人間のような生き物

 あたしは銀河連邦政府により、地球へと送り込まれた、人間のような生き物。名前は、松本和美というらしい。年齢は二十歳の設定で、地球の調査を行うため、人間として、この日本という国で暮らさねばならない。
 人間として一から造られたので、あたしには両親や兄弟などはもちろん存在しない。でも、生活に困らないように、戸籍はちゃんと用意されていた。

 地球に降り立った時、住居も用意されていて、とある会社の事務員として働くことになっていた。あたしには感情というのが、まだ備わっていなかったので、無難な職業だということらしい。
 あたしの任務は、普通の人間として生活し、そこで起こった事件や地球環境の変化などをレポートし、銀河連邦政府へと定期的に報告するというもの。いわば、調査員みたいなものだ。もちろんこのことは、誰にも知られてはならない、機密事項である。
 報告の仕方も、人間社会における、携帯電話という機器に似たような端末を渡され、それで行うよう命じられた。
 あたしは言われた通り、任務を行った。怪しまれないよう、人付き合いもそつなくこなし、会社の飲み会というものにも参加した。やがて、友達と呼ばれる人もできて、あたしは完全に、この人間社会に溶け込んでいった。
 だが、感情というものは、まだよくわからなかった。笑ったり、怒ったり、泣いたり、喜んだり、上っ面だけは表現できたが、それは、胸の内から沸き上がってきたものではなく、他の人がそうしていたから、真似をしてみただけ。そうしなければ、あたしだけが浮いてしまうと思ったからだ。

 そして、任務をしはじめてから、五年の歳月が流れた──。
 当然のように、あたしも二十五歳になったわけだ。人間として生活しているのだから、当たり前に歳もとる。歳をとらない設定や、若返る設定もできるらしいが、それでは、人間関係というのが築けないので、あたしは普通に歳をとる設定らしい。
 そして、あたしの生活にも変化が訪れた。あたしは、結婚というのをしてしまったのだ。結婚相手は同じ会社の人間で、性別は男だった。
 事の成り行きはこうだ。その男が会社の飲み会の帰りに送ってくれるというので、素直に従った。そして、あたしの住居へ着いた時に、男から「好きだ」と言われ、付き合いというものをすることになった。
 男の名前は、高倉修二といった。あたしより二つ年上で、人間の顔を、良い、普通、悪いで分けるとするならば、普通という感じだった。
 修二は、あたしに優しく接してくれた。そのことで、あたしは初めて、心地よいという感情を得ることができた。修二が、他の女と話していると、嫉妬という感情が沸いてきて、修二がプレゼントをくれた時には、嬉しいという感情が生まれた。そして、修二に冷たくされると、悲しいという感情で、初めて涙というものがこぼれた。
 そう、何の感情も備わってなかったあたしに、修二はいろんな感情を与えてくれたのだ。
 修二があたしにプロポーズしてくれた時、あたしは心の底から、喜びという感情に満たされ、初めて、笑顔というものを実感できた。
 これが、あたしが修二と結婚した理由。もちろん、このこともレポートにまとめ報告した。政府のお偉方からは何もなかったが、会社の同僚や上司らからは、「おめでとう」と言われ、あたしは幸せという感覚を噛み締めていた。

 修二との結婚生活は、楽しいという感情に満ちあふれていた。寿退社という肩書きで会社を辞め、あたしの新しい職業は、専業主婦というのものに変更された。その仕事内容とは、家事というもので、料理、洗濯、掃除という業務を、こなせばいいものらしい。
 あたしは、その業務をこなした。修二との結婚生活のために。もちろん、本来の任務も忘れることなく、報告も怠らなかった。
 だが、そんなある日、思いもよらない出来事が起こってしまった。修二が、「子供が欲しい」と言い出してしまったのだ。
 あたしは、人間ではない。銀河連邦政府により、調査員として送り込まれた、人間のような生き物。たしかに、身体の作りは人間だが、それはあくまでも、人間として生活するのが目的であって、子供を産むための機能までは備えていない。
 いや、言い方を変えれば、備えていてはいけないのだ。人間ではない人間のような生き物が、人間との子供を持つなど、あってはならないこと。もし、その子供が生まれてしまえば、それはもはや人間ではなく、地球の生態系までをも脅かす存在になりかねないのだから。
 しかし、この事情を、修二に話すわけにもいかず、あたしは修二に「子供が産めない身体だ」とだけ告白した。この言葉を口にした時、あたしの胸は張り裂けそうになり、初めて、苦しいという感覚に襲われ、同時に、修二に対して、申し訳ないという感情でいっぱいになった。
 きっと修二は、怒りという感情を剥き出しにして、あたしを責めるだろう。そして、離婚という事態も招いてしまうかもしれないと思ったその時──、なぜか修二は、あたしを抱きしめてくれた。強く、そして優しく。
 あたしの涙腺は次第に熱くなり、気付けば大粒の涙があふれていた。
 なぜ? 涙は悲しい時に出るものではなかったのか。あたしは、温もりという感覚に満たされてるだけなのに、なぜ、こんなにも涙が出るのだろうか。
 そして修二は、あたしの顔を真っすぐに見つめ、一言こう呟いた。

「二人で一緒に生きていこう」

 この時、初めて気付いた。これが感動というものだと。
 両親も身寄りもないあたしに、プロポーズしてくれた修二。何もなかったあたしに、数えきれないほどの、感情や感覚を与えてくれた修二。あたしは素直に、修二の言葉にうなずいた。

 それから、修二と何年の歳月を過ごしただろう──。
 あたしはすっかりと年老いて、白髪のお婆さんになってしまっていた。そして先日、修二の葬儀を終えたばかりだった。
 そう、修二はあたしより先に逝ってしまったのだ。享年八十九歳。人間でいう寿命というやつで、大往生だった。あたしは、家の仏壇の前で、修二の位牌を見ながら、これまでの過去を振り返っていた。
 結果として、あたしは幸せだったが、修二はどうだったのだろうか。
 死ぬ間際「ありがとう」と笑顔をこぼしていたが、本当は子供も欲しかっただろうし、あたしみたいな、人間のような生き物ではなく、ちゃんとした人間と結婚したほうが幸せだったに違いない。だって、あたしは、修二を騙し続けてきたのだから。
 あたしは、人間として修二と暮らしていく中にも、罪悪感という感情にさいなまれてきたのだ。
 そう、あたしは銀河連邦政府の調査員。これまでの地球の生活も報告してきたし、修二が逝ったことも、辛いけれど政府に報告しなければならない。
 あたしは、専用の端末を手に、銀河連邦政府へとアクセス。そして、事の経過を報告した。すると、こんな返事が端末に表示されたのだ。

「若返りの設定をするから帰還せよ」

 政府はまた、あたしに同じことをやらせたいらしい。でも、あたしは帰還命令を無視した。

 理由は、もう二度と、愛する人を騙したくないから。

 その後、あたしはビルの屋上から飛び降り、自らの任務を絶った。
 それは、あたしが初めて、人間らしくありたいと思った瞬間でもあった。

人間のような生き物

人間のような生き物

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-11

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