかけられて我に返り、周囲を見渡すと、私とナナ以外、誰もいなかった。
妙に教室が広く感じる。
ナナが呆れた様に息をついていた。
「もー、またボンヤリしてたの?昨日、何か夜中に倒れたんだって?体調大丈夫?」
「あはは、大げさだなぁ。昨日はちょっとめまいががしただけだよ、大丈夫」
「…そう?何か、抱え込んでない?」
「うん、…大丈夫」
彼女は腑に落ちないのか首を傾げていたが、私が何事もないように荷物をまとめだしたので何も聞いてこなかった。聞いてこられても困る。
一体どうしろって言うんだろう。
…昨夜の学園長室での話は全て覚えている。でも、だからって、何をすれば…?
今、私は、とにかくいつも通りに過ごすのが精一杯だった。
*
その日1日、ナナ以外にも心配されながら、私はあいまいに誤魔化した。
そして、夜。
「いやー、今日の訓練もキツかったね~、ナナ」
「…そうだね」
「また明日も頑張ろう!じゃねっ」
ナナとは今日1日ずつと一緒にいたけど、彼女の前でこれ以上誤魔化す事は
難しい。何かの拍子に、自分の口がポロッと真実をこぼしてしまいそうな
予感がしていた。
だから、とっとと部屋へ帰りたかったのだけど、
「…ねぇ、カエ。待って?」
彼女の無機質な声に、思わず動きを止める。顔を上げてナナの瞳を見れば、
くすんだ碧の瞳が真っ直ぐ私を射抜いていた。
「ねぇ、今日のカエ、何かへんだよ?いつも以上にボンヤリしてるし、
みんなに心配されてるとき、何かを隠すみたいに誤魔化してた。
…何か、1人で抱え込めない事でもあるなら、私に言ってよ…」
「…っ、それは、…」
正面から問われ、何と答えればいいのか分からない。ナナを巻き込みたくない。
でも、言わなかったら、信頼してないことになる。
「ナナ…。信頼してる、けど、これをあなたに言って良いのか…。
分からない、巻き込みたくないの」
「何か重要な事なのね?なら尚更じゃない、大丈夫。巻き込まれても
私は負けたりしない。平気よ」
「そうじゃなくて!」
「じゃぁ何よ、言ってくれなきゃ分からないし、信じられないじゃん!」
「…!ちょっと来て?」
半ば怒鳴っていたナナの腕を引いて、共通ロビーを抜ける。
人気のない中庭へと入り、周囲に誰かいないか確認してから、2人でベンチに
座った。不機嫌そうなナナと目を合わせ、覚悟を決める。
「…ナナ、誰にも言わないで欲しいことなの。まずそれを分かって」
「…うん」
深呼吸をして、気持ちを整える。彼女の瞳は、変わらず私を
真っ直ぐに捉えていた。
「昨日の夜、ノスル先生から呼び出されて、資料室aに行ったの。
それからね、…」
学園長室で聞いたこと、見たこと。全てをナナに明かした。
彼女は驚き、それでも静かに私の話を最後まで聞いた。
「…そう、だったんだ。ゴメン、私、そんな重大な事だなんて、思ってなかった…」
「ううん、いいの。話せて良かった。1人で抱え込むと…ツライよ」
苦笑すると、ナナも似た笑い方をした。私の頭を柔らかく撫でてくれる。
「ねぇ、カエ?何で記憶操作されたのに覚えてるの?」
「あ、それは“自己防御魔法”で防いだからで…。ほら、“防衛術・防衛魔術”の
教科書にちっちゃーく書いてあったの。記憶や心を守るって」
「カエがあの教科書を復習していただなんて…!驚愕の事実ね!」
「問題そこ!?」
ツッコミを入れると、彼女はフフッと楽しげに笑った。そして、
すぐに表情を曇らせる。
「…でも、どうしようか。確かにムツキ先生が言ったとおり、真実を
皆に告げても意味なさそうだよね…。その魔法も、何人が気づいているのか…」
「…私達だけでも、約束しよう」
?と首を傾げたナナの手を握り、誓いをたてるように声に力を入れる。
「私達だけでも、互いのことを敵だと思わない。
離れ離れになっても、絶対に互いを忘れない。…そうしよう」
「カエ…」
「そうでもしなきゃ…あの話を聞いた意味が無くなっちゃう…」
そううなだれた私を、優しく包み込んだものがあった。ナナの細身の両腕だ。
「ナナ…?」
「そうしよう、カエ。互いに戦うようになってしまっても、
私達は親友のままでいる、て。このクローバーのブレスレットを
繋がりにして、ね」
「…うん、そうだねっ。ずっと、ずぅっと親友だよ、ナナ」
木々のざわめきが鳴る中庭で、私達は約束をした。
何だか、心があったかくなっていた。
*
そして、2人の誓いから5日後。
お昼ご飯を、私とナナ、ハルとクロアで食べていた時に、
校内放送が入った。
『…全学園生徒に連絡をします。』
「お、ムツキ先生の声じゃん」
ハルがカレーを頬張りながら言う。
『本日の放課後のクラブ活動は全面中止。その代わり、夕食後、
それぞれの寮監の先生の指示に従い、学園外へ移動してください。
特別訓練を行います。服装は制服です。もう一度繰り返します…』
「…そうきたか」
私1人にだけ通じる音量で呟く。前の席にいるハルは訓練なのか、と
嘆いているし、クロアに至っては、隣の席でのんびりとスープを飲んでいる。
ナナはと言うと、目が合ったと同時に意志疎通が完了した。
ー…きっと、これが皆で居られる最後なのだろう、と。
*
寮に向かう前、ナナと無言でブレスレットを見せ合い、深く抱きついてから
別れた。言葉は出なかったけど、彼女の瞳が潤んでいたのは見逃さなかった。彼女も、
私の瞳の事に気付いただろう。
ルビー寮寮監の先生はノスル先生。声を張り上げて指示を出している。
「いーい、あなた達。向こうに着いたら一回予防接種があるわよー。
何でも、感染症が出やすい地域らしくてね。強力なのぶっこむから覚悟しなさーい」
「えー、まじかよノスル先生ー」
「あら、何か文句でもあるの?クロア」
「…いえありません」
こんなやり取りをしている間にも、ルビー寮生徒は何台かの大型車両に
乗り込んでいった。…何も知らないで。
全員が乗ったのを確認してから、車両は動き出した。
隣で寝だしたハルは放っておき、クローバーのブレスレットを
握りしめる。祈るように手を組んだ。
…ナナ、どうか、無事で。
*
それから、約一月後。
ヒナタ王国の東に位置する廃校の《カブミマ高等学校》に、
私達ルビー寮生徒は滞在していた。
国王軍として、戦場に向かうために。
「なぁカエ、もう少ししたら、俺達も戦場に向かうんだよな」
「あー、そうだね。」
「よし、俺がぶっ潰してやる」
夜空の下、細剣の素振りをするクロアを、私は微笑みながら見ていた。
あたかも、頼りにしているよ、と伝えるかのように。
本当は…。
「あ、そういや今日、この間の戦闘技術テストで分けられた部隊発表があった
よな。カエ、どうだった?」
「んーとね、戦闘隊の15小隊だよ。指揮官が女の人らしいね」
「へー、ってちょっと待て!!戦闘隊って言ったら、軍とのフォーメーションもある、
さ最前線に出る部隊じゃねぇか!」
「そうそう、そんな感じの奴。ま、私、少なくともクロアよりも
強いし?そういうあんたはどうなの?」
言葉に詰まりつつも、彼は吐き捨てるように答えてくれた。
「…後方支援部隊の 68番隊だよ悪いか文句あるかこの野郎!」
相当悔しがっているのが声色からわかる。私は苦笑しながら彼に近づき、
彼の肩に手を乗せ、
「後ろ、任せるからね」
とだけいい、自分の寮へと戻った。クロアが止めてくる気配もない。
未だに他人の部屋を使わせてもらっている感じのする141号室の
ドアを開けると、窓枠に寄りかかり、長い金髪をなびかせているハルがいた。
彼女は私に気付くと、文庫本を読んでいた方とは別の手を軽く上げた。
「おう、おかえり」
「ん、ただいま。今日の部隊発表、ハルはどうだった?私は…」
「カエは戦闘隊だろ?うちも戦闘隊で、86小隊だ。実質、
援護的役割の部隊だけどな」
「そか。ま、よろしくねー」
「おう、任しとけ」
ここに来てすぐに射たれ込まれた洗脳薬のおかげで、“自己防御魔法”を
知っていた私以外、誰1人として、
反乱軍にいってしまった友のことを忘れている。
「ナナ…」
「ん?何か言ったか?」
何でもない、と首を振ったけど、彼女は心配そうに
私の顔をのぞき込んできた。
「なぁカエ、今日はもう休んだらどうだ?部隊発表があって
疲れたろ」
「うん、…そうするね、おやすみ」
おやすみ、と返され、ベッドに潜り込んで布団をしっかりと
頭まで被る。そして、そっと、手首のブレスレットを抱き寄せた。
祈るのは、ただ一つ。
ナナ、あなたは上手くやってる…?
星月夜が広がる中、互いのことを祈る少女が2人。
これから、最悪の運命に巻き込まれることを、知らずに。
to be continue.
Clover 上