エス


 ぼんやりと意識が目覚めた時に、急激に瞼の裏が明るくなった。
「意識が戻ったようだね」
 野太い男の声がした。目を開けると医療用の大きな丸いライトがすぐ前にあったが、後ろに引き上げられた。目がまだよく見えないが、男の声は続いた。
「君は自覚がないだろうが、極東エリア5F地区での戦闘で負傷して以来、君は5年間眠り続けてきた」
 極東エリア5F……5年間……。激戦だった。胸と腹に何発も被弾した。頭部も……。よく生きていたものだ。それにしても、5年も眠っていたとは。
 目が慣れてくると、部屋の様子が分かった。病室というより手術室を思わせる作りの部屋で、俺に話しかけてきている男は軍服を着ていた。室内には、他に軍服の男が一人、医師らしい男が二人いた。
「ヘンケル大佐だ。エス、気分はどうだ」
 俺は体を起こした。
「そのままでいたまえ。急に無理をする必要はない。まあ、体は動かせるようだね」
「俺がいた部隊はどうなったのですか」
「全滅だよ。君が生き残ったのは、奇跡だった」
 やはり、そうか。そして、自分は5年間も眠り続けて、今、目覚めた。
「目覚めてばかりで悪いが、君には頼みたい任務がある。ゆっくり休養させてやりたいが、三日後には中東に向かってもらう。明日の午後にミーティングを行うから、それまで体を休めて、また勘を取り戻して欲しい」
 大佐は一方的に告げると、出て行った。三日後に任務とは随分な扱いだが、軍隊でまともに扱ってもらった記憶もない。しかたあるまい。大佐が出ていくと、白衣の男たちが近づいてきて、無言のまま俺の体に検査器具のようなものをつけた。
「ここは、どこか」
「ネオポリス。連合国軍事本部。付属総合病院」
 白衣の男は、ぶつぶつと答えた。
「後遺症とかは?」
「ふん、ないね。体をなまらせないように、こちらも気を使ったんだ。筋力も落ちていないな。とりあえず、退院したら、泳ぎたまえ」
 思わず、軍服の男を見た。
「君の仮宿舎は用意してある。兵士用のプールやトレーニングルームは自由に使える。欲しいものは言ってくれたまえ。三日後には、戦場送りだ。あ、私は大佐の部下でコダマという」

 新しく身分証や認識票が準備されていた。記されているのは、エスという名前と、自分が見ても意味がわからない12桁の数字。とりあえずこれがあれば、この軍事施設の中では、やっていける。
 医師から言われたように、プールへ行ってみた。水着に着替えて、鏡に体を映してみたが、銃創らしきものがまったく見当たらない。重傷を負ったはずだが、きれいになっていた。体を動かすことに違和感はあったが、暫く泳いでいるうちに慣れてきた。あいも変わらず、馬鹿みたいにタフな体だ。
 この体だけが重宝されて、最前線ばかりに送られてきた。両親と早くに死に別れて、貧困の中で生きてきた俺は、志願できる年齢になったら当然のように軍に入隊した。戦争で、最前線に送られるのは俺たちのような使い捨ての人間ばかり。そして、俺は極めて使い勝手の良いほうの消耗品というわけだ。

 俺はプールとトレーニングルームで、くたくたになるまで体を動かし、5年ぶりの食事を食堂でとった。軽金属のトレイと食器にのせられた料理はまずくもなかった。ここは本部の食堂だ。下士官以上しか姿を見せることはない。俺の前に、知った顔が座った。ヘンケルだ。
「体調はどうか?」
「悪くありません」
「そうかね。では、食事後、さっそくミーティングとしよう」
「明日の午後では?」
「事態が悪い方に動いているのでね」

 ヘンケルは、俺の皿の上があらかた空いたのを見ると、立ち上がった。俺は彼の後に従った。行った先はかなり奥まったところで、無断侵入禁止エリアの表示の度に、眼球による個人識別キーのついたゲートを通った。そして、実にコンパクトなミーティングルームに行きついた。そこではコダマがパソコンを操作していた。
「先日、中東エリア5bに送り込んだディー大尉以下5名が消息を絶った。君が眠る前からそうだったが、あそこは内乱中で、政府軍は『連合』側だが、反乱軍は『連盟』に与している。ディー大尉たちの任務は反乱軍の指導者ホルス師の抹殺だったが、失敗した」
 スクリーンにホルス師の顔の映像が大写しになった。
「これがホルス師だ。顔をしっかり覚えてくれたまえ。彼の身体的特徴などのデータ―もこちらにある。見て記憶しろ」
 一冊のファイルがポンと目の前に置かれた。スクリーンの映像が変わった。
「これが、行方不明の5人だ。一番右側がディー」
 もう一つファイルが前に示された。
「君の任務は、政府軍のフォローを受けて、ホルス師暗殺を遂行し、行方不明の5人を出来る限り救出することだ。軍を大々的に動かすわけにはいかない。民間ルートを使って単独で国内に入り、政府関係者と接触しろ」
「暗殺……ですか」
「そうだ」
 まさに、捨て駒の仕事だ。それも、一人でとは……。
「まず、先にディーたちを助け、彼らと協力するように」
「全滅している可能性はないのですか?」
「ない。通信の解析から、反乱軍側がディーともう一人を『連盟』に引き渡そうとしていることがわかった。少なくとも二人は生きている。彼らを『連盟』に渡してはならない。ディーはある秘密プロジェクトについて、若干の情報を持っている。そして、もう一人……」
 女性兵士が大写しになった。短く刈り上げた褐色の髪に、印象的な強い眼をした整った顔立ちの、まだ若い兵士だった。
「彼女は、ゼロ。彼女はそのプロジェクトに関わるデータを体内に持っている」
「体内にデータを持つ?」
「深く詮索する必要はない。ただ、頭に入れておいてもらいたいのは、死体であっても、ゼロを『連盟』に渡すわけにはいかない。回収できなければ、焼却などの処置をする必要があるということだ。資料はここにあるものが全てだ。頭にたたきこめ。明朝、エリア3の軍事空港までコダマに送らせる。そこから先は、自力で5Fまで移動しろ。武器は、政府軍が準備してくれるはずだ」
 基本的に、命じられたことを実行すればいい。情報は、作戦を実行するために必要な範囲あればいい。下の者が、知りすぎる必要はないのだ。

 一方的なヘンケルの説明が終わると、俺は中東エリアの地図を何種類か提供してくれるように依頼した。必要なデータの分析作業をするために、深夜までかかった。ヘンケルは途中でいなくなり、コダマが作業のフォローをしてくれた。

 五年ぶりに目覚めて、明日には戦地に向かう。それが俺の人生なのだった。
 

2.

 翌朝、コダマに連れられてエリア3に向かった。基地に到着すると、この地域の民族服を着せられた。そこから車で離れた場所に移動し、民間機でエリア4fへ向かった。そこで車を調達し、にわか行商人になり、エリア5の領域に入った。紛争地域に向かうにも関わらず、拳銃一つを身につけているだけだ。準備されていた商業用許可証をつかって5bに入ったのは二日後の夜だった。指定されていた政府軍の機関と接触し、指定された宿泊施設に入った。
 部屋に入って暫くすると、ノックが5回した。
「何か?」
「ご入り用の敷物の件で」
 ドアを開けると、風采のあがらない中年の小男が巻いたカーペットを持って立っていた。中に招き入れると、男はカーペットをひろげた。
「これだけか?」
「十分だろう」
 カーペットの中身は、丸められた地図とショットガンが一丁だった。
「場所は、ほぼ特定できている。生存が確認できているのは、隊長と女隊員1名だ。人質を『連盟』に引き渡すために、輸送機を確保できるこの拠点まで山間部を移動中だ。今、3名に追跡させている。彼らと合流してくれ」
「3名か」
「基本的には、あんたらのミスだからな。それでも、外人部隊の精鋭だ。04と06と13」
「コードネーム?」
「そうだ。上に4ケタつくが、聞きたいか?」
「遠慮しておく」
 男は、空になったカーペットを丸めた。
「地図を確認しておけ。明日朝5時に、この地点で待機。そこから、合流地点上空までヘリで輸送する。……今晩は良く寝ておくことだ」
 吐き捨てるように言うと、男は出て行った。

 翌朝、指示のあった場所まで、車で移動した。5時ちょうどに、小型の軍用ヘリが到着し、乗り込んだ。中の乗員とは会話らしい会話をすることもなかった。場所の確認の後、ホバリングしているヘリから「降下」の指示があった。
 降下の後、すぐに川沿いに遡り、合流地点に着いた。合図をすると、三人の兵士が顔を出した。四人の間での会話が可能なように無線を調整した。
「状況は?」
「昨日、三名の遺体を確認した。それと、恐らく大尉は負傷している。明日の昼には追い付けるはずだ」
 後は、黙々と冷涼な森林を歩き続けた。敵との接触を避けながら、静かに進行する。ゴーグルつきのヘルメットを被り、軍用迷彩服を着用している彼らを識別するのは、鼻から下の輪郭と体型だけだ。三人とも大柄で、筋肉質だ。おそらく04が、一番若く、キャリアが浅い。団子っ鼻でそばかすがある、色白の男だ。13は鷲鼻で、30代半ばぐらいだろう。06は恐らく50に近いベテランだ。一番体がでかく、横に広がった鼻と厚い唇をしている。
 
 翌日の昼過ぎに完全に彼らのキャラバンを捕捉し、観察を始めた。とりあえず、現在一行として動いている人間は24名。背の低い馬が輸送用に使われている。人質2人は、それぞれ別の馬に、拘束具をつけられた状態で乗せられている。
1時間の行軍の後、彼らは休息のため足を止め、5人が見張りに立った。視覚が比較的開けた場所に06を置き、04を退路に配して、13に援護をさせながら、静かに進む。銃を使うのは、まだ後だ。蜂の巣をつつくような、馬鹿な真似はしたくない。06が知らせてくる敵の動きを確認しながら、見張りを静かにかたづけていく。人質の監視役の喉を背後から掻き切ると、人質の頭にかけられていた布をはずした。
「ディー大尉とゼロか。こちらは『連合』軍だ」
 大尉は、疲労の極致にあった。太腿部に銃創があり、簡単に手当てされていたが、自力歩行は難しい状態だった。ゼロは、ぎらぎらした目をしていて、写真で見たより幼く見えた。たしか24歳だったはずだが、刈り上げた短い髪と小柄な体を合わせ見ても、少年のようだった。
 二人の拘束を解き、大尉を担ぎあげ、ゼロに銃を握らせた。
「後ろを頼む」
 子供に背中を守らせるのは不安だが、しかたない。
 侵入が感知されたようで、敵が動き始めた。銃撃戦が始まって見ると、ゼロは恐ろしく優秀な兵士であることが分かった。素早い反応と正確な射撃。五分の二で生き残ったのは、偶然ではなかった。
 われわれの目的は敵の殲滅ではなく、人質の奪還である。彼らを確保した以上、速やかに脱出を図る。04のもとに合流し、追ってくる敵に威嚇しながら山を下る。13が軽傷を負った。打ち合わせされていたポイントにたどり着いたのは深夜だった。民間車に偽装された重車両が待っていた。顔を出したのは、カーペットの男だった。
「人質と怪我人を早く乗せろ。他のものは引き続き、次の任務遂行だ。ホルス師の所在が分かった。近くだ」
 重車両の荷台に乗り、移動しながら、師の情報を提供され、計画を打ち合わせた。
「ゼロを連れていけ。役にたつ」
 大尉は平然と言った。
「休ませてやるべきでは?」
「そんな必要はない。もうじき、嫌というほど休める」
 ゼロは表情を変えなかった。兵士としてのゼロの能力の高さは認めざるをえなかったので、それ以上、誰も何も言わなかった。
打ち合わせが済むと、積み込まれていたジープを降ろし、武器類を補充した。
「ちったぁ、休ませてほしいなぁ」
06が嫌味っぽく言った。
「ちゃんと働け。永遠に休むことになるぞ」
 カーペットはにこりともせずに言った。06は首をすくめた。

 重車両と別れた後、四人で目的の場所に向かった。暫くまばらな木が見えたが、すぐに岩と砂しかない荒野となった。04が運転し、横でゼロが地図を見ている。手持無沙汰気に、06が話しかけてきた。
「エス、あんた、何年、軍隊にいる?」
「18から23まで、5年間だ。その後、負傷して療養していた。復帰してすぐが、この作戦だ」
「そうブランクが長いとは思えないな。いい腕だ。姉ちゃん、あんたもな」
 ゼロは聞こえなかったのか、振り返りもしなかった。
「愛想なしだな。あの大尉の下じゃ、そうもなるか。人質生活の後、てめえだけ後方に下がって、部下を次の任務に出すんだから」
 04は素っ頓狂な声を上げた。
「俺は帰ったら、歓楽街一の美人を一週間借り切ってやるぜ。ボンキュッボンのブロンドちゃん」
「そりゃ、結構だ。好きにしな。で、姉ちゃん、あんたは長いのか?」
 06はまた尋ねた。
「……実戦経験は二年程度だ。シミュレーションは15年以上……かなりやった」
「シミュレーション?15年以上?」
 皆が怪訝な顔をした。一人の女兵士の教育のために、15年もシミュレーションをすることは考えられなかった。
「あんた、いくつ?」
「24歳」
「ふーーん」
 ゼロは、単に腕のたつ兵士というわけでなく、どうも特別な人間であることを、みんなは察した。知らなくていいことは、無理に知る必要はない。もはや誰も、彼女の素性に関わることを話題にしようとはしなかった。

3.

 ホルス師暗殺は、某地区で行われるズーダ教寺院でのセレモニーで決行する。師が寺院から出て、車に乗り込む一瞬を狙う。狙撃主は俺、二番手がゼロ、司令官は06、04が退避路の確保だ。
 寺院の大体の内部構造は把握できている。しかし、師の護衛は100人程度いると想定される。また、信者など非戦闘員を巻き込まずに実行するということは難しい。「最小限の犠牲」を目指すしかない。
 長い間の戦乱で、軍から物資がかなり流れているため、軍用の迷彩服も街中で多く見られる。さすがにヘルメット姿は異様だが、服装で怪しまれることはないだろう。しかし、民族が違うため、髪の色や顔立ちで疑われる可能性がある。地元の人間が砂よけにするように、頭からすっぽり布を被った。こうすることで、無線も隠せる。

 経典を唱和する声が寺院から流れ出す頃、俺たちは各自持ち場にいた。
「よし、OKだ」
 無線で伝わる06の低い声が少し震えていた。俺は、師が姿を見せるのを待ちわびる民衆の中にいた。周囲には、何人もの護衛の兵が見える。その位置と人数を何度も確認した。かなり離れた場所にゼロを見つけた。
 何人もの護衛を盾にするように、師が出てきた。
「ゼロ、護衛の注意をそらせろ」
 06の指示が聞こえるとともに、「爆竹」が民衆の足元で走った。人が動き、護衛の兵士たちは混乱し、音の方へ走るものと師のもとへ走るものに別れた。ゼロは人の波をかわすように前に出ると、両手に握った拳銃で護衛に威嚇射撃を断続的に行うと、人波に逃げ込んだ。その間に俺は師の背後に回り込んで、頭に一発撃ち込んだ。

 ひどく混乱したが、みんな打ち合わせ通りの仕事はした。1時間後には、車に全員が乗っていた。
「姉ちゃん、大した度胸だな」
 06が言うと、初めてゼロが子供のような笑顔を見せた。
「笑うと可愛らしい顔してるじゃねえかよ」
「あんたは、ボンキュッボンのブロンドがいいんだろ」
 全員が、張り詰めた緊張感から解放されつつあった。06は、世界中に女が待ってる的な武勇伝を始め、04はそれを適当にかき混ぜていた。
「エス、あんたはこれからもこの手の仕事ばかりか?」
「命令次第だ。少人数の特殊工作のようなことは、今回が初めてだ。対ゲリラ戦は経験があるが……」
「姉ちゃんは?」
「……これが最後の任務だ。私は退役する。これで自由になれると聞いている」
「そりゃ、もったいない。あんたなら、どこの外人部隊でもやっていける」
「もう軍隊はいい。私は自由になるんだ」

 予定通りのポイントで、政府軍のヘリに乗り込み、エリア5bの基地に無事輸送された。そこで、06・04と別れた。「臨時ボーナスが出るらしい」と、彼らは浮かれていた。
 俺とゼロ、そしてディー大尉は、エリア4eまで政府軍の輸送トラックで移動し、そこからは民間機で「連合」本部へ向かうことになっていた。

 2日目の夜、宿泊施設となった小基地で、政府軍側の軍人たちが送別会を催してくれた。明日になればエリア5を出る、ということで、それなりの食事と酒が準備されていた。地元部族の有力者も出席する公式の席で、俺たちも着たきり雀だった軍用服を脱がされ、この地方の民族衣装で正装させられた。
 着方もわからないようなものだったが、鏡でみるとさすがに似合わない。しかし、宗教と食い物と着る物に文句を言えば喧嘩になる。諦めて、宴席に向かった。ディー大尉の姿も滑稽だった。しかし、偉い人はどこでも社交的だ。そこへ華やかな色合いのドレス姿が目に入った。
 ゼロは、ドレスとしか言いようのない鮮やかなピンク色の民族衣装を着せられていた。首や耳、手首にもたくさんのアクセサリーがつけられており、さらに冠のようなものまで被らされている。満艦飾だ。
 俺の姿を見つけると、ゼロは人を避けるようにして寄ってきた。
「エス、凄いカッコだな」
「お互い様だ」
 近くで見ると、化粧までさせられている。
「じろじろ見るな。あいつら、私を接待要員にする気だ。さっさと食べて、さっさとずらかってやる」
 そう言いながら、ゼロは何だか楽しそうだった。

 宴席で十分食事を済ませると、グラスと酒瓶を握って中庭へ出た。ベンチに先客がいた。ゼロが天を仰いでいた。
「星は見えるか?」
「いや、闇夜だ」
 俺は隣に腰掛けて、飲みはじめた。
「こんなにきれいなものを着る人間もいるのだな。何の役にも立たないのに、こんなたくさん刺繍がある」
 ゼロは、自分の衣装の袖口にされた刺繍を目の前に示して見せた。腕の飾りがきらきらと動いた。
「世の中には美しいものがいっぱいあるんだろう。私は軍隊しか知らない」
「外だって、金次第だ」
「そうか。でも、退役金も出るはずだ。これからは、美しいもの、きれいなものに囲まれて自由に生きてやる」
 ゼロは楽しそうだった。きらきらした笑顔こちらに向けた。こいつは美しい女だったのだと、気付いた。
「おまえ、それ、似合っているぞ。それを着ていると、いい女に見えないこともない」
「そうか、よし」
 ゼロは俺の方に向き直り、俺の頬をむんずと両手で挟んだ。
「いい女というのも、目指してみることにする」
 そして、ゼロは、ものすごく不器用で、ただ押し付けるようなキスをした。そのまま倒れかかるように体重がかかってきた。抱きとめると、ゼロは無表情のまま大きな目を開けていた。
「キスするときは、目ぐらい閉じた方がいいんじゃないか?」
 ゼロの表情は、固まったように変わらなかった。

 慌てて脈を探すが、見つからない。ゼロを抱えて宴席に飛び込んだ。
「医者を呼んでくれ」
 心臓マッサージと、人工呼吸を行うが、周りが医者を呼びに行った気配がない。
「医者だ!」
 医者が来ないまま、時間が立った。ゼロの顔は、蒼ざめていった。ガラス玉のような目を見開いたままだった。
「エス、ゼロは死んだ」
 間抜けなふん装のディー大尉が、俺の肩に手を置いた。俺のマッサージを止めた手の下に、大きな人形のようなゼロの姿があった。
「○○年○月○日、21時25分。……予定より、随分早かった」
 大尉はメモをとりながら、ひとり言を言った。
 
4.

 ゼロの不可解な死は、何人もの戦友を見送ってきた俺にとっても、それなりに衝撃的だった。
 はしゃいだ後の、理由のない死。まるでマネキンのように着飾って、美しかった死体。

 俺は、ディー大尉とともに、ネオポリスの本部に戻っていた。二日の休暇が認められ、その後、ヘンケル大佐に呼ばれた。
「疲れはとれたかね」
 黙って頭を下げた。
「五年眠っていても、充分身体は動くようだな」
 ヘンケルはブザーを鳴らした。隣の部屋から女性兵士が入ってきた。その顔をみて、息をのんだ。
「驚くのも無理はない。彼女はワン。ゼロの双子の妹だ」
 ワンと呼ばれた兵士は、ゼロとほとんど同じ顔をしていた。右目の下に目立つ黒子がある。表情に生気がなく、大きく太い金属性の額あてをしている。髪は、ゼロよりさらに短い。
「彼女は、君の次の任務を行うための部下として選ばれた。訓練された兵士だ。任務のためには、君に絶対服従するだろう。……あ、それと」
 ヘンケル大佐はいやらしい笑みを浮かべた。
「取り扱い説明として言っておくが、ワンには感情がない」
「それは?」
「文字どおりだ。血の通った機械だと思えばいい。ゼロの思い出話を、ワンとしようと思うな。ワンは、自分の姉についての知識はあるが、死を悼むような感情はない」
 確かに、目の前でそういう話をされても、ワンは無表情のままだった。
「自分の所属は、どのようになっていますか?」
「君は、私の直属。私は、特殊兵器管理部所属だ。今後の君の任務は、基本的には少人数の特殊工作が中心になる。必要部署へ貸し出される形だ」
「特殊兵器管理部?ゼロもそうだったんですか?」
「君が知る必要のないことだが……そうだ」
 コダマが、資料を持って入室してきた。
「コダマ、どうだね、状況は?」
「あと、1時間というところでしょう。彼らの能力をもってすれば、突破は必定です」
「ふん」
 大佐が顎を少し上げると、コダマは三人に資料を配った。
「3時間後に、エリア2の宇宙開発センターに向かってもらう。反乱分子がもうじきそこを制圧するそうだ」
 資料には8名の顔と全身の写真が載せられていた。それは、異様な写真だった。
「子供?」
「みたいなものだが、同情は無用だ。彼らは非常に戦闘能力が高く、肉体的にも頑強だ」
 そうは見えなかった。写真を見ただけでは、性別も年齢も推測が難しかった。中性的な容姿、大人としての成熟が見られない体格、そして8人が8人とも兄弟ではないかと思われるような顔立ちをしていた。どこかで見たことのある顔だ。男が5人、女が3人。
「彼らは何者ですか?」
「われわれはファーストと呼んでいる。「連合」の反乱軍人だ。それ以上、君が知る必要はない」
「彼らの要求は?」
「有人宇宙基地への移住だ。そのために彼らはシャトルを狙っている」
「何のために?」
 宇宙へ出ても、地球から物資的援助がなければ、長期的にそこで生活することはできない。反乱をおこしてそこへ逃げ込んでも、いずれ日干しにされる。
「詮索するな。君のすべきことは、彼らの抹殺だ。宇宙へ出すな。シャトルの発射準備には、最低3日かかる。その間に処理しろ」
 コダマが見たことのない形状の銃を持ってきた。まるで、小型の水鉄砲だ。
「彼らは、非常に回復力が強い。致命傷を与えたつもりでも、生き残る場合がある。倒した後、必ず、鼻からこれを注入しろ。特殊な液体が入っている。彼ら以外には害はない」
 本当に水鉄砲だった。コダマは、それを俺とワンに渡した。振ってみるとシャバシャバ音がする。
「身柄の確保ができても、殺害が必要ですか」
「確実に処分しろ。いいか、8人の鼻にこいつを突っ込んでくるんだ。むやみに振るな。泡しか出なくなるぞ」

 宇宙開発センターの構造などのレクチャーを受けた後、軍用機でエリア2に送られる。紛争地域に行くわけではないので、移動自体には神経を使う必要もない。相手は8人。こちらは、コミュニケーションもとれない女兵士と2人。
 センターを占領した彼らは、スタッフを人質にして、シャトルの発射準備を始めている。エリア2に配備された正規の連合軍は、センターを完全に包囲しているが、優秀な技術者を多く人質にされているため、突入できずにいる。少人数であれば気付かれずにすむ、のではないか……というのは、随分勝手な話だ。こちらは、パートナーの実力すらわかっていないのだ。
「あんた、実戦経験は?」
「半年です」
 ……素人じゃないか。ゼロには、2年の実戦経験があった。
「で、シミュレーションを15年ほどしてるってわけか?」
「そうです」
 嫌みのつもりだったが、本人は気にするそぶりもない。
「感情がないというのは?」
「脳内の感情をつかさどる部分のほとんどを切除しています」
「脳を負傷したのか?」
「いえ」
「では、なぜ?」
「理由は知らされていません」
「あんたは、それでいいのか」
「いいか、悪いかを考えたことはありません。任務に必要であれば、考えますが」
 話していても、言葉に抑揚がない。人工知能の音声と会話しているようだ。それにしても、負傷したわけでもないのに、外科的に脳の切除を行うということがあるのだろうか。
「あんたの姉さんは、俺と一緒にいる時に死んだ」
「聞いています」
「悲しくないのか?」
「人は、そういう場合、悲しむものだと理解しています」
「あんたは?」
「……私?」
 ワンは暫くフリーズした。
「ご質問の意味がわかりません」
 
 軍用空港に着陸した。そこからは、他の兵士とともに車で、包囲している連合軍側の陣に運ばれた。時々、ワンの横顔を盗み見たが、無表情のままだった。緊張している様子もない。やれやれ、素人のロボット女とどうやって組むんだ。これから、得体のしれない「子供」たちの鼻の穴に、水鉄砲を突っ込まなくてはいけないというのに。

 勝手のわからない戦闘を思うと、ひたすら気が滅入った。

5.

 彼らが侵入する際に破壊した監視システムが、復旧する前に内部に入り込む。できるだけ気付かれるまでの時間を稼ぎたい。施設の大きさに対して、わずか8人なのだから、やりようもあるはずだ。彼らは、破壊しなかった警備システムをフルに利用している。その端末から、彼らの大体の配置をつかむ。人質のほとんどは管制室に集められているようだ。しかし、シャトルの整備のために格納庫にもいる。まず、格納庫を制圧する。ここで、二人の「子供」を処理した。
 写真で見るよりも、実際に目にした「子供」たちは小柄だった。恐ろしく俊敏で、身体能力が高いことがすぐに分かった。しかし、銃を奪うと、素手ではこちらに分があった。ゲリラでは、大概、少年兵のほうが、たちが悪いものだ。だから、子供を容赦するつもりはない。しかし、彼らの死に顔を見ると、なんともやりきれない気分になる。
 とにかく、次は管制室だ。管制室を押さえれば、外で待機している連中が突入することになっている。できるだけ、連中と接触しないようにして進んだつもりだったが、突然の銃撃に身をかわした。ワンは、きれいなフォームで手榴弾を投げ込んだ。一人が爆風で飛ばされたように見えたが、その影は壁に激突する前に受け身をとった。
 「子供」たちは、どいつもこいつも動きが早く、不規則で捉えにくかった。頼みのワンは……心配する必要はなかった。彼女の動きは無駄がなく、適切で、正確だった。日常会話でコミュニケーションはとれなかったが、実戦では痒い所に手が届くタイプの人間だ。俺たちは、「子供」たち全員を戦闘不能状態にした。そして、一体一体の鼻の穴に液体を注入していった。
 最後の一人に馬乗りになって、鼻に注入しようとした時、その「子供」はかっと目を開けて、俺の喉に手を伸ばした。とっさにかわすと、俺の感知システム用ゴーグル引きちぎった。それだけの体力が残っていたとは、思わなかった。そいつは、俺の顔をまじまじと見た。
「……あんたは、エスか?道理で、僕たちを簡単に……」
「なぜ、俺の名を知っている?」
 俺の顔と名を知っているのか。どういうことだ?
 ひるんだ一瞬、重傷を負っているとは思えない動きで体をまわして、上に乗っている俺を振り落とし、態勢を整えた。そして、後ろに跳びのこうとした瞬間、ワンの銃が連射され、弾が心臓周辺に撃ちこまれた。俺は、再び倒れたそいつの首元をつかんだ。
「なぜ、俺を知っている?おまえたちは何者なんだ」
「あんたは、何も知らないのか」
そいつは酷く血を吐いて、咳きこんだ。
「僕たちは、自由になりたかった。一年でよかった。……全部、あんたのせいだ」
「俺のせい?」
 死にかけているとは思えない力で、俺の腕をつかんでしがみついた。
「……コア計画。トーニャ島へ行け」
 静かに近づいてきたワンは、そいつのこめかみに拳銃をあてた。
「待て!」
 銃声が響いた時、そいつの口が動いた。唇が読めた。読んでしまった。
「すみません、撃ってはいけなかったのですか」
「いや、もういい。処置してくれ」
 俺は、ワンが「子供」たちの処置を続けるのを見ていた。

 あいつの唇は、確かに、こう言った。
 とうさん……と。

 みんな、どこかで見た顔だった。「子供」たちの顔は、俺の子供の時の顔と似ていた。


 俺は、酷く混乱した。

 宇宙開発センターは、正規軍が完全に秩序を回復し、俺とゼロは基地の方へ移動した。食事と睡眠の時間が与えられた。宿舎のベッドで横になっても、眠れそうになかった。

 子供を作った覚えはなかった。彼らを15歳程度とみても、俺が12・3歳で作ったことになる。ありえない。しかし、なぜ。あの顔は……
 彼らは、普通ではなかった。身体能力が高いだけではなく、生命力が異常に強かった。致命傷を与えても、彼らは動くことができた。なぜ、他の人間には害のない液体を、鼻から注入しなくてはいけないのか。そして、年齢も性別も判別できない異様な外見。……彼らは、本当に人間なのか。
 何が、一体、俺のせいなのか。俺と彼らを結ぶものがあるのか。コア計画、トーニャ島。
 
 眠れないまま、休息時間が終了し、そこで基地の将校から命令が伝達された。民間人同様に公共交通機関をつかってネオポリスへ帰ってこい、とのことで、それが休暇がわりだそうだ。三日ほどかかる。三日は、軍から離れていいということらしい。チケットと金が渡された。ビジネスマンのようなスーツ一式を渡された。ワンもスーツ姿だった。彼女は、額あてを隠すような帽子もかぶっている。
 俺たちはエリア2の民間空港まで車で送ってもらった。俺は、搭乗手続きを済ませた後、手洗いに行くから先に搭乗しろとワンに告げて、空港に残った。
 そして、トーニャ島へのアクセスを調べ、それにふさわしいチケットを購入した。

 エリア1にあるトーニャ島に一番近い民間空港に到着し、その傍の安宿にチェックインしたのは、それから二日後の夜のことだった。

6.

 部屋に入り、ドアを閉めようとした時に、気配を感じて拳銃をむけると、そこにはワンが立っていた。
「まだ時間はあるはずだが……俺を捕まえにきたのか?」
「それは、ありえません」
 ワンは両手を上げて見せた。銃を突きつけた状態で、ワンを部屋に入れた。
「現在の私の上官は、あなたです。命令には、絶対服従です」
「俺は、今、任務外の行動をとっている。服従する必要はない」
 ワンは、暫く、フリーズした。
「……わかりました。では、解除して下さい」
 ワンはゆっくりと、自分の額あての側面に触れた。額の真中にあたる部分の表面がスライドし、何かを接続させるような構造の器具が露出した。
「命令の解除・変更を」
「これは何だ?」
「管理システムへのコネクターです」
「何を管理するんだ?」
「思想と感情です」
 唖然として、俺は銃をおろした。
「今、どんな命令を受けているんだ」
「あなたへの絶対服従。そして、命令される任務は全てに優先する、ということです」
「そのシステムの変更は、遠隔操作できるのか?」
「私が知る限り、このコネクターを利用しての変更のみが可能です」
「……わかった。俺は、命令の解除も変更もできない」
「了解しました」
 ワンは、再び額あてに触れた。

 ワンは、使える。しかし、私事につきあわせるわけにはいかない。だが、彼女を基地へ帰す方法は思い付かなかった。簡単な用事を言いつけることも考えたが、彼女がここにいるということを考えると、俺がトーニャ島へ行くことを察知して、それに随行するのが任務と理解しているとしか思えなかった。機械のようでもあり、妙に人の先を読むようなところもある。制御されているとはいえ人間なのだから、割り切れない行動もとるのだろう。
 トーニャ島は、基地の島。民間人は居住していない。丸腰に近い状態でここまで来てしまっただけに、次の行動を躊躇してしまう。

 しかし、状況は思わぬ展開をした。もう一人、宿に来客があったのだ。ヘンケルだった。
「ファーストたちが、何か言ったようだね。悪いが、君にもワンにも発信機を埋め込んである。どこにも行けんよ」
 相変わらず、見下すように悠然と構えている。
「トーニャ島へ招待しよう。君には知る必要のないことだと思うが、今の君は納得しまい。説明してやろう。君には今後も働いてもらわねばならないからな」
 俺とワンは、ヘンケル大佐に連れられてトーニャ島に渡った。

「この島は、基地の島だが……そのほとんどは生物兵器の開発研究所だ。私が、特殊兵器の管理部門に属しているという意味がわかるかね」
 俺は、頷いた。
「ゼロもワンも、そしてファーストたちも、私の管理する兵器だ」
 思わずワンの顔を見たが、彼女は動揺する様子も見せなかった。
「ふん、ワンを心配する必要はない。これには感情はない」
 
 研究所は、原子炉を地下に抱えたドーム状の施設だった。奥へ進んでいくと、たくさんのカプセルが林立する一角にたどり着いた。カプセルの一つ一つに、いろんな年恰好の子供たちが眠っていた。
「ここでは、さまざまな実験を行っている。兵士としての能力を高めるために、身体能力を高め、脳にもいろいろ手を加える」
「それでは、倫理上問題があるのではないでしょうか」
「それは、相対的な問題だ」
 ヘンケルはこともなげに言った。
「ここでやっていることは、普通の人々を戦争から解放する研究なのだ。戦争用の別種の生物を作り出し、彼らに戦争を代行させれば、普通の人間は戦場で傷つくことはない」
「しかし、このカプセルの中にいるのは、普通の人間ではないのですか?」
「彼らは、人類全体のための尊い犠牲となるのだ。まあ、扶養する保護者のいなかったものばかりだ。われわれが活用してやらなければ、野垂れ死にしていた。有効活用だ」
 目の前のカプセルに入っていた十歳程度の少年が、突然苦しみだしたかと思うと、やがて動かなくなった。
「こんなふうに実験に適応できないものもいる」
 ヘンケルは、うんざりした表情をした。それから、小さなミーティングルームへ連れて行かれた。

「座って話そうじゃないか」
 椅子をすすめられ、腰掛けた。ここにも、コダマが待機していた。
「質問は?」
「コア計画とは何ですか。ここで人体実験をしていることと、自分と何か関係あるのですか」
「ふん。人体実験そのものは、古くから行われている。ここでは50年以上前からだ」
 コダマが俺に写真を渡した。目をそむけたくなるような肉の塊だった。
「それが、5年前の君だ。君は、壊滅した部隊の中で、そんな状態で発見された。誰も君が助かるとは思わなかった。でも、信じられないことに、君は後遺症もなく回復した。われわれは、君の肉体に興味を持たざるを得なかった。われわれは、君を研究材料とし、またいろいろ体細胞を採取した。実に、君は面白い素材だった。いろんな実験を行った」
 細かいデータが書き込まれた文書を見せられたが、良くわからなかった。自分は特別な生き物なのだということが、記されているらしい。
「簡単に言うならば、細胞の復元力、神経の発達、筋肉など運動機能に付随するありとあらゆる方面の発達が尋常ではなかった。われわれが、人工的に作ろうとしていた種の条件を、君は満たしていた。後は、どのようにそういう人間を増やすか、種として成り立たせるかが、われわれの課題となったわけだ。子供たちに、君の体から採集した物質や細胞そのものを取り込む、というのも実験中の方法の一つだ。……あまり成功率は高くないがね」
「さっきの子供は……」
「拒否反応を起こしたのだ」
 カプセルの中で苦しんでいた子供の顔が思い浮かんだ。
「とりあえず、今までの実験で、君の細胞の移植に適応できたのは、ゼロとワンの姉妹だけだった。他も今、やってはいるが、今のところは彼女たちだけだ。彼女たちは双子だから、実験には便利だった。ゼロで試し、ワンで実用化する。二人とも、高い身体能力を持つことができた」
「ゼロで試し、ワンで実用化した?」
「そうだ。ゼロは試作品、ワンは実用1号だ。君の体には、そういうものを作り出すだけの価値があるのだ」
 ヘンケルはもったいぶったように言ったが、何かが納得いかなかった。何かがおかしい。実験体であるゼロの回収が必要なのはわかるが、そのために俺を派遣するというのは……それは、やはりおかしい。
「ゼロの死因は何ですか?」
「拒否反応の一種だよ。ゼロに最終的な移植を行った後、予測しなかった拒否反応が出て二年程度しか生きられないことが分かった。その成果を取り入れたワンは、十年以上働ける体になった。これで、一応実用品となったわけだ」
 酷い話だ。俺が眠っている間に、勝手に俺の体を実験材料にしていた。そして、俺の体から取り出されたもので、生体実験が行われ、人命が奪われてきた。あのゼロは……無邪気にはしゃいでいたゼロは、俺の細胞に殺されたのだ。吐き気がする。横をみると、ワンは表情も変えずにいた。

 内線電話がかかり、ヘンケルは話を中断した。俺は混乱したまま、ワンに声をかけた。
「ワン、自分とゼロについて、現実を受け止めろ」
「それは、命令ですか」
「いや……よくわからない」
「……了解しました」
 内線電話が終わると、兵士が二名入ってきた。
「ワンを回収します」
 おとなしく、ワンは兵士とともに出て行った。
 
「さて、話を続けようか。まだ、質問はあるかね」
 扉が閉まると、ヘンケルは横柄に口を開いた。
「ファーストとは、何ですか?」
「一言でいえば、君の子供たちだ。君の精子と、卵子を受精させて、人工的に培養した。新たな種を作るためのもう一つの方法だ。その最初の成果だ」
「しかし、彼らは……」
 彼らは5歳には見えなかった。
「高速培養したのだ。まだ、不十分な技術だが、一応、高速培養装置というものが開発されている。君の精子と、いろんな女性から採集した卵子を、受精させて培養したが、ほとんど途中で死滅した。まだ、技術的に確立していない状態だ。よっぽど相性がいいのだろう、生き残ったのはゼロかワンの卵子を使った個体のみだった。つまり、『ファースト』は、君とゼロ・ワン姉妹の子供なのだ」
 「子供」たちの顔を思い浮かべた。どこかで見た顔……自分の顔と似ていたが、言われてみれば、彼女たちと似ているところもあった。
「今の高速培養の技術では、彼らに第二次性徴を迎えさせることができなかった。彼らは、自分たちで繁殖できない個体であり、ゼロにみられたような拒否反応を単体で起こしていた。寿命も二年にみたない生き物だった。作ってはみたが、明らかに失敗作だった。しかたないから、最前線で使うつもりだったが……」

――自由になりたかった。一年でよかった。――

 そういうことだったのだ。彼らにすれば、俺のせいなのだ。俺という人間がいたばかりに、こうなったのだ。人為的に作られ、失敗作として消費される。彼らは、残り少ない寿命を平穏に過ごすために、無謀にも宇宙への脱出を目指したのだ。そして、それを阻んだのは……父と母。

 普通の一般の人間でないものの命は、こんなにも軽いのか。普通で一般の人間と、どこで区別がつけられたというのか。ゼロやワンは、身寄りのない孤児だっただけなのではないのか。人工授精の子供たちは、普通ではないというのか。軽すぎる。それを人類全体のための犠牲というのは、欺瞞だ。
 そして、それらの実験が、俺という個体が確認されてから、俺を中心にして行われているというおぞましさ……。それが俺の眠っていた5年なのだ。

「不満そうだな。君には理解したうえで協力してもらう、というのが望ましいと思うが、そうでなければ、君の脳にもワンにしたような処置をとらなくてはならなくなる。ああなりたくはあるまい。一晩、ゆっくり考えたまえ」

 俺は、「休憩室」という名の独房に連れて行かれた。殺伐とした部屋に、ちゃんとした温かい食事が準備されていた。

 どうも懐柔したい「ふり」をされている……釈然としないものがあった。これは、「ふり」だ。俺に、俺自体の価値があるように見せているだけの細工にすぎない。何かがおかしい。はっきりとはわからないが、今見せられていることは、真実の全てではない。
 ヘンケルから聞かされたことは、何もかもショッキングで、重い内容だったが、まだ何かが残っているはずだった。

 それは、絶望的な確信だった。

7.

 ゼロは、最終任務が、自分の寿命のぎりぎりに与えられていたことを知らなかった。彼女は、人間らしい人生が待っていると信じていた。綺麗な刺繍に、はしゃいでいた。
 マネキン人形のような美しい死体……非現実的な死。


 一体、何を協力するというのか。一方的に利用されているだけだというのに。ゼロやファーストたちは、自由を望んだ。人間らしい生活を望んだ。そして、ワンはそれを望むことすらできない。そして、今もカプセルの中で実験されている子供たち。犠牲などという美名で呼ぶべきものではない。
 協力はできない。しかし、軍に対してノーを言って、生きていくことは出来るのだろうか。拒否をする権利など、もともとこちらにはないのだ。個人の権利とか、そういうものは、全体への奉仕という名の下では、簡単に否定されてしまう。

 11時をまわるころ、静かに扉が開き、ワンが入ってきた。
「どうした?」
「現実を受け止めろというご命令でした。それに従うためには、管理システムの解除をされてはいけないと判断しました」
「解除される前に、脱走してきた?」
「はい」
 ワンは、銃を俺に渡した。
「研究施設の内部には、武器の保管場所らしいところがなくて、こんなものしかありませんが。……内部の警備自体はさほどでもありません」
「これで、俺に何をしろと?」
 ワンは、不可解な表情を見せた。
「私は、あなたの判断に従います」
 迷いはあった。だが、俺の存在が、ゼロやファーストたちを死なせ、これからもそういう犠牲者を出す言い訳にされるのは、納得がいかなかった。
「もう一度、あのカプセルのあったあたりをちゃんと調べてみよう。何ができるのか、それに……」
 まだ知らなくてはならないことが、残っているはずだ。
 
 ワンを連れて、昼間に見せられた施設の一角をめざした。警備兵と若干やりあったが、大したことはなく、警備システムを破壊しながら進んだ。途中、機械室らしき場所を見つけた。その部屋のコンピューターの末端を操作し、施設の概要を調べた。
「この区画が、メインのコンピューターや資料の管理を行っている。ここへ入るには……ここだけ別のシステムで防御されているが……」
「この末端からシステムを解除するのは無理です。砲か爆弾の類を入手しましょう」
 武器を入手できそうな場所を探すが、武器庫は若干離れている。場所を確認したうえで、他にアクセスできるデータを探す。
 集められた子供たちは18人。全員がカプセルの中で、何らかの処理をされている。他に培養中の生命体が無数に存在する。
「せめて、連れてこられた子供たちだけでも助けられないか。カプセルの機能を停止させることはできないのか」
 俺の独り言を聞いたワンは、どこかからケーブルを持ってきてコンピューターと額あてを器用につなぎ始めた。
「何をしている」
「この方が、早いのです」
 ワンは耳を押さえ、目を閉じた。
「カプセルの機能を停止することは可能ですが、それでは彼らの全員が死亡します。彼らを生きた状態でカプセルから出すには、個別の措置が必要です。われわれの手に負えるものではありません。機能を停止させ、安楽死させることは可能です」
 安楽死。それは一つの選択ではあるが、俺がすべき選択ではなかった。
「あんたもあの中にいたことがあるはずだ。あんたなら、安楽死を望むか?」
「……私は任務のためにのみ生き、死ぬようにできています。それ以外の死はありえません」
 そうだった。ワンには、そんな選択肢はなかった。
子供たちの中には、自分の運命を呪い、安楽死を望んでいるものもいるかもしれない。そうでないものもいるかもしれない。どちらにしろ、誰がその命を終える決断をすることが許されるだろうか。
 苦痛が長引くだけなのかもしれない。だが、誰かが適切な処置をして、彼らを解放することができる可能性があるなら、安楽死を選択することはできなかった。
「彼らはこのままにしておこう。培養中の未熟な生命体については、培養を止められないか」
「一部については可能です。しかし、ほとんどはメインコンピューターと同じ区画で管理されていて、こちらからのアクセスは出来ないようになっています。メインコンピューター自体の操作が必要です」

 俺たちは、一旦、建物の外へ出て武器庫に入り、装備を整えた。時間がかかっていることが気がかりだった。警備システムが復旧し、警備兵が配置されるとやりにくくなる。実際、再侵入は警備兵との銃撃戦の連続だった。相方がワンでなければ、とうに頓挫していただろう。それでも、なんとかメインコンピューターのある区画にまでたどり着いた。
中に入るために、緊急用に閉じた防御壁を開けなくてはならない。対戦車用砲を数発撃ちこんでみたが、重層構造になっている壁の表面をえぐっただけだった。
「爆弾を仕掛ける。後ろを頼む」
 遮蔽物がない場所で長時間粘るわけにはいかない。仕掛けをしている後ろで銃撃が始まる。
 ガウン
 何かがつきぬけるような、大きな音がした。
 肉の焦げる匂い。こんな狭い場所で、まさか……振り返ると、大型のレーザー砲を抱えた兵士が立っていた。こんなものを一人で抱えて撃つとは……連射はできまいが。
「くそっ」
 銃で威嚇し、兵士をさがらせて、手榴弾を投げ込んだ。そして、この区画への突入は諦め、ワンを抱えて、他の通路へ逃げ込んだ。一旦、人気のない部屋に身を隠した。
 
 ワンは、右半身を焼き切られていた。

 無表情のままだが、さすがに意識が朦朧とするのか、瞬きをくりかえしていた。
「あんたが避けられないはずはない。俺を庇ったのか?何故だ?」
「任務遂行が全てに優先する……」
 機械的な声が弱弱しく響いた。
「……上官の命令は絶対……任務遂行が全てに優先する……」
 まるで壊れた録音装置のようだった。一部熱でひしゃげた額あてが、内部の装置を露呈している。
「……上官の命令は絶対……任務遂行が全てに……」
 彼女の言葉に同調するように、額あてのパーツの一部分が振動する。
「もういい、やめろ」
 振動している部分に触れると、それは止まった。その瞬間、無表情だったワンは、大きく顔を歪めた。

「…ああ、こわい……」

 残っている左手で、俺の服を握りしめた。見開いた眼は、見る間に涙でいっぱいになった。しかし、それが目からこぼれおちる前に、彼女の命は終わった。

 ワンの死体は無残だった。半身が焼け焦げ、その表情は……
 俺は、感情を持たなかったワンに、よりによって、死の恐怖と苦痛のみを与えてしまったのだ。

8.

 憤り。それ以外の感情ではない。だが、どこに向ける?

 国家か、政府か、軍か、個人の誰かか ……それとも俺自身か?この憤りは、絶望に近い。


 気配を感じて、扉の方へ銃を向けた。鈍い音がして、扉ごと焼き切ったレーザが俺の横をかすった。来た。さっきのやつだ。手がふさがっているはずのそいつの腹に体当たりをくらわせて、部屋の外へ飛び出した。
 そのつもりだったが、そいつはすぐに立て直して、重い砲で俺を後ろから殴った。暫く、もみ合ったが、俺はそいつに組み伏せられた。それは、随分、不思議な感覚だった。
 俺は、フルフェイスのメットを被るそいつに、心当たりがあった。
「殺す前に、顔をみせろよ」
「協力するなら、殺さない」
 メット越しだが、聞いたことのある声だ。
「……もう、いいさ。やれよ」
「俺もおまえも、選択肢はないんだ。わかっているんだろう」
「ああ。そして、あんたは協力したんだな。……あんたが本体か」
「……そうだ」
 そうか。やはり、そうか。そういうことか。俺は…
「あんたは、協力して、何を手に入れた?」
「……もう戦場には送られない」
「なるほど、俺はその代わりか。……どの面下げて、言ってんだ。顔、見せろよ」
 そいつは、片手でメットをはずし、投げ捨てた。

 思っていた通りの顔。間違いない……俺自身の顔だ。

「俺は、クローン?」
「ちょっと違う。そこがどうも俺の体の特殊なところのようだが……言うならば、分身だ。細胞を採取した五年前までの記憶を共有する」
 俺は、俺の上に馬乗りになっている男の顔を、鏡をみるように眺めていた。
「高速培養されたから、俺ほど復元力の強い肉体ではないらしい。おまえは、実験体として保管されていた。ゼロの回収任務にあわせて目覚めさせられたんだ。わかるだろう、他に選択肢はない。協力しろ」
 俺は、軍事機密であるゼロの回収のために、この世に送り出された実験体の一つに過ぎなかった。一つの本体から、量産可能な……
 不思議な感じだ。こいつの考えていることは、手に取るようにわかる。向こうもそう思うのだろうか。
「……わかった。協力しよう」
 俺がそういうと、男は銃を向けたまま、俺を立たせた。次の瞬間、俺は男の手首をつかんで部屋の中に押し込んだ。



<こちら、エス。任務、終了しました。申し訳ありません。実験体とワンの両方ともを死亡させてしまいました。>
 通信機から聞こえる声に、ヘンケルは大柄に答えた。
「実験体はともかく、ワンはもったいなかったな」
<メインコンピューターやその他に異常がないかを確認したいのですが、防御壁を解除していただけますか。>
「君が、か?まあいい。今、私もそちらへ行く。先に、ワンと実験体の死体を確認しよう」

 ヘンケル大佐はコダマを連れて、エスの待機する場所にやってきた。まず、焼け焦げたワンの体を見た。
「やれやれ、彼女のクローンは高速培養できない。君の種を残すには、彼女たちの細胞は非常に価値があるんだが、まあ、しかたない。培養に時間がかかるにしろ、細胞自体はたくさんストックしてある。問題はない」
 次は、実験体の方だった。
「上半身は?」
「抵抗したので、レーザー砲で焼いてしまいました」
 エスは、頭痛がするのか、時々頭を押さえて顔をしかめた。
「……いわゆる近親憎悪と言うやつかね。自分自身を焼き殺した気持ちは、どうだ?」
「切った爪の運命までは、誰も考えません」
 ふん、とヘンケルは鼻で笑った。
「コダマ、一応、この下半身を培養機に入れておいてくれ。生えてくるかもしれん、こいつらなら、な」
 エスは、顔をしかめた。エスは酷く疲れて見えた。
「手当は、必要かね、エス」
「必要ありません。ただ、コンピューターからコア計画についてのレクチャーを受けたいのですが」
「精神的に動揺した、ということかね」
「いえ、それほどでは。ただ、その方が望ましいかと」
「よかろう」
 ヘンケルは、エスを連れてメインコンピュータールームへ向かった。
「君とはもう五年も協力関係を築いてきたのだ。お互い信頼しあって当然だ」
 
 歩きながら、ゆっくり諭すように、ヘンケル大佐は話し始めた。
「長い間、研究は積み重ねられてきた。しかし、君の特異な体質にはかなわなかった。誇るべきだ。君はその肉体の情報を提供するだけで、人類に貢献できるのだ。君から生み出される生命は、戦争に特化した生き物として、全ての人類を戦争から解放するだろう。その生き物が苦痛を感じるのが可哀そうだというなら、最初からその部分は切除すればいい。思考することそのものから解放してやればいい。それは技術的に可能だ。君の実験体にも、最初から、ワン同様の処置をするべきだった。反省しているよ。君は、生活を楽しめばいい。君の希望は、極力、実現する。昔は無縁だった娯楽も、今の君なら思いのままだ。物欲でも、食欲でも、性欲でも、充分に満たすがいい。君は生きていて、われわれに細胞を提供してくれればいいのだ」

 コンピュータールームの扉が開いた。巨大な細胞が連結するように、つながれたそれらは、熱を放っていた。
「全ての情報がここに集結している。そして、全てをここで管理している。君は、そのパーツに過ぎない。しかし、それを自覚していれば、幸せに生きていける」
 ヘンケルの演説はそこで途切れた。
「それで?」
 先を促しながら、エスはコンピューターの操作盤に向き合って、手を動かし始めた。
「その続きをどうぞ、ヘンケル大佐」
「エス?」
 室内に警報が鳴り始めた。
「貴様、何をするつもりだ?まさか……操作盤から離れろ」
「何を驚いていらしゃるんですか。大した問題ではない。コア計画の再レクチャーについての資料を出しているだけです」
 ヘンケルは腰の銃を抜いた。
「操作盤から離れろ。で、なければ撃つぞ」
 手を動かしながら、平然とエスは顔をヘンケルに向けた。
「その銃が有効だと?……そうでした、俺は生きていることそのものに価値があるのでしたね」
 ヘンケルは恐怖に駆られて、銃を乱射した。それはエスにはあたることはなかった。コンピューター機器の中を弾丸は飛び交い、それの一部を破壊した。
「貴様、誰だ。もしかして実験体?」
「俺は……エス」
 エスは、拳銃をまっすぐヘンケルの額に向けた。個人を識別して、その個人への憎悪をこめた一発を……それは生まれて初めてで、最後であろう一発を……撃ちこんだ。
「俺は、エスだ」


 コダマは、研究者たちに指示して、実験体を軽く洗浄させ、培養装置に移した。そして、培養開始のスイッチを押したが、機械が反応しなかった。コンピューター端末から再調整をしようとしたが、メインコンピューターの不調を訴えるばかりだった。コダマは、メインコンピューター室にいるであろうヘンケル大佐に内線電話をかけたが、誰も電話に出なかった。
 重い腰を上げて、メインコンピューター室に向かったコダマが見たのは、修復不可能な状態にデータを破壊されつくしたコンピューターと、ヘンケル大佐の死体だった。慌てて、コダマは冷凍保管室に向かったが、冷凍保管されていた細胞のサンプルは、全て炎上していた。培養中の実験体も、生命を維持するための装置が機能不全となり、徐々に死滅していった。
「この基地での研究成果の全てが失われてしまいました。究極体であるエスは、行方不明です。こちらの人員で彼を追うのは不可能です」
 連合の本部に、コダマはヒステリックな報告を通信した。


 エスはspecialのエス。
 幼い彼に肉親がつけたあだな。「特別」に愛おしい我が子へ。

 そして、彼の行方は誰も知らない。

エス

子どもの時に見て感動し、いまだにファンである某アニメ作品へのオマージュとして書いたものです。なので、アニメチックな内容になっています。

エス

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-09

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted