失せもの
何かを失くした。
急にそんな気がしてきた。しかし、それが何なのかがわからない。
日帰り出張の帰り。まだ夕方と呼ぶには早すぎる時間。郊外の駅で本数の少ない列車を待ちながら、ベンチに腰掛ける私は急に不安になった。仕事自体は問題なく済み、何か持ち帰らなくてはいけない貴重品を預かっているわけでもない。後は、自宅に帰るだけのことなのに、どうも落ち着かない。
持ち歩いている合成皮革のバックを開いてみる。A4サイズのファイルが入ればいいと選んだ安価で個性のないライトブラウンのバッグ。仕事用のクリアファイルが2冊。プレゼン用に支給されているタブレットパソコン。
去年の誕生日に自分で買った財布は、こっくりとしたワインレッドの風合いがお気に入り。サイドポケットには、使いこなせていないスマホと、使い勝手がいまいちの電子書籍リーダー。手の中に納まるサイズの手帳。型抜き模様の革のカバーを毎年付け替えて使っている。四色ボールペンと黒のボールペンが一本ずつ。金属の冷たさが気持ちいいシンプルな名刺入れ。とある海外ブランドの優雅な化粧ポーチは、随分前に友人から贈られたもの。そういえば、子育て真最中の彼女とは、ここ三年ほど顔を見て話していない。 ポーチの中身は、プレストパウダーのコンパクトと口紅、グロスと薬用リップクリーム。鎮痛剤を二錠忍ばせる。化粧品はあまり多く持ち歩かない。外出中に化粧が崩れてしまったら、それはそれで素直に諦める主義。
別段、消えたものはないような気がする。
何を失くしたのだろう。
薄手のジャケットには飾りポケットしかない。パンツの両脇にある浅いポケットに手を突っ込む。右のポケットにはハンカチ代わりのミニタオルが一枚。左のポケットには昨日駅前でもらった消費者金融のポケットティッシュ。大体、これは定番。タオルやティッシュを取り出すときに落としてしまうかもしれないから、他のものを紛れ込ませることはない。それがいつもの私。だから、ここにない何かは、きっと失った何かではない。
何を失くしたのだろう。
特定の何かを探すより、何がなくなったのかを確認する方が数段難しい。そもそも、私は本当に何かを失くしたのだろうか。
指輪は左の薬指に二つ。太くて短いから、指輪の似合う指じゃない。シルバーのプチネックレスはお守り代わり。神様は信じていないけど、お気に入りのアクセサリーに気分をあげてくれる御利益があることは疑っていない。ネックレスに合わせたスタッドタイプのシンプルなピアス。イヤリングはすぐ落ちるから嫌い。それでピアスホールを開けたのに、ピアスもわりと簡単に失せてしまうもの。でも、今は両方の耳にちゃんとついている。無くなってはいない。
何かを失くした。
それは、きっと気のせい。今日の夕飯は、せっかくK市まで来たのだし、次の乗り換えで名物の駅弁を買おう。きっと今日は夫の方が先に帰宅するだろう。晩御飯の支度はいいから、ビールを冷やして待っていてね。浮かれたデコメールを送る。家事に手が回らない時ほど、年甲斐もない賑やかなメールを夫に送る。
今日初めて訪れた街。初めて利用する駅。でも、駅はどの駅も私には似通って見えて、あまりなじみのない学校法人の生徒募集広告だけが、かろうじて見知らぬ土地にいることを思い出させてくれる。
中学生の時、私はバスケットボール部に所属していた。下手くそで、レギュラーには最後までなれなかったけど、全力で走り、全力で跳び、全力で声を出す、その瞬間が好きだった。在学中に体育館の改築工事が行われたため、8キロ離れた市営体育館をよく利用した。天気が良い時はもっぱら自転車で通ったのだが、雨や雪の日はローカル線を利用するしかなかった。その体育館の最寄り駅が、まさにこんな雰囲気だったように思う。一時間に一本しか列車が来なくて、友人たちと一緒に、駅近くの書店で時間を潰した。ファーストフード店も女子生徒がたむろできるような気の利いた雑貨店も辺りにはなかった。
灰色の古い雑居ビルの一階から三階までが一つの書店だった。ワンフロアが狭くて、その上、様々な形状の本棚が不規則に組み合わされていたから、まるで迷路のようだった。一階は雑誌と漫画、そして児童書。漫画は全てビニールがかかっていて、立ち読みできない。二階は学習参考書と辞典類のフロアで、そこだけいつも妙にがらんとしていた。私が入り浸っていたのは、三階。一番、ごみごみしていて、いろんなジャンルの本が私にはわからない基準で配置されていた。洋書やアート本などもあったような気がする。今思うと、店員さんは一階のレジにいただけだったし、あんな見通せない店内では万引きされ放題だったのではないかと思う。でも、そんな造りの店だった。大らかな時代だったのかもしれない。
私が選ぶのは、列車が来るまでに読み終われそうな厚さの文庫本で、作者にもジャンルにもこだわりはなかった。その書店では、一度立ち読みしかけた本を、別の日に改めてもう一度読もうと探しても、なぜか見つけることができないのだった。何度かそういう経験をして、私はそこでは読みきれるものしか読まないことに決めた。
そう決めていたのだが、読み切れずに心残りになってしまった本もある。何気に手にとって、その内容に引き込まれつつも今一つ理解できず、友人が呼びに来てくれるまで没頭し、そしてその後、二度と巡り合えなかった。学校の図書館では見付けられず、30年も前の事だから、中学生が本屋さんから取り寄せることもネットで買うこともなく……そのまま忘れてしまった。読みかけの本のタイトルも内容も今は覚えていない。しかし中学生だった私は、その本を読んだ時、内から何かが湧きあがってきて、地面が崩れていくような感覚を覚えた。その感覚だけが今も残っている。呼びに来た友人の言葉を借りるなら、「あんたは、半泣きで本を握っていた」のだそうだ。
若い頃、列車に乗って書店に行く夢をよく見たのはそのせいかもしれない。そして、迷路のような店内で迷う。方向音痴で空間認識が苦手だから、そういう不安が夢になるのかなと思っていたけど、それだけでもないのかもしれない。夢の中の駅は、こことよく似ていた。
構内に入った時は私一人だけだったが、列車の到着時間が近づくにつれ、人が集まってきていた。大方は同じ制服の生徒たち。近くに高校があるのだろう。あとは、今から繁華街に遊びに出るのか、郊外には不似合いな出で立ちの若者。若い乗客が集まるにつれ、駅は活気づいてくる。
「タカコ――っ! 」
不意に名を呼ばれて辺りを見渡すと、向かい側のホームから女子高生が二人、こちら側に向かって騒いでいる。その視線の先を見ると、一人の女子高生が階段を駆け上がってくるところだった。
21世紀の女子高生でもタカコなんて名前だったりするのね。20世紀のタカコとしては興味深くその少女を観察してしまう。小柄で華奢な少女。右手にはスクールバッグとブルーナイロンのミカサバッグ。左肩にはテニスのラケットケースを担いでいる。ショートボブの後ろ髪が走るたびにぴょこぴょこと跳ね、額には汗をかき、上気した顔を少し上に向けている。いったん立ち止まって、右手の荷物を左手に持ち替え、向かい側のホームの友人たちに手を振った。再び勢いよく走り始めたタカコちゃんは、人を避けたはずみで鉄の柱にラケットケースをひっかけ、まるでアニメか漫画のワンシーンのように派手に、こけた。
手から離れたミカサバッグの中からノートやテキストが滑り出し、ベンチに座る私の足元近くまで広がる。私は自分に近いところのものから順に拾い始めて、徐々に少女に近寄って行った。
「あ……」
ノートの下に、図書館のラベルが貼られた文庫本があった。
「リルケ。今の若い子も読むのね」
21世紀のタカコちゃんは、私の拾い集めたものを照れ臭そうに受け取ると、消え入りそうな声で「ありがとうございます」と言い、ぺこぺこと頭を何度も下げる。荷物を握り直すと、ホームを突き抜けてしまうのではないかという勢いで、走って逃げて行ってしまった。
岩波文庫の赤帯のカバー。
『マルテの手記』。そう、あれは、リルケの『マルテの手記』だった。
その存在を忘れてしまえば、自分のような人間が、何か必要に迫られて読み返すような書ではないのだろうと思う。しかし、せっかく久方ぶりに思い出したのだ。忘れる前に注文しようと、スマホを取り出す。
その時、汽笛が鳴った。
中学生だった私は、理解もできないまま、ただ心奪われた。
今の私は、あの書の中に入り込むことができるのだろうか。
列車が入って来た。操作しかけていたスマホの画面を消し、一旦、バッグの中にしまって、乗車の準備をする。
確かに、何かを失くした。
それは今更探しても仕方のないものなのだと、私は漸く納得した。
失せもの